「黄金の帝国」・戦雲篇
第一三話「ガフサ鉱山暴動」
エルルの月(第六月)の中旬に入った頃。竜也はカフラの案内でナハル川南岸を訪れていた。
スキラの町の機能はナハル川の北岸側に集中しており、南岸側にあるのは倉庫や漁村・農村である。竜也が訪れたのは倉庫が建ち並ぶ一角だった。
「とりあえずこの一角の倉庫を在庫ごと買い取っています」
とカフラが指差すのは道路に区切られた一区画全部であり、そこには三十棟以上の倉庫が並んでいた。竜也は「ふむ」と頷く。
「でも、よくこれだけの倉庫をまとめて買えたな」
「所有していた商会が倒産したので安く手に入れられました。確かハマーカ商会でしたか」
その名前に聞き覚えのあった竜也は少し考え、思い出す。
「ああ、ガリーブさんのところの。それじゃゴリアテ号はどうなったんだ?」
「あの馬鹿船ですか? 倉庫を買ったら付いてきました」
地中海最大の巨船がまるでお菓子のおまけのような扱いだった。
「あんな船動かしても持て余すだけだから港に浮かべて倉庫代わりにしようかと」
「いや、動かせるのなら使うべきだ。様子を見に行こう」
竜也達は船を使って北岸の造船所が並ぶ一角へと移動、ゴリアテ号の前へと直接乗り付けた。竜也はその事務所で久々にガリーブに対面する。
「おお、久しいなタツヤ! 君がこの船のオーナーになったそうだな!」
「お久しぶりです。ゴリアテ号は動かせますか?」
「それはその目で確認してもらおう!」
とガリーブは言い、竜也達を連れてゴリアテ号へと向かう。全長百メートルを越える巨船を見上げ、カフラも感嘆を禁じ得なかった。
「こうして改めて見ると、大したものかもしれません」
「よくこんなもの造ろうと思ったよな」
「ええ。よほどの途轍もない阿呆だったんでしょう」
竜也達はガリーブの案内でゴリアテ号内を見て回った。船内は幾層にも別れているが、階層内での仕切りはほとんどない。何十本もの柱が建ち並ぶ空間が広がっているだけである。
「艤装は終わっているし、必要最低限の設備も整っている! 船として充分に使えるぞ!」
「そうか、ならこの船も穀物輸送に使ってくれ」
竜也はそう即決してカフラに指示を出す。カフラは若干不満そうな表情を飲み込んで何も言わずにその指示を受け入れた。
「多分実際に動かすと色々と問題が出てくると思うんだ。それを洗い出して、次の船の建造に生かしてほしい」
「おお、判った!」
ガリーブはそう言って胸を叩く。こうして竜也はゴリアテ号を運用することとなった。それを小耳に挟んだミルヤムが竜也に提案する。
「タツヤさん、ゴリアテ号を貸していただけませんか。あれを西ネゲヴに派遣したいのです」
「それは構いませんが、何をするんですか?」
はい、とミルヤムが説明する。
「ヘラクレス地峡に近い町から順に回り、美術品や貴金属、金貨を預かって回る事業をするつもりです。西の町は聖槌軍に侵略され、戦火や略奪にさらされます。貴重な美術品が灰燼に帰す前に、ネゲヴ人の財産を敵に奪われる前に、それを西ネゲヴに移動させるのです」
ほう、と竜也は感心した。
「確かにそれは早めにやっておいた方がいいですね」
「はい。それに、財産が東に移動すれば人間も東に逃げようと思うようになるでしょう。そうやって逃げる人間が増えればそれだけ助かる人間が増えるというものです」
なるほど、と竜也は強く頷いた。でも、竜也は首を傾げる。
「別にゴリアテ号である必要はないんじゃ?」
「確かに絶対に必要というわけではありませんが、ゴリアテ号を使うことが望ましいのです。財産を預ける人間にとって一番大切なのはそれが失われないこと。持ち逃げされたり、預けた船が沈んだりしないことです。持ち逃げしないという信用にはナーフィア商会の名前が有効ですが、その上であの巨船を使って見せれば言うことはありません」
「船の大きさは財力の大きさ、ってことですか。それにあれだけの巨船なら簡単には沈まない、って誰もが思うでしょうし」
そういうことです、とミルヤムが頷いた。
なお、ミルヤムは人命尊重だけを目的としたわけでなく、明確にナーフィア商会の大儲けを企図していた。竜也がそれを理解するのはしばらく先のこととなる。
こうしてゴリアテ号はナーフィア商会に貸与される。ゴリアテ号が西ネゲヴ方面、ルサディルへと向かって出港するのはエルルの月の月末。ナーフィア商会だけでなく他のいくつもの有力商会がこの事業に参加していた。
聖槌軍のネゲヴ侵攻まであと半年足らずとなり、エレブでは戦争準備が急ピッチで進められている。大規模侵攻が現実となろうとしていることが誰の目にも明らかになってきたのだ。
『エレブでは銃器や大砲、剣や鏃が盛んに作られていて、鉄が極端に不足している。各国の王室は庶民に対して鉄製の鍋・釜の供出を呼びかけた』
『供出した鉄の鍋・釜の代わりに土鍋を使う家が増え、薪の消費が増えて燃料不足もまた深刻になっている』
『生煮えの麦粥を食べて腹を下し、倒れる者も急増している。体力のない老人や子供が次々と死んでいる』
エレブでの鉄不足はネゲヴにも波及している。バール人商人がネゲヴの鉄をエレブで売って大儲けしているため、ネゲヴにおいても鉄の価格が上昇する一方なのだ。経済動向に敏感なバール人がエレブ情勢に無関心でいられるわけがない。竜也の提出するエレブ情勢速報を評議員達は食い入るように読んでいた。以前とは大違いである。
「エルルの月の嵐」の騒動により竜也は自分の名前をスキラとその周辺に轟かせた。さらには竜也が早くから聖槌軍の脅威を訴えていたことも知られ、竜也は聖槌軍問題の第一人者と見なされるようになる。
「私はレモリアから帰ってきた交易船の者です」
「俺はフランクに行ってきて昨日帰ってきたんだが」
今や情報を集めに歩き回る必要がない。竜也の下にはエレブ帰りが入れ替わり立ち替わりやってくるのだから。さらには有名な傭兵団の首領も訪ねてくる。
「エレブ人と戦うならうちの傭兵団がお買い得だぜ?」
「俺に一声かけてくれれば千人の兵士を集めてやるぞ」
現時点では誰の指揮でどこでどうやって戦うか、何一つ決まっておらず、今傭兵を雇ったところで持て余すだけである。彼等もそれは承知しており、彼等の目的は顔と名前の売り込み、要するに営業である。それに応えて、竜也は彼等の顔と名前をしっかりと脳裏に刻み込んだ。
また、恩寵の部族の族長、またはその代理が何人も竜也を訪ねてやってきた。
「お前がバール人をだまくらかして巨万の富を稼いだクロイ・タツヤか! いや、痛快痛快!」
そう言って大笑いをしたのは赤虎族の族長だ。
「貴殿が何人ものバール人を破産させて首を吊らせたと……いや、責めているのではない、その逆だ。あの連中も自分達が普段他人に何をしているのか、これで少しは理解するといいのだがな」
そう言ってやはり薄く笑っていたのは金獅子族の族長代理である。竜也の下を訪ねてくる大抵の人間が似たようなことを言ってくるのだ。
「どれだけ嫌われてるんだ、バール人」
と竜也は驚き半分、呆れ半分だった。だがその感覚は竜也も一部共有している。バール人がエレブに鉄を輸出している事実に竜也は愉快ではいられなかった。
「その鉄は剣や鏃、鉄砲の弾丸に使われる。ネゲヴ人の生命を奪うのに使われるんだぞ? それが判らないのか?」
竜也がそう憤っても鉄の流出は続いた。ネゲヴでも鉄の価格が急騰しようやく流出が止まろうとしているところである。
そんな中、エルルの月の終わり頃。ある人物が竜也を訪ねて「マラルの珈琲店」へとやってくる。
「全く、お前ほど会うたびに立場が変わる奴は初めてだ」
そう言って笑うのは髑髏船団首領のガイル=ラベクである。竜也は、
「わざわざ来ていただけるなんて」
と恐縮した。竜也は例によって珈琲店内の個室を応接室代わりに使っている。ラズワルドが持ってきた珈琲をガイル=ラベクは、
「なかなか良い珈琲だな」
と旨そうに味わっていた。ガイル=ラベクは周囲を見回し、
「しかし、お前まだここに住んでいるのか? お前さんも今じゃスキラ有数の大富豪なんだろう?」
「いや、あれはネゲヴ防衛のためのお金ですから。俺個人が自由にできるお金なんてありません」
そんなものなのか、とガイル=ラベクは驚く。そういう反応にも慣れてきた竜也だった。竜也はしばらく前のカフラとのやりとりを思い出す。
「タツヤさん、いつまであそこに住むつもりですか?」
とカフラは竜也の前にいくつもの不動産の権利書を広げた。スキラ市内で売りに出されている豪邸・屋敷の権利書、その写しである。
「タツヤさんはもうただの庶民じゃないんです。聖槌軍と戦うためにネゲヴを主導しなきゃいけない身分なんですよ? その身分を判りやすく示す服を着、屋敷を持たなきゃいけないんです」
「カフラの言うことは判らなくもないんだけど」
竜也は困惑を曖昧な笑みで隠した。
「あれはネゲヴ防衛のための資金なんだから、無関係なことに使うべきじゃないだろう」
「関係はあるじゃないですか。今日だってどこかの傭兵団の首領が呆れて帰っちゃいましたし」
竜也の元を訪れる商人や傭兵は数多いが、竜也の質素な暮らしぶりを見て呆れ、あるいは竜也を軽侮して帰っていく人間も決して少なくはない。だが、
「甘い汁を吸えそうにない、って判断されただけだよ。むしろ好都合じゃないか」
と竜也は気に留めてもいなかった。
その後も何度か同じやりとりがくり返されたが、結局竜也が自分の意志を変えることはなかった。
「タツヤさんて結構頑固なんですね」
とカフラもすでに諦めている。こうして「マラルの珈琲店」が聖槌軍対策本部として機能したまま今日に至っている。
「ところで、今日は一体どんな用件で」
「ああ、これもネゲヴ防衛に全く関係しない話じゃない」
竜也の問いに、ガイル=ラベクは用意していた地図をテーブルの上に広げた。
「ここにガフサという大鉱山がある。所有者はワーリス商会だ」
ガフサ鉱山はスキラから西に百キロメールほどの場所に位置している。
「ああ、先日ここで大きな暴動が起こったと」
竜也の言葉にガイル=ラベクは首を振った。
「いや、それは違う。起こっているのは大規模な奴隷の反乱だし、先日の話ではなく今このときも続いていることだ」
竜也は小さく驚いた。ガイル=ラベクが説明する。
「ガフサ鉱山一帯で二千人以上の奴隷が使われている。その大半がアシューで売られた戦争奴隷だ」
アシューには百の王国があると言われ、小さな国同士の戦争が長く続いている。戦いに敗北して捕虜になった兵士が奴隷として売られる、それが戦争奴隷である。
「ここしばらく鉄の価格が急騰しているだろう? ガフサ鉱山でも鉄を増産するためにこれまで以上に奴隷を酷使しようとしたらしい。それに耐えられなくなった奴隷が反乱を起こしたんだ。奴隷の全員が反乱に加わり、奴隷の監督官は殺された。監督官の部下は全員鉱山から追い出され、鉱山は奴隷によって占領されている。俺はワーリス商会から反乱鎮圧を依頼されたんだ」
はあ、と竜也は判ったような判らないような返事をした。話の内容は理解できる。判らないのはその反乱の話と自分との関わりだ。そんな竜也に、
「お前、俺の代わりにこの反乱を解決してくれんか?」
竜也は飲んでいた珈琲を吹き出しそうになった。ぎりぎりそれを我慢するが珈琲が気管に入ってしまい激しく咳き込む。少し時間をおいて、何とか竜也は落ち着いた。
「船長、一体何を」
「陸の上は専門外だからな。最初は依頼を断ろうとしたんだ」
ガイル=ラベクは肩をすくめる。
「だがそうも言っていられなくなった。反乱奴隷に古い馴染みが加わっていてな、そいつが助力を求めてきたんだ。
『このままじゃ使い潰されるだけだから反乱を起こしたが、決してやりたくてやったわけじゃない。何とか穏便にことを収められないだろうか』
――ってな」
「穏便に、ですか」
竜也は腕を組んで唸った。
「俺が依頼を断ればワーリス商会は別の傭兵団に話を持っていくだけだ。そいつ等が正面から反乱を鎮圧するなら大量の血が流れる。そいつは避けたいから依頼を断っていないんだが、どう解決したものかと」
とガイル=ラベクは両手を挙げる。
「俺には良い方法を思いつかんが、もしかしたらお前ならって思ってな。それで話を持ってきたんだ。それに、お前にとっても決して悪い話じゃない。もしこの反乱を無事解決できたらどうなると思う? アシューで戦い慣れた二千の兵士、それが丸々手に入るんだぞ」
竜也は目を見開き、次いで口に拳を当てて考え込んだ。少しの時間をおき、竜也がガイル=ラベクを見つめる。
「――まずは現状の把握が必要かと。解決の糸口があるなら、できるだけのことはします」
「判った」
竜也の回答にガイル=ラベクは満足げに頷いた。
竜也は即座に動き出した。
「船長はガフサ鉱山に人を送ってください。反乱の代表者と会談を持ちます」
「サフィール、護衛がいるんだ。牙犬族に連絡を」
「カフラ、ワーリス商会って知ってるか? 紹介状を書いてほしいんだ」
竜也の依頼を受けてそれぞれが行動し、竜也は翌々日にはワーリス商会の当主と会う段取りとなった。竜也はカフラを伴ってワーリス商会本館のあるスファチェへと向かう。
スファチェはスキラから百キロメートルほど北にある町である。竜也達は船を使って移動、その町を訪れた。港ではワーリス商会の出迎えが待っていて竜也達は馬車で市内を移動、ワーリス商会本館に到着する。竜也はそこでワーリス商会当主のワーリスと会談を持った。
「よく来てくれたの。お主には前から会いたいと思っておったところじゃ」
ワーリスは非常に小柄な老人で、体格はラズワルドと変わらないくらいに見えた。年齢はおそらく六十代後半。頭頂から七割くらいの範囲はきれいに禿げ上がっているが、下三割には長い髪が残っている。大きな鷲鼻と甲高い奇妙な声が特徴の男であった。
初めまして、と簡単な挨拶をし、竜也は早速本題に入る。
「ワーリス商会はガフサ鉱山で反乱を起こした奴隷をどうしたいと思っていますか?」
ワーリスはカフラにちらりと視線を送り、姿勢を崩した。
「正直に言えば、どうすべきか決まっておるわけではない」
「そうなんですか」
竜也は軽く戸惑うがそれを隠した。
「儂はナーフィア商会に負けんくらい手広く色々とやっておる。ガフサ鉱山はそのうちの一つじゃ。じゃが、穴を掘っとりゃいい鉱山運営なんぞバール人の商売としては醍醐味が足りん。じゃから部下に任せて放ったらかしにしておったんじゃが……そうしたらこの始末じゃ」
ワーリスは忌々しげに舌打ちをした。
「収益を出すためにかなり悪質な監督官を使っていたようじゃ。その監督官と手を組んで、収益の一部を自分のポケットにねじ込んでおった。その部下はすでに追放しておるが、後任は決まっておらん」
「それなら、殺された監督官の仇を取るつもりは」
竜也の言葉をワーリスは鼻で笑う。
「それじゃ、この反乱をどうするおつもりなんですか?」
「これを読むがいい」
ワーリスは竜也に何かの書面を差し出す。竜也はそれを手に取って目を通した。
「『一つ、労働時間は日の出から日の入りまでとする。一つ、まともな食事を提供する。一つ、薬と医者を用意して怪我人・病人を手当する』……これは?」
「奴隷が監督官に突きつけた要求書じゃ。監督官はそれに鞭打ちで応え、反乱を起こされたということじゃ」
竜也は唖然としてしまう。
「こんなの、当たり前の要求ばかりじゃないか」
「この程度なら応えても構わんが……奴隷は甘やかせばつけ上がる。反乱を起こせば際限なく要求を通せる、そう思われてはかなわん。じゃから傭兵を使って皆殺しにするのもやむを得んと思っておる」
「ちょっと待ってください」
竜也は反射的にそう言い、脳内で必死に計算をした。少しの時間をおき、竜也はワーリスに提案する。
「――今のガフサ鉱山、奴隷も含めて丸ごと全部。いくらなら売ってくれますか?」
カフラが慌てたように「タツヤさん」と制止しようとするが竜也はそれを無視。ワーリスは即座に、
「五〇〇タラント」
「買います」
竜也がさらに即答し、取引は成立した。この間一〇秒もかかっていない。一呼吸おき、
「タツヤさん!」
とカフラが金切り声に近い口調で抗議しようとした。
「ごめん、でも考えがあるんだ。少し任せてほしい」
と笑みを見せる竜也。カフラは抗議の言葉を何とか飲み込んだ。そんな二人の様子をワーリスは面白そうに眺めている。
「さて、今度は何をやってくれるのじゃろうな。楽しみじゃて」
「そうですね、一月も時間をもらえれば。支払いはそのときでいいですか?」
ワーリスは「それくらい待ってやるわ」と笑った。
ワーリス商会本館を出、竜也達はスキラへの帰路に着く。馬車に乗り込んで身内だけとなって、
「何考えてるんですかタツヤさん!」
カフラはずっと我慢していた言葉を吐き出した。
「五〇〇タラントあったら何万人の傭兵を雇えると思ってるんですか。戦争奴隷だって一体何万人買えることか。それを、たった二千人の戦争奴隷を手に入れるために使うなんて」
「五〇〇タラントは鉱山だけの値段だろ? ワーリスさんは反乱奴隷を全員処分するつもりだったんだから奴隷の値段は含まれてないよ」
竜也の少しずれた回答にカフラは戸惑いを見せる。
「それじゃ、タツヤさんは鉱山がほしかったんですか?」
竜也は「いや」と首を振る。
「二千の戦力、それを手に入れる」
竜也はそう言い、その拳を握った。
月はタシュリツの月(第七月)に変わってすぐ。竜也は様々な準備を整え、ガフサ鉱山へと向かった。竜也に同行するのはラズワルドとカフラ。護衛は全員牙犬族で、サフィール・バルゼルを筆頭とする四十名程の剣士である。
護衛の半数の騎馬を用意しており、護衛は交代で騎乗している。竜也達三人は馬車に乗っていた。荷馬車の台車に乗って荷物に腰を下ろしている状態で、カフラは日差し除けに傘を差している。
「馬車じゃどう頑張っても二日かかるか。こりゃ馬の乗り方を覚えないと」
「そうですね、今後を考えれば今のうちに習っておくべきでしょう」
スキラからガフサ鉱山までは約百キロメートル。少し無理をすれば馬なら一日で移動できる距離である。
「でもタツヤさん。いくら牙犬族の腕利きの剣士でも、たった四十人で二千の反乱奴隷の相手をするのは……」
と不安がるカフラを竜也がなだめた。
「この面子で反乱を鎮圧しようっていうんじゃないだろ。交渉に行くだけだ」
竜也もいきなりガフサ鉱山に乗り込むつもりはない。まず鉱山の麓で反乱奴隷の代表と会談を持つことになっていた。その立会人としてガイル=ラベクも同行している。
「反乱奴隷の代表ってどんな人なんですか?」
「元はアシュケロンの軍人で名前はマグド。アシューの軍人としてはそれなりに名前が売れている方だ」
ガイル=ラベクの答えに竜也とカフラは顔を見合わせた。
「有名なのか?」
「聞いたことないです。でもわたしが名前を知っているアシューの軍人なんてエジオン=ゲベルのアミール・ダールくらいしか」
「さすがにそこまで大物ではないな」
とガイル=ラベクは苦笑した。そこにバルゼルが口を挟む。
「名前くらいなら聞いている。部下の助命のために敵に降伏し、奴隷として売られたという話も」
「なるほど、その人望で奴隷の代表をやっているのか」
と竜也は一人納得した。
そんな話をしているうちに一行は目的に到着した。鉱山へと続く道の脇に一本の木が生え、それなりの大きさの池がある。その周囲は草原が広がっているだけで非常に見通しの良い場所だ。鉱山との間を行き来する者にとっては格好の休憩所となる場所だろう。
そこにはすでに先客がいて竜也達を待っていた。人数は三十人ほど、全員痩せこけ、非常に粗末な身なりである。剣や槍、弓を持っているのが半数、残りの半数は棍棒や鶴嘴を手にしていた。
牙犬族の護衛の間に緊張が走る。竜也は無言のまま手でそれを制した。竜也達の一隊がその場に止まる。奴隷の一団との距離は百メートルほどだ。竜也とガイル=ラベクの二人が一隊から抜け出し、奴隷の一団へと向かってゆっくりと歩き出した。
一方奴隷の一団からも一人の男が竜也達に向かって歩き出している。他の奴隷はその場に留まったままだ。接近するにつれてその男の姿が目に入ってくる。
男の年齢は四〇代くらい。身長は竜也とそれほど変わらないが、胴回りは竜也の倍くらいあるように見えた。一件中年太りのように見えるが、腹に詰まっているのは脂肪ではなく筋肉であることは間違いない。顔つきは山賊みたいに凶悪だ。さらに右眼は刀傷で潰れ、右腕の肘から先がなかった。
竜也がその男――マグドと接近する。数メートルの距離を置き、両者は同時に足を止めた。
「お前さんがあのガイル=ラベクか。世話になったな、無理を聞いてくれて礼を言う」
「何、構わんよ」
マグドはまずガイル=ラベクにそう話しかけた。それから一呼吸おき、竜也へと視線を向ける。
「それで、お前さんがクロイ・タツヤだったか。凶悪な反乱奴隷である俺達とどんな話をしようっていうんだ?」
マグドの試すようなその問いに竜也はにっこりと笑い、
「そうですね、商売の話を」
まるでバール人のようにそう言った。マグドは若干の戸惑いを無表情で隠している。
奴隷の一団と牙犬族の一隊の距離は約百メートル。両者のちょうど中間に竜也・マグド・ガイル=ラベクが立ち、話を続けていた。カフラはいろんなことを心配しながら竜也の背中を見つめているが、竜也達が何の話をしているのかは全く聞こえない。だが、
「がーっはっはっは!」
突然マグドの哄笑が轟いた。カフラはサフィールと戸惑ったような顔を見合わせる。一方奴隷の一団でも似たような光景が見られた。カフラは懸命に耳を澄ませるが時折発生するマグドの哄笑以外何も聞き取れなかった。
竜也達の会談は一時間ほどにも及んだだろうか。やがて竜也とガイル=ラベクが牙犬族の一隊の元に戻ってくる。マグドもまた自分の部下の元に戻っていくところだった。
「タツヤさん!」
カフラが一隊から飛び出して竜也を出迎える。サフィールがカフラに続いた。
「交渉は成立した。予定通りいくぞ」
竜也は太々しく笑う。
「ここから先はカフラ達の出番だ。頼りにしている」
「え、ええ。任せてください!」
カフラは一瞬の戸惑いを飲み込み、張り切ってそう答える。
「バール人の本領発揮です。鼻血も出ないくらいに搾り取ってやります!」
一方マグドの方も部下達に取り囲まれていた。
「お頭」「首領」「将軍」
部下達はマグドのことを好き好きに呼んでいる。
「あの連中と一体どんな話になったんで?」
「鉱山に戻ってから話す。先に戻って各隊の隊長を集めておけ」
マグドはにやにやしながらそう言うだけだ。マグドの命令を受け、足の早い一人が先行して鉱山へと戻る。笑いを浮かべるマグドと、戸惑う様子の奴隷の一団がそれに続いた。
そして数刻後、マグド達がガフサ鉱山へと戻ってきた。マグドは奴隷達の期待や不安の視線を一身に集めながら鉱山の敷地内を歩いていく。向かう先は鉱山の中心部、高台に建っている事務所である。少し前までそこは監督官とその部下や傭兵が集まる場所だったが、今はもうその連中の影も形もない。
今そこに集まっているのは二十人ほどのマグドの部下だった。マグドは軍隊式に二千人の奴隷を百人ずつ二十の隊に分け、各隊のリーダーとして百人隊長を指名していた。
「将軍、それで一体どんな話になったのですか」
部下の一人が改めてそれを問う。マグドの言葉を待つ部下達に、
「商売の話だ」
マグドはそう言ってにやりと笑う。戸惑いを見せる部下達にマグドは最初から説明した。
「ワーリス商会はこの鉱山をどこか余所の商会に売却しようとしているそうだ。ナーフィア商会や他の商会と交渉しているが折り合いが付かず、交渉が長引いている」
マグドは少し間をおいて、
「決着するのは一月くらい先になるとのことだ」
戸惑う隊長達がそれぞれに話をしつつマグドの言葉を咀嚼する。ようやく理解に及んだ様子の隊長の一人が、
「それじゃ、その一月の間ここはどうなるので?」
「このままだ。少なくとも一月は攻められる心配はない」
薄く笑みを見せるマグドに対し、隊長達は途方に暮れたような顔を見せた。
「しかし将軍、この鉱山にはもう食糧が……あと何日分も残っておりません」
判っている、とマグドは力強く頷いた。
「だから商売の話をしてきたんだ。――ガイル=ラベクに紹介してもらった商人が俺達に食糧を売ってくれる」
「しかし、我々には金なんか」
馬鹿だな、とマグドは笑い、
「ここは鉱山だぞ? 金はなくとも金目の物ならいくらでもあるだろうが」
と両手を広げて周囲全てを指し示す。周囲の山々を見回し、隊長達に理解の色が広がった。
「……しかし、それは盗掘と言うのでは?」
「ああ、その通りだ。だが、それがどうした?」
とマグドは鼻で笑う。
「あの連中は俺達を散々こき使ってボロ儲けしていたんだ。一月やそこら、この鉱山で俺達が好き勝手やったところで大した損失にはならん。こき使われた分を取り戻すためにも一月で少しでも掘り出してやらんと」
確かにそうだ、とばかりに隊長達が頷いた。
「明日には隊商が食糧を持ってやってくる。精製した鉄が少しは残っているだろう、それを売って当座をしのいで、その間に鉄を掘り出す」
マグドの命令に隊長達は頷き、了解を示した。
そして次の日。マグド達は前日のうちには売却する銑鉄の延べ棒を耳を揃えて用意し、隊商の到着を今や遅しと待っている。太陽が中天に達する頃、
「おい、あれじゃないのか?」
目の良い者がそれに気が付いた。鉱山に向かって何者かが接近している。大量の荷物を抱えた隊商の一団だ。奴隷達が一斉に歓声を上げた。一同は期待に胸を膨らませて隊商の接近を待っている。だが、近付くにつれてその全容がよく見えるようになり、
「何だ、あの連中……?」
一同に戸惑いが広がっていった。やがてその隊商が鉱山に到着、唖然とする奴隷達の視線を浴びつつ隊商は鉱山の中へと入っていった。
隊商の人数は百人以上、そのうちの三分の一は護衛で全員が牙犬族だ。隊列を作っていたのは屋台である。さらには何十匹もの牛・山羊・豚を引き連れていた。
「毎度お世話になっております、クロイ商会です」
と愛想良く笑うのは隊商の中心にいる若い男だ。挨拶を受けたマグドは「お、おう」と何とか返事をしていた。
「それでは早速取引を。銑鉄の方は?」
「おう、ここに」
マグドは何台もの荷車に乗せた銑鉄の延べ棒を持ってこさせる。一方の竜也も、
「はい、確かに。こちらがお約束の代金となります」
竜也もまた荷車を移動させた。荷車に乗っているのは大きな木箱だ。マグド達の目の前で、木箱がバールによってこじ開けられる。奴隷達の間にどよめきが広がった。木箱にはドラクマ銅貨がぎっしりと詰まっていたのだ。
「四千ドラクマ、ご確認ください」
マグドは「おう」と答え、部下と手分けして勘定をする。何分かの後、
「確かに四千ドラクマあった。これで取引成立だ」
と答える。竜也は「はい、ありがとうございます」と答えた。
「それで、食糧は?」
「こちらで商売をさせていただきます。必要なだけお買い求めください」
見ると、同行している屋台が店の準備を進めている。連れてきた牛や豚が次々と捌かれ、肉片として切り分けられていた。
マグドは奴隷達の期待の視線を一身に集めている。マグドは苦笑しつつ、
「この金は全員に均等に分ける、一人二ドラクマだ。各隊の隊長から受け取れ」
爆発が起こったかのような歓声が轟いた。奴隷がそれぞれ自分の隊長の下に集まり、お金を受け取るための行列を作っている。その間にも屋台の準備が進んでおり、肉が焼ける良い香りが鉱山中に充満していた。奴隷達は空きっ腹を抱えて呻いている。
金を受け取った奴隷の全員が即座に屋台へと走っていく。
「肉! 肉をこれで買えるだけ!」
「さ、酒もあるのか?! ど、どうする」
奴隷達は目の色を変えて屋台に群がっていた。
「ああ、酒にすべきか肉にすべきか」
とハムレットのように悩んでいる奴隷も少なくない。買う物を買った奴隷達は肉にかぶりつき、酒で喉を潤し、
「……ああ」
と至福の表情を浮かべていた。どんな麻薬よりも甘美な味が舌を、喉を伝って胃の中へと落ちていく。二ドラクマは雪よりも淡く手の中から消えていた。
あっと言う間に無一文になった奴隷達は恨めしげに屋台を見つめている。奴隷の中には店主を脅して只食いをしようとする不埒者もいたが、即座に牙犬族の護衛に叩き潰されていた。
日が沈んでその日の商売が終わり、
「まさか一日で全部回収できるなんて」
銑鉄を買って支払ったはずの四千ドラクマ、その全額が竜也の手元に戻っていた。
「……何か、詐欺で騙されたような気分だ」
マグドは少し納得がいかないような表情である。竜也は「いやいや」と説明する。
「酒と食い物を売ったじゃないですか。代金を支払ってもらうのは当然です」
その、酒と食い物の価格がスキラで売っている価格の倍以上だったことまでは説明しない。
「それはそうなんだが」
とマグドはまだ首をひねっていた。
「ともかく、この調子で明日以降も商売をします」
と竜也は話を変える。
「マグドさんは鉱山で働くように皆を誘導してください。『鉱山で鉱石を掘り出して金をもらう』『その金で食い物と酒を買う』、この循環を作るんです」
「ああ、判っている」
そして翌日、ガフサ鉱山では朝早くから奴隷の一団が坑道へと向かっていた。
「お前等ー! 肉が食いたいかー!」
『おーっ!』
班長の呼びかけに何十人もの奴隷が鶴嘴を振り上げて応えた。
「酒が飲みたいかー!」
『おーっ!』
「なら、掘るぞー!」
『おーっ!』
マグドは百人の一隊をさらに四つに分け、一隊に四班作った。二五人一班で採掘に従事し、一部の班は製鉄を担当する。日当の支払いは班ごとの出来高制である。二十人の百人隊長はマグド直属として全体の統括監視を担当だ。
「作業に加わっているのは全体の三分の一くらいだ」
とマグドは浮かぬ顔である。
「思ったよりも少ないですね」
と竜也は言うが、その表情は平静そのものだ。
「ま、もうすぐ第二陣が到着しますから、明日には全員が作業に加わるでしょう」
「……何をたくらんどる?」
とマグドは問うが、竜也は笑みを浮かべたまま沈黙を守った。
坑道の外では作業に加わっていない大勢の奴隷達が、何をするでもなくただぶらぶらとしていた。そこに、新たな隊商の一隊が到着する。暇を持て余していた奴隷達が見物に集まり、
「おい、おいあれ……」
「お、女だ」
派手な衣装を着崩した、扇情的な女達。そんな女が何十人もいる。どう見てもそれは娼婦の一団だった。
下卑た笑みを浮かべた男達が彼女達に接近しようとする。が、その前に抜き身の剣を持った牙犬族の剣士達が立ちはだかった。男達は悔しげな顔で、未練がましく女達を遠巻きにするしかない。
「あら、そこの色男さんどうしたの? こっちに来てくれないの?」
女達がそうからかい、艶やかな笑い声を上げる。その女が指差す看板には「一回一ドラクマ」の文字が太々と記されていた。
女達と看板を忙しげに見比べていた男は、意を決して女達に背を向ける。鶴嘴を握りしめた男は坑道へと向かって突進するように歩いていった。一人、また一人とそれが続いていく。女達の前から奴隷がいなくなるまでそれほど時間はかからなかった。
「思った以上に効果的でした」
「……まあ、そりゃそうなるわ」
と語るのは竜也とマグドである。その日のうちに奴隷の全員が採掘その他の作業に加わり、仕事をしない人間は一人もいなくなった。
「あまり働くな、少しは休め」
数日後にはマグドはそんな命令を出す羽目になったくらいである。マグドは採掘作業を日の出から日没までとし、日没後は採掘禁止を命令。鉱夫達は不平を言いながらもそれに従った。
日の出とともに坑道に入って懸命に働き、日没後は屋台で飲み食いをし、ときたま女を買う。十日ほどでそんな生活パターンが成立し、ガフサ鉱山は一つの町として機能するようになった。採掘機械でも使っているのかと疑うような勢いで鉱石が掘り出され、製鉄されて銑鉄の延べ棒が見る間に積み上がっていく。だがそれだけで満足する竜也ではなかった。
ある日のこと、マグドは作業の前に奴隷――鉱夫の全員を広場に集めた。二千人の鉱夫を前にマグドは大声を張り上げる。
「今日から医者がこの鉱山に来てくれることになった! 怪我をしても手当をしてくれるぞ!」
鉱夫達が喜びの歓声を上げる。マグドは静かになるのを待ち、一同に告げた。
「診察料は一回につき五ドラクマ! 薬を使えばもう五ドラクマだ!」
広場に驚きが満ち、次いでブーイングが広がった。マグドがそれを手で制す。
「奴隷になる前、町にいたときのことを考えろ! 医者にかかれば普通にそれくらいは取られただろうが!」
鉱夫達はそれに反論できず黙っている。だが不満はたまったままだ。
「判っている、確かに普段から酒ばっかり飲んでいるお前達が、あるかどうかも判らないいざというときのためにそんな金を貯められるわけがない! だから代わりに俺がその金を貯めてやる! お前達に支払う日当のうち二十分の一を俺がもらう! だが怪我人が出たならただで治療をしてやる!」
聴衆が戸惑うようにざわめいている。マグドが続けた。
「病人も同じだ! 働けない間はずっと飯を食わせてやる! どうだ、文句があるか?!」
「もし怪我しなかったら、その金は返してもらえるんで?」
鉱夫の一人の問いにマグドは、
「返さん!」
と断言した。
「だからお前等、怪我や病気はするなよ!」
鉱夫達は爆笑し、マグドの提案は受け入れられる。こうしてガフサ鉱山に治療費積み立て……を口実とした医療保険が成立した。今までまともに治療を受けていなった何人もの鉱夫が気軽に治療を受けるようになる。
またある日のこと、マグドは百人隊長と各班の班長を全員集めて布告した。
「坑道の一番奥で採掘する者には、今日からこれを頭に被ってもらう」
とマグドが手に持って示したのは木製のヘルメットだった。戸惑う班長達の手にそれが次々と渡される。
「とりあえず百個用意した。そのうち全員分用意する……そうだ」
その木製ヘルメットを手にした班長達は手で叩いてみたり、頭に被ってみたりしている。
「兜ですか? 木製の」
「鉄兜を被って採掘なんぞできんだろうが」
とマグド。一部の班長は渋い顔だ。
「しかし、こんな煩わしい物を被っての採掘など」
「怪我をされるよりはマシだ。いいからこれは命令だ」
とマグドは強引に押し通す。班長達は若干の不満を飲み込んで了解した。木製ヘルメットを渡された鉱夫の全員ではないが大半がそれを被り、いくつかの怪我の危険から守られることとなる。
「あっしはこんな身体になっちまって、もう鉱山で働くことは……」
「判っている、俺に任せろ」
負傷により採掘や精製に従事できなくなった者は屋台に雇われて働いた。また、鉱山内で治安維持に当たっている警備員も牙犬族から奴隷出身者に少しずつ置き換わっている。すでに警備員の半数以上がマグド配下の元奴隷である。
その一方、マグドは情報公開を徐々に進めていた。
「あのクロイ・タツヤって若いのは先物取引でバール人を出し抜いて何千タラントもの金をボロ儲けしたそうだぜ。何人ものバール人に首を吊らせたって話だ」
百人隊長の一人が仕入れてきたその情報を披露、他の隊長達が「ほー」と感心する。隊長達は事務所の窓から鉱山の中央広場を見下ろした。そこには竜也の姿がある。ヤスミン一座を連れてきた竜也は入場料の受け取りをやっていた。
「でも、そんな奴が何で反乱奴隷相手の屋台なんか?」
首をひねる百人隊長の面々。そこにマグドが口を挟んできた。
「そりゃ、あいつがこの鉱山の持ち主だからだ」
百人隊長達が驚くのを面白がりながらマグドが説明する。
「あいつは先物取引で儲けた金を使ってワーリス商会からこの鉱山を丸ごと全部買い取っている。俺達も含めてな」
「しかし将軍」
と一人が問い質す。
「それなら俺達を普通に働かせればいいんじゃ? 屋台なんかやってないで」
「『働け』と命令されたからって、働いたか? 俺達が」
マグドは逆に問い返した。隊長達は顔を見合わせる。
「……待遇が前と変わらないなら絶対に働きはせんでしょう。牙犬族に脅されようと」
「だがだからと言って、突然ここまで待遇を改善してもやはり働かない恐れがある、と考えたんだろう。『もっと粘ればもっと待遇が改善する』、そう考えたに違いないからな」
あいつは俺達が自発的に働くよう仕向けたんだ、とマグドは説明をまとめる。隊長達は再び窓の下を見下ろした。広場ではヤスミン一座による「七人の海賊」上演が開始されている。
「……あの若いのはエレブ人と戦うために傭兵を集めているって話だ。先物取引で儲けた金も全部それに使うらしい」
隊長達の視線が自然とマグドへと向かった。
「将軍、どうなさるおもつりで?」
「そんなもの、決まっているだろう」
マグドは不敵に笑い、それだけを答える。だが百人隊長の全員がその答えに満足したように頷く。心地良い沈黙がその場を満たしていた。
そして月はアルカサムの月(第八月)に入り、その初旬。
「……何じゃここは」
ワーリスは周囲を見回し、呆然と呟いた。場所はガフサ鉱山、反乱奴隷によって占拠されたままとなっている鉱山……のはずである。
「今日の安全目標は『指差し呼称の確実実行』だ! 安全唱和、やるぞ!」
奴隷の班長が「安全第一・利益が第二!」と安全標語を独唱、それに続いて奴隷の班員が唱和する。標語の唱和で気合いを入れた奴隷の鉱夫達が張り切って坑道と入っていった。
鉱山の中央大通りと言うべき場所には屋台が立ち並び、酒や食い物が売られ、それを奴隷が買っている。怪我により採掘に従事できなくなった奴隷が屋台で肉を焼いていた。通りの反対側には娼婦が客引きをしており、武装した奴隷が警備を担当している。奴隷達は笑顔に満ち、鉱山は活気に溢れていた。
「ようこそ、ガフサ鉱山へ」
とワーリスを出迎えたのは竜也である。ワーリスは竜也の招待を受け、ここまでやってきたのだ。
「何じゃここは、まるで一つの町ではないか。お主、一体何をしたんじゃ」
「説明します。こちらへ」
竜也の案内に従いワーリスは鉱山内を歩いていく。牙犬族の剣士が竜也達を護衛した。
竜也が向かった先は鉱山の一角、製鉄所である。そこには製鉄された銑鉄の延べ棒が山のように積み上がっていた。それを見てワーリスはさらに目を丸くする。
「この一月の経営についてはこちらにまとめてあります。収支決算書はこちらです」
竜也から渡された資料に目を通すワーリス。
「……奴隷に金を払っていたと。そんなことをして採算が取れるわけが」
だが収支決算書に目を通し、ワーリスは沈黙を余儀なくされた。竜也は資料を追加する。
「こっちは俺がここを買う以前の収支決算書です。見比べてもらえますか」
ワーリスは二つの収支決算書に目を通した。
「……じゃが、今は鉄の値段が高騰しておる。こんなもの比較にはならんじゃろ」
「ええ、ですからこちらは鉄の採掘量だけを比較した資料です。一番下の数字が採掘単価」
ワーリスはそれにじっくりと目を通し、
「……待て、お主の出しておる採掘経費には奴隷の購入費用が入っておらん。それがなければ」
「ええ、だって買う必要ありませんから」
竜也の反論にワーリスは沈黙する。
「スキラでもスファチェでも、普通に人を集めて雇えばいいんですから。日雇いに負けないくらいの賃金は出しているでしょう?」
「しかし、奴隷に金を払ってどうして採算が改善するのじゃ。そんな馬鹿なことが」
竜也は苦笑して肩をすくめた。そして順を追って説明する。
「今までの処遇というのがどんなものなのか、まず考えてみてください。……一日に十数時間も働かせ、全く休みなし。食事もろくに提供されず。働かない奴隷を無理矢理働かせるために監督者が暴力を振るい放題。油断をすれば奴隷が暴動を起こすから、一定数以上の武装した監督者が不可欠。酷使された奴隷がすぐ死ぬからまた買ってくる必要がある。――じゃあ、それが全部逆になるとしたら?」
ワーリスが目を見開いた。
「……充分な休養が取れて、食事もちゃんと食べられる。少なくとも暴動は起きんか。監督者は武装する必要がないし、数も最低限で済む。奴隷が長持ちするから度々追加で買ってくる必要がない……じゃが、そんな環境で奴隷がまともに働くとは」
「休みも取れず食事もまともに与えられず、暴力を振るわれる環境で誰がまともに働きますか? 監督者がいなければ全力で仕事を怠けるに決まっているでしょう? 労働者が逃げ出さない環境を整えて、後は懸命に働く動機付けをすればいいだけです」
「動機付け?」
ええ、と頷いた竜也は遠方に見える屋台と娼館を指し示した。
「労働の成果に応じて支払われる賃金、そしてそれで買うことのできる酒・食い物、そして女」
ワーリスはおかしそうに笑った。
「なるほどなるほど、確かにそれは効果的じゃ。思えば当たり前のことじゃった。奴隷であっても人間であることに変わりはない。牛や馬のように鞭だけでは働かんか」
そういうことです、と竜也は頷いた。
「ところでワーリスさん」
「ん、何じゃ」
「今のガフサ鉱山、五〇〇タラントで買いませんか?」
ひょっほっほ!とワーリスは大笑いをした。
「お主、最初からそのつもりじゃったか。よかろう、喜んで買ってやろう」
ありがとうございます、と竜也は一礼した。そして、
「さらにところで、あの屋台と娼館と隊商は別売りなんですけど、いくらで買いますか?」
ワーリスはさらに爆笑する。笑いすぎて呼吸困難となり、竜也を心配させるくらいだった。
こうしてガフサ鉱山の奴隷反乱は誰もが想像もしない形で終息する。ワーリスとの取引を終えた竜也の元にマグドが、百人隊長の面々が、数百人の奴隷が集まってきた。竜也は彼等をなだめるように先回りして説明する。
「鉱山の所有権はワーリス商会に戻りますけど、皆さんの処遇に変わりはありません。その点は安心してください」
「ああ、それはいいんだが」
何でしょう、と竜也は首を傾げた。
「お前さん、エレブ人と戦うつもりなんだってな」
ええ、と頷く竜也。マグドは胸を張り、自らを指差した。
「なら俺達を使え。これでも俺はアシューじゃちっとは名の通った将軍だったんだ。アシュケロンの将軍マグドとガフサ鉱山の二千人は、クロイ・タツヤ、お前に忠誠を誓ってやる」
竜也は瞠目し、マグドを、その配下の百人隊長を、数百人の奴隷達を見つめる。そこに並ぶのは過酷な戦場をくぐり抜けてきた、百戦錬磨の戦士の目だ。その目が篤い信頼を湛えて竜也を見つめている。
「あ……ありがとうございます」
感無量となった竜也はそれだけを言うのが精一杯だった。
竜也は忠勇無二の二千の兵力を手に入れ、戦争準備をまた一歩進めることができた。その一方、エレブからの戦雲はより暗さを増していくのである。