はあ、全く何で私がこんな事しなきゃいけないのかしら。地下都市の探訪記なんて別に私じゃなくても良いじゃない。……仕事だから、なのよね。さっさと終わらせて、ラボで育ててる蟲の観察記録付けなきゃいけないのに。ちょうど今日明日が幼生体が卵から孵る頃なのよね。同僚に任せてきちゃったけど、自分で見たかったなあ。ホントあの、糞上司。こんな仕事振りやがってからに。そりゃあ、最近他の地下都市も増えてきて、そこから一生出ない人達も多いから、『聖地下都市・シャンリット』の記事は需要あるのは分かるけどさ。何で私なのよ、何で。何か原因があるのかしら?……思い当たる節は……。…………うーん。あ! これか! この記憶の所為か。私にダウンロードされた記憶の中に、昔に各開拓地の紀行文書いて有名になった人の分があるからか。納得。なら仕方が無いわね。私らの仕事は基本的に適材適所だ。多分私以上の適任が同僚の中には居なかったんでしょうし。じゃあ、この私、コレット・サンクヮム・レゴソフィアがずずずいッと『聖地下都市・シャンリット』の魅力をお伝えしちゃおうじゃないの!◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝3.『聖地下都市・シャンリット』探訪記 ~『取り残された人面樹』の噂~ ◆この『聖地下都市・シャンリット』は一番初めに建造された地下都市だ。今でこそ100に迫る数の地下都市が惑星各地に建造されているが、その走りとなったのがここシャンリット。そのため、他の都市にはない実験的な施設も多くある、らしい。それもこの街に数多くある都市伝説の一つでしか無いから、真偽は定かではないが。他の地下都市で育った連中に言わせると、都市計画が未熟だった所為か、シャンリットは雑然としている感があるとか。(まあ、確かに雑然としてると言えばそうかもね~)今歩いている神殿前の大通りなんて、その最たるものだろう。幅60メイルは確保されている大通りは、騎乗用の様々なタイプのガーゴイルが所狭しと行き交い、脇には聖地に巡礼に来る人達目当ての出店がいつも並んでいる。他の都市ならもっときっちり整理されているらしい。私はこの聖地下都市の生まれで、ここから出たことはないから他の都市のことは直接は知らないが。まあ、前世の記憶から鑑みるに、地上のトリステインとかよりは余程マシだとは思うんだけど。(それよりも、先ずは腹拵えかしら)朝食まだなのよね~。さっきから出店からいい匂いしてるし~。わ、何なに? オジサン、この魚、何? 深海魚?へー、マーマンと取引始めたんだ。地底都市で海水魚なんか見ないからびっくりしちゃったよ。あ、でも生活史の解明で、生簀で卵から成魚まで養殖できるようになったんだっけ?あー、養殖ものは脂が乗り過ぎててマズイって?あれは改良の余地有りだよね~って話をソコの研究者にしたらさ、次のバージョンでは遺伝子操作でムキムキの魚になってたよ。そう、もう凄いムキムキなの。このまま地上制圧しちゃうんじゃないかってくらい。空も泳げるらしいよー。餌に風石混ぜたら浮き袋に蓄積されたとか言ってた。あはは、魚群が空飛んでるのは一見の価値有りだよ~。ホント笑える! オジサンも一回見るべきだよ!じゃあ、この深海魚っぽいのの一夜干の炙りを頂戴! ん、じゃあこれ代金ね~。「じー」おお、オバサン、それは新作品種だね!?え、試食して良いの? じゃあ、頂きま~す。……ん~! あま~い! 何これすっごく甘い。これってこんなに甘いもんだっけ?へえ、甘み特化の品種なんだ。朝のお供に丁度良いね! 糖分無いと頭働かないもんね。やだ、オバサン、いつもそればっかり。そんなお世辞言ってもダメだよ~。大体、顔なんて皆同じじゃん。え、この髪飾り? 分かっちゃう? やっぱり分かっちゃう? これ新作なのよ! 可愛いでしょう? 可愛いだけじゃ無くてすっごい新機能が付いてるんだから!……もう、そんなお世辞言ってもだめだよぅ……。あー! 分かった分かった! そこまで言われちゃしょうがない! これ幾ら!? ハイ、代金ね!もう、周りの人もそんなに笑わないでよぅ。「じー」あー、オニイサン待って待って、それ最後の一個?よかったー。コレ好きなんだ。残ってて良かった。うん? この髪飾り? えへへ、良いでしょー。 ありがとう、私のワインレッドの赤毛にこの黒がよく映えるでしょ?あ、触っちゃダメだよ? これ第二技研製だから噛み付くかも。未だ馴れてないし。いつも頭撫でようとするからねー、オニイサン。手を引いて正解。危ないところだったよ?ふふふ、じゃあこれ頂戴ね。え、割引してくれるの? いつもありがとう!「じー」さて、じゃあ適当な場所で食べようかな~。「じー」えーと、ああ、そこに丁度、2席空いてるな。オネエサン! ここのカフェって持ち込みOKだったよね? ちゃんとドリンクは頼むから!ありがとう! じゃあ、血のように赤いジュースを2つ!「じー」じゃあ、そこでさっきから見てる君も一緒に来な?「じー……。え、良いの?」「良いよ。ほらこっち。ジュースもあげよう」「て言うか気づいてたんだ」「まあ、アレだけ熱視線送られてたらね~。 で、お嬢ちゃんはどうしたのさ。こんな朝から一人で」ゴブリンばかりが暮らすこの地下都市は、地上の人間の街と比べると総じてサイズが小さい。まあ、ゴブリンの平均身長が120サント前後なのだから当然だが。そんな中でも、さっきから物陰からこっちを見つめていた娘はさらに小さい。質素な服に、褐色の肌。大きな黒目に、目立つ色の明るい緑色の髪。萌木のような若々しい生命力を感じさせるその色は、彼女にとても似合っているように思える。肩口までの緑の髪を揺らして、こちらの席に招かれるままに近づいてくる。んー。ホントに小っこいな、この娘。子供ってことなのかな。珍しい。私たちの子供時代なんて『活性』の魔法で速成されるから無いはずなのに。「えっと、まあ、さ、散歩?」「なんで疑問形なのよ。 まあ、良いか。ほら、一緒に食べよう? 美味しいよ?」「あ、ありがとう」「良いって良いって。あそこのオバサンに乗せられて買い過ぎちゃったし」目の前に座った緑髪の娘に出店で買った果物やパンを勧める。そこに給仕のオネエサンがジュースを持ってくる。私の髪色と同じような真っ赤なジュースだ。「お、お姉ちゃん、凄い色だね、それ」「でしょ? でも美味しいんだよ? あげるから飲んでみて」この色で敬遠する人が多いらしいが、美味いんだこれが。香りはフルーティ。最初は甘い味、ドロリとした喉越し、爽やかな後味。その上、腹持ちも良いし。「あ、ホントだ。意外とイケルね」「でしょう? あ、じゃあそろそろ自己紹介しとこうか。 私はコレット・サンクヮム・レゴソフィア。しがない研究員さ。 今日は聖地下都市の取材で朝から外回りするハメになっちゃった」「え、レゴソフィア!? 確かに、その腕の刺青は……。 しかも第五家系!? 一桁台なんて超エリートじゃない!」「いやいや、いつの話よ。 記憶のダウンロードが一般化する前でしょ、それ」そりゃあ、昔は記憶の共有化はレゴソフィアの家系の専売特許だったけど。特に第一から第九までの九の家系は他の家系からの情報を集約する地位にあるから、まあエリートと言えばそうだけど。今は記憶共有が一般化されてるから、そこまで昔ほどには特別ってわけでもないのよね。そんな事、基礎記憶の植え付けを受けてたら常識なのに。「ひょっとして……」基礎記憶移植を受けてない?、と問おうとしたところを遮って彼女は息急き込んで自己紹介をする。「あ、コレットお姉ちゃん! 私はニーナ! ニーナって言うの、宜しくね」「うん、ニーナちゃん。宜しく」ニーナちゃんは一度俯いて、唇を噛みしめると、顔を上げて決然とした表情でこちらを見つめてくる。その気迫に思わず気圧されそうになる。「あのね、お姉ちゃん、取材の後でいいから、また会えないかな? お姉ちゃんをレゴソフィアの人だと見込んでお願いがあるんだ」「……んー、良いよ。じゃあ、昼過ぎにでもまたココで落ち合おうか?」あまり良い予感はしないけど。でも、なんか切羽詰って見えるし、見捨ててはおけないよね。◆ニーナちゃんと別れたあとは大通りを進み、予定通りアトラク=ナクア様を祀る神殿を取材する。(ニーナちゃんの話は気になるけど、先ずは取材だね)見慣れていても気圧される程の威容を誇る玄武岩質で出来たアトラナート神殿も、今はそれほどの感動を与えてくれない。ニーナちゃんのあの様子が、どうしても気にかかる。私の中の記憶達がざわざわと警鐘を送って来ている。彼女のあの様子は、覚えがある。『前世達』の死に際の中に、あの張り詰めたような、それでいて陰のある雰囲気の覚えがある。どう仕様も無い何かに対峙した際の、諦めを含んだ、しかし生を諦めきれないあの矛盾した混沌としたどっちにも進めない張り詰めた感情は――。「コレットさん?」「ハイッ!?」神官の方に声を掛けられ、我に返る。「大丈夫ですか?」温かみを感じさせる表情で、心配気に神官さんがこちらを見ている。取材中にボーっとするなんて、なんて失態!「ええ、ダイジョウブですッ!! 全く、全然、問題なしです!」「それなら良いのですが。何か悩みがあるのでしたら、大神殿は何時でも相談に乗りますよ?」「はいッ! その際は是非に! 今日はお時間を割いて頂き有難うございました!」「いえ、こちらこそ。では、いい記事を期待してますよ? あなたに蜘蛛神様の御加護がありますように」「はい、ご期待に添えるよう頑張ります! 蜘蛛神様の加護を」ああ、もう、穴があったら入りたい。~~っ! 懸案事項があるからいけないんだ! さっさとニーナちゃんに会って解決しよう!そうじゃないと、このままじゃ全く何も手につかない。急ごう!◆ニーナちゃんは朝に会ったカフェテラスの前で待っていた。私はウェイトレスのオネエサンに軽い食事と朝と同じジュースを二人分頼み、案内された席に着いた。私が早く出てきたために、お昼時には未だ早く、込み具合もそれ程でなく、席はまばらにしか埋まっていない。ウェイトレスのオネエサンも若干暇そうだ。「早かったね、コレットお姉ちゃん」「ニーナちゃんこそ、よく待ってたね」居なかったら捜し回るつもりだったんだけど。「他にする事も無いから……。ご飯食べたら、私に付いて来てくれる? 見せたいものがあるの」運ばれてきたご飯を掻き込みながら、ニーナちゃんの話を聞く。腹が減っては戦はできぬと言うし。おお、この新メニューの深海魚丼は中々イケルね。あれ、ニーナちゃんは食べてないな。ジュースは飲んでるけど。魚苦手なのかな?「〈レゴソフィア〉氏族って、人面樹についてのエキスパートなんだよね?」「……もぐもぐ。そうだよ。見せたいものってのは、人面樹についてなの?」「……うん。 お姉ちゃんは、『取り残された人面樹』って話、知ってる?」「えっと、確か都市伝説にそんなのがあった気がする。でも詳しくは知らない」「この聖地下都市の開発中に、事故で区画ごと取り残された人面樹の一群があるって話だよ。 ずっとメンテナンスされてないから、夜な夜な呻き声が聞こえるって言う」「そうなんだ」うーん、でも有り得ないと思うんだよね。〈レゴソフィア〉氏族が知識の宝庫である人面樹をそのままにしておくなんて、考えられない。特にそんな事故があったんなら、事故の犠牲者とかをその人面樹が喰ってる可能性もあるから、最優先で回収されるはずなんだけど。でも、もしそんな取り残された人面樹があるって言うなら、回収されない事情があったってことかな?「で、そんな話をするってことは、ニーナちゃんはその噂の人面樹の場所を知ってるとか?」「……うん」これはこれで、気になるけど。でも、これ自体はそんなに鬼気迫る表情で言うようなネタでもないような気もする。「ホントにそれだけ? 『取り残された人面樹』をどうにかして欲しいってことかしら?」「――! お姉ちゃんも信じてくれないの?」あ、ヤバイ、ニーナちゃん泣きそう。というか、こんな初々しい子供らしい反応するゴブリンなんか初めてだ。新鮮というか、不思議な感じというか。……じゃなくて、泣かれたら困る!「いやいや、ちゃんと着いて行ってあげるよ! 信じてるって!」「本当に?」「おうよ、このコレットさんに任せなさい。 ずずずいッと、余す所無く完膚なきまでに解決して差し上げるから!」どんと来いってもんだよ!「ありがとう!」おおう、花咲くような笑顔ってこう言うのを言うんだね。ホント、ゴブリンらしくない反応だね。都市伝説の人面樹よりも、この娘の方が不思議だよ。「じゃあ早く行こう! 直ぐ行こう!」「待って待って、ご飯食べ終わってない! というかお勘定しないと! ああ、まってよ、ニーナちゃん! オネエサン! お会計お願い! はい、これ代金!」「お姉ちゃん、早くー!」おおう、いつの間にか店の外の大通りのあんな遠くに。足速いねえ。〈レゴソフィア〉氏族は代々貧弱だから、あんな健脚に付いて行けるか心配だよ。「分かった、でも待って! 私そんなに速く走れない!」ああ、路地裏に入られると見失う! 待って待って待って~。◆「ねえ、ニーナちゃん。その『取り残された人面樹』ってココにあるの……?」ニーナちゃんに付いて、路地裏を掛けて地底都市の壁際までやって来た私を待っていたのは、ポッカリと口を開いた横穴だった。不気味過ぎる。先が見えない。というか本当に呻き声が聞こえてきてる。うわあ、ホントに人面樹ありそうな雰囲気。「うん。ココの先にあるんだよ」『ライト』で明かりを確保して、洞窟の中を歩きながら、ニーナちゃんと話を続ける。うわ、なんかネバネバしたの踏んづけた!なんだこれ、なんだこれ。ひうッ! 今度は何か垂れてきた!「私の家、この横穴の近くにあるんだけど、毎晩うるさくて」いや、ホントにそれだけ?なんか、さ、朝の深刻さはそんな、夜うるさくて眠れません、みたいな寝不足に由来するような話じゃない感じだったよね?「それで、お父さんとお母さんが、その原因をどうにかするために洞窟に行ったんだけど、戻ってこないの」……? 「きっと、あいつに食べられちゃったの! コレットお姉ちゃん! お願い! お父さんとお母さんの仇を取って!」仇?いや、その前に。「いや、いや。不思議な単語が聞こえたよ? 『お父さん』? 『お母さん』? 私たちの父にして母は、キメラバロメッツの母樹じゃない……?」「それは……、ッ!? お姉ちゃん、急がなきゃ!! あいつが来る。早く行こう!」来るって何!? 何が来るの!?あああああ、何か洞窟の奥から叫び声が聞こえてくる!?――いや、これは詠唱!?あ、ニーナちゃん! 待って!何か分かんないけど、マズイって!これは絶対、私一人でどうにか出来るものじゃないよぅ!?◆洞窟の奥から聞こえてくる呻き声は、いつの間にか特殊な調子を持った韻律に変わっていた。「――■■■■■■■■、――■■――――」 「■■■■■■――、――。――――■■■■■――」 「■■――■■■、――■■■■――■■■■■■!」叫び声の元に走っていったニーナちゃんを追いかけていった私が目にしたのは、人面樹に鈴生りになったゴブリンたちの首。虚ろな目をした首の数々が、私とニーナちゃんの足音に気付き、ぎょろりとこちらに目を向ける!「――っ」「お父さん! お母さん!」こちらを見つめる、眼、眼、眼。半開きの口からは、忌まわしい呪言が漏れ聞こえる。地下都市の天蓋の人工光も入らないこの洞穴の奥の一室で、どれだけの時を過ごしてきたのだろう。すっかり枯れ果てた葉。骨のように白くなった枝。低い天井に遮られて、枝々は折れ曲がり、複雑に絡み合っている。その複雑な骨細工のような枝の至る所に、ゴブリンの頭部が晒されている。その中に、自分の父と母だというゴブリンの顔を見つけてしまったのだろう。ニーナちゃんの絶望に染まった叫び声が聞こえる。だが、それよりも私の感覚を、『前世』の記憶を引きつけるモノがある。生首達の詠唱に伴って、大きく開けられた人面樹の幹の虚から溢れ出しつつある、 あの原形質の、 不定形の濁りきった黒色の塊!「■■■■■■■■――!!!!」人面樹の幹から溢れ出し、枝々にその不定形の身体から形作った触手を巻きつけ、引き摺るようにして全身を表したソレは、口らしきものを開けて咆哮した!だがここで怯んではいけない!相変わらず、生首達は詠唱を続けている。ドブの底のヘドロよりもなお嫌悪感を掻き立てる塊の咆哮に負けじと、詠唱の音量が上がる。その十重二十重に重なり、反響する恐ろしい詠唱に、思わず本能的に耳を塞ぐ。(――っ! 詠唱を、止めないと)あの一匹だけでも手に余るというのに、これ以上喚び出されては堪らない。(枝を切り落とさないと!)これが魔法特化の〈ルイン〉氏族なら、この洞窟ごと埋めることも焼き払うことも出来るだろう。〈ウェッブ〉氏族でも、〈黒糸〉経由で風石の力を使ったり、この場から〈黒糸〉を伸ばして他に連絡することもできるだろう。〈バオー〉氏族でも、その身体能力で逃げることくらいは出来るだろう。だが、私は〈レゴソフィア〉氏族。人面樹との同調と、情報処理に特化した氏族だ。魔法も、体力も平均以下でしか無い。でも、今は。(それでも充分だ!)無理矢理に自分を奮い立たせる。(人面樹の剪定なんてお手の物だ!)腕に魔道具にルーンを刻む技術の応用で入れられた『エアカッター』の刺青に魔力を流す。氏族の職業柄から慣れ親しんだ動作は、この物理的な圧力さえ感じるような緊張下でもスムーズに成すべきコトを成してくれた。無詠唱で形成された風の刃が撒き散らされる。(当たれ、当たれ、当たれ――!)目に見える範囲全ての生首の首元に、風の刃を誘導する。一発で切れなければ、二発! それでもダメなら三発! いや、切れるまで何度でも叩き込む!枝ごと切り落としても、一日くらいは生首は意識を保つ。だから、その首の根元を切って、生首に“死を自覚させて”黙らせる!よく分からないが、ニーナちゃんの両親も混ざってるみたいだし、出来るだけ頭には傷つけたくないが、イザとなったら真っ二つにしてでも黙らせないと――!「――――■■■■――、■■■■――――!」その間にも無形のドロドロした生き物は、低い唸り声を上げながらこちらに向かってくる。あああああ、詠唱止めてもこっちをどうにかしないといけないんだった!残りの生首で詠唱続けてるのは!? ――あと2つ!!(『エアカッター』!! 『エアカッター』!! ああ、もうさっさと死に直せ!!)よし、最後の生首の一つが沈黙して――っ!黒い塊から伸びた、フレイル(刺鉄球付き鎖)を思わせる化物の触手が、「お姉ちゃん、危ない!!」私を打ち据えようとした瞬間に、「え、ニーナちゃn……ぐふぅっ!」急加速してきたニーナちゃんの小柄な身体が、私を突き飛ばした。私は横に弾かれるように飛ばされて、人面樹の枯れ枝に突っ込む。枯れ枝をへし折りながら転がって痛む身体を、無理矢理に引き上げる。(ぐあっ。出鱈目な加速……っ。あの娘って〈バオー〉か何かかしら。いやソレよりもニーナちゃん!!)私はさっきまで自分が立っていた所に急いで目を向ける。ああ、急加速で血が偏ってる。視界が暗い。(ニーナちゃんは――!?)そこにあったのは、口から赤い液体を滴らせてピクリとも動かないニーナちゃんの身体。あの触手に吹き飛ばされて、私と同じように人面樹の枝に突っ込んだのだろうか。外傷はないようだけど、内臓は無事じゃないかも知れない。あの娘の笑顔が思い出される。純真な笑顔。『前世』持ちでは中々出来ない、澄み切った笑顔。萌黄色の髪の毛を揺らして笑った彼女は、もう――。「あああああああああああっ!!!」大丈夫。大丈夫。未だ間に合う。目の前の大きな黒いヘドロの塊をぶちのめしてやれば良い。何、簡単だ。頑張れ、コレット。ここでやらなきゃ何時やるんだ。とは言え、残りの魔力で使える魔法なんて……。いや、ある! 賭けになるが、あるぞ!「『五つの力を司るペンタゴン』!」まだ家業を継ぐ気は無かったし、こんな所で詠唱するハメになるとは思わなかったけど。「『我が呼びかけに応え』!」痛む体を引き摺って、化物の触手のムチをなんとか避ける。だが、奴の攻撃手段は触手だけではない。その巨体、5メイルに及ぼうかというその身体自体が武器。「『我が運命に従いし使い魔を』!」巨体が迫るプレッシャーで足が縺れ、ムチを避けるステップが止まる。ムチの重い一撃が、左肩をかする。かすっただけで、私の身体は為す術も無く転がされる。触手が私の頭に伸びて、ヌメヌメしたもので包まれて、持ち上げられる。(息が、詠唱が出来ないっ……!)奴は大きく口を開けて、このまま私を口に放り込んで喰らおうとしているのだろう。(マズイ、マズイ、マズイ。何か、どうにか……)その時、私の髪飾りが勢い良く広がって、原形質の触手を吹き飛ばす。(流石、第二技研! 『対なでぽ用バレッタ』いい仕事してる!)普段は折り畳まれている肢が勢い良く広がることで、頭部に近づく危険な誘惑を払い除けてシャットアウトする半生物髪飾り〈スパイダーラフレシア〉、俗称『対なでぽ用バレッタ』。分泌される保湿液の性能目当てで買って、こっちはネタ機能だと思ってたけど、嘗めてたわ。見直したわ、第二技研。これで――!!「『召喚せよ』!!!」いい具合に、化物は目の前。その目の前に、召喚の銀鏡が現れる。私がイメージしたのは、人面樹。この場に取り残された、白骨を思わせる人面樹。狙い通りにそれは召喚され――。「■■■■■■■■――!!!!」目の前の化物を貫いた!◆人面樹の複雑に絡んだ枝は、貫いた化物を絡み取って動きを封じている。その間に覚束ない足取りで、ニーナちゃんの元に向かう。「う……。ニーナちゃん……、大丈夫……?」やはり動かない。口元からも血が……? ……血にしては、なんか甘酸っぱい匂いのような。「まさか、これって血じゃなくて……ジュース?」おおう、そうなのか。昼のジュースか……。息もあるみたいだし、良かった。いやでも、内臓とか破裂してるかも知れないし、早く治療を受けさせないと。その前に、精神力を回復させたいけど……、そんな時間も無いなあ。仕方ない。担がせて行くか。私は、召喚した人面樹と記憶をリンクさせ、低い声で詠唱を始める。「――■■■■■■■■、――■■――――■■■■■■――、――。――――■■■■■――。■■――■■■、――■■■■――■■■■■■!」初めて聞いた時には嫌悪感しか齎さなかったそれは、今は不思議と私の精神に馴染むように聞こえる。ハルケギニアの系統魔法とは異なる力を源にするそれは、精神力を使い果たした今の私でも使えるはずだ。この詠唱を聞いて、後ろで人面樹の枝から逃れようともがいていた粘性体の化物はビクリと動きを止めた。どろどろと溶けて、滴るように人面樹の拘束から逃れると、地面に広がったまま逃げ水のように動いてこちらに近づき、立ち上がり形を成した。今唱えたのは、“従属”の呪文。この『聖地下都市・シャンリット』のさらに奥底の暗黒の地にて、怠惰なツァトゥグアに仕える、“落とし子”を使役する呪文だ。適当に大きな人型を取らせたツァトゥグアの落とし子に、ニーナちゃんと私の使い魔になった人面樹を運ばせる。やれやれ、聖都の取材の筈が、とんだ貧乏くじを引かされるハメになった。この取材を押し付けた上司には、何か高級料理でも奢ってもらわなきゃ割りに合わない。あ、そうだ、私も“落とし子”に運んでもらおう。もう動けないよ……。◆人面樹に納められた記憶によると、聖地下都市の開拓中にヴーアミという、かつてハルケギニアに暮らしていたトロールの先祖に当たる生き物の秘匿された集落にぶち当たったらしい。開拓隊が岩盤中に隔離されるキッカケとなった事故というは、実はこのヴーアミの襲撃だったらしい。そこで、ヴーアミの襲撃で孤立して閉じ込められたゴブリンたちは、獅子奮迅の活躍で、ヴーアミたちを討ち取ったものの、自分たちもほぼ壊滅してしまったらしい。最後には人面樹とそのマスターの〈レゴソフィア〉氏族だけが残されてしまった。その彼も息も絶え絶えの状態で、周囲の死体を掻き集めて人面樹に捧げた時点で事切れてしまい、最後の死体と一緒に人面樹の虚に転落。最期まで記憶の蒐集を行なおうとするその姿勢、このコレット・サンクヮム・レゴソフィア、感服致しました。同じ〈レゴソフィア〉氏族の一員として、誇りに思います。でも、食わせたヴーアミの中に、“落とし子”の召喚と従属の呪文を知っていた奴が居た事から、今回の『取り残された人面樹』事件に発展。光の無い地下に閉じ込められた人面樹は枯れないために、“ツァトゥグアの落とし子”を召喚して横穴を掘らせ、さらに近づいて来たゴブリンたちを襲わせては人面樹自身の虚まで運ばせていたようだ。ニーナちゃんの父母というゴブリンも、そうやって“落とし子”に殺されて、人面樹に吸収されたようだ。「うむ、報告書は大体こんな内容で良いかな」しかし、私の使い魔になったあの人面樹……。回収されずに放ったらかしにされてたのは何でなんだろう?「コレットお姉ちゃん、紅茶淹れましたよー。休憩にしましょう」「あ、ニーナちゃん、ありがとう! 丁度一段落ついた所だよ」実はあの騒動の後、ニーナちゃんは私が引き取ることになった。人面樹に取り込まれたニーナちゃんの父母からも直々に頼まれたし。ニーナちゃんだが、実はバロメッツ経由で生まれたのではなく、とても珍しいことに普通の方法で妊娠して生まれてきたゴブリンらしい。まあ、そりゃあ生物学上は私たちゴブリンにも生殖機能は残っているし、危険は伴うものの妊娠出産は可能だ。そういった生まれだから、バロメッツ生まれが持っている筈の基礎記憶を持っていないのも当然だと言えよう。彼女のゴブリンらしからぬ純真さも、その生まれによるものだろう。ご両親の教育がよっぽど良かったのだと思われる。「うん、ニーナちゃんが淹れる紅茶は美味しいなあ」「えへへ、ありがとう! お姉ちゃん!」ご両親から任されたとは言え、やっぱり父母とは一緒に暮らした方が良いとは思うので、これからは〈レゴソフィア〉本家に掛け合って、なんとかご両親の人格記憶を完全な形で引き継いだゴブリンを復活させようと思っている。この娘の純真さは、ゴブリン社会の中で非常に貴重だから、ずっと守っていきたいものだと、そう思う。◆コレットです。本家に報告に行ったら、封印指定の発狂知識担当部署に回されました。どうしてこうなったのよぅ。未来(さき)が見えないよぅ……。================================ネタが思い浮かんだので突発的に。2010.08.08 初投稿2010.08.10 誤字修正