「黄金の帝国」・会盟篇
第二六話「皇帝クロイ」
三〇一六年シマヌの月・一〇日付。総司令部独裁官令・第一〇九号
「独裁官に対する称号として『皇帝(インペラトル)』を使用する」
その発令を受けたアアドル達やハーキム達、総司令部の官僚達は、判ったような判らないような顔を見合わせた。一同を代表してハーキムが竜也に確認する。
「タツヤ、これは独裁官の官職名を『皇帝』に改めるということですか?」
竜也はさり気なさを装いつつ答えた。
「いや、違う。独裁官はソロモン盟約にも記された公式の官職名だ。これを改めるのならソロモン盟約の改訂が必要になる。だから独裁官という官職はこれはこれで置いておいて、『皇帝』という呼びかけを併用するということだ。普段は『皇帝』の方だけ使ってくれ」
竜也の説明にハーキムや官僚達が頷く。
「判りました。皇帝タツヤ」
「皇帝タツヤ、本日の予定ですが」
「皇帝タツヤ、こちらの書類ですが」
官僚達やハーキム等秘書官が当たり前のようにそう呼びかけてくるのを、竜也は頬を引きつらせながらも受け入れる。このような何とも締まらない形で、竜也は皇帝への事実上の登極を果たした。
「それについてはバリアに任せる」
「判った、進めていいから後で報告してくれ」
「報告書をまとめて持ってきてくれればいい」
一方、竜也の仕事ぶりを見守っていたハーキムも安堵のため息を漏らしている。
「何があったのか判りませんが、随分と余裕が生まれたようです」
昨日までの竜也であればかなり細かいところまで自分の目で確認しなければ気が済まなかったのだが、今日は仕事の多くを部下に委ねている。まるで人が変わったようだった。
だが、竜也が仕事を部下に任せるということは、側近・調整役のハーキムの仕事がその分増えるということだ。ハーキムは積み上がった仕事の山にしばし呆然とし、次いで先ほどとは違う種類のため息をつき、最後に気合いを入れ直して仕事を再開した。
翌日、竜也は総司令部にサドマやダーラク、ガイル=ラベクを呼び出した。
「何だ、結局皇帝を名乗ることにしたのか」
ガイル=ラベク達のからかうような言葉に竜也は「色々ありまして」と曖昧に答えた。竜也は今日の用件を切り出した。
「早速ですが、仕事をお願いしたいと思います。船長は、今ハーディさんにやってもらっている海上傭兵団の取りまとめ役を」
ガイル=ラベクは「おう、任せろ」と頷く。
「サドマさんとダーラクさんには、東ネゲヴの各都市を回り、長老方や町の人達に戦いの現状を訴えてください」
訝しげな顔のサドマやダーラクに竜也が説明した。
「先日の暴動で思い知ったことがあります。少なくない数のサフィナ=クロイ市民が戦いの現状を、ネゲヴの置かれている状況を理解していないことです」
竜也の言葉に二人は全面的に同意した。
「確かに。もし理解しているならあんな暴動が起きるはずがない」
「全くだ。西ネゲヴの戦地に比べればこの町は天国みたいなものだっていうのに」
竜也も頷きつつ説明を続ける。
「戦地に近く交流もあるサフィナ=クロイですらこの有様なんだから、東ネゲヴの町や市民が現状をどのくらい理解しているのか、想像できるでしょう? 彼等にとってはサドマさん達の戦いは全くの他人事なんです。お二人には東ネゲヴの町を順に回って、西ネゲヴで何が起こっているのか、戦いの現状がどうなっているのかを訴えてもらおうと思います」
サドマはその指示に理解を示したが、ダーラクは不満そうな表情を隠さない。
「何で俺がそんなことを……そんな仕事はバール人どもにでもやらせておけばいいだろう」
「もちろんネゲヴの夜明けとかの出版物も使います。ですけど実際に戦地で戦った人間の生の言葉に勝るものはありません。ましてや、赤虎族の有名な戦士でつい先日まで百万の敵と実際に矛を交わしていたダーラクさんの言葉ならなおさらです。どこの誰であろうと無視できるわけがありません」
ダーラクは不服そうだったがそれ以上文句は言わなかった。サドマとダーラクは用意された船でその日のうちにネゲヴの東へと向かっていった。
その日の夜、竜也からの呼び出しを受けてヤスミンが総司令部を訪れた。
「ヤスミンさん、久しぶりです」
「久しぶり。これ、頼まれたやつ」
竜也は「ありがとうございます」とその荷物を受け取った。
「そんな物何に使うの?」
「芝居の衣装の使い道なんて、一つしかないでしょう?」
ヤスミンの質問に、竜也ははぐらかすような物言いでごまかした。
「景気はどうですか?」
「この町に移ってからは劇なんか上演できる状態じゃないわよ。日雇いの仕事だけならいくらでもあるから餓え死にだけはしないだろうけど」
「一座の面々を集めて上演することはできるんですよね」
竜也の問いにヤスミンは戸惑いを見せた。
「劇ならできるけど……劇場はないし、今のこの町じゃお客さんだって集まらないわよ」
「広場で上演してください。入場料は取れませんけど総司令部から支援金を出します。もちろんおひねりを上納しろなんて言いません」
「願ってもない話だけど、一体何のために?」
困惑を深めるヤスミンに構わず竜也はある冊子を差し出す。
「これ、新しい劇の脚本です。『七人の海賊』の合間に上演をすること、それが支援の条件です」
ヤスミンはそのごく薄い脚本に目を通した。劇と言うより寸劇と呼ぶべき長さであり、内容だった。
「タツヤ、これ……」
ヤスミンは思わず竜也をまじまじと見つめる。竜也は明後日の方向を見ながらヤスミンの視線を受け流すべく努めた。
竜也は別途呼び出していた服飾職人に衣装の仕立て直しを指示する。様々な用事を片付けてようやく仕事が終わる頃には時刻は深夜近くになっていた。
仕事を終えた竜也が船の自室へと向かう。そこに待ち構えていたようにファイルーズが姿を現した。
「あれ、どうしたんだ?」
「お休み前に少しお話しできれば、と思いまして。構いませんか?」
「ああ、もちろん」
竜也はファイルーズを自室へと招き入れた。だが、
「タツヤ?」
ベッドに潜り込んでいたラズワルドが目をこすりながら身を起こす。ラズワルドはファイルーズの姿に気が付くと険しい顔で彼女を睨みつけた。一方のファイルーズは笑顔を絶やしていない。ラズワルドは竜也へと視線を向け、
「――」
ラズワルドは驚きに目を見開き、次いでその大きな瞳から涙をこぼしそうになった。ラズワルドは脱兎のごとくにベッドを飛び出し、竜也達の間をすり抜けて走りっていく。
「ラズワルド!」
竜也がその名を呼んで腕を伸ばすがラズワルドを捕まえることはできなかった。竜也は走り去るラズワルドの背中を見送った。
「タツヤ様?」
しばし呆然としていた竜也だがファイルーズに名前を呼ばれて気持ちを取り戻した。
「ラズワルドさんはどうしたのですか?」
ファイルーズの問いに竜也は気まずそうな顔をする。竜也はファイルーズの姿に期待をしたのだ、「またファイルーズを抱けるのではないか」と。そしてラズワルドの姿を見て一瞬思ってしまったのだ――「邪魔だ」と。
「とにかく、ラズワルドを探さないと」
ごまかすように通路にでようとする竜也をファイルーズが「お待ちください」と呼び止めた。
「ラズワルドさんを見つけて、どうするおつもりですか? 何を言うおつもりですか?」
竜也は答えに窮した。そんな竜也にファイルーズが苦笑混じりのため息をつく。
「それではラズワルドさんを見つけても同じことのくり返しになるのではないですか?」
竜也は「いや」と首を振った。
「言うことが判った。ラズワルドは俺の家族だ。それを言わなきゃ、判らせなきゃいけない」
竜也はそう言い残し、ラズワルドを追って歩き出した。
「……さて、どこに行ったのかな」
手提げランプを片手に竜也は船の中を歩いている。歩哨中の牙犬族の女剣士にラズワルドの行方を問い、
「ラズワルドさんなら甲板の方に」
と言うので甲板へと向かう。甲板に上がった竜也は空を見上げた。満月が頂点で輝き、幾億の星が瞬いている。小さな手提げランプを梯子側の台に置いて、竜也は月明かりを頼りにラズワルドを探そうとした。
「タツヤさん」
背後からの声に竜也が振り返ると、カフラがちょうど梯子から甲板に上がってきたところだった。
「どうした?」
と簡潔に答えつつも竜也は左右を見回してラズワルドの姿を探している。その竜也に、
「タツヤさんはファイルーズ様と結婚するつもりですか?」
その唐突な問いに竜也は思わずカフラを凝視する。いつになく真剣なカフラの表情に竜也もまた表情を引き締め、
「ああ、俺はファイルーズと結婚する」
誠心誠意をこめてそう答えた。竜也が今後も皇帝を続けていくにはファイルーズの公私両面の支援が不可欠である。彼女との結婚は政治的にも心情的にももはや逃れ得ない、既定の未来図だった。
「それじゃラズワルドさんはどうするおつもりですか?」
「ラズワルドは俺の家族だ。誰と結婚しようとそれは何も変わらない」
竜也は即答する。ラズワルドのように心が読めるわけではないが、竜也が真摯に答えていることはカフラも疑いはしなかった。
「でも、それじゃラズワルドさんは納得しないと思いますよ?」
カフラの言葉に竜也は反発するように「どうして」と問う。
「タツヤさんとラズワルドさんをつなぐものが気持ちだけで、形が何もないからです。その一方ファイルーズ様とは婚姻という確固とした形で結びつきます。ラズワルドさんからすればタツヤさんを取られたとしか思えないでしょう」
「じゃあどうすれば?」
「ラズワルドさんが家族だという、その結びつきを形にすればいいんです。タツヤさんはその形をラズワルドさんに示してあげられますか?」
カフラの言葉に竜也は首をひねって考え込んだ。
「……養子縁組の戸籍を入れる……杯を交わせば義兄弟」
「お二人が納得できればどんな形式でも構わないと思いますけど、逆に言えばどんな形式でもお二人が納得できなきゃ意味がないですよ?」
竜也は沈黙を余儀なくされる。思いついたどんな形式もラズワルドを納得させる自信はなかったし、竜也自身も納得できるとは言えなかった。
「これならラズワルドさんも納得するだろうって形があるんですけど、聞きたいですか?」
悩む竜也にカフラが悪戯っぽい笑みを見せる。竜也はややためらいつつも「ああ」と頷いた。得意満面になりそうになるのを何とか隠しつつカフラは答えを呈示する。
「ラズワルドさんとも結婚すればいいんです。第二夫人として迎えるんですよ」
「何を言っているんだお前は」
竜也は思わず突っ込んでしまう。竜也の反応にカフラは首を傾げた。
「わたし何かおかしなことを言いましたか?」
「いやおかしいだろう。ファイルーズと結婚してその上さらにラズワルドと結婚するなんて」
カフラはさらに首を傾げつつ、
「以前いた場所は一夫一妻が普通でしたっけ」
「ああ」
「でも、聖杖教みたいに厳格に一夫多妻を禁じる宗教の信徒だったわけじゃないんでしょう? その上ここはネゲヴなんですし、タツヤさんがお二人と結婚したところで何の問題もないと思いますけど」
カフラの言葉に竜也は思わずうなってしまった。
「……こっちじゃ一夫多妻は普通のことだったな」
「ええ。ちょっとでも余裕があるならどんな男性でもすぐに第二夫人、第三夫人を迎えますよ。男性の方が動かなくても女性の方が『もう一人妻がほしい』って言うことも多いですし」
「……そういうもんなの?」
小さくない衝撃を受ける竜也に対し、カフラは当たり前のように頷いた。
「ええ。夫人の多さは男性の甲斐性の証ですし、夫人が多い方が家事や育児で協力できますから」
そういうもんなのか……と驚嘆する竜也。竜也はこの世界にやってきて間もなく三年になるが、今回受けたカルチャーショックは最大級のものだった。
カフラは竜也のすぐ側までやってきて、さらに触れんばかりに顔を近づけて「どうですか、この案は」と一押しする。竜也は「いや、でも……」と後退った。
「これ以外にラズワルドさんを納得させる方法があるんですか? 今のままじゃあの子は絶対に納得なんかしませんよ。刃傷沙汰になるとか、あの恩寵を使って陰謀を企むとか、何かろくでもないことになりかねません」
竜也にもカフラの言葉は否定できない。ラズワルドが敵に対して容赦ないことは竜也が一番よく知る話だった。
答えに窮する竜也を見、カフラは若干の距離を取って苦笑を見せた。
「ラズワルドさんが成人するまでまだ二年くらいがあります。『今すぐ決めなくてもいいだろう』って言って時間を稼ぎますか?」
二一世紀の日本の倫理観を捨てられない竜也には重婚を容易には受け入れられない。だがそれに拘らなければ選択肢が広がるのだ。
「……そうだな、そうさせてもらおう」
それは問題の先送りでありまさしく時間稼ぎに過ぎない。だが今のラズワルドに必要なのはその時間だと竜也は判断している。そして誰より竜也自身がその時間を必要としていた。
問題解決への光明が見つかり、竜也は安堵の微笑みを見せる。その竜也にカフラが身をすり寄せた。
「ところでタツヤさん、第三夫人の座は空いてませんか?」
「ぃいえぇ?!」
と目を白黒させる竜也に構わず、カフラはさらに自分の胸を竜也へと押し付ける。柔らかくも生々しい感触が竜也の胸を高鳴らせた。竜也は思わず生唾を飲み込む。
「くっつきすぎ」
突然背後からラズワルドが現れ、竜也とカフラの間に強引に身を割り込ませた。
「一体いつから、どこから話を聞いて」
と竜也が問うがラズワルドは、
「いつからも何もタツヤが来る前からここに隠れてて、二人の話を最初から聞いていた」
とは答えなかった。ラズワルドはタツヤにしがみつきながら敵意に満ちた目をカフラへと向ける。
「第一夫人は我慢するとしても第三夫人なんか認めない」
一方のカフラは余裕を持ってそれを受け流した。
「ラズワルドさんが第二夫人になれるよう力を貸してあげたじゃないですか。その上第三夫人でいいって言っているのに」
「わたしのためじゃなく、全部自分のため」
「ええ、もちろんそうですよ?」
悪びれもせず胸を張るカフラ。ラズワルドとカフラの諍いを竜也は唖然と眺めている。そこに、
「タツヤ様」
かけられた声に背後を振り返れば、そこにはファイルーズが佇んでいた。
「ラズワルドさんとカフラさんを夫人として迎えるおつもりですか?」
「いやそんなつもりはないこともないけどでもラズワルドが成人するまであと二年でカフラとはすぐに結婚できるとしてもさすがにそこまで節操がないのは」
混乱しつつ言い訳する竜也をファイルーズが「落ち着いてください」と軽く叱る。竜也は口をつぐみ、そのまま気持ちの整理に努めた。
少しの時間を置いて竜也が、
「……ええっと、カフラのことはともかくラズワルドのことだけど」
「わたし、第一夫人の座は譲りませんわよ?」
ファイルーズは断固たる口調でそう宣言した。一方の竜也は戸惑う。
「それじゃ、第二夫人や第三夫人にする分には構わないのか?」
「王者の義務は血統を確実に後世へと残すこと、そのためなら何人か側室を持つのもやむを得ないことと心得ています」
そういうもんなのか、と竜也は感嘆する。いつの間にか二人の諍いは中断しており、ラズワルドは面白くなさそうな様子で、カフラは期待を込めた目を竜也へと向けていた。
「ですがもちろん」
ファイルーズは微笑みを絶やさないままに、妙に威圧感だけ増して宣告する。
「節度は守ってくださいね?」
「それはもちろんです」
竜也は直立不動でそう返答するしかなかった。
……船内へと続く入口にはミカとサフィールが身を隠していて、それぞれ複雑そうな表情で竜也とファイルーズ達の様子を見つめていた。だが竜也がそれを知る由もない。
数日後、シマヌの月も中旬のその日。サフィナ=クロイの中央広場の一角。
その日ヤスミン一座による「七人の海賊」の上演が開始されており、大勢の観客が立ち見で観劇をしている。フードを被って顔を隠した竜也とラズワルドが、広場の片隅からその様子を見守っていた。舞台上では、エレブの海賊を撃退して平和になったヌビアの村からグルゴレット達が去っていくところだった。グルゴレット達を見送る村人達、そして終劇。
その時いきなり太鼓が鳴らされ、劇が終わったと思っていた観客の度肝を抜いた。
『これは劇ではない!』
唖然とする観客が見守る中、舞台上ではある劇が展開されていた。
『いやー!』『助けてー!』
エレブの兵士がどこかの市民を襲っている。それに被さるナレーション。
『エレブを発した百万の聖槌軍はルサディルを襲撃。何の罪もないルサディル市民が多数殺され、街角は死体で埋め尽くされた……』
舞台上ではルサディル市民の生き残りが『ああ、どうしてこんなことに!』と嘆いている。
『百万の大軍を阻む物は何もない。このままではネゲヴ全土が聖槌軍に蹂躙されてしまう――だが!』
舞台上に一人の少年が姿を現した。少年は人差し指を立てた手を高々と掲げる。
『一年だ。一年で奴等を、百万の聖槌軍を倒す!』
『一年!? 馬鹿な、そんなことができるはずもない!』
ナレーターが少年の言葉をそう否定する。だが少年が言葉を変えることはなかった。
『できる! 一年で奴等を倒すことはできる! この俺が約束する!』
『お前は一体何者だというのか?』
『俺は皇帝クロイ! 聖槌軍と戦うために太陽神より使わされた、黒き竜の化身!』
『そうだ!』
『皇帝クロイの言う通りだ!』
舞台上の少年の周囲に、戦士が集まってくる。
『何だ、このただものではない戦士達は?! あなた達は何者なのか?!』
『俺はガイル=ラベク! 青鯱族の戦士にして髑髏船団首領なり!』
『おお、あなたがあの海の覇王ガイル=ラベク!』
『俺達髑髏船団は皇帝クロイに雇われた。俺達は皇帝クロイと共に戦う!』
『我が名はサドマ! 金獅子族随一の戦士なり!』
『俺はダーラク! 赤虎族のダーラクとは俺のことだ!』
『俺達は皇帝クロイと共に戦う!』
『おお、金獅子族と赤虎族が力を合わせている!』
さらにマグド・アミール・ダールが名乗りを上げ、皇帝クロイへの協力を宣言した。
『聖槌軍は既にキルタまで来ている。ここまでやってくるのももうすぐだ』
皇帝クロイ役の少年が観客へと向き直る。
『聖槌軍と戦うためにネゲヴが一つにならなければならない! 戦える者は槍を手に! 金があるのなら公債を! 皇帝クロイと総司令部は皆の協力を待っている!』
役者が一礼し、その寸劇が終了。それと同時に一座の者がチラシを観客に配り出した。チラシに書かれているのは、志願兵受付のお知らせと戦時公債販売のお知らせである。チラシは順調に受け取られているようだった。
寸劇を見守っていた竜也がラズワルドに訊ねる。
「……どうだ?」
「面白かった」
竜也はずっこけそうになった。
「いや、そうじゃなくて。観客の反応を知りたいんだが」
少しの間を置き、ラズワルドが答えた。
「……反発はほとんどない。戸惑いが多い、共感が少し」
その調査結果に竜也は「まあ、そんなものか」と呟いた。
「思ったよりも悪くないようだし、他の町でも上演させるか」
竜也とラズワルドは総司令部への帰路に着いた。
さらにその数日後、サフィナ=クロイの大通り
「おい、あれ……」
「すげえな、どこの軍だ?」
民衆の視線を集めているのは、数十騎の騎馬隊である。騎馬隊の中心となっているのはバルゼル率いる独裁官警護隊だ。バルゼル達はだんだら模様の黒い陣羽織を揃いで着ており、特異な空気と迫力を醸し出している。そしてバルゼル達の中心に、黒い衣装で身を固めた一人の騎士の姿があった。
その騎士が着ているのは、黒を基調とした衣装に金銀の飾りを付けた物である。さらには黒いマントを羽織り、角の付いた黒い兜を被っている。それは中世ヨーロッパ風の騎士装束にアラビア風味を加味したような、この世界としても幻想的な衣装だった。民衆のうちの何人かはその衣装にどこか見覚えがあったに違いない。多少仕立て直されているが、それはヤスミン達の「カリシロ城の花嫁」の中で敵役のカリシロ国宰相が着ていた、芝居用の衣装だった。
その騎馬の一団はナハル川の防衛線へと向かう。川岸では数百名の兵士が訓練を中断し、整列して騎馬の一団を出迎えた。整列し、沈黙を保つ兵士の前へと、黒い騎士が騎乗したまま進み出る。黒い騎士は人差し指を立てた手を高々と掲げ、
「――一年だ!」
兵士全員に力強く宣言した。
「百万の聖槌軍を一年で壊滅させる! 勝つための算段は充分に立てている、諸君は上官の命令を良く聞いて勇を奮ってほしい! 諸君の奮戦に期待している!」
感嘆が音もなく、波のように広がった。
「おおっっ! 勝つぞ!」
誰かが感極まったようにそう叫び、「そうだ!」「勝つぞ!」「皆殺しにしてやる!」等の声があちこちから上がる。さらに「皇帝クロイ(インペラトル=クロイ)!」「黒き竜(シャホル=ドラコス)!」の呼びかけが。やがて呼びかけは「皇帝クロイ」に統一された。
「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」
兵士達の連呼に、黒い騎士――竜也が手を掲げて応える。兵士達もまた人差し指を立てた手を掲げ、突き上げる。「皇帝クロイ」の連呼は思いがけず長い時間続くこととなった。
閲兵を終えた竜也達が総司令部のあるゲフェンの丘に戻ってきた。竜也は真っ直ぐに船へと向かい、兜を被ったまま自室へと駆け込んでいく。自室に入って扉を閉ざした竜也は、
「暑い!」
と兜を脱ぎ捨てた。「暑い、暑い」と言いながら破り捨てるような勢いで黒装束を脱いでいく。服を全部脱ぎ、下着だけの姿になってようやく人心地ついた。
「タツヤ様」
ノックと共に、扉の外からファイルーズが呼びかける。「ああ、入ってくれ」と竜也が応えると、水差しを持ったファイルーズが入ってきた。
「タツヤ様、これを」
竜也はファイルーズからよく冷えた水を受け取り、それを一気に飲み干す。竜也は生き返ったような気分になった。
「ああ、助かった。ありがとう」
「お気になさらず」
竜也はベッドに腰かけて休息した。ファイルーズはその向かいに立っている。
「水を持っていかなかったのは失敗だったな。衣装ももう少し考えないと」
一人でそんな反省会を開いている竜也に、ファイルーズが訊ねる。
「今日の閲兵式はいかがでしたか?」
「最初としては上出来だろう。これを小まめにくり返せば兵士には皇帝の権威を浸透させられると思う」
竜也は閲兵式に際して何人ものサクラを用意し、兵士の間に仕込んでいたのだ。兵士のほとんどは「皇帝って何?」と思いながら「皇帝クロイ」を連呼していたに違いない。
「太陽神殿の方でも宣伝を頼む。『皇帝クロイ』と、志願兵受付と、戦時公債販売と」
「心得ております。手はずは整っておりますわ」
竜也はベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めた。
「ああ、恥ずかしい……皇帝って因業な商売だよな、こんな恥ずかしいことに耐えなきゃいけないなんて」
そんな愚痴を漏らす竜也を、ファイルーズが優しく見守っている。
竜也は二一世紀の日本という民主主義社会で生まれ育ち、ごく健全な精神を培ってきた。どこかの共産主義国家の将軍様のような恥ずかしげもない自己宣伝や自己神格化など、竜也の神経には本来耐え難いことである。
だが、民衆や兵士の不満を放置しておけば戦争遂行すら危うくなることを、竜也は今回の暴動から学んでいた。ならば羞恥心は少しの間脇に置いておいて、自己宣伝で民衆と兵士の支持を得る他ない。
「仕方がありません。民衆というのは愚かで度し難いものなのですから。簡単な言葉、単純なお芝居でなければ彼等は理解できません。民衆は動かせないのです」
ファイルーズの辛辣な言葉に内心で反発を抱きながらも、竜也はそれを否定できなかった。長年教育を受け続け、高度に情報化された二一世紀の日本ですら、民衆がどれだけ賢い存在であるかには疑問符が付く。教育も情報化も絶望的な水準のこの世界の民衆がどの程度なのかは、推して知るべしである。
「お芝居……お芝居か」
思えば竜也が最初に身を立てたのはヤスミン一座の芝居の脚本を書くようになったからだ。自分の書いた劇に端役で出演したこともある。
「……そうだな、やってることはあまり変わらない。そう考えれば少しは気が楽か」
この世界、三大陸を舞台とし、歴史という脚本を執筆し、その劇に出演する。演じる役は黒き竜の化身、ネゲヴの皇帝だ。
「恥じ入る必要はありませんわ。タツヤ様が黒竜の化身たる御身であることは紛れもない事実なのですから――わたしが太陽神の末裔であるのと同じように」
ファイルーズが優しく微笑みながらささやくようにそう言う。竜也は目を見開いてファイルーズを見つめた。
竜也から見ればそれは単に「そういう設定」に過ぎない。ケムト王家が太陽神の血を引いている――それはセルケト王朝が自らの権威付けに作り出した幻想である。だがセルケト王朝は四千年もの間「それが事実である」と主張し、そのように振る舞い続けてきた。この結果ネゲヴの民衆にとってセルケト王朝が太陽神の末裔であることは、議論の余地もない確固たる事実となっている。
「黒き竜」はただの子供の頃の思いつきの、脳内設定に過ぎない。だが竜也はこれから一生涯を懸けて「自分は黒き竜の化身だ」と主張し、そのように振る舞い続けるのだ。竜也だけではなく、竜也の子供も、その孫も、千年万年とそれを続けていく。ネゲヴの民にとってそれが議論の必要もない、確固たる事実となるまで。
「……ああ。その通りだ。俺は『黒き竜』だ」
竜也は万感の思いを込めてそう頷いた。