「黄金の帝国」・征服篇
第五六話「家族の肖像」
月は変わって、シャバツの月(第一一月)の月初。
一〇ヶ月ぶりにサフィナ=クロイに戻ってきた竜也が帝国府の新しい行政庁舎にやってくる。竜也が不在の間にバリア達はゲフェンの丘の上に行政庁舎の再建を開始。竜也がその場所を訪れるのは「長雨の戦い」から一年数ヶ月ぶりのことだった。
丘の上に建設中の行政庁舎を見上げ、竜也は「おー」と感嘆を上げる。巨大な石造りの建物が木材の足場で囲われ、千を越える人足が働いている。庁舎の周囲にも木々が植えられ、石畳の道路が整備されていた。その場所から戦争中の往時の面影を見出すのも、戦いの爪痕を探し出すのも困難だった。
庁舎は建設中であるためゲフェンの丘の上に移動した行政機関はまだごく一部で、官僚のほとんどは町中の仮設帝国府に残ったままだった。真っ先に元老院の議場が使用可能となっており、それに伴い元老院関係の官僚や事務員が移動してきている。
バリアに案内されて竜也は元老院議場へと足を踏み入れた。贅沢や派手なことの嫌いな竜也の性格に合わせ、余計な装飾のない、どちらかと言えば簡素な造りである。だが決して質素でも貧相でもない。四方にはヘラス風の大理石の飾り柱が並び、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
議場内には十数人の元老院議員が集まって世間話をしているようだ。その彼等が竜也の姿を認め、
「これは皇帝陛下!」
と一斉に駆け寄ってくる。それらの議員に包囲された竜也は戸惑いを隠しながら状況を把握しようとする。議員の顔には大体見覚えがあった。
(……オエアの長老、サブラタの長老、レプティス=マグナの商会連盟代表……東ヌビアの比較的近い町から来ている議員達か)
「皇帝陛下にはケムト征服の戦勝、誠におめでとうございます!」
「これも皇帝陛下の御聖徳というもの!」
サブラタの長老は竜也の手を握って振り回すように強く振った。他の者達も口々に竜也の偉業を褒め讃える。
「ありがとうございます」
空々しいくらいの大仰な賞賛に竜也は困惑を隠すので精一杯だ。だが媚びを売っているのは確かだとしても、心にもないへつらいをしているわけでもなさそうだった。
サブラタの長老が竜也に顔を近付け、
「ところで皇帝陛下。私の孫娘が今度一四歳になりまして、皇帝陛下の元で行儀見習いをさせていただければ……」
そこにオエアの長老がサブラタの長老を押し退け、
「私の娘は今度二〇歳になりますが大変気立てのよい娘でして」
さらにはバール人商人がそこに割り込んで、
「私の娘は先日一七歳になりましたが三大陸一の美人とレプティス=マグナでも評判です!」
呆けたようになっている竜也を余所に、議員達はヒートアップする一方である。
「いくら顔がよくてもあんな枝切れみたいな身体では皇妃に相応しくあるまい。うちの娘は胸の大きさでは誰にも負けんぞ!」
「お前のところの娘は単に太いだけだ。皇妃となるにはやはり見栄えがよくなければ」
「何だとこの野郎!」
議員達が掴み合いの喧嘩寸前になっている隙を突いて、竜也はこっそりと議場から脱出した。だが逃げた先にも別の元老院議員がいて、
「皇帝陛下、是非我が娘を皇妃に」
「皇帝陛下、是非我が孫娘にお情けを」
と竜也に追いすがってくる。全速力で走って逃げて、竜也はそれを振り切った。執務室に逃げ込んで何とか一息付く竜也。が、
「遅かったな、待っていたぞ」
「お前に紹介したい奴がいるんだ」
執務室ではサドマとダーラクが待っていて、二人はそれぞれ年頃の娘を連れ立っていた。竜也は思わず床に座り込んでしまう。
「私の義妹のシャラールだ。歳は一六」
身長は比較的高めでスレンダーな体格、勝ち気そうな美少女だ。褐色の肌に明るい金髪のストレートのロングヘアが特徴的で、金髪の下からは同色の獣耳が生えている。サドマの紹介を受け、シャラールは竜也に対しにっこりと微笑みを見せた。
「俺の長女のサイカだ。この間一六歳になった」
身長は低めだがプロポーションは抜群。生意気盛りだが愛嬌もある美少女、といった雰囲気だ。肌の色は薄めで、焦茶色の天然パーマのショートヘア。髪の中からは虎縞の猫っぽい耳が飛び出している。ダーラクの紹介を受け、サイカは引きつったような愛想笑いを何とか浮かべた。
「……先に言っておきますけど、俺は皇妃をこれ以上増やすつもりはありませんから」
と予防線を張る竜也だが、
「ヌビアは三大陸最大の大国で、タツヤ、お前はその国の国主なんだぞ。皇妃がたった六人では話にならん。六〇人でも少ないくらいだ」
サドマの言葉にダーラクも強く頷き、
「とりあえずあと一人や二人は男の甲斐性で受け取ってしまえ。見ろ、自慢の娘だ! 顔でも戦闘力でも、牙犬族の娘や銀狼族の娘にも決して負けはせん。胸の大きさは圧倒している!」
と赤虎族の親子は偉そうに胸を張った。一方金獅子族兄妹は悔しげな顔をするが、
「皇妃に必要なのはまず才覚、ついで美貌だろう。シャラールはその点では将軍の娘やバール人の娘にも勝るとも劣らない。――薄い胸にも独特の趣や味わいがあるとは思わんか?」
自分の言葉に納得するように頷くサドマとシャラール。一方竜也は頭痛を堪えるように眉間を抑えている。
「お気持ちは嬉し……くないもことないですが、見ず知らずの子を娶るつもりはないし、皇妃をこれ以上増やすつもりはありません」
と竜也は断言するが、その程度で引き下がる二人ではない。
「それなら親しくなってくれればいい。サイカも公邸に行かそう」
「シャラールも帝国府で働かせる。それに、不公平ではないか」
竜也は「不公平?」と首を傾げる。
「牙犬族や銀狼族からは皇妃を受け取っているのに何故金獅子族からは受け取れない? 金獅子族の働きは犬共に劣るとでも言うのか」
サドマの指摘にダーラクも「同感だ」とばかりに頷いていた。竜也は当惑しつつも誤解を解こうとする。
「牙犬族も銀狼族も確かに戦争中はよく働いてくれましたが、それとサフィールやディアのことは無関係です。金獅子族や赤虎族、サドマさんやダーラクさんの戦功についても相応の地位に就いてもらうことで報いるつもりです」
が、サドマ達は竜也の説明を全く聞いていないかのようだった。
「それはもちろんだが、そのついでにシャラールをもらってほしいと言っているのだ」
「大体、六人というのが少なすぎるんだ。娶ったところで誰も損をするわけじゃあるまい、ここは一つ皇帝として度量の広いところを見せるべきだろう」
竜也は途方に暮れてしまう。そこに突然、扉が開いて十数人もの人間が応接室になだれ込んできた。その全員が恩寵の部族から選出された元老院議員である。
「そういうことでしたら皇帝! 我が鉄牛族からも皇妃を!」
「我が人馬族は騎兵隊として欠かすべからざる功績を挙げたものと自負しております!」
「我が土犀族から皇妃を」
「いえ、我が胡狼族の方が」
彼等は口々に自部族の功績を挙げ、その上で竜也へと皇妃を差し出そうとした。戦功を訴えるあまりに他部族と言い合いになり、掴み合いになり、ついには乱闘が始まってしまう。その混乱に紛れ、竜也はこっそりと応接室を抜け出した。
だが逃げ出した先にも大勢が、元老員議員が、各地のバール人商会が、各地の自治都市代表が竜也の姿を探し求めている。竜也は身を隠し、追っ手をやり過ごしてこっそり移動し、どうにか人気のない場所に逃げ込んだ。
「一体何だってこんなことに……」
と頭を抱えてうめく竜也と、それを見下ろしているバリア。竜也が逃げ込んだのは建築中の領域で、建築資材の仮置き場となっている部屋だった。
「まず一つ理解すべきなのは」
とバリアが竜也へと諄々と解説する。
「皇帝の地位と権力が圧倒的に強大であり、それに伴う皇妃の地位は極めて魅力的であるということです。今から皇帝クロイに成り代わるのはまず不可能ですが、自分の手の者を皇妃に送り込むのはそれに比べてはるかに容易です。上手くすればその娘が産んだ子供が次期皇帝になるかもしれません」
豊かなケムトを征服し、東西の国境を安定させ、帝国の平和も皇帝の地位も最早盤石である。その領土は他国を大きく引き離して世界最大(地中海周辺の三大陸の中では・彼等が知る国家の中では)。それを支配するのは他者の掣肘を受けない絶対的な権力者・皇帝だ。その権力のおこぼれに与りたい、と思う者が皇妃を差し出そうとするのも当然だった。
「次に、聖槌軍戦争もケムト遠征も終わってしまい、平和が長く続きそうだという点です。今度の論功行賞で定まった各都市・各部族の地位はこの先何十年も、場合によっては何百年も変わることなく、そのままであり続けるかもしれません。少しでも自分の地位を上げるには皇妃の影響力も利用しなければならない、ということだと思います」
例えば、関ヶ原の戦いで定まった各大名の地位は徳川幕府が続く二六〇年間、各大名を縛り続けていた。バリアが言っているのはそういうことだろうと竜也は勝手に理解した。
「……しかし、一体どうしたら」
「まずは各部族や各自治都市が納得するような論功行賞を行うことでしょうか。皇妃の件はそれとは切り離すべきかと思います」
バリアの助言に竜也は愁眉を開いた。
「確かにそうだな。どうやったって全員は納得しないだろうけど、それに近付けることはできるはずだ」
「論功行賞については陛下が不在の間に準備を整えており、後は陛下の裁可を受けるだけです。皇妃の件は、私共では何ともできませんので陛下が何とかしてください」
竜也が半分不満げな、半分すがるような目を向けてくるが、バリアはそれに一切構わずに、
「皇妃の件が落ち着くまで仮設帝国府の方には来ないでください。元老院の方々に押しかけられると仕事になりませんので」
とさらに竜也を突き放す。言うだけ言ってバリアが立ち去っていき、竜也はがっくりと肩を落とした。
竜也はその日は人目に付かないようそのままその物置に隠れて過ごし、日が暮れてから夜闇に紛れるように帝国府を後にしたという……。
元老院議員達の皇妃献上運動は静まるどころか加熱する一方である。
一月後の新年に予定されている建国・即位式典に出席するために自治都市の各代表・恩寵の部族の各代表・商会連盟の各代表がヌビア全土からこの町へと集まってきている。元老院議員だけでなく彼等もまた竜也の元に皇妃を送り込むべく動いていた。
帝国府の通路は、それらの代表に連れられた皇妃候補が群れを成している。一目でも竜也の目に留まろうと美しく着飾っており、帝国府の通路はまるで舞踏会でも催されているのような華やかさだった。このため帝国府庁舎の建設工事はほぼ中断してしまっている。
一方議場では元老院議員が熱い討議をくり広げていた。
「……いくら皇帝であっても今皇妃を差し出そうとしている全員から皇妃を受け取れはしないだろう。皇妃の人数を制限するのは当然ではないのか?」
竜也の意向を受けた議員がそう唱えているが、
「牙犬族や銀狼族だけが皇妃を出しているのに他の部族からの皇妃は受け取れない、というのは不公平だ。全ての部族から受け取らないというのならその二人もまた皇妃の座を返上すべきだ」
恩寵の部族の議員がそう主張し、
「それならナーフィア商会の娘も皇妃を返上すべきだろう」
バール人商人の議員もまたそんな意見を述べている。
「しかしそれでは世継ぎを得るのに不安がある」
「確かに、ある程度は皇妃を持つ必要があるのは間違いない。アシューの王様なら小国でも三〇人や四〇人の側室がいると言うではないか」
「しかし、今のように誰も彼もが皇妃を献上しようとできるのは問題だ。皇妃を献上する資格というものを設ける必要があるだろう」
「それなら、元老院議員一人につき一人の皇妃を献上できるというのは」
その案に議員の大半が「おお、それはよい考えだ!」と同意を示す。その案が元老院の総意として決定されようとしていた。
執務室に閉じこもっている竜也はそんなことになっているとはつゆ知らず、
「……これは一体?」
「自治都市等が提出した皇妃候補の釣書です」
皇妃候補の身上書及び推薦文、そして見合い写真の代わりに肖像画が添付された釣書。それが執務机に山積みになっていた。竜也はうんざりした顔でその釣書に目を通していく。流れ作業的に釣書が次々と消化されていく中で、竜也がある肖像画に目を留めた。
「……オエアか。近いな」
竜也はその肖像画を手に、官僚を呼び止めてある指示を出した。
その翌日、公邸の船では皇妃の六人が食堂に集まっている。
「タツヤさんが山積みになった釣書の中から一人だけ選んで、この町に呼び寄せたそうです」
深刻な顔でそう報告するのはカフラであり、ファイルーズ達五人がそれに耳を傾けている。皇妃献上騒ぎが起こってからミカやカフラ達は帝国府への登庁を見合わせることを余儀なくされていた。が、ナーフィア商会の情報網を持ってすれば登庁せずとも竜也の動向を知るくらいは容易いことだった。
「まさかあのタツヤ様がそのようなことをするはずがありませんわ」
と笑いながら否定するファイルーズだが、
「わたしもそう思いますけど……でも、オエアのアーテファさんという方だけ呼ぶように命令が下ったのには間違いないんです。ちゃんと裏も取っています」
カフラの言葉に一同は顔を見合わせた。平均すれば半信半疑といったところだが、
「わたし達の誰かを皇妃から外し、その方を皇妃にするつもりなのでしょうか……」
サフィールなどは疑いの方にやや傾いていた。連日の他部族からの突き上げに弱気になっていようである。
「――始末するか」
と剣呑に眼を光らせるのはディアだ。六人の中で一番立場の弱い彼女は、自分の立場を守るために手段を選ぶつもりはなかった。ミカが「慌てないでください、事情を確認してからでも」とディアを宥めている。それでディアも気持ちを落ち着けたようだった。
「よく考えてみれば、お前が確認すればいいだけの話だった。そうだろう? 白兎族」
ディアの言葉に、一同の視線がラズワルドへと集まる。だが少女は、
「くだらない」
そう言い捨てて立ち上がった。そのまま一同に背を向け、食堂を後にしようとする。
「ラズワルドさん、どちらへ?」
「うるさい連中を追い払ってくる」
それだけを言い残し、ラズワルドは食堂を立ち去っていく。残された一同が顔を見合わせた。
「――ラズワルドさんはタツヤ様が浮気するとは考えてもいないようですわね」
「あの態度はそういうことだと思います」
ファイルーズとカフラが頷き合い、他の三人も安堵の様子を見せた。
港に停泊する公邸の船、その前には大勢の皇妃候補が押しかけている。公邸に潜り込んで居座ってしまい、そのまま皇妃として認められる――彼女達の全員がそんな目論見を抱いていた。彼女達はこの場でも美しく華やかに着飾っている。
「あらあら、随分獣臭いにおいがすると思ったら……」
「こちらからは貧乏臭いにおいがいたしましすわぁ」
だがその雰囲気は華やぎとは程遠かった。
「金に目が眩んだ親に売られたのかしら?」
「いくら光り物で身を飾っても性根の浅ましさまでは隠せていませんよ?」
皇妃候補は互いに鋭い視線で威圧し合い、たまに口を開いてもそこから出るのは嫌味や皮肉である。禍々しい瘴気が満ち、空気が濁っているようにすら感じられた。
突然、声にならない悲鳴が上がる。船の搭乗口側から戦慄がさざ波のように広がっていく。訝しげに思う皇妃候補だが、その彼女達の前に人混みを割ってある少女が姿を登場する。彼女達もまた悲鳴を上げそうになるが何とか踏み止まった。
「白兎族……!」
「悪魔……!」
悪魔と呼ばれたラズワルドはそう呼んだ者へと冷笑を向け、いつものように告げた。
「悪魔じゃない。『白い悪魔』」
ラズワルドは周囲をぐるりと見回し、周囲の皇妃候補は少女へと敵意と恐怖に満ちた視線を突き刺した。だがラズワルドはそれに何の痛痒も感じていない。そよ風でも受けているかのように涼しげな表情だ。
「……この船に入れていいかを確認をする」
端的に説明したラズワルドは近くにいたバール人と思しき派手な女性を見つめる。その女性は小さく身を震わせた。
「……男との関係を清算してから出直すべき。国元に二人、この町に二人」
絶叫を無理矢理呑み込んだため「ひぎぃぃ」とまるで蛙を踏み潰したかのような悲鳴となった。恥辱のあまり倒れそうになったその女性は、身体をふらつかせながら退いていく。
ラズワルドは次に近くにいた女性に目を留め、
「……実家でお金を使い込んだのを皇帝のお金で穴埋めするよう命じられている」
「嘘よ!」
女性はくり返し叫んで否定するが、周囲がそれに同調することはない。やがて居たたまれなくなったその女性は身を翻して逃げ出していった。
ラズワルドが次の獲物を探して周囲を見回し、一斉に数メートル人垣が退いた。人垣の後ろにいる者がラズワルドに目を付けられないうちにこっそりと逃げ出していき、人垣が次第に薄くなっていく。逃げる者は増える一方で、最後には全員が我先に逃げ出した。その場に残ったのはラズワルド一人――いや、もう一人残っていた。ラズワルドがわずかに眉をひそめる。
「皇帝のことで相談がある」
少女にそう告げるのはベラ=ラフマだ。ベラ=ラフマはラズワルドに案内され、船へと搭乗した。
以前ゲフェンの丘の上に設置されていた公邸は船底に穴が空いて船としてはもう使えないものだった。今竜也が公邸代わりとして使っているのは旧ケムトの大型軍船で、船としての機能が維持され、港に停泊している。だが、船としての機能を維持するにはそれだけの船員が必要だ。つまり、以前の公邸であれば竜也以外は男子禁制として部外者を完全にシャットアウトできたのだが、今の船ではそれが不可能である。もちろん厳しく制限されてはいるが、竜也以外の男もかなりの数が出入りしていた。
応接室で二人だけでしばらく話をした後、ラズワルドは食堂に五人の皇妃を集めた。
「それで、お話とは?」
ラズワルドはファイルーズ達五人を見回しながら、
「タツヤは皇妃をわたし達六人だけに留めることを望んでいる。元老院の者達にそれを認めさせるために人手がいる……って言ってた」
「人手?」
「第一皇妃と、第三皇妃のところ」
少女の言葉にファイルーズとミカがわずかに刮目。ファイルーズ達はラズワルドの言葉一層耳を傾けている。
それから数日後のその日。
「おはようございます! 皇帝陛下!」
竜也は唖然とする他ない。その日の朝帝国府に登庁した竜也を出迎えたのは、ベリーダンスの踊り子みたいな露出過多の格好をした皇妃候補だったからだ。赤虎族のサイカを筆頭に皇妃候補の中でも特に有力で、その上グラマーな女性数名が肌も露わな姿で竜也に接近してくる。竜也はそれから目を離せなかった。
「それでは行きましょう!」
竜也に胸を押し付けるようにその右腕を取るサイカ。別の皇妃候補が竜也の左腕に胸を押し付けており、竜也は鼻の下が伸びないよう取り繕うので精一杯だ。竜也に気付かれないようサイカが後ろを振り返り、シャラール達に対して勝ち誇った笑みを見せる。シャラール達は歯軋りしながらそれを見送った。
サイカ達が執務室で竜也の世話を甲斐甲斐しく焼く一方、シャラールは帝国府の一角の人気のない場所に他の皇妃候補を集めて対策を協議している。なお、集まったのはシャラールに対して比較的友好的な面々で、シャラールも含めて平坦な胸の持ち主ばかりだった。
「くっ、赤虎族があんな手を使うなんて……わたし達も何か考えないと」
「確かに今のままでは陛下に目を留めてももらえません」
「でも、わたし達があの格好をしても……」
と自分で言って落ち込むシャラール達。
「何か違う路線で勝負しないと」
と彼女達は悩み込むが、簡単にいいアイディアは出てこない。そこに、
「ふっ、わたしの助けを必要としているようね!」
その場の誰の者でもない声がした。一同が声の発した方へと視線を向ける。そこには壁に背を預け、腕を組んで佇む一人の女性の姿があった。年の頃は二〇代半ば。背は高く髪は長い、スレンダーな美女である。
「あなたは一体?」
「ふっ、我が名はヤラハ! エジオン=ゲベルの恋の女神と謳われたのはこのわたし、皇帝と第三皇妃の仲を取り持って結び付けたのはこのわたしよ!」
ヤラハは颯爽と名乗り上げ、堂々と一同の真ん中へと乗り込んでいく。シャラール達はどう反応したらいいか判らないまま、結果してヤラハを迎え入れる形となった。
「わたしの妹のミカが皇帝を落とした戦法を教えてあげるわ。胸の大きさが全てではないことをあのサイカ達に教え込んでやるのよ!」
あっけにとられたシャラール達はそのままヤラハに主導権を握られてしまう。ヤラハの主張する戦法が採用され、それが実行に移されたのは数日後のことだった。
「お、おはようございます皇帝陛下」
竜也はまたもや唖然とし、硬直するばかりだ。その日竜也を出迎えたのは、超ミニスカートのメイド服をまとったシャラール達だったからである。スカート丈は限界まで短くされており、小麦色の太腿が全開となっている。
呆けたような竜也の腕をシャラール達が手に取って帝国府の通路を進んでいく。今度はサイカ達は歯噛みをしてそれを見送る番だった。
――その日以降、皇妃候補は竜也へのアピールのためにメイドか踊り子か、そのいずれかの服をまとう選択を迫られた。その結果、帝国府に集った皇妃候補は二派に別れることとなる。シャラールを中心とするメイド服派と、サイカを中心とする踊り子派に。両者はそれぞれのやり方で竜也にアピールすることに血道を上げ、竜也は頭を抱え込んだ。
そんな折りにアミール・ダールからの報告書が届き、
「西ヌビアの視察に行く」
と竜也は決定する。帝国府の現状に辟易して逃げ出したかったこともその理由の一つ、と言うか大半だったことは間違いない。一方シャラールやサイカ達はそんなことにも気付かずに(気付いていても無視をして)暴走を続けている。
「サイカさん、ここは一つ皇帝陛下がわたし達のどちらを選ぶか勝負をしませんか?」
シャラールはサイカに対して果たし状を叩き付けた。
「陛下は西ヌビアに視察に行って、戻ってこられたときは疲れているはずです。陛下を歓待し、ゆっくり疲れを取ってもらう、わたし達がそれぞれ別にその準備をする。陛下がわたし達のどちらを選ぶかで勝負するの。いかがですか?」
サイカもまた不敵な笑顔でその果たし状を受け取った。
「いいだろう、望むところだ。どちらがより皇妃に相応しいか思い知らせてやる」
「それはこちらの台詞です」
こうして両派はそれぞれに皇帝歓待の準備を進めることとなった。
「ですがヤラハさん。陛下を歓待すると言ってもどのようにすれば」
と戸惑うシャラール達に、ヤラハは頼もしげな笑みを見せる。
「別に難しく考える必要はないわ、いつものようにすればいいだけよ。それより重要なのは……」
「重要なのは?」
「サイカ達の足をどうやって引っ張るか、よ! サイカ達の失敗はあなた達の得点、あなた達は敵の邪魔をして得点を稼ぐべきなのよ!」
シャラール達は思わず「おー」と感嘆した。ヤラハが示した判りやすい戦略をシャラール達は完全に承認、サイカ達の邪魔に注力することが決定される。
「さすがヤラハさんです!」
「ふっ、アミール・ダールの娘を甘く見ないことね! 誰に喧嘩を売ったかあの者達に思い知らせてやりましょう!」
ヤラハとシャラール達は心を一つにし、一斉に気勢を上げた。
一方のサイカ陣営でもまた似たような方針が採択されようとしていた。
「敵の妨害から自陣を守る一方、小さな嫌がらせをくり返して敵に疲労を強いるのです」
サイカ陣営でそんな戦術方針を提示するのはファイルーズの女官の一人、ハディージャだった。サイカは強く頷く。
「なるほど、陛下を歓待すると言ってもやるべきことは戦いなんだな」
「まさしくその通り、後宮とは女の戦場なのです。そしてその戦場の経験ではメン=ネフェルのわたし達に敵う者などいるはずがありません」
ハディージャが頼もしげに胸を張り、サイカ達は彼女へと尊敬の目を向けている。
「あなたが味方になってくれてよかったよ。これでこの勝負も負けはしない」
「ほほほ、メン=ネフェルの後宮で四千年間培われた嫌がらせの数々、思い知らせてくれますわ!」
こうして様々な者の思惑が渦を巻く中、シャラール達メイド派とサイカ達踊り子派は余念なく戦いの準備を進めている。竜也が西ヌビアの視察から戻ってくるシャバツの月の月末、その日が決戦の刻だった。
シャバツの月が下旬に入る頃、竜也は高速船を使ってカルト=ハダシュトを訪れた。視察には近衛の護衛の他、サフィールとディアが同行している。
カルト=ハダシュトはトリナクリア島の対岸に位置し、ヘラクレス地峡を除けばエレブに最も近い場所である。竜也はその町でアミール・ダールと合流、彼の案内で町中の視察に回った。
かつて聖槌軍の略奪を受け、破壊された町だが、かなり復興が進んでいる。町には活気が満ち、商売も盛んで問題は特にないように思われた。が、竜也はあることに気付く。
「……エレブ人の姿が多いな」
人足となって働く男、娼館で客引きをする女、エレブ人の姿がそこら中に見受けられる。竜也の疑問にアミール・ダールが答えた。
「エレブでは戦乱のために奴隷に身を落とす者が増えています。一方西ヌビアでは復興のために人手がどれだけあっても足りない状態です。多少でも蓄えがある者は皆エレブから奴隷を購入して働かせているのです」
町中の視察を終えた竜也達は港の軍の施設に戻る。竜也は執務室でアミール・ダールからより詳しい報告を聞いた。
「人手不足を奴隷で補うのも悪くはないでしょうが、問題は奴隷のほぼ全員がエレブから買われた者だということです。西ヌビアの民のエレブへの恨みは骨髄に徹しています」
奴隷を購入したからと言って、その奴隷に何をしてもいいかと言えば決してそんなことはない。奴隷への過度の虐待を抑制する文化や規律が社会の中には存在しているのだ。が、聖槌軍戦争を経て西ヌビアの社会や共同体が一旦解体されたため、奴隷虐待に対する抑制も非常に弱まっている。戦争以来エレブ人奴隷の市場価格が底値を打ったままであることもそれに拍車をかけていた。
普通の市民が共同で奴隷を買い、憂さ晴らしで私刑を加えて残虐に殺してしまう例が多発している。労働力として買われた奴隷も虐待され、酷使されるのが当たり前となっている。逆襲してヌビア人の主人を殺す例も少なくはない。一番多いのは逃亡奴隷が野盗となって出没する例だそうである。
「なるほど、エレブ人野盗の掃討がいつまでたっても終わらないのはそのためか」
竜也の言葉にアミール・ダールが頷いた。竜也は考え込むが簡単には結論は出ない。数日後には視察を終え、サフィナ=クロイへの帰路に着いた。アミール・ダールが建国・即位式典に出席するために竜也に同行している。
「勅令で奴隷売買の禁止と奴隷解放を宣言しようと思うんだが」
竜也はアミール・ダールやディアに相談するが、二人とも難色を示した。
「奴隷売買で利益を得ているのはバール人商人です。彼等の商売を禁止してしまうのは陛下であっても難しいでしょう」
「わたしの一族は帝国のために生命を懸けて戦ったのだぞ? その銀狼族と、ただ単に買われてきただけの者達が同列として扱われるのか?」
完全な奴隷解放を実施し、エレブ人奴隷と帝国市民の差別をなくしてしなうことを当初は考えていた竜也だが、反対を受けて軌道修正を余儀なくされた。
「――被保護民とか、そんな名称になるかな。責任ある帝国市民の保護管轄下にある民で、納税や兵役の義務を負わない。その代わり移動居住その他の諸権利を大幅に制限する。保護者となった帝国市民は、被保護民の生命生活を保全する義務を負う。もし被保護民が逃亡して盗賊となったら保護者が責を負う、と」
人身売買は二一世紀ですら完全には根絶されていないのだ。中世相当のこの世界で一足飛びにそれが実現できるとは竜也も考えてはいない。だが事実上の人身売買や事実上の奴隷をある程度は黙認するとしても、公然としたそれは完全に禁止する。奴隷という名称を廃止し、奴隷に対する虐待や殺害を禁止する――とりあえずはそこまで実現できればよしとすることとした。
サフィナ=クロイに戻った竜也がその案を官僚達や元老院で諮り、反対を押し切って奴隷解放の勅令を発するが、それは一年以上も先のことである。シャバツの月の月末、サフィナ=クロイに戻った竜也は重い気を引きずるようにして帝国府にやってきた。
「……これは一体」
そして呆然となってその惨状を眺めている。新築の帝国府庁舎の内装が見る影もないような有様となっていた。足の踏み場もないくらいに小麦粉がまき散らされ、水で濡れ、ソースや料理がぶち撒けられている。壁には刀傷が刻まれ、床の石畳は割られ、高価な硝子窓は微塵に砕かれていた。カーテンは裂かれ、扉は蹴破られ、机や椅子が積み上げられてバリケードとなっており、またはそれが崩され、挙げ句にはあちこちに小火と見られる焦げ跡すら付いていた。
竜也の目の前をメイド服と踊り子装束の皇妃候補が走り抜けていく。両者は手に持ってる箒やモップで斬り結び合っていた。
「一体何をしている!」
竜也が怒鳴り、ようやく彼女達は竜也の存在気が付いたようだった。
「こ、皇帝陛下……」
何とかその場を取り繕おうとするが、メイド服や踊り子装束は乱闘でボロボロとなっているし、何より周囲の惨状は隠しようがない。無駄な努力だった。
「馬鹿騒ぎをすぐに止めろ! 全員を集めろ!」
竜也の鋭い叱責を受け、皇妃候補が慌てて四方に散っていく。数刻後の元老院議場、その場には竜也や皇妃候補の他、それら皇妃候補の後ろ盾となっている元老院議員が集まっていた。皇妃候補は皆ボロ布同然となったメイド服・踊り子装束と肌を外套で隠し、悄然と俯いている。さらにその場にはファイルーズやラズワルド達四人も駆けつけていた。元から竜也に同行していたサフィールとディアも加え、皇妃とその候補、その関係者が全員顔を揃えたことになる。
「それで、一体何の理由でこんな馬鹿騒ぎを?」
竜也の怒りに満ちた視線を受けて、シャラールやサイカは何とか言い訳しようとした。二人の言い分にはほとんど違いはない。要するに「皇帝歓待の準備をしていたら相手が邪魔をしてきた、それを防御して排除していたら乱闘になってしまった」ということだ。
竜也は頭痛のする額を抑えつつ、
「……まあ、どちらが先に手を出したか、どちらにより重い責任があるかは大した問題じゃないだろう。どうしてもその辺を追求したいのならラズワルドに力を貸してもらうことにするが、どうする?」
「いえ、その必要はありません」
「これはわたし達全員の責任です」
シャラールもサイカも焦ったように首を横に振ってそう言った。
「ともかく。今回は女性同士が乱闘しただけで、皆の怪我も物の被害も大したものじゃない。そこだけを取り上げるならただの笑い話ですむことだ。――でも、問題はそこじゃない。笑い話ですませていいことじゃ、決してない。皇妃になる前から派閥を作って対立し、挙げ句に乱闘を起こす。それ自体が問題なんだ」
竜也が刃のような視線で皇妃候補と元老院議員を一撫でし、一同は首をすくめた。
「彼女達が皇妃になったらどうなる? 自分の子供をそれぞれ次期皇帝に擁立し、軍を率いて戦争をする――それがあり得ないって断言できるのか? 皇妃になる前からこんな問題を起こしているのに」
シャラールやサイカ達は、
「ですが、乱闘になってしまったのは外部の者が煽ったからで」
「今の皇妃が戦争を起こさないと言えるのですか?」
と何とか反論を試みる。なお、「乱闘を煽った外部の者」のうちハディージャは適当なところでこっそりと逃げ出しており、ヤラハは最後まで先頭に立って走り回り騒ぎを拡大させ続けた。竜也到着後はミカの手の者により捕まえられ、縄で縛られて納戸の中に放り込まれている。
「皇妃に外部の者が接触して反乱等の陰謀を仕掛けるのは当然あり得ることだ。皇妃になる以上はそれを見抜いて自制できる者でないといけない。ファイルーズ達は少なくとも派閥を作って乱闘を起こたりはしていない、皆仲良くやってるぞ」
その言葉を受けてファイルーズやラズワルド達が「うんうん」と頷いている。だが四人がこっそり冷や汗を流していることにサフィールだけが気付いており、サフィールは呆れたような目を四人へと向けた。
「クロイ朝の存続と、帝国の内乱を未然に防ぐためだ。今回皇妃となるために集まった皆はただの一人も皇妃として認めない。皇妃は今のファイルーズ・ラズワルド・ミカ・カフラ・サフィール・ディアの六人に限定し、今後一切増やさない。これを勅令として発する」
竜也のその意志を変えられる者はどこにもいない。元老院議員・皇妃候補も肩を落とすしかなかった。こうして皇妃を六人に限定することが勅令として正式に発令された。後日にはソロモン盟約にも明記されることとなる。
ところでその日の夜中。
「……誰か気付いて」
ヤラハは納戸の中で、縄で縛られたまま泣き寝入りしていた。ヤラハのことを思い出したミカが迎えに来るのは翌朝のことである。
その日の夜。皇妃騒動を何とか終息させ、竜也は公邸の船でゆっくりとお茶を飲んでいるところである。その周囲には六人の皇妃が集っていた。
「収まってくれてよかった。災い転じて、ってところかな」
と竜也がしみじみと感慨を述べ、
「ええ、全くその通りですわ」
「ん」
とファイルーズやラズワルドが同意する。
「確かに、金獅子族や赤虎族の娘の迂闊さには感謝してもし切れない。もし今さら皇妃から外されるとなったら一族に顔向けできなかったところだ」
ディアの言葉サフィールも頷く。ファイルーズはいつもの仮面のような笑みで本心を隠し、ラズワルドは普段通り無関心を装った。カフラはあらぬ方向に視線を向け、ミカがごまかすように、
「ともかく、これで皇妃はこの六人だけになったのですから一安心です」
と話をまとめる。そこに一人の女官がやってきた。
「陛下、オエアからやってきたアーテファという女性が見えています」
竜也は「もう来たのか」と嬉しげに椅子から立ち上がり、出迎えに向かった。残されたのは、何とも言い難い顔の五人である。ファイルーズ達五人が慌てて竜也の後を追い、呆れた様子のラズワルドが最後に続いた。
竜也は自らアーテファという女性を応接室に案内しようとし、竜也を追ったファイルーズ達と通路で鉢合わせとなった。
「あれ、どうした?」
アーテファを目の当たりにしたファイルーズ達は竜也の問いに答えることも忘れていた。その女性は年の頃は五〇代。昔は美人であっただろう、ふくよかなおばさんだったからだ。辛うじてカフラが、
「あの、タツヤさん。その人を紹介してくれませんか?」
「ああ、オエアで肖像画を描いているアーテファさんだ。しばらくこの船に逗留してもらうからそのつもりで」
竜也の答えにカフラ達は眼を白黒させた。その様子をアーテファは微笑みながら眺めている。
……竜也が釣書に添付されていた無数の肖像画に目を通していたのは、絵をたしなむ者としてこの世界の絵画の水準に興味があったからなのだ。残念なことに絵画の水準は総じて低く、かなり上手い絵を描く者もいたがその絵柄はいまいち竜也の好みではなかった。そんな中で竜也の琴線に触れた絵を描いていたのはアーテファ一人だけだった。
アーテファは船に逗留しながら皇妃達の素描をくり返し描き、竜也もまた久々にペンを手にしてラズワルド達の絵を描いた。二一世紀の日本の漫画を元にした竜也の絵柄にアーテファは強いインスピレーションを受け、アーテファの絵柄も大きく変貌する。
アーテファが竜也と六人の皇妃の肖像画を描き上げたのは一年後のことである。縦一メートル半・横三メートルの巨大なキャンバスに等身大の肖像が、まるで生きているかのようにリアルに、精密に描かれていた。中央に竜也、その右隣りにファイルーズ・ミカ・サフィール、左隣りにラズワルド・カフラ・ディアが並んでいる。
「黒竜帝と六人の皇妃」を描いた絵画は歴史上無数に存在するが、その全てがアーテファの描いたこの絵を元絵にしたものである。皇妃達と一年以上も同居した上で肖像画を描いたのはアーテファ以外には一人としていない。
アーテファの描いたこの肖像画は、黒竜帝と六人の皇妃の姿を最も正確に後世に伝えるものとして、歴史学上重要な意味を持つようになった。また、美術史上でも不朽の傑作としてその名を残している。