「黄金の帝国」・死闘篇
第三八話「長雨の戦い」
時間は少し前後して、エルルの月(第六月)の中旬。ナハル川方面のザウガ島ではインフィガル率いる老兵軍団が聖槌軍と激しい戦いを繰り広げ、それから一夜明けたばかりである。
執務室の竜也の元にはザウガ島攻防戦の詳しい報告書が届けられた。ザウガ島の守備兵約千人のうち戦死者は六〇〇名を数えていた。
「……半分以上死んだか」
竜也は目を瞑り、内心で黙祷を捧げる。それが終わるのを見計らっていたかのようにアミール・ダールが報告を続けた。
「兵と矢玉を充分に補充すればあの島を守るのは不可能ではないことが判明しました。完全に陥落するまでは何度でも兵を補充し、敵をあの島に釘付けにしたいと思います」
「しかし、戦闘のたびにこんな数の戦死者を出していては」
と竜也は渋い顔をするが、アミール・ダールは冷徹に反論する。
「敵に与えた損害と我が軍の規模を考えれば、毎回守備兵が全滅しても許容範囲内です。戦争をしているのですから戦死者が出るのは避け得ないと考えてください」
「それは判っている」
竜也は憮然とした表情を見せた。
「でも孤立無援の場所に味方を放り出して、助けることもできないなんて……敵に獲られるのがまずいのなら、最初からあの場所に島がなければよかった――」
ぶつぶつと独り言を言っていた竜也がそのままの姿勢で止まってしまう。少し待ってみても静止したままなのでアミール・ダールが「皇帝タツヤ?」と声をかけた。
「――ああ、すまない。今そんなことを言っても仕方ないか」
思考の渦から戻ってきた竜也が一人で何か納得し、
「ザウガ島防衛については、引き続き将軍の方針でやってくれ。守備兵はできるだけ志願者を集めるように」
と書類に許可のサインを記した。
……同日、ノガは朝一番からザウガ島の補充兵編成のために走り回っている。
「今度こそ俺があの島を守る!」
ザウガ島を守り抜いたインフィガル達の奮戦ぶりに、それを見守ることしかできなかった自分の不甲斐なさに、ノガは血をたぎらせている。まだアミール・ダールの指示がないうちから「補充兵を率いるのは自分だ」と疑いもせずに信じ込み、それを集めるために各部署を奔走していた。
「兄上、各軍団の軍団長に補充兵志願の呼びかけをお願いしました」
そして弟のマアディームがそれに協力する。
「既に数百人の志願が受け付けられているそうです」
インフィガル達の勇姿に熱くなっているのはノガだけではないようだった。父や祖父がザウガ島の戦いに参加していた者、年齢を理由に兵として採用されなかった者、英雄志望のお調子者等、多数がザウガ島守備兵の募集に手を挙げている。
「あまり時間はかけられない。定員に達したら募集はそこで打ち切ろう」
「はい」
志願者はその日のうちに七〇〇人を越え、募集は打ち切られた。翌日には志願者が集められて部隊として編成され、その次の日にはザウガ島へと送り出される段取りとなる。
小雨が降りしきる中のその日の午後。ノガ率いる補充兵部隊が今まさにザウガ島へと赴くところだった。ザウガ島を望むナハル川南岸には、竜也やミカ達、ノガの部下の第七軍団の者達、補充兵の家族等、大勢が見送りに集まっていた。
「ところでマアディームは? あいつにも礼を言っておきたかったんだが」
「戻ってから言えばいいではないですか」
とミカは笑い、ノガも「確かにそうだ」と笑い返す。今回の見送りは前ほど悲壮感に満ちてはいない。ノガも補充兵も「勝って戻ってくる」と信じていた。
補充兵を乗せた連絡船が岸を離れ、ザウガ島へと出発する。ノガを乗せた船は最後に出発した。その船が少しばかり川の中へと進んだところで、
「ところで兄上」
こんな場所で聞くはずのない声が背後から聞こえる。振り返ろうとしたところで尻を蹴飛ばされ、ノガは川へと転がり落ちた。何とか水面に顔を出したノガは、船の上にマアディームの顔を見出す。
「マアディーム! お前――!」
「悪く思わないでください、兄上! 兄上には父上を、第七軍団や陸地の軍をお願いします!」
マアディームの言葉と立ち泳ぎするノガをその場に残し、船はザウガ島へと進んでいく。ノガは「くそっ! まただ!」と散々悔しがった。雨の中に消えていく船を水の中から見送り、ノガは前回以上に気まずい思いを抱えながら岸辺へと戻る。竜也やミカ、第七軍団の部下達はまたもやのこのこと戻ってきたノガを喜んで迎えてくれた――その目はどこか生温かかったような気はしたが。
ときはエルルの月の月末、場所はサブラタ。
ユーグに二門の大砲を届けたアニードはサブラタにとんぼ返りをしていた。アニードはユーグの御用商人として兵糧・武器弾薬の入手、情報収集、派閥工作等、様々な活動に従事していた。今また知り合いの知り合いみたいなバール人商人の元に押しかけ、説得をしているところだった。
「皇帝クロイが、ヌビア軍が必ず勝つとは限らんだろう? 王弟殿下と誼を通じておくことも保険として必要なのではないか?」
懸命に自らの理を説くアニードだが、
「薄汚い裏切り者め! お前のために時間を割いた私が愚かだった!」
ハザルという名のその商人は足蹴にするようにしてアニードを追い出した。アニードはわずかばかり恨めしげにハザル商会の建物を見上げ、それに背を向けて歩き出した。訪問すべき商会はいくらでもあるのだから。
降り続く雨がアニードの外套を濡らしている。雨のために気配が紛れているが、それでもアニードは自分を追うその人影を感じ取っていた。アニードの行くところにはどこであろうと必ず出没する、監視役である。
「ご苦労なことだな」
アニードは皮肉げに口を歪めた。
王弟派に協力的なバール人商会を増やそうと、アニードは精力的に活動している。ベラ=ラフマはそのアニードを厳重な監視下に置いていた。ただし妨害まではしていない。
「多分、お前を餌にして裏切り者を釣り出そうというのだろう」
と解説するのはタンクレードだ。アニードはそれを理解し、それでもなお愚直に王弟派への協力を説いて回っている。
「お前がルサディルで何をしたか知られていないとでも思っているのか! お前の話など誰が聞くものか!」
そして全員に嘲笑され、罵倒され、石もて追われるように叩き出されるのだ。その哀れな姿は監視役の者が同情したくなるほどだった。
結局その日一日何の成果も得られずにアニードは一旦自分の船へと戻った。アニードが再び外出したのは夜半になってからである。アニードの訪問先は港に程近い高級娼館だった。監視役はアニードが娼館の中へと消えていくところまでは見送ったが、館内まで尾行していない。
「お待ちしておりました、アニード様。今日はどの娘を?」
「いつもの薔薇の姫を頼む」
「申し訳ありません。そのものはあいにく……」
「そうか、ならば百合の姫を」
「はい。それではこちらへ」
アニードは店員に案内されて館内を進んでいく。アニードが向かった先はその館の地下室だ。地下の一室の前で店員が立ち去り、残されたアニードがその部屋に入っていく。
物置とほとんど変わらない、殺風景な地下の一室。その壁の一角にカーテンがかかっており、それに隠れてまた扉が存在していた。アニードがその扉をくぐるとそこには長い地下通路が。アニードはそこを歩いていく。
一スタディア近く歩き、三つばかり扉を通り抜け、アニードはようやくある部屋へと到着した。娼館から区画を隔てて建っている、とあるバール人商会の商館、その地下室である。
「待たせたな」
「いや、構いはしない」
その部屋で待っていたのはハザルを始めとした、何人ものこの町のバール人商人だった――監視の人間はもちろん、ベラ=ラフマですらバール人に対する認識の甘さがあったことは否めないだろう。アニードとその協力者のバール人達はベラ=ラフマの諜報網を何度となく出し抜いているのだから。
ベラ=ラフマにもっと時間があったならバール人と互角に戦うこともできるようになるだろう。だが今彼にあるのは発足間もない、老獪なバール人から見ればよちよち歩きの幼児のような諜報機関だけ。しかもその主力は聖槌軍側へと向けられているのだ。後背に対する監視が薄くなるのはどうしようもないことだった。
アニードがハザルへと顔を向け、
「今日は重要な話があると聞いたが……」
「ああ、来てもらったのはある方を紹するためだ」
ハザルが隣室へと視線を送る。アニードや一同の視線が集まる中、カーテンをくぐり、隣室からある人物が入ってくる。そこに姿を現したのは、一人のケムトの軍人。そして一人の年若いバール人だった。
エルルの月の下旬。数日前から降り出した雨が降り続いている。
「海が時化ているため協力関係にある商人達をスキラへと送り出せず、聖槌軍の動向を把握できません」
執務室にやってきたベラ=ラフマが申し訳なさそうに竜也へと告げる。
「それは仕方ないだろう。荒れ海を突っ切ってバール人がスキラにやってきたなら聖槌軍だって怪しく思う」
と竜也は笑った。
「敵だって雨がやまなきゃ動けないさ。雨がやんでから送り出せばいい」
竜也の言葉にベラ=ラフマは頷いた。
それから三日経っても雨は未だ降り続いていた。
「川が増水していて船を出すのは危険だと言われてな。今夜の接触も見合わせたところだ」
ディアが総司令部の竜也にそう報告した。
「一昨日の話じゃ、今は連中は渡河準備の最中って言っていたか」
「ああ、西の森で木材を伐採しているらしい。この雨の中ご苦労なことだ」
この頃にはユーグの軍勢がトズルへと接近しているのだが、雨のためにその知らせは竜也の元には届いていない。
「渡河作戦をやるとしても雨がやんでからだろう。それまではディアも休んでいてくれ」
少しの間二人が沈黙し、雨音が二人を包んだ。
「……しかしよく降るな」
「ああ、こんなに降り続くのは珍しいそうだ。おかげで一息も二息もつけて、こっちは大いに助かってる」
ディアは物憂げな表情を窓へと向けた。
「聖槌軍の方は一息つくどころではないだろうな。食糧は残り少ないし、雨を凌ぐ建物は全員分はないだろうし、疫病だって流行っているかもしれない。……一族の皆は大丈夫だろうか」
「銀狼族は体力に恵まれているし、食糧だって充分な量を渡している。きっと大丈夫だよ」
竜也がそう気休めを言い、ディアは「そうだな」と微笑みを見せた。
それからさらに三日経っても雨は未だ降り続けていた。日付はエルルの月の三〇日。トズルではマグド達がユーグと死闘をくり広げているが、その事実を知る者はサフィナ=クロイにはいない。
「しかしよく降る」
野戦本部を訪れた竜也はそう感嘆した。
「我々にとっては恵みの雨です」
とアミール・ダールは宥めるように言った。
「降り出して一〇日ほど。敵の食糧があと一ヶ月分しか残っていなかったとするなら、そのうちの三分の一を全くの無為に費やさせたことになります。我々は日一日ごとに勝利に近付いているのです」
「確かにそうかもしれないけど、いくら何でもそろそろ降りやんでもらわないとな」
と竜也は窓の戸板を少し開け、空を見上げる。空は分厚い雲に覆われ、太陽の姿はどこにも見えない。降り続く大粒の雨はいつ果てるとも知れなかった。
そしてその日の深夜。
竜也は自室のベッドで眠りに就いていた。その横ではファイルーズが眠っている。そこに、
「皇帝タツヤ! ファイルーズ様!」
女官が戸を激しく叩いている。竜也はそれで目が覚めた。ファイルーズも眠りから抜け出そうとしているが、未だまどろんでいる。
「どうした?」
「て、敵襲だそうです! 敵が、聖槌軍がこの町に!」
竜也は首を傾げながら大急ぎで服を着、部屋を出る。女官に先導され、駆け足で船の外へと向かう竜也。雨が降りしきる中、船の前では一人の兵士がひざまずいていた。
「何があった?」
「敵が、エレブ兵が突然襲いかかってきたのです! 私はこのことを皇帝に知らせるようにと上官に命令されて」
竜也は少しの間考え、
「……とにかく、状況を把握する必要がある。様子を見に行こう」
と決断した。竜也はバルゼル等近衛隊を連れて丘を下りて町へと向かう。川沿いの防衛線へ、野戦本部へ行こうとしたのだが、
「タツヤ殿、下がってください!」
襲いかかってくるエレブ兵に行く手を阻まれた。半裸に槍や剣を持っただけのエレブ兵が町中を走っている。警備隊の剣士や兵士と戦っている。竜也達に向かって突進してくるエレブ兵はバルゼル達により斬り伏せられた。
「何でこんなところにエレブ兵が……一体どうやって防衛線を越えたっていうんだ」
呆然とする竜也をバルゼルが叱責する。
「タツヤ殿、今はそんなことより身を守ることをお考えを!」
バルゼル達は攻撃してくるエレブ兵を次々と屠っている。だが圧倒的な敵の数に次第に押されてくる。だが、そのとき敵の背後に治安警備隊の剣士達が現れた。バルゼル達と治安警備隊に挟み撃ちにされ、そのエレブ兵の一団は壊乱し逃げていく。
「バルゼル! タツヤ殿! 無事か?!」
治安警備隊を率いていたジューベイが竜也達と合流した。竜也は「助かりました、ジューベイさん」と挨拶代わりに礼を言い、
「何が起こっているのか判りませんか? 敵はどこから来たんですか?」
「兵士達が言うには、数万の敵がトズルを突破したとのことだが」
ジューベイの言葉に近衛隊が動揺を見せる。竜也も身体をぐらつかせたが、それは一瞬だ。
「いや、それは間違いだ」
力強く断言する竜也に一同の注目が集まった。竜也は一同の視線を意識し、頼もしげな振る舞いを演技する。
「あのマグドさんが守っているんだ。トズルがそんなに簡単に落とされるわけがないし、仮に落ちたとしてもその連絡が敵の到着よりも遅いわけがない」
「確かにその通りだ」
とバルゼルが同意し、一同に安堵の空気が流れた。
「しかし、数万かどうかはともかくかなりの数の敵がこの町に入り込んでいる」
「一旦丘まで後退して、そこで兵を集めて敵を掃討するしかない」
竜也は野戦本部に向かうことを断念、バルゼルの提案に従い総司令部に戻ることにした。
数刻の後、竜也はゲフェンの丘へと戻ってきた。丘のふもとには避難してきた市民や指示を求める兵士が大勢集まっている。総司令部にはファイルーズやラズワルド達、官僚達が集まっており、彼等の不安そうな目が竜也を出迎えた。
一同を見回した竜也が決断を下す。
「ミカ、兵の指揮を頼む」
「わ、判りました。では丘のふもとに防衛線を」
竜也はミカの言葉に首を振った。
「いや、違う。皆には南の食糧庫に避難してもらう。ミカには集まってきた兵を指揮して、皆の護衛と食糧庫の防衛を頼む」
「食糧庫を、ですか?」
戸惑うミカや一同にタツヤが説明する。
「もしあそこが敵に略奪されたり火を放たれるようなことがあれば、その時点でこの戦争はもう負けだ。何としても食糧庫を守れ」
得心したミカが強く頷く。タツヤは矢継ぎ早に指示を出した。
「敵には大した装備はない、避難してきた市民にも防衛を協力してもらうんだ。兵数が揃っているように見えれば敵も手出ししてこないかもしれない。ラズワルドやファイルーズ、他の皆もそこに逃げてくれ。官僚の皆は持てるだけの書類を持っていけ。持っていけない書類はとりあえず井戸に投げ込んでおけ」
「待ってください。タツヤはどうするつもりです」
「ここに残って敵を引きつける」
ミカ達は一瞬言葉を詰まらせ、次いで激しく反応した。
「わたしも残る」
「待ってください! わたしが残ります」
「タツヤ様にもしものことがあったら、この国はどうなるとお思いなのですか?」
「タツヤさんがそんな危ないことをしなくてもいいんじゃないですか?」
だが竜也はその決意を変えようとはしなかった。
「敵を引きつける、そのために、こんなときのために俺は皇帝を名乗ったんだ。今さらそれを他の誰かに任せようとは思わない」
ミカ達は何か言おうとして何も言えず、そのまま言葉を詰まらせた。その彼女達を、周囲の一同を竜也が叱責する。
「一刻を争うんだ、くずくずするな! すぐに動け!」
竜也の言葉に鞭打たれ、跳ねるように一同が行動を開始した。
「皆さんは先に南へ! わたしも後から向かいます!」
「持って行く書類は何を」
「借金の証文はどこに」
「戦死者名簿は絶対に忘れるな!」
一同が動き出すのを確認し、竜也はバルゼル達へと向き直った。
「牙犬族の皆には最後まで付き合ってもらう。……すまない」
「気遣いは無用です。我等が近衛となったのはまさにこのようなときのためです」
バルゼルの言葉に、竜也も覚悟を決めて頷いた。
「篝火を焚け、クロイの旗を掲げろ! 皇帝がここにいることを聖槌軍に教えてやれ!」
竜也の命令に従い、巨大な黒竜の旗が船のマストに結びつけられ、風を受けて翻る。船の周囲にはある限りの篝火が集められ、火が点けられた。
竜也と別れて逃げることを嫌がっていたラズワルドだが、ベラ=ラフマに何か説明を受けてようやく逃げることに同意した。そのベラ=ラフマは丘の上に残っている。竜也はそれを意外に思うが、そんな些末事を深く追求している暇はなかった。
「一本の刀では五人と斬れません!」
と「七人の海賊」の真似をして沢山の剣を地面に刺しているのはサフィールだ(なお、烈撃の恩寵を使えば百人でも二百人でも斬れることは実証済みだった)。竜也は彼女に逃げてほしいと思っていたのだが、
「わたしは牙犬族の剣士であり近衛隊の一員です! タツヤ殿を置いてわたしが逃げられるわけがありません!」
竜也の心情以外にサフィールの残留を認めない理由がなく、結局サフィールは残ることとなった。
「まあ、今まで食わせてもらった分くらいは働こう」
とディアも残留組に加わっている。竜也はディアに避難するよう命じるが、
「わたしはお前の所有物だからな。相手がエレブ兵だろうと戦ってやるさ」
と竜也の意向をきっぱりと無視する。竜也はため息をついてそれを黙認するしかなかった。
篝火に照らされる黒竜の旗に引かれるように、エレブ兵が、ヌビア兵が、治安警備隊の剣士がゲフェンの丘へと集まってくる。バルゼル達は政庁の船から机や棚を引っ張り出して粗末なバリケードを作った。味方の兵士はバリケードの内側に引き入れ、敵は近衛の剣士達が斬り伏せる。だが次第に敵の数が一方的に増えていく。近衛の剣士はバリケードの内側に撤退し、剣を槍や矢に持ち替えて戦った。
「時間を稼げ! そのうち将軍が敵の後背を襲ってくれる! 敵を前後から挟み撃ちにするんだ!」
竜也がそう督戦し激励する。ほとんど最前線に立つ竜也の、皇帝の姿に一同は発奮した。牙犬族が、近衛隊が、治安警備隊が、兵士達が死力を尽くして戦い続ける。サフィールの剣が烈風のように敵を斬り伏せ、ディアの拳が旋風のように敵を撃ち倒す。バルゼルの轟剣は一振りで敵兵数人をまとめてなぎ払った。だが丘の上の総司令部は防衛を全く考えていない造りで、敵はそこら中から湧いて出てきた。何より敵の数は圧倒的だった。そして援軍は未だ来ない。
「……そろそろ限界か」
即席のバリケードがもういくらも持たないと判断したバルゼルが決断を下す。
「サフィール、ディアナ、皇帝を連れて脱出を。ベラ=ラフマ殿、皇帝を頼む」
ベラ=ラフマとディアは「判った」と頷き、竜也とサフィールは戸惑いを見せた。
「待ってくれ、俺は戦っている皆を捨てて逃げるようなことはしない」
「皇帝、この戦争は今日ここで終わるわけではありません。ですが皇帝が玉砕してしまえばヌビアは今日ここで終わってしまいます」
とベラ=ラフマが竜也に説得する。その言葉に迷いを見せつつも「だが……」と渋る竜也。そこにジューベイが、
「ここは我等が時間を稼ぐ。バルゼル、お主等近衛も皇帝と一緒に脱出しろ」
と口を挟んできた。「だが」と反発するバルゼルを、
「近衛が皇帝を守らずしてどうする」
とジューベイが一喝した。言葉を詰まらせるバルゼルにジューベイが言葉を重ねる。
「ここでお主まで倒れたなら誰が剣祖の技を次代に伝えるのだ。バルゼルよ、何があろうと皇帝を守れ。忠義を尽くせ」
ジューベイが言葉を句切り、バルゼルを見つめる。百万言よりも雄弁なその眼差しが、無言のうちにバルゼルにジューベイの志を伝えていた。バルゼルは短くない時間迷っていたが、やがて「判った」と頷いた。断腸の思いで決断したのだろう、バルゼルは無意識のうちに殺気立った、血走った目を竜也へと向ける。竜也もまた意地やわがままを捨て、脱出に同意するしかなかった。
竜也と近衛隊、ベラ=ラフマやディアが井戸のある風車へと向かう。それを見送ったジューベイは周囲を見回し、敵味方全員に届く胴間声を出した。
「――我こそは皇帝クロイ第一の忠臣、牙犬族のアラッド・ジューベイなり! 者共、我に続け! この剣の煌めきこそ我等が忠義の証なり!」
牙犬族が一斉に抜刀し、雄叫びを上げてエレブ兵へと突撃。怯むエレブ兵の直中に飛び込み、白刃が竜巻のように閃く。竜巻が通り抜けると、その場には身体の一部を失って倒れ伏す、泣き喚くエレブ兵が残された。
ジューベイは牙を剥く獰猛な笑みを見せ、
「今宵の我が剣はひと味違うぞ!」
更なる突撃を敢行した。
風車小屋に入り、縄梯子を使って井戸を下り、井戸の途中の側面に開けられていた秘密の抜け穴を通り、竜也達は虎口を脱出する。
「いつの間にこんな抜け穴を」
と竜也は驚くがベラ=ラフマは説明を後回しにした。
洞窟を抜けて海岸に、外に出た竜也達は手漕ぎの船を使って町に戻ろうとした。雨はまだ降り続いており、風も強く、しかも夜である。小さな船での夜の海の移動は無謀だったが、海が凪ぐのを待っている時間などない。海上の移動は可能な限り最短距離とし、丘から少し離れた岩場に強引に接岸し上陸、その先は徒歩での移動である。
小一時間かけて何とかゲフェンの丘のふもと、丘を望む場所へと戻ってくる。そこには万に届く数の兵が集まっていた。「もう少し早くこれだけの兵が集められれば」と竜也は思わずにはいられない。
「おお、皇帝クロイが!」
「皇帝クロイがここに!」
と喜びを見せる兵達をかき分け進み、本陣に乗り込む竜也達。
「皇帝、よくご無事で」
とアミール・ダール達司令官が安堵の表情を見せた。戦力が揃っていることを確認した竜也は、丘の上を見上げる。
「船が……」
サフィナ=クロイという町の名前の元になった船、それが炎上している。総司令部の船も、風車も、各官庁の船も、全てが炎上していた。巨大な旗に描かれた黒竜が生きているかのごとく身をうねらせている。だがその旗もまた炎に包まれていた。
「族長……」
サフィールが悔し涙を流し、バルゼルも血が出るほどに唇を噛み締める。竜也も顔を青ざめさせていたが、アミール・ダールに命令する。
「……まだ、助けられる者がいるかもしれない。将軍、すぐに攻撃を。聖槌軍を生かしておくな」
アミール・ダールは「判りました」と頷いた。
アミール・ダール率いるヌビア軍は聖槌軍を完全包囲した上で攻撃を敢行。敵の半数を殺戮し、半数を降伏させる。夜が明ける頃にはこの夜の戦いは終息した――敵味方に多大な犠牲を残して。