「佐天さん、グッジョブ!」「へへ。木山先生、車、大丈夫ですか?」「ああ。少なくとも残りを走りきるのに不安はなさそうだ」ドキドキと心の高鳴りを伝える心臓を沈めながら、佐天は美琴に微笑を返す。車にも、あまり負担をかけずに済んだようだった。調子がいい、と佐天は思った。別にいつもと比べ、それほど出力や制御がいいわけではないが、いつもどおりを土壇場でやれるのは絶好調だと言えるだろう。このドライブの目的は春上たちを助けることで、失敗すれば、沢山の不幸を招くことになる。だから楽しいなどと思うのはきっと不謹慎なのだが、佐天は逸る心を抑えるのに必死だった。「あと、残ってる部隊はある?」美琴が初春に問い直す。コレで終わりなら、ほとんど消耗せずに本拠地に乗り込める。あまり本調子ではない美琴にとっては、ありがたいことだった。「結構調べましたけど、多分あれで終わりだと思います。ただ、木原幻生の私設研究所のほうに装備があれば、何かしてくるかもしれませんけれど」「そう。とりあえずは、しばらく体を休めてればいいのかな」「そうですわね――――?!」ズガンッ!!!!!白井が相槌を打つより先に、突如、重たい音と振動がスポーツカーに伝わった。「一体何?! パワードスーツは振り切ったはずじゃ」「違いますわ! お姉さま、後ろ!」「え? ってなによアレ?!」衝撃は、コイツの着地音だったのだろう。スポーツカーの後ろを、巨大な二足歩行型のロボットが走っていた。距離は50メートルくらい、後方だろうか。安全第一と書かれた外装をまとい、カニバサミ型のアームを持っている。見かけはよくある、学園都市製の建築・工作用機械だった。「ったくよォ、使えねえ部下を持っちまうと、苦労するよなぁ」「この声、テレスティーナ!?」スピーカーから響いた声で、その大型機械の搭乗者が誰なのか、美琴は理解した。佐天が、窓を開けて後ろを覗き込む。「あれが、テレスティーナ……?」「ええ。たぶん、あの口調が地なのよ」美琴を除く四人は、汚い口調のテレスティーナの声を聞くのは初めてだった。つい昨日まで、優しげに接してくれた人の声とは到底思えなかった。「ほんっと、ちょこちょこといつまでも付きまとう羽虫ったらうぜーよなぁ。ここまで来た事は褒めてやるからよ、テメェらさっさと、逝っちまえや!!」聞こえないだろうから当然だが、テレスティーナはこちらの返事を待たなかった。工作機械がその腕を振りかぶる。こちらからの距離はかなりあるし、腕が届く距離には見えなかった。だが。「佐天さん! アレ、たぶんアームが飛んでくる!」「御坂さん止められますか!」「っ……地上なら、そりゃなんとか。でも車の上は結構キツい。佐天さんは?」「私も威力を落とすのは出来そうですけど、完全に止めるのは無理そうです」「じゃ」目配せをして、コクリと頷きあう。「二人でやりましょうか!」後部座席、左右の窓から美琴と佐天は身を乗り出した。スピードを落とせばそれだけ時間のロスになるから、木山にはブレーキを踏ませない。「ほうら行くぞ。上手く避けないと、ブッつぶれちまうぞォ?」笑いながら、テレスティーナはそう宣告した。振り上げた腕を、すっとこちらに向けて振り下ろした。「そォ、れっ!」バン、という音と共に、1メートル近い鋼鉄のアームがスポーツカー目掛けて飛んできた。「佐天さん!」「――はい! 止まれぇぇぇぇっっっっ!」能力をフルに解放して、佐天は気体を集めていた。それを、飛んできたアームの正面で、解放する。ボワァァァァァン!初めに、膨らむような音がした後、すさまじい破裂音が美琴の耳を叩いた。音速に近い勢いで膨らんだ空気が音を鳴らしたのだった。いつか佐天が、初春と春上に倒れ掛かる電灯を払いのけた時には、佐天は渦を手元で制御していた。この場合は佐天の腕にも破裂の衝撃が行くが、今みたいに体から離して使えば被害は減らせるのだった。だが気体の膨張仕事を逃がす先が多い分、エネルギーのロスは多くなる。止め切れなかったアームが、スポーツカーに伸びてきた。「佐天さん、ナイス」防壁は、二段構えだ。美琴はアームに向けて手を伸ばした。美琴から放射状に形成された電磁場が、美琴とアームの間に斥力を生み出す。馬鹿にならない質量だったが、スポーツカーの手前で、アームは相対速度を失った。ガランガランと地面を転がりながら、スポーツカーからアームが遠ざかる。「ほぉ、頑張るじゃねぇか。それなら、真上からはどうだ?」受け止められたほうのアームを有線で回収しながら、もう片方をテレスティーナは投げつける。狙うはスポーツカーの上空、そして充分に飛んだところで、アームの回収ワイヤを引き寄せた。放物線が歪んで、大体真上からアームが落ちてくる。「くっ! 邪魔!!」「さぁ二発目はどうだぁ? お、やるじゃねーか」佐天が歯を食いしばって渦を巻き、アームにぶつける。アームそのものがそこまで鈍重でなくて良かった。これで車並みに重ければ、どうしようもなかった。佐天がアームの落下速度を殺したところで、美琴が電磁場を操ってそれをスポーツカーの横に逸らして落とす。背後から一直線に襲われても、投げ落とされても、どちらも防御に掛かる労力は大差なかった。……大差ないというのは、どちらにせよ何度もしのいでいる内に疲弊していく点では同じ、ということだ。「初春! あとどれくらいでつくの?!」「このスピードで10分です!」「そんなに?!」「佐天さん、厳しい?」「だって、このままじゃ1分に4発ペースですよ!」「そうね」とはいえ、あちらが一方的に有利というわけではない。高速を降りればこの工作機械は身動きがとりにくくなる。つまり、美琴たちが高速道路上にいるうちに仕留める必要があるのだ。一方、美琴たちはそれを乗り切ればよいのだが、疲弊してしまえばただの女子中学生になる。研究所に立ち入って春上たちを助けるには、演算を続ける集中力を残しておかねばならない。「私と佐天さんじゃ、止めるのが目一杯か」「お姉さま」白井が美琴に声をかける。美琴は、その声に含まれた響きだけで、白井の言いたいことを理解した。「……私が、最後にあのアームを止めればいい?」「! はい! 要は回収用のあの釣り糸を切ればよろしいのでしょう?」「そうね。でもアンタ、乗り物の中から物を狙うの、苦手でしょ」「ええ。でも、私だって日々進歩してますもの」「そ。じゃあ、任せたからね」「はいですの!」白井は美琴に愛想良く返事をして、佐天を視線を交わす。美琴の相棒は譲らない、そんな不敵な笑みを浮かべていた。佐天も白井に同じ笑みを返す。そして視線を戻すと、テレスティーナが、また腕を振り上げていた。「あぁ、面倒すぎる。まったく、お爺様ももっとちゃんと武器は残して置いてくださったらよかったのに。そら、さっさと潰れろよ! ちょっと変化つけてやるからよぉ!」テレスティーナが先ほどと同様、こちらに向けてアームを構える。そして先端にある二本の鉤爪を、グルグルと回転させた。触れると危険なくらいの回転速度になったところで、再び射出した。「くっ……一発目!」佐天は、右手に蓄えた渦を、アームに突き出す。流れをかき乱すその動きは、佐天の渦の威力を半減させるものだった。テレスティーナもそれを見越してやったのだろう。その渦だけでは、アームはそれほど速度を落とさなかった。「二発目!」佐天の左手から、蓄えていたもう一発が解き放たれる。一発だけの渦より制御が甘いから個々の威力は落ちるが、二発トータルではさっきを上回れる。もちろん、精神的疲弊が大きいこととの、引き換えなのだが。ボワァァァンッッッ!!!今度こそ、アームは回転も推進力もすり減らして、ふらふらと美琴たちに近づいた。補足するのは簡単だった。美琴が、磁束を手のように伸ばして、それを捕まえる。「黒子!」美琴の呼びかけに、黒子は返事をしない。そんな余計なことにリソースを割かず、黒子は後部座席で後ろを向いて、車の床につま先を立て膝を座席に触れさせた状態でじっとアームを見据えていた。理由は簡単。車が伝える地面の振動を、つま先と膝をクッションにして目と脳に伝えないためだった。白井黒子を初めとするほとんどの空間移動能力者<テレポーター>は、ある絶対的な縛りを課せられている。それは、かならず自分自身を原点にとらなければならない、という制約だ。その制約は、いくつかの条件下では、かなりのマイナス要因として働く。例えば車内にいる今がそうだった。白井は車と一緒に、地面に対して揺れている。その白井を原点に採るということは、つまり地面こそが揺れている、と演算式上では扱われるということを意味している。ただでさえ蛇のようにのたうつワイヤーに、自分自身の揺れまで加算して、演算しなければならない。それが50メートル以内ならミリ精度で飛び道具の行き先を調整できる白井をして、ワイヤーの狙撃を困難にするファクターだった。「――ふっ!」呼吸を止めて、白井は手元の金属棒を空間転移させる。手元に弾はたっぷりある。惜しまず、10本をまとめて転移させた。「どうです!?」結果を白井は美琴に問う。後部座席中央では、その成果は良く見えない。キンキン、と澄んだ音と共に白井の愛用する武器が金属ワイヤの辺りで音を立てたのが、美琴の耳には届いた。白井の空間転移は、転移先の物質を押しのける形で発現する。今の金属音は、白井の金属棒がワイヤに突き刺さった音だ。それを合図に、美琴はアームを無造作に投げ捨てた。「御坂さん!」「大丈夫」テレスティーナがアームを回収しかけたところで、バツン、とはじけるような音と共に、アームがワイヤーから引きちぎれた。「あ? なんだよ」「やった!」「黒子。ナイス」「黒子に掛かればこの程度、お茶の子さいさいですわ」ガランガラン! とすさまじい音を立てながらアームが後方に流れていく。高速で追いかけっこをしながらのことだから、落としたものはすぐさま消えていくのだ。「もう一回いける? 黒子」「当然ですわ!」「あー、ったく、往生際の悪いクソ虫どもだ。まだこっちには一発残ってるんだよォ!」テレスティーナがスピーカー越しに愚痴を呟きながら、残る片腕を、工夫無く振り上げた。そんなもの、美琴と佐天、そして白井の敵じゃない。「今更すぎんだよ! とっくに実験は始まってるし、もうすぐ春上衿衣は高みにたどり着く。テメェらにもう出番なんざねぇんだよ!!」「嘘です! 枝先さんたちを運び入れてまだ15分です。まだ実験なんて始められるわけありません!」テレスティーナの言葉に、初春がすぐさま否定を返した。その声はテレスティーナ自身に届くことは無いが、佐天や美琴には届く。「落ち着いてあれを落としてください! テレスティーナがいなければ、どうせ実験なんてまともに進まないはずです!」「それは、まかしといて、初春」それは初春の願望も混じってはいた。だが、断言してしまえば、人は自ずと前に集中するものだ。初春に佐天が笑って言葉を返した。目の前で、テレスティーナが残った左腕を飛ばした。「来ます!」「うん!」「了解ですわ!」佐天が、再び両手に蓄えた渦でアームの威力を殺ぐ。そして美琴が電磁場でそれを留め、白井が切断する。もう一度、綺麗な連係プレーが成立してアームは本体から断裂した。「やった!」「! 違います御坂さん!」「なっ!」三人の努力の裏を掻くように、テレスティーナは速度を上げ、機体をスポーツカーに肉薄させた。美琴は、咄嗟にポケットからコインを取り出そうとした。それが、一番威力があって、一番速く出せる技だから。だがスポーツカーのウインドウから半身を乗り出した、不自然な格好からはコインが上手く取り出せない。まごついた数秒は、命取りだった。「詰めが甘かったなぁ。本体を沈黙させてないのに、やったぁ、は早すぎんじゃねぇの?」ニヤニヤとした、テレスティーナの嫌味な笑み。美琴の不手際の間に、テレスティーナの駆る工作機械は、肘より上しかない腕を振り上げた。この距離なら、もはや遠隔アームなどいらない。直接潰せるからだ。「アンタにはやらせない!」そう叫んだ佐天を、テレスティーナは眼中に捉えていなかった。それはレベルという序列に基づいた行動だった。レベル5の美琴が身動きできない環境を用意すれば、勝ちだと思って無理はない。もちろん、それはテレスティーナ側の慢心だった。佐天が、車と工作機械のコックピットの間、僅か3メートル位の空間で最大出力の渦をブチ撒けた。直径1メートル、圧縮率100の高エネルギー弾。それが、スポーツカーと工作機械に、襲い掛かる。バァァァァァァァンン!!!ビリビリと後部座席の窓が震える。割れる不安を感じるレベルの揺れだ。思わず白井と初春は目を瞑り、木山は車のスリップに備えた。美琴も吹き飛ばされない努力で精一杯だった。突然のその一撃から数秒、白井は我に返り、周囲を見渡した。気づくと、佐天がいるべき隣の座席に、その体が見当たらなかった。「佐天さん……佐天さん?!」「えっ?!」「な、まさか?!」前方にいる木山と初春が、佐天の姿が見えないことに戸惑った。状況をつかめない三人をよそに、美琴がぽつんと呟いた。「飛んでる……」「え?」白井は、窓越しに後ろを見た。爆発に巻き込まれ、また工作機械は十数メートル車から離れていた。そして車とテレスティーナの間には、足を地に向け巨大工作機械に相対する佐天。「そんな……佐天さん! 危険ですわ!」こんな無茶、レベル4でも早々はやらない。いや、やれない。バサバサと髪を、セーラー服を、スカートをはためかせながら。佐天は、空に浮いていた。「佐天さん! 戻って! この距離ならレールガンで!」だがその声は、遠く離れた佐天には届かなかった。それにレールガン一発でどうなるものでもないのも事実。佐天が、何をする気なのか、それが美琴には読めなかった。「ふぅっ!」佐天は、息を整えて、前、いや後ろを走るテレスティーナを見つめた。いつになく、神経が研ぎ澄まされているのが判る。何しろ、今佐天には、浮いた自分の目の前にカーペットが見えるくらいだから。車という物体は気流をかき乱し、その後方に連なった渦を生成する。カルマン渦と名づけられたそれは、束ねた孔雀の羽模様みたいに渦の目を鈴なりに作るのだ。木山のスポーツカーは、そんなおあつらえ向きの、鈴なり渦のカーペットを用意してくれていた。佐天はその全てを一つ一つもぎ取り、自分の渦にする。それだけでもう、空力使いの自分にとっての足場が、空に出来上がる。自分という空力使い<エアロハンド>は、飛翔は苦手だろうと佐天自身も思っていた。渦で空を飛べれば苦労しない。だが、応用次第では空を翔ける少女になら、なれるのだ。ダンダン!と踏み締めるごとに渦を消費しながら、佐天はテレスティーナに肉薄する。「あん? テメェ、殺されたいのか?」爆発に振り回され、一時的に視界を失っていたテレスティーナが再び見たものは、アップで映る佐天の姿だった。それを見て、テレスティーナは戸惑った。たかだかレベル2の能力者が、一体この工作機械に近づいて何をする? 何が出来る?そのテレスティーナの混乱を、慢心とは言うまい。佐天の伸びを正しく理解しているのは、この世でただ二人、佐天自身と婚后光子だけだった。「――――ふ、やぁっ! ……いったぁ」スポーツカーと工作機械と佐天。この中で推進力を持たず、空気抵抗によって減速するのは佐天だけだ。僅かについた工作機械との相対速度を、機体から出た落下防止用の手すりに掴まることで強引に殺す。佐天の細腕がビキビキと悲鳴を上げた。どう考えても、明日は腕の筋肉痛で苦しむことになりそうだった。今、佐天が掴まっているのは工作機械の腰のスカート辺りだった。すさまじく大きな機体だけあって、佐天が掴まって体を寄せられるだけのはしごがついている。「そんなところにいて、テメェ、休憩する余裕あんのかよ?」「そっちこそほっといたら御坂さん達、着いちゃいますよ?」「テメェを始末するのに時間なんかいるかよ。乳臭いガキが英雄気取りか?」短くなってしまった腕でも、充分に届く位置に佐天はいる。腕で自分の腰を叩けば工作機械は傷つくだろうが、人間を引き裂くのに必要な力なんて大したことはない。テレスティーナは腕を振り上げた。その一瞬のロスで、佐天には充分だった。テレスティーナの油断を鼻で笑いながら、佐天は空に手をかざした。静かに流れていた空気は、その手に触れることでかき乱され、内在していた駆動力を解放してやる。真夏の高速道路上の空気には、エネルギーがたっぷりと詰まっている。太陽で熱された地表の空気は上空よりずっと熱くて、つまりそこには温度差という名の駆動力が山ほど眠っているのだ。何も無ければ、緩やかな対流でその駆動力は消費されていくのだが、時折、大気はそれとは全く違う運動モードで、エネルギーを消費する。その現象の名を、渦という。――――そう、渦なんて、特別なことをしなくてもいくらでも出来るんだ。この高速走行する機体の傍なら。佐天の腕から指先までがかき乱した大気、それを少しだけコントロールして、佐天はテレスティーナに『干渉』した。ガタガタガタガタン!突然、テレスティーナが振り上げた腕が酷い振動を起こし始めた。コックピットの中でパワードスーツまで着込んでいるテレスティーナの耳にまで、その異様さがはっきりと判るほどの騒音が鳴り響く。テレスティーナは何事かと腕を止めた。むしろそれが命取りだった。――――ガタガタ、バキン!それは予想だにしない出来事だった。右腕が、肩から先を折って吹き飛んだ。そして失ったパーツはあっという間に後方に流れ、テレスティーナは佐天へ攻撃する術を失った。「何?!」「渦流共鳴<ボルテクス・レゾナンス>とでも申しましょうか、なんちゃって」ちょっと高飛車な感じの師の口癖を真似て、佐天はそんな風に言った。「おうちに帰ったらタコマ橋でググってみるといいですよ!」佐天がしたことは、自らの腕を使ってカルマン渦を発生させ工作機械の脇の下をくぐらせる、というものだった。カルマン渦は、固有の振動数を持っている。それが対象物の持つ固有振動数と一致する場合、渦は物体と共鳴を起こし、すさまじい応力を物体にかける。それは、かつて川にかけたコンクリート製の大橋すら崩壊させたほどの、渦を基点とした破壊現象だった。高速で走る複雑な形状の物体、つまりこの工作機械にはうってつけの技だ。佐天は、ぐっと拳を握った。渦を使うということは、何も自分で無から渦を巻かなければいけないということではないのだ。自然の力が使えるなら、それを利用すればこの工作機械の太い腕ですらへし折れる。「で、どうする気?」挑発するように、佐天はテレスティーナに声をかける。「テメェ……殺す手段が他にないと思うなよ?」「そっちこそ、あたしがコレやりたくてこっちに来たと思ってんの?」「あぁ?」「春上さんたちのところに、あなたを行かせない!」「雑魚がいっちょまえに吼えてんじゃねぇよ!」「学園都市の学生を見下すことしか出来ないあなたには、成長って言葉の意味は判らないんだね!」佐天はもう一度、腕を伸ばして鈴なりのカルマン渦を使り、それを能力でもぎとった。10を越える渦が佐天の傍で揺らめく。屈折率が揺らぐほどの、高圧渦流だった。腰というのは、機体の重心なのだ。それは二足歩行するシステムの基本だ。人間でもロボットでも代わらない。そして、重心には重たいものが来る。人間で言えば太い胴に詰めた内臓、特に膀胱であり、このロボットにおいては、エンジンだった。「学園都市でも、コレだけ大型の機械を動かすための動力に電気は使わない。さっきからディーゼルが排ガス出してるもんね。じゃあ問題です。エンジンにきちんと空気が供給されなくなったら、どうなると思う?」返事を佐天は待たない。エンジンの吸気口付近で、佐天は渦に大量の空気を食わせた。弁によって負圧となり、エンジンに流れ込むはずの空気が、渦に取り込まれてきちんと供給されなくなる。酸素が無ければ燃料なんてただのガスだ。すぐに、工作機械がスピードを落としたのがわかった。「テメェ、止める気か! やらせるかよ!」腕と出力がなくなっても、テレスティーナが切れるカードがなくなるわけじゃない。テレスティーナはガンとブレーキを蹴りつけた。それも、機体の片足のだけ。左右の足でスピードが変わったせいで、機体がギャリギャリと音を立てながら円舞を踊った。「うあっ! う……く……!」遠心力が、佐天を振り回す。髪やスカートが引きずられ、手すりを掴んだ指に佐天の体重がのしかかる。佐天の腕は、その加速度に耐えられなかった。「あっ……!」あっけなく、佐天は機体から引き剥がされた。地面まで、5メートルくらい。そして自分は時速50キロくらいで吹っ飛ばされている。何もしなければ、死ぬのは確実だった。だけど佐天は、その心配をしない。それより先にすることがあるから。「あばよ。さて追うか」「……いってらっしゃい」クスッと冷淡に笑い、小声でそっとそう呟く。今みたいに渦で吸気を絞りあげることなんて、永続的には出来ない。むしろ本題は、今からなのだ。佐天は、ありったけの渦を、さっきは妨害をした吸気口に、全弾ブチ込んだ。エンジンの排気量なんて、たかだか50リットル。それは佐天の作る渦の体積と、ほとんど変わらない。そんな狭い空間に、100気圧の渦を解放して気流を流し込めば、一体どうなるだろう。答えは、ガウゥンッ!と、エンジンが吼える音だった。「なんだっ!?」テレスティーナは、加速するためにレバーをいつもどおり倒しただけだった。エンジンはその入力に対応しただけの動きをするはずだった。だが、あまりに過給気になったエンジンは、その出力を暴走させた。すさまじい加速に、コックピットでテレスティーナが顔を引きつらせる。それは恐怖もあったし、加速度に皮膚が歪んだためでも会った。こうなってしまえばもうテレスティーナの制御など、受け付けない。ブレーキすらも意味など無い。「お、おい。止まれ! クソッ、壁が――。くあぁぁぁぁぁぁッッ!!」両腕を失った、木原幻生の工作機械。スポーツカーを凌駕する加速度でそれは高速道路のフェンスに突き進み――ガッシャァァァァァァァァァァ!!すさまじい破壊音と共に、高架下へとダイブした。「最後っ!」佐天はそれをほとんど見届ける暇なく、自分のためのクッションを用意する。スポーツカーを支えたノウハウがあるから、衝撃吸収にそんなに不安は無かった。一番面積のある背中を下に向けるのにやや抵抗を感じつつ、佐天は渦を自分と地面の間で破裂させた。バン、バン、バン。お尻と手で風船を割るような要領で、断続的に渦を破裂させ、何度もバウンドしながら位置エネルギーと運動エネルギーを殺してゆく。100メートルくらいかけて、佐天はようやくアスファルトの上に、どすんと落ちた。「いったぁ……てか地面熱っ。でも、へへ」微笑が、止まらない。自分はやれたんだという思いが、佐天の中ではじけていた。気づくと、青色のスポーツカーが、キュっと自分の傍で止まった。「佐天さん! 佐天さん! なんて無茶するんですか!」「あ、初春。急いでるんだから。私もすぐ追いかけたのに」「そんなこと言ってる場合ですか! ほら、こんなにすりむいて」「擦り傷はすぐ治るよ」「他に怪我はないですか?」「うん。まあ、ちょっと腕が痛いけど、骨折とかはなし!」「良かったぁ……」涙目の初春を、佐天は撫でてやる。目線を挙げると、美琴と目が合った。「すごいね、佐天さん」「あたし、頑張りました、よね?」「これだけやれるレベル2なんて、詐欺もいいところですわ。レベル3かも疑わしいと言いますか」ふう、と白井が佐天を見落とし、そっと手を差し伸べてくれた。それを掴んで佐天は立ち上がる。並んだ白井の瞳が、なんだかライバルを見る目みたいで、嬉しかった。「もし白井さんの言うとおりなら、あたし、白井さんに並びますね」「さあ、そう簡単には追いつかれませんわよ。さ、急ぎましょう」「はい!」まだ、なすべきことがある。春上たちを助け出すまでは止まれないのだ。随分と疲弊して、今後に問題があるのは間違いなかったが、充足感で満ちた佐天は、それをものともしないくらい、気分が乗っていた。