昼間も薄暗いヴェストリの広場。 普段は人気のないそこで、二人の人影が杖を向け合って対峙していた。 周囲には少なくないギャラリーがたむろし、遠巻きに推移を見守っている。 ギャラリーの中にはチラホラと随分と小柄な人影も見える。 トリステインでは余り見かけない褐色の肌をしている子供だが、魔法学院の従業員を務めるくらいなのだからそれなりの教養はあるのだろう。 ……言わずと知れたシャンリットの改造ゴブリンたちである。こんなところまで浸透しているのだ。 観衆の中、対峙する一方はジャン=マルク・ドラクロワ。 彼は自身の特性を表すかのような淡い赤毛の炎髪をかき上げ、もう一方に啖呵を切る。 その様子は、180サントに届かんばかりの長身と、鍛えているのであろう大型の幻獣を思わせるような屈強な体躯と合わさって、まるで獅子のような印象を見るものに与える。 今日の入学式典の為に着てきたのだろう、濃紺のマントが学院の制服に映える。「我が名はジャン=マルク・ドラクロワ。 ウード・ド・シャンリット! 決闘だ! 決闘である! ここで会ったが百年目、我がドラクロワ家がシャンリット家に劣ってなどいないことを証明してくれる!」 ジャン=マルクはタクトをもう一方の人影に向けて、そう宣言した。 対するのは、170サントと少しの背丈を黒い羅紗のマントに包んだ少年。右腕は障碍があるのか吊り下げた形で固定されている。マントの襟は長く、首筋を隠してしまっている。ブラウンの髪と同色の瞳。その瞳には何の感情も浮かんでいないように見える。 貧弱ではないが、筋骨隆々とは言えないシルエットと、体幹に不釣合に長い手足は見るものに節足動物じみた――――まるで蜘蛛のような印象を与える。 杖代わりの黒光りする鞭を持つ左腕を、その鞭と同様にだらりと吊り下げる姿からは、覇気など微塵も感じられない。 だが、その目元に刻まれた隈と合わさって、彼はとてつもなく不吉な雰囲気を発散していた。見るものを遠ざける怖気ではなく、見るものを絡めとる不吉さだ。「どうしてこうなった……」 見るからに悪役の彼、ウード・ド・シャンリットが漏らした呟きには、大量の後悔が込められていた。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 11.魔法学院とは言うものの授業の殆どは自国の歴史と領地経営についてだったり ◆ 何が悪かったのかといえば、結局ウードの自業自得で片付けられてしまう話である。 ウードはドラクロワ家の事など頭の中からすっかり追い出して、入寮してから学校が始まるまでの一週間ずっと研究の為の施設を学院内に作ろうと奔走し、寝不足になりつつも全精力を傾けて地下スペースの作成と機材の生成・運び込みを行った。 その甲斐あって、たったの一週間で、学院近くの森に広大な地下スペースとその維持用の空調魔道具、照明や実験機器を用意出来た。 出入口としては寮棟から地下に向かう階段を無断で作り、森の地下室までは地下道で繋げてある。いざという時の学院からの緊急脱出ロも兼ねさせるためだ。 結局その建築作業に入学式の当日の未明まで掛かり、完全に寝不足の状態でウードは式に臨んだ。 一週間ずっと排泄物は『錬金』で分解し、栄養は空気中から『錬金』して摂取するという、霞を食って生きるという東方の仙人ばりのことを不眠不休で続けていれば流石に彼も限界が来る。右腕が蜘蛛に変化してから精神的にもさらに人外に近づいたウードだが、8日連続徹夜はまだ無理だった。 そして注意力散漫なまま周囲の確認もせずに適当に座った席の隣に、あれだけ危険視していたドラクロワ家の者が居るとも気付かずに、ウードは入学式の最中に堂々と居眠りをしてしまったのだ。 そこで居眠りを注意してきたジャン=マルクに対して、邪険に「うるさい、寝かせてくれ」と返して彼を逆上させた挙句、注意してきたのがドラクロワ家の者だと気づいて、暴言を吐くウード。「ああ、私のゴーレムに『火球』を放ってきた臆病者か。蜘蛛が怖いです、ママ~ってか? くふふふ、ふふふふふ」 寝不足で自制心という回路がスルーされてしまったのか、脳から口へと直通で本音を呟いてしまったのが運の尽き。しかも自分の発言がツボに嵌ったのか、ケタケタと笑い始める始末。 向こうも隣りに座る黒い羅紗のマントの不気味な男が奇怪なゴーレムを操って街道を跳ね飛んで行った者で、しかも因縁浅からぬシャンリット家の者だと気づいたらしく、そこからは売り言葉に買い言葉。「はン。そっちこそ俺の『火球』に恐れを成して逃げ出したくせに」「くふふ、くはは。逃げた? ああ、逃げましたとも。寧ろあの状況じゃ戦ったら負けだろうに。 “街道をゴーレムに乗って行ってたらいきなり魔法を撃たれので反撃したら相手が死にました”なんて事になったら、そっちこそ不名誉だろうに」「ほほう、それはつまり、戦えばお前は俺を殺せると、そういうことだな?」「くふ、くふ、くふふ。ん、まあ、そういう事だな。ミスタ・ドラクロワ」「じゃあ、証明してもらおうか! ミスタ・シャンリット!!」 ぴしゃりと白手袋を叩き付けられて、あっという間に流れ流れて、冒頭の状況に。 寝不足は良くないという話である。あるいは短気は損気。どちらの言葉がどちらの当事者に向けられたものかは、察しが付くだろう。◆ ヴェストリの広場に佇むウードは思案する。(さて、どうしたものだろうか。 挑発したのはこちらなのだが、事ここに至っては私から折れて謝るという選択肢は無い) ドラクロワ家に対して譲れないのはシャンリット家も同じなのだ。メンツとはかくも面倒なものである。まあ、その体面の御陰で助かる場合もあるから一概に害悪とは言えないのだが。 こうなれば勝者が敗者に慈悲を施す形で、相手の健闘を讃えて何もかも無かった事にするという、騎士物語でありがちな方向に持っていくしか無いだろうか、とウードは寝不足で回らない頭で考える。 そうとなれば当然、ウードが負けるのは論外となる。負けた場合に相手が何を要求してくるか分からないのだから。(圧勝してしまうのが一番イイが……、難しいかも知れんな。 〈黒糸〉を使った戦闘をわざわざ見物人の居る中で晒すつもりも無いし。私は寝不足で精神力切れかけ……まあ、それは地下の風石溜りから魔力を援用するから良いとして。 相手は戦闘に適した火メイジの上、体も鍛えているようだし、油断したら、こりゃ死ぬな) ウードは相対するジャン・マルク=ドラクロワの姿形を上から下まで視線で絡めとるように見る。(ただでさえ、正面戦闘なんか苦手なのにマトモに戦ったら勝てる要素がない。 となれば、私が勝つとしたら、不意打ち以外にありえない……か? 負けるのは選択肢に無い以上、どんな策を弄してでも勝つ必要があるが……、それ以上に死ぬのはゴメンだな……) 死への恐怖、それが惹起するのは、知識への渇望と変容への忌避。 右半身に畳んだ異形の牙、蜘蛛の大顎が軋み、そこに秘められた呪いの気配が溢れ出す。◆「我が名はウード・ド・シャンリット。 決闘は確かに承った、ジャン=マルク・ドラクロワ。 では立会人と勝敗条件、そして賭けるものはどうする」 突如としてその身から暗黒の気配を発し始めたウードに、立ち会うジャン=マルクも見物人もたじろぐ。 見物人の中に混ざる小柄なゴブリンたちは、何処と無くその気配に当てられてうっとりしているようだが、それに気付いた者は居なかった。「……っ。立会人はそこの彼に頼もう。 ……そこの君、俺と奴の準備が整ったと思ったら、一声掛けて、この金貨を弾いてくれないか?」 ジャン=マルクは見物人の一人に、金貨を投げて渡す。「ウード・ド・シャンリット、彼が弾いた金貨が地面に着いたら決闘開始だ。 勝敗条件は、杖を落とすか、負けを認めるか、『治癒』が必要な大怪我をするかだ」「殺しは無しだな?」 ウードが尋ねると、一瞬、周囲がざわめく。「一応、な。だが……」「分かっている、全力でヤることに変わりはないと言いたいのだろう。 それにもとから火メイジに手加減など期待していない。一応の確認だ。 精々、事故で消し炭にされないように気を付けるだけだ」 そう言ってウードは肩をすくめて見せる。 その仕草がいちいちジャン=マルクの癇に障る。 まるでヒトのような仕草だ、ヒトデナシのくせにヒトの皮を被って。 何故かそんな声が精神の奥の本能から聞こえたような気がして、ジャン=マルクはゾッとする。 果たして自分は初対面の人間にそんな感想を持つような性格だっただろうか?「……、分かっているならいい。 勝者は敗者に一つ命令出来る権利を賭けようじゃないか。俺が勝ったら、最大限の誠意を示して謝ってもらうぞ」「良いだろう。五体投地でも何でもしてやろうじゃないか。それと勝っても負けても禍根無しだぞ、ドラクロワ」「望むところだ、ド・シャンリット」 それを最後のやり取りにして、両者は杖と鞭を構える。 急遽立会人に指名された小柄な栗毛の少年が声をあげる。「で、ではっ、決闘、は、始め!」 そして、立会人の彼の手からコインが空に――「あ」 ――舞わずにポロリと落ちた。「む!」「ちいッ!!」 だがこの不意打ちにも、ウードとジャン=マルクの両者は動じず、魔法を紡ぐ。 ジャン=マルクは、ウードの鞭を見て中距離は不利だと感じたのか、それとも接近戦が得意なのか、駆けながら『ブレイド』を唱える。片腕が使えないウード相手なら、接近戦は有効だろう。 対するウードは『砂塵』の魔法を唱え、自分の足元から土煙を発生させ、ジャン=マルクの視界を閉ざす。「しゃらくさい!」 炎刃一閃。 その土埃は炎を伴なう『ブレイド』によって巻き起こった熱風によって、吹き流され、消え去ってしまう。 鋼鉄をも溶かすトライアングルの炎を凝縮した魔法の刃。 周囲の見物人にまでその熱波は届いただろう。 そしてジャン=マルクは次の瞬間には更に踏み込み、返す刃で、砂塵が晴れて目の前に現れたウードの右腕を切り飛ばそうとする。 何故右腕を狙ったのか、それはあの右手がいけないものだからだ、だから焼き払ってしまわなくてはならない。ジャン=マルクはその本能の訴えに従って杖を振るう。 しかしウードはバックステップしてそれを避ける。 『フライ』の魔法を併用したのか、ひと飛びで数メイルは後退る。「『錬金』、土の珠」 そしてジャン=マルクとの間の地面を、『錬金』の魔法で直径1サント大のガラス玉のようなもので埋め尽くしてしまう。「……何のつもりだ、シャンリット」「くふ、何って、見りゃあ分かるだろう? 近づかれないようにと思ってね」「こんな見え見えの罠に引っかかるものか! 『炎球』!!」 轟々と燃え盛る炎の玉がジャン=マルクの持つタクトから繰り出されてウードに迫る。「『念力』」 だが、その炎は届かない。見えない壁によって押し留められ、周囲の空気と掻き混ぜられるようにして霧散してしまう。「な! 何をした! 貴様!」 通常では考えられない現象に、ジャン=マルクは狼狽するが、それでも手は緩めない。何発も『炎球』を連射する。 しかし、その全てが、塞き止められて掻き消される。「何って、そりゃあ、『念力』だよ。見えない魔力の手で押さえて、炎の分子の振動を押さえつけつつ空気と混ぜてやっただけだ。 ほら、私の右腕はこんなんだろう?」 ウードは雁字搦めに固定された自分の腕を掲げてみせる。 中身は見えないが、あれはきっと醜いに違いない。悍ましい腐汁に満ちているに決まっている。だから、早急に焼き尽くさなければ。ジャン=マルクはウードの右腕目がけて更に魔法を発射する。 だが、ウードには届かない。全て空中で分解される。炎の玉は、まるで蕾が花開くように捻じ広げられて散っていく。通常の、物を持ち上げるだけの『念力』では不可能な芸当だが、ピンポイントで精密かつ複雑に空気を動かすことによって、ウードにはそれが可能なのだった。「こんな腕だから身の回りの事を全部『念力』でやってるうちに、こういう使い方も出来るようになった。 本当は『エア・シールド』とか『エア・ハンマー』の魔法もこれと同じ理屈で、『念力』で空気を固めたり動かしたりしているだけなのかも知れないな」「変則的な風使いというわけか」「……くふふ。まあ、そんな理解でいいさ。じゃあ、反撃させてもらう」 次に出るのは『エア・ハンマー』か『ウィンド・ブレイク』か『エア・カッター』か、と身構えるジャン=マルク。 それを嘲笑うかのようにして、ウードは短くルーンワードを唱える。 唱えたのは“風”ではなくて“火”。 火の魔法の初歩の初歩。「『発火』」 『発火』の魔法はしかし、炎を生じることは無かった。その代わりに。 ばちん、と。何の脈絡もなく、地面にばらまかれていたガラス玉の一つが弾けるように音を超えるような速さで飛び上がり、一直線にジャン=マルクの肩へと突き刺さった。 その勢いでジャン=マルクはよろめき、片膝をつく。「ぐう、な、何だ!?」「勝負有りだ、ジャン=マルク・ドラクロワ。負傷したから君の負けだ。なあ、審判!」 まるで『土弾(ブレット)』のようにして飛び上がったガラス玉が、ジャン=マルクの肩に食い込んでいた。 審判の声が響く。「え、あ。勝負有り! 勝者、ウード・ド・シャンリット!」 観衆も何が起こったのか理解出来ていない、という様子だ。「な、今のが『発火』だと? 『土弾』じゃないのか!?」「まあ、トリックだよ、トリック。風使いに見せかけて『念力』、『発火』のスペルで『土弾』。 魔力が与えたエネルギーを熱エネルギーにするか運動エネルギーにするかの違いであって、『発火』も『土弾』も似たようなものだからな、少なくとも私にとっては。 まあ効率で言えば、矢張り土を飛ばすには『土弾』の魔法の方が良いんだが、意表は突けただろう?」 確かに意表を突かれた。ジャン=マルクは防御の『炎壁』も間に合わず、避けることが出来なかった。 いや『炎壁』が間に合っていたとしても、今度はジャン=マルクの『炎壁』の内側のガラス玉を弾丸にして、ウードは攻撃を仕掛けただろう。「ぐぅ、卑怯者め……! 小細工ばかり弄しおって」「ふん、『卑怯者め』、か。なら私も言わせて貰おう、卑怯者」「何だと!?」 激昂するジャン=マルクを尻目にウードは続ける。「まあ、聞けよ。敗者には勝者の講釈を聞く義務があるだろうが。 ……私は寝不足で精神力もほぼ空っぽの最悪のコンディション、得意系統は攻撃には向きづらい“土”で、見ての通り、ウェイトも違うし、片腕は使えない。 そんな状況で、正々堂々真正面から撃ちあって、斬り合って、果たして私には勝ち目が有ったのかな? 無いだろう? ――卑怯だぞ、その才能、その体躯」「そんなものは屁理屈だ!」 だが、ウードは勝者で、ジャン=マルクは敗者。 屁理屈だと叫ぶのは勝手だが、いくら言っても負け犬の遠吠えにしかならないと、ジャン=マルクは理解しているだろうか。「屁理屈で結構。理解してもらおうとも思っていない。 君のその全てが先祖から受け継いだものであり、また君の努力の賜物であることは分かるよ。 ただ、私の小細工もそれと同じで私の研究の賜物だと言いたいだけだ」 別にお説教するつもりはないから、とウードは決闘の賞品について話題を向け直す。「だがまあ、折角勝ったのだから約束は守ってもらう。 願いを聞いてもらおう」「……良いだろう。何でも言え」 ジャン=マルクが身構える。 この不吉な男が、ヒトデナシの蜘蛛が何を言ってくるのか、まるで予想ができない。 ウード・ド・シャンリットという男は、自分の常識とは違う理論で行動しているのだと、ジャン=マルクは先程の決闘で嫌というほど理解した。 だから身構える。 どんな無理難題を申し付けてやろうか、何かの実験材料にしてやろうかとウードは考えるが、それは止めた。 決闘前に考えていたように、自分の寛容さを見せて、シャンリット家とドラクロワ家の間の禍根を少しでも無くすための良い機会でもある。 元々ウードは、学院にはコネクション作りのためにやって来たのであるし、ここで下手なことを強制するのは得策ではない。 かと言ってあまりにも軽い願いだと、ウードが他の者から甞められる。(精々罰ゲーム程度に留めるのが妥当か) ウードはそう考えると、『治癒』の魔法を唱えて、ジャン=マルクの傷を癒す。 直ぐに弾痕は塞がった。 そしてウードは傍らに大きな砂時計と、2メイル四方の立方体の密室を『錬金』して作り出す。 立方体の方には扉が一つ付いている。「……そうだな、じゃあ傷も治したところで、一つ勝負の続きと行こうじゃないか。罰ゲームだ。 この砂時計の砂が落ちきるまでの間、まあ、5分ほどか、その立方体の部屋の中で何も声を上げないでくれ」 立方体の小部屋の扉を開いて、中を観衆にも見せる。 ライトの魔道具で中は照らされており、内側にも砂時計が設けられている。 それ以外には何も無い。「それで充分だ。私が君にお願いするのはそれだけだ。静かに、中に居れば良い。 まあ、この部屋はかなり壁も厚いからそうそう大きな声を出さない限りは、バレないだろうが……、そうだな、外まで君の声が聞こえなかったら君の勝ち、ということにしよう。 君がその中に入っている間は、私から君の身体に傷をつけるようなことはしないと私の信じる神に誓おう。 観衆の皆が宣誓の証人だ」 目の前のジャン=マルクが呆気にとられるのが分かる。 周囲もウードの方を見て首を傾げている。「……それだけでいいのか?」「もちろんだとも。君が5分間見事に耐え切ったら、私は誠心誠意、全ての所業を謝ろう。 私の信じる神に誓って、杖に賭けて。何なら君が勝てば私を下僕にしてくれても良い。 耐え切れなくて、声を上げても、つまり私が勝っても、私からはこれ以上君に要求を重ねることはないから安心してくれ」 怪訝な顔をしているジャン=マルクや観衆に対して、さらにウードは条件を重ねた。 胡散臭さが増していく。「くふふ、じゃあ、早くこの部屋に入ってくれ。さあ、早く」 何より、ウードの顔が隠しきれ無い愉悦に歪んでいるのが怪しすぎた。 促されて渋々、ジャン=マルクは中に入る。部屋の内と外の砂時計が逆さまになり、砂を落とし始める。 ウードがその部屋の扉を、ゆっくりと閉じる。「じゃあ、この“蜘蛛の小部屋”を存分に堪能してくれ。蜘蛛恐怖症(アラクノフォビア)のジャン=マルク・ドラクロワ」「おい、シャンリット! 貴様、今、何と言った!?」「びっしりみっちりな小蜘蛛たちは、別に噛み付いたりはしないからさ。別に本物じゃないし。アラクノフォビアを克服するいい機会じゃあないか。くふふ」 いつの間にか、部屋の中に入ったジャン=マルクの足首を『土の手(アースハンド)』が固定している。逃げられない。ジャン=マルクの顔が蒼白になる。「おい、まて、閉めるな、やめろ! やめてくれ!」「くふふ。駄ぁ目だね。罰ゲームなんだからさ……、くふふふふ」 バタン、と無情にも小部屋の扉は閉められる。 直後。 5分も待つこともなく、ジャン=マルクの悲鳴が響き渡った。 しかし、部屋の扉は5分間しっかりと閉じられて、開くことはなかった。 決闘の見物に集まった観衆たちは扉の外でけたけたと笑い転げるウードを見て、「ああ、こいつに関わるのだけは絶対にゴメンだ」と思ったとか思わなかったとか。 果たしてウードはこんな調子のままで学院でのコネクションを確立することが出来るのかどうなのか。 ちなみに。 ウードが『砂塵』の魔法を使ってジャン=マルクの視界を遮った時点で、彼自身は足元に穴を掘り、身代わりの精巧なゴーレムを残して地中に潜んでいたのだが、その事には誰も気付かなかった。 出るタイミングを逸してしまったので、罰ゲームの開始時点で、彼はそのまま地中を移動して、一週間掛けて作った自慢の研究室で高見の見物と決め込んでいた。 その後。 恐怖の蜘蛛部屋に5分間突っ込まれて気絶したジャン=マルクをウードゴーレムが取り出して(彼の蜘蛛へのトラウマにまた新たな一ページが刻まれたのは言うまでもない)。 ウードゴーレムによってジャン=マルクは医務室に連れていかれて(見ていた女生徒達がお耽美な方面を想像して歓声を上げていた)。 連れて行ったウードゴーレムがまだ医務室に居るうちに、ウード本体が秘密の地下通路を通って寮に帰ったものだから、生徒たちに寮の廊下と医務室で同時に目撃されてしまい。 「あれ、ウードって『偏在』使えるの?」「風の4乗?」「土のトライアングルって言ってたぞ」「じゃあ、ゴーレムじゃね?」「そしたらどっちがホンモノだよ?」「実は双子?」とか何とか噂が流れるようになったそうだ。◆ 後日、ジャン=マルクともども決闘騒ぎを咎められて教員に呼び出されて一緒に反省文書かされたり、何だかんだで同じクラスだと判明したりして、いつの間にか2人は悪くない友人関係(?)を築いている。 具体的にはウードがジャン=マルクをからかっているだけだが。 他にも同じトライアングル同士ということで授業でもペアになることが多かったために自然とある程度は仲良くなったというのもある。 あとはウードの思考が行き詰まった時のストレス解消に行う、軽い格闘訓練の相手をジャン=マルクに頼んだり。 格闘訓練の相手が居なかったのは、ジャン=マルクも同じだったらしく、渋々仕方なくという風情ではあるが引き受けてくれた。 ジャン=マルクの家は武門なので、とっさの時の無手の格闘術も手解きを受けているとかで、在学中の格闘訓練の相手を必要としていたのは彼も同様だったようだ。 とはいえ、純粋な格闘戦ではウードがジャン=マルクに勝てるはずもなく。「せいっ!」「ふっ!」「せいっ! やっ!」 今日もウードは投げ飛ばされて地面に叩き付けられて極められていた。 ドラクロワ家の関節技(サブミッション)は、何でも開祖が暴れ韻竜を調伏したときに余りの痛さに韻竜が泣いて謝ったとか言う謂れがあるらしい。 竜を制した家なので、“ドラクロワ”の家名を賜ったそうだ。「ああああああ! もげる! 左がもげる! 止めて! もう止めて!」「ん~? “プリーズ”が足りんな~?」「止めて下さい、ジャン=マルク・ドラクロワ様」「聞こえんなあ~?」「おい、調子に乗るなよ。蜘蛛塗れにされたいのか」「スンマセン。勘弁してください」 即座にジャン=マルクはウードの左腕を離す。 左腕をほぐしながらウードは立ち上がる。「離してくれればいいさ。身体を動かして私の気も晴れたし」「まあ、俺も良い運動になったよ。また宜しく頼む」「……次の週くらいにな」 そう言ってウードは『フライ』で飛び上がって学院の自分の部屋へと向かう。 一方、炎髪の獅子の方にはきゃいきゃい言いながら女の子たちが手に手に水筒やらタオルやらを持って近づいていく。 これは人間的魅力の差であろう。 義侠心に溢れた漢であるジャン=マルクには男女問わず友人が多いのだ。 ウードの方は……まあ、お察し……、としか。 ジャン=マルクに近づいた女子の一人が彼に話しかける。「ジャン=マルクはどうしてミスタ・シャンリットと親しくするんだい? あんな不気味な男とは付き合わない方が良いと思うのだけれど」 もう何度も聞かれた質問だ。ジャン=マルクの答えはいつも変わらない。「魔法の実力が確かだというのが先ず一つ。格闘訓練に偏見を持たずに付き合ってくれる奴だというのが一つ。 ……だが、最も大きいのは危機管理、という側面だな。ウードに目をつけられた時点で、もうあいつの蜘蛛の糸からは逃れられないのさ。ならば、積極的に関わっていって影響を与えてやって、あいつがもたらす被害を軽減するしかないと思ってね。あいつが俺の目に届かない範囲で蠕動してる方が、よっぽど恐ろしいよ。 最初の印象こそ最悪だし、今でも苦手意識はある。でも、アレはそういうもの、人間じゃなくて“ウード・ド・シャンリット”という分類なんだと考えられるようになったから、そこまで怖くはなくなったな。 下手に人間だと考えるから、不気味に思えるのさ。アレは人間じゃなくて、何か別のモノなんだと思えば、気楽だよ」「何だか、そこまで言われるミスタ・シャンリットが逆に哀れに思えてくるね」「別にあの蜘蛛野郎は人間にどう思われようが、気にしないと思うがね」◆ ウードは〈黒糸〉の杖に対する使用者認証機能付加の研究も学生生活と並行して行っている。 作成している場所は、入学式前に駆けずり回って建造した地下空間内部だ。 学院長の使う〈遠見の鏡〉の範囲内に入らないように見極める作業が一番大変だったという。 見られちゃ不味いものは、今のところは余り所蔵されていないが、今後は宜しく無いものが増えると思われる。 学院の寮の1階、普段は誰も来ないような陰気な場所に秘密の地下道の入口の階段はある。 普段は『錬金』で封をされて、その入口は隠蔽されている。 寮の秘密の階段からは一直線に、灰色の石灰のような材質で出来た通路が、学院を囲む森の一角へと伸びている。 森の地下に、ウードが造った排水空調照明完備の研究施設があるのだ。 内観はまさに、魔術師の研究室……というわけでもなく、大学とかの実験室、研究室を想像してもらえればいいだろう。あるいは学校の理科室。 幾つかの部屋に別れており、資料庫だったり標本庫だったり、作業場だったりと、研究するのに必要なものはあらかた揃えられている。 ウードは入学してすぐに、インテリジェントアイテムの作製と、それを魔法発動体とするための契約を行った。 まずは、精神力が流れる感覚をインテリジェンスアイテムが感じ取れるのかどうかを確認するためだ。 最初に作ったのは小さなナイフ形のインテリジェンスアイテムだった。銘は〈ウード1号〉と名付けられた。……適当であった。 〈1号〉を作り上げるだけで膨大な量の風石の魔力を消費したり、紆余曲折様々な苦労があったのだが、そこは割愛する。 実際にウードが契約して魔法媒体として使ってみたところ、どうやらインテリジェンスアイテムの人工知性の方でも精神力が自らに流れる感覚は感知出来るようだ。 次に検証したのは、インテリジェンスアイテムの意思で使用者の魔法の妨害が可能かどうかである。 結論から言えば、これは条件付きで可能であった。 杖に込められた精神力は何らかの形で放出する必要があるため、完全に魔法の発動を止めることは不可能だったのだが、インテリジェンスアイテムの意志によって、精神力を別の方向に逸らすことは可能であった。 使用者の魔法の発動を妨害するためには、インテリジェンスアイテムに精神力が流れている間の短い時間で、使用者の魔法行使に割り込んで、込められた精神力を使って別の魔法を発動させる必要があるようだ。 その次に検証するのは、各個人の精神力のパターンに差があるのか、あったとしてインテリジェンスアイテムに込められた人工知性はその違いをどの程度感知できるのか、である。 ある虚無の曜日、ウードは王都に来ていた。 いつものように蜘蛛型のゴーレムを駆って、でもなく、バイコーンに優雅に跨って、でもなく、低空フライで街道を滑るように飛んで、でもなく、……研究室から王都まで繋がる長大な地下道を通って、である。 学院の研究室と王都のアトラナート商会支部の地下を繋ぐトンネルは、ゴブリンメイジ達の労働によって人知れず造られていた。 改造ゴブリンたちの測量技術と建築技術は、数十リーグの地下道を両端から掘り始めて寸分の狂いなく繋げることを可能にしていた。 圧倒的な速度での技術の進歩である。 これは、ゴブリンたちがハルケギニアの建築家の知識を蒐奪したことや、これまでにもシャンリット領で大規模建築の経験を積んできてそれが新しく生まれる世代にも継承還元されていること、ゴブリンたちの寿命の短さ故の集中力、便利な系統魔法……などの様々な複数の要因が重なった結果の進歩である。「地下道を通って到着したのは、トリスタニア。王城はあるが、果たしてこの街は要塞になるのだろうか? 増加する都市人口に伴って拡張され入り組む市街。王軍はこの路地の一本一本まで把握出来ているのかどうか」 そう言って、王都の路地裏を歩くウード。 前の週にもウードは王都に出たのだが、その時にアトラナート商会のゴブリンメイジに既にウード自身が契約したインテリジェントアイテムを渡し、ゴブリンにもそれを杖として契約するように命じていた。 そしてつい先ほど、地下道の王都側の出口(アトラナート商会トリスタニア支店)から出た際に、ゴブリンから杖として契約された後のインテリジェンスナイフを受け取っている。 小振りなナイフを弄びながら、ウードは王都の路地を歩く。 ウードの格好は、如何にも平民メイジという格好であった。 学院のマントは着けておらず、色褪せたローブに身を包んでいる。古着屋で手に入れたものだ。 路地裏を歩くのに不自然でなく、なおかつ余計なトラブルを呼び込まないようにという配慮から落ちぶれメイジ風の格好に落ち着いたらしい。 ひょっとしたら、腰に結えられた牛追い鞭を見れば、どこかのサーカスの売れない猛獣使いかとでも思われるのかも知れなかった。 何にせよウダツの上がらなさそうな風貌ではあった。 ウードは手で弄んでいたナイフ――インテリジェンスアイテムである〈1号〉に話しかける。「ん~、で。精神力の個人差は分かりそうか? 〈1号〉?」【じゅうぶんわかります。ただ……】「おお、そうか。しかし懸念があるんだな?」 ウードは受け取ったインテリジェンスナイフ〈1号〉に、杖として振るわれた時の感触を尋ねる。 〈1号〉が棒読みで無感情な受け答えなのは、これがウードが初めて作ったインテリジェンスアイテムだからということもあるし、〈1号〉が学習発展途上だということもある。 年月を重ねれば、知性も成長し、ともすれば何か特殊な能力を得るかも知れない。【はい。ながれるせいしんりょくから、こじんのパターンをわりだして、えいしょうわりこみをおこなうとすれば】「行うとすれば? 時間が足りない?」【はい、そうです。えいしょうかいしから、えいしょうしゅうりょうまでの時間では、まりょくパターンにんしきが、せいいっぱいです。さいしょから、ぼうがいするつもりなら、わりこみはできるのですが】 ウードは〈1号〉の感想を聞きつつ今後のインテリジェンスアイテム作成の方向を考える。「うーむ、やはりただ漫然と作れば良いって訳じゃないんだなあ。魔力パターンの認識力強化、魔力パターンの記憶、魔力パターンに応じた権限の設定、流れている魔力と記憶されているパターンの検索照合の高速化……」【きおくは、もっとかくちょうせいを、持たせた方が、良いとおもいます。いまのわたしでは、たぶん、1000にんくらいを、きおくするので、せいいっぱいです。まりょくパターンのにんしきは、むずかしいです】「成程。そうすると、全部を一つのインテリジェンスアイテムに担わせるんじゃなくて、分業して各専門の人工知能もしくは魔道具と、それらを統括する人工知能を別で作った方が良いかもしれないな」「かも、しれません」 他にもウードとナイフは何事か言葉を交わし、それを基にウードは大まかな方針を決定したようだ。 どうやら、先ずは幾つか更にインテリジェンスアイテムを作ってみて、それから魔力パターン認識や記憶力や検索照合能力に関するパラメーターを向上させる具体的な方法をウードは探っていくと決めたらしい。 しばらくは毎日、精神力が尽きるまでインテリジェンスアイテムを試作して数をこなして経験を積む日々が続くだろう。「まあ、学習による魔力パターン認識の向上も調べたいから、また後で〈1号〉はゴブリンに返すことになるな」【そんな、ひどい。れつあくひんだから、すてられるのですね】「そういう訳じゃないけれど。でも私のところでは、使う機会が殆ど無いからなあ。済まないとは思うが、これも運命だと思って。頑張って学習して成長するのを期待してるよ」【うう、わかりまひた。がんがりまひゅ】「おお、インテリジェンスアイテムでも台詞を噛むのか」 割とどうでもいい所に感心するウードであった。 ちなみにこの路地裏、ウードが毎回通るたびに浮浪者やらゴロツキやらを“強制勧誘”(略取とも言う)して、アトラナート商会本店のあるシャンリット領ダレニエ村に送り込んでいったので静かで平穏である。 アトラナート商会のゴブリンたちの方でも、王都の地理把握を兼ねた路地清掃やらを王政府に無断で自主的に行っている。清掃は地域浸透策の一端でもあり、王都以外の街でも積極的に行っている。 清掃の際は、資源ゴミは街の浮浪者たちの生きる糧なので、それ以外の汚物を主に回収している。「んー、今日は“勧誘”出来そうな輩は居ないな」【さいきん、ごろつきれんちゅうのあいだでも、うわさになっているそうです】「噂? どんなだ? アトラナート商会から意図的に流してる“知り合いの知り合い”シリーズの都市伝説じゃなくて?」【しぜんはっせいのうわさみたいです。“みぎうでをつった、ろーぶのおとこ、ちゅうい、さらわれるから、きをつけろ”】「誰かに見られてたのかな。まあ、不愉快な輩が視界に入らなければ私としては別に良いんだが。無理にダレニエ村の人を増やすこともないし」 現在は、そういった浮浪者たちの収入源となっているような、資源ゴミの買取元締めみたいな業者を買収乗っ取りしようとアトラナート商会では画策中である。 住所不定の人間でもそういった業者の顧客だったりするので、各都市の住人の戸籍調査や移民募集などを行なおうという時にはきっと役に立つはずだ。いつか、そのうち。 他にも死体からの知識蒐集のために、教会をガーゴイルの成り代わりによって陥落させ、葬儀屋も傘下に収めて、あらゆる死体から知識を蒐集する仕組みを整えようと蠕動している。 今でもアトラナート商会では引き取り手のない無縁仏を積極的に“買い取って”は人面樹に捧げている。 ひょっとしたら、ゴブリンたちが人知れず死体を回収した所為で、迷宮入りどころか発覚さえしていない殺人事件もあるかも知れない。 一応は、アトラナート商会が回収した死体は、管理番号が付けられ、一通り解剖されて死因などを調べられる。そして顔写真や指紋、DNA、回収された時の状況等々のパーソナルデータを取って、データベースに登録した後に、人面樹に捧げられている。 街を駆けずり回っている清掃ゴブリンや下働きゴブリン、配達ゴブリンなどが、『誰それが失踪した』とかいう街の噂を聞けば、ひょっとしたらそのデータの中から該当者を見付け出して、データを元に綺麗に死体を『錬金』で一から復元して届けてくれるかも知れない。【そういえば、したい、一つ、かえしました】「へえ、無縁仏の中から身元が分かったのがあったのか」【しょうふのおんな、20さいくらい、王都でころされてました。でも、こきょうは、ずっとひがしでした。ひがしの村の、のうかのむすめ、にねん前から、ゆくえふめい】「ふうん、大方、東の方で盗賊にでも攫われて、そのまま人買いに売られ、王都の女衒に買われて、痴情の縺れで殺された、とかかね。ありそうな話だ。 それより、よく身元が分かったな。〈1号〉が調べたのか?」 蒐集され記録されたパーソナルデータは、数えるのも馬鹿らしいくらいの分厚い冊子に書き込まれて、あるいは管理番号付きの遺伝子サンプルとして、もしくは人面樹の中の記憶として、シャンリット領に収められている。 これらの情報の管理も非常に大きな課題となっている。【ひまなじかん、むえんぼとけのしゃしんと、はかあばきしたしたいの、しゃしんのデータ、みせてもらって、くらべてました。しょうふのおんなと、ひがしのむらのはかばのおじいさん、ピンときたので、しらべてもらったら、けつえんかんけい、ありでした。 ほかにも、ひゃくにんくらいは、みもと、わかりそうです】「おお! やるじゃないか、〈1号〉! 処理能力高かったんだな!」【おほめいただき、きょうえつしごく。うれしい、です】◆ 魔法学院は教育の場であると同時に、社交の場という側面が非常に大きい。 毎月のように開かれる舞踏会も、その一環である。学校イベントの舞踏会を通じて、紳士淑女としてのマナーを磨き、学院生同士のコネクションを広げていくのだ。 ジャン=マルクはその長身や魔法の実力とも合わさって、上級生からも結構な人気者だ。 女性からだけでなく、明朗快活な性格から先輩男子からも好意的に受け止められている。 本人も将来は魔法衛士隊に入りたいと言っていたし、魔法の才能もあって将来有望なエリートなのだ。 ウードの方は……いつも寝不足で隈を作っていたり、授業を自分に似せたゴーレムに受けさせたりしてるから、得体のしれない奴という扱いされている。 寝不足なのは夜遅くまでインテリジェントアイテムの作成を行っているからだ。一応、授業に出ないで留年するというのは避けたいようなので、苦肉の策としてゴーレムを代役に立てているようだ。 学院では歴史や領地経営の授業も多いが、歴史は自国賛美が過ぎるし領地経営は、今まで読んだ本や前世知識の方が高度だったからウードに取っては聞く価値は余りないので、ゴーレムに代返させているという事情もある。 ウード自身としては学院の授業について、ハルケギニアでの一般的な考え方がどんなものか知るためには有効だ、というくらいにしか考えていない。 ガーゴイルやインテリジェンスアイテムを専門にしてる教師には、授業時間以外も質問に行って、助言してもらったり、意見を戦わせたりしているようだが。 ウードは学院の中では変人扱いではあるが、それでも舞踏会では、田舎とは言え最近発展してきているという噂のシャンリット伯爵家の嫡男で、しかもうまい作物を卸すと評判のアトラナート商会のオーナーでもあるということで、少なくない数の女の子と知り合いになっている。 日頃からジャン=マルクと一緒にいることが多かったから、ひょっとしたらそっちが本命の子も多いのかも知れないが。 舞踏会は幾つかあるが、中でも新入生歓迎イベントであるスレイプニィルの舞踏会はウードの印象に強く残った。 スレイプニィルの舞踏会は、〈真実の鏡〉という自分が憧れている姿に自身を変化させるマジックアイテムの力によって仮装して舞踏会を楽しむというものだ。 クラスの大半は歴史上の英雄や王族、父母兄姉に化けてしまっていたようだ。 有名人はバッティングすることが多く、美男子として有名な今代の王太子の姿が少なくとも20人は見受けられた。 ジャン=マルクは彼自身の長兄の姿に変わっていたから、ウードは直ぐに見つけることが出来た。 ジャン=マルクは実は側妾の子である。 彼の長兄というのが、ウードの母エリーゼの元婚約者であり、ドラクロワ家の本妻の子で、長男で、現ドラクロワ家当主である。 今はその長兄がドラクロワ家を継いでいて、妾の子なのに魔法の才能に溢れているジャン=マルクの実家での風当たりは強いようだ。 それでも、その長兄に憧れる気持ちはあったのだろう。〈真実の鏡〉で姿を真似てしまうほどには。 因みにウードは、なんと人間どころか、幻獣の“アラクネー”に化けてしまって、非常に目立ってしまった。 “アラクネー”とは、人間の上半身に蜘蛛の体が付いている幻獣で、森深くに暮らしていると言われている。 6本の節足と、糸を溜め込んだ蜘蛛の腹が印象的な幻獣だ。 ウードが来年の召喚の儀式で狙っている幻獣でもある。 人間以外に化けてしまったのは、学院の舞踏会の歴史でも彼が初めてらしい。〈真実の鏡〉で半人半蜘蛛の姿になったのは、ウードの身体と魂が、シャンリットの血脈に宿る『蜘蛛化の大変容』の呪いによって、実際に半分以上はアトラク=ナクアの眷属に変化してしまっていることを反映しているのだろう。 ジャン=マルクには「それでこそシャンリットだ」と思いっきり笑われている。「いいじゃねえか、蜘蛛の腹はプニプニなんだぞ、プニプニ。ほれ、触ってみろ。 いつか家に招いてやるから、ジャン=マルクも家の父上の使い魔の大蜘蛛、ノワールの腹で癒されるがいい」「俺が蜘蛛恐怖症だって知ってて言ってるな?」「知ってるさ。私が馬車がわりに使ってる蜘蛛型多脚ゴーレムに思わず『火球』放つくらい嫌いなんだろう? 今もアラクネに化けた私を視界に入れて、顔を蒼白にしてるし目が泳いでるぞ。持ってるワインも波立ってるし」「……分かってるなら、さっさと何処かに行ってくれ。あるいは適当な服を錬金して、その蜘蛛脚だけでも隠してくれ。流石に俺としても、淑女の前で膝が震えっぱなしというのは避けたい」 ウードはジャン=マルクの申し入れに応えて、壁の方に動く。6本の節足がわしゃわしゃと動くのに、周囲の参加者が眉をひそめる。 その場に留まってジャン=マルクを苛め続けても良かったのだが、それよりも、この仮装舞踏会に使われた〈真実の鏡〉の仕組みの方にウードの思考は流れていった。(恐らく離れた場所から“憧れの人”という願望を写しとって、鏡の前の人物に『フェイスチェンジ』を掛けているのだろうけど……。 でも『フェイスチェンジ』って高位のスペルだぞ。離れた場所から思念を読み取る魔法も、水の上級スペルだし。 それがあんな魔道具で実現出来るなら、『偏在』を生み出す魔道具も探せば存在するのではなかろうか。いや、無くとも創りだすことは出来そうだ……) ちなみにアラクネーに化けたウードにダンスを申し込むものは居なかった。 一体どんなステップを踏めばいいのやら、ウード自身も分からなかったので、それはそれで助かっていたのだが。 くるくる踊る学院生を眺めながら、ウードは思考を続ける。(とはいえ、今更『偏在』が使えてもあまり意味はないな。 ガーゴイルや改良ゴブリンたちのお陰で、人手不足は解消されているし。 まあ、研究するのは無駄にはならないだろうけど) 学院の宝物庫に保管されている数々の魔道具についても、宝物庫内部まで浸透させた〈黒糸〉を介して調査中である。 盗み出しはしていないが、その性能や原理については目下解析中である。◆ 特別な行事が無い限り、ウードはインテリジェンスアイテムを作成したり、各地のゴブリンから寄せられる報告書に目を通したり、ジャン=マルクと組み手したりして日々を過ごした。 虚無の曜日には、王都に行って買い物をしたり、城下町に居るマジックアイテム作りの師匠と議論を交わしたり、師匠や学校の教員の伝手で、マジックアイテムの工房を見せてもらったりもした。 夏期休暇に入る頃には、離れた場所を繋ぐ鏡型のマジックアイテムが手に入り、アトラナート商会の王都支部の会館と、シャンリット領の商会本部を短時間で行き来できるようになった。 これによって、両親弟妹も王都に来れるようになったし、ウードの里帰りも一瞬で終わるようになった。 2対のワープゲートの魔道具のうち、1対は王都⇔シャンリット領を繋ぎ、もう1対はレプリカを作るための研究用としている。 『サモン・サーヴァント』の召喚ゲート作成についての研究・解析が行き詰っていたが、ゲートレプリカ研究によって何らかの進展があるのではないかと、ゴブリンたちの中では期待されている。 長期休暇ではシャンリット領に帰ったり、各地のゴブリンの集落に視察に出かけたりと、大変充実した日々を送った。 アトラナート商会も大規模になってきたため、商船を幾つか所有している。 物品の輸送はまだ、〈ゲートの鏡〉のレプリカが出来ていないので、旧来通りの『サモン・サーヴァント』による召喚ゲートを用いているが、人員の輸送はフネを使っているのだ。 夏季休暇中は商会の商船を利用して妹のメイリーン、弟のロベールも連れて、他国やサハラの集落を巡った。 サハラにもゴブリンの集落は作っており、限定的にだがエルフとも交流している。 エルフたちには、ゴブリンたちはハルケギニア人とは違う由来を持つ、ゴブリン由来の新しい亜人種であることは説明してある。 エルフたちの技術力の高さは見習うべき点が多々有り、スパイを忍び込ませたりして技術をすこしずつ盗んでいる。 また、技術だけでなく、その社会制度も参考になる点が多い。 長命種のエルフと、人間に比べても短命なゴブリンたちでは、考え方などで違いが大きいため、社会制度を学んでもそのまま流用することは出来ないが、それでも長年かけて洗練された社会からは学ぶべき点が多い。 ちなみに、改良ゴブリンたちはエルフたちに〈樹木の民〉と呼ばれている。 もはや元のゴブリンとは殆ど別の種類になっているから、ゴブリンと呼ぶのは憚られたそうだ。 そこでバロメッツの樹から生まれることから、〈樹木の民〉と呼ぶことにしたとか。 エルフは接してみると案外、異教徒にも寛容であった。 というか、蜘蛛神も彼らが信仰している“大いなる意思”のうちの一つの構成要素だと思っている節がある。多神教なのだろうか。 ……本当にそうだとしたら、ハスターやらクトゥルフやらの他の神性も存在するのだろうか。 そういえば……この惑星を覆うように伸展させている〈黒糸〉の、ちょうど前の世界でいう太平洋の到達不可能極(全ての陸地から最も遠い地点)の辺りに、大規模な海中遺跡が見つかったって報告が成されている。 その時はアルビオンみたいな浮遊大陸が浮力を失って沈んだものだろうと考えられていたが、ひょっとするとルルイエ神殿かも知れない。 いやいや、マーマンとかそういう水中種族の都市かもしれない。ルルイエだと考えるのは早計だろう。 ……いや、この世界のマーマンは『深きものども』そのままの種族だった……。 ルルイエ(推定)には偉大なるクトゥルフが眠っているのだろう……。 マーマンたちの勢力とも交流を持つ必要がありそうだ。 マーマンだけではなく、エルフや他の先住種族に伝わる神性に関する伝承も確認する必要があるだろう。 夏期休暇後は、また普段の学院生活である。収穫の時期の秋休みはないのか気になったが、支配階級の貴族には農耕のスケジュールはあまり関係無いのか、存在しないようだ。 この頃から学院内にアトラナート商会の支店を出せないかウードは学院長と交渉を開始したらしい。 交渉は最終的に冬まで掛かったが、利益のうち三割を上納することで決着を見たようだ。 ウードが進級してから(新年度から)の出店が決定している。 これでいちいち王都まで出向かなくて済むようになったとウードは喜んでいた。 学院生の生活も随分便利になるのではなかろうか。 時は過ぎ、冬も半ば、雪の降る頃には始祖の降臨祭である。 ブリミル教の信者ではないから、積極的にブリミル教の祭りに参加するのに拒否感を感じたという理由もあるが。 降臨祭自体は、おそらくは土着の冬至(ミッドウィンター)の祭りでも吸収したのだろうから、実際は余りブリミル教とは関係無いのかも知れない。 〈黒糸〉の杖に対する使用者認証機能の付加についてだが、ウードも100を超える数のインテリジェンスアイテムを作っているうちに、段々と完成度の高いものが作れるようになっていった。 そこで、この降臨祭前後の学院が静かになる時期を見計らって、この惑星(ハルケギニア星)の大地に張り巡らせて根づいている彼の魔法の杖〈黒糸〉(単分子カーボンナノチューブネットワーク)を遂にインテリジェンスアイテム化することにした。 使用者の精神力を判別する感受性と、魔法詠唱にインタラプトする高速詠唱を兼ね備えた“管制人格”を想像し、それを〈黒糸〉に定着させる作業である。 今までに作成した全てのインテリジェンスアイテム(〈1号〉から〈103号〉まで)の全てに対して、ウードは魔法の杖としての契約を行っている。 〈黒糸〉に人工知能を付加する魔法については、これら全てのマジックアイテムにウードを通じて地下から汲み上げた風石の魔力を流し、ウード自身を含めて104つの知性によって同時並行でインテリジェンスアイテム化を行うという計画となっている。1.ウードが大地に張り巡らせた〈黒糸〉を通じて、自分の精神力を呼び水に地下の風石溜りから魔力を汲み上げる。2.ウードが杖として契約している〈1号〉から〈103号〉までの全てのインテリジェンスアイテムに魔力を配分する。3.インテリジェンスアイテムズが配分された魔力を用いて何段階もの複雑な魔法を順番に途切れなく行使して、〈黒糸〉をインテリジェンスアイテム化する。4.この全工程に順調に行って7日間要すると予想されるので、その間の魔力ポンプと化しているウードの身体の維持などを、タスク待ち状態のインテリジェンスアイテムが行う。5.最終工程である人格の方向性付けはウードが行う。「では、〈黒糸〉管制人格〈零号〉の作成を開始する」【イエス、マスター!】「これから私は厖大な魔力を汲み上げて分配供給しつつ、全体の進捗を見ることに集中しなくてはならない。 排泄物の処理とか、栄養補給とか、過熱した脳回路の冷却とか、失敗した工程のリカバリーとか、色々指示出すと思うから、頼んだ」【イエス、マスター!】 寒い日々が続く中、7日7晩の予定が手戻りなどで延びに延びて、最終的には全工程終了まで10日掛かった。 その後も、作成した管制人格のある程度の教育が終わるまで、数ヶ月は掛かると予想されている。 もちろん、管制人格はウードに忠実になるように設計してある。 ……というか、管制人格〈零号〉はウードの人格を半ばトレースしたものであるし、その存在理由の根幹に“知識の蒐集、真理の探究”を置いているので、自然とウードの意向に従うような性格に育つだろう。 魔法詠唱にインタラプト出来るという性質上、〈黒糸〉を杖として契約しているメイジが精神力を込めれば、それを利用して〈黒糸〉自身の意思で魔法を行使できる。 というか風石から魔力を汲み上げられるので、管制人格――名称〈零号〉単体での魔法行使可能だ。 使用許可の無い者が〈黒糸〉を使えないようにするというのが主目的だったのだから、〈黒糸〉単体で魔法行使出来るのは完全に副産物である。主目的のセキュリティ問題の方は完全にクリアされそうだから、全くもって問題ないのだが。 自己拡張と最適化は、〈黒糸〉の管制人格〈零号〉に任せられることとなった。 〈零号〉は地下の風石の魔力も利用出来るため、『錬金』を用いた〈黒糸〉自体の伸展や、圧倒的な速度での自己進化が期待出来るだろう。 将来的には、人面樹に蓄積された情報とのリンク確立や、電子部品の技術を応用して惑星規模のハイパーコンピュータに仕立て上げたりすることも可能なのではないかと、ウードは夢想している。 まあウードとしては、そこは自分の構想だけ伝えて実現については〈黒糸〉自身や改良ゴブリンメイジたちに任せるつもりではあるが。「ああー! これで何か漸く一段落って感じだな。 もはや後は、〈零号〉や改造ゴブリンたちが研究するのを待ってれば、私の元には勝手に情報が集まるはずだ。 よく頑張った、私。 心残りとしては、あとは研究者間の相互の繋がりというか、論文発表の場を設けるというか、それに関連するような大学を作ることくらいだな!」 ウードはどうやら、次の目標を定めたようだ。 高度な研究を行う大学の設立。「シャンリットを、学術都市にしたいなあ。 生きた証を残すというわけじゃないが、シャンリットの子孫たちに自由に研究に勤しめる環境を残したい。 ゴブリンやインテリジェンスアイテム視点の知識だけじゃなくて、ハルケギニア人の視点からの知識もあった方が良い、というかそういう視点の知識も是非知りたいし」 心中では、また別の考えも頭をもたげる。「そういえば、フランケンシュタイン博士の怪物とか、HALとか……被造物による反乱はありがちだが……、大丈夫だろうか? 改造ゴブリンたちを作った時点でこの手の懸念は常にあったし、もはや手遅れな規模ではあるのだが……。 この手の『造物主への反逆』というのは、きっと元を辿れば、創世神話に行き着くんだろうけど、後世では私とその作品たちの関係もそれに準えられるのかも知れんな」 人間が神に作られたものだとするなら、どこかで神からの自立が必要になる。 その中の一つが『神殺し』の物語だ。 造物主である神への反逆によって、人間は漸く自分たち自身の運命の主となれるのだ。 あるいは種の進化として、親(=造物主)を超えなければならないというのがインプットされているのかも知れない。 そして、『神殺し(=親殺し)』の物語は超えてゆく者(=被造物、子供)としてのカタルシスと、打ち倒される者(=神、親)としての恐怖が表裏一体となっている物語だ。「さて、私はどちらなのだろう? 自分の生みの親たる世界や、信じ従おうとしている蜘蛛の邪神をバラバラに解剖して滅ぼそうとする役なのか。 それとも、自分が作り出したゴブリンたちや、インテリジェンスアイテム達によって弑逆される役なのか」 邪神が蔓延るこの世界では、いくら足掻こうとも、どうあっても、彼やその作品たるゴブリンやインテリジェンスアイテムは取るに足らない者に過ぎない。 ウードはこの数ヵ月後、自分もまた運命に翻弄される儚い存在なのだと思い知ることになる。 『サモン・サーヴァント』は、その呪文にあるとおりに、彼の数奇な“運命”を顕現させることとなる。◆ さて、いよいよ春となり、冬芽の芽生えと共に、ウードやジャン=マルクは魔法学院の2年生に進級した。 2年目のメインイベントといえば使い魔召喚の儀式である。「さて、私の呼び出す使い魔は何だろうか? 雌のアラクネーでも呼び出せれば良いのだが」 多分、ヒトとの間に子供を作るよりは、半人半蜘蛛のアラクネーとの方が子どもが出来やすいのではないか、などと思いつつあるウードであった。 真っ青な空の下の緑の草原。 ウードが呪文を紡ぐ。 そして彼の“運命”に従って、召喚の銀鏡から落ちてきたのは直径20サントくらいのメタリックな真珠のようなものだった。==========================ウード君がラインのままならアラクネーを呼び出してキャッキャウフフ出来たのにね。残念!2010.07.18 初投稿2010.10.09 修正