「黄金の帝国」・征服篇
第五一話「ケムト遠征」
海暦三〇一六年ティベツの月(第一〇月)・一日、竜也はクロイ朝ヌビア帝国の建国を宣言。それと同時に新制帝国政府の人事辞令が発令された。
まず竜也の公式の役職だった独裁官は廃され、皇帝の名称に一本化される。総司令部は解消され、全ての官僚・役職が帝国府へと横滑りした。帝国の統治は皇帝親政、それを輔弼するのが帝国府である。メンバーは総司令部のときとほとんど変わらない。
さらにそれと同時に、竜也がある事実を公表した。
第一皇妃 ファイルーズ(メン=ネフェル出身)
第二皇妃(予定) ラズワルド(白兎族)
第三皇妃 ミカ(エジオン=ゲベル出身)
第四皇妃 カフラマーン(バール人)
第五皇妃 サフィール(牙犬族)
ミカ、カフラ、サフィールの三人は今回を機に正式な皇妃となった。まだ一三歳のラズワルドは成人になっていないので「予定」が付いている(この世界では一五歳で成人と見なされる)。正直に言うと竜也は「ついでだからディアも一緒に皇妃にしておくべきか」と迷ったのだが、
「エレブの村にいる一族の者にどんな危難が及ぶか判らない。今回は我慢しておこう」
とディアの方から辞退したのである。安堵する竜也だがディアは、
「別に皇妃になるのを諦めたわけではないぞ? いずれ必ず嫁にもらってもらうからな」
と付け加えるのを忘れない。問題は先送りにされただけだった。
なお、皇位継承権は「母親の皇妃の順位の高さが最優先、年齢はその次」で決められることがソロモン盟約に明記された。
「これで皇位継承を巡る政争や内乱は起こらないだろう」
と竜也は思っていたのだが、
「そのためにはまず御子を授からなければ話が始まりませんでしょう?」
ともっともなことを言うファイルーズが寝室のベッドの中で竜也を待っていた。しなやかな肢体を包んでいるのは短い丈の絹のナイトウェアだ。薄い絹は艶やかな曲線を浮き立たせており、全裸よりも扇情的である。竜也は思わず唾を飲み込んだ。
「御子は最低二人はいませんと。一人にクロイ朝を継がせ、もう一人にはセルケト朝を継がせます。そうすれば、たとえクロイ朝が断絶してセルケト朝から皇帝を迎えることになったとしても、タツヤ様の血が永遠に受け継がれますわ」
ファイルーズはそんなことを言いながら竜也へと迫ってくる。あまりに色気のない話だが「竜也と自分の子供にセルケト朝を継がせる」というのはファイルーズにとって最大級の愛情表現なのである。竜也もその気持ちに応え、子供を授かるべく色々と力を尽くしたのだった。
そんなわけで、最近はファイルーズばかりと夜を過ごしていた竜也だが、その日から数日は月の障りのためファイルーズがやってこなかった。
「……」
「……あの」
その夜、代わりにベッドで待っていたのはラズワルドである。ラズワルドが拗ねたように、
「……あの女ばかり、ずるい」
と頬を膨らませて竜也を睨み、竜也は怯む。
「ああ、うん、ごめん。今夜は一緒にいよう」
と竜也はラズワルドを宥め、布団に潜り込んでその身体を抱きしめた。ラズワルドもまた拗ねるのをやめ、竜也の胸に頬を押し付ける。すでに一三歳のラズワルドだが実年齢より二、三歳幼く見える発育の悪さは以前と変わりなく、竜也にとっての印象も初めて会った頃そのままだ。その夜も特に艶っぽいことになることもなく、二人は親子のように仲良く一夜を過ごしたのだった。
その翌日の夜。
「たたたタツヤ、ままま待っていました」
竜也は言葉を失い寝室の入り口で立ち尽くす。その夜、ベッドの中で竜也を待っていたのはミカだったからだ。部屋の中は真っ暗だが廊下から入る灯りがわずかにミカの姿を照らしている。
「ななな何をしているのです! 早く戸を閉めてこちらへ!」
「ああ、ごめん」
タツヤは慌てて戸を閉める。その途端寝室は真っ暗闇となった。タツヤは手探りでベッドへ向かい、布団の中へと身を潜り込ませる。
「――!」
ミカが声にならない悲鳴を上げ、タツヤもまた驚きに息を呑んだ。ミカが一糸もまとわぬ姿なことが判ったからだ。
「……くくくクロイ朝の存続にはファイルーズ様が御子を授かることが最善ですが、御子は天からの授かり物ですのでこればかりはどうなるか判りません。ファイルーズ様がご懐妊されなかった場合を考え、わたし達もまた御子を授かっておくべきなのです」
ミカは自分に言い聞かせるように早口にそんなことを言う。竜也は苦笑しながら服を脱ぎ捨て、自分の裸身にミカを抱き寄せる。ミカは彫像のように全身を硬直させた。
「裸になってしまえば皇帝も皇妃もないだろう? ここにいるのはただのタツヤとただのミカだ」
竜也はそう言ってミカの理論武装を解除してしまい、身体だけでなくミカの心までも裸にした。ミカは「あう……」と呻いて、消え入りそうになりながら、
「……や、優しくしてください」
と囁き声で懇願する。竜也は我を忘れそうになるのを必死に制御し、
「もちろん」
と甘い声で答えた。
……元の世界で蓄積した知識と、ファイルーズとサフィールで培った実践経験。竜也はその二つを最大限活用し、ミカを悦ばせるべくあらゆる手を尽くした。ただ、ミカの性感は発達していなかったので努力に見合った効果があったわけではない。そして、
「――痛いと言っていますタツヤ!」
挿入の痛みに耐えかねたミカが思わず裏拳を振るい、その拳が竜也の顔面に叩き込まれる。竜也はぶっ飛ばされて鼻血を出した。
結局その夜は最後まで至ることなく、一緒に眠っただけで終わってしまった。翌日、シーツに付いた竜也の鼻血をメイドに見られ、
「随分多かったんですね、大丈夫ですか?」
と気遣われ、往生したミカの姿があったという。
さらにその翌日の夜。
「タツヤさん、待っていました」
その夜、寝室のベッドの中で竜也を待っていたのはカフラである。カフラが身にしているのは以前皆で着ていた踊り子の衣装だった。竜也はカフラの肢体に目を奪われ、
「ああ、うん」
と生返事をしながらベッドの脇に腰掛ける。カフラは身を固くした。
「……あはは、照れくさいですね」
カフラは緊張と恥ずかしさを笑ってごまかそうとする。そのため竜也の緊張は逆に和らいだ。
「ええっと、優しくするから」
「はい。よろしくお願いします」
カフラは深々と頭を下げた。
……カフラは何一つ抵抗せずに竜也の行為を、愛撫を全て受け入れた。だがカフラはつぶらな瞳を大きく開いて竜也の行為を見つめ続け、
「うわ……」
時折そんな呟きを漏らしている。愛欲に身を任せているようでいてその瞳から好奇心という光が消え去ることはなく、竜也はやりにくくて仕方なかった。
そして翌朝、カフラは船の一室にファイルーズ達五人を集め、
「――そこでタツヤさんがこーしながらわたしの背中を軽く撫でて!」
昨晩のことの報告会を開いていた。カフラは小芝居付で竜也との一夜を語り聞かせ、濃淡の差はあっても五人とも興味津々でそれに耳を傾けたという。
さらにさらにその翌日の夜。
「タツヤ殿、お待ちしておりました」
その夜、寝室のベッドで待っていたのはサフィールである。サフィールはベッドの上で正座しており、身にしているのは浴衣とガウンの中間のみたいなナイトウェアである。
「ああ、うん」
ファイルーズに比べれば圧倒的に回数は少ないがサフィールとは何度も肌を合わせおり、今さら緊張するような間柄でもない。竜也が服を脱ごうとするとサフィールが立ち上がり、竜也の脱いだ服を受け取って畳んでいく。竜也はサフィールに急かされるようにして服を脱ぎ、裸となる。サフィールもまたためらいもなく服を脱いで生まれたままの姿となり、そして小学校の運動会の開幕を告げるみたいに明るい笑顔で爽やかに、
「それでは、子造りをいたしましょう!」
と宣言した。
「父上にも『早く孫を』と言われていますし、一族の者にもタツヤ殿の世継ぎを望まれています! 牙犬族の女は安産・子沢山で定評があるのです、お任せください!」
とサフィールは裸の胸を張る。が、竜也が頭を抱えてるのを見て不思議そうに首を傾げた。
「どうされたのですか?」
「……いや、何でもない」
恥じらいや色気の欠片もないサフィールに竜也はその気を取り戻すのに大いに苦労する。だが何とかサフィールに恥をかかさずに一夜を過ごすことができたのだった。
さらにさらにさらにその翌日の夜。
「……誰もいないか」
順番からして今夜はディアが待っているのではないかと怖れた竜也だが、寝室のベッドには誰もいなかった。その夜、竜也は久々の独り寝で心身をゆっくりと休めた。
そして翌朝。竜也が熟睡から目を覚ますと、
「ようやく目が覚めたようだな、皇帝」
腕の中には半裸のディアの姿があった。
「え? え?」
と混乱する竜也にディアが、
「昨夜はなかなか激しかったな」
とにやにやしながら追い打ちをかける。竜也は顔を青ざめさせた。
「――まあ、ただの冗談だが」
ディアの言葉に竜也は突っ伏し、枕に顔を埋める。竜也が気を取り直し、顔を上げて恨めしげな目をディアに向けたのはかなり時間が経ってからである。
「……ディア」
ディアは「すまんすまん」と言いながら竜也の背中に手を回し、その胸に顔を埋める。竜也はちょっと焦った。
「な、何を」
「ここは心地良いな。もう少しこうさせろ」
ディアが年相応の無邪気な笑みを見せ、竜也が一瞬真剣な表情となる。ディアのその緊張を解いた、屈託のない笑みは竜也が初めて見るものである。今竜也の腕の中にいるのは銀狼族の族長ではなく、ただの年頃の少女だったのだ。
――その日以降、ディアもまた竜也と夜を過ごすローテーションに組み込まれることとなる。成人していても皇妃ではないディアは竜也にとってはラズワルドと同じ扱いで、単に一緒のベッドで眠るだけで他には何もない。が、事実がどうあれ未婚の少女にそんな真似をさせている以上、第三者からすれば夜伽をさせているのと何も変わりはなかった。竜也もそのことは自覚しており、
「ディアのことは皇妃に準ずる扱いとするように」
と公邸の女官やメイドに正式に命じている。つまりそれは「ディアをいずれは皇妃にする」と宣言したも同然だった。それを知ったディアが、
「――計画通り」
と悪辣な笑みを見せたかどうか、それは定かではない。
ティベツの月の中旬のその日、竜也はある連絡を受けてサフィナ=クロイの港へとやってきていた。ベラ=ラフマがそれに同行する。
港には海軍の高速船の他、見覚えのある商船が停泊していた。そして桟橋には久しぶりに会う二人の人物が佇んでいる。
「ルワータさん。それにアニードさん」
竜也は早足で二人に接近、まずはムハンマド・ルワータと固く握手を交わした。
「お久しぶりです」
「皇帝も元気そうで何よりだ」
次いで竜也はアニードに顔を向けた。
「アニードさんも……」
そこまで言って、竜也は我知らずに言葉を途切れさせた。
「ふん、小僧も正式に一国の国主か」
過酷な経験のためか、アニードはかなりやつれて人相が変わっていて、まるで別人のようである。だがその太々しい態度は以前のままだった。
竜也達四人は海に面した海軍施設に移動、そこの応接室で会談を持つこととなった。
「エレブ情勢はどうなっていますか?」
竜也は開口一番にそれを訊ねた。ルワータが人が悪そうな笑みを見せる。
「一言で言えば大混乱だ。教皇インノケンティウスも倒れた」
竜也が「倒れた」とオウム返しにし、ルワータが頷く。
「ガイル=ラベク達の海上封鎖もあってヌビアでの戦況はエレブには充分伝わらなかったのだが、それでも焦土作戦で聖槌軍が膨大な死者を出していることは聞こえてきた。その頃から教皇はよく伏せるようになったそうだ。
聖槌軍がスキラで立ち往生して戦況が好転しないままなので、エレブでも私的な場所でなら聖戦に対する疑念が口にされるようになった。そして『タンクレードの一万を残して聖槌軍が全滅した』という知らせがエレブにも届いた。タンクレードが皇帝と和平を結んだことも、エレブに戻るために足手まといの味方一七万を皆殺しにした話もエレブ中に広まった。それでついに教皇が倒れたのだ」
その話を、タンクレード軍の所行をエレブ中のバール人に広めて回っているのはルワータ自身なのだが、そんな素振りはのぞかせもしない。そのルワータにベラ=ラフマが確認する。
「教皇が死んだわけではないのだな」
「まだ死んではいないが、教皇ももう八〇歳近い。おそらく二度と起き上がりはできないだろうし、すでに死んだも同然だろう」
今度は竜也が、
「それじゃ、次の教皇は?」
「枢機卿ニコラ・レミが名乗りを挙げている。他にも手を挙げている者は何人かいるそうだが、ニコラ・レミが今のところ最有力候補だ」
その言葉に竜也は腕を組み、気難しげに考え込んだ。
「ニコラ・レミが聖槌軍を再発動する可能性は?」
竜也の懸念にルワータが苦笑しつつ手を横に振った。
「いくら何でもそれはあり得ない。百万が出征して一万しか戻ってこなかったのだぞ? その一万も英雄として凱旋したわけでは決してない」
「今エレブで問題となっているのはその一万の扱いなのだ」
といきなりアニードが口を挟んできた。
「教皇庁からすれば、将軍タンクレードは聖杖教を裏切ってヌビアの皇帝と手を結び、味方を殺戮して逃げ帰ってきた背教者だ。ニコラ・レミは将軍を異端認定し、討伐のための出兵を呼びかけている」
「なるほど、その功績を持って次期教皇就任を確実にしようということか」
ベラ=ラフマの言葉にアニードが「その通りだ」と頷いた。
シラコを根拠地としたタンクレード軍は支配領域の拡大を進めた。攻略対象となったのはタプソス、アクライといった近隣都市だ。元々聖槌軍に徴兵されて戦える人間がろくに残っていない町であり、タンクレード軍は無人の荒野を進むがごとくに二つの町を制圧した。自分達に逆らう市民は一人も逃さず殺して回り、金品という金品は略奪され、女という女は強姦された。そもそもタンクレード軍の、聖槌軍の一般兵にとっては「聖戦」など単なる題目。それにかこつけた略奪や強姦こそが本当の目当てだったのに、ヌビアでは焦土作戦のためにろくにできなかった。その機会をトリナクリア島でようやく掴んだのだ、タンクレード軍の兵士達が自制するはずもない。
「……」
話を聞いていた竜也は不快感を無表情で押し隠している。アニードもそれを感じ取っているようだが気付かないふりをして話を続けた。
「ニコラ・レミがレモリアやフランクの領主に呼びかけ、兵を集めている。一方我々には兵を増やすあてがない。今の一万だけでニコラ・レミの討伐軍を迎え撃たなければならないのだ」
自軍の将兵の暴走にタンクレードは頭を痛めているが、それを強く制止できない弱みがあった。タンクレードの元に集まっているのは聖槌軍の生き残りであり、いくつもの国を出身地とする雑多な寄せ集めだ。ヴェルマンドワ伯ユーグのように地位や名誉で部下に報いることも、アンリ・ボケのように自身の正義を妄信させることも、タンクレードにはできない。できる立場でも状況でもない。タンクレードにできるのは利益で部下を釣ること、それだけなのだから。
市民を殺戮し女を強姦するタンクレード軍は竜也としては到底味方するに値しない相手なのだが、
「――判った、帝国として支援を約束する」
皇帝としての判断はまた別物である。
「トリナクリア島に討伐軍を送るにはそれだけの輸送船が必要だ。海軍を使ってその輸送船を攻撃させる。全部は無理でもある程度は沈めて、上陸する敵兵を減らす」
「閣下に代わり、皇帝に感謝する」
アニードはあからさまに安堵の様子を示した。上機嫌となったアニードが、
「皇帝には我が商会が帝国の各商会と取引をする許可を願いたい。銃や大砲を売ってほしいのだ。我が商会からは小麦や奴隷を売却する」
その奴隷がトリナクリア島の無辜の島民をおとしめたものであることは何も言わずとも明白だった。嫌悪感を募らせた竜也は一瞬ためらうが、
「――構わない」
と返答した。
……タツヤの許可を得たアニードは、早速顔見知りの商会の元に商談をしに向かう。その応接室には竜也、ベラ=ラフマ、ルワータの三人が残された。
「……ベラ=ラフマさんには近々ケムトに行ってもらう予定にしている。だからトリナクリア島のことはルワータさん、あなたに担当をお願いしたい」
竜也の言葉にルワータが頷く。
「ケムトとエジオン=ゲベルが片付くまで長くとも一年。その一年間はタンクレード軍の反乱が続くように頼む。エレブを、教皇庁をトリナクリア島に釘付けにするんだ」
ムハンマド・ルワータが「判りました」と返答する。竜也はそれに頷きながら、氷のように冷たい目を想像上のトリナクリア島へと向けていた。
それから数日後、その日も竜也はサフィナ=クロイの港へとやってきていた。今回竜也に同行しているのはラズワルドである。ベラ=ラフマもまたその場にいるが、
「それでは皇帝、出発します」
「ああ、身体に気を付けてくれ」
これから出港する船に乗り込むところだった。ベラ=ラフマがケムト遠征軍の受け入れ準備のために一足先に東へと向かうこととなり、竜也達はその見送りに来ていたのだ。
「ほら、ラズワルドも」
と竜也に促されて少女は「ん」と返答をするが、それきり黙ってベラ=ラフマを見つめるだけだ。ベラ=ラフマもまた無言のままで、竜也は困ったような笑いが宙に浮いた。それでも両者の間にはそれなりの感情や気遣いの交流が存在するようだった。
ベラ=ラフマ達を乗せた船が桟橋を離れて出港する。それを見送っていた竜也達だがやがて背を向け、その場を離れた。
次いで竜也が向かった先は港に停泊していたガイル=ラベクの旗艦である。軍船の、あまり広くない船長室。部屋の片隅では椅子に座ったラズワルドが少し退屈そうに足をぶらぶらと振り、竜也はガイル=ラベクと机を挟んで向き合っている。机の上には地中海を中心とした三大陸の地図が広げられていた。
「討伐軍がレモリアからトリナクリア島に移動するには当然ながら船を使う。その船を攻撃して可能な限り沈め、トリナクリア島への上陸を阻止する」
ガイル=ラベクは「ふむ」と手で支えるように顎を触った。
「……エレブ側の海域に入って戦闘をするなら近くに拠点がほしい。カルト=ハダシュトでは遠い」
「それじゃ、ここか?」
「そうだな。今の帝国ならその島の占領くらいは容易いことだ」
二人は互いの言葉に頷き合う。竜也達が指差す地図上の島、それは元の世界ではマルタ島と呼ばれる島であり、この世界ではメリタ島という名前だった。
ティベツの月も下旬に入る頃。その日、竜也が訪れたのはナハル川沿いの野戦本部である。戦争が終わってからはしばらく閑散としていたその場所だが、今は人や兵が溢れ、活気に満ちていた。ケムト遠征軍がその場所を集合地点としているのだ。遠征に参加するのはマグドの奴隷軍団、それにタフジールの率いる第十軍団だ。
竜也は足の向くままといった様子で陣地内を歩いて回り、兵の様子を注意深く観察している。竜也の隣にはラズワルドがいるが、少女の力を借りなくても兵が微妙に殺気立っているのは判ることだった。
奴隷軍団と第十軍団の陣地を抜け、エレブ人部隊の陣地に入ろうとする竜也だがバルゼル達近衛に止められて断念した。それから竜也は野戦本部の天幕へと向かう。
「一万五千……まあまあだな」
マグドから受け取ったケムト遠征軍・その中のエレブ人部隊の編成表に目を通し、竜也はそんな風に呟いた。エレブ人部隊は二隊に分けられ、一隊は貧乏貴族出身のベルナルドが、もう一隊は傭兵出身のガルシアが率いることになっている。一方のマグドはしかめ面だ。
「まあな。ヌビア人の部隊はその倍近くになる。最悪エレブ人部隊の全員が反乱を起こしても致命傷を負わずに潰せるだろう」
マグドの懸念に、
「そんな心配はいらない」
と胸を張るのはラズワルドである。
「わたしが一人一人をちゃんと確認した」
ラズワルドの言葉を白兎族のラキーブが補足する。
「白兎族が総出になって不穏分子を排除しています。現時点では反乱の心配など杞憂です」
さらにディアがラキーブの補足をした。
「エレブ人部隊には銀狼族や灰熊族、それに戦争中からヌビア軍に協力している者達が入り込んでいる。反乱の兆候があればすぐに判るようになっているが、今のところはそんなもの微塵も感じない。……もっとも、行軍中に補給がされないとか、あまりに危険な、あまりに屈辱的な命令が下るとかがあったならどうなるかは、わたしも保証はできないがな」
「そういうことだ、将軍マグド」
と竜也が話をまとめた。
「エレブ人部隊を差別することなく、奴隷軍団や第十軍団と同等に扱ってほしい。将軍マグドは解放奴隷を集めた軍団であのヴェルマンドワ伯と互角に戦い、トズルを守り抜いたんだ。これは将軍にしかできないことだ」
竜也の言葉にマグドは肩をすくめるしかない。
「まあ、そこまで言われちゃやるしかないが……それにしてもエレブ人とヌビア人の間で溝がありすぎる。何とか溝を埋めなければ遠征どころではない」
「確かに。そこで考えたんだが――」
と竜也があるアイディアを披露。マグド達が若干の修正を加え、それは早速実行に移されることとなった。
数日後、竜也は再び野戦本部前を訪れた。そこには遠征軍に動員された兵士のうち四千余が竜也を待っていた。第十軍団から千、奴隷軍団から千、二つのエレブ人部隊から各千である。が、兵士達は全員上半身裸であり、手には何の得物も持っていない。
「いいか、野郎ども!」
とマグドの副官のシャガァが配下の奴隷軍団に檄を飛ばしている。
「今日はただの演習だし、死人が出ないよう得物もなしだ。……だが、皇帝がご覧になっているんだ。頭の顔に泥を塗るんじゃねぇぞ!」
「応!」
奴隷軍団の兵士達は一斉に拳を突き上げ、その檄に応えていた。
まずは、各隊の剣士による模範試合である。エレブ人部隊の中から騎士出身で剣の腕に覚えのある者が出場、奴隷軍団や第十軍団の腕利きの剣士と木刀で試合をする。
「サボナ男爵家臣が騎士・ルイ、参る!」
「その名も高き奴隷軍団のガマルとは俺のことだ! 来い!」
奴隷軍団が、エレブ人が、自分の仲間の戦いを観戦し、喉を枯らして声援を送っている。勝者には竜也が自ら賞金を渡した。なお、賞金を独占されるとまずいので恩寵の戦士は出場禁止となっており、審判役を務めている。試合形式の剣技にはエレブ人の方が一日の長があるようで、一〇試合してエレブ人側が大きく勝ち越していた。
剣の試合で皆が充分熱くなったところで、次は集団での模擬戦だ。
「……しかし、皇帝の元いた国じゃ随分変なことが行われていたんだな」
「まあ確かに。でもなかなか楽しくないですか?」
三人の兵士に担がれたマグドが上半身裸で腕を組み、その頭部には鉢巻きが風になびいている。マグドの周囲には同じく四人一組の一団、二百騎余の騎馬軍団が。竜也が元いた世界、日本の学校の運動会でおなじみの、騎馬戦の騎馬である。
ルールもまた日本のそれと同じ。騎馬の上に乗る騎士役が鉢巻きを取られるか、騎馬から落ちたなら死亡判定。敵よりも多くの騎士が生き残ったなら勝ちだが、大将が死亡判定を受けたならその陣営はそこで負けとなる。
マグドは少数の部隊で自分を守る一方、自軍の大半をシャガァに預けて一気に敵を蹴散らし、敵将の首を挙げる(敵将を死亡判定させる)という作戦を立てていた。が、敵将ガルシアも同じような作戦を立てていたようである。両軍の大半が真正面から衝突、わずかばかりの間に両軍の三百騎あまりが戦場から脱落した。
「うわ……」
一方竜也は実戦と見間違わんばかりの光景に血の気が引いている。演習に参加しているのは一人の例外もなくほんの三ヶ月前まで実際に殺し合いをしていた者達なのだ。いくら演習と言われようと、先日までの敵を目の前にして頭に血が昇らないわけがない。
マグドは自ら率いる本陣を動かし、戦場を大きく迂回し敵本陣へと投入。敵大将との一騎打ちに持ち込んでその鉢巻きを奪い取る。騎馬戦の演習は奴隷軍団の勝利で第一戦を終えた。
その後、タフジール率いる第十軍団とベルナルド率いるエレブ人部隊が騎馬戦で激突。この戦いはどちらが先に敵将を落としたか判別が付かず、勝敗なしとなった。
演習後、
「お前さんのおかげで何とか体面を守れたよ」
「いえいえそんな。将軍が私より強かっただけのことで」
マグドとガルシアの間ではそんな言葉が交わされており、竜也は竜也で、
「タフジールさんもベルナルドさんも上手く演じてくれたようだな」
と胸をなで下ろしている。本気の勝負でもしマグドが負けたならマグドの資質に疑義が差し挟まれ、遠征に支障を来しかねない。かと言って、聖槌軍戦争の敗者たるエレブ兵がここでも負けるようならエレブ人部隊の士気は上がらないし、ヌビア側のエレブ人部隊に対する軽侮は募るばかりとなってしまう。
つまり、最初からシナリオは決まっていたのだ。まずは剣術の模範試合でエレブ人に花を持たせ、次の騎馬戦の第一戦ではマグドが勝ち、第二戦は引き分けにして遺恨なしとする。これでヌビア側も「エレブ人は侮れない」と感じただろうし、エレブ人も「指揮さえまともなら俺達だって負けやしない」と思えたことだろう。
演習後、竜也が全員の健闘を讃え、褒美として大量の酒が運び込まれる。酒盛りがその場で始まり、大いに盛り上がった。ヌビア人とエレブ人が互いに酒を酌み交わし、競争するように酒樽を空にしていく。酒が入れば当然ながら喧嘩を始める者も出るが、
「うなじー!!」
「ふくらはぎー!!」
喧嘩は全部「ぐっと来る部分デスマッチ」で勝負を着けることを強要し、深刻な対立も笑い話に変えてしまう。酒盛りと「ぐっと来る部位デスマッチ」は一晩中続けられた。
そして月は変わって、シャバツの月(第一一月)の月初。マグド率いるケムト遠征軍三万七千がサフィナ=クロイを出立した。なお第十軍団の出立はまた後日である。
先の演習でヌビア人とエレブ人の溝が全て埋まったわけではない。だが両者は互いの力量を認め合い、多少なりとも交流も生まれている。
「あのマグドさんが率いているんだ。行軍中に溝はもっと埋まっている。ケムトに着く頃にはエレブ人部隊も戦力として計算できるようになっているだろう」
遠征軍を見送る竜也はそう確信していた。
シャバツの月の初旬、帝国府で仕事をする竜也の元をガイル=ラベクが訪れる。ガイル=ラベクはメリタ島占領の作戦案を竜也へと提出した。作戦は海軍の二個艦隊をメリタ島の港に突入させ、歩兵一千を上陸させるというものだが、
「少ない」
竜也はそう不満を漏らした。ガイル=ラベクは苦笑する。
「あんな小さな島にこれ以上の兵を投入しても……借金が増えるだけだぞ?」
だが竜也は大真面目だ。
「提督は借金のことなんか気にしなくていい、動員できるだけの海軍艦隊を動員してくれ。来月にはゴリアテ級の六号艦から一〇号艦も進水するから、それも使おう」
ガイル=ラベクとしては「大げさなことだ」と思わずにはいられない。だが竜也の命令に逆らうこともしなかった。
ガイル=ラベクがメリタ島占領の作戦準備を進める一方、竜也は皇帝としての仕事に追われている。
「西ヌビアについては今後五年の課税を免除。東ヌビアの課税率は最大で収入の二五パーセントに収める。人頭税の目安が収入の一〇パーセント、土地税が一五パーセント程度。各町の関税は全廃し、船舶に対して課税する」
「ケムトに対する課税率は?」
「一年目は四〇パーセント。それ以降は段階的に下げて、最終的には三〇パーセント内に抑える」
課税は権力者の権利であり義務だが、最も難しい政治問題でもある。竜也はアアドル達閣僚や官僚と連日協議し、市民が受け入れやすい――我慢しやすい税制の策定に腐心した。
「とにかく、税制は簡素で公平が一番だ。それに『取りやすいところから取る』ではなく『あるところから取る』でなくちゃいけない。ああ、それから聖槌軍戦争への貢献も考えないと」
竜也は聖槌軍戦争での戦死者を出した家庭への免税を指示。また、公債を使っての納税に対する優遇措置も決定した。
「公債を使って納税する場合、額面一タラントの公債が一・〇五タラントの税額に相当するようにする。来年以降、二年目は一・〇六タラント、三年目は一・〇七タラントだ」
そして月は変わってアダルの月(第一二月)の月初。ゴリアテ級六号艦から一〇号艦が進水。それと同時にメリタ島占領作戦が発動される。
ガイル=ラベク旗下の帝国海軍艦隊五〇隻がメリタ島を包囲。さらには一一隻のゴリアテ級が港に突入、そこから八千の兵が下船し上陸した。上陸した兵は港に陣地を築き、その上でメリタ島の領主との交渉を開始した。いや、それは交渉などではない。
「今日よりこの島はヌビア帝国の領土となった! ヌビアの皇帝は慈悲を持ってお前達を支配し、統治する。それを望まぬ者は、今剣を取って戦うか、この島から出ていくか、いずれかを選べ!」
圧倒的な武力を背景に、一方的に宣言し、通告したのである。
その通告を受けたのはメリタ島領主・男爵ヴァレットだ。ヴァレットは賢明な男であったらしく無益な抵抗は一切しなかった。皇帝の臣下となることを聖杖教の神に誓約し、自分の部下のうち帝国に反抗しそうな者はヌビア海軍の船によりレモリア本土まで送り届けさせた。
こうして一滴の血も流れることなく、メリタ島はヌビア帝国領土となった。竜也はそれを大いに喜び、メリタ島民の来年一年の納税免除を決定した。
アダルの月の中旬、レモリアから戻ってきたムハンマド・ルワータが竜也の元を訪れる。
「メリタ島占領は上手くいったそうですね。おめでとうございます」
「ああ、戦闘が全く発生しなかったのは幸いだった」
と竜也は上機嫌である。
「これでニコラ・レミがタンクレード軍の討伐軍を出征させても対応できるだろう。討伐軍はどうなっている?」
竜也の問いにルワータは苦笑を見せ、竜也は不思議そうな顔をした。
「皇帝はニコラ・レミがどれだけの兵を集めたとお思いですか?」
竜也は首をひねりながらも、
「そうだな。俺だったら最低でも二万、できれば三万は用意して出征させるけど」
「ニコラ・レミの元に集まった兵は一千足らずだったそうです」
その数字に、竜也はしばらく開いた口がふさがらなかった。
「……ニコラ・レミにはそこまで力がなかったのか?」
「仮にも枢機卿です。聖槌軍戦争の前ならば五万でも六万でも集めるのは容易かったでしょうが、あの戦争がエレブの全てを変えてしまったのです」
タンクレード討伐の檄に背を向けたのはアルトワ伯やその傘下の領主だけではない。アルトワ伯はそれでも申し訳程度には兵を送ってきたが、それすら送らず拒絶するだけの諸侯の方がずっと多かった。
実際、聖槌軍に参加したためニコラ・レミに協力したくてもできない諸侯がほとんどであり、彼等は「無い袖は振れない、異端認定をするならすればいい」と半ば自棄でニコラ・レミの要請を拒絶したのだ。だが拒絶したのが自分だけではなくほぼ全ての諸侯であることが判ってきたため、諸侯の側も勢いづいている。
「『教会の坊主に指揮を委ねたなら送り出した兵が帰ってきたときには百分の一になってしまう』――レモリアの諸侯はそう言ってニコラ・レミの要請を拒絶したと聞いています」
竜也はニコラ・レミの境遇に嗤いを浮かべるしかない。ニコラ・レミは次期教皇に足るだけの権威・政治力を自分が持っていることをアピールしようとしたのだが、結果は全くその逆となってしまったのだ。
「ニコラ・レミは次期教皇の座を自分で遠ざけてしまった、ということか」
「まさしくその通りです。ですが他に有力な候補がいるわけではありません。教皇庁は次期教皇の座を巡って分裂するかもしれません。これまで教会の権威が抑え込んでいた紛争の火種はエレブ中に存在します。おそらく、この先エレブはかつてのような戦乱の地に逆戻りするのでしょう」
ルワータの言葉に竜也は「そうか」としばらく天井を見上げていた。
「……この分ならタンクレード軍はしばらく安泰だ。一年と言わず、二年でも三年でも反乱が続くかもしれない。一年や二年の短期間でエレブが聖槌軍を再結成してヌビアに再侵攻する危険性は、ゼロだと考えていい」
独り言のような竜也のまとめにルワータが「はい」と頷く。
「今のうちだ。ケムトとエジオン=ゲベルを片付けて東側の安全を確保する」
そして月は変わり、年も新しくなり、海暦三〇一七年ニサヌの月(第一月)。
その月初、サフィナ=クロイの港にはゴリアテ級のゼロ号艦から一〇号艦までが勢揃いしている。ゴリアテ級を護衛するのはムゼー率いる海軍第二艦隊、ザイナブ旗下の第五艦隊だ。そしてタフジール麾下の第十軍団の兵八千がゴリアテ級に搭乗していた。
竜也とバルゼル達近衛もまたゴリアテ級に乗り込むところである。だが、
「わたしも一緒に行く」
「駄目と言ったら駄目」
「行くと言ったら行く」
ラズワルドが竜也の服の裾を掴んで離さない。竜也は途方に暮れてしまった。
「家族と別れたくないのは兵も同じだよ。それを率いる皇帝が自分だけ家族を連れて戦地に赴くわけにはいかない」
竜也はラズワルドを何とか説得しようとし、
「戦いが終わって向こうの情勢が落ち着いたら呼ぶから、それまで待っていてくれ」
「ラズワルドさん、タツヤ様をあまり困らせてはいけませんよ」
ファイルーズもまた協力する。ファイルーズに手を引かれたラズワルドが驚いたようにファイルーズを見つめ、
「……判った」
とようやく引き下がった。竜也はそれに安堵する。
「それじゃ皆、元気で。できるだけ早く呼べるようにする」
竜也はファイルーズ達六人に手を振り、ゴリアテ級に乗り込んでいく。
「どうかご無事で」
「……」
「気をつけてください」
「怪我しないでくださいね」
「ご武運を!」
「油断せぬようにな」
ファイルーズの声を背に受け、竜也達を乗せたゴリアテ級はケムトへと向けて出港する。ケムトまでは海路二ヶ月の旅程を予定していた。