二人っきりのトラックのコンテナ内。当麻の傍に寄り添うインデックスが、そっと声をかけた。「とうま」「ん?」シャツの袖をくいっと引っ張られ、当麻はインデックスのほうを向いた。インデックスの瞳に現れていたものは、戸惑い。「エリス、ちゃんと運転してる人に暗示をかけてるみたい、だね」「だな。ちゃんと封鎖されてた道のほうに進んでて、進路はあってるらしいしな」「そうだね」当麻とインデックスは、エリスと三人で、先行する美琴たちを追いかけている。車の運転なんてできない三人は、MARの隊員に魔術で暗示をかけて運転させているわけだが、当初その役を受け持っていたステイルは今、後方で光子と別働隊の足止めに借り出されている。だから、その代わりをエリスが引き受けているのだった。今、きちんとトラックが正しい道を走っているということは、エリスが魔術を使えるという証明だ。それがインデックスにはショックで、不安の種なのだった。「……エリスは、どうして学園都市に来たのかな」「さあな。気になるか?」「うん。私は必要悪の教会<ネセサリウス>の人間だから。エリスの所属してるところとは、相容れないかも」それが、インデックスの不安だった。必要悪の教会はイギリス清教に仇なすあらゆる怨敵を滅ぼす機関だ。エリスがイギリス清教に与さない魔術師だったなら、つまり自分とエリスは敵同士だということになる。……魔術を持たない人となら、こんな心配は要らないのに。インデックスは内心でそう苦悩した。魔術世界の歴史は嫌になるほど遠大だ。それは人類の歴史とイコールで結ばれる。その長い時間の中で、あらゆる魔術結社が互いにしがらみを作り、憎しみあっている。インデックス個人には、簡単に解きほぐせるようなものではない。「なあインデックス」「何? とうま」「さっきエリスには聞いたけど。エリスがもし必要悪の教会<ネセサリウス>の敵だったら、お前はどうするんだ?」「どう、って」「殺し合いをするのか?」「そんなの、やだよ。せっかく……友達になれたと思ったのに」「なら、それでいいじゃねーか。エリスはお前を裏切らない、エリスはそう言ったぞ」「うん……」内心に抱える悩みは、エリスへの疑念ではなかった。そんなことじゃなくて、もっと二人を縛るしがらみが、敵対することを強制するような、そんな不安。自分は、確かに好き勝手に誰とでも仲良くして、おいそれと何処へでも行っていい存在じゃない。魔術世界の最低最悪の兵装、禁書目録<インデックス>なのだから。ぽふん、と当麻に頭を撫でられた。「むー、また叩いた」「難しいこと考えすぎだろ。エリスはいいヤツだ。彼氏はぶっちゃけ口の悪い野郎だけど。一緒にいて問題になることがあるんなら、その時は皆で頑張ってなんとかすりゃいい。それだけだろ?」「うん、そうだね」冷房の効いた室内で、インデックスはベンチに座ったまま当麻の二の腕に頭を預ける。インデックスの大好きな当麻は、基本的にこういう人だ。物事をなんでも楽観的に考えていて、問題が生じたら自分でそれに立ち向かう人。きっと、今当麻が言ったことを、何かあれば当麻は実行するだろう。今、知り合いの春上に起きたことを、解決するためにここにいるように。「とうま」「ん?」「とうまって、ほんとに変な人だよね」「……なんだよそれ」急にそんなことを言われて顔をしかめた当麻にインデックスは微笑む。自分とエリスは、春上たちの求め向かう最前方の魔術師だ。ステイルはかなり遅れている。きっと、自分達にも役目があるだろうという思いがインデックスにはあった。「手遅れにならないうちに着いて、なんとかしなきゃ」「ああ」「そういえばとうま。さっき、みつこが苦しんでた音なんだけど」インデックスには、ずっと引っかかっていることがあった。その言葉を受けて、当麻が病院での出来事を思い出した。光子を助けられなかったことに、ズキリと心が痛んだ。それをインデックスに気取られないよう、表情を変えずに答えた。「ああ。キャパシティダウン、だっけか」「あれってどういう仕組みか、とうまはわかる?」「いや。さっぱり。っていうかあんな便利であぶねえモン、もっと有名でいいと思うんだけどな。それに他人の能力に干渉するのって、結構難しいことのはずなんだけど」当麻は首をかしげた。キャパシティダウンの仕組みがわからないのは勿論だが、それよりもインデックスの言いたい事がわからなかった。インデックスが学園都市のテクノロジーに興味を見せるのは珍しい。鋭い目つきであの音を反芻し、インデックスは端的に自分の考えを口にした。「たぶん、あれには魔術が使われてるんだよ」「は? 魔術?」「それもすごく原始的なものだね」「いや、だってあれ学園都市製だろ? まさか学園都市に魔術師がいて、そいつが作ったって言うのか?」「ううん。もしそうなら、もっと酷いものを作るんだよ。超能力者に魔術を使わせれば、死なせることは簡単なんだから。まあ、そんなことをすればきっと超能力者と魔術師が正面衝突することになって、酷い争いになるからやらないだろうけど」虚空を見つめるインデックスが魔術師然とした冷たい瞳をしていた。やっぱり時々見せるその表情が当麻は苦手だった。「お前の言ってることが、全然判らないんだが」「魔術っていうのは、結構簡単に起こっちゃうんだよ。必要な手続きを踏みさえすれば、誰でも使えるんだから。極端に言えば主や聖母マリアに祈りを捧げているだけでも、発動するものなんだし。なんのきっかけかは分からないけど、きっと試行錯誤の中であの音楽が出来ちゃったんだろうね。たぶん、あの音を聞いたら、すごく原始的な魔術が発動するんだと思う。私達魔術師にとっては無意識に防御できちゃうくらいちっぽけなのだけど」インデックスが、心配げに前方を眺めた。もちろん壁で何も見えないのだが。ついさっきここにいた美琴や、白井、初春、そして佐天。皆、超能力者のはずだ。無事でいてくれることを、インデックスは祈った。エリスは、トラックのコンテナ内で交わされた当麻とインデックスの会話を、助手席で聞いていた。後部の音はマイクで拾われ、運転席に聞こえているのだった。こちらの声も、伝えようと思えば伝えられる。だがエリスはそうしなかった。罪悪感が、それを邪魔した。今、運転手を暗示にかけているのは、魔術ではない。エリスの使える超能力だった。もちろん、そんなこと言える訳がない。さっき、ゴーレムのシェリーを見せてしまった。超能力と魔術を同時に使えることを、知り合いに明かすのは怖かった。ザッ、と無線の入る音がする。「こちらイエローマーブル隊。マーブルリーダーおよびマーブルパープル隊、応答願う!」何度も繰り返された呼びかけだ。リーダーというのは、何度か話に出たテレスティーナという人だろうか。そして一向に呼びかけに応じないというのは、どういう事なのだろうか。そう思いながら、エリスは前方に目を凝らした。ふと、無人のはずの高速道路上に大きな何かが見えたから。「何だろ、あれ……? ちょ、ちょっと止めて!」それがなんなのか、シルエットがはっきりしたところで、エリスは慌ててトラックを静止させた。「上条君! インデックス」「どうした? エリス」「ハッチ空けるから、外に出てみて! なんか大きいのが」「わかった」エリスも助手席の扉を開き、慎重に足場を固めながらトラックから出た。すぐさま、二人と合流する。「大きいのって?」「あれ」エリスは当麻に問われ、さっと指を差した。そこには、高さ1メートル強の鉄塊が転がっていた。エリスと当麻の二人には、どことなく見覚えのある形状。「これ、建設現場でよくある機械の……」「腕、だな。でもなんでこんなトコに?」「とうま、エリス! こっち!」気づくとインデックスが少し先へと走っていた。そちらを見ると、高速道路の側壁が、ごっそりと破壊されて外の世界をのぞかせていた。「コレやっぱり、交戦の後か」「下に何かあるんだよ!」当麻とエリスはインデックスに追いつき、恐る恐る、下を覗き込んだ。そこにあったのは、先ほど二人が想像した、建設現場の工作用機械の本体だった。ただもちろん、高速道路から落ちた分の衝撃で、下半身が酷く壊れていた。「中に乗ってたのが、あいつらって事はさすがに無いよな……?」「そりゃ、こんなのに乗ったってメリットないしね」エリスとそう頷きあう。ならば、乗っていたのは恐らく、MARの人間なのだろう。そう思いながら、ふと当麻は気づいた。工作機械は、股関節が破壊され上半身が前につんのめった形になっている。その背中、人が入るにしては大きいハッチが、あまり壊れていない状態で解放されていた。人が死んでいないのは歓迎すべきことかもしれないが、それでも、無人なのは気になる。搭乗者は誰で、一体何処に行ったのか――「とりあえず、見に出たはいいけど、何にもなさそうだね」「うん。とうま、早く戻って追いかけよう!」「お、おう」二人に促され、当麻はふたたびトラックに戻った。――――それが、佐天たちが目的地である木原の私設研究施設を制圧したのとおよそ同時刻だった。カツカツと、佐天たち五人は階段を下りる。研究所にたどり着いてすぐ、佐天達は研究員達の無力化を済ませた。武装をほとんど道中に配置したせいか、この施設にはパワードスーツの一体もいなかったので制圧は容易だった。その後すぐに初春が電源の管制室をハックして調べた結果、施設の最下層の消費電力が不自然に多かったため、五人はそこへと向かっているのだった。「この下に、春上さん達が……」「きっとね」「無事で、いてくれ……!」先頭を走るのは木山だった。五人の中で飛びぬけて最年長というのもあるが、普段全く体を動かさないのだろう、一番息が切れて辛そうだった。だがそんな体の都合なんてお構い無しに、木山は誰より先を急ぐ。その努力を惜しんだせいで自分の教え子達がまた悪夢の泥の中に沈んでいくなんて、想像するのも恐ろしい。カツカツとパンプスのかかとを響かせ、木山は無骨な造りの階段を駆け下りた。「これで終わりか」「着きましたの?」五人とも息を整えながら、最下層の入り口をくぐって、辺りを見回した。天井が随分と高い。壁際には鉄骨がむき出しになっていて無骨な作りをしている。おそらく、そこはさっき佐天が退けたあの工作機械があったのであろう。床は全て金属板の打ちっぱなしで、おそらくその広さは普通の学校の体育館より大きい。明かりらしい明かりが無く、全て計器類の放つ光だったから、視界がかなり限定されていた。「あの子たちは……!」「木山先生、あっち」佐天が、入り口から横手のほう、10メートルくらい離れたところに何かを見つけた。皆でそちらを振り向く。どうも、横たえられた筒のようなものが見えた。そちらに早足で近づくと、それが人を中に横たえた、シェルターなのが判った。そして、中に誰がいるのかも。「春上さん! 春上さん!」初春が駆け寄り、アクリルでできた透明のカバーをドンドンと叩く。中で、春上はベージュの病院着を着て静かに眠っていた。初春の呼びかけか、あるいは衝撃音か、それに反応して春上がうっすらと目を開ける。ういはるさん、と唇が動いたのが、初春の目に見えた。良かった。春上さん、おかしくなってない。わっと喜びが心の中を駆け巡る。そして音が聞こえないのに気付いて、慌ててカバーを外そうとあれこれ見回す。その初春を優しく見つめ、木山は春上の寝かされたシェルターより先の、手すりで遮られた先にある闇に目を凝らした。「これがライトのスイッチかな、っと。……お」遠くで、ぱちりと佐天がスイッチを押した。初春たちがいる入り口近くに小さな明かりがいくつか灯り、そしてそれと逆に、木山の見つめていた先が、大きくライトアップされた。急な光量の変化に目を薄くしつつ、木山と、そして近づいてきた四人がその先を見つめた。「あ、みん、な。よかった……!」心の底から教え子を案じた、木山の漏らした声がフロアに響く。学生の四人もそれを聞いて、嬉しくなった。そうやって学生のことを心から好きでいてくれる先生がいるというのは、やっぱり嬉しいことだから。「木山先生、すぐシステムをハックします。はやくあの子たちを助けてあげましょう!」「あ、ああ。そうだな。この施設になら、体晶のファーストサンプルもあるかもしれない」「じゃあ私達はそれを探します!」しばらくすれば、当麻たちも追ってきてさらに人手は増えるだろう。黄泉川にしかるべき相談をすれば、体晶の捜索を警備員に手伝ってもらえるかもしれない。開けた未来に心を軽くして皆がなすべきことをなそうと、決意した。――――その瞬間だった。美琴が「それ」に誰より先に気付いて、声を上げた。「佐天さん! 後ろ!」「えっ?」「……この、クソ餓鬼どもが!」破損の酷い紫のパワードスーツ。そして高速道路の上でスピーカー越しに何度も耳にした、その声。工作機械と共に退けたはずの、テレスティーナがそこにいた。佐天たちに見えないところで、カチンとある装置のスイッチを入れる。「――っ! あ、ぐ?!」「さっきの礼だ!」「がっ!!」パワードスーツの回し蹴りが、佐天の胴をなぎ払った。1メートルくらい飛んで、さらに地面をごろごろと転がる。その痛みに、佐天は意識が飛びそうになった。息が苦しい。横隔膜が、きちんと働いていないらしかった。そして何より、頭が痛い。ズキンズキンと痛みを訴え、あらゆる演算が滅茶苦茶になる。背後で、キィィィィィィィィィと、耳障りな音がしていた。「これ、さっきの――くっ」壁に手を着いて、美琴がテレスティーナを睨みつける。美琴にはこの音に、聞き覚えがあった。「あぁ、お前は知ってるだろ? キャパシティダウンさ。まさかここにはないと思ってたのかぁ? お花畑はほどほどにしろよ?」「貴様ぁ!!!」「あん?」キャパシティダウンに、学生達四人は苦しんでいた。白井が最も酷く、立てなくなって地面に膝を着いている。初春もシェルターに手を着いて耐えていて、中の春上が心配そうに呼びかけているらしかった。佐天は特別テレスティーナに気に入られたのか、さらに弄ばれようとしているところだった。そして残った木山が、生身でテレスティーナに挑みかかる。「馬鹿かよ」「ぐ、あ、ガハッ!」パワードスーツを着ている時点で、生身の木山との間には大きな開きがある。ましてテレスティーナはある程度格闘のたしなみもある身だ。お勉強ばかりの研究者に、負ける要素など無い。なんの衒いも無い前蹴りを木山は喰らって、佐天とは別の場所に蹴り飛ばされた。「さて、お前、たしか佐天って名前だったよなぁ」「――う」「ちゃんと返事くらいはしろよオラ!」「あ、ぎ、ぎ」テレスティーナが横たわる佐天の頭の上に、パワードスーツの足を乗せた。鉄板の地面との間で佐天の頭蓋がギシギシと歪んだ音を立てる。その音に、心がすくむ。このまま頭を壊されてしまうんじゃないかと、不安が募る。何より楽しそうなテレスティーナの声が、佐天の勇気を奪っていく。「はい、お名前を教えて頂戴? じゃないと、次は内臓潰しちまうぞォ?」ガンと肩を蹴りつけて、佐天を仰向けにする。そして腹の上に足を乗せ、踏み潰し始めた。「さて、ん、さん……!」美琴は殺すくらいの視線で、テレスティーナを睨みつける。それに気付いたテレスティーナが、涼しげにその視線を受け止めた。「まあ落ち着けよ。次はテメーを潰してやるからよ。コイツは大金星を挙げたんだ。私がお爺様に頂いたあの機械をブチ壊すってマネをよぉ」「うあぁぁぁ!」グリ、とテレスティーナが足を捻る。不自然に腹に食い込んだその足に、佐天は悶絶した。「やめなさい……!」「なら止めてみろよ。ったく、レベル5のテメェを警戒してたのが仇になったぜ。伏兵にやられるなんてよ。このガキは褒めるに値するから、ちゃんとご褒美をやらねーとなぁ。……にしても、テメェのショボさにはむしろ文句を言いたいくらいだ。余計な警戒しちまったからな。『場の統合者<インテグレータ>』の開発コードが泣いてんぞ?」「インテグ、レータ?」「……あ?」聞きなれないその響きを、美琴が反芻する。知らなさそうな素振りにテレスティーナも首をかしげた。「お前、絶対能力進化<レベル6シフト>の計画知ってるんだろ? 自分の開発コード名も知らねえのかよ。まあ、序列の第三位ってのに比べて、絶対能力進化のプランの中ではお前は絶望的な落ちこぼれ扱いだがな」「何を言ってるの?」「隣に11次元を観測する能力者が侍(はべ)ってるのだってそれが理由だろ? あらゆる場を統合するにはそれだけの次元に渡って能力を展開する必要がある」「え? 黒子は、そんな――」「まあその辺りはどうでもいい。テメェは汎用性っつう素晴らしい特徴があって、学園都市に愛されてるんだ。喜べよ。お前のコピーが一番使いやすいってのは、いろんな意味で真実だからなぁ!」「――っ!」そう言って、テレスティーナは美琴が心に負った傷を抉る。なぜ、体細胞クローンの作成の対象となったのが自分だったのか。それはテレスティーナの言うとおり、発電系能力者<エレクトロマスター>という能力の普遍性にあるだろう。能力の素性がわかりやすいし、応用も幅広い。それが仇となったのだろうということは、わかっていた。そしてふと、テレスティーナの言ったことが耳に引っかかった。――いろんな意味で、とはどういう意味だ?美琴の顔を見てテレスティーナは満足したのだろう。佐天を踏みつけるのを止めて、壁際へと悠然と歩いた。「コレ、なんだかわかるか?」左手に、大振りで細長い砲身を持った何かを装着して、テレスティーナがニヤニヤと美琴のほうを見た。銃の先を誰かに突きつけるでもなく、見せ付けるように全体を美琴の視界に入れる。その砲身に刻印されたアルファベットに、美琴は気付いた。『FIVE_Over PROTOTYPE_"RAILGUN"』「それ――」「プロジェクト・ファイブオーバー。そういうのがもう始動してるのさ。テメェに拮抗するには必要かと無理矢理横流ししてもらったんだが、別に必要なかったな。ま、テメェのお友達は全部コレで殺してやるから、喜べよ。お前の能力はホント、大量殺戮に向いた良い能力だよなぁ」「!? そんなの、させない――!」「んなこたァ自分で動けるようになってから言えよ」その武器は、おそらく、自分の能力を元にして開発された最新の兵器なのだろう。美琴は、その刻印で悟った。また、だった。良かれと思い必死になって磨いてきた自分の能力。誇りにさえ思っていたのに。知らないところで、誰かがそれを利用している。それも美琴の望まない最悪の応用方法で。それが、たまらなく悔しくて、怖い。自分の能力で、友達が死ぬなんて。睨む美琴など眼中になく、哄笑を撒き散らしながら、テレスティーナは春上のほうへと近づいた。進路上の白井と木山を蹴り飛ばし、シェルターの前に進む。「やらせ、ません……!」「ったく、メンドクセーんだよ」「あ、ぐっ!」開いた右手で初春を掴み、横に投げ飛ばした。「お前、春上と仲良かったよなぁ。先に死なせるのは興ざめだな。ちゃんと、春上がこの学園都市の夢になるところを、見届けてから死にな」カタカタと片手でテレスティーナがコンソールを操作する。シェルターの中に何かが噴霧され、くたりと春上が意識を失って倒れた。「春上、さん……」誰も、動けない。誰しもが動け動けと、体に言い聞かせているのに。その悔しげな顔を、テレスティーナは愉快そうに見下ろしている。「やめ、なさいよ……学生は、アンタ達のモルモットじゃない!」「いや? モルモットだろ? 一番弄ばれてるお前が一番わかってるんじゃねーかよ」「私は……そんなの認めない!」「別に認めてくれとは言ってねえよ。モルモットを実験に投入するのに本人の意思確認なんてするわけ無いだろ? さて、準備は出来ちまったぞ? ほら、コレで暴走能力どもから神経伝達物質の抽出が始まった。春上に届くまで、もうちょっとだ。喜べよ。お前らは、レベル6が生まれる瞬間に立ち会えるんだ」タン、と始動キーを押して、プレゼントの包装をあける子供みたいにワクワクとした目でテレスティーナは前を見つめる。心の中で、髪を撫でてくれる優しい祖父を思い出す。またきっと、これで会える。また褒めてもらえる。また愛してもらえる。「お爺様。不肖のテレスティーナですけれど、これでお爺様と私の夢を叶えて見せますから……!」喜びに、体中が震えそうなくらいだった。このときのために自分は生まれて来たのだと、テレスティーナは思った。「あの子たちにそんな衝撃を与えたら、覚醒してしまう……!」「えっ?」木山がガクガクと足を震わせ、必死に立ち上がろうとする。だがまるで下半身が反応していなかった。無理もない。パワードスーツに痛めつけられたのだから。佐天も、同じ境遇だった。頭を踏みつけられたせいで、首が不自然な痛みを訴えている。動かすとビキリと痛みが走る。内臓を踏みつけられたせいか、体全体が酷く重い。血を吐かずに済んだのは僥倖なのだろう。木山の発した言葉に、テレスティーナが反応した。「ああ、そういやコイツら、そういう面倒があるんだっけな」「早く、止めないと……」「別に良いだろ。レベル6が誕生すれば、学園都市なんざどうなったって」「え?」呟いた佐天を、テレスティーナが見た。ヒトを見つめる、視線ではなかった。「この街は実験動物の飼育場だろ? テメェもそういや木山のモルモットだったらしいじゃねえか」「それは……」木山が、反論を失ったように歯噛みし、テレスティーナから視線を逸らす。否定できない事実だった。確かにそんな風に、木山は学生を私欲のために使ったことがあった。……その表情を見て、佐天は思う。あれが、学生達を実験動物扱いした人のつくる表情だろうか。「違う」「お?」「木山先生は、アンタなんかと違う。人をモルモット扱いして笑ってるアンタなんかとは――!」「まあ、そうだな。私のほうが、そこの常識人気取りよりもずっと高みにいるんだからよ。さて、しばらく暇なんだ。もう一回相手してやるよ。その生意気な目をさっきみたいに怯えさせるのは、楽しそうだ」「くっ……!」ガシャガシャとパワードスーツを揺らし、テレスティーナが跪く佐天の前に立つ。ゴルフグラブでも振るように、左手に装着した砲身で佐天を殴り飛ばした。「あがっ、う……。い、あ、あぁぁぁぁぁ!!!!」転がった佐天の右の腱に砲身を突きたてグリグリと踏みにじる。激痛が体を走り抜けて、嫌なのに、抗いたいのに、顔から鼻水と涙がこぼれて視界が乱れた。「そうそう! その顔! 良いねぇ、もっとやれば命乞いでもし始めるか?」折れるもんか、と佐天は強がる。そうしないと、折れてしまえば、どこまでも自分が卑屈になる気がした。痛いものは痛い。怖いものは怖い。そう開き直るのは、甘美な誘惑だった。次の一撃が来るのに耐えていると、ふと、テレスティーナが視線を上げた。春上のいるシェルターへと、暴走能力者から取り出した脳内伝達物質が届いてた。「きた! 早いじゃないか。よし、お前も春上の晴れ姿、見たいだろ?」「うぁ! あああ!」ブチブチと髪が嫌な音を立てる。パワードスーツの腕が無理矢理佐天の髪を引っ張り、佐天を引きずっているのだった。「さてん、さ……」「お前も特等席だ」「あっ!」どさりと、佐天は初春と一緒にシェルターの前に転がされた。中で、春上は静かに気を失っている。「ほら、見てみろ。あの無痛針の中にある液体に、体晶が溶け出してるんだ」宝物を自慢する子供のように、あるいは自分の仕事を自慢する親のように、テレスティーナはシェルターの中の様子を佐天と初春に解説する。胴を押さえつけられ身動きの出来ない二人は、それを眺めることしか出来ない。「……春上さん! 目を開けて! 逃げて!!!!」もう、そんな悲鳴を上げることくらいしか初春には出来なかった。だけど現実は、そんな願いなんてお構い無しに淡々と時間を進めていく。すっと、春上の首元に、無痛針が押し当てられた。「あ……そんな」「さぁて! やっと、このときが来た! ほら春上、さっさと目覚めな!」喜色満面で、テレスティーナが声をかける。防音性の高いシェルター越しにその声が届いたはずも無いが、ぱちりと、春上が目を開いた。ぼんやりと、天上を見つめる。「どうだ? 新しいお前のための世界は、一体どんな風に見える? なあ春上」テレスティーナが、防音シェルターの向こうで聞こえもしない春上に、そんな優しい声をかけた。母親なのだ、テレスティーナは。そんなつもりで、彼女は春上に声をかけていた。そっと半身を起こして、春上はテレスティーナを見つめ、そして初春と佐天に目をやった。「春上さん!」「私です、初春です! わかりますか!」その呼びかけに、春上はまるで反応を示さない。やがて、なにか自分の体に違和感を感じたようにうつむいて、そして。どろりと、鼻や口から、血をこぼした。「春上さん!!」「大丈夫!?」「なんだと!? そんな、血を吐くなんておかしい、こんなはずじゃない!」「こんなはずって、春上さんを止めて!」「指図してんじゃねえよクソガキが!」春上が、シェルターの中で咳を続ける。そのたびに押さえた手の隙間から血がこぼれた。空いた手で握り締めたシーツが、あっという間に赤く染まる。「クソッ! 何でだ! ちゃんと全部、プランは上手く行ってた!」コンソールを叩き、実験を中止しようとするテレスティーナ。そこに、けたたましいアラームがなった。「なんだ? ……地震か! クソ、この面倒なときに……! まあいい。あの連中の体晶は用済みだ。死ねば地震は止まるんだし、もうお払い箱でいいか」「やめろ!!」木山の悲痛な叫びが響く。気付けば回りで、低く唸るような音が始まっていた。一体、どれほどの人間を巻き込んで、ポルターガイストが起こるのだろうか。あの子たちを、絶対に死なせたくない。それが木山の願いだ。だけど、それが酷く空虚に聞こえる。「こんなの、ひどいですよ……」「初春」「何処から止めたらいいのか」「泣いちゃ駄目だよ。出来ることを、探さないと」「でも、この音が」それが、一番問題だった。これがある限り、木山以外はまともに歩くことさえ出来ない。そして行動を何も起こせなければ枝先達がテレスティーナに殺される。テレスティーナを退けたって、春上を助けて、地震を止めなければいけない。無理難題のフルコースだった。誰かが傷ついて、不幸せになるような終わり。そんなのは、絶対に嫌だ。佐天は、シェルターの縁に手をかけて、必死に立ち上がる。テレスティーナを、そして何処ともいえない虚空に浮かぶ運命の影を、佐天は睨みつける。それでも、打開のしようがないこの状況に振り絞った勇気が刻一刻と削られていく。チャンスが欲しかった。今一瞬だけでいいから、皆が幸せになれるためのチャンスが。「――佐天!!!!」「えっ?」その時。どこかで聞いた男の人の声が、スピーカー越しにフロアに響いた。たしかそれは、ツンツン頭の高校生の。――上条当麻の声がした。