穿地蟲(クトーニアン)の持つ恐るべき地殻操作能力によって、地面はヒビ割れ、隆起し、荒野と化していた。 韻竜が去り、穿地蟲も姿を消した戦場。 もはや東方軍の士気は崩壊し尽くしてしまっている。 奇跡的な事に、ウード(を象ったゴーレム)による矢の投げ返し以外での死者はまだ出ていない。 だが、大地を揺らす程の大規模な土魔法を受けて、あの人智を超えた巨体の化物を直視し、さらに守護竜にまで見捨てられた彼らは完全に恐慌を来してしまっている。 特に徴兵された平民兵は、穿地蟲を直視した際に激しく動揺してしまっている。メイジよりも神秘からは縁遠い彼らは、完全に邪気に当てられて正気を失ってしまっている。 高位のメイジほど、その動揺は少ない。軍人としての常在戦場の心構えというのも役に立ったのだろう。また魔法という神秘に親しい彼らは、超常の存在に対してある程度の耐性を備えているのだ。 あの邪悪な化物たちは地の底へと去った。斥候の報告通りなら数の上ではこちらの方が圧倒的に有利。何しろ、大将首であるシャンリットの長男以外はこの戦場に姿を見せていない。それに向こうも地震の被害は被っているはず。 とはいえ、楽勝だと思っていた状況からひっくり返されて、皆が動揺しているため、再編成が必要だ。 相手の数が少ないからそれ程の犠牲を出さずに撤退できるだろうが、撤退をする命令を伝えるのでさえこの混乱では不可能だろう。 ならば混乱を収めてしまえば良い。「『沈静化』!!」 ある都市国家の軍司令官が、混乱を収めるための水魔法を用いる。 『沈静化』のスペル自体はそれ程高ランクではないが、その範囲を拡大して全軍を射程に収める為に風の系統を上乗せし、精神力も大幅に追加投入してある。 周囲の者たちが徐々に冷静になる。感情の振れ幅を一時的に小さくさせる呪文がその効果を顕したのだ。 司令官は戦闘開始前にも関わらず精神力をかなり消耗してしまったことを自覚するが、こうでもしなければ全軍が壊乱して自滅していただろう。 司令官が口を開き『拡声』の魔法で自軍に撤退の指示を出そうとした時、周囲から再び地響きがした。 またあの怪物が戻ってきたのかと、皆が身構えるが、それは恐ろしい巨体が再び戻ってきた音ではなかった。 さらに悪い事態であった。 戦場からの退路を塞ぐ土の壁が全軍を包囲せんとせり上がって行く音だったのだ。 後ろにあった本陣と前線を遮る壁が立ち上がる。本陣の更に向こうにも壁が立ち上がっていく。 上空から見れば、崩壊した瓦礫の街を中心にして、巨壁が二重円のように戦場と東方軍を囲んでいるのが見えただろう。恐るべき規模の土の魔法である。 ここに至り、戦場の指揮官たちは覚悟を決める。 ――退路が無いならば、前進あるのみ――「敵を討ち取れ!」「前へ進め! 生きる道はそこしかない!」「勇気を見せよ! 大将の首は目前ぞ!」 『沈静化』によって生まれた精神の空隙に、指揮官たちの言葉が染み入っていく。「全軍、前進せよ!」「前へ!」「敵を押しつぶせ!」「進め!」「隊伍を組め!」「行くぞ!」「前へ!」「前へ!」「進軍せよ!」「前へ!」 崩壊しかかっていた戦線が再び構築され、人は波となって城壁へと殺到せんとする。「前進!」「前進!」「前進!」「前進あるのみ!」 邪悪によって恐怖に囚われた心も、正常を保っていた心も、全て等しく呑み込まれていく――戦場の狂気に。「全軍、前進せよ!!!」「オオオオオオオオオオオオォォォォォォォ!!!」◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 19.シャンリット防衛戦・後編 ~ゴブリンの雨が降る、終わらない雨が~ ◆ 上空。竜が居た場所よりも更に高空。 雲の隙間から、平たい巨大な板と、それを上から吊り下げている魚のような影が見える。 魚のような影は、空気抵抗を考慮した流線型のフネで、ゴブリンたちが用意したものだ。フネの全長は50メイルほどで、シルエットはまるで鯨かジンベイザメのようだ。 それぞれの下には斜め前方と斜め後方に下に向かって頑丈な爪の付いた強靭なワイヤーが伸びており、一辺の長さがフネの全長と同じくらいの大きな正方形の〈鏡〉ががっしりとその爪とワイヤーに支えられて備え付けられている。〈鏡〉は数枚重なって備え付けられているようだ。 〈鏡〉の四隅に向かって伸びているワイヤーに沿って、それを支えているフネから人影が飛び移っていく。 青と白の迷彩で染められた軍服を着た小柄な影は、シャンリットに由来を持つゴブリンメイジである。 ウードの手によって、系統魔法を使えるようにされ、樹の実から生まれて殖えるようにされ、更には死人から知識経験を引き継ぐように改造された新興の知的種族である。「降下準備!」「了解!」 正方形の四隅に一人ずつゴブリンメイジがフライで飛んで行って付くと、〈鏡〉を支えている爪が操作される。 数枚重なっている〈鏡〉のうちの一枚をフネから切り離すのだ。 「3分間の自由落下後、鏡の平面を地面に対して平行に調整。それぞれ指定の領域に鏡を投下せよ。鏡には随時『硬化』を掛けて、破損を防ぐように」「了解!」 指揮官ゴブリンの声が掛かる。「征って来い!」「征きます!」 4人1組の降下部隊が、フネを離れ、空色迷彩色の軍服をはためかせながら鏡と共に次々と落ちていく。 彼らの第一陣がおよそ9000メイルの高空から地表に到着するまであと3分。◆ 押し寄せる東方の軍勢は、城壁の前で塞き止められていた。城壁は強固な『硬化』でも掛けられていたのか、材質が特殊なのか、地震のあとにも未だ健在であった。 何故、たった独りの敵を相手に万軍が塞き止められているのか? それは突撃を仕掛ける東方軍に向かって、ウードゴーレムがばら撒いた無数の武器が原因だった。 城壁に立つウードの似姿のゴーレムの後ろには、何本もの武器を収めた担架が『レビテーション』で浮かんでいる。 そこから武器を掴んでは、膂力に任せて、東方軍に対して最初に傭兵を狙撃し返した時のような速度と正確さで投擲を続けている。 周囲の城壁からも、鞭のようにしなる触手が生えており、瓦礫の街の全周囲を囲む軍勢へと次々と武具を撃ち込んでいる。投げる度に音速超過に伴う破裂音が響く。「次、81号から100号」 さらに20本の武器がウードゴーレムの手によって、次々と軍勢を縦に引き裂くように投げ入れられる。 それぞれの武器は様々な形をしている。剣、ナイフ、槍、斧、メイスなどなど……。 そんな風にそれぞれ形の違う武器たちの共通の特徴といえば。【えと、お手柔らかに……】「……。心配ならば自分に『硬化』でもかけておけ、97号。逝って来い」【はーい……】 それぞれ全てが知性持つ武器――インテリジェンスウェポンであるということだろうか。 97号と呼ばれた棍も、これまでに投げられた武器たちと同様に、音速超過の速度で破裂音と共に投げ出される。 爆音。周囲の人間を肉片と化して、棍が地面に突き刺さる。着弾点の土が弾け、土柱が上がりクレーターが出来る。 そしてこの投擲攻撃は着弾して終わりではない。 地面に突き刺さったインテリジェンスウェポンは着弾後に地下から伸びてくる〈黒糸〉と連結し、そこから供給される魔力エネルギーを使い、自身を核にしたゴーレムを創り出す。ただし人型ではなく、ヒトの胴程もある無数の蔦の形をしたゴーレムだ。 等間隔で打ち込まれたインテリジェンスウェポンは、戦場をグリッド状に区切るように地面から花開くように触肢状のゴーレムを伸ばす。それらは隣の区画のインテリジェンスアイテムから伸びる触肢状ゴーレムと互いに絡み合い壁を創り上げていく。 脈動する触肢で形作られた壁は、戦場をチェスの目状に区切り、東方軍を分断する。 蠢く蔦が集まって出来た壁状のゴーレムの側面から、更に枝分かれして土の槍が生え、東方軍を各グリッドの中心へと追いやっていく。 土槍は突き刺すだけでなく、時に鞭のようにしなる触手となって兵を打ち払い、武器を奪い、壁に囲まれた空間の中心へと東方軍を追い込む。「チクショウ、槍が取られた!」「っ、気持ち悪いゴーレムだ」【槍ゲットー!】【ふしゅるー、ふしゅるー】「クソ、魔法で吹き飛ばしても次から次に生えて来やがる!」【痛いぃぃい、けど直ぐ治るぅ】 その怒号に溢れる戦場に遙か上空から迫る影がある。 空気を切り裂いて飛来するのは、百枚を超える巨大な鏡の群れだ。◆「速度合わせー!」「了解ー!」 落下する鏡の四隅に付いているゴブリンが『フライ』の魔法によって速度を調整し、落下位置を合わせていく。その鏡の中心に、各グリッドの中央に集められた東方軍を収めるように。 四隅のゴブリンが鏡に精神力を流すと、鏡面が銀色に輝き、空気抵抗が消失する。 〈ゲートの鏡〉が起動し、地底都市などに置いてあるそれぞれの片割れの〈鏡〉へと空間を超えて繋がる路が出来たのだ。「投下後、反転急上昇! カウント合わせー! 3、2、1、今! 投下!」 銀色のゲートは、枠に内蔵された回路に蓄積される精神力により、ゴブリンたちが手を離しても十数秒は空間の繋がり維持し続ける。 しかるべきタイミングでゴブリンたちはゲートの枠から手を離し、〈ゲートの鏡〉を急降下で投下する。 これによって、東方軍を転移させて更に分断しようというのだ。◆ 空から銀色が降ってくる。 蠢く蔦壁の化物に追いやられていた私たちの小隊は、円陣を組んで周辺を平民兵に防御させ中心の貴族が詠唱する時間を稼ぐというオーソドックスな手法をとっていた。「槍を構えろ! 詠唱の時間を稼げ! 壁を吹き飛ばす!」「近寄るな、触手の壁め!」【ふふふ、そこに固まっておいてねぇぇええ】 壁面から生える触手の群れを平民たちの槍が薙ぎ払って近づけさせないようにしている間に、私は『火球』を連続で詠唱し、気色悪く蠢く壁を崩そうとしていた。 漸く壁の一部を『火球』の爆発が抉りきったという時に、その銀色は空から現れたのだ。 風を裂く音。視界を覆う銀色。 人間、咄嗟の時には動けないものらしい。それが出来るものが戦場で生き残り、英雄と呼ばれるようになるのだろう。 上空から迫る銀の壁を呆けた顔で見上げるしか私たちには出来なかった。 銀色に呑み込まれる。 そう思った瞬間に、空間を捩じ切るような角度が私たちを襲った。 脳髄を掻き乱し、精神をバラバラにするような鋭角が精神に突き刺さる。 狂った角度を通り過ぎて、気がついた時には、私達は何処とも知れない場所に放り出されていた。 もはや魂さえ千々に分かれて消えてしまうのではないかと感じた、あの狂気的で宇宙的な体験は、時間にして瞬きするほども無かったのかも知れない。(一体何が。生きてるのか、私は。どこだ、ココは?) 周囲には先程の戦場に共に立っていた小隊の面々が投げ出されたかのように、折り重なるように倒れている。 平民兵の幾らかは投げ出された拍子に自分の持つ槍で貫かれたり、あるいは仲間を貫いたりしてしまっているようだ。 少し観察してみるが、私の他のメイジたちは、どうやら死んでは居ないようだ。 この場は、先程までの青空の下ではなく、窓のない空間でおそらくは地下牢か座敷牢のような場所らしい。 三十数人ほどがこの場に転がっている。なかなか広い空間のようだ。天井や壁の一部が光を放つ魔道具になっているのか、窓が無いのに薄明るい。 どういう理屈か分からないが、私たちは全く異なる場所に移動してきたようだ。 最後に先程の戦場で見たのは銀色の光景だった。銀の鏡と場所の移動。……『サモン・サーヴァント』による召喚ゲートだったということなのだろうか。(人間を、しかもこれだけの大人数を召喚する魔法なんて聞いたこともないが……。 今日は信じられないものばかりを目の当たりにする。今更それが一つ二つ増えようが、それが何だというのだ。 原因はともかく、私たちは今、見知らぬ場所、恐らくは敵地に居る。それが重要だ) 瓦礫のの街、帰らない斥候隊、攻撃の効かない恐ろしい巨大なミミズのような触手の化物……。 あの身の毛もよだつような低い囁き声の詠唱が耳から離れない。《――け・はいいえ ふたぐん んぐふ しゃ――》 今にもまた、地の底から竜を喰らう化物が現れるのではないかという気がしてならない。《――ふる・ふうる ぐはあん――》 ……先程から、隊の誰かが何事かを囁いているようだ。私の頭の中でもあの怖気の立つ詠唱が巡っている。《――ふたぐん しゃっど-める ひゅあす ねぐぐ・ふ――》 向かうべき敵が目の前から居なくなったことで、先程の恐慌が戻ってきてしまったのだろう。 あるいは先程の転移の際に通り抜けた角度が悪かったのだろうか。 何人もが蹲ってブツブツと呪いのような言葉を呟いている。「ありえないありえないありえないありえ……」「け・はいいえ ふたぐん」「死にたくないしにたくないだけどみんなしぬシヌ死ぬしぬ死ねしねしねしね……」「いぐなあああいいい」「フヒっ、ひひっ、あはああはあはあ?」「角度から奴らが……」「からるかう よぐそうとす」 このままでは私も遠からず気が狂ってしまいそうだ。ああ、始祖よ、私たちは何か間違ったことをしたのでしょうか? ……嘆いても始まらない。貴族として、私は平民を導かねばならないのだ。 ここに居る狂いかけの平民たちもまた導かれるべき民なのだから、私たち貴族が率いてこの場を脱出せねばならない。 皆を一喝するべく、声を張り上げる。「総員点呼!! 番号!!」 正気を失っていても、繰り返した動作はある程度は心に残っているものらしい。 反射的に全員立ち上がり、点呼を行う。これは狂いつつあった者たちの心を平常の側にいくらか引き戻す効果もあったようだ。 完全とは言えないが、本当に酷い状態の数名を除いて、殆どの者は簡単な受け答えが出来るくらいには回復した。 ……団体行動にはやや不安が残る精神状態だが。何にせよ室内の探索にゾロゾロと全員一塊で移動するわけには行かないからそう気に病まなくてもいいだろう。 一先ず班を再構成して、この部屋の情報から把握しなければ……。 私がまともにモノを考えられたのはそこまでであった。 何故なら急激に部屋中に充満した水の魔法によって、私たちの意識は奪われてしまったからだ。 次に目を覚ました時に、私が見たのは。 何も身につけていない自分の体。胸に刺青で直接刻まれた『79』という数字と、それと同じ番号が貼られたベッド。 薄暗い同じ部屋の中には幾つかのベッドが置いてあり、空のベッドも、人が寝ているベッドもある。やはりベッドには番号が振られている。 78番から向こうのベッドは空で、80番以降のベッドには人が寝ている。これは何を意味するのだろう。 部屋のドアが軋みながら開く。思わず肩が震える。扉の隙間からの光が一筋、部屋の中に入ってくる。 入ってくるのは小柄な二人の人間。二人が話す声が聞こえる。「79番から84番はメイジでしたかねェ?」「ん、その筈だ。実験では平民ともゴブリンとも違う反応が採れれば良いんだがな」 ……“実験”、“反応”、管理番号らしき数字、空になった78番のベッド、自分の胸の79番。 嫌な予感しかしないぞっ。ここは何処だ、トリステインのアカデミーか? つ、杖は? 杖はどこだ!? 私の杖ー!! 近づいてきた足音が、遂に私の眠るベッドの前まで来た。『レビテーション』による浮遊感が私を襲う。嫌だ、やめてくれ、連れていかないでくれ。じたばたと体を動かそうとしたときに、また魔法による抗いがたい睡魔が私に――。◆ さて。 時間は戻って、銀鏡が降り注いだ戦場。 銀鏡は、東方軍の面々を飲み込むと、直後に地面に激突して砕け散る。これらは使い捨てだ。 結晶が砕ける音が戦場に連鎖し、煌く破片が乱舞する。 開戦して30分と経たないうちに、先程の強制転移攻撃によって、東方軍の3割から4割がこの場から姿を消した。 残ったのは数の関係で標的から外された者たちと、自力で空間跳躍の入り口を回避した者達のみである。 キラキラと鏡の破片が舞う中、東方軍のメイジが声を荒げる。「何なんだ一体!? 得体の知れない化物が現れて、守護竜様が逃げ帰って! 一帯が土壁で囲まれたと思ったら、次は投擲魔の蜘蛛公子に、気色悪い触手の壁に、空から降ってくる銀の鏡! 周りの連中は銀色に呑み込まれて姿を消すし……、一体何なんだ、この戦争は!?」 この男が率いる一隊は、銀鏡の爆撃を回避していた。 トライアングルの火メイジであるこの男が、周囲の壁を破るのに準備していた呪文を咄嗟に上空から迫る物体に向けて放ったおかげだ。 火力を集中すれば鉄をも焼き切る呪文は、迫り来る銀鏡の枠を掠め、鏡を破壊した。 ばら撒かれる破片は風メイジが張った防壁によって退けられた。 周囲を見回せば、銀色によって齎された被害は、単なる人員の消失だけではないようだ。 砕けたその破片に因る肉体的な二次被害は元より、あちこちに残る異常な光景が、戦場に残った彼らの精神を蝕む。 それは一個小隊分の足首のみが地面に残されている光景であったり。 腰から下しか残っていない死体達が、今漸く上半身が無いことを思い出したかのように、その鋭利な断面から内臓を零れさせつつ膝をつく光景であったり。 咄嗟に伏せたであろう兵の背中側がザックリと削られて事切れている様子であったり。 どの死体にも言えることは、それらの切断面はまるで熟練の『ブレイド』遣いでもこうは上手く斬れまいという位の鋭さを晒しているということだ。 そして、切り取られた部分は周囲には見当たらない。一体何処に行ってしまったのか。 土の触手が絡みあって出来ていた壁が地面に還って行く。 だが相変わらず、遠目に見える巨大な包囲壁は健在のようだ。スクエアメイジが渾身の一撃を入れればおそらく崩れるのだろうが……。「スクウェア連中もどれだけ残ってるのかって話だよ、畜生! 指揮系統もハッキリしやしねえ。誰が残ってて、そのうちの誰がココでの上官なんだよ?」 上空から、新しい影が迫る。子供ほどの大きさの影は、次々と上空から戦場に降り注ぐ。 幾人かのメイジがそれらを迎撃するべく、上空に魔法を放つ。上空からの影が着ている服は雲と空に混ざって見えづらくて、手当たり次第にばらまかれる魔法の大部分が外れるが、何割かは命中する。 襲撃者のうち恐らくは百に迫ろうという数は、上空から着地するまでに『カッター・トルネード』や『炎柱』、『氷嵐』によって迎撃されたと見て取れる。 侵入者を形作っていた血と肉片が、上空から降り注ぐ雨となって戦場を染めていく。(恐慌に駆られて魔法を放ったのはまあ仕方ないが、おいおい、あれは子供だったぞ!? シャンリットってのは子供を空から突入させんのかよ!?) 子供とは彼にとって守るべき者である。いや、彼に限らず貴族全般にとって、女子供は庇護すべき対象である。 まあ中には卓越した魔法の使い手で、戦場にて鬼神のように活躍する女傑も歴史上はたまに現れるのだが、それは例外だろう。 いくら敵とは言え自分たちが撃ち落としたのが年端もいかない子供だと気づいて、思わず杖を取り落としたメイジの姿も見える。 これも精神への打撃を見越しての作戦なのだとしたら、それを指示し実行させてみせる者はなんとも最悪だ。最悪極まりない。狂っている。 彼らは、怒りも顕に城壁に立つウード(ただしゴーレム)を見遣る。 相変わらずウードはそちらに立っている。時折飛んでくる矢や魔法を、自分の足元の城壁から造った、骨細工か昆虫の脚のような何本もの棒状のゴーレムで払っている。 都合8本の蜘蛛脚で守られた伯爵公子は、蜘蛛に掻き抱かれているようにも見える。 忌々しい男だ。 濃い瘴気が眼に見えるようだ。 蜘蛛め、蜘蛛男め。蟲なら蟲らしく這いつくばっていろ、上から見下ろすんじゃない、人外め。「余所見はいけないさね、お兄さん!!」 怒りで白熱した思考に、子供のような甲高い声が差し込まれる。 反射的にこちらに向かって斬りかかって来ていた小柄な影を軍杖で払い飛ばす。 短剣と軍杖がぶつかり合い、火花が散った。 さっと視線を走らせれば、周りの東方軍の者は皆、子供のような小柄な者たちと交戦していた。先程、空から落ちてきた者たちだろう。今もその落下侵入は続いている。 ――まるで結婚式のフラワーシャワーのようだ、などと思う。それは最近結婚式を挙げたせいかもしれない。 上空から手当たり次第に戦場に飛び込まれたため、周囲は完全に混戦模様になってしまっている。泥沼の戦いだ。「なんで君みたいな子供が戦場に立っている! これがシャンリットのやり方なのか!?」「子供とは失礼な言い方さね。都合3回目の人生で、それなりに人生経験積んでるさね」「訳の分からないことを……! いいから退け、君の相手をしている暇はない。あそこの大将首を取れば戦いは終わる。君らみたいな子供もこれ以上戦わなくて済むんだ!」 子供、そう、子供だ。彼は都市国家に残してきた妻の胎内に宿った新しい命を思い浮かべる。 目前の子供は、彼の言葉を受けてしばし考える。 そして首を捻って疑問を示す、心底理解できないという様子で。「……意味が分からないさね? 戦場に突っ込んできた相手に『引いてくれ、見逃してくれ』って、何考えてるさね」 子供は結局首を振って、ナックルガードの付いた短刀を逆手に握り直して腰を落とし、構えを取る。「こっちはこの戦闘の瞬間を楽しみにしてたんさね。さっさと構えるさね」 小柄な身体に似合わない圧力が吹き出す。筋肉が盛り上がり、皮膚の要所が硬化しているのが見て取れる。 まるでドラゴンを前にしているかのような気配だ。思わず、男は軍杖を構え直す。 三日月のように子供の口の端が釣り上がり、犬歯を露に獰猛な笑みを形作る。「そんじゃあ、〈バオー〉氏族・最新共生体スペックテスト、人格相性テスト、並びにコンバットプルーフ、開始するさね」「……名乗りを」 小柄な方が踏み込もうとした時に、男が口を挟む。「せめて、名乗りを上げてもらまいか」 貴族としての矜持というものなのだろう。 小柄な方はため息を一つ。「……まあ良いさね。アネット・サンカンティアニエーム・バオー。今はそういう名前さね」「……女の子なのか。私はアンクタン・ヴズール。いざ、参る!」 アネットの華奢だが引き締まった身体が沈み、漲っていた力を開放せんとする。 アンクタンの口が詠唱を紡ぐ。 そして。 次の瞬間、小柄な彼女の立っていたところを明後日の方向から業火が焼き払って行った。 膨大な熱量を持った炎が通り過ぎた後には、高熱でガラス化して陽炎を上げる地面以外は何も残っていない。「なあっ!? なんだあっ!?」 対峙していた東方軍人アンクタンが思わず業火の飛んできた方を見ると、やはり小柄な人影が見える。 その人影は、影自身の身長よりも長い棍を構えている。棍に纏わり着くように炎が巡っているのが見える。人ひとりを完全に蒸発させる程の火力となれば、スクウェア位はありそうだ。 その小柄な人影が口を開く。鈴を転がすような、およそ戦場には似つかわしくない声だ。「あらら? なんか巻き込んだみたいですね? 97号さん。火力制御が難しすぎませんか?」【や、そんなこと言われましても。私の呪文多重化能力は擬似的な遍在による共鳴みたいなものなので、最終的な性質は持ち手の特性に依存するんです。ラインスペルを倍のスクウェアに強化できますけど、癖も二倍に増幅されるので制御の難しさも倍以上です。火力がピーキーなのは、あなたの癖のせいですよ……】 頭部を守る流線型の鉄兜らしきものの端から金色の巻き毛が見えている。棍を持った砲撃者も、先程アンクタンが対峙していた相手と同じく、少女のようだ。シャンリットでは女子供関係なく兵士にするらしい。 どうやらあの棍はインテリジェンスウェポンのようだ。そういえば、槍投げ伯爵公子が投げていた中にあんなのがあったような気もする、とアンクタン・ヴズールは考える。「えー、インテリジェンスウェポンならその辺まで制御して下さいな?」【それは私の後継型に期待して下さい。これ以上は性能的に無理です……】 話が終わったのか、棍を構えた女の子は男――アンクタン――を見据える。 そして良いこと思いついたという様子で、笑みを浮かべてアンクタンを見遣る。「じゃあ、仕方有りませんね。不慮の事故で的が一つ余ってしまったみたいですから、有効活用致しましょう? ――要は慣れるまで撃ちまくれば良いんですよね? 97号さん?」【まあ、そうですね……】「じゃあ、的のお兄さん? 頑張って避けてくださいね? うふふふふ」 ニッコリと笑う女の子の棍から、業火が走る。 ――余りに唐突な成り行きに呆然としていると、隣から突っ込んできた何かによって弾き飛ばされ、アンクタンは辛うじて射線から外れる。 彼を弾き飛ばしたのは、業火に吹き飛ばされたと思われていた小柄な筋肉少女、アネット。 服を燃やし尽くされて裸になったアネットは怒りも顕に口を開く。「あんた、私の獲物を盗ろうなんざ、いい度胸してるじゃないさね」 金髪の棍を持った少女が不愉快げに答える。「あららぁあ? まだ生きてらっしゃったのかしら? 蒸発したんじゃなくって?」「“廻し受けは最強”とだけ言わせてもらうさね。あと〈バオー〉の最新型の再生能力をナメるんじゃないさね。何ならあんたを相手に実証試験を続けたって良いんさね」 二人の少女――むしろ幼女――の間の空気が不穏にぐにゃりと歪み、帯電しているようにも感じられる。 緊迫した時間は一瞬だけだった。 棍を持った方の金髪ロールの少女が口を開く。「良いですわ、着いてらっしゃいまし? この外骨格フェチの改造狂」「望むところさね、大艦巨砲主義者め。今生こそは決着を着けてやるさね!」 棍を構えた幼女が飛び上がり、空気を払うように炎を纏った棍を振ると、それによって爆風を生み出して轟音と共に空中を加速する。 一方、短剣を構えたアネットは『軽量化』の魔法を唱えると、その身体能力のみで隆起した不安定な足場をまるで天馬のように駆け抜ける。「何だったんだ、一体……」 アンクタンは嵐のように去っていった幼女たちを見送ることしか出来なかった。 だが、彼は気を抜くべきではなかった。 嵐はまだ残っていたのだ。「あー! 見つけましたよぅ! アンクタン・ヴズールさんですね!?」「え、ああ、確かにそうだが……」 後ろから掛けられた声に対して、虚を突かれてしまったため、普段の調子で答えつつ振り向こうとすると。「ムギョーちゃん、やっちゃって下さい!」「―――■■■■■■■■■■!!!」 何かもう口にするのもはばかられるような、汚泥を悪意で塗り固めたような5メイルほどの暗黒色のゴーレムだか使い魔だかよく分からないモノがその触腕を振りかぶっているのが見えた。 彼が認識できたのはそこまでだった。 先端が音速を超過したのか、軽い破裂音と共に、側面を鋭い刃に変化させた触腕がアンクタンに迫り、刹那の間に左肩口から右脇腹までを袈裟斬りにした。 身体が崩れ落ちるより早く、さらにもう一方の触腕が彼の首を刎ねる。彼の視界はくるくると回る、回る、回る。そして、まるで測ったかのように、彼の首はムギョーと呼ばれた怪物の上に座る少女の抱える瓶に収まった。「ミッションコンプリートです! ムギョーちゃんも協力ありがとうございました」「■■■……――……」「照れ屋さんですねー。じゃあ回収リストの次の貴族さんに行きましょうー。レッツゴー!」 泥濘を捏ねたような不定形の怪物に跨った彼女は、次のターゲットを探して自身の従者を進ませる。「この記録係 兼 取り零し回収係 兼 従属存在実戦投入試験“無形の落とし子”担当、コレット・サンクヮム・レゴソフィアが完膚なきまでに十全に仕事をこなして見せようじゃないですか! あ、そうだ、さっきのアネットさんともう一方の人は敵前逃亡って記録付けとかないと。ムギョーちゃん、ポシェットからメモ取ってくださいー」「■■……■」「ありがとうー、ついでにさっきのヴズール家の人の頭は回収ボックスに入れといてくださいねー。胴体の方も適当に刻んで忘れずにお願いしますー」 この日のために用意された回収ボックスの底には〈ゲートの鏡〉が仕込んであり、回収品が嵩張って作業続行の邪魔にならないように地底都市の倉庫へと送る事が出来る。別名〈倉庫の壺〉。ポシェットなのに壺とはこれ如何に。「今回の実戦試験が終われば長期休暇も貰えそうですし、ニーナちゃん達と月面都市にでも行きたいですねー」 這いずるように、滑るように、怖気立つ黒い塊とその上に乗る真紅の髪の少女は、次の獲物を求めて戦場を徘徊する。◆ 戦場は矮人によって席巻されつつあった。 上空のフネの底面に備え付けられた幾つかの降下人員通行用の〈ゲートの鏡〉から際限なく矮人たちが吐き出されていく。まるで爆弾を落とすかのように、人影が落ちていく。 そのうち半数ほどは、ヒトを生け捕りにする為に、自分の研究室に繋がる、人が通れるくらいの大きさの〈ゲートの鏡〉を抱えている。ヒトを拘束してそちらに放り込むつもりだ。 眼下の戦場ではスクエアメイジが作り出したと思われる30メイルはある巨大ゴーレムが、足元から這い上がる数十もの数の2メイルほどの蜘蛛のようなゴーレムに集られて身動きが取れなくなりつつある。 その足元には轢き潰されて平らになった蜘蛛ゴーレムが積み重なっている。巨大ゴーレムが幾ら払っても払っても、矮人達が『錬金』する蜘蛛ゴーレムは次々に数を増していく。 巨大ゴーレムが、集まる蜘蛛のようなゴーレムを掴み、矮人たちが居る方に投げる。数人が投げ飛ばされたゴーレムに巻き込まれて死んだのか、巨大ゴーレムに集る蜘蛛ゴーレムの幾つかが土に還る。 しかし、それ以上の勢いで蜘蛛型ゴーレムが集まっていく。 戦場に巨大な竜巻が現れ、数十人もの矮人がまるで木の葉のように巻き上げられ、切り刻まれる。 何人もの平民兵に囲まれ、長槍で串刺しにされている矮人も見える。 散発的に炎の玉や氷の槍が上空に飛ばされ、降下中にそれらの魔法を避けきれなかった矮人に突き刺さり、撃墜する。 それでも戦場の矮人の数は減らない。 減らないどころか増えている。 矮人は増えるが、戦場の東方軍人は減っている。死体すらも残っていない。攫われているのだ。拉致された彼らの行く末は暗い。 散らばった死体は矮人のものもヒトのものも、等しく片っ端から回収部隊の矮人によって片付けられていく。どちらの死体も重要なサンプルだからだ。 巻き上がる魔法を見るに、何人かの東方軍のメイジは未だに戦意を失っていないようだが、いずれは矮人の物量に屈するだろう。 何せ上空のフネの底に開いている〈ゲートの鏡〉は各地の地底都市に繋がっているため、その気になれば数万の軍隊を投入することも可能なのだ。或いは数十万人でも。更に言えば、現在戦場に降りてきているのは、職業軍人ではなく、職業軍人並みの知識を生まれつき持った研究者たちであり、本職は研究である。 今も戦場の矮人の数は増え続けている。雨霰とゴブリンたちが戦場に降り注ぐ。 そしてやがて、抵抗する東方軍のメイジたちの魔法も見られなくなった。◆ 二重円状に展開された土壁に挟まれるようにして東方都市国家の陣地が存在しており、そこには輜重部隊や司令部が控えていた。 しかし地震の影響で陣地のテントなどは倒れている。 後方にも前線の阿鼻叫喚は聞こえており、こちらはそれゆえにまた別種の恐怖に襲われていた。 敵が見えないがゆえの静かな恐怖である。 前線には魔法の炎や竜巻やゴーレムが見えるし、後方からはそれが着々と弱まっていることも見て取れる。自軍が敗北に近づきつつあると直感的に理解できる。 そして周囲の魔の森からのプレッシャーが、東方軍の不安に輪をかける。死そのものの臭い、腐敗した死体の香りがじわじわと陣地に満ちる。ひたひたと何か湿った、滴るような音が聞こえる。 ほらあそこに、いやこちらに。 気配はすれども姿の見えぬ襲撃者が居るのでは。 その直感を裏付けるように、目を離せばそこに居た人が居なくなる。さっきまでは確かにそこに味方が居たはずなのに! 青い腐った膿汁が落ちていることで、犠牲者がただ居なくなったのではなく、何かに攫われたのが分かってしまう。酷い臭いだ。 東方軍の後方部隊は、静かだが深海底に居るかのような重苦しいプレッシャーに晒されていた。 刻一刻と静謐な狩人が彼らの数を減らしていく。サイレントキラー。暗殺者。圧倒的上位の捕食者が居るのだ。 悲鳴すら聞こえずに、一人、また一人と消えていく。残された者の不安を煽るように嬲るように、一人ずつ居なくなる。ああまた居なくなっている、次は誰だ、オレか私か僕かオマエか貴方か君か、さあ誰だ。 消えていった者たちについてその順番を冷静に覚えて考察することができるものが居れば、高ランクのメイジから順に消えていったのが分かっただろう。狩人は精神力が豊富な者から狙っているのだ、その本能のままに。 狩人の名前は“ティンダロス・キメラ”あるいは“ティンダロス・ハイブリッド”。奴らは角(カド)からやって来る。「ふしゅう~~。あはは? 次の獲物は誰に、し・よ・う・か・な? うひひ、あの娘が美味しそう。ああでも食べちゃ駄目なんだっけ?」「ひゃはは、そうッスよ。ああでもマジックポイント尽きたら一人くらい喰らってでも良いんじゃ? 継戦能力チェックとかそんな話をしてませんでしたっけ? 隊長」「うひひ、そうだっけ? お腹空き過ぎて頭回んないや」「多分そうッスよ! だから一人くらい吸っちゃっても大丈夫ですって!」「あはは、そうだよね? そうだよね!? お腹空いちゃったもんね!」「そうッスよ!」「よし、じゃあ、皆、ここらで食事にしよう!」「ラジャー!!」 角度に潜む絶対捕食者が、ついにその身を晒してニンゲンに襲いかかる。 キメラゴブリンによって構成される〈ルイン〉氏族の中でも実験的に作成された一隊。“ティンダロスの猟犬”の青い膿から得られた細胞とのキメラによって構成される実験部隊。 兆を超える試みの果てに正常な形で生まれたティンダロス・キメラの中でも、更に稀有な、食欲をある程度制御可能な程に理性が極めて強いキメラたち。実戦に耐えうる、コントロール可能なティンダロス・ハイブリッド。 だが、飢餓を抑えこむのは並大抵のことではない。三大欲求の一つであるのだから。 そして彼らはとても大喰らいだ。食べても食べても満腹にはならない。永遠の飢餓は“ティンダロスの猟犬”の生来の性質だ。 無論彼らは混血種であるがゆえに、こちらの“丸い”時空の食物を摂取することも出来るが、それは気休めにしかならない。 吐き気のする臭いの膿を滴らせて、キュビズム絵画のように全身を角度ある物体によって構成された捕食者たちは東方軍に――いや、獲物に襲いかかる。 彼ら姿は常に移ろい、変化していく。 物陰に隠れている者も、彼らに必ず見つけ出される。 それは彼ら自身が3次元に収まらない超次元の存在であるからだ。 3次元に露出している部分は一面的な断面や切片に過ぎず、彼らが見ている視界は我々が紙に書かれたものを見るように、3次元に対して絶対的に俯瞰的であるのだ。 隠蔽は超次元的な視界の前では無意味であり、逃亡もまた無意味。 何故なら彼らは、角度を通って任意に――距離の制限はあるものの――転移して追ってくるからだ。「うわあああ! 狼男だ!」「いや竜人間だ! やめろ! 来るな!」「きゃあああ! 助けて!」 常に相貌が変化し続ける彼らだが、見る者にはある一定の印象を与える。犠牲者は変化し続けるポリゴンの相貌の中からある一定のパターンを認識して拾いあげてしまう。 つまり、彼らが自らにとっての“絶対捕食者”であるという認識を。 だから見る人によっては、それは森の狩人たる狼であり、天空を舞う猛禽であり、あるいは何者をも寄せ付けないドラゴンにも見える。 彼らはその顔面を覆うほどに大きな口でヒトを丸呑みにするし、蛇のような舌を伸ばして犠牲者の魂を啜る事も出来る。今や彼らを支配しているのは理性ではない。耐え難い飢えだった。原初の食欲であった。 角度から来る狩人たちは、その荒れ狂う食欲のままにニンゲンを蹂躙した。◆ シャンリット防衛戦は開始後2時間もしないうちに、東方軍の全滅によって幕を閉じる。 戦場を覆っていた二重の土壁が自壊し、戦闘に参加したゴブリンたちが整列を始める。 上空からフネがゆっくりと降りて来る。ゴブリンたちは船底に開いた銀色のゲートまでフライで飛び上がり、撤収していく。 戦場には回収部隊のみが残り、いろいろな残骸を蒐集し片付けている。また蒐集と同時に地中に『活性』の魔道具を敷設する。 粗方の部隊が撤収すると、上空から改良された蛆や蚯蚓の卵がばら撒かれ、『活性』の魔法によって孵化が促進された卵から無数の幼虫が孵る。 回収しきれなかった肉片は蛆(蛹化しないように改良済み)が喰らい、血を吸った大地は蚯蚓が消化する。伝染病の発生を防ぐためだ。 一面が全て蠢く幼虫で満たされ、それを狙って周囲の森から別の蟲が集まって、一種の蠱毒のような様相を呈する。 三日も過ぎた頃に、それらの蟲に対して特異的に感染する菌類を撒いて殺虫すれば、次には黴と茸のカーペットのようになる。 さらにそれらもバクテリアに分解されて土に還り、一週間もしないうちにこの戦場は綺麗サッパリその陰惨さも残さない肥沃な大地に生まれ変わるのだ。 倒壊した建造物の瓦礫を片付けて新しく街を作ってもいいし、そのまま自然が浸食するに任せても良いだろう。◆ 所変わって地下都市の一室。 こういった戦争には第三国から観戦武官が派遣され、その戦の様子を直に見て自国に持ち帰り、それを基に研究を行う場合がある。 今回の戦争にはガリアから観戦武官が派遣されており、ウード(本体、ゴーレムにあらず)はその観戦武官と共に、先程のシャンリット防衛戦を『遠見』の魔法で観察していたのだ。 実際は観戦武官ではなく単に東方都市国家に派遣されていたガリアからのお目付け役を拉致ってきただけだったりする。「さて、さて、ガリアの観戦武官殿。如何でしたかな? 完膚なきまでにトリステインの――シャンリットの勝利だったでしょう?」 ウードは隣の椅子に括りつけられた男を見遣る。「……おや、気を失ってらっしゃる。いや、舌を噛み切ってるのか。 ただ椅子に括りつけてさっきの戦場のライブ映像を『遠見』で見せてやっただけだというのに、脆弱な」 隣の男は、途中まで「異端め! 蜘蛛の化物め!」とか何とか叫んでいたが、途中から静かになっていた。 それはその余りに現実離れした陰惨な光景から、自害によって目を背けたからだ。 ウードはガリア方面を担当しているゴブリンを呼び出して、観戦武官の処理と今後のことについてを命じる。「あ、うん、この人の首を人面樹に捧げて、ガーゴイルに入れ替えて送り返しといて。よろしく頼むよー。 とりあえず、こっちが完勝したことは証言してもらわなきゃならないからねー。 あと、この戦場の様子も。しばらくはトリステインにちょっかい出す気が起きないくらいに棘々(おどろおどろ)しく伝えてもらわなくっちゃあならない。 戦場で回収した者の中で主要貴族については、王政府に戦功の証拠として提示するのに生首が必要になるだろうから、それらのヒトたちを捧げた人面樹から後で収穫しとくように。 生首は収穫したら、生かしたまま瓶詰めにしといて。東方都市との交渉にも使うから」 観戦武官の彼や都市国家の軍人らは、死して尚、シャンリットの恐ろしい呪縛からは逃れられないのであった。「大戦果だし、これでシャンリット家が侯爵くらいには成れると良いなあ。まあ、そうならなくても私としてはアトラナート商会の私立学院の設立さえ認めてもらえば良いんだけどさ。 多分、ガリア方面でもメイリーンやロベールが頑張ってくれてるだろうし、学院設立許可くらいは行けると踏んでるんだけど」 きしきしと首から生えた右の毒牙を鳴らしながらウードは立ち上がる。 最近は左肺にも違和感があるのでそのうち“べりっ”と左からも牙が生えやしないかと戦々恐々である。左肺も牙になったら、両肺が潰れて呼吸できなくて死ぬだろうって? そんなのウードクローンから肺をひっぺがして適当に生体外部パーツとして接続してからキメラ化すればどうとでもなる。◆ この度のシャンリット防衛戦の勝利後、シャンリット諸侯軍(という名だが実態としてはウードが率いるアトラナート商会の私兵、つまりは矮人部隊)は王軍の到着を待たずに先行して東方都市にトドメの遠征や降伏交渉を行った。 裏切った諸侯は粛清され、東方都市国家の幾つかも切り取った。 具体的には都市国家にウードが出向いて、瓶詰めの生首的なサムシングを背後に置いてニコニコと交渉した結果、快く下ってくれた。「初めまして。私、ウード・ド・シャンリットと申します。こちら、お宅の息子さんとか旦那さんとかなんですけど、本人確認して持って行ってもらえます? あと手間掛けたくないのでサクっと降伏してくれると助かるんですけど? ああこの状態でも生きてますから話をしたいなら専用パーツ付ければできますよ? 有償での身体回復処理もやっているのでご入用の際はお近くのアトラナート商会まで。シャンリット家の臣下になるならタダで旦那さんらの身体を戻しますし、食糧支援とか色々惜しみませんけど? どうです?」「……悪魔め! 貴様のような悍ましい人間に降伏などするものですか!」「いやあ、別にじゃああなた方が飢えようが何しようが勝手なんですけどね? 攻めてきたのはそちらですし? このまま一族郎党皆殺しーとか、都市全部焼き払うーとかしたって良いんですけどね? あんまり現実見ないできゃんきゃん喚いてると殺して剥がして標本にするぞ、貴様。こっちは“ウィ(YES)”しか求めてねえんだよ察しろよ」「何度言っても、貴様のような悪魔になど屈しません!」「あっそう。そうですか。じゃあ一名様チェンジリングコース入りまーす。生まれ変わって出直してきやがれ」 そう、快く、それはもう快く、下ってくれたのだ――生まれ変わった後の彼ら彼女らは。 ちょっとニンゲンじゃ無くなって文字通りの傀儡人形になったかも知れないけれども、そこは些細な問題である。 敗者への寛容ということで、シャンリット家に下った都市については、人面樹からもいで収穫した生首状態から領主や嫡男を生き返らせて(傀儡だが)、さらにその上でアトラナート商会から食料その他の援助を惜しまず提供している。 その後日に行われた論功行賞によって、シャンリット家にもトリステイン王家から恩賞が下った。 これ見よがしに王都まで瓶詰め生首(傀儡人形にして蘇らせた者を除く)を持っていったのが功を奏したのだろう。 それに拠れば、ガリア戦役におけるシャンリット軍の迅速な展開、及び、東方都市国家群の侵攻を防ぎその部隊を壊滅させた功績が認められ、シャンリット家は降伏した都市国家群を拝領することを認められた。 他にもシャンリット領の直ぐ東隣の、都市国家に寝返っていた諸侯の所領も拝領した。そこを治めていた貴族の一族郎党は処刑され、再びトリステインに組み込まれたのだが、治めるものも居らず、都市国家がシャンリット家に臣従するなら、シャンリットと都市国家に挟まれているということもあって、シャンリット家に与えられたのだ。まあシャンリット家の方が王軍が来るより早く占領したということが大きいが。 とは言え、その更に東には未だに敵対的な都市国家群が存在し、下った都市国家も旧来の支配層がそのままの状態なので(実際は傀儡に入れ替わっているが外部からは変化がないように見える)、シャンリット以東は火種が燻る火薬庫状態であると王政府などには認識されている。シャンリットは体良く最前線の地を押し付けられたのだと取ることも出来る。領地の拡大にともなってガリア――先の戦争では都市国家と密約を交わして事実上同盟してトリステインを攻めてきていたと思われる――とも国境を接するようになったため、治めるのも難しい土地であると国内からは見られている。 だがどんな土地でも、領地は領地。シャンリット伯爵家は、これらの軍功と新たに獲得した広大な領地を以て侯爵へと陞爵することとなった。 恩賞の書状曰く『その杖に懸けて、王国に忠誠を示せ。国家の発展に尽くすことを期待する』との事だ。 ウードは兎も角、その父フィリップや弟ロベールはトリステインに忠誠は抱いているだろうから、そこは心配要らないだろう。 その子孫らが、アトラナート商会の財力と広大な領土を以て独立を志向しないとは限らないが。 ウードはあれはあれで建国以来5000年の歴史に敬意を払ってはいるのでトリステインの国家としての枠組みを壊すつもりは無いが、そのうちに出来ればシャンリット領をトリステインから切り取って独立させたいなとは思っている。彼がヒトとして生きている間には不可能だろうけれども。 また、アトラナート商会は戦時に於いて数多くの物資をガリア戦線の前線や難民に対して殆ど無償で放出していた。 商会のオーナーは戦時の国内の混乱を収める為に私財を投げ打った篤志の人物であるという話が城下の噂として広まっている。 実際はその行動は善意からのものではなく、打算からのものでしか無い。だがそれでも、戦地周辺の混乱を回避したという功績で、王家から感状が贈られた。 糧食の放出程度は、各地の樹木型巨大太陽光発電塔〈偽・ユグドラシル〉からの無尽蔵なエネルギーを利用出来るアトラナート商会にとっては損害にも入らない位の微々たるものであるし、これで王家とのパイプが出来るなら安いものである。 そしてその商会のオーナーのウード・ド・シャンリットは、たった独り(王国へ提出された書類上はそうなっている)で守護韻竜を含む竜の群れを退け、一万に迫ろうという敵軍を文字通り全滅させた事になっている。 守護韻竜は東方都市に戻らずに何処かに姿を消している。また今まではハルケギニア各地に見られた韻竜も、徐々に姿を消しつつあるという。天敵たる穿地蟲の復活を受けて、雌伏の時だと考え、潜伏していっているのかも知れない。 竜を退け、軍功著しいウードに対しては、勲章とシャンリットの北東部の小領地、それに伴う子爵位が贈られることとなった。 ついでに言うと、私立学院設立許可もどさくさに紛れてもぎ取っている。 人格に難はあるものの、独りで一万を殺戮し守護韻竜さえ凌駕する実力を持つ上に、商才溢れる稀代のメイジ。それが王宮におけるウード・ド・シャンリットに対するこの時点での評価である。 ちなみに、市井の噂では、人間離れした功績、凱旋したときの黒い羅紗のマントと隈の深い凶相、変に細長い歪な四肢も相まって、“ウードは妖魔の類であり、異端の術を使ったのだ”という事も囁かれている。 また、綺麗サッパリ消えてしまった東方軍の大部分の兵の行方が全く不明なことも、その噂に拍車をかける。 アトラナート商会オーナとしてボランティアで支援を行ったということは、“それはそれ”として考えられているようで、ウードのイメージ改善の役には立っていないようだ。あるいはそれぞれが別人として捉えられているのかも知れないし、アトラナート商会が支援を行うのは当然という甘えのようなものがトリステイン市民には蔓延しつつあるのかも知れない。 ……ウードに関するこれらの噂の出処は、例によって例のごとく“知り合いの知り合い”たち――市井に紛れ込んだ成り代わりのガーゴイルや下働きのゴブリンたちだ。 彼らは彼らで口コミによる情報操作手法の実証実験中なのである。例え自分たちの造物主であってもネタに出来るならとことん使い尽くすのが、研究第一であるゴブリンのジャスティスだ。 ◆ “シャンリット防衛戦”より3年後。 後に異端の巣窟と呼ばれ、ロマリア宗教庁と対立を繰り返すようになるハルケギニア最初の王国認可私立総合学院――私立ミスカトニック学院が開校する。=====================================2010.08.26 初投稿2010.08.27 誤字など訂正ティンダロスの混血種【混血の殺人者】 マレウス・モンストロルムから。2010.10.30 修正