「黄金の帝国」・征服篇
第五七話「黄金の時代」
アダルの月(第一二月)と海暦三〇一七年が終わろうとする頃。翌月ニサヌの月(第一月)一日の建国・即位式典を目前に迎え、サフィナ=クロイには帝国内外から要人・招待客が続々と集まっている。竜也はその歓待や会談、今後の打ち合わせに追われており、ファイルーズ・ミカ・カフラがそれを補助した。そういう社交的な仕事向きではないラズワルド・サフィール・ディアは手持ち無沙汰の様子である。
竜也の正式な即位と同時に帝国府の人事辞令が発令されることになっており、主要人事についてはすでに公表されていた。まずアミール・ダールがヘラクレス地峡に建設中の要塞について状況報告。次いで西ヌビア方面軍の人事案を竜也に提出し、竜也がそれを承認する。
西ヌビア総督・
西ヌビア方面軍総司令官 アミール・ダール(エジオン=ゲベル出身)
西ヌビア方面軍総司令官補佐 コハブ=ハマー(エジオン=ゲベル出身)
西ヌビア方面軍第一軍団軍団長 イステカーマ(イコシウム出身)
西ヌビア方面軍第二軍団軍団長 ソルヘファー(シジュリ出身)
西ヌビア方面軍第三軍団軍団長 テムサーフ(サブラタ出身)
西ヌビア方面軍騎兵隊隊長 シャブタイ(エジオン=ゲベル出身)
西ヌビア第一艦隊司令官 ナシート(オエア出身)
西ヌビア第二艦隊司令官 イーマーン(リクスス出身)
西ヌビア方面軍にはアミール・ダールの下に陸軍三個軍団、歩兵二万三千・騎兵一隊四千、及び海軍二個艦隊を配置。エレブと戦争をする場合は最前線となる場所である。
「できれば十万くらい配置したいところだけど、今の帝国じゃそれは無理だ。ヘラクレス要塞を一日でも早く完成させて、防御に徹することができるように頼む」
竜也の指示にアミール・ダールが頷く。
「戦火を避けてエレブの難民が流れ込んできています。その者達を要塞建設に従事させていますので、当初の見通しよりもかなり早く完成する予定です」
竜也は「そうか」と頷き、次いで難しい顔をした。
「ルサディルやヘラクレス地峡周辺は聖槌軍戦争の戦禍が一番ひどかった場所だ。ヌビア人とエレブ人の対立も一層深刻だろうけど、融和に努めてほしい。エレブ人を無意味に虐待することがないように」
「はい。エレブ人の難民は全員私の被保護民とします」
頼む、と竜也が頷き、表情と話題を変えた。
「ところで、ヘラクレス地峡には川が流れていたな。その川がエレブと帝国の国境となっている」
アミール・ダールはわずかな戸惑いを隠しながら「はい」と首肯する。
「その川を掘削して運河を造ろうと思う。西の大洋と地中海を結び、大型船も行き来できるような」
アミール・ダールは小さくない衝撃を受け、「それは……」と呟いていた。
「……途轍もない大工事となります。帝国が傾くほどの莫大な予算が必要となるでしょう」
「確かにその通りだ」
と竜也は苦笑した。
「別に今すぐ工事を始めるなんて言わない。多分百年後、二百年後の話になるだろう。でもできる準備は今のうちにやっておいた方がいいと思うんだ。つまり、その川を帝国領、帝国の管轄下とする。エレブ・イベルス王国側に踏み込んで川の西岸のある程度の範囲を帝国領土として確保してほしい」
「なるほど、それをやるなら確かに早いうちにやるべきでしょう。聖槌軍戦争の報復という名分が立つうちに。エレブが混乱しているうちに」
そういうことだ、と竜也が応えた。
この後、竜也の意志を受けたアミール・ダールが軍事行動を起こし、イベルス王国領土を侵略。ヘラクレス地峡の川と西岸地帯を帝国領土として獲得した。その川に運河が建設され、西の大洋と地中海が海運で結ばれるのは二百年後のことである。
次いでケムトからはマグドがやってきた。マグドがケムト方面の現状について報告し、方面軍の人事案を提出。竜也がそれを承認する。
ケムト総督・
ケムト方面軍総司令官 マグド(アシュー出身)
ケムト副総督 イムホテプ(メン=ネフェル出身)
ケムト方面軍副司令官 セティ(スウェネト出身)
ケムト方面軍司令官補佐 ライル(アシュー出身)
ケムト方面軍第一軍団軍団長 シャガァ(アシュー出身)
ケムト方面軍第二軍団軍団長 チェチ(ナウクラティス出身)
ケムト方面軍騎兵隊隊長 シェションク(イムティ=バホ出身)
ケムト第一艦隊司令官 センムト(アンジェティ出身)
ケムト第二艦隊司令官 ムゼー(ダフネ出身)
ケムト第三艦隊司令官 ザイナブ(ロカシス出身)
ケムト方面軍にはマグドの下に陸軍二個軍団、歩兵二万・騎兵一隊四千、及び海軍三個艦隊を配置した。司令官には旧ケムト王国軍の人間を積極的に登用し、旧ケムトと帝国の融和を計っている。また、イムホテプが副総督となって軍事面以外の分野を引き受け、マグドを強力にサポートした。
「――ところで、ケムトの南にどんな国があるか知っているか? 大樹海アーシラトよりも南に何があるか知っているか?」
竜也の突然の話題転換にマグドは戸惑いを見せた。
「いや、知りませんな」
「帝国の南側は多分こうなっている」
と竜也は事前に用意した地図を提示した。竜也が自分で手描きした、元の世界のアフリカ大陸の絵だ。
「ここからここまでがヌビアの大陸全てだ」
元の世界のアフリカ大陸に相当するその大陸に「ヌビア大陸」という名前が付けられたのはまさにこの瞬間である。
「帝国の領土は地中海沿岸のごく一部。ここから南側には誰が住んでいてどんな国があるのか、ほとんど判っていない。ダフネに拠点を置いて艦隊を派遣し、南側を探検させようと思う。国があれば交易をして、人がいなければ入植をする。将来的にはこの大陸全てを帝国領土としたい――エレブ人に奪われないうちに」
「……豪気なことですな」
マグドはそう応えるので精一杯だ。スケールが大きすぎていまいち理解しがたいらしい。竜也は笑いながら肩をすくめた。
「まあ、先々エレブ人の植民が始まるとしてもまだ百年くらいは余裕があるだろう。とりあえずは艦隊を派遣して交易路を開拓するところから、かな。始めるなら早い方がいい」
竜也のエレブ人に対する警戒心をマグドは怪訝に思いながらも、
「この方は俺達の見えていないものが見えているんだろう」
と納得することとした。
ヌビア大陸の南の探検を命じられたマグドだが、
「皇帝陛下、その探検任務を是非この私に」
とムハンマド・ルワータが名乗りを上げてきた。元々ルワータは旅行家・冒険家として名を上げた男であり、マグドも彼の名乗りを歓迎した。竜也はルワータをマグドの部下に配置し、また南部探検用にケルシュに艦隊を編成させる。ムハンマド・ルワータとケルシュの率いる艦隊が南部探検に出発するのは二年後、ヌビア大陸を一周してサフィナ=クロイに戻ってくるのはさらにその二年後。ヌビア大陸全土が帝国領土となるのはさらに二百年後のことである。
なお、マグドが東からやってくるに当たってはメン=ネフェルの特使を筆頭に、アーキル等の旧ケムト王国の自治都市代表、エジオン=ゲベル王国・スアン王国等アシューの国々の特使が同行してきている。エジオン=ゲベルから特使としてやってきたのはガアヴァーだった。
「皇帝陛下との友誼を考えるならば国王ノガが参列すべきところなのですが……」
「まあ残念だが仕方ない。ノガさんは即位してまだ間もない、何ヶ月も国を空けるのはさすがに無理だろう」
竜也の言葉にガアヴァーも恐縮する。
「国王ノガも式典に参列できないことを最後まで残念がっていました」
竜也は「そうか」と頷いて、
「ところで俺は帝国とエジオン=ゲベルの間でより一層交易が盛んになることを望んでいる。ついては両国の間で関税協定を結んで商人達に便宜を図りたい。帝国とエジオン=ゲベル間の取引については関税をかけないようにしたいのだ」
帝国にとってエジオン=ゲベルは交易上のアシューの拠点であり、安全保障上の防波堤だ。竜也としては、エジオン=ゲベルには平和を維持して帝国との交易に注力してくれることを望んでいたのだが、ノガはその意向には従わなかった。自国の後背を帝国に守らせた上で東へと領土を拡大する侵略戦争をし続けたのだ。エジオン=ゲベルは建国以来最大の領土を獲得するが、竜也とノガの関係は冷え込んだものとなってしまった。それでも帝国とエジオン=ゲベルは百年にわたって安全保障上の協力関係を結び続ける。
「エジオン=ゲベルとかのアシューの国々と折衝する担当官が必要だよな。ルワータさんがエレブ担当から外れるとなると別の人を担当につけないといけないわけだし。ひとまとめにして外務大臣職を作るか」
竜也はその外務大臣にベラ=ラフマを充てようとしたのだが、
「私は一介の近衛隊士に過ぎません。これまでも、これからも」
ベラ=ラフマは頑なにそれを固辞した。
「戦争中のあなたの働きを考えれば帝国宰相の地位だって望んでもおかしくはないんだ。せめてこれくらいの顕職に就いてもらって、これまでの功績に報いたい」
「陛下の今のお言葉で私は充分に報われております」
竜也がどれだけ説得してもベラ=ラフマは首を縦に振らず、結局竜也もその案を諦めるしかなかった。
「『あの戦争中、俺達二人が一番過酷な戦いを経験した』……なんて言うつもりは毛頭ない。でも、俺がどんな戦いをくぐり抜けたか、その戦いがどれだけのものだったか。それを真に理解できるのは多分あなた一人だ。そういう意味で、あなたはただ一人だけの俺の『戦友』なんだ」
「ありがとうございます」
竜也の言葉にベラ=ラフマはいつもの無表情を装い、深々と頭を下げていた。
ベラ=ラフマは生涯を一近衛隊士で過ごし、顕職には一切就かなかった。このため存命中も無名のままであり、死後その名は一旦歴史に埋もれてしまう。「謀臣ベラ=ラフマ」の名が掘り出され、脚光を浴びるのは、二百年を経て竜也の回想録が発表されてからのことである。
次に、ガイル=ラベクが東ヌビア方面軍の人事案を提出、竜也がそれを承認する。
東ヌビア総督・
東ヌビア軍総司令官 ガイル=ラベク(青鯱族)
海軍副司令官 ハーディ(バール系)
東ヌビア第一艦隊司令官 フィシィー(胡狼族)
東ヌビア第二艦隊司令官 モタガトレス(巨鯨族)
東ヌビア第三艦隊司令官 ジャマル(グヌグ出身)
東ヌビア第四艦隊司令官 ノーラス(キュレネ出身)
東ヌビア方面軍陸軍司令官 サブル(キルタ出身)
東ヌビア方面軍第一軍団軍団長 ディカオン(プラタイア出身)
東ヌビア方面軍第二軍団軍団長 タフジール(スファチェ)
第一騎兵隊隊長 サドマ(金獅子族)
第二騎兵隊隊長 ダーラク(赤虎族)
第三騎兵隊隊長 ビガスース(人馬族)
第四騎兵隊隊長 カントール(人馬族)
東ヌビアの防衛は海軍優先となっている。第一・第二艦隊は通常の軍船の艦隊。第三艦隊は全艦ゴリアテ級で構成された輸送艦隊だ。第四艦隊は高速船のみで編成された伝令艦隊である。
陸軍には司令官サブルの下に二個軍団・歩兵一万五千、騎兵四隊二万を配置している。特にサドマとダーラクの騎兵隊は三大陸で戦った歴戦の勇士が揃っており、「最強」の名をほしいままにしていた。
「エレブ側は思ったよりもはるかに混乱が続いている。南だけじゃない、北にも領土を広げるいい機会じゃないのか?」
ガイル=ラベクが試すように竜也にそう問う。無言のままの竜也に彼が続けた。
「とりあえずタンクレード軍を叩き潰してトリナクリア島を占領してしまったらどうだ? タンクレード軍の暴虐に島民は苦しんでいる。帝国軍は解放者として歓迎されるだろう」
だが竜也は苦笑しながら首を横に振った。
「エレブ側から見れば、帝国にトリナクリア島を占領されるのは喉元にナイフを突き付けられるようなものだ。『いつ攻め込まれるのか』と不安と恐怖が募り、トリナクリア島解放のための聖槌軍が再発動しかねない。
ヌビアの皇帝は侵略者には容赦しないが、必要もないのに自分から攻め込むことはしない。対エレブの拠点としてはメリタ島を確保しておけば充分だ」
ガイル=ラベクはにやりと笑い、その指示を受け入れた。帝国海軍艦隊は航路の安全確保を第一任務として運営されていく。
そのトリナクリア島からはアニードがタンクレードの名代として建国式典に出席するためにやってきている。
「皇帝陛下にはご機嫌麗しく……つきましては我が軍に陛下の支援の程を」
竜也と会見を持ったアニードは卑屈なまでに這いつくばり、タンクレード軍への支援を引き出そうと精一杯の媚びを売った。帝国としては既にタンクレード軍を支援する必要はほとんどないのだが、
「大した支援は約束できないが、できるだけのことはしよう」
アニードの姿に哀れを催し、思わずそんな約束をしてしまっていた。
「まあ、タンクレード軍がトリナクリア島を占領している限りはあの島は緩衝地帯として機能し続けるんだ。決して損な取引じゃない」
竜也はそんな理論武装をした上でタンクレード軍への銃器弾薬の支援を続けさせた。
帝国の支援もあり、タンクレード軍の反乱は実にその後も七年にわたって続くこととなる。内部分裂によりタンクレード軍が壊滅した際、アニードはタンクレードを乗せて船でトリナクリア島を脱出。その後の消息は一切歴史には残っていない。船が難破し海の底に沈んだのだ、という説が最も有力だが、アシューに逃れて名前を変えて生き延びた、という説も根強く唱えられ続けている(なお「契約者の聖杖」ことモーゼの杖――その偽物もまたタンクレードと運命を共にして所在不明となったが、「タンクレードが所持していたモーゼの杖」と称するものが後年になってエレブ各地に、各時代に出没している)。
教皇インノケンティウスによる聖槌軍はエレブとヌビアに住む全ての人間の運命を変えてしまったが、その中でもアニードは最も数奇な運命を辿った者と言われている。
数奇と言えば、銀狼族も負けてはいない。テルジエステの戦いを経てヌビアに集団移住した銀狼族は、サフィナ=クロイの南の山林をもらってそこに村を開拓している。聖槌軍戦争中の貢献が高く評価されてのことで、銀狼族と一緒にヌビアに移住してきた多神教徒や他の恩寵の部族は銀狼族の被保護民という扱いである。灰熊族も銀狼族と同等の扱いを受けているが、村落を形成できるのほどの人数がいなかった。
聖槌軍戦争で捕虜となったエレブ人は五万程度。そのうち一万五千がケムト遠征に従軍してエレブに帰国する機会を掴んだのだが、実際に帰国したのはそのうちの一割にも満たなかった。九割以上が帝国の市民権を得、帝国で暮らしていくことを選択している。理由はエレブで戦乱が渦巻いており、帰国してもろくなことにはならないと考えられたため、エレブよりもヌビアの方が経済面・生活面ではよりマシな生活が送れるためである。一旦エレブに帰国しながら家族を連れてヌビアに戻ってきた例も少数ながら存在するくらいだ。
つまり現在の帝国には少数派ではあってもエレブ人が普通の市民(またはその被保護民)として暮らしている。だが普通のヌビア市民と比較すれば一段も二段も低い扱いである。その中での銀狼族の立場は、かなり微妙だった。エレブ人から見れば銀狼族は裏切り者だし、ヌビア人から見てもそういう軽侮の感情は決して小さくはない。
銀狼族の貢献を誰よりも高く評価している竜也がそれを何とかするべく考えて、
近衛隊隊長 バルゼル(牙犬族)
近衛隊副隊長 ヴォルフガング(銀狼族)
近衛隊 ベラ=ラフマ(白兎族)
その結果上記のような人事が決定された。これまで近衛隊は牙犬族ばかりだったが、そこに同数の銀狼族戦士が隊士として追加されたのだ。
「『長雨の戦い』から近衛隊士の数がかなり減っていてバルゼルさん達の負担がずっと重いままだったけど、ようやくそれを解消できるな」
と竜也は自分の発案に満足げである。ヴォルフガング達銀狼族はこの評価に感激するが、牙犬族の面々は複雑そうだった。牙犬族と銀狼族は互いに対抗心を燃やしながら、竜也に対して競うように忠誠を尽くすこととなる。
なお、ヌビア市民となった、あるいは被保護民のエレブ人の扱いは竜也にとっては頭痛の種だったが、ある人物がその一部を肩代わりしてくれることとなった。
「――皇帝陛下には、エレブ人の聖杖教徒が礼拝を行うのを許可いただきたい」
年齢はおそらく五〇代。戦士のように立派な体格で、肌は黒人のそれ。半分白髪の髪は短く縮れている。身にしているのは聖杖教の修道服だが、色合いやデザインはかなり変わった独特のものだ。
「しかし大司教ムァミーン」
この男こそメン=ネフェルに所在する聖モーゼ教会の大司教ムァミーンである。
「ヌビア人に対する敵意を煽り、恩寵の部族を魔物と呼び、侵略を正当化して戦争を引き起こしたのは聖杖教ではないのか?」
「聖杖教は本来愛と慈しみの教え、それを欲望で歪めたのはテ=デウムの狂信者達です。それらと一般のエレブ人とは分けて考えていただきたい。戦争に加わったエレブ人の兵士達に罪があるとしても、彼等はその報いを充分に受けているのではないでしょうか」
ふむ、と竜也は考える振りをした。
「……しかし、今は多くのエレブ人が聖杖教に愛想を尽かしている。礼拝を認めることで彼等が信仰を取り戻したら、再びヌビアの市民と帝国に対して敵意を持つようになるのではないのか?」
「そうならないようにするためです」
とムァミーンは声に一層の力を込めた。
「聖杖教に禁教は無意味です。禁教しても地下に潜り、陛下の目の届かない場所で広がり、はびこり続けるだけです。私がヌビアにいるエレブ人達に正しい教えを説き、テ=デウムの歪んだ教えから彼等を解き放ちます。異教徒や恩寵の民とも手を取り合い、助け合うことこそ神の教えにかなう道であること彼等に伝えます」
ムァミーンは布教の利点を竜也へと熱心に訴える。竜也はこの場では返答しなかったが、後日ムァミーンに礼拝や布教の許可を出した。もちろん山ほどの制約や厳重な監視付きではあるが、ムァミーンに文句があるはずもない。
ムァミーンは教皇インノケンティウスや枢機卿アンリ・ボケほどには純粋ではない。エレブ人に対する布教も、
「勢力拡大の絶好の機会」
「教会の経営もこれで少しは楽になる」
「テ=デウムに目にものを見せてやる」
等、様々な俗っぽい思惑が絡んでのことだ。だが、そうであるが故にかえって竜也はムァミーンを信用したのだ。ムァミーンの懇願は竜也にとって渡りに船以外の何物でもなく、返答を渋ったのは単なるポーズである。
その後、ムァミーンは帝国府の強力な後押しの元にエレブ人への布教を開始。先々にはヌビアのエレブ人のほとんどを信者として獲得し、聖杖教の分派としてテ=デウムに対抗する存在となっていく。聖モーゼ教会の挑戦を受けてテ=デウムも教義を見つめ直し、紆余曲折と内部分裂と血みどろの内訌の末に多神教に対する寛容さを身につけるようになる……のだが、それは何百年も先のことである。
続いては文官の人事。
帝国図書館長 ハーキム(鹿角族)
帝国技術院院長 ガリーブ(アラエ=フィレノールム出身)
帝国技術院副院長 ザキィ(スキラ出身)
元の世界では読書少年で歴史物が好物だった竜也は、自分が歴史書に記述される立場となって「後世」というものを強く意識するようになった。
「図書館はまず本を集め、それを後世に残し、伝えるのが役目だ。この世界で出版された本は地域・内容を問わず、一冊残らず集めてほしい」
活字中毒・書物マニアのハーキムがその指示に強く頷く。
「次に、研究施設を併設して歴史なり言語なりの研究活動を支援する、それも帝国図書館の役目とする。将来的には大学も設置したい。……それと、聖槌軍戦争についての記録を残していきたい。それを担当する部署を設置しておいてくれ」
「具体的にはどのような記録を?」
ハーキムのその問いに竜也は、
「あらゆる記録を、だ」
と答えた。
「将軍アミール・ダールが、将軍マグドが、衝撃のサドマが、雷光のダーラクがどう戦ったか。そんな記録だけじゃない。名もなき一兵卒にとってあの戦争がどうだったか。一市民にとって。バール人商人にとって。西ヌビアの難民にとって。または聖槌軍の兵士やエレブの農民にとって、あの戦争がなんだったのか。可能な限り多くの人に、様々な立場の人に聞き取りをして、その記録を残していってほしい。それが、後世に対する今の時代の者の責任だと思うから」
竜也のその命を受けたハーキム達はその後数十年にわたって数千という人間にインタビューを実施。その膨大な記録はほぼ欠けることなく次世代へと伝えられていく。
「黒竜帝の他の偉業・業績を全部合わせたとしても、この聖槌軍戦争の記録編纂という業績一つに匹敵することはない」
後世の歴史家の中にはここまで評価する者もいるくらいである。
人文分野の研究活動を担うのが帝国図書館なら、理工分野のそれを担うのが帝国技術院だ。
「技術院にはまずコークス炉を実用化してほしい。次に蒸気機関、その次に内燃機関、その次が電動機かな」
竜也が提示した基本的なアイディアに基づき、ガリーブ達がその実用化を研究。コークス炉等のいくつかの技術が商業レベルで実用化され、帝国に大きな利益をもたらした。が、蒸気機関を始めとする大半の研究成果は(一定の再現はされても)実用に供されることなく、やがて時間の流れに埋もれてしまう。それらの技術が再評価され、日の目を見るのは何百年も先のことである。
続いては帝国府の閣僚人事。帝国府文官の頂点に立ち、政治の実務を取り仕切るのは以下のメンバーだ。
財務大臣 アアドル(バール人)
内務大臣 ユースフ(カルト=ハダシュト出身)
総務大臣 ジルジス(レプティス=マグナ出身)
外務大臣 ラフマン(ハドゥルメトゥム出身)
郵政大臣 バリア(アシュー?)
商務大臣 カゴール(バール人)
司法大臣 ハカム(白兎族)
軍務大臣 アゴール(鉄牛族)
警察大臣 ラサース(牙犬族)
財務大臣は財務全般を担当。内務大臣は主には自治都市間の調整役。外務大臣はエレブ・アシューの国々との外交関係を担当する。商務大臣は各地の商会連盟と共に商業活動を支援・調整。司法大臣は裁判関係の担当だ。軍務大臣の主な役目は軍需物資の補給等の、軍の行動の支援・調整。帝都治安警備隊は警察隊へと再編され、牙犬族の他銀狼族の戦士が投入される予定である。総務大臣は他の者が担当していない仕事の全てを受け持つこととなる。そして、
「それで、この郵政大臣の仕事というのは……」
「うん、郵便局をやってもらう」
竜也がそう答え、バリアは落胆を隠せなかった。
「郵便局の仕事とは、手紙の配達ですか」
「まずはそれだけど、他にも色々とある。軍事作戦がない時にゴリアテ級を遊ばせておくのももったいないから、あれを使って海運事業をやってほしい。ヘラクレス地峡からダフネまでの定期航路を作って旅客を乗せたり、各地の商会の委託を受けて荷物を輸送したりする。
次に郵便貯金をやる。市民から貯金を集めてそれを有望な民間の事業に投資する。郵便為替もやって、各地の商会の便宜を図る。あと保険事業も株式も。それと内容証明とか契約書証明とか」
「ちょっ、ちょっとお待ちください」
バリアが竜也の説明を止め、列挙された仕事の内容を脳内で整理する。そして難しい顔となり、
「……それだけの業務全てを郵便局が受け持つのですか?」
「その通りだが?」
バリアの確認に竜也は元の世界の日本の常識を持って当然のごとくに答えた。
「将来的には『民業圧迫だ』って言われて分割民営化が必要になるだろうけど、多分それは何百年も先のことだ。今は帝国府がそういう商業活動の基盤となる事業を強力に後押ししなきゃいけない」
竜也が何を言っているのかいまいち判らないバリアだったが、広範囲にわたる重要事業を任されたことは理解している。
「それらの事業を何もないところから立ち上げる、それができるのは帝国府の中でも自分くらいのものだ」
バリアのその自負は、バリア自身にとっては正当な自己評価である。そしてその評価は竜也と共有のものなのだ。
「かなり大変な仕事になるだろうけど、頼む」
「お任せください」
バリアは満腔の自信と確固たる忠誠を込めてそう答えた。
そして最後に、竜也と皇妃についての発表である。
皇帝 クロイ・タツヤ(マゴル)
第一皇妃 ファイルーズ(メン=ネフェル出身)
第二皇妃 ラズワルド(白兎族)
第三皇妃 ミカ(エジオン=ゲベル出身)
第四皇妃 カフラ(バール人)
第五皇妃 サフィール(牙犬族)
第六皇妃 ディアナ・ディアマント(銀狼族)
ディアが皇妃に加わり、今年一五歳となるラズワルドも今回を機に「予定」が取れて正式に皇妃となった。竜也はこの六人以外を皇妃にすることは決してなく、生涯にわたって他に寵姫を持つこともなかった。
ファイルーズは竜也との間に一男一女を成し、長男にはヌビア帝国の皇帝位を、長女にはメン=ネフェルの王位を継承させることとなる。私生活・政治の両面でファイルーズの助力は竜也にとって不可欠なものであり、それは生涯変わることはなかった。
ファイルーズは国母として、太陽神殿の巫女長として、帝国市民の圧倒的な崇拝を一身に受け続けた。単に尊崇されるだけではなく、六人の皇妃の中で同時代の帝国市民に最も親しまれ、最も人気が高かったのもファイルーズなのだ。
一方、六人の中で一番人気がなかったのがラズワルドである。
ベラ=ラフマが心血を注いで帝国の内外に築いた諜報組織は、帝国の安全を脅かす陰謀を未然に防ぐために時として粛清の刃を振るってきた。その組織はベラ=ラフマが引退後はラズワルドに引き継がれたのだが、人々はその前から、ベラ=ラフマが実行した粛清についても「第二皇妃が密かに誅殺した」と受け止めてしまうのだ。ベラ=ラフマが公的には近衛隊の平隊士に過ぎず、生涯無名のままだったのに対し、ラズワルドが第二皇妃として表舞台に立っており、また「白い悪魔」として悪名を轟かせていたためである。
後世に至っては、聖槌軍戦争中の「死の谷」の一七万殺戮を頂点とする数々の陰謀の全てをラズワルドが一人で発案・指揮したように思い込むくらいになってしまっている。戦争中当時のラズワルドはまだ一三歳かそこらだ。普通に考えればまずあり得ない、馬鹿馬鹿しい話である。だがあいにくラズワルドは普通の子供ではない。
「白い悪魔」
少女を知る誰もがその名前で少女を呼び、忌み怖れた。後世の人間はこの呼び名に込められた意味を彼女の成人後の姿から理解してしまうのだ――諜報組織を引き継いで数々の粛清を実行したその姿から。
ラズワルドのその汚名が晴らされるのは二百年後、ベラ=ラフマの名が歴史から掘り出されるようになってからである。ベラ=ラフマから功績を奪う一方、ラズワルドに汚名を着せる結果となったことは竜也にとって生涯の痛恨事となった。が、当事者の二人は欠片も気にしていなかった。ラズワルドにとって意味があるのは竜也からの評価であり、他人の評価など一顧だに値しないのだから。
ファイルーズが表から竜也を支えたとするなら、ラズワルドは裏から竜也を守っていたと言えるだろう。ラズワルドは恩寵を失うことを怖れ、生涯子供を産まなかった。
一方ミカ・カフラ・サフィール・ディアはそれぞれ竜也と大勢の子を成し、自分の家を継がせた。サフィールやディアは竜也との子を部族の族長に就けている。だがこの四人の直系に皇帝位が継承されることはただの一度もなかった。
竜也が樹立したクロイ朝は順調に発展し、二百年後・一〇代目皇帝テンニーンの時代に最盛期を迎える。帝国がヌビア大陸全土を制覇するのも、ヘラクレス地峡に運河を開通させるのもこの時期である。が、それに伴う過大な負担に帝国市民は苦しみ、テンニーンの死後にそれが爆発。帝位継承問題も絡んで帝国は分裂の危機を迎えることとなる。
激しい内乱でテンニーンの息子達が軒並み全滅してしまったため、元老院は次期皇帝をセルケト王家から迎え入れることで帝位継承問題を解決、どうにか内戦を終結させる。クロイ朝は一〇代で断絶するが帝位はセルケト朝に引き継がれ、ここにクロイ=セルケト朝が成立。皇帝親政が基本だったクロイ朝とは違い、クロイ=セルケト朝の皇帝は政治の一線から身を退いて帝国統合の象徴としての役割に徹した。その後も何度も帝国は危機を迎えるが、皇帝の地位が脅かされるような事態はほとんど発生しなくなる。
ファイルーズの願い通り、竜也の血はセルケトの血と一つになり未来永劫受け継がれていくのである。
そして月は変わり、年も新しくなって海暦三〇一八年ニサヌの月(第一月)・一日。
四年半前、一人の少年が文字通り裸一貫でこの世界に漂着し、奴隷に身を落とされた。奴隷船から逃亡し、一人の少女と出会って市民の身分を獲得し、様々な人間に助けられ、百万の敵と戦い――そして今日、世界最大の帝国を築いてその皇帝に登極しようとしている。
帝都サフィナ=クロイの一角、太陽神殿の大広場には数千の人間が集まっていた。最前列には元老院議員、帝国全土から集まった自治都市代表、各地の商会連盟代表、恩寵の部族の族長達、旧ケムトの貴族達。
国外からは、エジオン=ゲベル王国やスアン王国等、アシューの国々の特使。メリタ島から男爵ヴァレット、トリナクリア島からアニード。エレブからも、ヘラス等の商会連盟代表がやってきている。
招待客と共に並ぶのは帝国府の要人達である。アミール・ダール、マグド、ガイル=ラベクを始めとする将軍・提督達、アアドルやバリアを始めとする閣僚・帝国府官僚達が並んでいる。その中央にはラズワルド、ミカ、カフラ、サフィール、ディアの皇妃五人の姿があった。
それら招待客・要人・皇妃を護衛するのは、まずバルゼル達の近衛隊だ。黒い陣羽織をまとった牙犬族と銀狼族の隊士が各所に配置されている。それをサドマとダーラクの騎兵隊が補助した。近衛隊・騎兵隊を始めとして各方面軍の最精鋭数千が護衛として式典に加わることが許されている。広場に入れなかった数万の市民や兵士が会場の外に集まり、皇帝の姿を一目見ようと首を伸ばしていた。
バルゼル達は竜也に下賜された牙犬族の旗を誇らしげに掲げている。サドマは金獅子族の旗を、ダーラクは赤虎族の旗を。他の恩寵の部族や各自治都市も同様に自分達の旗を掲げている。軍が高々と掲げているのはヌビア帝国の七輪旗だ。そして一同の正面には土を盛って造られた祭壇があり、壇上にはクロイ朝の旗が掲げられていた。その旗に描かれているのは七つの首がとぐろを巻いた、巨大な黒い竜の姿である。それらの旗が風を受け、勇壮に翻っていた。
咳一つ聞かれない静寂の中、竜也が壇上の姿を現した。身を包んでいるのは黒を基調に金銀の飾りが各所に配された、皇帝としての正装である。黒い外套を靡かせて竜也が壇上を進み、中央で足を止める。そこにまず、ナウクラティスのアーキルが竜也の前へと進み出た。
「ケムト・東ヌビア・西ヌビア、四八の全ての自治都市の代表が署名を終えております」
アーキルが竜也へと差し出したのは何十頁もの書状である。そこに記されているのはソロモン盟約の全条文と、盟約に参加するヌビア全土の自治都市の署名。竜也が差し出された最後の頁に署名をする。
「皇帝が市民と都市を守り、市民と都市が皇帝を支持する――契約はここに成立した」
竜也の言葉にアーキルが退出し、続いてアミール・ダール、マグド、ガイル=ラベクが進み出た。
「我等が忠誠を皇帝陛下へ」
アミール・ダール達が竜也の前で片膝を付いて頭を下げる。竜也は腰から剣を抜いて、
「あなた達の誰か一人でも欠けていたなら聖槌軍には決して勝てなかった。これからもよろしく頼む」
その平で彼等の肩を軽く叩いていく。
それを終えてアミール・ダール達三人が退席。最後に竜也の前に現れたのはファイルーズであり、手にしているのは王冠代わりの首飾りだ。黄金の鎖が環となり、掌ほどの大きさの円盤が下がっている。円盤もまた黄金製で、そこには七つの宝石が埋め込まれていた。円を描いて配置されている六つの輝きはターコイズ・瑠璃・雲母・琥珀・サファイア・ダイヤモンド、そしてその中央に位置する黒い光は黒曜石だ。黄金の輝きは太陽の光を、環の形は太陽の姿を象徴しており、円盤の宝石は一つにはヌビアの七輪旗を模していた。
「タツヤ様に太陽神の御加護を」
「これまでありがとう。これからもファイルーズの助けが必要だ」
ファイルーズは小さく笑いながら「もちろんですわ」と答えた。そして、竜也がわずかに頭を下げ、ファイルーズが背伸びをして竜也に金環をかける。竜也が参列者へと向き直り、胸部の金環が太陽の光を受けて眩しく燦めく。参列者からは声にならない感嘆が漏れた。
竜也が人差し指を立てた手を高々と掲げ、
「黒き竜(シャホル=ドラコス)!!」
「皇帝クロイ(インペラトル・クロイ)!!」
それを受けて数千の兵が爆発的な歓呼を上げる。竜也が手を振ってその声に応え、兵達が一層喜びの声を上げた。会場には感動のあまり泣き崩れる兵も現れている。
竜也の隣にはファイルーズが寄り添うように立っており、穏やかな微笑みを見せた。壇上の竜也とファイルーズの姿を目の当たりにし、ラズワルドは少し不満そうである。ミカは感慨深げであり、その瞳には涙が溜まっている。カフラは純粋に喜んでおり、華やかな笑顔を湛えていた。サフィールは滂沱のごとく涙を流し、拭おうともしていない。そしてディアは感心したような、ちょっと皮肉げな笑みを浮かべていた。
「皇帝クロイ!」「皇帝クロイ!」
「皇帝クロイ」の連呼は広場の外の市民や兵士にも広がり、数万の人間が一心となってその名を呼んでいる。一つに束ねられた数万の声は地の果てへも、天上の向こうへも届くかと思われた。いや、実際届いているのだ。「皇帝クロイ」、その名は大陸を超え、時代を超えて語り継がれる、永遠不滅の名となったのだから。
――二百年にわたって栄華と繁栄を極めるクロイ朝ヌビア帝国。黄金の時代が今まさに始まろうとしていた。
〈あとがき〉
「黄金の帝国」はこれにて完結です。長らくのお付き合いありがとうございます。
最後に、発表の場をご提供いただいた舞様に感謝いたします。