「黄金の帝国」・逆襲篇
第四八話「死の谷」
アルカサムの月(第八月)・一一日、聖槌軍とヌビア軍の間に休戦が成立。その知らせは音速よりも早くサフィナ=クロイの町中に広がった。
「休戦っていうのは何なんだ? 勝ったわけじゃないのか?」
「要するに『エレブに帰るから戦いは終わりにしましょう』って連中が言ってきたってことだ。つまりは俺達の勝ちだろう?」
「ともかくも戦争が終わったんだ。これで生きて家に帰れる」
兵士や市民は町のあちこちでそんな風に語り合い、実質的な戦争勝利に大いに喜び、また事実上の戦争終結に大いに安堵していた。
だが、兵はともかく将の方は「戦争が終わった」と考えている者は一人もいない。総司令部に集まった各軍団の軍団長は口々に竜也へと訴えた。
「エレブ人が、聖杖教徒が異教徒との約束を守るとは思えません。休戦など無意味です」
「敵軍は我が軍に倍するとは言え、腹を減らした半病人の群れでしかありません。一戦して撃破すべきです」
「そもそも、二〇万の半病人どもがもう一度一万スタディアもの距離を歩いてエレブに戻るなど、不可能です。いっそここで殺してやるのが慈悲というもの」
「二〇万もの軍に一万スタディア、三、四ヶ月の行軍をさせるにはそれだけの食糧が必要ですが、それは誰が用意するのですか? 皇帝が用意して奴等に与えるのは、泥棒に追い銭みたいなものではありませんか。かと言って、何の支援もなければ二〇万が飢えた夜盗の群れと化してしまいます。それでは休戦の意味がありません」
竜也は彼等の主張に耳を傾け、一通り意見を言わせた上で一同に告げる。
「この休戦は戦争終結を意味しない。聖槌軍が一人残らずヌビアの地からいなくなるまでが戦争だ。決戦が必要になるかもしれないから準備はすべきだが、それよりもまずこれまでと変わりなく防御を怠らないでほしい。『長雨の戦い』をくり返してはならない」
竜也の曖昧な物言いに一同は不満を見せるがそれ以上は主張せず、それぞれの持ち場へと戻っていく。軍団長一同を送り出した竜也は執務室の椅子に身を沈め、疲れたようなため息を深々とついた。
「……二〇万の敵兵をエレブに送り返すのに必要な船は? 何往復必要だ? 期間は?」
竜也は執務机の半分に三大陸の地図を広げ、もう半分に不要な書類を裏返して置いた。引き出しから取り出した算盤で計算をし、その結果を書類の裏に書き込む。静まり返った執務室で算盤の駒をはじく音だけが聞こえていたが、
「があーっ!」
突然竜也が頭を抱えて雄叫びを上げた。
総司令部の官僚の誰かに命じればもっと正確に計算してくれるだろうが、竜也の計算でも概算くらいは把握できる――最も楽観的に計算して最短で四ヶ月の期間が必要だった。
「歩いてエレブまで帰すのとあまり変わらないじゃないか。それだけの期間、二〇万もの敵兵に警戒し続けるなんて……。兵糧を提供する必要もあるだろうし、船賃だって安くはない。一体どれだけの予算が必要になるんだ」
下手をすると戦争中よりも多額の予算が必要になりかねない。さらに、これらの計算は聖槌軍がヌビア軍に全面服従することが前提となっている。聖槌軍が抵抗すれば目算の全てが狂ってしまうのだ。
「腹が減っているうちはこちらの言いなりになるけど、食うものを食って体力を回復させたなら、それでもこちらの命令に従うのか? 何かのきっかけで反乱を起こすんじゃないのか?」
きっかけの種はいくらでも存在するだろう。ヌビア軍将兵の聖槌軍に対する恨みは根深く、監視にも限度がある。ヌビア側の無法な行為が聖槌軍を反乱に追い込むことも充分以上にあり得る話だった。
「二〇万の敵と一〇万の味方が野戦……ナハル川も南岸の要塞も使えない状態で、二倍の敵と野戦……それでもヌビア側が有利だろうけど、負ける可能性は決して低くはない」
これ以上の経済的負担は耐え難く、戦争継続は至難。かと言って休戦しても経済的負担はむしろ増えるかもしれず、常に衝突の危機と隣り合わせ。衝突が拡大すれば休戦は空文化し、もし野戦で敗北すればこれまで勝ってきた意味が全くなくなってしまう――つまりは八方ふさがりだった。竜也の前に並ぶ選択肢のどれもが破滅に続く道であるかのようだ。この窮地から逃れる道がどこにもないように思える――ただ一つを除いては。
竜也の視線が地図上のある一点に固定される。スキラの北に位置する町スファチェ、そのさらに北の草原の中に存在する、ある渓谷。それは「北の谷」と呼ばれる谷だった。
「皇帝、失礼します」
ノックの音とともに執務室に入ってきたのはベラ=ラフマだった。竜也は物憂げな目をベラ=ラフマへと向ける。ベラ=ラフマはいつもの鉄面皮を欠片も動かさず竜也に報告した。
「聖槌軍をエレブへと送り返す準備を開始しました。兵糧はアニード等バール人商会を通じて提供します。スファチェ郊外の漁村にエレブ行きの船を用意します。聖槌軍の兵士にはそこまで歩かせます」
竜也が瞠目した。思わず椅子から立ち上がっていた竜也に、
「スキラから船を発していては往復に余計な日数を取られます。少しでも自力でエレブに近付いておいてもらうべきかと」
ベラ=ラフマが白々しい説明をする。無言のまま大きく見開いた眼を向ける竜也に対し、ベラ=ラフマはため息まじりに願い出た。
「……この件は私に一任いただきたい。戦いは終わりました。後始末は私に委ね、皇帝は戦後のことに、これからのことに力を注ぐべきです」
「そうはいかない」
竜也は即座に首を横に振る。
「聖槌軍が一人残らずいなくなるまで戦争が終わったとは言えない。戦争の指揮も、その結果も責任も俺が負うべきものなんだ。あなたに任せて楽をするわけにはいかない」
ベラ=ラフマは少し逡巡していたようだが、やがて小さなため息をついた。それで気持ちを切り替えたようで、
「こちらの報告書をご覧ください、船と兵糧の手配についてまとめております。また、詳細の打ち合わせのため明日の夜にタンクレードと会談を持つ予定です」
普段と変わらない態度で竜也に接する。竜也はベラ=ラフマと二人だけで謀議を続けた。
次の日の夜、タンクレードを乗せたアニードの商船がスキラ湾でヌビア海軍の軍船と合流。タンクレードがわずかな護衛を伴い軍船へと乗り移った。それと入れ替わりにヌビアの軍船からアニードの商船へと一人の男が乗り込んでくる。
「話がある」
自分を出迎えるアニードにベラ=ラフマが端的に告げた。アニードはわずかに驚くがそれだけで、ベラ=ラフマを船長室へと招き入れた。
「これを見てほしい」
ベラ=ラフマは持参した地図を勝手に卓上に広げ、何の前置きもなしに話を始める。アニードが地図を覗き込み、ベラ=ラフマは指で地図上の街道をなぞった。
「ハドゥルメトゥムの手前に船を用意し、そこからトリナクリア島までエレブ兵を輸送する。一往復で五千の兵を輸送することができる」
「五千……聖槌軍にはまだ一八万もの兵が残っている。となると……」
何往復必要になるかアニードが計算しようとするが、
「二往復か、せいぜい三往復だ」
切って捨てるようなベラ=ラフマの言葉に、アニードは戸惑いを浮かべる。ベラ=ラフマはそれに構わず、地図上のある一点を指し示す。ハドゥルメトゥムから下がりスファチェの少し北、街道のはずれの場所――北の谷。
さらに困惑するアニードにベラ=ラフマが説明する。アニードは蒼白となり、身体を震わせた。
同時刻、軍船の甲板ではタンクレードが皇帝の登場を待っているところだった。甲板の上にテーブルが一つと椅子が二脚、タンクレードは椅子の一つに座っている。タンクレードが今読んでいるのは竜也が用意した休戦協定の文面、その叩き台だ。そこに並ぶヌビア側の要求を読み進むにつれ、タンクレードの表情が険しくなっていく。
竜也は物陰からラズワルドとともにその様子を見つめていた。ラズワルドがその心を読み、手をつなぐ竜也もそれを共有する。
(――百万でエレブを出立した聖槌軍が、現時点で残っているのはたったの一八万。数だけならまだヌビア軍を圧倒しているが、問題は中身だ)
(――腹を減らして動くこともままならない一般の兵。二派に別れて殺し合い、遺恨を残している騎士達。隙あらば私の寝首をかこうとする枢機卿派の将軍達。こんな軍を率いてどうやって勝てと言うのだ?)
(――第一、殿下がもう亡くなっているのにこんな征旅を続けることに何の意味がある。今考えるべきはエレブに生きて帰ること、ただそれだけだ。……だが、想像以上に厳しい。こんな協定を守れるのか?)
(――『ハドゥルメトゥムまでの行軍中、麦一粒でも略奪を行った場合はヌビアに対する敵対行為と見なし、戦争を再開する』……兵糧を全く残していない我々が、略奪もしないでどうやって行軍をしろと……)
(――『商人との取引は自由とするが、代金を踏み倒した場合は略奪に準する行為と見なす』……要するに金を出して食糧を買えということか。だがもう金なんてろくに残っていないぞ)
(――『略奪品の返還』『売却した奴隷の買い戻し』……こんなことは不可能だ。『武器の放棄』……枢機卿派の兵を統制する上ではその方が都合がいい、協定を口実に確実に捨てさせよう。だが我々王弟派の武器所有は認めさせなければ)
(――邪魔だ、枢機卿派が邪魔だ。一八万もいても無駄飯を食らうだけで何の役にも立たないではないか……! 戦力として本当に信用できるのは私が率いる王弟派の一万だけ。それで残り一七万を統率できるのか?)
(――大体、この一七万は殿下に弓引き殿下を殺した奴等とその同類ではないか。何故私が自分の身を削ってまでそんな奴等の面倒を見なければならない?)
(――いっそこの一七万を置いていこうか。王弟派の一万だけの方がよほどエレブに帰りやすい。……だが、そんなことは皇帝が決して認めないだろう)
竜也はかなりの長時間タンクレードを一人に留め置いた。タンクレードは心を読まれているとは夢想だにせず、延々と様々なことに思いを巡らせている。ラズワルドがそれを読み取り、竜也は必要とする情報をほぼ全て入手した。
(――しかし、遅いな皇帝は。いつまで待たせる気だ)
タンクレードが待たされることに焦れ始め、ラズワルドが恩寵を使いすぎて疲れが見えた頃。
「そろそろ行くか」
竜也はラズワルドをその場に残し、物陰から出てタンクレードの元に向かう。タンクレードと向かい合って椅子に座った竜也が彼と対峙した。
「皇帝陛下にはご機嫌麗しく」
タンクレードが儀礼的に口上を述べようとするが、竜也はそれを遮った。
「面倒な挨拶は抜きとする。ヌビアの要求はその書面の通りだ。それを守るならエレブへの帰還を認めるだけでなく支援もしてやる」
竜也は居丈高に要求を突きつけ、
「皇帝陛下の寛恕には感謝の言葉もありません。……ですが、いくつか再考を願いたいところが」
タンクレードは条件を緩和しようと孤軍奮闘する。竜也はタンクレードがどの辺りを着地点にしようとしているかを完全に把握していたし、その着地点についても大きくは異存なかった。だがそんなことはおくびにも出さず、交渉相手としての役割を果たしている。
それなりの時間をかけた交渉の結果、「略奪品の返還」「奴隷の買い戻し」については協定から削除されたし、王弟派の武装も認めらることとなった。だが、重大な相違点をまだ残している。
「戦争中我々はバール人商会から食糧を購入しておりましたが、バール人は我々の足元を見て高値をふっかけてきたのです。もう我々の手元には一レプタの銅貨も残ってはおりません」
「それで同情が買えるとでも思っているのか? ヌビアの民を殺戮し、ヌビア軍と戦い続けたお前達をどうしてヌビア側が支援しなければならない?」
移動に必要な兵糧の支援をタンクレードが要求し、竜也がそれを拒絶する。タンクレードはときに泣き落としを使い、ときに脅迫を弄して竜也に翻意を迫ったが竜也は断固として意を曲げなかった。
一方、アニードの商船の船長室でも二人の男が対峙をしていた。
「馬鹿な! 何故そのようなことを……」
「他に方法がないからだ」
震える声のアニードの糾問をベラ=ラフマは氷壁のごとき冷酷さではね返した。
「お前も船乗りなら判るだろう。一八万もの兵を船に移動させるのに、何隻の船が必要だ? 費用は? 期間は?」
アニードは自分の船で聖槌軍の兵士を運ぶことを想像し、沈黙した。アニードの船は全長二五パッスス(約四〇メートル)、商船としては中程度の大きさだ。その船に他に何も積まず、立錐の余地もないほどに兵を詰め込んだとするなら……それでも二百人が限度だろう。十隻あって二千人、百隻あってようやく二万人だ。ハドゥルメトゥムからトリナクリア島まで百隻の船が九往復、一往復に一〇日とするなら実に三ヶ月という期間を必要とすることになる。
「その間必要な兵糧は? その間に聖槌軍が反乱を起こさないという保証は?」
アニードは沈黙を余儀なくされる。さらにベラ=ラフマは言葉を重ね、その必要性を理を持って説いた。
「……確かにそれが必要なのは判る。他に方法がないことも」
アニードはそれを認めた上で「だが」と続けた。
「それが終わってしまえば閣下はもう用済みだ。たった一万の王弟派などお前達にとっては鎧袖一触だろう。お前達が閣下に牙を剥かない保証がどこにある?」
「私が保証しよう。タンクレードとその麾下一万は無事にエレブに帰すことを約束する」
ベラ=ラフマが即答するが、アニードの疑念の目に何ら変わりはなかった。「そんな口約束が何の保証になるのか」とアニードは言葉にする必要も感じていないし、ベラ=ラフマの方も単なる口約束に意味がないことは百も承知である。
ベラ=ラフマが船長室の入口の方を振り返る。ノックもせずにドアを開けて入ってきたのは一人の少女だった。
「お、お前が何故……」
その少女――ラズワルドの姿にアニードは動揺する。
「私が呼んでおいた。ラズワルドの恩寵はお前もよく知っているだろう」
二人へと近寄ったラズワルドが手を伸ばし、その手をベラ=ラフマが取った。さらにラズワルドとベラ=ラフマが空いている手をそれぞれアニードへと伸ばす。差し出された二本の手にアニードはうろたえた。
「私の言葉に嘘がないことを確認しろ」
ベラ=ラフマに促されてもアニードは長い時間ためらったままだった。腕を差し出したままのラズワルドが疲れてうんざりしたような表情を見せている。ベラ=ラフマの方は差し出した手を動かさず、その表情も微動だにしていなかった。
「タンクレードのためだ。今、タンクレードのために何ができるかを考えろ」
ベラ=ラフマのその言葉にアニードは息を呑んだ。アニードはためらいを噛み殺し、勢いに任せて二人の手を鷲掴みにする。痛みにラズワルドが顔をしかめた。
今、ラズワルドの手を通じて三人の心がつながっている。ラズワルドの持つアニードへの軽蔑や嫌悪もアニードは自分の内にあるかのように感じられた。ラズワルドにとってはアニードの手は「汚いもの」扱いだった。見ず知らずの中年男の下着を掴まされているようなもので、すぐに手放したくて仕方ない。一方アニードが持つラズワルドへの恐怖や拒絶もラズワルドには筒抜けだっただろう。ラズワルドを何年も手元に置いていたアニードだが、このような形で少女の力を理解させられるのは初めてだ。自分の心を覗かれていることへの恐怖と嫌悪は尋常ではなく、アニードはこの小さな少女に対して殺意すら覚えていた。
また一方、アニードはベラ=ラフマの心中をも実感し、理解している。
「タンクレード側がヌビア軍やヌビア市民に対して危害を加えない限り、ヌビア軍がタンクレードと王弟派を攻撃しないことを約束する。タンクレードと王弟派が一兵も欠かさずにトリナクリア島まで帰れるよう、ヌビア側ができる限りの協力をすることを約束する」
確かにベラ=ラフマの言葉に嘘はなかった。ベラ=ラフマは皇帝の信頼を得、皇帝を動かすこともできること、皇帝もまたタンクレードをエレブに帰すことに同意していることをアニードは察知し、把握する。それはアニードにとって大収穫だった。
アニードは振り払うようにラズワルドとベラ=ラフマの手を離した。
「もうよかろう」
そう言うアニードは我知らずのうちに腕を組んでいる。ラズワルドはアニードの振る舞いを鼻で嗤った上で、無言のまま船長室を後にした。残されたアニードは忌々しげに舌打ちをする。
「――タンクレードの安全は保証する、それは判っただろう」
ベラ=ラフマが何事もなかったかのように話を再開する。アニードもそれに乗って「ああ」と頷いた。
「だがそれも枢機卿派が大人しくている限りにおいてだ。枢機卿派がヌビアに対して反乱を起こすなら我々もタンクレードの安全は保証できない。そうであるならば、タンクレードが何を成すべきか、お前がどうするべきは自明というものだろう」
アニードは沈黙する。だがそれは自分にとって否定的なものでないことをベラ=ラフマは理解していた。
ラズワルドの恩寵の前に嘘はつけないし、ベラ=ラフマは嘘をついてはいない――それは何一つ間違っていない。だがアニードが知ることはなかっただろう。ラズワルドの恩寵を持ってしてもベラ=ラフマの精神防壁は突破できないということを。嘘はつけなくても隠し事はできるのだ、ということを。
ベラ=ラフマの方は望むべき成果を上げていた一方、竜也の方の交渉は長引いている。タンクレードの粘りは長時間に及び、時刻は真夜中を通り過ぎて空が明るみを帯びる時分になっていた。
「――お前が言うべきは『承諾します』か『従います』、そのいずれかだ! 文句はないな、あっても聞かん!」
いい加減竜也も疲れ切っていたので交渉はそこで打ち切りとし、休戦協定が成立したことにしてタンクレードとの会見を終わらせた。タンクレードは半分以上腕づくで軍船から追い出されてアニードの商船へと移動する。逃げるように遠ざかる竜也の船を、タンクレードは恨めしげに見送った。
「一体どうすれば……」
途方に暮れたように呟くタンクレードだが自分の後背にアニードが佇んでいることに今気が付いた。アニードは死者のように血色を悪くしている。戦争が始まってから憔悴する一方のアニードだが、この一晩でさらにやつれたかのように思えた。
「アニードよ、何かあったのか? 兵糧についてヌビア側と裏口から交渉できないか相談したいのだが」
「――い、いえ、何も。それについては心配ないでしょう」
アニードはそう言い残して自室へと戻っていく。タンクレードはその態度に不審を抱きながらも、やはり休息を取るために船長室へと向かうこととした。
スキラに戻ったタンクレードは聖槌軍の武装解除に着手した。
「ヌビア軍との協定に基づきお前達の武装を解除する! 武器さえ捨てればエレブに帰れるんだ、命令に従え!」
「お前達は俺達が守ってやる! だから安心して武器を捨てろ!」
「もちろんただで、とは言わん! 武器と引き替えに食糧を配給する! 食糧がほしければそこに並べ!」
武装解除はバール人商人の全面協力を得て行われた。タンクレードの部下の王弟派騎士がエレブ兵から武器を受け取り、その武器をバール人商人へと渡す。それと引き替えにバール人商人が食糧を騎士に手渡し、騎士がそれを兵に手渡した。回収された武器は商船の船倉へと運び込まれ、商船はその重みで沈みそうになるくらいだった。バール人側は大儲けの機会に顔が揺るみっぱなしである。
武装解除はタンクレードの想像よりずっと簡単に終わった。もちろん武器を隠し持っている者は少なくないが、それは騎士の一部だけ。一般の兵はほぼ完全に無手となっている。食糧を求める騎士連中が一般の兵を脅して武器を吐き出させ、それで食糧を入手したからだ。抵抗した多くの兵士が殺され、逆襲されて殺された騎士もまた少なくはなかった。だがそれはタンクレードが、
「そういうこともあるだろう」
の一言で片付けてしまった程度の数である。王弟派ならともかく、枢機卿派で何百人の死者が出ようとタンクレードにとっては些細な話だった。
アルカサムの月の中旬、タンクレードは一八万の聖槌軍を率いてスキラを出立。北へと向かって移動を開始した。
「待ってくれ!」「置いていかないでくれ!」
負傷によりまともに動けない数千のエレブ兵がタンクレード達を追おうとするが、すぐに力尽きていた。泣き喚くそれらの兵を振り捨てて、タンクレード達は北へと向かっていく。スキラに取り残されたその数千の負傷兵は捕虜扱いとなり、後日鉱山や山林開拓に従事するエレブ人同胞の元に送られた。
聖槌軍の北上に伴い、食糧を売って儲けようとするバール人の商船が聖槌軍に付き添うように洋上を移動。聖槌軍の後方からは、付かず離れずの距離を置いてサドマやダーラク達が率いる四つの騎兵隊が追跡する。
竜也もまた軍船に同乗してバール人の商船と共に地中海を北上した。近衛のサフィールやバルゼル達の他、ベラ=ラフマやラズワルドが竜也に同行している。ディアは銀狼族とともに行軍中の聖槌軍に潜り込んでいた。
数日後、そのディアが竜也の船へと戻ってくる。疲れ切ったディアのために竜也は食事を用意させた。
「お疲れさま。それで、どうだった?」
「工作自体は簡単だったぞ。工作の必要もないくらいだった」
ディアは食事を貪りながら竜也へと報告した。
「飢えた兵士を集めて煽動し、タンクレード直属の補給部隊を襲わせて食糧を奪わせる。飢えていない兵が見当たらないくらいだったし、タンクレードへの反発も強かったからな。だが、やはりタンクレード側の守りは堅かったし、襲う側は武器をろくに持っていなかった。襲撃した側が蹴散らされ、首謀者とされた兵が何十人も処刑されていた」
竜也の「銀狼族や灰熊族は巻き込まれていないんだな」との確認にディアは「もちろんだ」と頷いた。
「しかしこれでタンクレードは警戒しただろう。補給部隊の襲撃は難しくなってしまった」
「いや、この襲撃は単なる仕込みだ。これ以上は必要ない」
ディアが「そうなのか?」と問うが竜也はそれに答えない。
「銀狼族と灰熊族はできるだけ早く聖槌軍から離れてくれ」
竜也はそれだけを言って、胃痛を堪えているような青い顔をしながら一心に何かを考え込んでいる。ディアは何も言わず、竜也の横顔を見つめ続けていた。
アルカサムの月が下旬に入る頃、聖槌軍はスファチェの手前まで到着した。その夜、タンクレードは接岸したアニードの商船に乗り込んでいた。
船長室でタンクレードは煽るように葡萄酒を呑んでいる。その足下には空になった酒瓶が一本転がり、もうすぐ二本目が追加されようとしていた。
タンクレードの右側にはテーブルがあり、その上に地図が広げられている。タンクレードの視線は自然とその地図に吸い寄せられていた。正確にはその地図上のある一地点に、だ。やがてそれを自覚したタンクレードが慌てて目を背け、いつの間にかまた地図へと目が向かう。それが何度もくり返されていた。
「……本当に、皇帝は私の安全を保証してくれるんだな」
三本目の酒瓶が半分以上空いた頃、タンクレードが独りごちるように問う。
「は、はい。それは必ず。閣下と王弟派は無事にエレブに帰れます」
ベラ=ラフマからの提案についてアニードは何度かタンクレードに具申をしてきたが、最初は言下に却下されていたのだ。が、ここに来てタンクレードの姿勢が変わってきている。
「そもそも枢機卿派は王弟殿下の敵であり、閣下の敵ではないですか。そんな奴等のためにどうして閣下が生命を危うくせねばならないのです」
アニードの説得にタンクレードは「まったくだ」と相槌を打つ。
「しかも枢機卿派は閣下の労苦も知らず、身勝手にも閣下の兵に剣を向けました。今回は一部の兵だけでしたが、閣下に対する敵意は枢機卿派全体に潜在しています」
「その通りだ。枢機卿派全体が蜂起する前に、手遅れになる前に……」
タンクレードが酒の入ったカップを握り締め、カップが軋んだ。タンクレードが一気に酒を呑み干す。
「私はまず王弟派の一万に対して責任を持たなければならない。枢機卿派の一七万のことはアンリ・ボケなり神様なりが責任を持てばいいんだ」
その通りです、と追従するアニード。
「これはヌビアの皇帝が卑怯にも夜襲を仕掛けてきた結果起きる、不幸な出来事。閣下が責任を問われることではありません。第一、エレブで安穏と暮らしている連中に何が判るというのですか」
「まさしくそうだ!」
タンクレードがカップをテーブルに叩き付ける。カップは砕け、流れた葡萄酒が地図を赤く濡らした。
「飢えと疫病に苦しみ、死体で埋まった街道を踏みしめて一万スタディアの征旅を越えたんだ。皇帝の軍勢をあと少しのところまで追い詰め、それをアンリ・ボケに台無しにされたんだ。殿下の、私の戦いがどれほどのものだったのか、エレブの人間に判るはずがない!」
「その通りです、閣下を責められる者はどこにもおりません」
アニードは打てば響くように頷くが、それは決して追従ではなくアニードの本心だった。アニードはこの戦争中ずっとタンクレードと苦楽を分かち合ってきたのだから。
タンクレードは卓上の地図へと目を向ける。酒精に濁った、血走った目だが、先ほどまでのような無意識の視線ではない。確固たる意志を持ってその視線を地図上のある一地点、「北の谷」へと突き刺している。葡萄酒が地図上のヌビアの大地を血のような赤に染めている。「北の谷」もまた血の赤に塗れていた。
アルカサムの月・二三日。タンクレードはスファチェを通過したところで行軍を停止する。タンクレードは全軍に対し「兵糧の提供について皇帝と交渉するためしばらくここに留まる」と説明した。翌日には後続が合流し、聖槌軍の全軍一八万が集結している。
二四日、その夜。聖槌軍はスファチェの北、街道から少し離れた場所で野営をしていた。スキラ以降枢機卿派には食糧が支給されておらず、この時点でほぼ全員が手持ちの食糧を食い尽くしている。
「……本当にエレブに帰れるのかな」
「……腹が減ったな」
飢えを抱えた兵はやがて不満で腹を膨らませ、
「……もう一度王弟派の補給部隊を襲おうぜ」
自然とそんな声が湧いてきた。
「だがこの間は失敗して何十人も処刑されただろう」
「俺達は助かったじゃないか。大勢でやれば判りやしないさ」
威勢のいい兵士の一人が立ち上がって、
「王弟派の連中は自分達だけヌビアの皇帝から食糧をもらって腹を膨らませて、俺達のことはほったらかしにしているんだ。あいつから食糧を奪って何が悪い!」
と煽動し、周囲の兵も「やろう、やろう」と同意した。
「よし、そうと決まればまずは王弟派と補給部隊の位置の確認だ」
何人かの兵が陣地内へと散っていき、小一時間くらい後に戻ってくる。
「北側にはいなかったぞ。王弟派も補給部隊も見かけなかった」
「俺も見つけられなかった」
兵が口々にそう報告し、一同が「どういうことだ?」首を傾げた。その時、陣地の南側から声が響く。
「敵だ! 敵襲だ!」
「ヌビアの魔物どもだ! 血の嵐だ!」
「皇帝の軍が攻めてきた!」
一七万の軍勢が一瞬で浮き足立った。敵に抗しようにもほとんどの兵は剣も槍も持っていないのだ。どちらに向かって逃げるか、ただそれだけを考えている。
「北だ! 北に向かって逃げろ!」
最初に誰がそれを叫んだのかは判らない。だが、
「北だ!」
「北に向かえ!」
という声は口々に伝播し全軍に広まり、数瞬後には全軍が北に向かって潰走していた。一七万という膨大な数の兵が一斉に北に向かって走っている。その光景は地上から見ればまるで津波か土石流のような勢いだった。転んで倒れても誰も助けてくれず、踏み潰されて死んでいくだけだ。立ち止まることすら許されず、勢いに流されるままに北に向かって走っていくしかない。
その光景をはるか天空から見るならば、聖槌軍の軍勢は一匹の単細胞生物のように見えたかもしれなかった。ゆっくりと触手を伸ばすように北へと移動していくその生物は、大地の裂け目に身を隠すように潜り込んでいく。
地上を走っている兵からすれば突然足下の大地が消えたように感じられただろう。何が起こったか判らないままその兵は宙を舞い、半スタディア(約九〇メートル)下の谷底へと叩き付けられる。さらにその上から人間が雨霰のように降り注いだ。
「北の谷」はわずかに小高くなった丘を乗り越えた先にいきなりその口を開いている。昼間でもごく間近まで接近しないとその存在に気付かないのに、今は夜である。
「待て、谷が――」
谷があることに気付いた兵が足を止めようとしても、後方から押し寄せる幾万の兵を押し止めることなどできるはずもない。その兵が落下し、背中を押した兵もまたそれに続く。それが幾万回もくり返されている。暴走する兵は自殺するような勢いで次々と谷底へと飛び込んでいった。谷底には兵が折り重なり、降り積もった。流れる血は川のようであり、溜まった血は湖のようである。
数刻後、北の谷は一七万の軍勢を完全に呑み込んだ。兵士の悲鳴も狂騒も一緒に呑み込まれ、地上は月面のように静寂となっている。最後尾に位置していたために谷に飛び込まなかった兵がわずかに生き残っているが、彼等は目の前で何が起こったか理解できずに呆然としたままだ。さらにその後方にはタンクレードの王弟派一万が。彼等は運良く生き残った兵を置き去りにして街道方向へと移動していく。残された兵はそれを追うこともせず、その場に座り込んでいる。まるで時間が止まったかのように、彼等はいつまでも身も心も凍り付かせていた。
――この日以降、「北の谷」と呼ばれていたこの場所は「死の谷」と呼ばれるようになる。
その翌日、竜也を乗せた軍船がスファチェの港に入港。そこにサドマがやってきて竜也へと報告した。
「北の谷で聖槌軍の九割以上が死んだ。……確認したがひどいものだった」
サドマは首を振りながら慨嘆する。なおサドマはこの陰謀には一切関与しておらず、聖槌軍暴走のきっかけとなったヌビア軍の騎兵隊の夜襲については、
「私の隊が奴等に接近しすぎたことが勘違いを生んだのだろうか」
と密かに気に病んでいる。確かにそれは理由の一つになっただろうが、勘違いさせることを目的として接近を命じたのは竜也である。サドマとは別に、傭兵を集めて騎兵で聖槌軍を襲撃したのはツァイドであり、それを命じたのはベラ=ラフマだ。わずか十余りの騎兵の襲撃をことさらに大げさに言い立て、全軍の暴走を引き起こしたのはタンクレードだった。この確信犯の面々の中で、利用されただけのサドマの負うべき責任はごくわずかなものでしかないだろう。
その責任の多くを負うべき竜也はそれに見合うだけの懊悩を抱えていた。谷底に折り重なる一七万の死体――そんな光景が脳裏を横切り、竜也は首を振ってそれを打ち消した。
「生き残ったのは?」
「谷に飛び込まなかった兵が二千ほど。私の騎兵隊で捕虜にしているが、反抗する気もないようだった。後方に送る手配はしている。聖槌軍は残り一万ほどで、ダーラク達が追い続けている」
サドマは何かを待つように沈黙する。だが竜也が何も言わないのでサドマの方から口を開いた。
「残っているのはたったの一万だ、騎兵隊だけで充分全滅させられる」
「いえ、彼等には生きてエレブに戻ってもらう必要があるんです」
竜也の言葉にサドマは驚きを見せた。
「あんな奴等を生かしておくのか?」
「彼等の始末は教皇庁に任せます。タンクレードがどうやってエレブまで戻ったのか、エレブに戻るまでに何をしたのか、その事実を大いに喧伝するつもりです」
竜也の説明にサドマは納得しがたい様子だったが、それ以上抗議もしなかった。サドマは騎兵隊を率いてタンクレードの追跡を再開する。彼等がヌビアの地を離れる最後の瞬間まで監視し続けるのがサドマ達の任務である。
一方竜也はいくつかの後始末について指示を出すと、その日のうちにサフィナ=クロイへの帰路に就いた。軍船は夜も海を進み、サフィナ=クロイへと向かっている。
その夜、竜也は甲板に出て涼しい夜風に当たっていた。空を見上げても星は一つも見えない。世界はまるで竜也の心のように暗雲に覆われていた。
「皇帝」
背後からディアの声がする。竜也は振り返りも返事もしないがディアは特に気にした様子も見せない。ディアは竜也の隣りに並び、黒々と広がる夜の海を見つめた。
「……勝ったのに嬉しそうじゃないな。一七万もの大軍勢を一晩で殺す大戦果じゃないか」
「こんなの、戦いじゃなくてただの虐殺だ」
ディアの言葉に竜也は吐き捨てるようにそう言った。
「確かに謀略で敵を陥れて自滅させたわけだが……そんなの、今更だろう? お前が殺し続けた八〇万のうち会戦で死んだ人間が何人いる? 大半が謀略やら作戦やらで敵を自滅に追い込んでのものではないか。今になって罪悪感とやらを感じているのか?」
「……それが悪いのかよ」
竜也は拗ねるように反論するが、ディアはきっぱりと断言する。
「そうだ、悪い――一人で抱え込むのは、な」
その言葉に竜也は目を見開く。ディアが海を見つめながら話を続けた。
「わたしはエレブを裏切ってお前に手を貸した。百万皆殺しや今回の一七万殺しにも荷担した責任があるが……全ては一族のためだ、自分の選択に一片の後悔もない。聖杖教なりどこかの神がわたしの罪を問い、わたしを地獄に堕とすなら、わたしは胸を張って、誇りを持って地獄に堕ちよう」
とディアは大威張りに宣言し、竜也に向き直って言葉通りに胸を張った。竜也がディアを見つめ、ディアが柔らかく微笑む。
「お前が地獄に堕ちるならその時はわたしも一緒だ。一人で苦しむな、お前の苦しみをわたしにも寄越せ」
ディアは背伸びをしながら竜也の身体を抱きしめる。竜也もまたディアを抱きしめ、ディアの肩に顔を埋めた。ディアは幼子にそうするように竜也の背中を軽く叩く。
「一国の長となり、一国を率いることの過酷さはわたしにも判る。愚痴ならいくらでも聞いてやるし、わたしにできることならどんなことでも力を貸してやる。お前にはわたしがいるし、皆もいる。それを忘れるな」
竜也は歯を食いしばり、嗚咽を噛み殺す。ディアはそんな竜也を優しく抱き続けた。
暦を少し先に進めて、アルカサムの月・二八日。
百万の威容を誇っていた聖槌軍だったが、この時点で残っているのはタンクレードが率いる王弟派の一万余り。聖槌軍とは名ばかりの残党でしかない。
その聖槌軍残党がとある小さな漁村に案内されていた。場所はスファチェとハドゥルメトゥムのちょうど中間である。トリナクリア島行きの船がそこに用意されていると、アニードを経由して連絡してきたのだ。
「こんなところに船があるのか?」
不審と不安を抱きながら小さな漁港にやってくるタンクレード達。竜也が用意した船はすでにそこに、その漁港の沖合に停泊しており、タンクレード達の到着を待っていた。
「こ、これは……」
タンクレード達はそのまま絶句する。小さな漁港に不似合いの巨大船、それが六隻もそこにあったからだ。
船の大きさは全長八〇パッスス・全幅三〇パッスス(全長約一二〇メートル・全幅約四五メートル)。まるで城が海に浮いているかのようだ。六隻もそれが連なっているとまさしく長城としか言いようがない。アニードの商船も横に並んでいるが、それがまるで小船のようだ。竜也が建造させていたゴリアテ級のゼロ号艦から五号艦である。
「ああ……」
という嘆きの声がタンクレードの口から漏れ出る。それは音となって流された、タンクレードの涙だった。タンクレードは我知らずのうちにその場に膝を屈していた。
「戦うべきではなかったのだ。こんなものを建造できる連中と、戦うべきではなかったのだ」
それはタンクレードだけではない、生き残った全ての将兵が等しくその思いを抱いていた。彼等が真に敗北を認めたのはその瞬間だったのかもしれない。
その漁村からトリナクリア島までは海路片道六日、往復で一二日。六隻の船に五千の兵が分乗するので二往復。キスリムの月(第九月)・一六日には二往復目のゴリアテ級がトリナクリア島に到着して全てのエレブ兵を下船させる。これで聖槌軍の組織的戦力全てがヌビアの地から排除されたことになる。聖槌軍との戦争はこうして終結した。
――エレブ側の動員兵数、一〇二万五五五九人。そのうち戦争終結のこの時点で、捕虜となってヌビアに留まった者、約六万。奴隷商人に掴まる等して売られた者、約三万。身代金と引き替えにエレブに戻った者は百人以下。ヌビア軍に協力した上でエレブに送り届けられた者も百人以下(銀狼族や灰熊族を含む)。トリナクリア島に上陸したタンクレードの部隊、一万余。残りの実に九〇万が溺死・墜落死・戦死・餓死・病死・事故死・処刑・自殺等々、理由はどうあれ死んでいる。エレブを発った百万のうち生き残ったのは約一〇万、そのうち生きてエレブに戻った者は一万余に過ぎなかった。
海暦三〇一五年アダルの月(第一二月)・九日の「ルサディルの惨劇」に始まり、三〇一六年アルカサムの月(第八月)・二四日の「死の谷の大虐殺」で事実上集結したこの戦争は、「聖槌軍戦争」の名で呼ばれている。