「黄金の帝国」・会盟篇
第二八話「黒竜の旗」
ときはシマヌの月(第三月)の月末。
東ネゲヴの町を回っていたサドマやダーラクがサフィナ=クロイに戻ってきた。竜也は二人を出迎える。
「まさかこんなに早く戻ってくるなんて」
と驚く竜也に、
「敵が来る前に戻らないと戦えないだろうが」
とダーラク。
「口で言っても判らない愚物ばかりだったからな。いっそ自分の目で現状を見てもらおうと強引にこっちに連れてきた」
とサドマ。サドマ達二人の背後には何十人もの東ネゲヴ諸都市の長老や有力者が途方に暮れたような顔で棒のように立っている。
「後の説得は任せた」
と二人は声を揃える。竜也は肩をすくめてそれを引き受けた。
「敵の先陣は既にハドゥルメトゥムを通過しています。敵の姿をこの目で確かめるために今日にでも船を出すつもりにしているんですが、それに同行してもらいましょう」
偵察団には竜也やアミール・ダールとその配下の部隊長の他、トズルからマグド達も呼んで参加してもらう予定になっている。竜也は東ネゲヴ諸都市の長老も含めて偵察団を再編成。五隻の軍船による偵察団はサフィナ=クロイを出港、一路北へと進路を取った。
そして月がダムジの月(第四月)に入る頃。
五隻の偵察団は、ハドゥルメトゥムとスファチェの間の海岸に沿って洋上を移動している。海岸から数百メートル沖合を進む船。海岸沿いの街道に蠢く兵士の姿を、船の上からでも確認することが出来た。
「あれが先鋒か。とうとうこんなところまで来たのか」
竜也は望遠鏡を握り締める。手の中で望遠鏡が軋みを上げた。
「敵数はどれくらいだ?」
「ここからでは何とも言えんな。見える範囲だけならせいぜい数千か」
竜也達の船はさらに北上する。どこまで北上しても、街道上は敵兵の姿で埋まっていた。竜也達は適当なところで偵察を切り上げ、進路を南へと戻した。
「……今日見た敵は、大軍が移動しているように思えただろうがせいぜい数万だ。本当に、あれの二〇倍三〇倍の敵がやってくるって言うのか?」
マグドの問いに、
「ああ。やってくるぞ」
と答えるのはガイル=ラベクである。
「西ネゲヴは聖槌軍の兵士に埋め尽くされていた。奴等は飛蝗の群れみたいに何もかもを食い尽くしながら東へと移動していた」
マグドやアミール・ダール、竜也もそれ以上何も言えないまま、陸地を見つめ続ける。軍船はスファチェの港を目指し、風を切り裂き洋上を進んでいた。
その翌々日、他の船は一足先にサフィナ=クロイへと戻させ、竜也達を乗せた船は一隻でスファチェの北に接岸。竜也はアミール・ダールやマグド、護衛の兵士を連れて、馬で街道を移動する。やがて竜也達の馬は街道を外れ、草原の中に入っていった。
「地図で見るともうすぐのはずなんだが」
そう言っていた竜也は慌てて馬を急停止させた。わずかに小高くなった緩やかな丘を乗り越えると、その直後に不意に草原が途切れていたのだ。そこにあるのは東西へと延びる、巨大な大地の裂け目だった。
「これが北の谷……」
と竜也は感嘆する。それはアミール・ダールやマグドにしても同様だ。その渓谷の長さは約五スタディア、幅と深さは半スタディアはあるだろう。
「確かにこの谷は『罠に使ってください』と言わんばかりだ。戦場に最適のこの草原の真ん中にいきなり広がっている」
とマグドはにやりと笑う。一方アミール・ダールは難しい顔で周囲の地形を確認した。
「だが、これだけの渓谷は隠そうと思っても隠せるものではない」
「でも、街道にも近い。何か使えないか考えたくなりますね」
竜也は地図と周囲の地形を比較し、無言のまま検討する。アミール・ダールとマグドは馬で渓谷の周囲を回りながら、この谷を使って戦う方法を色々と討議しているようだった。
「……駄目だ。いい作戦が思い浮かばない」
「敵が同数や倍くらいなら戦いようや使いようはあると思うんだが」
アミール・ダール達は残念そうにそう言う。竜也は淡々と彼等に告げた。
「先々何かに使えるかも知れません。こういう谷がここにあることは頭の片隅に覚えておきましょう」
竜也は視察をそう結論づけ、船へと戻る。竜也達を乗せた船はサフィナ=クロイへの帰路に着いた。
ダムジの月の上旬。サフィナ=クロイの総司令部には、ソロモン盟約に加盟している東ネゲヴ諸都市の長老・西ネゲヴ避難民代表・バール人商会連盟代表等が。アミール・ダールやマグド、ガイル=ラベク等の軍首脳部が、一堂に会していた。サドマ達が強引に連れてきた東ネゲヴ諸都市の長老や有力者もオブザーバーとしてその会合に加わっている。
「――百万の聖槌軍がこの町を目指して東進していることはよく理解してもらえたと思う。これと戦い勝利する、ネゲヴに平和を取り戻す。そのためには、ネゲヴの力を一つに結集することが必要だ。一人でも多くの人の、一つでも多くの町の、全面協力が不可欠なんだ」
竜也はその場の全員に自分への協力を、皇帝への忠誠を、ソロモン盟約への遵守を改めて要請する。内心では竜也に反発する者、負担から逃れようとする者も少なくはない。だが聖槌軍はもう目と鼻の先まで接近しているのだ。この期に及んで竜也に敵対する者は一人もいなかった。
「ついでだから、ソロモン盟約の手直しと改訂をやっておこう」
と竜也はさりげなく盟約条文の追加修正を行った。
「独裁官クロイ・タツヤに対し『皇帝』の称号を使用する」
「この軍をヌビア軍を称する」
この二点が最大の追加点である。独裁官の官職名はまだ廃されていないが、皇帝の称号はこれで公式のものとなったのだ。また、これまで「南(ネゲヴ)」という普通名詞で呼ばれていた地域名を「ヌビア」と改称、ネゲヴ軍はヌビア軍と改められた。他の大きな追加点には、元老院の設置が挙げられる。
「ソロモン盟約条項の追加・修正を審議し、採否を決定する機関として元老院を設置する。盟約の現加盟者が元老院を構成する」
元老院は元の世界であれば議会や国会に相当する機関である。一足飛びにはそうはならないが、将来的にはそうなるだろうことを企図して竜也は元老院を設置した。竜也による国家建設・政府建設は少しずつ進んでいく。
「この際だから、今まで曖昧だった各人の役職や権限、組織関係も明確にしておく」
竜也は総司令部の主要人事辞令を発令した。
独裁官(皇帝) クロイ・タツヤ(マゴル)
第一皇妃 ファイルーズ(メン=ネフェル出身)
改訂後のソロモン盟約でも、竜也の役職は正式には独裁官である。
「聖杖教の聖典の中では『皇帝』がヌビアの支配者になっているから、『皇帝』を名乗ることが聖槌軍をサフィナ=クロイに引きつける作戦上有効だから、そう名乗っているに過ぎないんだ。これは作戦の一環なんだ」
何者に対するものかは不明だが、竜也は内心でそんな言い訳をし続けていた。
竜也とファイルーズの関係はこれまでも別に隠されていたわけではなく、知る者は当たり前に知っている公然の事実だった。が、今回の発表をもって初めて二人の結婚が公式に明らかにされたのだ。
皇妃は現状一人、第二以下は未定である。
「わたしが第二皇妃。第一はもう仕方ないから認めるけど、これは絶対譲らない」
「はい、構いませんよー。でも第三の座はもらいますからねー」
ラズワルドとカフラが食堂の中央で言い合っているのを、ファイルーズは「あらあら」と微笑ましそうに眺めている。
元の世界であれば、キリスト教下のヨーロッパは言うまでもなく中国でも正式な皇妃(皇后)は一人だけである。それ以外の寵妃は側室であったり、皇后より一段下の扱いとなる。だがヌビアでは「第二以下も正式・公式の皇妃」という扱いになる(という予定である)。
「帝位継承権は年齢にかかわらずわたしが産んだ子供を最優先としますね?」
にこやかながらも断固としてそう主張するファイルーズ。ラズワルドとカフラはその要求をすんなりと受け入れた。
「帝位継承の問題があるから皇妃に序列をつけなきゃいけない、それは判りますし、認めます」
カフラの言葉にラズワルドは無言で頷いて同意する。
「正直言うと、わたしは皇妃の座なんてあってもなくてもいいんです。タツヤさんが他の子に負けないくらいにわたしのことを可愛がってくれるなら」
とカフラは花が咲くような笑顔を見せた。ファイルーズは「あらあら」と微笑むがその目は笑っていないし、ラズワルドは目に見えて不機嫌な様子でカフラを睨んでいる。カフラは輝くばかりの笑顔を盾とし、その視線を跳ね返した。
ファイルーズ達が笑顔のままで(一人は違うが)不穏な対峙をしている様子を、ミカとサフィールはどこか羨ましげに眺めている。なおその場には竜也も同席していて一連のやりとり全てを耳にしているのだが、竜也はそれらを一切聞かなかったことにした。
続いては帝国府総司令部の文官の人事である。
財務総監 アアドル(バール人)
財務総監補佐 カゴール(バール人)
内務総監 ジルジス(レプティス=マグナ出身)
内務総監補佐 ラフマン(ハドゥルメトゥム出身)
帝都建設総監 バリア(アシュー?)
帝都建設総監補佐 サーメト(ウティカ出身)
東ヌビア総監 ユースフ(カルト=ハダシュト出身)
司法総監 ハカム(白兎族)
司法総監補佐 シャヒード(白兎族)
総司令部は今回を機に正式名称を「帝国府」総司令部と改称された。非常時軍事政権としての印象を弱め、より正式な・恒常的な政府組織としての印象を強めることを目的としている。が、一般には略称「総司令部」で通っている。
財務総監は総司令部の財政全般を担当する。帝都建設総監はサフィナ=クロイの都市整備を担当。東ヌビア総監は東ヌビア自治都市の監督・各都市との交渉・都市間の問題調停等その他全般を担当する。司法総監はサフィナ=クロイの司法担当。内務総監はその他の事務仕事全ての担当である。
「何故アアドルさん達を大臣としないんですか?」
「今から大臣にしていたら先々出世させる余地がなくなるじゃないか」
カフラの疑問に竜也はそう答えた。
書記官 ハーキム(鹿角族)
書記官 ミカ(エジオン=ゲベル出身)
書記官 カフラマーン(バール人)
書記官 サフィール(牙犬族)
書記官 コハブ=ハマー(エジオン=ゲベル出身)
書記官 イネニ(メン=ネフェル出身)
書記官とは、秘書官・側近にちょっと気取った名前を付けただけで、実質は今までと何も変わらない。その筆頭が上記の六人である。
兵站担当官を兼務するコハブ=ハマーはアミール・ダールの五男である。竜也より少し年上の、神経質そうな線の細い青年だ。ミカはコハブ=ハマーを補佐して兵站にも関わるし、竜也に軍事全般の助言をする。イネニはケムトからやってきた官僚の一人で、都市整備や民政に一家言を持っている。
続いて外交面を担当する文官である。
エレブ方面渉外担当官 ムハンマド・ルワータ(バール系)
ケムト方面渉外担当官 ウニ(メン=ネフェル出身)
聖槌軍渉外担当官 イムホテプ(メン=ネフェル出身)
この三方面のどこに対しても竜也はまともな外交関係を持っていないので、彼等の仕事は主には情報収集、次いで謀略や工作となる。
他には、
技術顧問 ガリーブ(アラエ=フィレノールム出身)
技術顧問補佐 ザキィ(スキラ出身)
造船総監 カーエド(バール人)
このようなメンバーが文官として挙げられている。
続いては武官である。まず竜也直轄の独裁官警護隊は名称を「近衛隊」と改称した。名実共に竜也の親衛隊としての地位を確立。軍の中でも特別の位置を占めることとなる。
近衛隊隊長 バルゼル(牙犬族)
近衛隊副隊長 ボリース(牙犬族)
近衛隊 ベラ=ラフマ(白兎族)
近衛隊 ラキーブ(白兎族)
サフィールは書記官と近衛隊を兼務。近衛隊のほとんどは牙犬族の剣士だが、一部別の部族の人間も含まれている。
「何であなたが近衛隊に?」
「皇帝の側に仕えるにはこの役職が最も適切ですので」
竜也の問いにしれっと答えるベラ=ラフマ。元々ベラ=ラフマは誰にも深く気にされることなく影のように竜也の側に侍っていたが、その立場を公認のものとしたのである。
他には、
帝都治安警備隊隊長 アラッド・ジューベイ(牙犬族)
帝都治安警備隊副隊長 ラサース(牙犬族)
近衛隊・治安警備隊は武官だが陸軍とは別管轄だ。普段はそれぞれ独立した地位を持つが、非常時には治安警備隊は近衛隊の指揮下に入ることになっている。
続いては陸軍の人事。
陸軍総司令官・ナハル川方面軍総司令官 アミール・ダール(エジオン=ゲベル出身)
ナハル川方面軍副司令官 サブル(キルタ出身)
ナハル川方面軍副司令官 バースイット(エジオン=ゲベル出身)
ナハル川方面軍総司令官補佐 ツェデク(エジオン=ゲベル出身)
アミール・ダールは陸軍全体の責任者とナハル川方面の責任者を兼務する。副司令官の一方のサブルは建軍当初からの参加者の一人である。有名な傭兵団を運営する、歴戦の戦士だ。もう一方のバースイットは、アミール・ダールと共にエジオン=ゲベルからやってきたメンバーである。長年アミール・ダールの右腕として、女房役として、アシューの戦場を共に駆け回ってきた。ツェデクはアミール・ダールの四男で、総司令官の秘書役である。
ナハル川方面軍は一軍団の定員を九千として一二の軍団に分けられている。
ナハル川方面軍第一軍団軍団長 セアラー・ナメル(赤虎族)
ナハル川方面軍第二軍団軍団長 アゴール(鉄牛族)
ナハル川方面軍第三軍団軍団長 イフテラーム(土犀族)
ナハル川方面軍第四軍団軍団長 ガダブ(大鷲族)
ナハル川方面軍第五軍団軍団長 トゥウィガ(麒麟族)
ナハル川方面軍第六軍団軍団長 マアディーム(エジオン=ゲベル出身)
ナハル川方面軍第七軍団軍団長 ノガ(エジオン=ゲベル出身)
ナハル川方面軍第八軍団軍団長 ハルクフ(イムティ=バホ出身)
ナハル川方面軍第九軍団軍団長 ディカオン(プラタイア出身)
ナハル川方面軍第十軍団軍団長 タフジール(スファチェ出身)
ナハル川方面軍第十一軍団軍団長 イステカーマ(イコシウム出身)
ナハル川方面軍第十二軍団軍団長 タハッディ(レス=アンダルーセス出身)
ナハル川方面軍第一工作部隊隊長 ソルヘファー(シジュリ出身)
ナハル川方面軍第二工作部隊隊長 テムサーフ(サブラタ出身)
ナハル川方面軍第三工作部隊隊長 ヤラハ(エジオン=ゲベル出身)
ザウグ島防御指揮官 ジャッバール(サルダエ出身)
ザウガ島防御指揮官 ムァッキール(エウヘウペリデス出身)
ナハル川方面軍水軍司令官 ケルシュ(青鯱族)
もっとも定員を満たしている部隊はまだ一つもなく、どこも兵数は七千から八千程度である。
第一軍団から第五軍団までの軍団長は恩寵の部族からの選出。そこに属する兵士も恩寵の民が中核となっている。ナハル川方面軍で最も戦闘力のある軍団だ。
第六軍団のマアディーム・第七軍団のノガは、アミール・ダールの長男と三男。第八軍団のハルクフはケムトから戦列に加わった将軍で、第九軍団から第十二軍団の軍団長はネゲヴ各地の有名な傭兵団団長達である。ナハル川に浮かぶ二つの小島、ザウグ島とザウガ島にも各千人の兵を配置し、傭兵団から指揮官を任命している。
第一から第三までの工作隊は補助兵で、原則は戦闘の矢面に立たない。兵站・輸送・要塞修復等に従事してもらうことなる。第三工作部隊隊長のヤラハはアミール・ダールの長女である。
また、アミール・ダールは渡河途中の敵を攻撃するためにナハル川方面にも水軍を設置することを竜也に要請。それを受けた竜也はガイル=ラベクに艦隊の一部を分けてもらえるよう依頼する。こうして、ケルシュという髑髏船団幹部の一人がその艦隊と共にアミール・ダールの旗下に配属されることとなった。
続いてトズル方面の部隊。
陸軍副司令官・トズル方面軍軍団長 マグド(アシュケロン出身)
トズル方面軍副軍団長 シャガァ(アシュケロン出身)
トズル方面軍軍団長補佐 ライル(テダン出身)
マグドは陸軍副司令官とトズル方面軍軍団長を兼務する。マグド配下の兵は八千。中核となっているのは解放された戦争奴隷で、「奴隷軍団」の異名を誇っている。シャガァは長年にわたってマグドと共にアシューの戦場で戦ってきたマグドの右腕だ。軍団長補佐のライルはマグドの秘書官扱いである。
防衛についてはこれらの軍が担うことになっている。攻撃を受け持つことになるのは以下の部隊である。
第一騎兵隊隊長 サドマ(金獅子族)
第二騎兵隊隊長 ダーラク(赤虎族)
第三騎兵隊隊長 ビガスース(人馬族)
第四騎兵隊隊長 カントール(人馬族)
第五騎兵隊隊長 シャブタイ(エジオン=ゲベル出身)
騎兵隊は一隊五千の騎兵のみという編成だ。交代でナハル川の西に送り込まれ、聖槌軍に対する焦土作戦や攪乱、嫌がらせの攻撃等に従事することになる。この時点でも西ヌビアで活動中の遊撃部隊もいずれは再編成してこれらの騎兵隊に組み込まれる予定である。第一から第四までの騎兵隊は恩寵の民の戦士が中核となっている。第五騎兵隊隊長のシャブタイはアミール・ダールの次男だ。
最後に海軍の人事である。
海軍総司令官 ガイル=ラベク(青鯱族)
海軍副司令官 ハーディ(バール系)
第一艦隊司令官 フィシィー(胡狼族)
第二艦隊司令官 ムゼー(テル=エル=レタベ出身)
第三艦隊司令官 モタガトレス(巨鯨族)
第四艦隊司令官 ナシート(オエア出身)
第五艦隊司令官 ザイナブ(アポロニア出身)
第六艦隊司令官 イーマーン(リクスス出身)
輸送艦隊司令官 ジャマル(グヌグ出身)
伝令艦隊司令官 ノーラス(キュレネ出身)
海軍は集められた海上傭兵団を中心に六つの艦隊に編成された。一つの艦隊につき所属する軍船は十数隻。総司令官のガイル=ラベク、副司令官のハーディは髑髏船団の所属。他の司令官もヌビア各地の有名な海上傭兵団の団長ばかりだ。百万の軍勢を養うには到底足りないが、聖槌軍に対するエレブ本国からの補給が皆無というわけではない。彼等の役目はその補給の遮断、連絡の妨害等である。
また、輸送船と伝令用の高速船のみで二つの艦隊が編成され、それぞれの任務に当たっている。海軍には東西ヌビアの全ての海上傭兵団が参加しており、その艦数・戦力を誇っていた。
これら陸海軍の主要人事の一覧を見せられ、感嘆しなかった者は一人もいなかったと言われている。
「よくもまあ、たった三ヶ月でこれだけの面子を……」
そこに名前が挙がっているのは子供でも知っているような有名な戦士・傭兵・軍人ばかりである。それはヌビアのオールスターキャストであり、ヌビアの戦力の総結集だった。
ダムジの月の九日。
竜也は集められるだけの陸軍各軍団軍団長・騎兵隊各隊隊長・海軍各艦隊司令官をナハル川南岸に集めた。兵士も揃えられるだけ揃え、上官を先頭に整然と整列させる。整列し、沈黙して待つ将兵の前に、やがてある騎兵の一団が姿を現した。
黒い陣羽織で身を固めた、バルゼル率いる近衛隊。先頭の騎兵は剣を咥えた犬の旗を高々と掲げている。竜也に下賜されたその精悍な旗をバルゼル達は大いに喜び、誇らしげに翻した。
近衛隊に警護されながら、騎乗したアミール・ダールとマグド、ガイル=ラベクが将兵の前を通り過ぎる。アミール・ダールが掲げているのは中央に大きめの丸印・その周囲に少し小さい七つの丸印が配置されるというデザイン。「七人の海賊」の劇中でヌビア村の旗印として使われた「ヌビア村の七輪旗」である。
ノガやその兄はエジオン=ゲベル王家にちなんだ旗を用意していてそれを掲げようとしたのだが、アミール・ダールが許可しなかった。軍内でエジオン=ゲベル出身者が突出し、派閥を作っているように見られることを怖れたためである。
「それではどんな旗を掲げれば?」
「お前達が考えておけ」
アミール・ダールは無理難題を五人の息子達に押し付けた。散々考えて良案が出ず、途方に暮れた息子達はミカ経由で竜也に知恵を借り、竜也が「それなら」と提案したのがヌビア村の七輪旗だったのだ。代案も時間も積極的に反対する理由もなかったこともあり、息子達はその案を受け入れた。
マグド配下の奴隷軍団騎兵隊が掲げているのは、紅蓮の炎と螺旋を描いたドリルが描かれた旗である。その旗を見た兵士の微妙そうな反応に、マグドはため息がもれそうになるのを我慢していた。
ガイル=ラベクに続く騎兵が掲げているのは、竜也に下賜された髑髏の旗だ。緻密でリアルな、恐ろしげな髑髏の図柄に、それを見せられた将兵からは感嘆の声しか聞こえない。
最後に現れたのは、黒い馬に騎乗する皇帝の黒い正装の竜也である。竜也が身にしているのは新たに作成させた正装だが、芝居用の衣装、カリシロ国宰相の衣装を元にデザインされていることには変わりない。ただ絹や本物の金銀が惜しみなく使われており、両者を比べればその差は一目瞭然だった。また通気性も動きやすさも大幅に向上している。
また、新しい衣装では黒い兜をやめており、その代わりに角を模した髪飾りを身にしていた。角は純金製。山羊の角を細く長くしたような形で、後頭部から左右に生えて側頭部の両側で緩やかにカーブを描き、二本の先端が眉間の付近で下を向いている。モデルとなっているのはとある昔の漫画に登場した銀河帝国皇女の角である。
「黒竜の化身」を公称する竜也は、この閲兵式の後はこの角を普段から身に付けたままでいるようになる。
竜也の精悍そうな騎乗姿を将兵が好意的に受け止め、そして竜也に続く馬車に将兵の畏怖の声がさざ波のように広がった。
二頭の馬に引かれた一台の馬車。その荷台にあるのは一〇m程の長さの鉄柱だ。大きな石の台座に固定されているが、念のために力自慢の兵士が二人がかりで支えている。そして、その鉄柱にはある旗が掲げられていた。
旗の大きさは五パッスス四方。七つの首がとぐろを巻いた巨大な黒い竜が、風を受けて身をうねらせている。大勢の職人が丹精込めて縫い上げたタペストリーは、まるで生きているかのような精密な竜の姿を布上に完璧に写し出していた。この世界では誰も見たことがない異形の、だが神秘的な、巨大な獣の姿。誰に説明されるでもなく、兵士達はそれが皇帝の真の姿なのだと理解した。
「黒き竜(シャホル・ドラコス)!!」
「皇帝クロイ(インペラトル・クロイ)!!」
誰かが上げた雄叫びは一瞬で全軍に伝播する。
「黒き竜!」
「皇帝クロイ!」
その呼びかけが竜巻のように巻き起こり、怒濤のように大地を揺らした。数万の兵士が喉を枯らさんばかりに「皇帝クロイ」を連呼する。
「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」
兵士達の連呼に、竜也が人差し指を立てた手を掲げて応える。兵士達もまた人差し指を立てた手を掲げ、突き上げ、歓呼の声を上げた。数万の兵の声は最早物理的に声ではなく、巨大な一頭の獣の咆吼だった。
――黒き竜がついに目覚め、天地に轟く咆吼を上げたのだ。ヌビアの大地を守るために。傲慢なる一神教の神を喰い殺すために。
竜也が催した二回目の閲兵式は概ね竜也の望んだ効果をもたらし、成功裏に閉幕した。だがもちろん、ヌビアの全ての人間が、サフィナ=クロイの全ての人間が竜也に心酔したわけでは決してない。
「――ふん。何が皇帝だ、あんな小僧」
将兵の挙げる歓呼の声が港にも届いている。それを耳にしたギーラは忌々しそうに呟いた。ギーラの乗る船は今まさに港から船出するところである。
あの歓呼は、ヌビア軍の将兵の忠誠は私に向けられるべきものなのに――ギーラはそう信じて疑わない。
「あの場に立っていたのは私だったはずなのだ。私が皇帝と呼ばれていて、この町だって今頃はギーラ=マグナ、あるいはサフィナ=ギーラと呼ばれていて、王女ファイルーズも王女ミカもナーフィア商会のカフラマーンも私の妻となっていて……」
それを単なる妄想とも絵空事とも言い切れはしなかった。ギーラにはそれだけの才覚があり、機会もまた有していたのだから。ただ、ギーラは「その機会を自ら投げ捨てた」という厳然たる事実を未だ理解していない。
「何、旦那はこれからでさ」
ギーラに背後から声をかけるのは小柄な傭兵だ。年齢は五〇代。年齢と同じくらい長い期間戦いを重ねてきたに違いないが、古兵(ふるつわもの)と言うよりはくたびれた老兵といった雰囲気の男だった。
「あんな小僧に戦争の指揮ができるわけがない、いずれは必ず失敗する。そのときこそ旦那の出番ですぜ」
「その通りだ。キヤーナ」
キヤーナという老兵の追従をギーラは真剣に受け止める。
「他の連中は腰抜けの玉なしどもばかりだ、あんな女みたいな小僧に言いように動かされてやがる。だが旦那は違う、あの小僧に対抗できるのは旦那しかいない。あの小僧を忌々しく思っている大勢の者がそう思っているんですぜ?」
「お前に金を払っているのはその連中ということか」
ギーラの確認にキヤーナは卑屈な笑いを見せるだけだ。だが否定はしなかった。
「ケムトの支援がありさえすれば、旦那は必ずあの小僧を追い落とせますぜ」
「そうだ、私は宰相プタハヘテプから今一度支援を受ける。そうして本来私のものだった全てのものを奪い返す……!」
皇帝という、ヌビア全土の支配者の地位。三大陸に名を轟かす将軍や勇猛果敢な恩寵の戦士等の配下。ファイルーズを始めとする若く美しく血筋に優れた妻達。百万の聖槌軍と戦い、これに勝利するという歴史的使命、それに伴う名声。その全ては今は掠め取られているが、正統な所有者はこの自分なのだ――とギーラは心底から確信している。
「全てのものを正統な所有者の元に、そうでなければ正義が実現しない。正義なくして聖槌軍との戦いに勝利はあり得ない」
聖槌軍に「正しく」勝てるのは自分だけなのだと、ギーラは決意と同じくらいに固く拳を握りしめた。
「旦那が皇帝になったならあたしを将軍にしてくれますか?」
「ああ、約束しよう。お前はアミール・ダールの上官の大将軍だ」
キヤーナの要求にギーラは気前よく応える。
「へへっ、期待してますぜ」
ギーラは視線を遠ざかっていくサフィナ=クロイの大地に固定したまま、キヤーナに背を向けたままだ。そのためそのときキヤーナが浮かべていた嗤いを、ギーラは目にすることがなかった。
そして、ダムジの月の一〇日。
「――来たか」
ナハル川に設置された櫓に登った竜也は、対岸を見つめる。
ルサディルの惨劇から四ヶ月、ソロモン盟約締結から三ヶ月余り。この日、聖槌軍先鋒のトルケマダ隊がとうとうスキラに到着した。トルケマダ隊はナハル川北岸に立ち、南の大地を見つめている。
聖槌軍と竜也の軍団が川を挟んで対峙する。両者の激突が、血で血を洗う死闘が始まるのはもう間もなくだった。
*あとがき
ちょうど折り返し地点までやってきました。「会盟篇」はこの二八話で終了、次話から「死闘篇」に突入です。
「死闘篇」は全一一話、週三回更新のペースで進んで11月19日で全部投稿となります。