「黄金の帝国」・逆襲篇
第四九話「勅令第一号」
アルカサムの月(第八月)の月末、「死の谷」での聖槌軍一七万殺しを終えた竜也がサフィナ=クロイに帰ってくる。総司令部に戻った途端、竜也は官僚・各自治都市代表・バール人商人・軍の司令官や提督に取り囲まれた。
「皇帝、こちらが新規公債の発行計画です」
「皇帝、こちらの宮城建設計画に認可を」
官僚の一団はサインが必要な書類を持って待ち構えており、
「皇帝、我が都市の再建のために支援を」
「戦争も終わったことだし、ソロモン盟約の再検討が必要だろう」
各自治都市は、支援を必要とする西ヌビアとこれ以上の負担を回避しようとする東ヌビアが対立する。
「我が商会が供出した船舶についてその代価の支払いはどうなっているのか」
「この公債を現金化してもらえんかな」
バール人商人はこれまで支援した分の利益を貪ろうと虎視眈々とし、
「我が傭兵団の戦果に対する報酬は」
「破損した船の修理費用が必要なんだが」
軍もまた献身と犠牲に見合う報酬を求めていた。
竜也は、
「西ヌビアへの支援その他は担当官に申し出てくれれば必ずやるから」
「近いうちにソロモン盟約の改訂と総司令部の改組をやるからその時にまとめて対応する」
と官僚以外を追い返し、まずは書類仕事を片付けることに専念する。その書類でも、官僚が自分の出身自治都市や出身商会に有利な決済をこっそりと紛れ込ませたりしており、竜也は決済にも神経を使う羽目になる。仕事が何とか一区切り付く頃には深夜となっていた。
「ようやく戦争が終わったのに仕事がちっとも楽にならない……」
竜也が執務机に突っ伏して休んでいるところに、
「タツヤさん、ちょっといいですか?」
とカフラがノックをする。「入ってくれ」と返答すると、カフラと一緒に財務総監のアアドルも入室してきた。
「すみません、こんな遅くに」
「いや、構わない。どうした?」
首を傾げる竜也にアアドルがある書類を差し出した。竜也はそれを受け取って目を通す。
「部下に検討させた公債の返済計画です。今日までに発行している戦時公債は額面で六〇万タラント。それに対し、東西ヌビアからの租税額は推定で年間一八万タラント。戦争で西ヌビアが荒廃していることを考えれば租税額はさらに減ります」
「西は支援が必要なくらいだからな。四、五年は徴税どころじゃないだろう」
竜也は憂鬱そうにそう呟く。アアドルが説明を続けた。
「戦争中だから、と東もこれまでは重い負担に耐えてきましたが今後はそうも行かないでしょう。この計画で東の諸都市を説得できるかどうか、そして公債を保有するバール人商人が納得するかどうかが問題です」
アアドルの言葉にカフラが強く頷く。頭痛を堪えるような表情を俯かせていた竜也だが、やがて顔を上げた。
「……要するに、東ヌビアの税負担を減らして借金の返済期間が短くなればいいんだろう?」
「まさしくその通りですが、そんな魔法みたいな方法が」
「考えがある。近いうちに知らせる」
竜也はそれだけを伝え、追い出すようにカフラとアアドルを退室させた。執務室に一人残った竜也は壁に貼られた大きな地図を見つめる。竜也の視線はケムト一帯に固定されていた。
「ケムトを征服しようと思う」
竜也のその宣言に、ファイルーズ・ラズワルド・ミカ・カフラ・サフィール・ディアの六人はそれぞれのやり方で驚きを表現した。
月は変わってキスリムの月(第九月)の初旬。その日、竜也は総司令部には出勤せずに公邸に留まった。「話がある」とファイルーズ達六人を船の食堂に集め、女官の立ち入りを禁止する。そして六人に対する第一声がこのケムト征服宣言だったのだ。
少しの時間をかけてその言葉を呑み込み、まずはファイルーズが柔らかに異議を唱える。
「……タツヤ様が、ギーラに与した宰相プタハヘテプにお怒りなのもよく判ります。ですが、その罪は宰相一人に償わせるべきではないでしょうか? 戦争となれば多くの庶民が苦しみます」
次いでカフラが、
「ようやく戦争が終わったのにこれ以上戦争をしなくても……借金が増えるだけじゃないんですか?」
さらにミカも、
「ケムトは遠く、我々が遠征しケムトが迎撃する立場です。補給や作戦がまずければヌビア軍が聖槌軍のように異境で全滅することにもなりかねません」
と疑念を呈した。
ファイルーズ達の異議や疑問に「確かにその通りだ」と竜也は一々頷く。だが、
「でも、その上で遠征してケムトを征服しようと思う」
とくり返し宣言。さらには、
「ケムトだけじゃない、エジオン=ゲベルにも遠征する」
と付け加えた。ミカが一瞬顔色を変える。
竜也の意志の固さを感じ取り、一同が沈黙する。その中で口を開いたのはディアである。
「……まあ、皇帝には何か考えがあるようだ。納得できるまでそれを聞かせてもらえばいいだろう。まず、百万相手の大戦争がようやく終わったところなのに今度は自分から戦争をやろうという、その理由を教えてくれ」
ディアの問いに竜也は「うん」と頷いた。
「最大の理由は借金を返すためだ」
と竜也が断言、一同は絶句した。
「今ソロモン盟約に参加している町からの税収だけじゃ六〇万タラントの借金を返すのはあまりに苦しいんだ。西ヌビアからは四、五年はまともな税収を見込めないし、むしろ支援が必要なくらいだ。東ヌビアの諸都市だけにこれ以上の負担を背負わせるのは酷だから、ケムトの諸都市にもソロモン盟約に参加してもらいたいと思っている」
「戦争中ならまだともかく、戦争が終わってから、しかも他人の借金を返すためだけにソロモン盟約に参加など」
呆れ果てたようなミカの言葉を「するはずがないな」と竜也が引き継いだ。「でも」と竜也が続ける。
「東ヌビアが金と兵を集めて聖槌軍を撃退しなければケムトだって征服されていたのは間違いない。つまりケムトだってこの戦争の当事者、本当は兵や金の相応の負担を持つべきだったんだ。今さら兵を出しても仕方ないから、せめて金くらいは出してもらおうと思う」
「確かに東ヌビアからすればタツヤ様の主張は正当なものでしょう。ですが、その主張にケムト側が納得するはずがありません。ソロモン盟約に参加し、タツヤ様を盟主と、皇帝として仰ぐのならば、ケムト王国はどうなるのですか? セルケト王家は?」
ファイルーズがいつになく鋭い声で問い、
「今のケムト王国は解体する。全ての都市をソロモン盟約に組み込む」
と竜也が即答。ファイルーズは刺すような鋭い視線を竜也へと向け、竜也は氷のような無表情でそれを受け止める。緊迫した空気に一同が息の詰まる思いをした。
「……それでは、ケムト王の地位は、セルケト王朝の存続は?」
ファイルーズが再度問うと竜也は肩をすくめ、
「必要なら別に皇帝の地位を譲ってもいい」
と笑みを浮かべる。ファイルーズは肩すかしを食らったような、不満そうな表情を垣間見せた。竜也が優しく諭すように説明する。
「……本当はそれが望ましいんだ。セルケト王朝の直系が皇帝となって、東西ヌビア・ケムト全体の統合の象徴となる。実際の政務や軍務はその下で俺達が受け持って、皇帝は手も口も出さない。善政や戦勝は皇帝の聖徳、失政や敗戦は担当大臣の失敗」
「……ですが、それは要するに皇帝を大臣の傀儡とすることなのではありませんか? 宰相プタハヘテプのしていることとどう違うのですか?」
ミカがそう口を挟み、竜也が解説した。
「傀儡とは少し違う、皇帝と部下の大臣は受け持つ範囲が違うと考えてほしい。皇帝の担当範囲は天上のこと、大臣は皇帝からの信任を受けて地上の問題を受け持つ。皇帝が親政をして失政したなら王朝の交代につながるけど、大臣の失敗は大臣の更迭だけで片が付く。皇帝は権威は持つけど権力は持たない、それが王朝を永遠に等しいくらいに存続させる秘訣なんだ。現にセルケト王朝はそうやって四千年も続いてきただろう?
ただ、今皇帝位を譲ると面倒なことになりかねないから当分は俺が受け持つしかない。太陽神殿の神官の頂点として天上を受け持つのがセルケト王朝。そのセルケト王朝から信任を受けて地上の統治を委ねられたのが皇帝クロイ、そういう形にするつもりだ」
ファイルーズが竜也のその説明を咀嚼し、理解する。ファイルーズの持つ空気から鋭いところがなくなり、いつものような穏やかな空気をまとうようになった。
「……ですが、タツヤ様には失政はなくともそれ以降の皇帝がどうなるかは判りません。クロイ朝の皇帝が地上を受け持ち親政を続けるのなら、いずれは失政や敗戦で王朝存続の危機を迎えるのではありませんか?」
「クロイ朝が断絶したならセルケト朝から皇帝を迎えればいい」
ファイルーズの疑問に竜也が軽い口調でそう答え、ファイルーズやミカが息を呑んだ。
「前にも説明したけど、元々独裁官は『非常時に、一時的に独裁権力を委ねられた人』でしかないし、皇帝の地位は軍事力を背景にそれを常態化させたものでしかない。だから戦争が終わったら、本当なら独裁官も皇帝ももう必要ないし、総司令部だって解散したって構わないはずなんだ」
「でも、それじゃ借金を返してもらえません」
カフラが即座に異議を唱え、竜也は苦笑する。
「うん、確かに借金を返すためには新国家の設立が不可欠だ。でも、その国主が皇帝である必要は――俺である必要は、本当はないと思う」
「タツヤ以外の誰にそれが務まるのです」
とミカが呆れたように言い、
「あるいは務まるのかも知れんが、誰が納得すると言うのだ?」
とディアが続けた。
「『クロイでなくてもいいのなら、この自分が』――実力や武力のある者ほどそう言い出すことでしょう。ヌビアの地は皇帝の地位を巡っての戦乱が起こりかねません。それを防ぐにはタツヤ様が、そしてその子が皇帝の地位を引き継いでいくしかありません」
ファイルーズがそうまとめ、竜也は虚ろっぽい笑いを浮かべるしかなかった。
「……まあ、そんな理由でクロイ朝を開くことになったわけだけど。為政者の地位っていうのは血統じゃなく、本当は能力・実力を競わせた上で選ばれることが望ましい。でも政治が未熟な段階では『実力を競わせる』ことが『軍事力の衝突』を意味する。だからクロイ朝が何代かかけてヌビアの政治を成熟させて、『軍事力の衝突』じゃない方法で政務の担当者を選べるようになったなら――その時はもうクロイ朝の存続にこだわる必要はない。セルケト朝に皇帝の地位を譲ればいいだろう」
そう言って澄んだ笑みを見せる竜也を、ファイルーズやミカは眩しいものを見るかのような瞳で見つめている。ファイルーズ達を骨の髄まで呪縛している「王朝の存続」――王朝を樹立する立場になっても竜也はそれに全く囚われていないのだ。
ファイルーズ達が決して持ち得ないその自由さ・軽やかさ。それこそがファイルーズ達が竜也に魅了される理由なのかもしれなかった。
「ケムトを征服しようと思う」
翌日、竜也は今度は軍首脳を臨時総司令部に集めた。すなわち、陸軍総司令官アミール・ダール、陸軍副司令官マグド、海軍総司令官ガイル=ラベク、そして諜報謀略担当ベラ=ラフマの四人である。
竜也のケムト征服宣言に対し、四人は内心はともかく外見上はほとんど驚きを示さなかった。ベラ=ラフマが確認する。
「ケムト征服に対して第一皇妃は何と?」
「説明して納得してもらった。ヌビアとケムトは一つの国になる、その中でセルケト王家は独自の地位と権威が保証される」
その説明にベラ=ラフマは「判りました」と引き下がった。他の三人も特に疑念を差し挟まない。ケムトのプタハヘテプは戦争中には聖槌軍と手を組もうとし、その終結間近には竜也の暗殺未遂にも関わったのだ。開戦の理由とするには充分すぎるほどであり、何も行動を起こさない方がむしろ問題だ、というのが四人の共通見解である。
四人に異議がないのを確認し、竜也が説明を続けた。
「――基本的なところから話をしよう。新国家ヌビアの基本方針だ」
竜也は卓上に地中海を中心とした三大陸の地図を広げ、四人がそれを覗き込んだ。
「ケムトを征服したならこの南側全体が新国家ヌビアの領土となる。ヌビアの今後の基本方針は三段階に分けられる。
第一段階、防御を固めて国土の安全を確保する。
第二段階、その上で可能な限り軍を縮小し、軍備負担を低減させる。
第三段階、浮いた金で税を下げ、商工業を盛んにして市民の生活を豊かにする。
武力が必要となるのはまずこの第一段階だ。西側の国境、ヘラクレス地峡に要塞を建設してエレブからの侵略をここで防ぐ。この任務は将軍アミール・ダールに」
竜也の指名にアミール・ダールが「はい」と頷く。竜也が続けた。
「次にエレブからの侵略経路となり得るのは、トリナクリア島とその対岸のカルト=ハダシュトだ。ここは海軍によって防御する。この任務は提督ガイル=ラベクに」
「おう、任せろ」
竜也の指名にガイル=ラベクは胸を叩いてそう応えた。
「最後に東側だ。まず今は敵対しているケムトを征服し、ヌビアに組み入れる。その上でスアン海峡を渡り、敵対しているエジオン=ゲベル王ムンタキムを排除してノガの即位に協力し、友好関係を結ぶ。
もしエレブがアシュー経由で聖槌軍の再侵攻を試みたり、またはアシューの大きな国家がヌビアを侵略しようとするなら、ヌビア軍はスアン海峡を渡り、エジオン=ゲベルと協力してアシューで敵と戦いこれを撃退する」
はっきりとは言わなかったが、竜也はエジオン=ゲベルをヌビアにとっての防波堤にすることを企図していた。その企図を、アミール・ダールも含めた四人が是とする。
「このケムト・エジオン=ゲベル遠征は将軍マクド、あなたにお願いする」
その指名にマグドは獰猛な笑みを答えとした。
――当初、竜也はアミール・ダールとマグドの担当を逆にするつもりだったのだ。
「アミール・ダールも祖国に近い方が嬉しいだろうし、次のエジオン=ゲベル王とも意思の疎通がやりやすいだろう?」
だがその考えを聞かされたミカは、
「あまりに浅慮です」
とこき下ろした。
「父がケムト方面の司令官になったとして、その司令官が次期エジオン=ゲベル王とあまりに近すぎるのが問題です。父と兄上の誰かが協力するならスアン海峡をまたいだ一大王国も建国できるではありませんか」
「でも、アミール・ダールはそんなことやらないだろう?」
「やりはしませんが、『そうするかもしれない』『そうなりかねない』と言い出す人間は必ず現れます。そのような誹謗中傷でも聞かされ続ければあるいは父に対する信頼が揺らぐかもしれません。そんなことになるくらいなら、最初から疑念を招くような人事は控えるべきです」
ミカのその忠告を竜也も理解し、結局各人の担当はこのように決定された。
「それで皇帝、ケムト遠征にどれくらいの兵を動員するつもりなのだ?」
「十万」
竜也のその答えにマグド達が唖然とする。
「……陸軍のほぼ全軍ではありませんか。それだけの兵を動員したなら東西ヌビアが空っぽになってしまいます」
「ケムトまでは陸路で一万二千スタディアだ。そんな大軍にそれだけの大遠征をさせるなど……下手を打てば今度は我々が聖槌軍の二の舞となってしまう」
至宝と言うべき軍の首脳に難色を示され、竜也は「うーん」と唸るしかない。
「……できるだけ血は流したくない。ケムトの諸都市には『戦っても無駄だ』『降伏もやむを得ない』と思わせたいんだ。そのためにははったりの効く数字でないと」
「威圧のための頭数ですか。それならば聖槌軍と戦った精鋭でなくとも、現地調達の新兵でも傭兵でも、いっそ案山子でも構わないのですね?」
ベラ=ラフマの確認に竜也は「ああ、構わない」と頷く。だがマグドは渋い顔をした。
「いくら何でも案山子を率いて戦えるか。ある程度はこっちから持っていくぞ」
「それはもちろんだ」
と竜也が答える。
「兵の輸送にはゴリアテ級等の海軍の輸送船も使うつもりだ。それも計算に入れて、どの程度の兵を動員できるのか、どれだけの兵を現地調達するのか、検討を頼む」
竜也の命令にアミール・ダール達四人は力強く頷いた。
「皇帝がケムト征伐を宣した」
その噂は軍から始まってサフィナ=クロイの町中に広がり、市民の話題はそれで持ちきりとなった。
「ようやく戦争が終わったところなのに、また戦争をしなくても……」
という声ももちろん聞かれたが、どちらかと言えば少数派である。
「あの連中は戦争中は指一本動かさなかったのに、俺達が勝ちそうになったら皇帝を殺そうとしたんだ。あんな連中征伐するのが当然だ」
兵を中心にそのような声が多数を占めていた。ケムトを征服し、ケムトに聖槌軍戦争の戦費を負担させ、借金を返して東ヌビアの負担を減らして西ヌビアへの支援を増やす。それにバール人も東ヌビアも西ヌビアも異存があるはずもない。
マグド達がケムト遠征の準備を進める一方、竜也達は新国家ヌビアの建国準備を進めている。キスリムの月の中旬、サフィナ=クロイの元老院には各自治都市代表・恩寵の部族の代表・各地の商会連盟代表が参集。新国家設立についての議論が連日くり広げられた。
「しかしこのソロモン盟約は一年契約という話だっただろう? もう聖槌軍は壊滅したのに何故盟約の更新が、新国家が必要なのだ?」
と新国家設立に消極的な者も決して少ない数ではない。だが、
「もし聖槌軍が再来したならどうするのだ? その時になってまた慌てて軍を結成するのか?」
「西ヌビアの民がどれほどの苦難を被ったと思っているのだ。もう二度と敵の侵略を許してはならん」
という主張に効果的に反論するのは困難だった。
そもそも、新国家設立に消極的なのは聖槌軍戦争にそれほど貢献しなかった者(町)・比較的負担が軽かった者(町)である。彼等は今後の負担増を怖れて反対しているのだ。一方新国家設立に積極的なのは、戦争により大きく貢献した者(町)・多大な負担を背負った者(町)である。彼等は竜也に対して貢献や負担に見合った見返りを求め、新国家設立を推し進めている。そして、
「我が部族は動ける者は全員兵となって戦ったぞ。貴様の町は何人の若者を兵に出したのだ?」
「私はこの戦争で息子を亡くしたのだぞ! お前の家族の誰が死んだ!」
と言われてしまえば反対派は沈黙する他ない。この戦争により大きく貢献した者・より大きい犠牲を払った者の声がより大きくなるのは理の当然である。何日間かの議論の後、不満や反対を押し切って新国家設立は決定事項となった。
「ケムトにも戦費を負担させる、そのためのケムト遠征だ。そのためには軍が必要だし、軍を維持するには新国家が必要だ」
新規の負担を少しでも減らすため、不満や反対の矛先を逸らすためにもケムト遠征が声高に提唱される。この遠征に反対する者はほとんどいなかった。
キスリムの月の下旬。竜也は新国家ヌビアの人事辞令案を元老院に提出、それが承認される。それと同時に軍の再編成案も提出され、即日承認された。基本的には戦争中のそれと変わらない。陸軍総司令官はアミール・ダール、副司令官はマグド。海軍総司令官はガイル=ラベクである。
ただ、アミール・ダールは西ヌビア方面軍司令官を兼務する。ガイル=ラベクは東ヌビア方面軍司令官を兼務。そしてマグドはケムト遠征軍司令官である。先々にはケムト方面軍司令官になることが予定されていた。
アミール・ダールは旗下の西ヌビア方面軍に再編成された陸軍三隊・歩兵二万三千、及びシャブタイの第五騎兵隊四千を組み入れた。この軍の任務は西ヌビアの平定、未だ残るエレブ人の盗賊討伐、そしてヘラクレス地峡での要塞建設である。このため歩兵二万三千のうち半数は工作隊出身者により占められている。
マグド旗下のケムト遠征軍は、まず歩兵が奴隷軍団を中心に再編成された一隊、それに第七軍団を中心に再編成された一隊。次に騎兵隊が三隊で、サドマの第一騎兵隊・ダーラクの第二騎兵隊・ビガスースの第三騎兵隊。総兵数は歩兵一万五千・騎兵一万五千の合計三万に登っていた。
「……少ない」
この編成案が提出された際、竜也はそう不満を漏らした。ベラ=ラフマも、
「ケムトの最大動員兵数は五万とされています。それに対するに三万では、ケムトの諸都市を戦わずして屈服させることなど不可能です」
と同調する。だがマグドとしては「無茶を言うな」と言う他ない。
「兵の多くを家族の元に返した上で、アミール・ダールが西に二万七千、俺が東に三万。中央に残っているのは二万足らずだ。他から裂いて東に回せる兵など一人もいない」
マグドの言うことは全く持って正しく、竜也もベラ=ラフマも反論できはしない。
「その半分くらいならともかく、七万もの兵を現地で集めるのはまず不可能です」
ベラ=ラフマがそう付け足し、竜也は腕を組んで「うーん」と唸った。
「……他に兵、他に兵、アシューやケムトで傭兵を集めるとしても他には――あ」
それに気が付いた竜也が顔を上げる。
「あった、あそこから兵を募ればいい。二万くらいは集められるんじゃないか?」
「どこからだ?」
「エレブ人の捕虜からだ」
……そのとんでもない思いつきにマグドは強い難色を示し、散々抵抗するが、結局竜也に押し切られてしまった。竜也はベラ=ラフマにエレブ人部隊の編成を命令。ベラ=ラフマは銀狼族や灰熊族、エレブ人の協力者を使ってエレブ人捕虜から兵を徴募した。エレブ人に提示されたのは次のような条件である。
「ケムト遠征に従事する一年間の傭兵契約。通常の報酬とは別に、契約終了後はエレブまで送り届けることを約束する。ヌビアに留まることを希望するなら市民権を付与し、ヌビアの民と同等に扱う」
竜也は戦争中から捕虜虐待を厳禁し、森林開拓や鉱山労働に従事させるにしても(この時代としては)あまり過酷な労働はさせず、充分な食事と休養を提供し続けていた。このため「契約条件が反故にされるのでは」という疑念をもたれたりはしていない。
六万の捕虜のうち、エレブ帰還を望む者を中心に実に半数が徴募に応じた。ベラ=ラフマが白兎族を総動員して応募者を選抜、二万程度のエレブ人部隊が編成される予定となっている。
一方アミール・ダールは編成が終わった部隊から順次西ヌビアへと送り出している。シャブタイの騎兵隊は戦争終結前から西ヌビア入りし、遊撃部隊を旗下に組み入れて盗賊討伐を進めていた。また、シャブタイの任務は盗賊退治だけではない。
キスリムの月の下旬。シャブタイの調査を分析した官僚からの報告書が竜也の元に届けられた。シャブタイとその部下は巡察した西ヌビアの各町や山間部の村々で被害状況の聞き取り調査をしており、アミール・ダールがそれに基づいて西ヌビア全体の被害状況を算出させたのである。
「……百万」
計算によって推定された、それが西ヌビア全体の死者の総数だった。西ヌビアの人口は戦前には三百万と言われていたので、死者数は実にその三分の一に達している。調査した範囲は東に偏っており、計算もかなりおおざっぱなもので、百万という数字はあくまで概算でしかない。
「ですが、それほど大きく外れていないのではないかと思います」
戦争終結前から西ヌビアの状況を把握するべく動いていたアミール・ダールがそう保証する。竜也は「そうか」と応えたまま、長い時間沈黙していた。立ち上がった竜也は執務室の窓に向かい合い、窓の外を見つめる。
「……ここまで民間人に犠牲を出さなくてもいい、別の戦いようがあったんじゃないか?」
竜也の自問にアミール・ダールが、
「あったのは間違いありません」
とその背中に答える。そして「ですが」と続けた。
「その戦法を選んでいたならこれほど早くこの戦争が終わることはあり得ませんでした。果たして勝てたかどうかも保証の限りではありません。焦土作戦を実行したからこそ、一年に満たない短期間で我が軍は聖槌軍に勝利したのです。長い目で見ればそれが犠牲や負担の最も少ない方法だったのだと私は確信しています」
アミール・ダールは静かに、だが確固たる口調で断言する。
「ありがとう」
アミール・ダールに背を向けた竜也はそれだけを言う。穏やかな沈黙が執務室の二人を包んでいた。
その翌日、アミール・ダールが今度はシャブタイとコハブ=ハマーの二人の息子をともなって総司令部の竜也の元へとやってきた。さらに同行する部下には大量の書類を抱えさせている。
「将軍、それは……?」
書類の山に怖じ気づいたようになりながら竜也が問い、
「西ヌビアの各町・商会・個人により提訴された訴状、及び事情聴取をまとめた書類です」
アミール・ダールが淡々と答える。竜也は執務机に積まれた書類のいくつかにざっと目を通した。
「……ウティカの略奪行為に対する訴訟、逆にウティカからの殺人の訴訟、キルタの商会連盟から損害賠償請求、こっちは個人から個人への訴訟か」
戦争中、聖槌軍の進軍経路上にあった西ヌビア沿岸部の町の住民が大挙して山間部へと避難したが、そこで数多の軋轢や対立、衝突があったのは言うまでもない。避難民が侵略者となって避難先の山間部の村を支配したり、逆に山間部の村が避難民を奴隷扱いしたり、それ等の暴挙への反発が衝突を呼び、殺し合いに発展する。そんな事例が無数に発生しているのだ。他にも、避難民に財産を略奪されて破産したバール人商人、バール人商人に騙されて家族を奴隷として売られた者、避難先から元の町に戻ってきたら自分の家や畑が他人に占拠されていた者――様々な苦難や損害を負った者がその解決を、不正の是正を竜也に求めている。
「訴訟には村が町を、町が町を訴えたものも多数含まれています。これらの訴訟に判決を下すことが出来るのは皇帝とその代理だけです。これらの問題が解決されなければいくら兵を送り込もうと西ヌビアを平定したことにはなりません」
アミール・ダールの言葉に竜也は唸りながらも「確かに」と答えた。竜也はしばらく唸りながら書類を睨んでいたがやがて決然と顔を上げる。
「……ともかく、まずは訴訟の分類だ。原告が町や村の訴訟は俺や将軍が見なきゃいけない。それ以外の、個人や商会が原告の訴訟は方針だけ決めてできるだけ各町に任せていこう」
竜也は司法担当の白兎族も呼び、まずは訴訟の振り分けから開始する。竜也とアミール・ダールの前には町や村が原告となった訴状が山と積み上げられ、二人がそれに目を通していく。
「まず、金や食糧が奪われただけなら話は早い、奪った側に返させる。金を払って済む話ならそうさせろ」
竜也が判決を下すに当たっての基準を示し、アミール・ダールがそれに頷く。
「次に死人が出た場合だが……その殺人がやむを得なかったかどうかが問題だ。俺が元いたところには『カルネアデスの板』って考え方があった」
乗っていた船が難破し、板切れ一枚に掴まって漂流しているところに、別の誰かがその板切れに掴まろうと接近してきた。だがその板切れには二人分も浮力はなく、二人も掴まったら二人とも沈んで死んでしまう。その別の誰かを排除するなら自分一人だけでも助かるのだ。
「――そんな場合、その別の誰かを殺しても罪には問われない。これを『緊急避難』と呼んでいる。
つまり、ある町が侵略者となってある村を占領したとしても、そのために何人も死んでいたとしても、そうしなければその町の者が死んでいたならその町を罪に問うべきじゃない。占領された村には慰謝料を払うことで我慢してもらおう。ただ、本当に他に方法がなかったのか、必要以上に暴力が振るわれなかったのかはしっかり確認する必要がある」
そう言って竜也はある訴状の文面をアミール・ダールへと示した。
「……この町の長老みたいに、占領した村の娘を集めて強姦したとか、村の若者を奴隷として売り飛ばしたとかは論外だ。訴状の内容が事実かどうか確かめて、事実なら厳罰を持って対処してくれ」
いくつかの訴状の内容に基づいて竜也が裁判の方針と基準を示し、アミール・ダールはそれを脳裏に刻み込む。白兎族もまたそれを書面に書き起こしていた。
……キスリムの月の下旬。アミール・ダール率いる西ヌビア方面軍二万余がサフィナ=クロイを出立する。その軍には白兎族の司法担当官が多数同行していた。竜也の代理で西ヌビアの各裁判の裁判官となるのがアミール・ダールの役目であり、それを補佐するのが白兎族の任務だった。
そして月は変わって、ティベツの月(第一〇月)・一日。
その日、サフィナ=クロイの臨時総司令部には、元老院議員としての各自治都市代表、恩寵の部族の代表、各地の商会連盟代表が招集されていた。マグドを始めとする陸軍の各軍団長、ガイル=ラベクを始めとする海軍の各艦隊司令官も顔を揃えている。その他サフィナ=クロイの避難民代表や有力者も招かれ、そしてファイルーズやラズワルド達六人もその場にやってきていた。
その人数はざっと見て数百人、総司令部の建屋内には到底収まらない人数であるために人々は中庭に集まっている。その一同の前に竜也が姿を現した。皇帝としての黒い正装をまとった竜也は壇上に立ち、沈黙する一同に向かって演説を始めた。
「……昨月の二八日。聖槌軍残党をトリナクリア島に送り出す任務に就いていたゴリアテ級がその任務を終え、ハドゥルメトゥムに帰還した。聖槌軍戦争が我々の勝利で終結したことを、ヌビアの全市民に宣言する。――だが!」
竜也はそこで声を高めて一同を見回す。
「だからと言って以前のような平和な時代が戻ってくるわけではない。西ヌビアの国土は荒廃し、エレブの盗賊が跳梁している。エレブ情勢は不安定だし、聖槌軍が再度発動されないとは誰にも断言できはしない。どこからも誰も攻めてこず、何もしなくても平和が維持される時代は既に過去のものなのだ。
――平和とは戦わないことではない。戦って勝ち取るものが平和なのだ。誰よりも勇敢な兵を集め、どの国よりも強力な軍を揃え、愚か者がヌビアの地を狙うならばこれを撃ち破り、滅ぼし尽くす。私はそんな平和をヌビアの民に約束しよう。
本日、ソロモン盟約が改訂・更新され、その契約期間は無期限となった。皇帝が軍を率いて民を守り、民が皇帝と帝国を支える。皇帝がヌビアの民の守護者となり、勝利を、平和を、栄光をもたらすことを約束する――これは聖なる契約であり、その精神は永遠である!」
一同は呼吸すら止めるくらいに、何かを我慢するように沈黙し続けている。竜也はその一同を前に、
「――私はここに、クロイ朝ヌビア帝国の建国を宣言する」
静かな、だがよく通る声がその宣言を一同の耳に届けた。その瞬間、
「皇帝クロイ!!」
「黒き竜!!」
堰を切ったように一同の歓呼が爆発した。一同が「皇帝クロイ」を叫びながら、天を破るほどの勢いで人差し指を立てた拳を突き上げる。竜也もまた人差し指を立てた拳を掲げ、一同の呼びかけに応えた。
「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」
一同もまた「皇帝クロイ」の呼びかけでそれに応える。喉を枯らさんばかりのその連呼はいつ終わるともなく続いていた。
――新たな時代の幕開けとなった建国宣言の直後、竜也は勅令第一号を発令する。それはケムト及びエジオン=ゲベル征伐を公式に宣言するものだった。
*あとがき
征服篇に続く!!
……ということで、征服篇は現在鋭意改訂中です。死闘篇と逆襲篇の間ほど空かないだろうと……空かないんじゃないかなと思いますが、努力はしますが予定は未定です。
ですが、必ず完結させることは決定ですので、どうか気長にお待ちください。