面接を終えて出てくると、綯足もちょうど終わったところらしかった。「綯足さん」「お疲れさま、佐天さん」「どうだった? 面接」「能力のことを根ほり葉ほり聞かれた、って感じかな」面倒だったと笑いながら語る綯足には余裕が見えて、これがレベルの差から来る経験の差かな、なんて邪推をしてしまう佐天だった。「佐天さんの方は?」「あたしも能力のこと、演算をどうやってるだとかを細かく聞かれた感じ。知らない人に説明することってほとんどないから、ちょいと疲れちゃったね。いつもと同じシステムスキャンなのに、面接が丁寧でびっくりした」「そうだよね。すっごい長かった」「これからすぐ、最初のテストだっけ」「だね。佐天さんは空力使いだし、私とは別の集合場所かな」「あたしはあっちの方の教室だって」「私はグラウンド。ってことはまた別々だね。お昼に会えたら一緒にご飯行こうよ。常盤台の学食ってどんなのか、楽しみだったんだよね」「うん。それじゃあたし、終わったらさっきの部屋に顔出してみるから」「ありがと。それじゃ、またあとで」「うん。お互い頑張ろう」常盤台に知り合いの少なくない佐天だが、今日はそんなに会いたいとも思えない。やっぱり既に常盤台に合格した人間と今日の気持ちを共有するのは、難しいから。綯足はレベルはかなり違うが、親近感を感じられる相手だった。「さて、最初は何のテストだったかな」リラックスしたつもりでつぶやいた独り言が硬い声だったことに気づいて、佐天はうんと伸びをした。さっき、面接室を出る前に言われたことが、気になっていた。――曰く。「普通の空力使い向けのテストも受けてもらうから、覚悟して受けなさい」だそうだ。オーソドックスな空力使いではない佐天の能力を図るには、普通のテストだけでは不十分だ。というか、そういうテストで計られては、自分のレベルが正しく評価されない。それを分かった上での指示らしかった。普通と自分がどう違うのか、その違いが何に由来しているのか、そしてその違いをどう「良さ」につなげられるか。それを考えるための切っ掛けを得ろと、面接官は佐天に諭すように説明してくれた。「ごきげんよう。空力使いの方よね」「え? そ、そうですけど」「ごめんなさい。さっきの教室での話を横から聞いていましたの。お互い、頑張りましょうね」いかにも先輩という感じで、教室前でテストを待つ生徒の一人が佐天に挨拶をした。会釈をしながら、普通くらいのサイズの教室に入る。編入試験のこれまでの傾向を考えると、気流操作系の能力者の中から合格するのは、三学年あわせてせいぜい一人か二人だ。つまり、ここで待っている空力使いの少女たちは、その全員が佐天が蹴落とすべきライバルだと言っていい。とはいえ、特に三年の夏からの編入志望者はよっぽどのことがないと採用されないので、一年の佐天はスタート位置という意味では有利だ。レベルも、ほとんどの人は3らしい。綯足や光子みたいな例外もいるにはいるが。そのライバル達を眺めると、来ている服はもちろん常盤台のではない他校のものだが、品が良いというか、雰囲気が常盤台に居そうな感じだった。それだけ、意識しているのかもしれない。逆に佐天は常盤台には似つかわしくない方だろう。まあ、サバけ具合では全校生徒憧れのお姉さま、御坂美琴もいい勝負だが。「みなさん集まっていますね? これから、ここでは気流操作系の能力者のシステムスキャンを行います。もし場所を間違えた人が入れば、速やかに手を挙げて伝えてください。なければ、呼んだ順にテストを受けていってもらいます。よろしいわね?」佐天の後ろから、さっきとは別の先生が現れた。さっと指示を飛ばして場を掌握し、実験に移る。教室を前から後ろまで占める複雑な形をした細い筒、ダクトに軽く触れて、その先生は周囲を見回した。「実験の内容はよくあるものですから、説明は不要かと思いますが。一応、知らない人は挙手してください」どうしよう、と佐天は思った。目の前にいる15人位の生徒が誰一人手を挙げなかった。だけど当然、佐天はこんなテストを受けたことがない。よく考えれば、レベル1の時にはこんな大掛かりなテストをうけるほどの実力はなかったし、レベル2に上がったときは試験無しで上がってしまったのだ。知らないのは、自分が悪いからではない。「あの」「はい?」「あたしこのテスト受けたことがないので、知らないです」「受けてない? あなた空力使いよね?」どこか険のある尖った表情の先生が、不審げに佐天を見た。「空力使いであってます。だけど、受けたこと無いんです」「……そう」ちらと紙面に目を落とし、先生は何かを確認した。そして納得したように頷く。たぶん、佐天のレベルを見て、事情を推察したのだろう。「では改めてテストの意図を説明します。ここにあるダクトは、真っ直ぐでなくうねった形をしていて、さらに内壁には抵抗の大きい不織布を貼っています。みなさんにはここに空気を通してもらいます。その間、こちらで入口と出口の差圧を測り圧力損失を求めます。やることはそれだけです。気流をきちんとコントロールできれば抵抗なく風を流せますから、損失は小さくなるでしょう。コントロールが悪ければ、制御無しの時に得られる圧力損失の理論値に近づきます。この理論値より如何に圧力損失を小さく出来るかで、皆さんの能力を計ります」普通に入口からファンか何かで空気を流せば、曲がりくねったダクトのあちこちに風はぶつかり、その推進力、すなわち動的圧力を失っていく。能力で制御すれば、そのロスは抑えられる。つまりは空力使いの風のコントロール力を試す試験なのだった。「質問は……ありませんね。あなたも直前の人たちのしていることをよく見て、すべきことを理解しなさい」「あ、はい……」佐天は、いきなりこのテストが自分にとっての鬼門であることに気づいた。こちらを奇妙なものを見る目で見ていた生徒たちが一人づつダクトに手をかざし、風をコントロールする。蛇のようにうねるその筒の形どおりに風をうねらせ、エレガントに通していく。さすがは、レベル3以上の生徒たちだった。今までに見たことがないくらい、誰もが、正確なコントロールを行なっていた。当然、優れたコントロール力を持っている学生達の圧力損失は小さく、時に「すごい」と誰かがこぼすのが聞こえた。「佐天涙子さん。あなたの番よ」「はい」もう一度だけ、よく考える。自分に勝ち目があるかどうかを。しばしの黙考で出てきたのは、自分の努力不足に対する反省だけだった。「それでは、始めてください」先生に促されるままに、ダクトの前に佐天は立った。ほかの生徒なら、ここからダクトに手を添えて、外から空気を呼び込むのだろう。自分にできるのは、それではない。ガッと勢いよく音を立てて、佐天は手のひらの上に、空気を蓄えた。「へぇ」誰だっただろう、後ろの生徒の一人が声を漏らした。能力者ではない先生には見えないだろうが、後ろの生徒にしてみれば、佐天のやったことは丸分かりだ。手のひらに渦巻く気流を、はっきりと見つめていることだろう。とはいえ、威力が求められる試験じゃないから、佐天だって本気は出していない。だって、さすがにダクトを壊したら怒られるだろうから。「……いきます」集めた渦を、佐天はダクトの入口に突っ込んで開放した。できる努力は、無秩序に開放せず、せめて、両刃槍のように尖った方向を作って風を噴出させることだけ。――直後。ビリビリとダクトを震わせて、渦から放たれた風がダクトを満たした。その様子は、はっきりとエネルギーが失われ、散逸していることがわかるものだった。複雑な軌跡を要求するダクトの中を繊細に通す感じからは程遠く、細い管に口をつけて、ほっぺたを膨らませながら無理矢理息を吹き込むような稚拙さだ。とても、気流を制御する能力者のやることとは思えない。そんなふうに、先生や周りの学生の顔に書いてあった。気まずい空気が流れる中、無機質にコンピュータが測定結果を報告した。『測定結果。圧力損失は1.15kPaでした。理論値からの差はプラス0.60kPaです』「プラス……?」圧力損失の理論値は、上限の値だ。これより小さいほど優秀な値であり、マイナスの値にしか測定されないはずなのだが。そう、誰もが一瞬訝しんだ。「たぶん、入口に渦を置いたせいです。理論値って、多分入口にファンか何かを置いて計算した値ですよね」佐天がそうフォローした。学生たちはそれで一様に納得したように頷き、先生も、測定結果の詳細なログを眺めて納得したらしかった。「入口にこんな圧力がかかるのは想定外ね、確かに。ついでに言えば入口から外に空気が漏れるのも。さて、中々面白い結果が出たけれど、時間がないから次に行きましょう」先生は何かを書き込んで、次の生徒を促した。ここで点数を告げられるようなことはないけれど、まあ、自分は0点だろう。理論値以上にロスの大きな結果を出しても点数がマイナスになることはないだろうし。佐天は、ダクトの中を走る空気のコントロールなんて、これっぽっちもできなかった。ふうっとため息をついて結果のことを忘れた。どうせ、元から点をとれたテストではない。それより、テストを通して気づいた、もっと大事なことに心を配るべきだ。佐天は、渦を開放するとき、どこかに投擲したことがある。例えばそれは、大型の工作機械の、エンジン給気口だった。そういう時に、自分はどうやって渦を「投げた」のだろうか。渦だって気流の一部なのだから、普通の物体のようには投げられないはずだ。それを投げられるということは、自分が渦を、手から離れたあともコントロール出来ることを意味している。これに気づいてもっと技を磨いていれば、ダクトの中を渦を通して、もうちょっとマシな対処を出来たのではないだろうか。もちろんそのアイデアはテストを裏技でクリアするようなものだが、そういう邪道も王道なのがシステムスキャンだ。「これで全員終わりましたね? では次のテストに移ります。次からは屋外テストですのであちらの更衣室で着替えて、15分後に下のグラウンドに集合して下さい」担当の先生は事務的にそう告げ、教室からすぐの更衣室の鍵を開けてどこかへ行った。学生達はなんとなく顔を見合わせ、順に更衣室に入る。更衣室といえば鉄製の細長いロッカーの並ぶイメージだが、ここは全てのロッカーが木製だった。壁に並ぶベンチもなんだかお洒落だ。ここは本当に学校なのだろうか。そう思わずにはいられない。だが、そういう驚きは入り口を入ってしばらくすると全員の頭から消えたらしかった。「あつ……」「まったくですわね」先ほど佐天に話しかけてきた、年長らしい生徒がため息をついた。エアコンはあるようだが、稼動していない。そもそも夏休みの更衣室だから仕方ないのかもしれないが。真夏に風のない部屋に大人数で篭もり、さらには今から着替えようというのだ。それを歓迎する顔は一つもなかった。「窓、少し開けてみてくださる?」「え?」「学舎の園の中ですわよ、ここ。外の視線に神経質になる必要はありません」別に窓の近くにいたわけでもないのだが、お願いされれば動かないのも感じが悪いだろう。頼まれたとおり、佐天は窓を15センチほど開けてみる。外はすぐに別の建物があるらしい。そちらから覗かれる心配もなさそうだった。「換気はできそうね」「あ、風なら私が」ここにいるのは全員が空力使い<エアロハンド>と風力使い<エアロシューター>だ。風がなくて暑い場所に来て考えることなんて、皆一緒だ。一人の生徒がくるりと部屋を循環するように気流を描き、窓の外と繋げた。この程度のことは別に誰でも出来るからだろう。誰も文句を言わず、ただ、チラリと能力を使った少女の顔を確認した程度だった。佐天は扇風機方式、つまりは気流を作ることで体の放熱効率を上げるやり方よりも、エアコン方式で部屋の温度そのものを下げるほうが得意なので、そういう流儀の違いにちょっと面白さを感じていた。適当にロッカーを一つ決めて、鞄を放り込む。ついでに中からいつもの体操服を取り出した。周りでもさっさと着替え始めているので、同じように体操服の下を履きながら、スカートを腰から落とす。普段は同学年の子しかいない場所で着替えるのに比べ、年上がいるからだろうか、普段よりもスタイルの良い子が多い気がした。あまり意識していないが、そういう少女達をさしたる感慨もなく眺められるくらいに佐天のスタイルはいいのだった。「随分と余裕がおありね」「え?」佐天の隣で着替えていたあの年上の少女が佐天を見てクスリと笑っていた。「先ほどのテストの様子を見て思いましたけど、貴女、風力使いはおろか、普通の空力使いともかなり違っているんではなくて?」「え、ええ、まあ。そうですかね」「わたくし達と同じテストで比べても、正当な評価は出来ないでしょうに」「そうかもしれないですけど、さっきの面接で同じテストも受けるように言われちゃって」「へえ。どういう考えなのかしらね、常盤台の先生方は」「それはあたしにも……」二人して、着終わった服をハンガーに掛け、髪を整える。佐天より僅かに長身のその少女は、僅かに佐天を見下し、呟いた。「この中から合格者なんて一人か二人ですわ。まだ一年で、他にチャンスがおありだから余裕なのね」佐天が答えを返すより先に、少女は部屋を後にした。やや尖った空気をかもし出したその一角を無視するように、他の少女達は着替えを続ける。佐天は、また反省した。自分向きのテストじゃないからと、気を抜いてやしなかったか。さっきのあの人の嫌味は、嫌な感じよりも、本人の必死さが伝わるような感じがした。「やっぱり駄目だった」なんて、友達に言いたくない。高みを目指したい気持ちで、別に周りに負けてるなんて思ってない。「まーがんばりなよ」部屋を出ようとした瞬間、佐天を揶揄するような声で、面白がるように誰かが呟いた。続いて、くすくすとそれを笑う声が続く。振り向いても声の主が誰かは分からなかった。佐天はそれを意に介さず、踵を返して扉を開いた。「さて、定刻になりましたので次のテストを行います。これもオーソドックスな物体運搬の試験ですが、詳しい説明は必要ですか?」「はい。お願いします」「わかりました」佐天は正直に手を上げた。ふっと誰かが鼻で笑ったらしいのが聞こえた。たぶん、佐天の自意識過剰なんかではないだろう。誰とは言いにくいが、受験者の中に佐天を下に見ている人間がいるらしかった。馬鹿なことだと思う。佐天を見下して、自分が上に上がることなんてないのに。佐天の知り合いの常盤台の生徒には、そんな性根の人はいなかった。……一番その傾向が強い例で、まあ、お師匠様の光子みたいな人もいるけれど。「まず、こちらの箱に、今から申請してもらったとおりの重量の重りを入れておきます。それを、能力を使えばどのような方法でもいいので、指定位置へと動かしてもらいます。移動できた重量と指定位置までの距離、そして置き場所の正確さで評価をします。この際、最も評価されるのは狙った位置におけることで、次に重量、そして距離となります。貴女はこの試験も、受けたことはないのね?」「はい、ありません」「では重量と目標距離はどう決めますか? 貴女のレベルの標準設定は、だいたい重りが10キログラムで距離は10メートル。レベル3向けには50キログラム20メートルくらいが良くある数字だけれど」佐天は一瞬、思案する。重さは、別に50キロで問題ない。自分の体浮かせたことくらいはあるからだ。だが、狙い通りのところに、渦ではなく渦をぶつけた物体を飛ばすというのは、物凄く困難なことだろうと思う。「正確さが大事なんですよね?」「ええ」「じゃあ、10キログラム10メートルでいいです。あたしの番まで、グラウンドの隅っこで練習してもいいですか?」「ええ。構いませんよ。もう10分くらいしかないと思うけれど」「わかりました」奇妙なものを見る目でこちらを見つめる受験生達を意に介さず、佐天は10キロの重りを一箱借り受け、必死に手で運んだ。光子は多分、この試験が大得意だろう。重さは1トン、距離は100メートルくらいは平気なんじゃなかろうか。それでいて狙った位置に的確に落としそうだ。それに比べると、自分は不慣れなせいもあるが、不利だった。「では始めてください」後ろで、テストの始まる声が聞こえた。テストの流れを知るため、一人目だけ観察する。一番目の受験者は、ごくオーソドックスな風力使いらしい。風を重りの下に差し込んで、風圧で持ち上げた。僅かに前後左右にと触れているが、全体として安定した挙動だった。重さは、風圧から推測するに50キログラムやそこらだろう。まさに平均値だ。それを、50メートルくらい先のサークルに向かって動かす。コントロールは重りが自分から遠ざかるほどにあやしくなり、少し危うさを感じさせる挙動で、何とか重りを置いた。『記録。50メートル23センチ。指定距離との誤差23センチ』その結果をたたき出した少女は嬉しそうな態度は見せなかった。レベル3なら悪い数字ではないはずだが、実力を出し切れなかったと言うことだろうか。こちらが眺めているところに気付かれて、少しきつい目でにらみ返された。既に申告した値の関係で、彼女の記録を超えることはまず無いと思うのだが。「眺めてる時間は、無いよね」自分で、佐天は言い聞かせた。そして傍らの重りに目をやる。気流系の能力者向けだからだろう、底は下駄を履いたように隙間が作ってあって、そこに空気を流し込めそうだった。「まず、渦をこの下で解放して上空に飛ばすと。で、渦を次々ぶつけて動かして、最後に地面から吹き上がるヤツで捕集すればいいか」仕上げの渦だけ、球状の渦ではなく、自然界にある竜巻型で作る。そしてその内部に重りが入れば、後は台風の目に重りは落ち着くだろう。佐天はその練習を時間いっぱいまで行った。考えていた時間を除いたら、結局練習なんて五分できたかどうかだった。「次。佐天涙子さん」「はい」名前を呼ばれ、すぐに先生の前に向かう。目の前のグラウンドには、砲丸や槍投げ用と思わしき、放射状に広がるガイド線と距離を示す同心円状の線が描かれていた。そう遠くないところ、正確には佐天の申告した10メートル先に、ゴールを示す円が書かれていた。「あそこを狙って落としてください。準備はいいですね?」「はい」傍に置かれた重りを確認し、そして手を握って開いてを繰り返し、能力の調子を確かめた。「では、始めてください」その声を合図に、佐天はガッと空気を手に集める。そして、その一つ目の渦のために集まった空気がさらに周りの空気を渦巻かせるのを、片っ端から意識の中で捕まえる。周りの学生の視線を見るに、渦の種がいくつも固定化されたのに気づいているらしい。それを感じながら、一つ目の渦を使って、佐天は重りを空に打ち上げた。――――バンッッッ!!!!砂埃が重りの下から弾け飛ぶ。同時に、もっと鈍重な慣性を纏って、ゆらりと重りが打ち上がる。緊張のせいか、あるいは不慣れなせいか、佐天は自分が少し失敗をしたことに気付いた。佐天の目の高さくらいにまで浮いた重りが、ゆるく回転を始めていた。直方体の重りだから、平たい面を何処に向けているかは、かなり重要なことだ。回転はその狙いを難しくする。特に、次の渦をぶつけるときに回転を消すために重心を貫こうとする時には大問題だ。「ふっ!」佐天に、渦で正確に一点を狙う技術はない。渦の生成そのものとは関係が無い技術だし、センスを養ってこなかったから当然だ。だけど、この場でそれは結果を著しく歪めていく大きな弱点になる。バンッ! という音とともに第二撃が加えられる。なんとか底面に当てられたが、重りは望ましい方向からは軸をずらして飛んでいく。回転も、減じるどころか早まる一方だった。「うわー、大変そ」誰かが囁く言葉に、僅かに動揺を誘われる。名前も知らない相手なのに、どうせ、一緒に常盤台に通うことはまずない相手なのに。自分が気にしなければいいだけなのに。「――くっ」佐天は、底面に渦をぶつけることを諦めた。目標地点に向かって重りが飛ぶように、少し離れたところで渦を爆散させる。渦そのものでなくて、渦から生まれた気流をぶつければ回転の影響はあまり気にしなくて済む。ただ、望むほどの推進力は得られない。急造の渦を次々とぶつけて、目的地の当たりまで重りを届ける。10メートルにしておいて良かったと思う。重りのたどった軌跡は、酔っ払いの足取りみたいにあちこちに振れていて、美しさの欠片も無い。「最後――!」心の中で、開始時点から意識の片隅に待機させていた渦の種のトリガーを引く。砂を巻き込みながら上昇気流を生じ、ゴール地点の上空に向かって、竜巻が生じた。その中へ向けて、重りが転がり込む。底がどっち向きだったかさっぱり分からなくなるくらいぐるぐると回転して、重りは、目標のあたりに落ちた。尖った一角を下に向けて落ちたせいで、着地後にも重りが酷く暴れた。その結果が。『記録。10メートル55センチ。指定距離との誤差55センチ』書かれた着地点の円から体半分くらいはみ出た状態で重りは落ち着いた。先ほどの50メートル飛ばした人よりも、さらに誤差が酷い。てんで駄目な、結果だった。悔しくて、ずっと重りを睨みつけていた。それを止めたら、回りの生徒の何人かの笑いをかみ殺す顔に突き当たった。――下を向いてちゃ駄目だ。佐天は、自分にそう言い聞かせる。集団のほうに戻り自分のやったことの問題点を考えていたら、テストのほうはすぐ最後の人まで終わったらしかった。「これで全てですね。では、運搬のテストは終わります。次は飛翔のテストですので、プールサイドに移動してください」グラウンドから更衣室のある棟をくぐらず、プールサイドの金網に取り付けられた簡易ドアを抜けて、プールの横のコンクリートに踏み出す。汚さないようにと靴裏を洗ってから、靴と体操服のまま、佐天と他の能力者たちはプールサイドに立った。そのプールは飛び込み用らしい、深さのかなりあるものだった。ついでに言えば、柵川中学の敷地では望めないくらいに、広い。対岸の一番離れたところでは、別のグループがテストをしていた。佐天にはこれも初めて見る光景。学生が皆、順番に水面を歩行していた。「あちらでは水流系の能力者が水面歩行測定をしています。あちらはこちらと違って面積をそう必要とはしませんが、接触事故を避けるためにも近づかないで下さい。さて、今から実施するテストについて説明します。先ほども言ったとおり飛翔のテストです。つまり、ここでは皆さんに、自分自身を風力で浮かせ、移動してもらいます。大移動が可能な方は、プールの上を飛んでください。この際高さはあの飛び込み台の一番上を上限とします。また苦手な場合、あちらのマットの上も選択できます」いつだったか光子が言った事だ。空力使いや風力使いは、誰でも空を飛べるというわけではない。能力の特性によっては得手不得手が出てくる分野であった。飛べる人間は、プールに溜めた水と言う緩衝材の上で実技を見せる。苦手な人間はあの厚手のマットの上で、恐らくは一メートルそこそこ浮くのだろう。恒常的に飛び回ることができなくたって、用途によればそれで十分ということは山ほどある。「空間中に描いた飛翔距離、滞空時間などで評価を行います。質問が無ければ、早速始めましょう」淡々と、試験は進む。一人目の人間が早速マットを希望したらしく、その準備が始まっていた。佐天は再び、対岸でテストをする一団に目をやった。試験のペースが速いらしく、難なく歩き回る人、長い距離を歩こうとして水に落ちる人、初めから諦め気味の人、いろいろだった。水に浮くというと、やはり水流を足の裏にぶつけて重力を相殺するような方式だろうか。佐天の想像力ではあの試験の「解き方」がそれしか思い浮かばなかった。自分達の試験に目を戻すと、二人目か三人目にさしかかっていた。試験はあちらよりはずっと派手だ。飛翔というのは、ある意味で気流操作系の能力者の花形と言っていい。今試験に挑んでいる子は、目いっぱいに能力を解放している、という顔でプールの上に浮いていた。高さは5メートルくらい。これくらいの高さによって空気の性質なんてそう変わらないから、5メートル浮けるならもっと高くに行けそうなものだが、彼女はそれ以上の行動をほとんど取れずにいた。何らかの理由で、それが彼女の限界なのだろう。まさか高所恐怖症は無いと思うが。「あっ」階段を踏み外すように、ぐらりと空中で体勢を崩した。そして、なすすべなく地上に墜落する。あまりにあっけなく、彼女はプールに頭から突っ込んだ。「あのやり方じゃアレが限界だよね」そんな風に話し合う声が聞こえた。別にそうやって馬鹿にする連中に合わせる気はないが、確かに良くない方式だろう。人間は縦に風を受けるより、横に受けるほうが効率がいい。断面積の問題だ。足裏に必死に風を当てて「浮く」よりも、背中にでも風を受けて「吹き飛ぶ」ほうが風からエネルギーを貰いやすいのだ。溺れはしなかったらしいが、落ちた子の救出が始まるため、こちらの試験は一旦中断らしかった。佐天はもう一度、水流操作系の能力者試験に目をやった。何気なく向けた視線の先に、見知った少女がいた。「綯足さん……やっぱ水流系なんだ」落ちたらプールを泳ぐことになると言うのに、縁の大きな眼鏡をかけたままだった。そのせいか運動が得意な印象は無いのだが、まあ、落ちる心配はないと言うことだろう。余裕のある感じが、瞳の奥に透けていた。プールサイドでしゃがみ、綯足は水温でも確かめるように手を触れた。そしてコクリと頷いて、試験官に合図を貰って歩き出した。「……あれ?」綯足が他の人と同じように、水の上を歩き出す。だが、そこにある違和感に、佐天は思わず呟かずにいられなかった。水の様子が、おかしかった。さっきまでは、歩みを進めるたびに水面はさざなみを打っていた。水面下に流動を感じさせるものが見えていたはずなのに。綯足の周りの水は、自然に出来るはずの揺らぎさえ消して、のっぺりと水面が広がっていた。整った水面で太陽光が反射して、眩しい。同じようにいぶかしんだ学生達が見守る中、綯足はさっさと課題になっている距離を歩ききって、陸に上がった。もう一度プールを見ると、水面はまた、いつもどおりの表情をしていた。「レオロジー制御系かしら」「えっ?」佐天の隣にいた学生の呟きに、佐天は振り返った。まだ話したことのない人だった。おっとりとした感じのその人は、佐天に友好的な笑みを浮かべて言葉を続けた。「あれはレオロジー、つまりは粘性や弾性の制御だと思いますわ。大方、水を高弾性のゲルにでも変えたのではないかしら」水といえば、サラサラとしていて、手に掬えばこぼれていく流体だ。だがこの性質を、例えば佐天が昨日食べた、カロリーゼロの夜のおやつゼリーに変えたらどうだろう。ゼリーはスプーンで掬っても形を変えない流体だ。だけど口の中で、咀嚼という形で力を加えると、流動を始める。そういう風に性質を変えて、綯足は「ゼリーのプール」の上を渡ったのではないか、というのが彼女の予想らしかった。「そういうの、見てすぐ分かるんですか?」「違いますわ。知り合いに似たような能力者がいたからですわ」「あ、そうなんですか」少し佐天はホッとした。自分が駄目なだけ、というわけでもないらしかったから。「あの、さっきから少し気になっていたんですけれど」「はい?」「貴女のレベルって、もしかして……」聞きにくそうに言葉を濁したので、佐天のほうで答えてやった。別に、隠すことも無い。「あ、レベル2ですよ」「そうだったのね」佐天は、試験を受けていない学生達がこちらを見ていたり、見ていなくても耳がこっちを向いているのに気がついていた。誰だって、周りにいる学生のレベルは、気になる。みんなライバルなのだから。「とてもレベル2には見せませんわ」「そう、ですかね?」今までの試験で見せた結果なんて、酷い有様だったのに。「レベル2でレベル3以上が対象のテストを受けて様になっているんですもの、充分ですわ」自分がレベル2の時なんて、といってその人は苦笑いを手で隠した。後ろで、試験官の先生が次の生徒をコールした。「では次の方」「あら、私ですわね。じゃあ行ってきますわ」「あ、はい。頑張ってください」「貴女もすぐでしょう? いい? 貴女をみて笑っている方がいらっしゃるけど、そんなの気になさらないほうがよろしいわ。自分の能力の良し悪しより他人の結果が気になる人なんて、結局たかが知れていますわ。レベルもどうせ3でしょう」別に見知らぬ佐天を庇い立てする理由もないが、彼女なりに、不愉快を感じていたのだろう。揶揄された苛立ちが、空気の中から感じ取れた。それにしても、最後の一言は結構きつい言葉だった。ああ言い放った彼女のレベルは、いくつだろうか。「では行きますわ」試験官にそう告げて、佐天に微笑んだその少女は空に舞い上がった。足を伸ばし、つま先を下に向けている。腕を大きく伸ばし、羽ばたくように動かしている。その様子は、鳥とはいかずとも、確かに空駆ける人にふさわしい所作のように見えた。「すごい……」佐天とは違う、気流操作系能力者の高みを見せつけられた思いだった。斜め下から吹き上げる風が、彼女を空へと押し上げる。能力と、そして手足の向きをコントロールすることで、巧みに空を舞い上がる。さしたる時間も掛けずに、彼女はゴールへとたどり着いた。プールの上で直線的に最も離れた、飛び込み台の最上段に。彼女は振り返って、こちらに向かってお辞儀をした後、笑って手を振った。自分のほうを見ている気がしたから、佐天も少し、手を振りかえした。「では次の方、佐天涙子さん」「えっ? あ、はい!」後ろでは、もう次の人が試験を終えていた。高くは飛べず、プールサイド近辺を少し飛んで終わったらしい。佐天は靴の調子を確かめた。さっきしっかり結んだから、脱げる心配は無い。ほんの少しだけ落ちていた靴下をたくしあげ、佐天は長い髪をゴムで縛った。「準備が出来次第はじめてください」「はい」背中に、やっぱり視線を感じる。もちろん皆が見ているからだが、それ以上に、視線の中に佐天の無様な失敗を願うものがある気がした。分からないでもない。今、飛び込み台から梯子でゆっくり降りているあの人は、多分レベル4だろう。そういう人に、馬鹿にされたのだ。レベル3の癖に、下にいる人間を笑う余裕があるなんて、と。しかも笑っていた相手の佐天は、本当にレベルが下の、2なのだ。順当に佐天が失敗してくれないと、これでは面子が保てなくなる。そういう事情を、佐天は分かっていた。だけど、だからこそ笑う。「それじゃ、行きます」これは今日はじめての、佐天向きの科目なのだった。正確には、佐天がやろうとしているのは「飛翔」と言えないかも知れない。だけど。佐天は、さっきまでよりずっと強力に、手のひらに渦を集めた。その威力を見て、周りの警戒感が強まるのが分かった。その渦をレベル2の能力者が生み出したとは、誰も思えなかったから。佐天は高揚する気分を隠しきれないまま、その渦を虚空に向かって投げ上げた。自分と、レベル2の能力者が目指すにはあまりに高い頂、飛び込み台の頂点を結ぶ直線のちょうど真ん中に。――刹那。空気が引き千切られるバァンという音が、プールに響き渡った。気流・水流関係なく、全ての生徒がその音に視線を引き寄せられる。そして誰しもが、その行動の意味を理解できずに首をかしげた。空を飛ぼうというときに、虚空で渦を爆発させてどうするのだ、と。理由は簡単だった。佐天が欲したのは気流の乱れ。渦の核。建物の並びによって比較的風が少ないここでは、渦を作るのが難しい。だから、自分で渦を作ってやったのだ。結果は上々。たわわに実ったブドウのように、あちらこちらに渦が出来ているのが、佐天には容易に見て取れた。その中から、自分のルート上にあるおあつらえ向きなヤツを探し、さらに育てる。もうそれは、何度か試した行為だ。それも練習じゃない。あの日、悪意に晒された高速道路の上でだって、何度も佐天はそれをやったのだ。助走をつけて、佐天はプールの上の空気に向かって、足を振り上げた。そして何も無いそこを、踏みつけていく。「……っ!」声にならない怨嗟が、プールサイドから響いた。レベル3の学生達は、ただ佐天の行為を見上げることしか出来なかった。――能力とテストの相性問題があるから、自分には出来なくても仕方が無い。あの子は相性が良かっただけ。そんな慰めを心の中で呟く。能力で渦を作り、その爆発的なエネルギーを丸ごと踏みつけることで、佐天は空へと駆け上がる。バン、バンと小うるさい音を立てて進むその姿は、彼女達にとって理想でもなんでもない。そこにエレガントさは無かった。でも、自分達よりも確実に、あのレベル2の少女は高みにたどり着くだろう。システムスキャンは結果が全て。反則でなければ、王道だったか邪道だったかは評価の対象ではないのだ。「……別にこの試験一つじゃないっての」遠く離れた佐天には聞こえないところで誰かがそう呟いた。それもまた、事実。見上げた先では、佐天が無事、飛び込み台の先にたどり着いていた。「うわー、これ怖いなー」佐天は下を見下ろしてそう呟いた。高所もジェットコースターも大好きなほうだが、飛び込み台というのはそれと違った怖さがある。真下に何も見えない、そこはプールに向かって突き出た場所なのだった。「次の人の邪魔だし、帰りますか」ふうっと、佐天は息をついた。充実したため息だった。使った渦は、20個くらい。上った距離は15メートルくらいだろうか。4階建ての建物と同じくらいの高さだ。そこまでの距離を、佐天は渦を使って駆け上がったのだ。難しいとは、思っていなかった。だってやったことのある行為だ。自分の体重なんて、木山のスポーツカーに比べたら綿みたいなものだ。コントロールだって、高速道路上でテレスティーナに振り落とされたときと比べたら欠伸が出る。だけど、テストという場で望みの結果を出せたことは、佐天の自信に繋がっていた。カンカンと踵で小気味いい音を立てながら、梯子を降りる。その先には、佐天の直前に飛び込み台に上った、あの人がいた。「お疲れ様」「あ、お疲れ様です」「すごいわね」「え?」やったことは、二人とも同じなのだが。「レベル4と同じことをしてその顔なの? まったく、寝首を掻こうって顔してるあちらの人たちより、貴女のほうが怖いわ」それだけ言って、すぐに佐天の元から立ち去ってしまった。その苦笑には、どこか緊張感が漂っていた。その少女は佐天に背を向けつつ考える。実際、昼からは能力者別の試験に移るのだ。この佐天とかいう風変わりな能力者は、自分のためのテストを受けてどれだけ点数を稼ぐのだろう。その少女にやや遅れて佐天が集団に戻ると、ちょうど試験が全て終了したらしかった。「それでは飛翔の試験を終了します。また、少し早いですがこれで午前のテストを終了し、昼休みに入ります。次の威力試験は13時ちょうどからグラウンドではじめますので、遅れないよう集合してください。また今日の始めにも通達しましたが、昼食の準備の無い方は学食を利用してくださって結構です。それでは、解散とします」佐天はその声を聞いて、少し肩の力を緩めた。太陽が真上から、猛威を振るっている。それでも優雅な空気の消えない、常盤台のお昼休みの始まりだった。