「上条さん! 音を、止めてください!」スピーカーから響く当麻の声に、佐天は自分が出せる精一杯の声で返事をした。キャパシティダウンさえ、これさえ消えれば、戦況はきっとひっくり返せるのだ。「チッ。時間をかけすぎたか」僅かに内省を込めた声で呟いたテレスティーナが、佐天を殴り飛ばす。「うぁっ」「面倒なことになる前に、とりあえずテメェら三人、始末しといてやるよ」佐天が殴られた頬に手を当てながら振り向くと、さっきから地面に這いつくばったままの白井や美琴が、ちょうど佐天とテレスティーナを結ぶ直線の延長上にいた。テレスティーナは右手に構えたレールガンの銃口を三人に向け、見下ろしながらニタリと笑った。「恨むんならこんなテクノロジーを生み出したそこのレベル5を恨むんだな」大型の馬上突撃槍みたいな、円錐型の尖ったフォルムを持ったその大砲が、その真の形を展開した。砲身の周りを覆っていた滑らかな円錐が均等に裂けて、パラボラアンテナ様に広がった。美琴は、そのレールガンが周囲の時空に干渉し、『レール』を作り上げていくのをその目で見た。その機構はまさに、美琴のそれと同じだった。なんら機械的機構を必要とせず、プロジェクタイルに通電してローレンツ力を印加し銃弾となす、言わば砲身自体も電磁場で構成してしまうのが美琴の超電磁砲だ。テレスティーナの持つそれは明らかに金属製の砲身を持ってはいるが、加速を行う砲身、無色透明の電磁場は、美琴と同様に機械部分よりも先、佐天の体を突き抜け、美琴のすぐ傍まで真っ直ぐに伸びていた。三人まとめて殺す気なのが、良くわかった。問題は、美琴の体が動かないことだけだった。動くのなら、止めようだってあるのに。「させない……! 絶対に!!」「佐天さん! 動けるなら射線から離れて!」佐天が笑う膝を叱咤しながら、中腰くらいまで立ち上がった。爛々とその目がテレスティーナを睨みつける。心は、折れていなかった。だって、当麻が、きっと音を止めてくれるはずだから。それは信頼というには独りよがりだったかもしれない。別に、佐天は当麻にそれほど親しみがあるわけじゃない。どれほど信頼できる人かは知らない。だけど、ここに来て、苦しむ春上たちを助けようとしてくれた人だから。きっと、状況を打開してくれるものだと、信じている。その希望的観測を、テレスティーナが鼻で笑った。「いい顔しちゃってよぉ、自殺願望でもあんのか? まあいい。それじゃあ逝ってらっしゃい、ってなァ!」テレスティーナがトリガーに手をかけたのが判る。もう、このままでは三人の命は、数秒で終わってしまうのだろう。だが、佐天は希望を捨てない。それは、最後まで機会を逃さぬ意志の表れ。「さてん、さん――逃げて」「やめろ! ……お願いだ。止めてくれ」遠くで、木山と初春がうめくようにそう叫ぶ。地面の奥深くから聞こえてくるような地鳴りが、酷くなる一方だ。佐天からは見えないけれど、きっと春上もまた、シェルターの中で苦しんでいるのだろう。こんな、酷い「終わり」なんて許さない。あっていいわけない。学園都市は、沢山の子供達の夢と希望を詰め込んだ、世界一幸せな場所じゃなきゃいけないのに。こんな悪夢を、あたしは絶対に認めない!テレスティーナが笑みをひときわ強くした。邪魔な佐天たちを排除できると、確信の笑みを浮かべたその瞬間だった。先ほど、上条が佐天の名を響かせたそのスピーカー越しに、三声聖歌<シンフォニア>がフロアに響き渡った。「えっ?」「……あん?」互いに主題を変奏し掛け合わせながら、女声が二声、主奏と助奏を入れ替えつつメロディを奏でていた。まるで教会の中でしか聞けないような、聖歌のように。佐天が、そしてそこにいた全ての能力者が、そのメロディに聞き覚えを感じていた。そして、漠然と理解する。通奏低音のように間延びしたトーンでメロディを奏でている三声目、その音こそが、この場でずっと自分達を苦しめてきた音であることに。それは奇妙なハーモニーだった。頭にギチギチと食い込んで、ずっと自分を苦しめていたはずのその音が、まるでその役目を忘れたみたいに、綺麗に残る二声と唱和している。それが実際に、インデックスとエリスによって為された、魔術のキャンセルであることには誰も気付かなかった。そして戸惑う佐天の後ろで先に美琴が、「それ」に気付いた。「佐天さん!」「えっ? あ!」「な、動けるのかよ!? うぜーんだよテメェら!!!!」美琴はなすべきことを、もう理解していた。佐天と白井を庇うために、テレスティーナの射線から身をかわす。白井がたぶん演算をまだ回復できないこと、佐天はもしかすれば動けるかもしれないこと、それくらいは脳裏にあった。ちらと視線をやると、佐天も射線から身をずらし、的を分散させていた。美琴は息をつく。これで全滅はもうない。誰かにテレスティーナが銃弾を浴びせても、残り二人が絶対にテレスティーナを食い止めてくれる。これで、きっとこの破滅的状況は、なんとか打開されるだろう。美琴はポケットからコインを取り出した。たぶん、これでテレスティーナが狙うのが、自分に決まるだろうから。「レールガン対決か、面白いじゃねェか!」案の定、テレスティーナは一番の脅威が御坂美琴だと見て取って、レールガンの照準を合わせた。その裏で、ようやく体の自由を取り戻した佐天が、為すべきことを探して視線をめぐらせる。美琴と目が合った。その視線に、佐天はいぶかしんだ。――ごめん、後は頼んだから。そんな風に、美琴の目が言っているみたいだったから。「えっ?」おかしい、と佐天は思った。美琴の手のひらの上のコイン。レールガンを打つときは、確かもっと、その腕の周りに火花が散っていたはずなのに。今はただ、力なくコインが乗っかっているだけのように見えた。それもそのはずだ。いかな御坂美琴とて、あれほど手ひどくうけたキャパシティダウンの影響から、たった5秒で超電磁砲の複雑な制御を可能とするところまでは、回復できない。そのコインは、友達を巻き込みたくなくて美琴がとった、ブラフだった。打てて、チャージの足りない生半可な一撃だけだろう。美琴は、何も自己犠牲のつもりでそうしたのではない。誰かが傷つくのを、横で黙って見ているような真似が出来ない、損な性分なだけ。改めて、美琴はテレスティーナを睨みつけた。刺し違えてでも、絶対に止める。意識の矛先をテレスティーナに収束させ、美琴は、その時に備え呼吸を止めた。だから、瞬間的な佐天の動きが、見えなかった。「御坂さん! 駄目です!」「えっ? 佐天さん?! こっちに来ないで!」佐天は美琴の意図を汲み取った瞬間、気付かないうちに足を動かして美琴のほうへと走りこんでいた。美琴と同等の威力のレールガンを打とうとするテレスティーナに、自分が一体何を出来るかなんて、考えもせずに。だって、佐天だって、大切な友達が苦しんでいるのを、横で指をくわえていることなんて絶対に嫌だったから。能力を、不可能を可能にする奇跡の力を手に入れたのだから、傍観者に甘んじることなんて、絶対にしない。間に合ってと願いながら、残るほんの1メートルを、必死に埋める。「くっ……!」「それじゃあな、あの世で元気にやってろよ!!」見下したテレスティーナの目が美琴を苛立たせる。早く、あれを止めなきゃ! 佐天さんを巻き込んじゃう!なけなしの出力じゃ何の意味も無い。美琴には時間が足りなかった。テレスティーナの右手に装着したその砲身が赤熱し、プロジェクタイルの投射準備が整った。そして絶望的な、ガチンという、電気二重層キャパシタが落雷に匹敵する大電流を砲身に流し込む音が聞こえた。「御坂さん……!!」白井が割り込めない理由は、空間移動<テレポート>という大能力と引き換えに得たその演算の難しさだった。美琴が立ちすくんでいるのも、また同じ。強力な能力の代償を演算コストという形で支払う二人には、この状況は致命的だった。だけど、佐天は違う。佐天は稚拙な能力者だ。応用なんて、ほとんどない。自分は渦しか作ることが出来ない。だけど、ただそれだけなら。毎日毎日、それが楽しくて、寝ているとき以外ならほとんどいつでもそれをやっていたから、ただ渦を作って、テレスティーナのレールガンを逸らすことくらいなら、自分には出来る……!!「あああぁぁぁぁっ!! 止まれえええぇぇぇぇぇぇ!!!!」ギッと、テレスティーナの砲身のその目の前に、佐天は己の能力で渦を作る。もっと強く、もっと大きく……!キャパシティダウンの影響か、稚拙な巻きをした、児戯に等しい渦しかできない。情けない自分に発破をかける。銃弾の大敵は空気抵抗だ。威力さえ落とせば、きっと美琴が何とかしてくれる。そう心を定め、佐天は渾身の力をもってただ風をかき集める。それでもなお、状況は絶望的だ。白井が来るべき未来を覚悟して、視線を逸らしながら目を瞑った。絶望的な目で木山と初春はこちらを眺めている。その後ろには、血まみれで生死をさまよう春上と、学園都市を巻き込んだ超巨大地震を引き起こしながら、覚醒を始めた13人の少年少女たち。だけど美琴は、まだ希望を捨てていない。そして佐天の目は、目で銃弾を押し返さんばかりに強く、銃口を睨みつけている。――――そんな中。テレスティーナの放った真っ赤に焼けた弾丸が、佐天の渦に、直撃した。極限まで集中を高めた佐天の前で、渦にプロジェクタイルが衝突し、すさまじいエネルギーを持ってして渦を霧散させようと襲い掛かる。主観的には、その現象はむしろゆっくりと起こっているくらいだった。些細な変化まで、余すことなく感じ取れる。佐天の口元が僅かに釣り上がって、笑みを形作った。恐怖に、では無い。予感が、あるのだ。いやそれは確信というべきか。いつだったか、常磐台中学で光子に指導して貰った時に、ケロシンの燃焼熱を丸ごと喰らったあの時と同じような印象を、受けていた。佐天涙子は知っている。御坂美琴の、超電磁砲<レールガン>の威力を。それと同等の力を持つ、テレスティーナの一撃。それを佐天は。――――『喰える』と、佐天はそう感じているのだった。赤熱が白熱に変わって、そのフロアにいる誰も彼もに襲い掛かる。皆、眩しさに目を瞑った。「……あ」誰かの、間の抜けた声がフロアに響き渡って。――――無音。その、突然の静寂に、辺りは一瞬呆然となった。「あはは」佐天の上げた笑い声に、美琴がぎょっとして振り返った。「なん、だと……?!」「できた、できた……!」今度は、音も漏らさなかった。ほんの少し、ジリジリと弱い光が漏れているが、これ位ならいいや。「嘘……」美琴が驚きに目を見開く。佐天の渦が虚空に揺らめいていた。だがそれがただの空気で作った渦ではないことを、美琴の感覚が告げている。それはそうだ。金属弾と、そしてそれを音速の8倍以上の速度で飛ばすだけのエネルギーを食った渦なのだ。内部に金属蒸気どころか電離した流体を内包して、プラズマになってたって何もおかしなことはない。おかしいのは、そこに存在する渦のエネルギー密度が、佐天のレベルなんて軽く凌駕していることだけ。佐天は逸る気持ちを抑えて、渦の取り扱いを冷静に考える。不思議なくらい、頭の中がクリアだった。冷徹でさえある。きっと、これをいつものようにあちこちにブチ撒けてしまえば、大変なことになる。じゃあどうすればいい? どうやってこれを解放すればいい?すべきことは、瞬時に脳内にプランとして組みあがった。時間を惜しんで、美琴に声をかける。「御坂さん! コントロール!」「え?」「荷電流体なら、御坂さん操れますよね?!」「……!」美琴は返事をしない。ただ全速力で、佐天の渦のもとへと走りこむ。「チッ、この死に損ないどもが!」テレスティーナが、二発目の装填を始めた。目の前のそれがテレスティーナに向かってくる前に、何とかしないといけない。だってそうしないと、あんなものを跳ね返されて無事でいられるわけがない。チャージに必要な数秒が、ひたすらテレスティーナを苛立たせた。その猶予を最大限に生かして、美琴が佐天の渦に肉薄し、手を添える。準備はそれで充分だ。美琴は、電場を使って何かを加速したり寄せ集めたりする必要は無い。エネルギーなら底にある。あとは手のひらで、正確には手のひらに展開した電磁場で、制御するだけでいいのだ。「電界は添えるだけ、ってね!」佐天にニッと笑いかけ、美琴は渦の周りに、一箇所だけ口のあいたケージを作る。勿論その口は、テレスティーナに向いていた。その渦流の制御を、佐天が手放した。ごく短い一瞬だけゆらりと静的な状態を維持して、プラズマはすぐさま出口を求め、美琴の作ったケージの中で荒れ狂う。一瞬の後、出口部分で収束した高エネルギー荷電流体がテレスティーナに向けて一直線にほど走った。「フザけんな! 私は、この街の夢を叶えるんだ!」「そんな悪夢(ユメ)、絶対に認めない!!」「この、クソがァァァァァァァァァ!!!」慌ててテレスティーナがチャージも未完のままレールガンを解き放とうとする。だが、自らが放った最大出力の一撃をそのまま鏡面反射したその一撃には、それでは太刀打ちなどできるはずもない。佐天の渦は回収したエネルギーの全てをプラズマアークに変え、テレスティーナに突き刺さった。ジィィィィィャァァァァァッッッッッッ!!!!「くっ!」「目が……」アーク放電によるすさまじい光量が周囲を襲う。誰もその一撃を直視することは出来なかった。ただフロアに響く鉄の沸騰する音だけが、テレスティーナの悪意を全て押し流していることを、物語っていた。当麻は急いで階段を駆け下りる。随分と地下最下層は遠いのだが、エレベータの一つも見つけられなかった。テレスティーナや美琴、佐天の声を頼りにそちらに向かっていると、たどり着く直前に、すさまじい発光と音がしたのを、当麻は聞いた。それ以上加速は出来なかったが、走りを緩めずにその場に当麻はたどり着いた。「佐天! 御坂! 大丈夫か!?」扉をくぐり、開けたフロアを一瞥する。何かの焼けた異臭が立ち込め、煙が広がっているせいで視界が良くない。一番近くに倒れていた女の子のところに近づく。白井だった。「白井!」「私なら大丈夫です。それより、お姉さまと佐天さんは?」「私はこっち」「あたしはこっちです。って御坂さん、お互い随分と吹き飛びましたね」シュウシュウと煙が立つ一角から数メートル離れて、二人はバラバラに倒れていた。手ひどく痛めつけられた佐天はともかく、美琴はそう酷い怪我はない。「私がバックファイアをせき止められるのは電導性のあるものだけだからね。普通の爆風はどうしようもなかったし」「あ、ごめんなさい。それってあたしの仕事ですよね」「別にいいわよ。ただの風なら、そんなにヤバくはないんだし」美琴が防いだものの中には、金属蒸気が冷えて出来た微粉末があった。冷えて尚高温のそれを浴びていたら、かなりの火傷になっていただろう。「で、無事解決なのか? その割には揺れが収まってないけど」「! そうだ。まだ春上さんを何とかしなきゃ! あの子たちも!」テレスティーナは、フロアの片隅で完全に沈黙していた。鋼鉄のレールガンを大破させ、パワードスーツも脇の下辺りが溶解して完全に機能停止しているらしかった。恐らくは死には至っていないと思うが、それを確認するより、先にすべきことがあった。初春と木山が、もう春上や枝先たちを助けるために、動き出していた。シェルターへのハックを済ませ、カバーを開く。むっと、むせ返るような血の匂いがした。それはもう、死の匂いといってもいいのかもしれない。あれほど酷く喀血していながら、まるでそれに気付かないで、嗚咽を漏らしながら頭を抱えている。そのヒトらしさからかけ離れた振る舞いに、初春は反射的にゾッとなって半歩後ずさった。「はる、うえさ、ん……」「ねえ木山、何とかする方法わからないの?」「……無理だ!」「え?」美琴が木山に尋ねると、ガンとコンソールを殴りつけて木山が叫んだ。「この子に投与されたのはあの子たちからの抽出物と体晶のファーストサンプルを混ぜたものだ。成分がわかれば時間をかければ何とかなる。だけど、この子はそれに耐えるだけの時間がない」「そんな!? けど!」「あの子たちも……」「えっ? アンタ、あの子たちなら助ける方法知ってるんでしょうが!」「ファーストサンプルならきっとあの女が持っているだろう! だがそれでも駄目なんだ。暴走を始めて、もうかなりの能力者と共鳴を始めている。ああなってしまったら、止めようが無いんだ!」「無理だ無理だって、そんなこと言ってないで打開策考えてよ!」「科学はそんなに万能じゃない!」何が、大脳生理学の権威だ。木山はそんな肩書きを僅かでも誇ったことのある自分を罵った。今、この場でこの子達を救えないものに、一体何の価値がある?「御坂」「何よ?」当麻が、美琴に声をかけた。今は一刻を争うのだ。状況の飲み込めていない男の相手なんて、している暇はない。そっけなく美琴が返した返事に、ひどく真面目に当麻が言葉を返す。中身はいつもどおり、突拍子もなかった。「アレ、止めればいいのか?」「え?」「この地震、ポルターガイストなんだろ?」「う、うん。そうだけど」「ならそれは任せろ。先生……アンタはその後のことを頼む。それと、春上さんのことも、何とかできるヤツがもうじき降りてくるはずだ」「えっ? それって」「科学が駄目なら、別のに頼ればいい」戸惑う佐天に、当麻がそんな良くわからないことを呟いた。そういえば、いつの間にかあの歌声は聞こえなくなっていた。もちろんキャパシティダウンと共にだ。恐らくは、うまく止め方を見つけたのだろうと思う。さっき響いたあの歌声には聞き覚えがあった。佐天がいつだったか、浴衣を着付けてあげた、二人の声。「ちょ、ちょっとアンタ! 地震を止めるってどうやる気よ?!」春上に必死に声をかける初春の裏で、美琴はそう当麻に詰め寄った。ポルターガイストを止めるなんて、そんなことをやれる人間なんて聞いたこともない。実体の無いものに干渉することは非常に困難だ。学園都市で一番の精神干渉系の能力者でも、こなせるかどうか。だが当麻は、いぶかしむ美琴に至極あっさりと返事をした。「アレを止めればいいんだろ?」「だから、アレって何よ!?」「よく俺にもわからねーけどさ。別にいいだろ、御坂。嫌な夢なんて誰も見たくない。あの子達の上に浮かんでるアレが学園都市の悪夢(ユメ)だっていうなら、俺はそれをぶち壊すだけだ!」当麻はそれだけ告げて、覚醒を始めた少年達へと走り出す。「――アイツ、AIM拡散力場が、見えてるの……?!」呆然と美琴はそう呟いた。だって、そうでもなければ。一体アイツは、何を殴りつけるというんだ?「おおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォ!!!!」寝たきりの少年達が転がされたベッドの傍で、当麻が自分よりも背の高い打点に向かって、拳を振り上げた。そして体のバネを使って、打ち下ろすように腕を振りぬく。何か、ぶよぶよとしたものに当たったような不自然な抵抗を見せて、――パキィィィィン、と何かが割れるような音を響かせた。立っているとふらつく位だった地震が、それをきっかけに静かに減衰していく。見る見るうちにそれは近く出来ない程度へと揺れ幅を減じていった。ポルターガイストを阻止したのは、明らかだった。「木山!」「もうやっている!」ハッとなって美琴が振り向くと、白井がすでにテレスティーナの体から体晶を探り当て、木山に渡していた。木山はコンソールに向かう。そこからはもう、何度も何度も頭で反芻し、練習してきた手続きだった。ここからならもう、木山は自分の研究の全てをぶつけて、あの子たちを救うために動ける。体晶の組成をチェック。充分に予想の範囲内だった。そのまま、解析をしてワクチンを作成し、あの子たちに投与する。木山はそのためのプログラムのバッチファイルを起動させた。あとはただ、無事目覚めてくれることを祈るのみ。「とうま! 大丈夫?!」「インデックス、エリス! こっちに来てくれ! 春上が!」「えっ?!」「お願いです! もし方法があるんだったら、春上さんを助けて……!」初春が涙でぐしゃぐしゃになった顔でインデックスにそう懇願する。もう救急車なら呼んだ。警備員も呼んだ。そして待っていればきっと助からないことも、分かっている。人を癒せる能力なら良かったのに。初春は、そんな無いものねだりをする自分を叱咤する。希望を捨てたり、有りもしないものに縋ったって、春上を救えたりはしないのだから。「初春さん、だよね?」「え?」「祈ってあげて。祈るって行為はね、どんなに苦しい人にも等しく許された、とっても尊い行いなんだよ」「……わかりました」「エリス」「わかってる。インデックス、さっきもそうだけど、いまは所属がどうとか関係ないよ。友達を助けるためだから」「うん。それじゃ、術式の行使はエリスがやって。私は、今だけエリスの魔道図書館になる」「いいよ」インデックスは呼吸を整え、血まみれの春上に躊躇いなく触れた。呼吸と脈拍を測り、瞳孔を調べる。医術は決して魔術と無縁ではない。インデックスには、そうした心得があった。「――解析完了。大丈夫。与えられた毒が何かはわからないけど、それは最悪のものじゃない」「助けられる?」「助けてみせる。エリス、さっきみたいに、私の歌うとおりに歌って」「うん」呆然と、佐天や美琴、そして白井がその光景を見詰める。隣では時折春上に視線を送りながらも、木山が枝先たちのバイタルデータにずっと注意を払っていた。そして初春はインデックスとエリスを疑わなかった。そんな非科学的なことに何の意味もないはずなのに、手を組んでただ春上のために祈っていた。「ごめんね、とうま。悪いんだけど」「気にするなよ。俺は離れてる」「うん、ありがと」謝る当麻に微笑を返して、インデックスは声を、フロアに響かせた。決して声質や声量が優れているわけではないのに、それは聞くものの心にすっと染み込んだ。エリスが、インデックスの紡ぐメロディに抗わず、その位置とリズムを巧みに同期させながら、同じメロディを輪唱した。呆然と、そこ場にいる誰もがその光景を眺めた。手持ち無沙汰という理由も、あったかもしれない。いつしか佐天も、白井も美琴も、そっと組んだ手を胸元に当て、うつむいて目を瞑った。そうさせるだけの神秘的な何かが、そこにはあった。魔術の臭いなんてほんの少しも感じ取れないその五感でいながら、皆、感じ取っていた。――救いと呼ばれる、何かを。朗々とした詠唱が三分ほど続いたところで、メロディがフィナーレを結んだ。ふう、とインデックスとエリスが息をつき、こめかみを滴り落ちる汗をエリスが手で拭った。「終わった……の?」美琴が、インデックスに声をかけた。半信半疑のその顔に、インデックスはコクリと静かな頷きを返した。それに弾かれたようにして、初春が春上の元に駆け寄った。シェルターに横たわる春上の様子を、何も見逃さないつもりでスキャンするように眺める。血まみれなのは当然血まみれなままだった。血が消えるようなことはないらしい。だが、さっきまでみたいな開いた瞳孔で何処を見ているのか判らないような様子はない。目を瞑り、おだやかな呼吸をしていた。とりあえず、その様子にほっとする。美琴たちも集まって様子を眺めると、ほどなく春上は目を覚ました。「あ……ういはる、さん……?」「ぁ……春上さん! よかった。よかった……!」こらえられない様に、初春の目じりに一杯に涙が浮かぶ。伝えたい言葉はいくつもあるはずなのに、せいあがってくるのは嗚咽ばかりだった。だけど、悪いことじゃない。だってその嗚咽は、嬉しさのせいで出てくるものだから。涙ぐむ初春の隣で、コンソールがアラームを奏でた。それは、体晶によって能力を暴走させられていた置き去り<チャイルドエラー>の子供達の治療が終わったことを示すものだった。パシュ、と軽い音を立てて、子供達が寝かされていたシェルターの蓋が開いた。「あ……」ふらふらと、足取りも不確かに木山が子供達の方へと歩み寄る。こんな目にあわせた張本人だから、罵られるかもしれない。恨まれるかもしれない。それでも良かった。この子達が、再び目を覚まして、太陽の下を歩ける日が来るのなら。手近なベッドに眠る子の顔元に、木山は近づく。頬にそばかすの浮いた女の子、枝先だ。「ん……せん、せ」一体、それは何年ぶりに発した声だったろう。すっかり弱って、記憶にある張りのある声からは程遠い、か細く弱った、枯れた様な声だった。でも、それでも。その声は、その顔は、紛れもなく枝先のもので。「ああ……」頬が自然と上がって、笑みを形作っているのが判る。おかしいな。自分は無表情で、素っ気無いのが普通の、駄目な教師のはずなのに。視界がもう、まともに確保できない。涙の粒がこぼれるたびに一瞬だけ戻る視界の中で、枝先もまた、微笑んでいた。「先生、助けてくれたの」「……助けただなんて、私は」「ありがとう」この子達には、きっと土下座をしたって許されないことをした。助けてくれたなんて勘違いはすぐにでも糺して、自分がいかに酷い人間か、教えてあげるのがフェアだろうに。嬉しい。ただ、この子達が目を見開いて呼びかけてくれることが嬉しい。はっとなって、木山は立ち上がった。「他の子たちも、見てくるよ」「うん」枝先は、自分が何故ここにいるのかも判らない状況にいながら、それほど酷い混乱を覚えなかった。目を覚ましたその瞬間に、木山先生がいてくれたから。そして、ずっとずっと混濁した意識の中で呼び続けた大切な友達が、すぐそこにいることに気付いたから。――――衿衣ちゃん心の中で、そっと呼びかける。起き上がる力もない自分からは姿は見えないけれど、春上に、その声が伝わったことに枝先は自信があった。数メートル離れたシェルターの中で、初春に見つめられたまま春上が目を瞑る。嬉しい。ただただ、嬉しい。その声が聞けるだけで満足だった。大切な友達が、ずっと会いたかった友達が、声をかけてくれたから。「絆理ちゃん……」枝先に聞こえるほどの声ではない。だけど、きっと思いは通じた。自分と枝先は、深い絆で繋がっているから。「枝先さんも、目を覚ましたんですね」我が事に様に喜んでくれる初春をみて、春上は嬉しくなった。そうだ、元気になったら枝先を紹介して、皆で遊ぼう。引っ込み思案で友達なんてほとんど作れなかった自分だけど、そうやって、枝先と一緒に、初春と一緒に、沢山の友達を増やしていくのだから。初春たちからは少し離れたところで、当麻はインデックスの頭をぽんと撫でた。そうやって労われて、インデックスは素直に嬉しそうな顔をする。魔術は人を幸せにするものだ。現実はしばしばそんな牧歌的な考えを打ちのめすが、こうやって幸せのために役立てることがあると、救った側もまた、救われるものだ。隣にいるエリスと、当麻がハイタッチを交わした。「ありがとうな、エリス」「お世辞なんて。水臭いよ、上条君」「そうだな」だって、エリスもあそこにいるみんなの友達なのだから。しがらみだとか、そういうもののことを考えるのは野暮だった。「ありがとうございました、上条さん」かけられた声に振り向くと、白井が皆から離れて上条のもとに来ていた。「おう。まあ、礼なんていいさ」「今のお礼は、お姉さまを助けていただいた分のものですわ。前日から、少々無理を重ねていたようですから。あちらの病院でお姉さまを救っていただいたことには、御礼をしませんと」「こっちも成り行きで助けただけだからな。気付かなきゃ、そのままだった」美琴のほうを振り向く。佐天と、なにやら話しているらしかった。佐天はどっと出た疲れに耐えかねたのか、どすんとその場に腰を落としていた。行儀が悪いのは百も承知だが、そのまま床に寝そべることの魅力に抗えなかったのだった。「なんとか、できましたね。御坂さん」「そうねー」あちらも同様に疲れきっているのだろう、美琴が佐天の隣に座った。「あたし、頑張れました、よね?」佐天が美琴にそう尋ねた。誰かにそれを確認したかったのだ。手に感触は残っているが、もうさっきのリアリティは失われつつあったから。だが、予想に反して美琴の沈黙は長く、佐天を戸惑わせた。「あの、御坂さん?」「うん。佐天さんの活躍は、それこそレベル2なんて肩書きを持ってるのがおかしいくらいだった」「……あは」「レベル3でも、おさまるか判らないわね、もう」そこで言葉を切り、美琴はテレスティーナのほうに視線をやる。アーク放電がもたらした破壊は美琴のレールガンのそれを上回っていた。それを、佐天はどうやってもたらしたんだったか。「まさか佐天さんに止められちゃうなんてね」「え?」それは佐天を馬鹿にした物言いのつもりはこれっぽっちもなかった。だって。「あれ、止めたのはまだ二人しかいなかったんだけどな」学園都市第一位の能力者と、学園都市唯一の風変わりな無能力者。その二人だけだったのに。まさか、三人目をこんなにすぐ出すなんて。しかもそれが、友達の佐天だなんて。仲間だから、決して敵視をするつもりなんてない。だけど、さっきのあの瞬間から、美琴にとって佐天はもう見過ごすことのできない能力者となっていた。「ま、私の研鑽がもう終わったわけじゃない。影は踏ませても、本体にはまだまだ届かせないわよ。……佐天さん、お疲れ」「はいっ!」パン、と今日一番の功労者二人が、タッチを交わした。能力者として美琴の隣にいることというのは、きっと大変なことのはずだ。うぬぼれかも知れないが、佐天は美琴の隣にいて、きっと自分の能力は恥じることなんてないと、そう思えるようになっていた。「さて、あたしも、これからのことちゃんと考えなきゃね」「これから?」「明日、あの屋台のクレープとうちの近くのアイス屋がセールするんです。どっちにするか、ちゃんと考えないとってことですよ」美琴にそんな冗談を返して、佐天は初春のほうを見つめた。迷いは、吹っ切れていた。自分の可能性を信じて、これからも真っ直ぐに進んでいきたい。実技もそうだが、きっと猛勉強しないといけないだろう。美琴や白井、そして光子と同じ学校の生徒になるならば。「あいたた」「佐天さん?」「結構痛めつけられたんで、しばらくは病院通いかなぁ」たぶん、クレープもアイスも明日は無理そうだった。でもそんなこと、気にならない。ここにいる誰しもの頬に、笑みが浮かんでいる。きっとまた、皆で幸せな日常を過ごせる。そんな「当たり前」を取り戻せたことが嬉しくて、佐天は顔一杯に笑みを浮かべた。****************************************************************************************************************あとがき三声聖歌の当て字に選んだ『シンフォニア』は著名なピアノ練習曲であるバッハのインベンションとシンフォニアからとりました。私はインベンションで練習を止めてしまいましたが……。また、あとがきでネタ解説をして恐縮ですが、『キャパシティダウン=魔術』説について触れたいと思います。原作では15巻において『AIMジャマー』なる、超能力を妨害する装置が登場します。しかし、作中での表現を読む限り、これは明らかにキャパシティダウンよりもスペックの劣る装置です。なぜ、より高機能な『キャパシティダウン』が15巻には登場しなかったのでしょう?身も蓋もない答えは、15巻よりもアニメのほうが現実世界では後発だから、というものかと思います。しかし、やはりこういう疑問にはちゃんと作品中で説明のつくような解釈を与えたい。その意図により、この説は生まれました。またおかげで、魔術サイドの二人組の活躍シーンも生まれましたし、結果的には面白いことになったのではないかと思います。さて、後日談はさておいて、ひとまずアニメ版レールガンの乱雑解放編がこれで終了となります。原作では主人公の美琴が戦闘においても主役を張りましたが、先の妹達編とシナリオを混ぜることにより、主役が佐天さんにシフトしました。アニメにおいて、あの日、バットを振りかざすことしか出来なかった佐天さんに、能力者としての未来をあげたいと思っていました。その執筆当初の目標を見事達成できたことに、ひとつ、ほっとしています。無能力者だったところから書き始めた彼女ですが、随分と成長しましたね。はたしてどこまで行くのやら、今後にご期待……してもらって大丈夫かな。頑張ります。さて、テレスティーナ戦を終えてすぐの強行軍ですが、作品中での日付は、二巻の吸血殺し編が起こったその日だったりします。思わぬ事件に巻き込まれた形のステイルとエリスですが、果たして今夜どうなるか――――?ということで、ここまでお読みくださってありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。