キーンコーンカーンコーンと、一日の終わりを告げるチャイムが当麻たちの教室に響き渡る。「よしっ、それじゃあ今日はこれで終わりです。ここの所物騒な話も聞きますし、野郎どもも子猫ちゃんたちもなるべく寄り道しないで帰るですよー」休み明け、月曜日というのはどうしてこうもだるいのか。担任の小萌先生の声を聞き流しながら、あくび交じりに伸びをして当麻はこれからの計画について思案する。昨日退院したばかりの光子は、しばらくは学舎の園からは出られない。だから今日はデートの予定はない。「あー……。授業が終わったのはいいけど、エアコンのない帰り道を考えると憂鬱だにゃー」すぐそばで、土御門がだらけきった姿勢でそうこぼした。その発言には全くもって同意なのだが。「けど帰ったらメシは出来上がってんだろ? 夏の台所を回避できるだけでも贅沢だっての」エアコンも効かず、ガス火の熱風で蒸しあがるそこは、真夏における地獄である。自炊を常とする当麻にとって、まさにそこは悪夢の場所なのだが。「まーそれは、メイドにして妹という素晴らしい存在を手にした男の特権ぜよ」悪びれもなくそう言って、土御門はだらだらと机の上の教科書を片付けだした。「カミやん、これからどうする?」「今日は駅のほうに出ようか考え中」「駅? モールに買い物でも行くのか?」「そんなトコだ。土御門はどうする?」「買い物だったら付き合ってアイスでも買おうかと思ったけど、遠出はパスだにゃー。舞夏に怒られる」「そうか」内心で安堵したのを悟られないよう、当麻は表情を取り繕う。今日行こうと考えているのは、セブンスミストと呼ばれる大手量販店だった。それも自分の服を買うのではなく、女物をざっと調べに行くのである。一人で行くには根性のいる場所だが、だからといって男友達についてきて欲しくはなかった。光子に合う服はどんなものかな、なんて考えながら男友達と一緒に女物のフロアを歩くのははっきり言って気持ちが悪い。「そういやカミやん、物騒な話で思い出したけど、レベルアッパーって知ってるか?」「あ、それ噂になってるやつやんね?」別サイドからもう一人のクラスメイト、青髪にピアスの学級委員が割り込んできた。180センチを超える長身が暑苦しい。「使うだけでレベルが上がる魔法のアイテム、って話だにゃー」「ボクも面白そうやから探してみたんやけど、まだ見つけてへんね」両隣で交わされるその会話に、当麻ははあっと溜息をつく。本当にレベルを上げられる薬なんて、そんなものがあるわけがない。しかも別に、この二人は使いたくて会話しているのではないだろう。話のネタとして面白いから情報交換しているだけなのだ。どうせ。つい昨日の黄泉川先生との会話を思い出しながら、当麻は二人の楽しげな雰囲気に水を差してやる。「どうせ探し出せても、犯罪スレスレか犯罪そのものの禁止薬品が出てくるだけだろ」だが当麻のそんな態度を見て、土御門はニヤリと笑った。「それがどうも違うらしいんだにゃー」「あん?」「どうもマジで、あるっぽいんだよ」「そんないかがわしい、レベルアッパーってのがか?」「うそっ、土御門クン、なんか知ってるん?」半分以上疑ったままの当麻の横で、青髪ピアスが身を乗り出す。その二人の反応に気をよくしたのか、土御門がうなずいて腕を組む。「出所は明かせないけど、かなり具体的な情報が手に入ったんだにゃー。なんとこの幻想御手<レベルアッパー>、薬品じゃないらしいぜ」「はあ?」能力を引き上げるということは、幻想御手は脳に働きかける何かであることは間違いない。そして、前代未聞の効果を発揮する優れものが、薬品以外のものとは考えにくい。超能力でもない限りは。視覚や聴覚を入力とする洗脳の手段なんて、薬品で血流を通して直接脳の働きに介入するのに比べれば、効き目などたかが知れているのだ。「でも、確かにそのほうが信憑性あるかも。そんな危険なものがクスリやったら、絶対にもう売ってる連中が警備員につかまってるはずやんね」「ただの都市伝説だってほうがよっぽど信憑性あるけどな」「カミやんの言いたいこともわかるけどな、最近流行ってる事件も関連してるって話ですたい。知らないか? 能力者が事件を起こしたってんで捕まえてみると、どうもそいつのレベルじゃ到底起こせないような大規模な破壊とかが起こってるって話」「知らねえよ。ってかどこからそんなゴシップ引っ張ってきたんだよ」「ソースは教えられないな」「で、結局幻想御手<レベルアッパー>ってのは、なんなん?」「それはな」勿体ぶるように土御門が言葉を切る。そしてその一呼吸で注目を集め、答えを口にした。「……音楽、らしい」「は?」「入手経路は分からんけど、その曲を聞けば能力が上がるとか」どうだと言わんばかりの顔でそう言い切った土御門に、精一杯呆れ顔を返してやる。だって、言うに事欠いて、音楽だって?「んー、土御門クン、もっと上手にオチつけてくれへんと、モヤモヤする」「だな。次からは最後までストーリーを練っといてくれ」「今の情報はマジモンだって! ほらカミやん、街に出るってんならレコード屋に行って隠し部屋の探索とかしてみろって。もしかしたら見つかるかもしれないし」「アホか。やりたいならダウンロードサイトの隠しページでも探してろよ」「カミやんが探してくれるならやってもいいぜ。それで見つけたら使うか売るか考えてみるにゃー」大して本気そうでもない顔で土御門がにやにやと笑う。だが顔に、不意に影が差した。「そこ! なんて話をしてるですか!」「げ、小萌先生」見上げると、もとい、見下げると、小萌先生がすぐそばまでやってきて、仁王立ちでこちらを睨めつけていた。いかんせん身長135センチ、自分たちよりはるかに年下にしか見えない担任だった。睨まれても、正直に言って怖くはない。「げ、とはなんですか! 上条ちゃん。いいですか、そういうものに安易に手を出すような子たちじゃないって、もちろんわかってるです。でもちょっとならやってみてもいいとか、手に入れるだけならとか、そういう思いが非行に走る第一歩なのです」「や、やりませんよ」三人の表情を見て、小萌先生は満足したようにうなずいた。三人の顔に後ろめたさがなかったからだろう。「よろしい。それじゃ、寄り道はしないで帰るですよ。特に上条ちゃんは」「へ? なんで俺だけ」「トラブルに恵まれる率が一人だけ桁違うからね」「ま、そういうことぜよ。それじゃ、俺はそろそろ帰るわ」舞夏が待っている、ということなのだろう。さっさと土御門がカバンを手にして、椅子から立ち上がった。「それじゃ、また明日」「またねー」それを合図にして、当麻と青髪ピアスも腰を上げることにした。小萌先生の言いつけを守らず、当麻はその足でセブンスミストへと向かう。次の週末までにはデートだろうし、それまでに下見に行くならいつ行っても同じだからだ。もちろん、帰り際に土御門と話したことは、すっかり頭から抜け落ちていた。「……さすがに下着と水着はパスでいいよな」そこは光子を同伴していても、入りづらい場所だった。通りを曲がれば到着、という所で信号に引っかかる。ぼんやりと車の流れを眺めていると、視界の端でチラチラと小さい少女が動くのが映った。手書きと思わしき地図を見ながら、不安げにあちこちを見上げ、途方に暮れているらしかった。「なあ、どうした?」「えっ……?」「道に迷ったか?」小学校の低学年くらいだろうか。綿のブラウスにサマーセーターを来た制服姿は、いかにも学校帰りという感じだ。こちらを見つめる視線に戸惑いはあるが、あまり警戒感はなかった。不審者みたいに見られないのはありがたいが、あんまり無防備なのはどうかとも思う。とはいえ学生の大半が親元から離れているこの町では、学生同士は少々年が離れていても気安いものではあった。「えっと。洋服屋さんを探してるの」「洋服屋?」「うん。こないだテレビでやってて、それで」声をかけた流れで、たどたどしい少女の説明に付き合うことになる。根気よく聞き取ったところ、テレビで見た大きな衣料店が学校で話題になり、「テレビの人みたいにおしゃれする」ために一人でここまで出てきたらしい。いかな学園都市とはいえ、この少女くらいの年なら十分冒険と言っていい外出先だった。「その店、デパートみたいにでかいやつか?」「うん!」「まあ……セブンスミストだろうなぁ」このあたりで服飾専門となると、おそらくはそこに違いない。「知ってるの?」「たぶんな。ってか、俺もそこに行くつもりだったんだ。よし、道曲がって向こうだから、一緒に行くか」「ありがとう、お兄ちゃん!」物おじしないで屈託なくそういう顔は、年より大人びて見えるものの、もちろん当麻にとっては子供でしかない。特に光子に対して後ろめたさを感じることもなく、少女の隣に立った。ほどなくして、二人はセブンスミストの入り口にたどり着いた。真夏の路上を抜けた後だから、エアコンがもたらす涼風が心地いい。「ほら、到着っと」「あっ、ここ、ここだった! テレビで見たの!」「そりゃよかった。……しかし、こっからどうするかな」無事着いたからもうあとは知らない、というのもできなくはないだろう。だがこの少女、はたして無事に寮に帰りつけるだろうか。「なあ、こっから家までの道、わかるか?」「えっ? え、っと」「あとこの店の中で迷ったりもしないか? 言っとくと、地下一階から九階まであるみたいだぞ」その二つの質問で、早々と少女の表情は曇ってしまった。思わず頭を掻く。当麻の予想通りだった。「乗りかかった船だ。どうせ行先も対して変わんねーし、一緒に行くか。迷子になるなよ」「あの、ごめいわくで、ごめんなさい」「迷惑ってほどじゃないから大丈夫だって。ほら行こう」「うん!」そう当麻が促すと、ごく自然に少女は当麻の手を握った。おそらく迷子にならないために、大人と手をつなぐ機会が多いのだろう。「さて、フロアは……婦人服、ティーンズ、子供服」女の子向けの服のフロアは男より区分が広く、また数も多い。「てぃーんずっていうところ!」「んー」子供服を選ばなかったのは背伸びしてのことだろう。だが悩ましい所だった。学園都市の購買層で一番厚みがあるのは当然、中学高校生だ。セブンスミストには、その彼女らに合わせたフロアが二つあり、20代以上の、大学生や教師たち向けのフロアが一つ、そして小学生以下の子供向けのフロアが一つあった。少女の身長は小萌先生と同じくらいだから、多分130センチ台だろう。ティーンズ向けの服は、おそらくSサイズでも大きすぎるに違いない。そう諭そうと口を開きかけて、当麻はやめることにした。「じゃ、そっから見てみるか」光子のために訪れるフロアは当然そこになるし、背伸びをしに来たこの少女に、最初から子供服売り場に行けと言わなくてもいいだろうと思ったのだった。背格好で自分に合うものがないとわかれば、おのずと適切な場所へ行くことになるだろうし。少女の手を引いて、当麻は目の前にあったエスカレータに乗り4階を目指した。「えっとね、テレビでお姉さんが、ナチュラル系っていう服着てて、それ見たい!」「ナチュラル系……」それがいかなるものであるか、を当麻は明確に定義できなかった。想像はつくのだが、カジュアルとどう違うのかと聞かれるとうまく答えられない。なんにせよ、ゴシックとかロリータみたいな服への憧れでなくて助かった。売っているかもわからないし、子供向けとなるとなおさらだ。「ま、このフロアであってるだろ。こういうとこ、来たことないのか?」「んー、あったかも。でも覚えてない」自分で自分の服に興味を持ったのが、この少女にとっては今だったのだろう。当麻は通りすがりの高校生でしかないが、そう思うとこの子の成長が垣間見える気がして微笑ましかった。「ほら、到着だ」「わぁ……!!!」目の前には、それぞれのブランド名を入り口付近に掲げ、8畳くらいのスペースを服で埋めたショップが立ち並んでいる。その光景に目を輝かせる少女を見て、当麻も満足げに頷いた。今日の目的は、この子に付き添いつつ、どんな感じの服が並んでいるかをざっと見て回ることだ。「どっから見る?」「あっち!」迷わずリクエストをしてくれるのがむしろ当麻には有難い。こちらを振り返りもせず駆け出した少女に苦笑いをして、ゆっくりと後を追う。道すがらにあった店を何気なく眺めていると、見覚えのある服を着たマネキンが目に入った。「このワンピース……そっか」全く同じデザインではないようだが、こないだの遊園地で光子が来ていたものとよく似ていた。きっとここで、光子は服を買ったのだろう。「同じ店はパス、かな。でもこういう路線はアリだよな」こういう、華美すぎない服を光子に着せたいと当麻は思った。自分で買って着てきたということは光子にとっても好ましいものなのだと思うし、そのままでも十分に華のある容姿だから、あまり主張の激しい服を着なくても映えると思うのだ。その当麻の好みには、隣の自分が釣り合うかどうか、という点も反映されていたかもしれない。「ワンピースは買ったばっかだし、上下どっちがいいか、聞いてみないとな」ウインドウショッピングの視線を前に向けると、少女が早くも服を手にして手を振っていた。「おにーちゃん、これ」「ん?」少女が見せてきたのは、長めのカットソーだった。ゆったりとしていて体のラインが出にくく、お尻の下まで届くような長さのヤツだ。街中で、ショートパンツと合わせることでまるで下を履いていないように見える女の子を見かけるが、そういう着こなし方もできそうだ。もちろんそれは、もっと背の高い女の子での話。少女が自分の体に当ててみると、長めのワンピースと呼べるくらい、下に余ってしまった。逆に肩周りはだらしなく開きすぎていて、凹凸のない少女の体には似合わない。「デザインは似合うと思うけど、さすがに大きいか」「うん……もっと小さいの、ないかな?」「Sサイズだよな、それ。SSとかもっと小さいのがあればいいけど」少女が取り出してきた棚に近づき、サイズを調べる。……まがりなりにも女の子の付添いであり、大義名分はあるのだが、周りの女の子の視線に緊張せずにはいられない当麻だった。「ないな。それが一番小っちゃいやつっぽい」「えー……」はっきりとした落胆を少女は表情にのぞかせる。大人の女性のファッションに憧れてきたはいいが、年齢の壁に阻まれるのはどうしようもない。「小さいサイズのを売ってる店もあると思うし、探してみ」「うん」深刻そうに深くうなずいて、少女はあたりを見渡した。当麻もそれに倣うが、やはり周りにいるのはその少女よりは年上ばかりだ。最終的には、子供服売り場で同じような服を探してやることになるだろう。「……お?」そう思いながら、フロアの先のほうを見つめると。見覚えのある、常盤台のお嬢様がやや挙動不審そうにあたりをうかがっていた。「アイツ、なんであんなキョロキョロしてんだ」別に、服を買いに来て戸惑うことはないだろう。普通に女子中学生なんだし。声をかけるか、逡巡する。変に絡まれても面倒なのは面倒だ。ただまあ、美琴の不審な態度に興味もあるし、あれで万引きと間違われても可哀そうだ。そんな風に考えて、当麻は美琴のほうへと歩み寄った。セブンスミストの四階、当麻たちがそこにたどり着く十分ほど前。同じようにエスカレータではしゃぎながら登ってきた三人組の女子中学生たちがいた。「こっちこっち!」先頭にいた少女が、まだ登り切っていない連れに向かって急かすように声をかける。快活に手を振るしぐさにつられて、肩甲骨くらいまで伸びる長いストレートの黒髪が揺れた。見下ろす先では、すこしお姉さんらしい落ち着いた少女が苦笑いをしながら、隣の少女と顔を見合わせていた。「初春さんは見たいトコある?」「んー……特に、決めてないんですけど」そう思案しながら、生花をあしらった大きな花飾りを身に着けた少女が返事を返した。長髪の少女と花飾りの少女、佐天涙子と初春飾利の二人は同級生だった。どちらも第七学区にある柵川中学校の一年生である。そしてその二人と一緒にいるのが、美琴だった。一人だけ超名門校、常盤台中学の学生で、しかも学年の違う二年生。初春は風紀委員(ジャッジメント)として、美琴のルームメイトの白井とよく一緒に活動している。そのつながりで美琴と初春たちは仲良くなったのだが、仕事に追われて今日は白井が欠けているのだった。知り合ったのは昨日や今日ではないので、別に白井がいないからと言って気まずいことはない。「あの子の息抜きも兼ねてたつもりだったんだけどねぇ」そうひとりぼやいた美琴に、初春が苦笑を浮かべた。ここの所、能力を利用した連続爆破事件が続いているのだ。風紀委員が何人か被害に巻き込まれていることもあって、仕事の代理を買って出たり、調べ物に精を出しているらしかった。「うーいーはーるー! ちょっとちょっと!」その呼び声で、美琴と初春は顔を上げる。見つめる先にはランジェリーショップが店を構えていて、その入り口にほど違いワゴンから、佐天が一枚、扇情的なパンツを取り上げていた。「な、なんですか」「じゃーん、こんなのはどうじゃ?」履いてみてはいかがでござろうか、という顔つきでみょんみょんとゴムを伸ばしながら、佐天は初春にそれを見せつける。腰の両端にリボンがついた、大人なデザインのものだった。二人が来ている野暮ったい中学のセーラー服の下には、さすがに合わないであろうデザインだ。目の前に掲げられて、初春の顔が、ぽんと赤く弾ける。「むっ、無理無理無理です! そんなの穿ける訳ないじゃないですか!」両手をぶんぶんと振って初春は否定する。実際、そんな大人っぽい下着なぞ、着けたこともない。目の前の佐天と違って、初春は自分がまだお子様体型なことくらい、わきまえている。「これならあたしにスカートめくられても、堂々と周りに見せつけられるんじゃない?」「見せないでください! めくらないでください!」美人で周りにも気遣いのある、佐天はとてもいい少女だ。そして友達として彼女のことを大好きなのだけれど、初春にとって、決して看過できない悪癖が佐天にはあった。すなわち、なんの脈絡もなしに、町中で、初春のスカートをめくるのである。それも、結果として周囲にいた男子学生や大人にも見えてしまうような形で。今回も抗議を込めて佐天を睨みつけたのだが、どこ吹く風という感じでさっと下着をワゴンに戻した。「ありゃー、残念。御坂さんは、何か探し物とかあります?」佐天が話を美琴に振った。これと言って買うべきものを決めて来たわけではなかったので、思案する。「えっ? そうねぇ、私は、パジャマとか」「だったら、こっちですよ!」美琴が今愛用しているのは、緑の水玉模様のパジャマだった。デザイン的にはごく普通だろう。Tシャツやジャージで寝る気にはならないし、白井がこっそり隠し持っているようなネグリジェなんて、着るのも着ているのを見せられるのも御免こうむりたい。夏場は汗をかきやすいからもう一着必要なのだが、現在サブ扱いのパジャマは、もう襟元がヘタってきていてそろそろ替え時なのだった。「いろいろ回ってるんだけど、あんまりいいの置いてないのよね。って、あ」初春に先導された先はパジャマショップらしく、ちょうど美琴たちくらいの少女を対象としたサイズの服が陳列されていた。専門店として商品に幅を持たせるためだろう、ちょっと扇情的なネグリジェやフードのついた着ぐるみみたいなものまで、雑多に集められている。その中で、何気なくマネキンの来たパジャマに、美琴は目を奪われた。ピンク地に、黄色や薄紫の花柄があしらってある。上着の裾はフリルになっていて、柔らかい印象のパジャマだった。「これ……」とっても、可愛い。美琴の好みを直撃するような、愛らしいデザインだった。同意を求めるように、傍らの佐天に呼びかける。「ねえねえ、これすっごくかわ……」「うわぁ、見てよ初春このパジャマ。こんな子供っぽいの、いまどき着る人いないよねぇ」それは、正直な佐天の感想だった。サイズは身長150センチ台後半から160台までの、要は自分たち向けだ。女児用としては悪くないだろう。でも、ここまでストレートに可愛い路線狙いだと、可愛いというよりは幼稚に佐天には見えた。「小学生の時までは、こういうの着てましたけど。さすがに今は……」苦笑いで初春も答えた。つい半年前までは二人は小学生だったのだが、きっとこういうパジャマを『卒業』したのはもっと低学年の頃なのだろう。そう思わせる回答だった。そんな二人の反応に、美琴は一瞬固まる。そして無理やり同意するようにぶんぶんと頷いた。「そっ、そうよね! 中学生にもなって、これはないわよね! うん……ないない」過剰気味の美琴の反応に、初春と佐天はきょとんとなる。だがさして気に留めなかったのだろう。すぐに、今日の目的の一つを思い出したらしかった。目の前にたくさん服があれば、ついそちらに気を取られるのも女子中学生としては当然のことだ。「あっ、あたし、ちょっと水着見てきますね」「水着なら、あっちにありましたよ」美琴に軽く会釈して、二人はパタパタと水着のエリアへと駆けていった。まだ猶予はあるとはいえ、完全下校時刻という門限がある以上、せっかくの放課後は無駄にできない。美琴は一人、溜息をついてパジャマを着たマネキンを見上げる。――いいんだもん、どうせパジャマなんだから。他人に見せるわけじゃないし。視界の片隅で、佐天たちは水着を眺めてあれこれ言い合っている。こちらに気付く様子はなかった。今なら、大丈夫だろう。「一瞬、合わせてみるだけなんだから」素早く、棚に並べられた一着を手に取って広げる。一瞥で姿鏡を探し、美琴はその前へと素早く移動した。「それっ」いささか服を試すのにふさわしくない掛け声とともに、美琴はピンクのパジャマを体の前面に当て、その姿を鏡で確認した。鏡に映る、ピンクのパジャマを着た自分。その行為はもちろん、パジャマ似合うかどうか、可愛いかどうかを試すものだったはずなのだが、そんな感想を抱くよりも先に、美琴の耳に衝撃的な声が響いた。「……何やってんだ、ビリビリ」鏡に、なぜか自分以外に、もう一人の人間が映っていた。自分より身長の高い、男子高校生。ツンツン頭。変なものでも見るような顔。愕然となって、美琴は後ろを振り返る。いっそ嘘であってくれればよかったのに、あいにく鏡は嘘をついてなんていなかった。「うぇっ?! な、え、ど、ど」いつも街で会うバカ、上条当麻が、そこにいた。美琴が手にしたパジャマを慌てて後ろ手に隠した。それを見届けながら、当麻は軽く嘆息する。「万引きの現場見られたみたいなリアクションだな」「へっ?」「なんで隠すんだよ、それ。もしかしてマジで盗る気だったのかよ」「ちがうわよ! 変な疑いかけるなっ!」そう言われても、美琴はパジャマを隠したまま、どうすることもできなかった。だって返そうとしたら、自分がどんな趣味の服が好きなのか、ばれてしまう。こんなピンクの、フリフリのついた服なんて見たら、コイツはきっと子供っぽいって笑うに決まっている。そんな考えばかりが頭の中で巡り、当麻の呼びかけで周りの店員さんがどんなことを考えるか、まるで思い当たらなかった。幸い、常盤台の制服を見てか、あるいは気安い男女がくだらない掛け合いをしていると判断されたか、店員に目をつけられることはなかったが。「そういうの、着るんだな」「……っ! 見るな!」「いや、隠したつもりかもしれないけど、普通に見えてるし。ってか、別に隠すことないだろ」「うっさい! 人の趣味をどうこう言われたくないの!」「どうこうって、別に普通のパジャマだろうに」たとえ普通の趣味だろうと、他人に揶揄されるのは不快なのは当麻にも分かる。だがそれにしても美琴の対応は過敏すぎるように当麻には見えた。「べ、別に取り繕わなくていいわよ。子供っぽいって知り合いにも言われたトコだし」「そうかねえ」睨みつけてくる美琴の視線に取り合わず、光子がこのパジャマを着たところを想像する。……ちょっと合わない気がした。光子はあまりファンシーな、こういう可愛らしさとは別の路線の可愛さを持っていると思う。もちろん、着せてみたらそれはそれで可愛い気がするけれど。ついでに美琴が着たところも想像してみる。美琴は光子みたいに脱中学生級のスタイルの持ち主ではないが、年相応の可愛らしさを備えていると思う。ピンクのフリル付きパジャマでおかしなことなんてないというのが当麻の感想だった。「あんまり気にしなくていいんじゃないか?」「……」恥ずかしいのか、頬を赤らめて美琴が視線を逸らした。返事がないので当麻としても対応に困る。「まあ、俺が言っても、って話だけど、結構似合うと思うぞ」「お世辞はいらないわよ」「わざわざお世辞を言う理由もないだろ。それにパジャマでもっと大人っぽい趣味って言っても、なあ」ゆったりとしていて、寝るのに邪魔にならず、脱ぎ着しやすいといった特徴を満たすように作るため、ほとんど形が決まっているのがパジャマというやつである。色が落ち着いているとか、そんな程度で大人もなにもないというのが当麻の感想だ。そういう意図を伝えるつもりで、あたりを見渡す。だが、視線の先に映ったのは。「げ」「え?」中学生に、いや、高校生でもふさわしくないようなネグリジェがマネキンに着せてあった。ふわふわとした素材で、中が透けている。マネキンはカップ付きのインナーシャツを着た上半身しかディスプレイされていないが、実際に着れば上下ともに下着がよく見える恰好だろう。「なんでこのフロアにあんなの置いてるんだよ……」「……あ、あんなの着ろって言うんじゃないでしょうね!?」「ち、違うって! 逆だ逆!」「逆?! お前にはああいうのは似合わないよなって、馬鹿にしたいわけ!?」「そういう意味じゃねえ! その人に似合った服ってのはあるだろう。お前が持ってるそれ、よく似合うと思うし、普通に可愛いと思うって話をしてるだけだ」「か、かっ……!」激昂していた美琴が、急に黙り込む。落ち着いてくれたのはありがたいが、美琴の機嫌が変わるタイミングが当麻にはまるで読めなかった。一方美琴のほうも、突然に言われた言葉に、どうしていいかわからなかった。どうせお世辞を言われただけなのに、自分は何をこんなに動揺しているのか。隠すように後ろ手に持っていた服を、そっと前に持っていく。当麻と視線を合わせないまま、美琴はそれを丁寧に畳んだ。「アンタ、さ、その……」「あん?」自分は何を、当麻に尋ねたいのだろう。それすらよくわからないまま、美琴は沈黙を間延びさせる。どうしていいかわからないまま頭の中で思考がどんどんぐるぐると渦を巻きだしたところで、不意に横から幼い声がした。「おにーちゃーん、このおようふくー」「お、サイズ合うのあったか」やけに緊張していた自分と真逆に、急なその声にも当麻はのほほんと返事を返し、美琴から視線を外した。それに安堵と苛立ちの両方を感じながら、美琴はパジャマを棚に戻した。そしてすぐ、声をかけた誰かを探す。小学生くらいの女の子だった。身の丈にあったワンピースを手にこちらへ駆けてくる姿が愛らしい。そして、その子の姿には見覚えがあった。「こないだのカバンの子……」「あ、トキワダイのおねーちゃんだ!」先日、風紀委員の手伝いをした時に面倒を見た少女だった。向こうも覚えていたらしく、すぐにぱっと明るい笑顔を見せてくれた。その少女の態度に美琴も笑みを返そうとして、愕然となる。この子は、誰に会いにここに来た?「お兄ちゃんって、アンタ妹がいたの?!」がばっと当麻を振り返る。相変わらず弛緩したままの、気の抜けた顔をしてぱたぱたと手を振った。「違う違う。俺はこの子が洋服店探してるって言うから、ここまで案内してきただけだ」同意を求めるように当麻が目を向けると、少女が大きく頷いた。「あのね、お兄ちゃんにつれてきてもらったんだー。私もね、テレビの人みたいにおしゃれするんだもん!」これくらいの年なら、確かにそろそろ自分で服を揃えるようになる頃かもしれない。無邪気に大人びた憧れを語るその少女が可愛らしくて、直前まで当麻に対して抱いていた戸惑いをどこかにおいて、美琴は髪を撫でてやった。「そうなんだ。今でも十分、お洒落で可愛いわよ」「パジャマは置いといて、制服の下に短パンの誰かさんと違うよな」からかうように、当麻がそんなことを呟く。美琴はその言葉にまたカチンとなる。「何よ、ケンカ売ってんの? だったらいつぞやの決着、いまここでつけてやるわよ!」「えぇ? ……お前の頭ん中はそれしかないのかよ。大体、こんな人の多い所で始めるつもりですか?」「それは……」次の言葉が出てこなくて、美琴は口ごもる。最近、このツンツン頭に会うと、いつもこうなってしまう。他の人なら気にならないような当麻の細かい仕草や言い回しが気になって、すぐに苛立ってしまうのだった。「ねえねえ、お兄ちゃん。あっち見たい」結局、二人のじゃれあいに幕を引いたのは少女の一言だった。「わかった。……じゃあなビリビリ」「だからその呼び方やめろって言ってるでしょうが!」何度言えば通じるのか。このバカには。「あーはいはい」「次は覚えてなさいよ!」「あーはいはい」「ばいばい、お姉ちゃん」美琴の態度に動じることもなく、少女が手を振った。当麻はと言えば軽く手を振って振り返った後、こちらを見もしなかった。「ったく……ほんっとムカつくヤツ」その言葉にこもった感情の複雑さに、美琴は気づいていなかった。「こっちのほうは着れるのいっぱいあるの!」「みたいだな」フロアはティーンズ、つまり字義通りに取れば13歳以上を対象としているが、どうやら10歳くらいからを対象とした小さいサイズの服を扱う店が数軒はあるらしかった。せっかく面倒を見てやった子なので、目的を達成できて嬉しそうなのを眺めると、当麻としても満足感がある。「ナチュラル系って、あるかな?」「んー、どうだろ」「お兄ちゃんも知らない?」「だな。ほら、店員さんに聞いてみな」「えっ!? で、でも……」少女が軽い足取りを急に止めた。戸惑いながら、当麻を見上げる。「どうした?」「笑われちゃったり、しないかな?」「なんで?」「だって私、こういうところに来たことないもん」「大丈夫だって」わしゃわしゃと、髪を撫でてやる。もとより人見知りをしない子ではあったが、美琴の知り合いということも作用してか、少女は随分当麻に気を許してくれているようだった。そうして残ったもう片手で手を挙げ、近くにいた店員の注意を引いた。「あのー、すみません」「あっ、お兄ちゃん」「ほら、聞いてみ」すぐさま服を畳む作業を中断して、若い女性店員がこちらに向かってきた。「何か御用でしょうか」「あの……ナチュラル系、って、お洋服、ありますか?」おどおどと、少女がそう切り出す。舌が回らなくてナチュラルがアチュラルに聞こえたのはご愛嬌だろう。店員は慣れているのか、それを笑ったりするようなことは少しもなく、朗らかにうなずいた。「ありますよ。あちらのお店がお客様には合うかと思います」指さした先はすぐそばの店だった。「ありがとうございました!」「すみません。ありがとうございます」きちんと礼を言う少女の後ろから当麻も礼を言い、その店に向かう。入り口のマネキンは、リネン生地のゆるいブラウスに、マフラーみたいなものを巻いていた。こういうのが、ナチュラル系というやつなのだろうか。文字からして、確かに派手なデザインの服ではないのだろうが。「あっ、これ! テレビでこれ着てた!」指さしたのは、そのマフラーみたいなヤツだった。「サマーストール……ストールってこういうのだっけか」当麻のイメージでは、ストールは冬に女の子が羽織る、横幅の広いマフラーみたいなものだった。首というよりは肩にかける印象がある。夏場にわざわざそんな暑いものをなぜ、と思わないでもない。「これ、似合うかなあ?」少女はストールを手にとって、首から肩に羽織ってみていた。鏡でそれを見て、自分でも首をかしげている。似合う以前に、巻き方が全然なっていなかった。単に首にかけて、両端がだらりと体の前で垂れているだけ。さすがにこれでは何とも言いようがない。「よろしかったら巻きましょうか?」試着している少女を目ざとく見つけ、店員が声をかけてきた。「お願いします」「お嬢ちゃん、制服かな? そういう服装だったらこういう巻き方が合うんだよ」手早く店員はストールを首に回し、ラフに括ってしまう。ナチュラル系という言葉にたがわず、無造作なそれが何とも様になる。少女が一つか二つ大人びて見えた。快活そうなもとからの魅力を、よく引き出していると思う。「わぁ……!」「ね? ストールは結び方でいろいろ遊べるから、面白いよ。ほかにも、ほら」今度は丁寧に広げて、肩を隠すように覆った。「脇の下を通すから、ちょっと手を挙げててね」「うん!」カーディガン風に、肩と背中に広がっている。当麻の知っている使い方はこちらに近かった。半袖のブラウスにサマーセーターの少女にはさっきの結び方のほうが似合っていたと思うが、それでもこちらも悪くはない。「へー! すごーい!」「こっちなら、襟付きのブラウスよりもああいうブラウスのほうが合うかな。良かったら着てみる? あ、それと髪をおろしたほうが合うかも」「えっと……」次々と勧めてくる店員に、少女は戸惑いを見せた。着てみたいのは着てみたいらしい。だがこうして当麻を見上げてくるあたり、当麻が離れるのは不安らしかった。彼女の、光子との買い物なら腹をくくって付き合うが、この少女にそこまで付き合う義理があるわけではない。だから正直に言えば面倒だし御免こうむりたいのだが、頼られてそれを無碍にするのも、気が引けた。「待っててやるから。ほら、行って来い」「ありがと! お兄ちゃん!」ぱあっと顔を輝かせる少女。当麻としても悪い気はしなかった。……店員の顔も心なしか輝いたのは、何とも言えないが。「さ、それじゃこちらにどうぞ」店員はさっと似合いそうな服を見繕って、少女を試着室に送り込んだ。そしてすぐさま振り返って、当麻に顔一面のスマイルを送った。「ご兄妹ですか?」「いえ、ちょっとまあ、知り合いです」「そうでしたか。お客様自身は、何かお探しで?」「ええと……」こういう、服の営業は相手にするのがしんどい。当麻の苦手な相手の一人だった。だがまあ、せっかくこういうところに来たのだ。相談しない手もない。「実は、彼女に贈る服を探してまして」「彼女、と仰いますのはあちらの……」「ちがいます! 二つほど年下なんですけど、中学生で」「これは失礼いたしました」20代も後半に差し掛かっているであろうその店員にしてみれば、当麻も子供なのだろう。店員なのにこちらをからかって上品に笑ってから、近くにあったストールを手に取った。「サマーストール、今年は結構流行ってるんですよ」「そうなんですか?」「ええ。大判のストールといえば秋冬物が主流なんですけど、今年は大手メーカーが通気性と水分の揮発性、防臭性を備えた最新モデルの生地を出したので、かなり攻勢をかけているんです」「はあ」「あちらのお客様で見ていただけますけど、かなり着こなし方のバリエーションがあるアイテムですし、お値段も低めからありますから、相手の方の好みにもよりますけど、結構おすすめできると思いますよ」「へー……」興味をそそられる内容だった。値札を見てみても、決して無茶な額ではない。付き合い始めの光子にあまり高価なものを贈るのは気が引けるが、これなら悪くはない。ただまあ、だからと言って乗り気な態度を見せると、ひたすら売り込みで話してもらえそうにない気がしていた。「あのー、できたの!」「はい、それじゃ最後に結びますね」声を掛けられてすぐ、店員は当麻の横を離れ、試着室に近づく。手早くストールを整え、店員は当麻にその姿を見てみるよう手で促した。ひとしきり自分の姿を鏡で眺め、手櫛で髪を整えてから少女が当麻を見上げた。「どう、かな?」「へー! いいな、これも」小学生の制服然とした上着を脱いで、鎖骨をのぞかせたラウンドネックのブラウスを着ていた。それだけでもぐっと大人びて見えるのだが、そこにストールを羽織って、さらに髪を下すと、小学生高学年くらいには見えてくる。だからと言って当麻の恋愛対象には全く入ってこないのだが、女は化ける、というのがこの程度の歳の少女であっても当てはまるというのは、すごいことだ。「えへへー」少女もまんざらではないらしく、はにかみながら嬉しさ全開、という顔だった。幾つかの結び方をさらに試してもらい、少女はすっかり満足げだった。ただストールは小遣いで買える額ではなかったらしく、最後にはしょんぼりしていた。買ってもらえなかった店員にとっても働き損だろうが、こうやって服という楽しみを新しく少女に覚えさせたのが満足だったのか、嫌そうな顔は最後まで見せなかった。「ありがとうございました」「どうもすみません」「ぜひまたお越しください。どうもありがとうございました」一円も使っていないことに若干気が引けながら、少女を連れて当麻はその場を離れた。「楽しかったか?」「うん!! お兄ちゃんも、見てくれてありがと」「いいって」内心、疲れたのは否めなかった。光子が連れでも、きっとそうなのだろうと思う。「この後、どうするんだ?」「えっと、もうあんまり時間ないよね?」「小学生は……そろそろだな」小学生は高校生より二時間ほど早く、家に帰るよう推奨されている。少女の門限までもうあまりなかった。帰りに付き合うとすると、当麻もこれで下見は終わりになる。見ていない場所はまだあるが、当麻もかなりもう疲れていた。「じゃあ、そろそろ帰る準備するか」「うん。あっ、あれ見ていい?」「ん? あれって……水着か?」「今度みんなでプールいくの!」カラフルな布が乱舞するその一角を見て、足が固まる。小学生の少女を連れて、女性ものの水着コーナーに足を踏み入れる高校生というのは、さすがに如何なものか。この子に「お兄ちゃん、似合うかな?」と聞かれたとして、自分はなんて答えればいいのか。普通の服なら、自分とて光子に合うものを見に来たわけだし、少々の視線の痛さにも耐えられるが、さすがに水着は厳しいものがある。「な、なあ。俺もちょっと見たいところあるから、一人じゃだめか?」「えっ? ……そっか、お兄ちゃんも行きたいところ、あるよね」躊躇う当麻の一言を聞いて、少女の顔にさっと遠慮が浮かび上がった。そういうところを見てもよくできた子だとは思うが、当麻にも事情がある。「まあな。ほら、あと15分くらいで出なきゃいけないだろ? ここにいてくれれば、また迎えに来るから」「うん、でもお兄ちゃんもっとここにいたいんだよね」「大丈夫だって。用事はすぐ終わるし、迷子になってるかもって気になるしな。寮か駅の近くまで連れてってやるさ」「ありがとね」にっこり笑う少女に少し後ろめたさを感じながら、当麻はフロアの遠方、まだ行っていないほうへと足を延ばした。道すがらに談笑する美琴の後ろ姿が見えたが、もちろん声はかけない。「眺める分には無害なんだけどな」うっかり接触すると、本当に面倒なヤツなのだった。あの御坂という少女は。少女につられたせいか、フロアをめぐる間、当麻が足を止める店はカジュアル・ナチュラル系の店が多かった。どうもこの夏の流行の路線でもあるようだ。光子に、合いそうな気がする。おそらく普段はこういう「飾らない」服よりも、凝った服を着ているのではないかと思うけれど。だから趣味に合わなければそれまでだが、普段とは少し違う服ということで喜んでもらえるかもしれない。「ま、リサーチとしては十分見ただろ」そろそろ、あの少女のところに戻るかと思案する。少女から離れて強く感じるが、このフロアは、やはり気疲れする。「やっぱ男一人だとなぁ、って……あいつもか」知った顔ではないが、フロアの向こうから当麻と同じ高校生と思しき男子学生が歩いてくるのが見えた。周りの女性服には目もくれないのは、気恥ずかしさの裏返しだろうか。カエルのぬいぐるみを大事そうに手に抱いているのは、ゲームセンターの景品らしかった。「このフロアにゲーセンあったっけ」口の中でそう呟き、さしたる感慨もなくその学生とすれ違う。そして少女がいるはずの水着店がどこだったか、遠くに視線を飛ばした、その直後。――――ピーンポーンパーンポーンお決まりのアラームの後に、硬い声のアナウンス。「お客様にご案内申し上げます。店内で電気系統の故障が発生したため、誠に勝手ながら、本日の営業を終了させていただきます。係員がお出口までご案内致します。お客様にはご迷惑をおかけしますこと、心よりお詫び申し上げます――――」唐突なその放送の内容は、迷子の案内などではなかった「営業を終了って、今すぐ出てけってか?」その放送の裏で、周囲の客もざわめき始めていた。だって放課後のこんな時間帯に、いきなり閉店なんて珍しい事態だ。電気系統の故障というのは、それほど深刻なのだろうか。少なくとも停電していないのは周りを見れば明らかなのだが。どうするかな、なんて考えながらに三歩進めたところで、ハッとなる。「そうだ、あの子んとこ行ってやらねーと」後で合流するなんて言った以上、ほっておくわけにはいくまい。当麻は早足で水着店を目指す。その道すがら、先程と同じところに目をやると、美琴たちが店先に集まっているのが見えた。その表情は、戸惑いを見せる周囲と異なって、やけに険しい。中でも大きな花の髪飾りと、風紀委員の腕章を付けたを少女が誰かと電話をしていて、ひどく逼迫した表情を浮かべているのが、やけに気になった。「お客様。どうぞこちらからお降りください。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」機械的とも言えるような態度であちこちの店の店員が通路へ出てきて、足取りを澱ませる当麻や他の客に声をかける。エスカレータや階段への誘導が始められていた。「あの……。連れがいるんで、探してきます」「かしこまりました。御用がありましたら他の店員にもお声がけください」そう告げる店員に会釈を返し、当麻は水着の売り場へと早足で進む。近くには階段があって、そこにはすでに人だかりができていた。「もう……降りたか?」水着ショップの入口には早々とガードが置かれていて、中に人がいないことを物語っている。あの少女も、当麻を気にすることはあっても、まさか指示に背いて店内に隠れているようなことはないだろう。「あの、お客様?」「すみません、連れを探してるんで!」店内にふさわしくない速度で、当麻は駆け出した。もう一度フロアを探してみるつもりだった。たぶん上の階に上がることはないだろう。だから1フロアずつ下がって探していけば、いずれ確認できるはずだ。何もないことを願いつつ、当麻はひたすら少女を探し続けた。「出口はこっちです! ゆっくり進んでくださーい!」声を張り上げて、美琴は客の誘導を手伝う。一番混雑する時間帯だったからかなりの人がいたが、目の前のこの人だかりを外に出せば、ほとんどの人は出たことになるはずだ。ひとまず、任務を果たしたことにほっとする。あのバカの顔は見えなかったが、まさか逃げ遅れるようなヘマはしないだろう。つなぎっぱなしにしていた携帯で今日の相棒に声をかける。「初春さん。こっちは最後尾が今出ていったわ!」「ありがとうございます。ほかの出口も誘導が済んだみたいです。あとは、警備員(アンチスキル)もあと数分で着くそうですから、御坂さんは佐天さんとそのまま外で待っていてください」「何か力になれることは?」「大丈夫です! ここから先は、警備員の仕事ですから。私もすぐにそちらに向かいます」「了解」初春は今、逃げ遅れた人がいないか確認しながら、退避のしんがりを務めている。彼女も決して高位の能力者ではないが、風紀委員(ジャッジメント)としての職掌以上に、学生たちの安全に尽くそうとしている。もう一人の連れである佐天は一般人ということでもう避難を済ませているはずだ。「って言っても、こんなに人が多いんじゃ……」人だかりの中に、佐天の影は見えなかった。自分も佐天もとりたてて背が高いわけではないから、仕方がない。キョロキョロとあちこちを見渡していると、待っていたのとは別の声がした。「ビリビリ! あの子見なかったか?!」緊張を伴った、当麻の声。尋ねられたその内容に、美琴は愕然となる。「えっ?! 一緒じゃなかったの?」無駄と知りつつ当たりを見渡す。少女の影は、やはり見えない。この人だかりにあのような子どもが混ざってしまえば見つからないもの無理はない。だが、ひとしきり探したらしい当麻が、厳しい顔をしていた。「外にいないんだ。もしかして中に」戸惑う当麻の声に、カッとなる。当麻は当然知らないだろうけれど、この店は、ここしばらく連続発生している連続爆破事件の最新の爆破対象なのだ。そんなところにあの子を放っておける訳がない。「何やってんのよっ!!」「あ、おい!」当麻に構わず、美琴は出来てた扉をくぐり直し、セブンスミストの店内に戻った。「待てよビリビリ……御坂!」「うるさい! アンタは邪魔だから外で待ってなさい!」「二手に別れないと意味ないだろ」「エスカレーターはもう封鎖されてるわ! あとは階段だけ」「じゃあ俺も行く!」「邪魔!」責任だとか義憤なんて、今は邪魔なだけだ。そう思いながらも、わざわざ当麻を排除する時間が惜しい。美琴は当麻を無視して階段を駆け上がり、少女を探す。「ついてくんなって言ったでしょうが」「知らねーよ」「……ホントにいるんでしょうね?!」「下じゃ見つからなかった! それ以上はわかんねぇよ」「使えないわね!」そう毒づきながらフロアを駆け上がり、声をかけながら少女を探していく。だがそこに返事はなかった。あるのはちらほらと見える、店員たちの影だけ。このバカが、単に見落としただけじゃないのか。年の割にはもののわかる少女だった。とっくに避難していると考えるのが普通じゃないのか。そうあってほしいという願望と裏表の不安とを噛み殺し、美琴は当麻と共に、階段を駆け上がっていく。少女にとって大して興味もなさそうなフロアをしらみつぶしていき、やがて先程のフロアにたどり着いた。「いない、か? ……っ!」当麻が見える範囲に誰もいないことを確認しかけたところで、二人は気づいた。「あっ、ちょっと待ってくれ! 小学生くらいのちっちゃな子、見なかったか?!」「さ、さあ。僕は見てないよ」おどおどとした態度の、男子高校生。そういえばこの警報がなる少し前にこのフロアですれ違った覚えがある。「そうか、それじゃ――――」「待ちなさい」美琴が警戒感をあらわに、男子生徒を睨みつけた。「アンタ、なんで逃げてないわけ?」「それは……い、いま降りるところだったんだよ」「御坂? それより早く」自分の判断で走って逃げられる高校生を相手にしている場合じゃない。だから美琴に早く動くよう促そうとして、美琴の腕に触れる。だがそれを振り早うようにして、美琴はキッと相手を睨みつけた。「今避難してるのはね、どっかの爆弾魔がここを爆破しようとしてるからなのよ」「爆破?!」「だからコイツに聞いてるの。心当たり、ないかしらって」「ヒッ」一瞬のにらみ合い。目の前の高校生の動揺は、どう見ても尋常ではなかった。美琴がさらに詰め寄ろうとした、その時だった。「おねーちゃーん!」二人の後ろを、探していた少女が駆けていく。呼びかけた相手は美琴ではなく、もう一人この場に残った風紀委員の、初春だった。少女は緑色のカエルのぬいぐるみを大事そうに手で抱いて、それを初春に渡そうとしているらしかった。「よかった、中にいたんだな」「心配させるんだから。って、あのぬいぐるみ……っ!」「おい、御坂?!」戸惑う当麻の横を、美琴がすり抜け走っていった。それを見てか、男子高校生も駆け出し、階段を勢いよく降りて行く。「あ、おい! くそっ」そして同時に、綿しか入っていないはずのぬいぐるみが、不自然にひしゃげ、つぶれ始める。どれを追うべきか、一瞬の逡巡。だが判断を決めさせたのは初春の悲鳴だった。「逃げてください! あれが爆弾です!」とっさに少女の手からそれを取り上げ、あらぬ方向へと投げつけた。「くそっ!」間に合え、と念じながら当麻は爆弾と少女をかばう風紀委員、初春の間に割り込む。すでにそこには美琴がいて、もしかしたら美琴でも何とか対処はできるのかもしれない。だがそういうことを考えるより先に、当麻は誰より爆弾の近くに体を滑り込ませる。目の前のそれが、能力によって爆発を引き起こそうとしているのは一目瞭然だ。そういうものになら、自分の右手は、それこそジョーカーのように劇的に効果を示す。「っ! アンタ――――」「お兄ちゃ――――」美琴と少女の声が、当麻の耳に聞こえかけたところで。――――ズガンッッッッッ!体に直接響くような、すさまじい破裂音が周囲をひどく叩いた。「ぅぁっ! つつ、あ……」強烈な光が目を焼き、美琴は瞬間的に前後不覚となる。そしてまず、自分の体に痛みがないことを確認する。自分のところまで爆風や破片なんかは迫ってこなかったのは確かだ。ならおそらく、後ろの初春と少女も大丈夫だろう。でも、自分より前に立ったあのバカは?「大丈夫か、御坂」「っ! ちょっと、脅かさないでよ。アンタこそ」「俺も大丈夫だ。そっちは?」「……だ、大丈夫です。私たちも、何ともありません」「お兄ちゃん!」ホッとしたように息をついた少女が、当麻をみて涙ぐんだ。「良かった、やっと見つかった」「……ごめんなさい」黒煙舞う中、当麻は少女の髪をぐしゃぐしゃと撫でてやった。そしてなるべく優しい声で、確認する。「風紀委員のお姉ちゃんに渡そうとしたぬいぐるみさ、誰にもらった?」「眼鏡をかけた、おにいちゃん」「ひょろっとしてて、ヘッドフォンつけっぱなしのヤツか?」「うん」「わかった。御坂、俺はあいつを負うからこの子を――」「逆でしょうが。アンタが連れてきた子なんだからアンタがケアしてやりなさいよ。初春さん、犯人に心当たりがあるから、私は追っかける。連絡は携帯にいれて!」「気を付けてください! すぐに白井さんも来ると思います」「了解!」とりあえずは、これで急を要する要件にすべて手を打てたはずだ。立ち上がった少女の服を軽くはたいてやり、当麻もあたりを見渡した。「ひどいな、これ」「ええ……でも、御坂さんのおかげで無傷で済みました」「あ、お姉ちゃん――」目の前の少女をかばうので精一杯だったのだろう。爆風を防いだのが誰なのかは、見ていなかったようだった。事実を伝えようとした少女の頭に、当麻はもう一度手をやって風紀委員の少女に声をかけた。「それで、これから俺たちはどうしたらいい?」「えっと……すぐに警備員の方が来ると思います。たぶん、その時にいろいろ聞かれることがあると思います」「わかった。じゃあ、とりあえずここに残ってる」「ご協力ありがとうございます。私は警備員の先導をしますので、ちょっと下に行ってきます」「わかった」駆け出す初春を二人で見送り、当麻は少女を連れてベンチへ向かった。不安なのか、少女は当麻の手を放そうとしない。「もう心配ないさ。嫌な目に会っちまったな」「うん……」「家、こっから近いのか?」「えっと、電車に乗ってきたの」「何駅くらい?」「すぐ隣」「そうか。ちゃんと家まで送ってやるから、もう怖がらなくていいからな」「うん。ありがとう、お兄ちゃん。やさしいね」「ま、乗りかかった船だからな」「お船?」慣用句に首をかしげる少女に、当麻はくすりと笑い返した。不安が少しずつほぐれてきた様が見えての、安堵の笑みだった。しばらくして警備員がやってきて、事故現場の見聞を始めた。それと同時に、下校時刻の近い当麻と少女からの聞き取りが進められた。聞いたところによると早々に犯人が捕獲されたらしく、それほど質問の数は多くなかった。すぐに解放され、目立たないようそっとセブンスミストの外に出て、二人で帰路につく。今日、ほんの数時間前に出会った少女だったが、事件のせいか、ひどくなつかれていた。帰りはもうずっと、手を放してくれない。「当分あの店には買い物にいけないな」「うん……」店内は当然ぐちゃぐちゃだったから、それを直すのに一週間では足りないだろう。「お兄ちゃん」「ん?」「あの時、助けてくれたの、お兄ちゃんだよね」「あー、そういやそうだったかな」「いいの?」当麻は警備員の取り調べでも、美琴が防いだのかと尋ねてくる相手に対し、首肯を返していた。少女の質問はおそらく、それに対する疑問なのだろう。自分の功績を、伝えなくていいのかという。「別に誰が助けたんでもいいんだよ。それに、細かいこと聞かれると説明が面倒だしな」当麻の右手に宿る『幻想殺し』は、学園都市という科学の街においてもなお不可解な能力だ。同じ学校の教師として事情を知る黄泉川のような警備員にでもないと、自分が爆発を防いだなどという主張は受け入れられないだろう。「お兄ちゃん、かっこいいなあ」「そりゃどうも」ストレートな憧れを口にされて、つい苦笑いが出てしまうのはひねくれた高校生の精神年齢ゆえか。より強く手を握ってきた少女の頭を、撫でてやる。「……お兄ちゃんは、高校生だよね?」「え? そうだけど」「私と、何歳違うのかな?」「5つか6つくらいだろ」そう思案して、互いの年齢を教え合う。実際、そのくらいだった。「そっかあ。私のお父さんとお母さんも、それくらい違う」「へえ。うちの親はどっちも同じ年だな。親父のほうが老けて見えるんでたまにボヤいてるけど」当麻の母、詩菜は何度会っても見た目があまり変わらない。しかし、この子はなんでそんな話を気にしたのだろうか。「お兄ちゃんって、好きな人……」少女が何かを口にしかけたところで、当麻は視界の先に揺れるものを見つけた。「ん? なあ、あっちの人、手を振ってるぞ」「あっ、先生だ!」夕日が随分と傾き、アスファルトを焼いている。その先に、少女の住む寮はあるらしかった。寮母か学校の担任かはわからないが、少女の保護者らしかった。「よし、それじゃもうこっからは大丈夫だな」「えっ? うん」「今日みたいなことは何度もあることじゃないけど、街に出るときは気を付けるんだぞ」「うん。お兄ちゃん、きょうはほんとに、ありがとう。あの――」「それじゃ、俺はもう帰るから。じゃあなー」「またね、お兄ちゃん。また遊ぼうね!」「おー」高校生にもなるとさすがにあの年の子の相手はつらいのだが、まあ正直にそんなことを言うのも酷だろう。安請け合いをして、当麻は少女に手を振りかえす。「しっかし、デートの下見しようと思ったら爆発に会うって、どれだけ不幸なんだか」溜息ひとつで今日の事件を押し流し、当麻は今日の晩御飯のことを考えながら、自分自身の帰路についた。数日後。当麻は再び、街に服を見に繰り出していた。もちろん一人ではない。当麻の隣で、光子が嬉しそうに手をつないでいた。「で、今日行く店なんだけどさ、実は行ったことのない場所でさ。いい物見つからなかったら、その時はごめんな」「それでも全然構いませんわ。当麻さんと、デートできるのが楽しみなんですもの」光子は入院とそれに続く学舎の園での療養(単に街に繰り出す許可が出ないというだけである)をようやく終えて、当麻と会えるのが嬉しいらしかった。当麻としても、もちろん悪い気はしない。「……それにしても、物騒な事件でしたわね。こう言うと不謹慎かもしれませんけれど、デートの日が重ならなくてよかったですわ」「だな」二人が当初行先に挙げていたセブンスミストは、目下、爆発事故の影響で営業停止中だ。数日後には部分開店するらしいが、肝心のティーンズ女性向けのフロアは爆発の現場なので、もっと先まで閉店したままになる。その爆発のひどさは誰よりも当麻が一番よく知っているのだが、光子に言う気にはなれなかった。心配をかけるし、別にいう必要もないことだ。「最近、こういう目を引くような事件が多発しているそうですわ」「そうなのか?」「ええ。犯人のレベルと実際に運用された能力の強度に差があるのが特徴だとかで。私を襲ったのも、どうやらそういう能力者だったとか」「物騒な話だな。……それこそ、天気『予知』までやれる演算力があるんだから、誰がどんな能力を開花させるのか、全部計算すりゃいいのに」「いくらなんでもそんなことは無理ですわ」当麻のその意見を無茶苦茶だと言わんばかりに、光子がクスリと笑う。「そういや俺のほうもさ、知り合いからレベルアッパーってのを聞いたな。それと絡んでたりして」「なんですの、それ」「飲むと……ああ、なんか音楽形式だとか言ってるヤツもいたな。なら、聞くと、が正しいのかな。とにかく使うとレベルが上がるって代物らしい」「はあ。噂話にしても、ひねりがないというか、陳腐な印象がありますわね」「だよな」「そんなもの、本当にあるとしたら、もっと大きなニュースになるはずですわ。研究者は誰だって公表したいに決まっていますもの」「でも隠したほうが利益を独占できるんじゃないか?」「そういうものがあるということを公表して、細かい方法を秘匿する、というのが一番利益を得られる方法ですわ。だから、そんなものが本当にあるなら、もうちょっと詳しい話が流れていてもおかしくはないと思いますの」「言われてみれば、そうかもな」まあ、仮にそんなものがあるとしても、きっと当麻のレベルは上がらないだろう。光子も、そんなものを欲するような人間ではなかった。他愛もない会話をしながら、すぐそばの公園に目をやる。「ルイコ、ほら、できた、できたよ!!!」「すごい、アケミ、浮いてるじゃん!」きっと、学園都市に来てすぐの学生なのだろう。能力が発現してすぐの、レベル1の学生らしいふるまいだった。一学期がようやく終わりに差し掛かるこの時期の、ごくありふれた光景だから二人は気にも留めなかった。「それでさ、光子。どういうものが欲しいとか、イメージ固まったか?」「えっ? い、いえ。ずっと家におりましたし、当麻さんがくださるって考えたら、それだけで嬉しくて……」そうして二人は、これからの買い物の算段に取り掛かった。上条当麻がレベルアッパー事件にかかわったのは、この一件が最後だった。