「黄金の帝国」・死闘篇
第三六話「ザウガ島の戦い」
エエルの月(第六月)の初旬、ガイル=ラベクから竜也の元にある報告書が届けられた。
「ケムトが艦隊を編成して西へと送り出したらしい」
その報告書を読み終えた竜也はそれをベラ=ラフマに手渡す。ベラ=ラフマもまたそれに目を通した。
「……三〇隻の艦隊ですか」
「ああ。それにしても、ケムトの目的が判らない。俺達の援軍のつもりなのか、それとも聖槌軍側に付くのか」
二人の間にわずかばかりの沈黙が流れた。
「ケムトにはイムホテプの部下が送り込まれていますが、しばらく連絡が来ておりません」
「そう言えば『モーゼの杖』を取りに行かせたんだったな」
メン=ネフェルの聖モーゼ教会が所蔵する聖遺物「モーゼの杖」。聖杖教の伝説上の創始者モーゼが使っていたとされる杖であり、聖槌軍にとっては聖戦の目的の一つにもなっている。竜也達はヴェルマンドワ伯ユーグに対する交渉材料の一つとしてこの杖を手に入れようとしていた。
「……ともかく、ケムト艦隊に対する監視と情報収集を。もし彼等が敵に回るようなら提督に撃破してもらわなきゃいけない」
三〇隻のケムト艦隊に対し、ガイル=ラベク麾下のヌビア海軍艦隊は百隻以上を擁している。敵に回っても充分勝てる上に、ケムト艦隊がサフィナ=クロイに到着するまであと一月近くを必要とすることもあって、竜也は彼等の動きにほとんど注意していなかった。
同時期には西ヌビアの動きも報告されている。シジェリの長老がバール人商人に同行しサフィナ=クロイを訪れ、竜也はその長老と面会した。
「難民達が?」
「はい。アドラル山脈や大樹海アーシラトへと逃げていた我が町の民はシジェリへと戻り、復興を始めています」
バール人商人に確認すると、シジェリだけでなく他の町でも同様に復興が始まっているそうである。
「たくましいのは結構だが……」
と竜也は当惑する。
「まだ戦争の真っ最中だし、聖槌軍は六〇万も残っているんだぞ?」
とは言うものの、その六〇万のほとんどはスキラに集中しており西ヌビアは空である。進軍途中で脱落して盗賊となったエレブ兵が万単位で西ヌビアに留まっているが、各自治都市の自警団や以前ダーラク達が結成した遊撃部隊が掃討を進めていた。
「皇帝が約束したお言葉『百万の聖槌軍を皆殺しにする』、我等はそれを信じております。それに、もし敵が引き返してきたとしても今度は戦います。もう二度と逃げません」
そう息巻く長老の言葉に竜也は「そうか」と頬を引きつらせる。それに気付かないまま長老が話を続けた。
「聖槌軍の略奪により我が町には何も残っていません。このままでは多くの民が飢え死にすることになります」
「判った。総司令部から、この町からの何らかの支援を約束する」
竜也の約束を得、その長老は安堵の様子を見せた。
その長老との会見を終え、竜也はジルジス等官僚に指示を出す。
「西ヌビア各町への支援計画を立案しろ。穀物が足りないことはないはずだ」
サフィナ=クロイ南の郊外に並ぶ倉庫を始めとし、東ヌビア各地には竜也が集めさせた数千万アンフォラの穀物が貯蔵されている。このような事態が来ることを誰よりもいち早く見越し、遠くはケムトやアシューから買い集められた穀物である。
「問題はそれよりも」
と執務室に戻った竜也はベラ=ラフマと向かい合う。
「西ヌビアの街道や町に人間が戻っていては、西ヌビアを通して聖槌軍をエレブに帰すわけにはいかなくなった」
「最初から一人として帰すつもりはないのでは?」
とベラ=ラフマが確認する。
「確かにそのつもりだが、事態がどう動くか判らない。ヴェルマンドワ伯と講和して連中が大人しく本当にエレブまで帰ってくれるなら、それだって選択肢の一つだったんだ」
だがそれはもはや過去形だ。今もしそんな講和をすれば、帰国途上の聖槌軍に西ヌビアの民がもう一度蹂躙されることになる。
「――いや、カルト=ハダシュトから船を使ってトリナクリア島に送り返す手もなくはないかも。でもそれだけの船が」
なおトリナクリア島は元の世界のシチリア島に相当する。ぶつぶつと一人検討する竜也にベラ=ラフマが、
「講和については向こうから申し出てきたときに考えればいいのでは? 今は予定を完遂して一人も生かして帰さないことに専念すべきでしょう。さいわい、敵は予定通り順調に数を減らしています」
その言葉に竜也は「まあ、確かに」と頷いた。が、その見通しは大甘だったことを思い知らされる。
エルルの月も中旬となる頃。聖槌軍による渡河作戦が間もなく始まろうとしている――銀狼族を始めとするベラ=ラフマの情報網は数日前からそれを伝えていた。
「今度の作戦ではアンリ・ボケは引っ込んでヴェルマンドワ伯が全軍の指揮を執るらしい」
情報を仕入れてきたディアはそんなことを言っており、竜也はアミール・ダールにもマクドにも充分警戒するよう命じていた。
そしてその攻撃当日。
「……攻めてこないな」
「……どうなっているんだろう」
敵の渡河作戦が開始されたことは水軍の伝令が知らせてきたが、南岸には敵は一人としてやってこなかった。櫓の上で、石壁の上で、敵を待ち受ける南岸の兵士は姿を見せようとしない敵に苛立ちを示している。
「おい、あれ。ザウグ島じゃないのか?」
何百人もの兵士が同時にそれに気が付いた。ナハル川に浮かぶ二つの小島のうち、北岸に近い方のザウグ島。そこから煙が立ち上っている。
それと同時刻、水軍の伝令が「敵が攻撃をザウグ島に集中させている」と知らせてきた。そして半日後にはザウグ島が陥落した事実が知らされた。南岸に集まった十万の将兵は敵に一矢として放つことなく、ザウグ島が陥落するのをただ見守っただけ――それがその日の戦いの全てだった。
その日の夕刻、野戦本部。ザウグ島の要塞には千人の兵が詰めていたが、そこから脱出し生きて南岸にたどり着いたのは一〇人に満たなかった。そのうちの一人が報告のために野戦本部にやってきている。竜也とアミール・ダール、そして各軍団の軍団長を前に、その兵は傷ついた身体を平伏させていた。鎧は未だ川の水に湿り、頭や腕に血の滲んだ包帯を巻いている。
「楽にしてくれ。何があったかを話してほしい」
アミール・ダールの言葉を受け、その兵はザウグ島の戦いについて語り出した。
「……これまでの戦いでは、敵のほとんどはザウグ島を素通りしていました。我々は島の近くを通る敵に矢を放って一方的に殺すだけで、ザウグ島にわざわざ上陸しようとする敵はいなかったのです。ですが今回、敵はザウグ島に押し寄せてきました。矢を使って殺しても殺しても殺してもきりがなく敵がやってきて、ついには矢玉が底を付いて敵の上陸を許してしまいます。
ザウグ島の陥落が免れないと判断した指揮官のジャッバール殿が油を使って島中に火を放ち、兵は各自で脱出させたのです。ですが島全体が何重にも敵に包囲されていました。味方がどんどん敵に殺されていって……私がどうやってあの囲みを突破したのか正直よく覚えておりません」
アミール・ダールが「ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」といたわり、その兵は衛生兵に抱えられるようにして野戦本部を退出する。それを見送っていた軍団長達は、やがて沈鬱な顔を見合わせた。
「……あるいはこういう手で来るかも、とは思っていたが」
「実際にやられると、痛いな」
「ザウグ島にもっと兵を配置すべきだったのか……」
「いや、あの小さい島にこれ以上の兵は置けはしない」
「それに千を二千に増やしたところで、幾万の敵には対抗できんだろう」
「ならば、残ったザウガ島はどうするのだ。敵が同じ手を使えばあの島だって陥落は免れん」
「ザウグ島はジャッバール殿ですら守り切れなかったのだ。ムァッキール殿でザウガ島を守れるとはとても思えん」
ジャッバールは小さいながらも傭兵団を団長として経営してきた実績を持ち、勇猛果敢で知られた人物だった。その一方ムァッキールは、一応元傭兵らしいが実は前歴がよく判らない人物だった。
「何でもいいから閣下と呼ばれる身分に」
と本人が熱心に運動し、西ヌビアと東ヌビアの都市間のせめぎ合いやら派閥工作やらアミール・ダールに対する牽制やらと様々な要因が加わり、気が付いたら指揮官の座が彼の元に転がり込んでいたのである。この人事が公布されたとき、彼を知らない誰もが「ムァッキールって誰?」と、彼を知る誰もが「なんであの男を?」と首をひねったと言われている。
「いっそ、ザウガ島から兵を撤退させれば」
沈黙を守っていたアミール・ダールへと一同の視線が集中する。一同が期待で静まり返る中、アミール・ダールが重々しく口を開いた。
「……ザウガ島からは撤退しない。あの島を守り抜くのだ」
「将軍、理由を訊いてもいいか?」
竜也に質問され、アミール・ダールが説明する。
「我々にとっての勝利は敵が飢えで身動きできなくなることです。既に敵の全軍・六〇万の兵がスキラに集中しており、そしてスキラにはどこからも食糧が入ってきません。これからは時間が我々の味方なのです。敵に無為に一日を使わせ、一日分の食糧を費やさせること、それは大げさに言えば一万の敵兵を屠ることに匹敵する戦果です。時間を稼ぐことこそが我々の戦いなのです」
軍団長達がアミール・ダールの言葉を腑へと落とし込んでいく。勇ましく戦いを仕掛け、華々しい戦果を上げること望む者は軍団長の中にも少なくない。だが彼我戦力差は彼等も嫌と言うほど理解している。積極的に支持する熱意は見られなかったが、アミール・ダールが示した基本方針に反対する者は一人もいなかった。
「……ですが、あのムァッキール殿にザウガ島を守り抜くことができるでしょうか?」
とアミール・ダールの長男のツェデクが疑問を呈し、何人かがそれに同調した。なお、この時点でムァッキールは「胃痛と歯痛と腰痛を併発した」と言い出し、千の兵を置き去りにして一人サフィナ=クロイに戻ってきている。
「あの男のことはもういい、更迭する」
アミール・ダールの煩わしげな断言にその場の全員が無言のまま同意した。だが問題はまだ残っている。
「……それでは、後任は誰を?」
「玉砕覚悟で要塞を死守するなど、ムァッキールでなくても困難だ」
「並の指揮官では兵が逃げ出すのを止められまい」
「しかし、それなら誰が……」
誰かの言葉に、一同は気まずそうに目を伏せる。この場の誰もが自分の武勇、あるいは知略に相応の自負を抱いている。だがそれでもこの過酷な任務を引き受けたいと思う人間は当然ながら一人もいない――ように思われた。
「父上! ムァッキールの後任に俺をザウガ島の指揮官に!」
叫ぶようにそう言いながらアミール・ダールの前に進み出たのはノガである。一同が驚きに目を見張る中、
「判った、ノガ。頼む」
アミール・ダールが即答する。ノガは血走った目をアミール・ダールへと向け、無言で力強く頷いた。
その光景を見守る竜也は何か言おうとして、結局何も言えなかった。アミール・ダールが自分の息子を軍団長に任命していたのはこのような事態を見越してのことなのだから。ツェデク達の軍団長としての能力を信任しているのは間違いないが、決してそれだけではない。他人には任せられない重要な任務のために、あるいは他人に押し付けるには忍びない過酷な任務のために。気心の知れた身内にしか任せられない仕事というのは確かにあるものなのだ。
「――軍団長としてこの場にいるのは俺と兄貴だけ。長男の兄貴ではなく三男の俺が指名されるのは間違いないし、だったら父上から指名される前に自分から手を挙げるのが男ってもんだろ」
ノガは自分に自分でそう言い聞かせた。その上でそれ以上は考えないようにする。考えるべきはエレブ兵とどうやって戦うか、ただそれだけだ。
ノガはザウガ島に連れていく兵を新規に集めることにした。ノガがその日のうちにミカやマアディーム達に依頼する。
「各軍団や補助兵からできるだけ年かさの兵を。それと、兵に志願していながら結局採用されなかった五十歳以上の人間を集めてくれ」
ヌビア軍は「十五歳以上・五十歳以下の男」という条件で兵が集められている。ノガは「若い奴を死なせるのは惜しいから」とできるだけ年かさの兵を集めようとしたのだが、
「お主がノガ殿だな。望み通り死に損ないばかり集めてやったぞ」
数日後、ノガは自分の前に集まった数百人に当惑する。ノガは「五十前後の年代の兵」を想定していたのだが、そこいたのは若くても六十手前、上は八十に届こうかという老兵ばかりだった。
それら老兵を集めたのは金獅子族族長のインフィガル・アリーである。
「確かに明日にもお迎えが来そうな老兵ばかりだが、全員が恩寵を持つ戦士だ。心配せんでもその辺の小僧よりはよほど戦える。軍に志願したのに年齢を理由に採用されなかった連中を、こんなこともあるだろうと集めておいたのだ。心置きなく使い潰してくれればいい」
とインフィガルは胸を張る。兵を集めるのにこれ以上時間を使うこともできず、ノガはその老兵軍団を率いるしかなかった。
そして翌日、ノガ率いる老兵軍団がザウガ島へと赴くために南岸に集まっている。竜也、アミール・ダール、ミカを始めとするノガの兄弟、ノガの部下、サドマ等各部族の者等、大勢が見送りに来ていた。
「兄上……」
とミカが涙し、竜也は思わずその肩を抱いていた。
「皇帝タツヤ、妹を頼む」
とノガに言われ、条件反射で頷く。
一方インフィガル・アリーは見送りに来ていたサドマに闊達に笑いながら告げる。
「族長の地位は貴様に任せる。今日からお前がサドマ=アリーで、儂はただのインフィガルだ」
「……判りました。金獅子族とヌビアのことはお任せを」
とサドマは唇を噛み締めた。
数刻後、水軍の船に分乗した老兵軍団がザウガ島へと出発した。ノガとインフィガルは一番最後の船に乗船する。最後のその船が岸辺から離れ、少しばかり川の中へと進んだところで、
「ああ、ところでノガ殿」
「何か」
声をかけられて振り向こうとしたノガの尻を、インフィガルが蹴飛ばす。ノガはそのまま船から転がり落ちた。
何とか水面に顔を出したノガを置いて、船が先へと進んでいく。ノガは立ち泳ぎをしながら大声を出した。
「インフィガル殿! 何を――」
「悪く思うな、ノガ殿! ここから先は三十にもならん小僧の出る幕ではないのだ!」
「ザウガ島は五十以下は立ち入り禁止だ!」
インフィガル達の笑い声を尾に引いて船は先へと進んでいく。その場には「くそっ!」と悔しがるノガが残された。見えなくなるまで水の中から船を見送り、ノガは気まずい思いを抱えながら岸辺へと戻る。幸いミカ達兄弟や第七軍団の部下達は、のこのこ戻ってきたノガを喜んで迎えてくれた。
一方同時期。ナハル川北岸のスキラでは久々の勝利に将兵が明るい顔を見せていた。
「さすがは王弟殿下だ。こんなに簡単に敵から島を奪い取るなんて」
「この調子なら南岸にだって手が届くだろう。そうしたらやっとまともに飯が食える」
「やっぱり坊主が軍の指揮にくちばしを突っ込むとろくなことにならない、ってことだな」
そんな声がタンクレードの耳にも届いている。当然ながらアンリ・ボケの耳にだって入っているだろうが、アンリ・ボケは今のところ特に反応を示さなかった。
「もう一つの島も確保してしまえば渡河もそれだけ容易となる。だが、正直言って正面からこの川を越えるのは無理なんじゃないかと思う」
ユーグは二人きりのときにタンクレードにそう打ち明けていた。
「それでは、あの島を確保したのはアンリ・ボケに政治的に対抗するためだと」
「その理由の方が大きいな」
とユーグは朗らかに笑った。
「大損害を出して敗退した枢機卿に対し、僕は小さくとも確実な勝利を得ている。次でも僕が勝てば、枢機卿が僕の行動を掣肘するのは難しくなるはずだ」
「それではもう一つの島を落としますか?」
ユーグは「ああ」と頷いた。
「落とした二つの島は枢機卿に任せてしまって、僕はトズルを抜くことに全力を使いたい。トズル側からでないとナハル川を渡るのはまず無理だ」
トズルの重要性はアンリ・ボケも理解しており、枢機卿派に属する一軍を派遣している。だがユーグが自分でトズルを攻略したいと意向を示しても、
「殿下には聖槌軍の総司令官として全軍に目を配っていただく必要があります。細かな区々の戦闘は配下の将軍にお任せください」
等と、適当な理由で却下されていた。
「奴は殿下が勝利を決定づけることを怖れ、それを避けようとしているのだ。殿下が自由に動けるのならこんな戦争はすぐに終わるものを……」
タンクレードは忌々しさのあまり舌打ちした。アンリ・ボケを謀殺する方法をいくつか夢想するが、それをすぐに放擲する。今考えるべきはザウガ島の攻略だった。
エルルの月が後半に入った頃、聖槌軍によるザウガ島攻略が開始された。
先日の戦闘で大きな被害を受けたケルシュの艦隊だが、アミール・ダールの判断により優先的に人員・艦船の補充を受けている。ケルシュの艦隊の半分は最大戦速で渡河途中の聖槌軍に突っ込み、至近距離から矢で敵兵を殺していく。敵が目の前にいても進路を変えずに突き進み、舳先で敵を轢き殺した。
艦隊のもう半分はザウグ島への攻撃を担当している。自分の船の前方に一回り小型の船を配置、二隻の船を長めの丸太で連結する。前方の船は無人にして、油の入った瓶・火薬・藁・薪を満載にした。
前後に連結された二隻一組の奇妙な船、そのような船が何組もザウグ島へと向かっている。それ等の船はそのままザウグ島に突入し、前方の船が島に上陸。それと同時に船に満載された燃料が燃え上がり、後方の船は丸太を切り離して即座に後退。後には炎に包まれるザウグ島が残された。
ザウグ島を中継地点・休憩地点としようとする聖槌軍の出鼻をくじき、ヌビア軍は矢による攻撃を続けている。今回は海軍の軍船の何隻かが川を遡上し戦闘に加わっていた。
「もっと島に近づけろ! 心配するな、あんな裸同然の連中にこの船は堕とせん!」
第一艦隊司令官のフィシィーが部下に命ずる。海軍の軍船はケルシュの艦隊のように小回りは利かないが、防御の面でははるかに勝っていた。フィシィーの船が川に浮かぶ聖槌軍の兵を蹴散らしながら、下流側からザウグ島へと接近。炎に追われて島の端に逃げてきている敵兵めがけ、矢で攻撃を開始した。密集している敵に矢は次々と突き刺さり、敵はばたばたと倒れていく。だがエレブ兵は燃え残った木材を組み、防壁を作って矢を防いでいた。
「あいつ等、なんて真似を……!」
フィシィーはその光景に慄然とした。数少ない木材を単に組んだだけでは防壁にも何にもならない。エレブ兵は味方の死体を木材に立てかけ、縄で結び付けて防壁にし出したのだ。中にはまだ生きているのに、矢が刺さっているからと肉の壁にされている兵の姿もあった。
泣きわめく味方を盾にして矢を防ぎ、突入船の燃料が燃え尽きて火が消し止められる。聖槌軍はザウガ島への攻撃に本腰を入れた。
「――来たか」
インフィガルはザウガ島の砦から川面を見下ろしている。島の周囲は敵兵により埋め尽くされようとしていた。それを迎え撃つのは、元からいた守備兵と補充の老兵軍団、合わせて千名である。
「なかなか大したもんじゃのう!」
「孫に土産を頼まれとるんじゃが、何がいいかのう」
「ここにはエレブ兵の首くらいしかあるまい」
「あんなもん、誰も喜ばんじゃろう!」
老兵達は軽口を叩きながら弩を使って敵を二、三人まとめて射貫き、矢を使って敵兵を屠った。だが敵兵の数は圧倒的だ、到底全員は殺せない。エレブ兵は木製の壁に取り付き、這い上ろうとしていた。
「臭い、臭いのうお前さん等。これで身体を洗わんかい!」
老兵が煮えたぎった熱湯を敵兵に浴びせ、敵兵は悲鳴を上げながら転がり落ちた。
さらには、
「まだまだ若い者には負けんぞい!」
インフィガル等金獅子族が外撃の恩寵を、赤虎族が雷撃の恩寵を使って接近したエレブ兵を打ち倒す。エレブ兵がこれまでとは違う種類の恐怖の表情を見せた。
「あ、悪魔め! 貴様等のような魔物は生かしてはおけん!」
「神に逆らう魔物め、呪われるがいい!」
その罵声を浴びた赤虎族の老兵が前に進み、一際巨大な雷撃を放つ。その一撃でエレブ兵の数人が焦げて死んだ。その老兵が静かにエレブ兵に告げる。
「――これは我等が守神様、赤虎の神の恩寵じゃ。お前さん等の信じる聖杖教の神はどんな恩寵を授けてくださる? 一つ儂にそれを見せてくれんか?」
エレブ兵は息を呑み、歯を軋ませた。そして、
「殺せ!」
と攻撃を再開する。力を使い果たしたその老兵は、
「なんじゃい、何の恩寵もなしかい?」
とさっさと後退する。
「恩寵の一つも授けられんとは、大したことはないのう! 聖杖教の神も!」
「きっと阿呆を騙すのが聖杖教の司祭が持つ恩寵なんじゃよ!」
「おお、なるほど! そうに違いない!」
老兵の嘲笑を浴び、激怒したエレブ兵が見境なく壁を登ろうとする。そして矢で射られて川に転がり落ちた。
……朝から始まった戦いは夕方近くになってもまだ続いている。
エレブ兵は味方の死体を盾にして砦の側まで接近、そこで死体を捨てて一気に壁を登って乗り越える。その途中で槍で突き殺される者が大半だったが、一部はそのまま砦内部への突入に成功していた。
「ご苦労なことじゃったな!」
そして牙犬族の老剣士が敵兵を斬り伏せる。倒した敵兵と、殺された味方の老兵。敵味方の死体で狭い砦の中は足の踏み場もないような状態となっていた。
また一人のエレブ壁が砦を乗り越えて砦内部に侵入、疲れが溜まっていたのか、血で滑ったのか、足をもつれさせた老剣士が敵兵の槍を腹に受けて絶命する。その敵兵は背後から別の老兵に斬られて血に沈んだ。
「そろそろこの宴会も終わりかのう?」
「まー、いい加減飲み飽いた頃じゃな!」
と老兵等が軽口を叩き合う。砦内部に侵入する敵兵が増えており、既に味方の半分は戦死しているようだった。
「まだ矢が沢山残っておるわ! これがなくならん内には宴会は終わらんぞ!」
とインフィガルが一同を叱責する。一同は最後の力を使って発奮した。
「よし! ならばとっとと使い切ってしまおうかい!」
「そうじゃの! そうすべきじゃ!」
老兵達は矢を弓に番え、次々と撃ち放つ。残った力を振り絞った総攻撃である。一方聖槌軍側も日没間近なので最後の総攻撃をかけようとしていたのだが、その出鼻をしたたかに叩かれてしまった。
「これだけ戦い続けて、まだあれだけの力が……!」
聖槌軍側にも既に限界が来ていたのだ。急速に士気の下がったエレブ兵は戦闘を忌避し、攻撃は弱まってしまう。
「? どうしたんじゃい?」
インフィガル達が戸惑っているうちに攻撃は次第に散発的になり、ついには日が暮れて停止した。エレブ兵がザウグ島へと、北岸へと泳いで引き上げていく。
「……勝ったのかの?」
「……どうやらそうみたいじゃな」
勝ち鬨を上げる力も残っておらず、全員がその場にへたり込む。砦の内部は敵味方の死体で溢れ返っており、味方の半分以上が死者の列に加わっていた。