「お金を儲けてほしい」
ラズワルドは見も蓋もないことを言い出した。
「黄金の帝国」・漂着篇
第四話「カリシロ城の花嫁」
竜也が知ったラズワルドの身の上をまとめておくと。
まず、ラズワルドは白兎族の族長一家の生まれである。歳は一〇歳。
「もう二、三歳下だと思ってた」
竜也が正直に吐露し、頬を膨らませたラズワルドが竜也をぽかぽかと叩いた。
白兎族は人の心を読む恩寵(プラス)を持つため、あらゆる人々に忌避されている。このため白兎族は山奥に隠れ里を作り、そこに固まって暮らしていた。ラズワルドも生まれはその隠れ里だ。
ラズワルド自身も真実は知らないが、彼女はどうやら族長一家の兄と妹が通じ合った結果の子供らしい。つまり、ラズワルドは生まれたこと自体が罪の証だったのだ。
族長一家の血の結晶であるラズワルドは強力無比な恩寵を持って生まれてきた。強力すぎて、同じ白兎族からも恐れられ「悪魔」呼ばわりされるほどだというのだから冗談にもならない。
「どうせなら『白い悪魔』と呼ばれるのはどうだろうか」
との竜也の提案に、ラズワルドは「どうだろうかと言われても」と思わずにはいられなかった。
地球連邦や時空管理局のエースみたいで格好良くない?という竜也の思いは全く理解できなかったものの、
「タツヤがそう言うなら」
とラズワルドはその提案を無条件で受け入れた。
父親と目される人物は失踪し、母親は三歳の頃に衰弱死。ラズワルドはその生まれとその力で同族から忌まれ、恐れられながらも、六歳までその隠れ里で過ごしてきた。
だが六歳のある日、突然彼女は隠れ里から連れ出され、ルサディルに連れてこられた。一族は彼女をアニード商会へと売り飛ばしたのだ。アニードは彼女の力を自分の商売に利用し、莫大な利益を上げてきた。
「大事な交渉のときには隣の部屋にいて、相手の心を読んでアニードに知らせていた」
「そりゃ、そんな手が使えるならやりたい放題できるよな」
「でも、やり過ぎた」
アニードが白兎族の力を利用していることが取引相手に広く知られるようになったのだ。このためアニードと取引しようとする人間が減り、取引をするときもラズワルドが力を貸せない状況を作って交渉を行うようになった。
「何年もずっと楽をしてきたから、わたしが力を貸さないとアニードはいいカモ。最近は損ばかりしてるらしい」
ラズワルドはいい気味とばかりに薄く嗤った。その黒い笑みに竜也の腰がちょっと引ける。
「アニードはわたしのことが邪魔になっている。ここでの暮らしは、もう長続きしない」
そうか、と竜也は嘆息した。
「俺も大分言葉を覚えたし、町に出て二人で暮らしていくくらいは何とかなるんじゃないか?」
まだ続きがある、とラズワルドは首を振った。
「アニードはタツヤの知識を使って儲けられないかと考えている。タツヤがここじゃない、外のどこかから来たことは最初に伝えている。ここでは誰も知らない、すごい知識があることも」
「ちょっと待って。あのおっさんがそれを信じたのか?」
竜也の疑問にラズワルドが頷いた。
「昔にもそういう人がいた。西の大陸はその人が見つけた」
ラズワルドには充分な知識がなく、それ以上「そういう人」についての話は聞けなかった。
「まあ、あのおっさんが儲けようと破産しようとどうでもいいんだが」
竜也自身がアニードから不利益を被ったことはなく、むしろ恩義があるくらいのだが、ラズワルドの心理的影響を受けた竜也はアニードに対して辛辣な態度を取っていた。
ラズワルドは竜也の言葉には同意するが、それでもできるなら竜也の知識を金儲けに使ってほしかった。ラズワルドには全く理解できないが、それでも竜也の知識の凄さは判る。竜也はこの世界の誰よりも物知りで、この世界の誰も知らないことを知っている。ラズワルドは竜也の凄さをアニードに思い知らせてやりたかったし、町の皆にも知ってほしかったのだ。
その上で、今の暮らしが維持できるのであればそれに越したことはない。
竜也はラズワルドの思いを理解し、できるだけのことをしようと思っていた。だが、
「……金儲けと言っても、この世界にはもう火薬も銃器も活版印刷も存在してるしなー。異世界トリップのパターンで他にあるのは、コークス炉とか?」
知っているのは概要だけで、実際にそれを作るとなると莫大な投資と長期間の試行錯誤が必要となるだろう。アニードがこんな思いつきじみた話に投資をするとは思えない。
「あとはノーフォーク農法とか?」
やはり知っているのは概要だけ、農民を指導できるような知識もないし、そもそもそんな立場でもない。竜也が王様ならともかく、一庶民の身の上では大した役には立ちそうになかった。
「あと日本酒や味噌や醤油を作るっていうのもあったか。料理ってパターンも」
酒造等も初期投資と時間が必要なことには変わりないし、この世界の消費者の口に合う商品を開発するにはやはり試行錯誤が必要だろう。料理は論外だ。便利な魔法も調理器具も保存手段もないこの世界で、どうやって料理で大儲けしろと言うのか。
(要するに、初期投資が小さくても大丈夫で、時間もあまりかからず、専門知識も不要な儲け話……ネズミ講でもやれってか?)
竜也は首を振って自分の危険な発想を打ち消す。そして不安げな表情のラズワルドに笑いかけた。
「他に何か思いつくかもしれないし、もっと考えてみるよ」
「ということで、知恵を借りに来ました」
「いや、何がそういうことなんでしょうか」
竜也はハーキムの家を訪れた。竜也が知る限りハーキムはこの町で一番の知識人だ。人にものを教えるのが大好きだし、温厚な性格の好青年でもある。知恵を借りるのにハーキムを選ぶのは当然と言えた。
「それにしても、昨日の今日で随分会話が上達してませんか?」
「色々ありまして」
竜也は曖昧に笑って誤魔化した。「いつの間にか、ラズワルドの言語に関する知識が頭に流れ込んでいました」などと、気楽に打ち明けられることではない。
ハーキムは書きかけの何かの原稿を疎ましげに眺めて、
「金儲けに関しては、むしろ私の方が知恵を貸してほしいくらいなんですが……」
「もちろんそのつもりです」
と竜也が即答し、ハーキムが目をぱちくりさせる。
「この世界のことをまだまだ知らなきゃいけないので、その辺は力を貸してください。逆に俺は、この世界の人達がまだ知らない商売の種を知っている――かもしれません。西の大陸を発見した人みたいに」
真剣なものとなったハーキムの瞳が竜也を見据えた。
「貴方は自分がマゴルだとでも言うのですか? 冒険者レミュエルのような」
「おお、その人のことが聞きたかったんです。是非教えてください」
ハーキムは急に変わった話に戸惑いを見せながらも、本棚から一冊の本を取り出しながら説明する。
「冒険者レミュエルは今から四百年ほど前の人です。彼は自分のことを異邦人(マゴル)――つまり、こことは違うずっと遠くの国からやってきた人間だと称していました。事実、彼は今までこちらになかった多くの物を伝えたのです。火薬、鉄砲、活版印刷等は彼によってこちらに伝わりました。
レミュエルは火薬の販売等で得られた儲けの全てを注ぎ込んで大型帆船を建造。その船で西の大洋へと船出していきました。
『西には大陸がある。そこの王国は金銀財宝を貯め込んでいる。こちらにはない食物があり、誰の物でもない豊かで広大な土地がある』
彼はそう主張し、実際西の大陸まで到達したのです」
竜也は無言で続きを促し、ハーキムが続けた。
「――ですが、レミュエルはその最初の航海では大した成果を得られませんでした。東への帰路で彼の船は嵐に遭い、何とか沈没だけはせずに戻ってこれたものの、積み荷の大半は流され、船はもう二度と使い物にならなかったそうです。
全財産を失ったレミュエルは借金取りに追われ、失意のうちに病死したそうです」
話を聞いて、竜也は何とも言い難い気持ちとなった。そのレミュエルが竜也と同じ境遇であることはまず間違いないと思われた。西への航路を求めたのも、あるいは彼なりに元の世界に戻る努力をしていたのかも知れなかった。
西の大陸には一時期入植が盛んに行われ、いくつかの植民都市が築かれた。今でも細々とながら交易があるそうで、アニードもそれを取り扱っている商人の一人である。
「――レミュエルのようなマゴルと言われる人は他にもいるんですか?」
「歴史書上そうだろうと言われているのはレミュエルの他に二人です」
その数が多いのか少ないのか竜也には判断できなかった。おそらくは歴史に名を残さず消えていったマゴルもいるだろう。三人の何倍、何十倍になるのかは見当もつかないが。
「マゴルが元の国に帰ったって話は……」
「三人ともこちらで一生を過ごしています」
ハーキムの答えに竜也は「そりゃそうだろうな」と思うしかない。それに、例え「元の国に帰った」と伝えられているとしても、それが本当かどうかを確認する方法はどこにもないのだ。
「あれ、誰か来てるの?」
突然女性の声がした。竜也が振り返ると、入口にハーキムと同年代の若い女性が佇んでいる。頭部には豹の耳。褐色の肌を惜しげもなくさらした、グラマラスな美人さんだ。
「彼女はヤスミンさんと言います。この町の劇場の看板女優です」
ハーキムの紹介にヤスミンは「しけた小さい一座だけどね」と笑いを見せた。竜也は室内に入ってくるヤスミンに軽く頭を下げる。
「クロイ・タツヤです。最近この町に来ました」
ヤスミンは「よろしくね」と軽く言って挨拶を交わしながら、ハーキムの横までやってきた。そしてハーキムが執筆中だった原稿を覗き込む。
「なによ、全然進んでないじゃない」
「うう、すみません」
ハーキムは身体を縮めて恐縮した。不思議そうな顔の竜也にヤスミンが説明する。
「随分前から劇の脚本をお願いしてるんだけどさ、いつまで経っても脱稿しないのよ。アシューの王様に捧げる詩でも書いてるの? あんたはどこの大文豪?」
「いや、あの、鋭意努力はしていますので……」
「それとも前払いした原稿料、耳を揃えて返してくれるの?」
どことなく楽しそうにハーキムをいたぶるヤスミンと、恐縮するばかりのハーキムに、竜也が口を挟んだ。
「あの、すみません」
二人の視線が竜也へと向けられる。
「その話、もっと詳しく聞かせてください。力になれるかもしれません」
竜也の様子は、興奮を押し殺し冷静になるべく努めているかのようだった。
「大して難しい話じゃないけどね」
と前置きし、ヤスミンが説明する。
「うちの一座は先々代の頃からのいくつかの脚本を順繰りに上演しているだけなのよね。大抵のお客さんはうちのどの劇も一回は見たことあるから、どんどんお客さんが少なくなってるの。いい加減新作で一山当てないと、先細りする一方なわけ」
「その新作の執筆を依頼されまして。気軽に引き受けたんですが、まさかこんなに難しいとは……」
説明を引き継いだハーキムがそう嘆息した。
「劇の内容ってどんなのなんですか?」
「うちは『海賊王冒険譚』をほぼ専門にやってるわ」
ヤスミン一座で使っている脚本の一冊をハーキムが本棚から取り出した。ハーキムとヤスミンの説明を聞きながら、竜也はその脚本に目を通す。
「海賊王グルゴレット」というのは三百年ほど前の実在の人物だそうだ。グルゴレットは海賊として、商人として、傭兵として、義賊として名を上げ、数々の伝説を残している。虚実入り交じったそれらの伝説を小説化・演劇化したものが「海賊王冒険譚」である。
劇の内容は冒険活劇。元の世界で言えば「千夜一夜物語」のシンドバッドやアリババのエピソードを想起させるものだった。そこから魔法的な要素を抜いたものと考えればいいだろう。
「新作の冒険譚ということは、全くの作り話でも、今まで誰も知らないような代物でも構わないんですね?」
「むしろそういうのが欲しい。面白ければ何でも構わないわ」
それならいける、と竜也は昂ぶる心を抑えながらハーキム達に告げた。
「俺が知っている一番面白い冒険譚を劇にしましょう。ハーキムさんには『海賊王』の話にするための改造を。ヤスミンさんには演劇向きにするための修正をお願いします」
竜也達は脚本を書くための打ち合わせに突入した。
「まずは、グルゴレットに相棒が欲しいですね。銃の名人は出せませんか?」
「その当時には銃はほとんど普及してませんよ。今だってエレブではかなり使われているらしいですが、こちらにはろくにありませんし」
「弓の名人じゃ駄目なの? グルゴレットの好敵手にそんな奴がいるけど」
「じゃあ、その人とグルゴレットが今回はたまたま手を組んだことにしましょうか。あと、剣の達人も出したいんですが」
ハーキムとヤスミンは少しの間考え込んだ。
「……剣と言えば、牙犬族よね」
竜也は山賊退治の有志の中に犬耳と犬の尻尾を付けた男がいたことを思い出した。
「あいつらは『烈撃』っていう何でもぶった斬る恩寵を授かってるのよ。剣を持った牙犬族とは戦いたくないわね。得物なしなら怖い相手じゃないんだけど」
「彼等は一族総出で剣術修行を盛んに行っていて、牙犬族の戦士は全員が腕の立つ剣士でなんです。――そう言えば、牙犬族の剣祖と呼ばれる人物が海賊王と近い時代の人でしたね」
「剣祖?」
「ええ。剣祖シノンは三百年前にネゲヴに流れ着いた、マゴルと見られる人物です。優れた剣の使い手で、牙犬族に伝えたその術を『イットーリュー』と称していたと」
竜也はずっこけそうになった。その剣祖とやらが同郷の人物であることはまず間違いないと思われた。「シノン」は「信之介」とか「忍」とかがなまった名前なのだろう。
「じゃあもう一人の仲間はそのシノンで」
「ですが、シノンとグルゴレットでは活躍した時期が何十年かずれてますし」
とハーキムが難色を示すが、
「細かいことはいいのよ! そんなところにこだわるお客さんなんて来やしないわよ」
とヤスミンが押し通した。
「それじゃ次にあらすじです。舞台はどこかの小王国、お話はそこのお姫様が花嫁衣装で逃げ出したところから始まります」
打ち合わせは夜遅くまで行われ、大筋は完成した。あとはハーキムがそれを書き起こすだけである。
翌日から竜也の生活が急に慌ただしくなった。
メインは脚本執筆の補助である。竜也が「見てきたように」口述する台詞や展開をハーキムが文章化していく。ヤスミンは衣装や舞台装置、役者の手配に走り回った。
「うちの一座だけじゃ手が足りないし、これだけの劇なら大きくやらなきゃもったいないよ!」
ヤスミンはそう言って、近隣をドサ回りしている旅芸人に声をかけていた。
「敵役の宰相の衣装はどうしたらいい?」
と衣装係に訊ねられた竜也は「敵役はやっぱり黒だろう」と答えた。それで用意された衣装を見てヤスミンと竜也が、
「……なんか地味ね。角とか付けましょ」
「それに金銀の飾りがあれば。あとマントは不可欠」
二人の補足により仕上がった衣装はネゲヴの人間にとっても異国情緒溢れるものとなった。中世ヨーロッパ風の騎士装束にアラビア風味を加味したような、幻想的なものである。
脚本は完成したところから座員に渡され、稽古が開始される。絵が得意な竜也は書き割りの作成を手伝ったり稽古を見物したりしていたが、いつの間にか演出に口を挟むようになっていた。
ヤスミンはシノンの役である。女泥棒の出番は脚本から削られたし、お姫様役にはちょっとばかり適さない。胸にさらしを巻いて小汚い格好をしたヤスミンは、ニヒルな剣士役を嬉々として演じていた。
「シノンが持っているのは斬鉄剣という伝説の剣で、鉄だろうと岩だろうと斬れないものはないんだ。このときの決め台詞は――
『我が剣に……斬れぬものなし』」
「くぅ~っ、格好良いわ!」
とヤスミンが感動に打ち震える一方、ハーキムは、
「そんな言い伝えはどこにもないんですが……」
と異議を唱える。が、
「細かいことはいいの(んだ)よ!」
という二人の合唱に沈黙するしかなかった。
「殺陣は緩急をつけた方がいい。シノンと敵がじっとにらみ合う、にらみ合う、にらみ合って、お客さんが焦れそうになったときに動く! ここですれ違い、一瞬の攻防! そのままの姿勢を維持! お客さんに『どうなった? どっちが勝った?』って思わせて、シノンが納刀、そのタイミングで敵倒れる、そう! そこでシノンの決め台詞、
『――またつまらぬものを斬ってしまった』」
おおー、と座員が感嘆し、
「くぅ~っ、いかすわ!」
とヤスミンがまた感動に打ち震えている。ハーキムは、
「あまりに実際の斬り合いとかけ離れていると思うのですが……」
と冷静な突っ込みを入れている。が、
「これがいいんじゃない!」
という二人の合唱にまたもや沈黙を余儀なくされた。
「それで、最後の決戦での決め台詞は?」
「それはもちろん『今宵の斬鉄剣はひと味違うぞ!』」
「くぅ~っ! 最っ高っ!!」
感極まったヤスミンに対し、ハーキムはもう何も言えない。
「あんたに足りないのはこういう外連味よ!」
ヤスミンは一方的にそう言ってハーキムを切って捨てた。
「本当面白いこの話、凄いよあんた!」
ヤスミンがばしばしと竜也の肩を叩く。
(本当に凄いのはモンキー=パンチや宮崎駿なんだけど)
竜也は内心そう思い、忸怩たるものを感じた。だがそれはそれとして、この劇が良い儲けになるよう引き続き全力を投入する。
「スキラの知り合いに手紙を送ったわ。上手くすれば劇を見に来てくれるかもしれない。もっと上手くすればスキラで上演するときに援助してくれるかもしれない!」
ヤスミンの報告に一座の面々が「おー」と感嘆した。話が見えない竜也がハーキムに説明を求めた。
「ヤスミンさん達は元々スキラ近隣で活動していたんですよ」
スキラはネゲヴで最も大きな町の一つだが、先々代の頃のヤスミン一座はそこでそれなりに名の売れた一座だったらしい。だが同じ演目ばかり上演していたので段々客が呼べなくなり、別の町に移動して新しい客を開拓。が、そこでも同じ演目ばかり上演していたので段々客が呼べなくなり、また別の町に移動して……とくり返しているうちに、ついにこんな西の果てまで来てしまったそうである。
「この劇、絶対に成功させるよ! そしてスキラに返り咲く!」
ヤスミン一座は新作劇に一層熱中し、その熱は竜也やハーキムを巻き込んで突き進んでいく。初上演はわずか一ヶ月と半月先、ニサヌの月の一五日と決定された。
「あ゛~、ただいま~」
日はとっくの昔に暮れていて、元の世界であれば日付が変わるような時間帯。疲れ切った竜也がラズワルドのコテージに戻ってきた。明かりは灯されておらず、コテージの中は暗闇である。
「ラズワルドはもう寝てるよな……」
と部屋の中へと入っていく竜也。だが、
「おかえりなさい」
ラズワルドが真っ暗闇の中でテーブルに夕食を用意して待ち構えていた。竜也は思わず「のわっ」と奇声を上げて飛び退く。
「料理を用意するから少し待って」
「あ、ああ」
動悸を抑えていた竜也は何とかそう返事した。
それからしばらく後。皿に盛られた料理を差し挟み、竜也はラズワルドと向かい合って遅い夕食を摂っていた。メインディッシュの煮込み野菜はすっかり冷たくなっているが、元の世界のように手軽に温め直しができないので冷めたまま食べる。
「あー、何度も言ってるけど、こんな時間まで待つ必要ないんだぞ?」
「何度も言ってるけど、好きでしていることだから気にしないで。他にすることもないから」
最早恒例となった会話が交わされ、二人はそのまま沈黙した。竜也は話すべき事柄を探す。
「……上演が始まれば暇になるから。あとちょっとの話だから」
竜也の言葉にラズワルドは「ん」と頷いた。
「大した金じゃないかもしれないけど、俺達二人がここを追い出されてもしばらくはやっていけるくらいにはなるはずだから。ヤスミンさん達がスキラに行くなら一緒に行って、そこで小説を出版するとかすれば……ネタならいくらでもあることだし」
竜也の独り言めいた言葉にラズワルドが相づちを打つ。
「劇も一回は見てもらわないとな。初日が一番人出が多いだろうから、いつものフードの中にそのウサ耳隠して、人混みに紛れればいいんじゃないか?」
ラズワルドは微妙に嫌そうな、複雑な顔をする。それでも何も言わないラズワルドの腕を竜也が掴む。竜也の心にラズワルドの心境が流れ込んできた。
(白兎族の印に周りが何を思おうと、わたしのことをどれだけ嫌おうと、別にどうでもいい)
ラズワルドは強がりでも何でもなく本気でそう思っていた。
(わたし一人で行くなら印を隠したりしない。隠したくない)
ウサ耳をつけること、白兎族であることは――そのためにどれほどの辛酸を舐めてきたきたとしても――ラズワルドという少女を構成する最も重要な要素なのだ。他人の目なんて下らない理由で、自分自身を否定するような真似はしたくない。ウサ耳のカチューシャを外すのは論外だし、フードの下に隠すことも世間に負けて自分を否定したみたいで何か嫌だ。
(でも、わたしのせいでタツヤに嫌な思いをさせるのはもっと嫌。だから印を隠すのも仕方ない)
だが結局、ラズワルドにとってそれが全てに優先するのだった。
白兎族であることが知られたらお互いに嫌な思いをするだろうから――竜也は軽く考えていたが、それは白兎族を、ラズワルドという少女の何割かを否定することと同義だったのだ。考えが浅かったことを竜也は恥じる。
(でも、周りの反応が間違ってるとは必ずしも言えないんだよな。心の中なんて究極のプライバシーだろ。それを好き勝手に覗かれちゃ――その恐れがあるのなら忌避するのだって当然だ)
竜也の場合、度々ラズワルドと心をつなげて彼女が力を乱用していない事実を確認しているが故に、彼女を忌避する理由がないに過ぎない。(なお、この時点の竜也は白兎族の力をあまりに過大に誤解していた。たとえ白兎族であろうと、接触テレパスのような会話ができる者などラズワルド以外には一人もいない。)
(初日だし、つまらん騒ぎを起こして上演にケチをつけたくないし、あんなに頑張ってるヤスミンさん達に迷惑かけるわけにはいかないし)
「……ごめん、今回は印を隠してくれ」
竜也はラズワルドの言葉に甘えることにし、ラズワルドは「ん」と頷いた。だが彼女と付き合っていく限り、同じような問題は何度も出てくるだろう。
(どうするのがいいのか判らないけど、俺がしっかりしないと、考えないとな)
竜也はそんな決意を新たにしていた。
月日は流れ、ニサヌの月の一五日。町外れの広場には大勢の観客が詰めかけていた。竜也とフードの下にウサ耳を隠したラズワルドもその前列に混じっている。
そして夕刻。ヤスミン一座による新作劇「海賊王冒険譚 ~カリシロ城の花嫁」の上演が開始された。ラズワルドにとっては初めての観劇であり、目を輝かせて舞台に見入っている。
『ああ、何ということだ! そのお姫様は海賊の力を信じようとはしなかった! その子が信じてくれたなら、海賊は空を飛ぶことだってできるというのに!』
『そうよ。かつて本物以上と讃えられた、ゴート金貨の震源地がここだ』
『ははは! 切り札は最後までとっておくものだよ!』
『連れて行ってください。海賊はまだできないけど、きっと覚えます!』
――「カリシロ城の花嫁」は大好評を博し、ルサディル中の話題を掠うこととなった。
「タツヤのおかげよ、ありがとう」
ヤスミンが満面の笑みでそう告げる。竜也はようやく本当の意味で自分がこの町の、この世界の住人になったような気がした。