――――幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。――――御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。 ――「蜘蛛の糸」/芥川龍之介 著 より引用◆ 死んだと思ったら、生きていた。いや、九死に一生とかいう話ではなく、確かに死んでいたはずなのだが。 私は死病に冒され、病院で息を引き取ったのだ。 苦しみに苦しみ抜いて、何処か奈落より深くに落ちてゆくような果てしない喪失感。 その果てしない落下の途中で何か網のようなものに引っかかったような、無我夢中で何かをつかんだような気もするが、とにかく私は死んだはずだ。 そこから生き返れるほどにはまだ科学は発達していなかったように思う。もっとも、科学の発達具合なんて、今では確認のしようも無い。 何故か? ここが、魔法使いのいる中世ファンタジーな世界だからだ! 私は生まれ変わったのだ! 死に際のヴィジョンはお釈迦様の蜘蛛の糸でも掴んだということなのだろう。蜘蛛の糸が繋がっていた先は天国じゃなくて異世界だったようだが。 生まれ変わった後のこの世界(正確には私が誕生した一地方)はハルケギニアと言い、およそ5000年前に降臨した始祖ブリミルが魔法を広め、メイジと平民による階級社会を形成している。 工業技術などは中世から近世のヨーロッパ程度。 地理的にもおおよそヨーロッパに対応しているようだ。 大国ガリア、宗教都市国家ロマリア、白の国アルビオン、水の国トリステインなどの国家がハルケギニアには存在しており、その他にも、中東に該当する“サハラ”や中国に該当する“東方”という地域があるようだ。 東方は別の言葉では“ロバ・アル・カリイエ”というらしい。私の前世のある物語の言葉では“最果ての虚空”とかいう意味で、砂漠の真ん中の“無名都市”の別名だったはずだが、関連があるのだろうか。 さらに白の国アルビオンはなんと空を飛ぶ巨大な大地だという。まさにファンタジー。 ハルケギニアの海と大地の上をふらふら周遊しているらしいが……、下水が雨になって落ちてきたりしないのだろうか? ハルケギニアには始祖由来のこれら4つの大国家の他にも数々の都市国家が存在し、離合集散を繰り返しながら、安定して停滞した社会を作っている。 調べた限り少なくとも2000年近くは技術や文明が停滞している。今のハルケギニア人が2000年前に行っても何の違和感も無く生活できるだろう。 ともすれば、それ以上前でも大差ない社会だったのではなかろうか。 私はトリステインの伯爵家の長男として生を受けた。 貴族に生まれついたのは全く持って幸運としか言いようが無い。 平民に生まれついたのなら、文字すら満足に習えなかっただろうから。 そして何よりも魔法が使えるというのが素晴らしい! 魔法とは何なのか、精神力とは何か、どのような作用で物体に影響を与えているのか、杖と契約しなければ魔法を使えないというが「契約」とは一体何だ、『レビテーション』とは、使い魔の召喚とは、『固定化』とは、『錬金』とは、『硬化』とは、一体なんだ! 興味が尽きない、限界を知りたい、突き詰めて極めたい。 この世界を、ハルケギニアを解剖し尽くしたい! 世界の根源を、宇宙の始原を、周囲の微細な現象の法則を知り尽くしたい! この身を焦がすような知識欲は前世から引き継いできたものだろうか。 ……恐らくはそうなのだろう。 今は朧な前世の思い出。知識はあれど、衝動はあれど、それに伴う実感がない。 唯一確かな実感として残っているのは、死の苦しみと喪失感。 死に際に砕けた魂は、おそらく私の人間性というものを根こそぎにしてしまったのだ。 その砕けた魂の、それでも砕けずに残った部分こそ、今の私の構成要素なのだろう。 だが、悲観はするまい。 “ヒト”は生まれながらに“人間”ではなく、育つ過程で“人間”になるものなのだ。 獣に育てられた少女が狼少女になるように、普通に育てば、私も人間としての感性を取り戻せるだろう。 前世の知識を持ちながらにして普通に育てば、だが。 ああ、神様、居るかどうかは知らないが、この苦界に私を再び放り込んでくれるとは最悪だ。 またあれだけ苦しんで死ななきゃならないかと想像すると怖気が走る。 だが、最高に感謝している! 魔法だと! 幻獣だと! なんて、なんてなんて! 興味をそそられる題材だ! ああ、神様、仏様、ご先祖様、本当にありがとう! 湧き上がる衝動は身を焦がさんばかりで、知識を求め、世界の姿を知れと突き動かしてくる。 しかし、それを成すには今の自分は貧弱に過ぎる。 もどかしい、もどかしい、もどかしい、もどかし過ぎる! 狂って死んでしまいそうだ!◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 1.死をくぐり抜けてなお残るものがあるとすればそれこそが魂の本質 ◆ シャンリット伯爵家の長子が生まれた日は、よく晴れた秋の日だった。 一時は呼吸が止まるなどして、赤ん坊は生死の境をさ迷ったが、なんとか赤子は復活した。 ひと安心した産婆や伯爵夫妻がふと窓の外を見ると、景色が銀色に霞がかって見える。「おお、これは“遊糸”じゃないか」 シャンリット伯爵のフィリップが呟く。 このようなよく晴れた秋の日には、“遊糸”といってシャンリットを覆う深い森の木々の先から、無数の絹糸が揺らめきながら天に伸びるのが通例である。 卵から孵化した子蜘蛛が風に乗って遠くへ生息域を広げるために天へと蜘蛛糸を伸ばすのだ。蜘蛛糸は風を受け、子蜘蛛ごと糸を風で運ぶのだ。 穏やかな風の中、さらさらと木々の葉が擦れる音がする。その中を、蜘蛛糸が光を反射して銀糸のようにキラキラと輝いている。「しかもこの量はすごいぞ、私も初めて見る規模だ」「まあ、そうなんですか?」「ああ、きっとこの子はこの領地に愛され祝福されているのさ。間違いない」 フィリップと、その妻であるエリーゼが会話を交し合う。 伯爵家の長男が生まれたこの日、森からは、それを祝福するかのように、常の10倍をやすやすと越える程の数の蜘蛛糸が上空に伸びていた。 蜘蛛糸は互いに寄り集まり、その密度によってベールのようになっている。 それはまるで蜘蛛たちが、シャンリット家伯爵長男――“ウード・ド・シャンリット”の誕生の祝いに産着を編んでいるかのようだった。 シャンリット家は代々蜘蛛を使い魔とすることが多い。 蜘蛛は豊穣のシンボルでもあるため、蜘蛛に祝福された子供として、伯爵夫妻を始めとして領内ではシャンリット領発展の吉兆だと捉えられた。 ウードは不思議な赤ん坊であった。 大人しい子で夜泣きなど、親を困らせることは殆どしなかったが、唯一、静かな空間は嫌いだったようだ。周りで誰かが話しをしている間は、例え自分に話しかけられなくともじっとおとなしくしている。 否、じっと静かに観察している、という表現の方が正しいだろう。 眠る時間以外は全て会話を“聴く”ことだけに集中しているようだ。 もっとも赤子のウードの内心を見ることが出来れば、彼が授乳や排泄の世話の羞恥から意識を逸らす為に周囲に気を遣っていたとも分かるだろうが、実際は“お喋りを聴くのが好きな大人しい子”という扱いだった。 ウードが異常性を発揮し始めるのは、言葉を話し出した頃である。 まず第一声からして、尋常の赤ん坊ではない。「ほんをください」 父や母を呼ぶでもなく、本。しかもいきなり文として成立する言葉を話したのだ。 まだ這いつくばって動くことも出来ない時分であるのに。 そのように請われた乳母(赤子とは言え、領主の息子から丁寧語でお願いされては断れなかった)が、恐る恐る本を与えて開いてみせると、しかめっ面をして、また言葉を発する。「じがよめないです。じをおしえてください。じしょもください」 というように、いささか舌っ足らずな声で更に要求を重ねてきた。 次の日から、乳母の仕事に文字教育と読み聞かせが加わった。 先ずは始祖ブリミルについての説話や伝説からだ。乳母に抱き抱えられて、本を一緒に読んでいく。「ぶりみるさまって、なに?」「ブリミル様とは、魔法を齎した方なのですよ。とぉっても偉いんです」 “魔法”という言葉にウードは大きく反応した。 大きくとは言っても、彼の場合は無反応が常の不気味な幼児なので、眼を大きく見開いたくらいだが。 この些細な変化が分かるのは常に傍に居る乳母くらいのものだ。「そうなんだ」「ここトリステインの王様はブリミル様の血を最も濃く引いてらっしゃる方の一人なんですよー。勿論、ウード様にもブリミル様の血は流れているので、魔法が使えるはずです」 魔法が自分にも使えると聞いて、ウードはとても嬉しそうに笑った。「くふふ……」と不気味に囁くように。 何処までも陰性の子供であったが、乳母は慣れたものであったので、特に気にせずに本のページを進める。 歩けるようになると、ウードは父親である伯爵の書斎や書庫に籠り、そこにある蔵書を片っ端から読み始めた。 今日は父フィリップの書斎で土魔法の基礎について書かれた本を読んでいる。 伯爵も書斎で書類仕事をしているが親子間の会話はなく、静かな時間が流れている。 フィリップの方は漸く一段落したようで、執務机の前で軽く伸びをすると、書斎の隅で本を読んでいるウードに気がついて驚く。 あまりに気配が希薄だったので忘れてしまっていたのだ。 実は我が子には密偵としての素質でもあるのかも知れないと思いつつも、話しかける。「ウード、そんなに本ばかり読んでいてはキノコが生えてしまうぞ」「父上。きちんと運動もしています。ノワールが張った蜘蛛の巣をアスレチック替わりにしたりして」 ノワールとは伯爵の使い魔の巨大な蜘蛛だ。 頭の先から腹の先までで3メイル、足まで合わせると5メイルはある。 いつもは中庭に大きな巣を架けて微睡んでいるが、時に屋敷の南に出てきて日光浴をしたりしている。「まてまて。それはそれで危ないからな? 頭からマルカジリにされてしまうかも知れないし、落ちてケガをしたらどうする」「ノワールは父上の使い魔ですし、私にも懐いています。 さっきも落ちそうになりましたが、直ぐに助けてくれましたよ」「こら、やっぱり落ちそうになってるじゃないか」 書斎に籠るその一方で、出入りの商人と家宰が会話するのを聴いたり、メイドが姦しく会話しているのを横で聞いたりなどなど館内を神出鬼没に動きまわっては、人の会話を聴くのは相変わらずであった。「ウード様を見かけませんでしたか?」「ウード様? えーっと、確かさっき向こうの廊下で見かけました」「そうですか。ありがとうございます」「でも、また何処か書庫にでも移動されてるかも知れませんよ」「書庫はもう探しました。全く今日はどちらに行ってらっしゃるのやら」 魔法があると知ってからは、それを教えてくれるように伯爵に頼み込んだ。何度も何度も。 伯爵はまだ幼い我が子に、「もっと大きくなってから」と言い聞かせた。 魔法を扱うためには、ある程度の肉体の成長と、精神の成熟を待たねばならない。 精神の成熟についてはウードは合格点を満たしているようにも見える。 だが肉体の成熟についてはまだまだ全く魔法を使うには足りない。 少なくとも4歳になってからでなくては、教えることが出来ないとウードに言い聞かせた。 貴族として魔法を扱う心構えを学んでからでないと、魔法を教えることは出来ないとも伝えた。 ウードは聡明であり、きちんと理を説けばそれ以上のワガママを重ねることは殆ど無かった。 魔法の習得が叶わないと分かると、ウードはさらに知識への傾倒を深めた。 シャンリット家に保管された本はウードが3歳になる頃には既に読み尽くされてしまっていた。 3歳からは両親である伯爵夫妻の言いつけで礼法の勉強を始め、伯爵が周辺の貴族の屋敷に出向く際には同席するようになった。 伯爵としては同年代の子供と交流して欲しいという思惑があったのだろうが、ウード自身は周辺の貴族の持つ本を読みたいがために同道しただけであった。 挨拶が済み、子供同士で適当に遊ぶと、直ぐにその貴族の書斎に入って本を読んでいいかと父親の伯爵を介して訪問先の当主に尋ね、そして書斎に籠りっきりになった。 当然、訪問先の貴族の子供にとってそんなウードは“つまらない奴”でしかないので、段々とウードが招かれる回数も減っていった。 しかし、その頃にはウードの方も周辺の貴族の蔵書は読み終えていたため、大して気にした風はなかった。 4歳になり、漸く、魔法の習得について許可が下りた。 ウードは嬉々として伯爵からのプレゼントである杖を受け取った。「くふふふふふふ」と囁くような笑いが非常に耳に障るが、誰ももはや気にしない。 母親のエリーゼはハルケギニアの生物図鑑をプレゼントした。 平民にも流通しているような安価な物ではなく、全編彩色済みの高級品だ。 こちらも非常に喜んで、感極まってウードは二人に抱きついた。 ウードにしては珍しい行動に、フィリップとエリーゼは驚き、次に満面の笑みで抱きしめ返した。 数日して杖との契約が済んだ頃、最初の魔法の講義が始まった。 講師は家宰の老齢の男だ。先代当主が病で亡くなる前から務めている。 外部から講師を招くことも考えたが、これまで異常な行動を繰り返してきたウードを、彼に初対面の人間に任せるのは不安が大きすぎた。「えー、ウード様。先ずは何から習いたいですか?」「『偏在』」「それは風のスクエアスペルですから無理です」「分かってますよ、爺や、冗句です。『念力』、『ディテクトマジック』、『錬金』の順で教えてください。スペルはもう分かっているので、実践からお願いいたします」 外部の講師に任せられないのはこれが理由でもあった。 彼は知識の面では下手な講師を凌駕するだろうからだ。 そして、そのことが外部に漏れるのは余り良くない。 シャンリット家の立場は、現伯爵夫妻の騎士物語的な大恋愛の所為で非常に微妙なのだ。 余計な波風は立てたくないというのが、長年仕えてきた家宰としての講師の男の考えであった。「分かりました。少々変則的ですが、問題ないでしょう。 フィリップ様は土のトライアングルメイジですから、ウード様が始めに練習する系統魔法としては確かに土の『錬金』が良いでしょうね。 『レビテーション』は宜しいのですか? 大抵は空を飛ぶ魔法を初めに習いたがるものですが」「空なんか魔法が無くても飛べるじゃないですか。 子供じゃ飛べても少しの時間だけですし。 それより『念力』の方が重要です! 本棚の上の方の本を取るのが楽になります」「まさかそれが理由ですか?」「それも理由の一つということですが、それだけではありません。 手で触れないようなものも簡単に扱えるようになります」 どうやら、ウードの中ではそれなりの理論があるようだ。 最近はウード自身の魔法についての考えを講釈することも多く、家臣の何人かと魔法談義などに花を咲かせているのを見掛けるようになった。 それ自体は引き籠っていた以前よりは良い傾向だろう。 一方で小遣いを貰えるようになったこともあるのだろうが、奇行にも拍車がかかっている。 この間はモノサシや分銅などを取寄させては、それぞれを比べてみて「精度が悪すぎる……」と打ちひしがれていた。◆ ついに念願の魔法を使えるようになった。 私もこれで貴族の一員として認められるというものだ。 契約の原理は不明なものの、一応は形式通りに杖の契約とやらも済ませたところである。 自分でも形式に則って行なっただけなので、何がどうなったのか全く分からない。 今現在は、『念力』と『ディテクトマジック』を使うことが出来るようになったところだ。 どちらもコモンマジックと呼ばれる、どんな魔法使いにも使えるという基本的な魔法である。 『念力』あるいは『念動』はモノを動かす魔法で、『ディテクトマジック』は魔法がかかっているかどうかなどを調べる魔法だ。 『念力』を初めに覚えたのは、最も簡単で、成果が眼に見えやすい魔法だからだ。 本当は『ディテクトマジック』から覚えたかったが、魔法を成功させるイメージを掴んでおかないと『ディテクトマジック』が成功しているか分からないと思ったのだ。 他の魔法で慣れてからという考えは良い線行っていると思う。 私自身も馴染みの薄かった魔法という概念にも慣れてきたようだ。 そして問題は『ディテクトマジック』だ。これはどうやら様々な使い方がされているようだ。 メジャーなのは魔法の掛かった物品かどうかを調べるもので、魔道具などに反応して発光させるというものだ。 しかし他にも例えば宝石の原石に『ディテクトマジック』を掛けて、内部の傷の場所を調べて『錬金』で補修したりというのは高位の土メイジであれば可能だと文献に書いてあった。 一方で人体に掛けることで“水の淀み”(おそらく腫瘍のことと思われる)の場所を見定めて取り除くなどの使い方もあるそうだ。 『ディテクトマジック』とは電子顕微鏡からレントゲン的な使い方まで非常に応用範囲の広い、奥が深い魔法なのだ。 『錬金』で金銀などの貴金属を作ることが出来れば、これから先の研究資金にも困らないので、是非とも身につけたいのだが、どうにもこれが難しい。 ハルケギニアでこれまで試されたやり方では、高位の土メイジでなくては『錬金』で貴金属を作ることが出来ないとされている。 しかし、やっていることは銅を作るのであれ、金を作るのであれ、原子の変換には変わりない。 実際の難易度には金も銀も銅も珪石も関係ないのではないかと私は考えている。 まあ、原子核として安定する鉄や鉛が作り易いとか、ウラン等の鉛よりも重い重金属は作りづらいなどの特性はあるのかも知れないが。 そこで考えたのが『ディテクトマジック』を極めて、原子核や電子、素粒子の動きを捉えられるようになれば、貴金属の『錬金』も容易になるのではないかということだ。 その為に、私は『ディテクトマジック』を繰り返した。幼児なので寝食を忘れてという不健康なことはしなかったが。 水分子の構造調査を行った時のことを例に挙げよう。 水分子の構造については幸いにして生まれた時から知っていた。 あとはこれを『ディテクトマジック』で感じ取れるかどうかなのだが、その前に純水の作成という難題が立ちはだかった。 混ざりものがあっては、上手く分子を感じ取ることが出来ないのではないかと思ったのだ。 父上に頼んで、幾つか私の覚えている実験用のガラス器具を作成してもらった。 それを使って蒸留水を作り、『ディテクトマジック』を使った。 結果、あまりの情報の奔流に飲まれて数秒意識を失ってしまった。 どうやら0.1リーブルほどの重さの水の中にある水分子の細かな挙動が一度に送られてきて、脳の処理能力をオーバーしたらしい。 意識を取り戻したときには、私は床に転がっていた。 幸い、実験器具を倒したりなどはしなかったので、倒れたことは家人にバレることは無かった。 『ディテクトマジック』を覚えて一ヶ月ほどは、そうして覚えている限りの純物質を(前世の小学校の実験レベルではあるが)作っては調べてを繰り返した。 勿論、魔法の学習も並行して。 私の探究の道は始まったばかりだ。こんな所で立ち止まっては居られない! ======================================================2010.07.18 初出2010.07.21 誤字等修正2010.09.26 修正、分割、追記