トリステイン魔法学院。 数千年の歴史を誇る、ハルケギニアでも最も古い魔法学院の一つである。 隣国にある狂ったように知識を蒐め、どんなモノでも受け入れて研究を行っていく無節操な巨大学院とは異なり、こちらは慎みと礼節を重んじる名門学校である。 数十年前に迎え入れられた学院長、三百年を生きる大メイジ、オールド・オスマンを中心として、伝統だけでなく、その教育内容も最先端のものにしようとテコ入れが行われている。 三年制のトリステイン魔法学院では、二年に進級する際の最終実技試験――というより一人前のメイジになるための通過儀礼として――使い魔召喚の儀式を行うことになっている。 使い魔召喚儀式を以て属性を決定し、二年生以降の専門課程に進むのだ。 使い魔は召喚者の運命に従って選ばれると言われ、それは始祖ブリミルの意思が働いている神聖なものであるとされている。 学院から幾分離れた場所に広がる草原――実技の授業や学生同士の自主訓練に使用され、使い魔召喚の儀式もここで行う――にて、一クラス分三十人の生徒が揃っている。 既に殆どの生徒が召喚を終えているのか、周りには様々な幻獣の姿が見える。 中でも目につくのは、竜の幼生だ。傍らにはその風竜の主人と思われる、大きな杖を携えて眼鏡を掛けた青髪の小さな少女がいる。使い魔の竜は何故かびくびくと周囲を警戒しているように見える。 使い魔ではないが、他に目を惹くのは、胸元を大胆に露出した褐色肌の赤髪の美女だ。 彼女の足元には、人の背丈ほどの大きさをした毒々しい赤と紫の湿った肌をしている巨大なファイアサラマンダーが居るのが分かる。 体格や体の色から鑑みるに、火竜山脈の山頂付近の氷河が地熱で溶けて出来た氷河湖の水辺に棲むと言われる、発火能力(パイロキネシス)を持つ毒サンショウウオだろう。 試験監督である禿頭の教師が、次の生徒を呼ぶ。「ミス・ヴァリエール。君で今年の使い魔召喚の儀は最後だ。期待しているよ」「はーい、ミスタ・コルベール」 気怠げに返事をしたのは、ピンクブロンドの美しいロングヘアーの美少女だ。 意思が強そうな鳶色の瞳は、しかしこの時ばかりは、非常に面倒臭そうに濁っている。 150サントほどのスレンダーな体躯からは、無気力に四肢がぶらついているが、この可憐な少女に掛かればそれすらも頽廃的な美を感じさせる。 周囲の生徒や監督教員のコルベールは、しかし、そんなミス・ヴァリエールと呼ばれた少女の様子を見て目を丸くする。 そして好き勝手に感想を囁きあう。 あの完全無欠の天才少女がこうもだらしない姿を晒すなんて、これはこれでそそる、実は昨晩お楽しみだったとか、おいこらミス・ヴァリエールを貴様の汚らわしい妄想で穢すんじゃない、何お前貧乳派か女は胸だろキュルケ最高、でかけりゃ良いってもんじゃ無いぞ、よろしいならば決闘だ、黙れ男子お姉さまの声が聞き取れないわ。「ミス・ヴァリエール、どうしました? 体の調子が悪いのですか?」 監督官の禿頭の教員が冴えない感じのルイズの様子を気遣う。「いーえー、なんでもありません、ミスタ・コルベール。ただ、ちょーっとだけ『サモン・サーヴァント』に於いて不安というか懸念がありまして」 桃髪の少女はこれまた気怠げに面倒くさそうに返答する。明らかに精彩を欠いている。「ああ、強大過ぎる幻獣が出てこないかということですか? それならご安心なさい、生徒の貴女に危害が及ばないように監督として私がついているのですから。もう遠慮無くやっちゃって下さい」 日頃の少女の優等生っぷりを知っているコルベールは、独り勝手に勘違いして、安心させるように彼女に声をかける。 ルイズという少女は長年教師を続けてきたコルベールから見ても、まさに天才としか言いようがないほどに優秀であった。 土魔法の授業ではゴールドを『錬金』し、さらに一瞬で城砦のようなゴーレムを作り上げる。複雑な機構の細工時計すら片手間で組み立ててしまう。 水魔法の授業では実験用のマウスを腑分けした上で『治癒』で元通りに復活させてみせる。秘薬の調合もバッチリだ。その上空気さえ凍らせる恐るべき使い手だ。 火魔法の授業では鉄をも蒸発させる炎を出し、そうかと思えば温度を調整して様々に光色を変えた火の玉を十も二十も自在に操ってみせる。沸点が似通った物質を蒸留で分離するのもお手のものだ。 風魔法の授業では巨大な竜巻を作り、あまつさえ『偏在』の魔法で分身しては教師と共に周囲の生徒にコツを教えさえもする。 この始祖に愛されたとしか思えない少女に見合う使い魔ともなれば、それは相当な大物が出てくるだろう。 ミス・ヴァリエールが、現れた使い魔の制御に失敗するとは思えないが、自分も気合を入れなくてはならない。愛しい教え子たちに危害が及ばないように。 コルベールは気を引き締める。「あー、そういうことでは無いんですけど……」 皆の期待を知ってか知らずか、ルイズは内心で溜息をつく。 そもそもの懸念として、呼び出せるかどうか分からない、ということなのだ。 ルイズの持っている情報が正しければ、彼女の本当の属性が呼び出せる使い魔には、制限がかかっているからだ。 華麗に土水火風の系統魔法を使いこなせる公爵令嬢ルイズであるが、その本来の属性は別にある。 授業で使っている各種の四大系統の魔法は、汎用的で高度なマジックアイテムの補助によって行っているに過ぎない。 『虚無』の系統。 始祖の使いし伝説の魔法系統、それがルイズの本当の属性である。 ルイズ自身の魔力で魔法を使えば、四大系統全て、型にはまらずに暴走した虚無系統の魔力によって、爆発の形で顕現する。 『錬金』、どかん。『治癒』、どかん。『風槌』、どっかーん。『火球』、どどかーん。何を唱えても爆発、爆発、爆発。爆殺少女ルイズちゃんである。 トリステイン魔法学院においてそのことを知っているのは、学院長オールド・オスマンなどの数人ではあるが。 ルイズは回想する。 八年前、もしあの池の小舟での出会いがなければ、どうなっていただろうか。 あの黒い糸から出来た人外のアシナガオジサンに連れられて学術都市に行っていなければ――。 魔法が使えないコンプレックスで自殺していただろうか。 大いに有りうる。 公爵家の血統のみに縋った歪なプライドの持ち主になっていたかも知れない。 それとも何らかの別の形であの学術異端都市シャンリットを訪れていただろうか。 いや、それは有りえないだろう。 次姉の治療に学術先進地シャンリットまでついていってそのまま居ついてしまうとか? いやいや、トリステイン貴族らしいプライドの塊だった私があんな無節操な街に好んで棲みつくとは思えない。 好奇心の塊のような長姉でも、私がシャンリットで学ぶことには難色を示したものだ。 始祖ブリミルが使っていた伝説の系統、それが虚無。零番目の系統。 その虚無の使い魔は、最大で同時期に4体まで存在できる。 ブリミル教の伝承によれば、『四の四』。 逆に言えば、虚無の使い魔は同時に4体以上は存在できない。 そのうち既に現時点で三つまでは揃っていたはずだ。 そして『四の四』が揃うのは、『時が満ちたとき』……。 即ち何かの厄介事が起きる時だという。 使い魔を呼び出せなければ、ルイズは留年し、場合によっては学院を去らざるを得ないだろう。 かと言って、もしも伝説の使い魔を呼び出せてしまえば、それは何かの重大事件が起きる予兆ということだ。 ……眠れるクトゥルフでも目覚めるのかも知れない。水底のクトゥルー、風の中のイタクァ、皆何処へいーくのー、見おくーられることもーなくー。……見送る者は滅んでいるだろうから当然だ。 思考が逸れた。 使い魔を召喚できても、できなくても、どちらにしても厄介事には違いない。 ええい、どうにでもなれだ。ルイズは覚悟を決める。 元々両親から無理矢理に押し込まれたのだから、ルイズとしては退学になるならなるで構わないのだ。「使い魔ー、出ろー」 無気力で投げ遣りな言葉と共に杖が振るわれる。 果たして魔法は成功し、ルイズの目の前に銀色に輝くゲートが現れた。◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 1.召喚というより拉致だがそれを気にする者は居ない◆(なんで成功するのよー!?) ルイズが抱いたのはそんな感想であった。 これが、もしも魔法が使えなかった頃の自分であれば、飛び上がって喜んだだろうが、今では素直に喜べない。これは厄介事の兆しに他ならないと知っているから。 確か、虚無の使い魔は、ガリアの鬱屈王の所に『神の頭脳』、ロマリアの宗教狂いの所に『神の右手』、あとはクルデンホルフ大公国の量産型聖人グレゴリオクローンが刻んだのが『神の左手』だったか。 だとすれば、ルイズのところに来るとすれば『四の四』の最後の使い魔である『神の心臓』か。 始祖ブリミルが使役したという使い魔は4体。 『神の頭脳』、『神の本』ミョズニトニルン、あらゆる魔道具を扱える。系統魔法のものでも、先住魔法のものでも。 『神の右手』、『神の笛』ヴィンダールヴ、あらゆる獣を操れる。蟲も竜も何でもござれ。 『神の左手』、『神の盾』ガンダールヴ、あらゆる武器を操れる。その動きは疾風のごとく、主人を守る絶対の盾。 『神の心臓』、記すことすら憚られる使い魔、リーヴスラシル。 この4体目『神の心臓』はイマイチ機能が分かっていない。 というか、これまで一度も4体目が召喚されたことはない。 いまや虚無に関する伝承は殆ど失われ、その不完全な伝承の中で、同時代に4人も虚無の担い手が目覚めること自体が稀なのだ。 虚無の系統の完全復活を恐れているエルフたちは、クルデンホルフ大公国(というか蜘蛛商会)と手を取って、ここ千年は『四の四』が揃わないように気をつけてきていたという事情もある。 ……何度か蜘蛛商会の研究員が暴走して虚無の担い手のクローンを作って、まだ見ぬ4体目を召喚しようとしていたのだが、時代的な条件が合わなかったのか、ここ千年、未だに4体目の召喚は成功していない。 そう、虚無の系統は、『その時』が来るまでは完全には復活しないようなのだ。 最後の虚無の使い魔である『神の心臓』リーヴスラシルは、一説によれば、活性化する旧支配者を再び眠らせるための封印、その礎になるのだという。 それが本当ならば、自分の使い魔を生け贄にするだなんて、始祖はいかにも残酷らしい。 見方を変えれば、愛した者を大事な使い魔を、民のため子孫のため未来のために犠牲にした、という美談になるかも知れないが。まあ集団の統率者としてはそれで正しいだろう。(ああしかし厄介なことになったわね) 幸い召喚の銀鏡からはまだ何も出てきていない。(急いで魔力供給をカットして、何もなかったことにしようかしら。……それがいいわ) ルイズは杖を振り直そうとする。 その時であった。 魔力供給を切って一切合切無かったことにしようとしたルイズ。 その目の前に、銀の鏡の門を抜けて、見慣れぬ服を来た黒髪の男が転び出てきたのだった。◆ 平賀才人、巻き込まれ体質。 過ぎた好奇心と、ちょっと足りないと評されるおつむは、時にその身に余る試練に彼を導くのである。 今回の銀色の鏡も、多分に漏れず厄介事であった。 大学の図書館からの帰り道、定められた機械のように歩いていたサイトは、夕暮れ道に薄ぼんやりと光る鏡に気がついた。 下を向いて歩いていたサイトは、初めは車かバイクのヘッドライトの明かりかと思った。 足元が急に白く照らされればそう思うだろう。 だがエンジン音も何の音もしない。 海の向こうの故郷、日本で開発されたとかいう新型の電気式自動車だろうか、と顔を上げてみればそこには銀に輝く鏡、というか穴のようなもの。 そう、馬鹿げた話ではあるが、それは空間に穿たれた穴としか思えなかった。 なんか向こうから光が漏れてる、そんな感じから、これは穴だ、とサイトは判断した。(なんだこれ) 空間に穴って、どこでもドアかよ。 いやタイムマシン? て言うかこの明らかに何か出てきそうな門? 扉? の前に居たら俺轢かれるんじゃないか? そう思ったサイトは避けようとする。 まかり間違ってダンプカーとか出てきたら困る。更に間違ってメテオストライクとかちょっとしたどころではない、完全なテロだ。今時分この国はテロに敏感になってるというのに。ああでも、なんか変形ロボとか仮面ライダーとかが出てくるなら轢かれるのも良いかも知れない。光の巨人だったりすると轢き殺したお詫びに融合してくれて、巨大化したり光線出したりして怪獣と戦うことになるかも分からん。でもやっぱりそういうのも正直御免被る。超常現象はもう懲り懲りです。 自分の目の前に現れてくれやがった正体不明の浮遊物を避けようとサイトは斜め前へと身体を進ませる。 もちろん片手を前に出してのジャパニーズチョッピングスタイル「ドウモスミマセーン、トーシテクダサーイ」である。 通勤ラッシュの駅のホームの混雑もこれで回避可能のスペシャルスタイルだ。大和民族の無意識の成せる技である。 そしたら奴さん、あろうことかその身(?)を滑らして進路上に割り込んでくる。 あかん、あかんよ、その行動。我喧嘩売っとんのか。ぶつかられてもしょうがないよね? 覚悟はいいか、俺は出来てる。 衝撃を覚悟したサイトは、しかし何の抵抗もなく、チョッピングスタイルのまま銀の鏡へと突入してしまう。 残されたのは高く澄み渡るアメリカ東海岸マサチューセッツ州の秋の青空と、風に吹き散らされる落ち葉だけであった。 この日、平賀才人は失踪した。◆「……大丈夫?」 なにやら病みつきになりそうな周波数の声が耳に届き、平賀才人の意識は覚醒する。 目を覚ますと先ずは周囲の状況と自分の身体の確認だ。 急に動いて実は断崖のそばだったとかいう状況だと悲惨だ。首に縄がかかっていて動いたら死ねる状況だったりとか。いや場合によっては形振り構わず逃げなくてはならないが、今の所は動かずにいて無事だったのだから、取り敢えずは動かないで居るべきだ。見える範囲には雑草、おそらくは単子葉植物。沙漠ではなくて一安心。 次に身体の状況の確認、神経を研ぎ澄ませるが痛みのある場所はない。……いや、何だか頭痛がする。酷い風邪を引いたような、神経が病んでいるような頭痛だ。うつ伏せに行き倒れているようだが、周囲の土が柔らかかったのか、他には特に痛む場所はない。顔は左向き、左腕は下がった状態で、右腕は伸びている。 そして周辺状況の確認。先程から女の子に話しかけられているようだが……。 油断無く眼球だけを動かして、自分の腹の方へと視線をずらしたサイトの目に入ったのは、灰色のスカートから覗く健康的な二本の太腿と、その間の禁断の純白デルタ地帯。 その向こうは秘密の花園。 男の夢がいっぱいつまっている絶対悩殺空間なのだ。 なんだかんだで歳だけ食ってそういう事に奥手だった、というか色々とそれどころじゃなかった青春時代を過ごしてきたサイト。 一気に首筋から耳たぶまで真っ赤になってしまう。湯気だって出ているだろう。「な、なに見てんのよ!! 変態!!」 女の子は首筋を赤くしたサイトと彼の目線の先にあるものに気づいたのだろう。 健康的な太腿と可愛らしいリボンが付いた純潔を表すかのような白い下着の持ち主は立ち上がると、バックステップ。「せいっ!!」 そして勢いをつけて非常に的確に、爪先をサイトの脇腹にめり込ませた。 しかも表面的な打撃を目的としたものではなく、内臓を抉るように、脇腹着弾後にさらに力が込められた浸透勁のような蹴りであった。横隔膜が押し込まれ、腎臓が歪んでいるのすら知覚できそうだ。「ぐえっ!?」 サイトの身体はうつ伏せのまま、スリスリしたい太腿を持つ天使の蹴りによって、真横に拳二つ分くらい移動した。 どうやらこの可愛らしい声の主は、その声の印象とは裏腹に相当にヤルらしい。 胃の腑の辺りから押し寄せる灼熱感と痛みに喘ぎ、身体を丸めながら、サイトはどこか遠くから自分を眺めるような感覚で思考する。 先程の脇腹へ捻り込むような攻撃は、朦朧としていた彼の意識をはっきりさせた。 いっそ気絶できたら楽なのに、と思うが、内腑の痛みは安易な方法を許してくれそうにない。 苦悶の中、サイトは醜態を晒さないように耐える。 男には、日本男児には、意地があるんじゃー! アメリカに渡って国籍意識が先鋭化したサイトは、軍人だったという祖父のことを思い出しながら苦痛に耐えていた。 その横では、蹴りを放った少女がなにやら会話をしている。「ミスタ・コルベール」 先程の狼藉を全く意に介した様子もなく、屈託ない笑顔で教師に向き直るルイズ。 周囲からは、俺も蹴られてえ、むしろ踏まれたい、罵られてえ、おい誰かさっきの姫の発言録音してねえか、『変態!』発言いただきましたー、100エキュー出しますわ寄越しなさい、とかいう声が聞こえるが、彼女は努めて無視した。「な、なんでしょう、ミス・ヴァリエール」 禿頭の教師は思わずして怯む。 今の彼女にはよく分からない凄みがある! 永劫生きる大メイジにして学院長、オールド・オスマンに負けず劣らぬほどの凄み! 時の試練に耐えたものが発する存在感が! だが実際のところ、ルイズは全く以て混乱していた。 コルベールが感じたよく分からない凄みとは、取りも直さず彼女の混迷した感情の発露に他ならなかった。(え、ええと、どうしようコレ) このまま『コントラクト・サーヴァント』したら、リーヴスラシル刻まれちゃうわよね。リーヴスラシルってことはブリミル以来の快挙になる訳だけど、すごく気になるけど、すっごく気になるけど、でも、それやっちゃうとエルフとの仲が悪くなるわよね? あと、『四の四』が揃うってことは、何かハルケギニアに途轍も無くまずいことが迫ってるんじゃないかしら? というかこの黒髪のオモロ顔は一体何処の誰なのかしら。ああもうジタバタと見苦しい、どうしてくれようかしら。とにかく拷問だ! 拷問に掛けろ! いや違う提督は黙ってろ。そんな事よりお腹が空いたよ。腹ペコビークル乗りも黙れ。脳内会議場は絶賛大混乱中である。 ……仕切り直しが必要ね。こんなに混乱した頭じゃ上手い手は考えつかないわ。「ミスタ・コルベール、私は取り敢えず、この方を何処か寝かせられる場所に連れていこうと思います。何だか苦しそうですし。構いませんね?」 ルイズは監督教員に確認を取る。 苦しいのは君が蹴ったからだろう、という言葉を呑み込んで、コルベールが答える。「む、いやしかし、使い魔召喚の儀は神聖なもの。きちんと契約してもらわねば……」 召喚した使い魔の外見に引いてしまって、契約を拒否する生徒も存在する。 ルイズより以前に使い魔を召喚した生徒の中にも、泣く泣く契約のキスをした(させられた)者が居たはずだ。 ルイズとその使い魔だけを特別扱いすることはできない。 わがままを言うルイズの言葉に一理を認めつつ、コルベールは契約を促そうとする。「そうはいきませんわ。『蜘蛛の糸』!!」 コルベールが行動を起こそうとしたところ、何処からか飛んできた粘着性の魔法の糸によって動きを封じられてしまう。 光り輝くコルベールが、直ぐに粘着糸が飛んできた方向を見れば、金髪ツインテールの幼い少女が彼に杖を向けていた。「な、何をするのです!? ミス・クルデンホルフ!」 コルベールが魔法の行使主を問いただすが、クルデンホルフと呼ばれた10を少し過ぎたくらいの少女は飄々とすっとぼける。「手が滑っただけですわー。お姉さまが『コントラクト・サーヴァント』は後回しにしたいと仰ってるのですから、良いじゃありませんか。お姉さまの唇が何処とも知れない馬の骨に奪われるのもシャクですし」「ええい、いいからこれを解きなさい!」「呼び出された彼がどこかの貴族だったりしたら大変でしょう? あるいは未知の病原菌を持ってるかも知れませんし、迂闊に強引に話を進めるのは宜しくないと思うのですけれど」 一方、コルベールの矛先が金髪ツインテールのクルデンホルフに向いている内に、ルイズは未だに脇腹を押さえてうずくまっている黒髪の被召喚者の下へと向かう。 つかつかと歩み寄るルイズに気がついたサイトは頭を上げる。 ルイズが天使を思わせる笑みを浮かべ、サイトの前に跪くと、彼の顎にその白魚のような華奢な手を添える。 ルイズと見つめ合うサイトは、その聖女のような慈愛に満ちた笑みに完全に心を奪われる。(何て可憐な女の子なんだ……!) だが、まるで何か神聖な洗礼の儀式のようにも見えるその光景は、長続きしなかった。 サイトの顎を掴んでいたルイズは、上体を落し込み、その重心の落下によって生じるエネルギーを、各関節を経て指先まで伝達させる。 各関節で速度に変換されたそれは、十分以上の威力を持って、サイトの顎を揺らす。ルイズの細腕は手首のスナップを効かせられて高速で振り抜かれる。スパン、とシャツが高速で打ち鳴らされる音が同時に響く。 顎の先端を十分すぎる威力で揺らされたサイトは、脳震盪に陥り、身体の自由を失って崩れ落ちる。(畜生、やっぱり訂正だ! この女の子、とんでもねえっ……!!) 闇に沈む意識の中でサイトはそんなことを思った。 ルイズは黒髪のオモロ顔した青年が崩れ落ちたのを確認すると、コルベールの足止めをしていたツインテールの少女に声をかける。 このツインテールの少女は彼女の故郷の隣国の巨大学院からの転校生だ。ルイズの昔からの同級生でもある。 ツインテール少女はトリステイン魔法学院に転校してまでルイズを追い掛けてくる重度のストーカー気質だが、その分、恐らくはルイズの一番の理解者である。「ベアトリス、足止めご苦労さま。この方を運ぶから手伝って。あと、あんたの大伯父の異端教師長に何か情報がないか、聞いておいて」「はぁい、畏まりましたお姉さま。このベアトリス・イヴォンヌ・フォン・カンプリテ・クルデンホルフ、全身全霊でお姉さまのご依頼を叶えますわ!」 ベアトリスは教師コルベールを拘束していた魔法の糸を解除すると、崩れ落ちたサイトの方へと向かい、『レビテーション』の魔法で黒髪の男サイトを浮かせる。「待ちたまえ、ミス・クルデンホルフ!」 制止しようとするコルベールを、ルイズが遮る。「ミスタ・コルベール、何にせよ彼の意識が戻ってからにしなくてはならないと思います。申し訳ありませんが、彼が目覚めるまで使い魔召喚の儀は保留して頂いてもよろしいですか?」「むむ、しかし、例外は認められない」「……ならば別に留年だろうが退学だろうが構いませんわ」 問答はこれで終いとばかりに、ルイズは、黒髪の被召喚者を魔法で浮かせて引きずりながら学院への道を先行しているベアトリスの方へと向かう。「待ちたまえ! ミス・ヴァリエール、ミス・クルデンホルフ! ああ、他の皆は教室に向かっていてください。……こら、待ちなさい、二人とも!」 魔法学院でも学級崩壊は進んでいるということだろうか? 魔法学院に入学するに当たっては、それぞれの実家の大小を気にしないようにという建前があるが、生徒たちは完全にそこから自由になることは出来ないし、家柄の低い教師の言うことを聞かなかったりする生徒も出てくる。 それでもルイズとベアトリスがこうも目立って反抗することは初めてのことであった。 ベテラン教師であるコルベールは流石にすぐに気を取り直して二人の後を追ったが、他の生徒たちは事の成り行きについて行けず、置いてけぼりを喰らってしまった格好である。「人間が召喚されたり、あのヴァリエールが授業を投げたり、珍しいことが続くもんねー」「……ん、そうでもない。人間の召喚は聖人グレゴリオをはじめとして、幾つか例がある」 赤髪の扇情的な美人が呟いた言葉に、青髪ショートカットの幼い少女が答える。 青髪の少女が続けて呟きかけた「私の伯父も含めて」という言葉は発せられることなく呑み込まれた。 それぞれの傍らには毒々しいサラマンダーと立派な風竜が大人しく控えている。「へえ。相変わらず物知りねー、タバサ」「……それほどでも」◆「お姉さまー、お邪魔いたします」「入りなさい、ベアトリス。それで、学術都市シャンリットと連絡はついたかしら?」 学院のルイズの部屋に金髪ツインテールの少女ベアトリスが入ってくる。 ベアトリスの手には何か布に包まれた長いものが握られている。「ええ、お姉さま。学術都市の方のガンダールヴを破棄するとのことですので、お姉さまはその方に『コントラクト・サーヴァント』を」 ドアを後ろでで閉めながら、ベアトリスはルイズの部屋のベッドに寝かされている男を見る。 その視線にはどこか憎々しげなものが込められている。 彼女はルイズに心酔しており、出来ることならば自分が使い魔になりたいくらいなのだ。「なるほど、そうすれば私の方は4人目じゃなくて繰り上がって3人目になる。つまりこの人にはガンダールヴが刻まれるって寸法ね」「ええ、そうなります。あと10分後に、クルデンホルフのシャンリットにて、聖人クローンによってガンダールヴが刻まれた実験体を処分しますので、その後にお姉さまはこの方に『コントラクト・サーヴァント』をお願いいたします」 ルイズもベアトリスに釣られて自分の部屋のベッドの上を見やる。 ベッドの上には昏々と眠り続ける平賀才人22歳の姿があった。「彼は魔法で眠らせていますの?」「ええそうよ、ベアトリス。それと水魔法の『読心』で彼の記憶を覗かせてもらったけれど、曲者ねー。異世界人らしいわよ、そこの彼」 『読心』の魔法とは、対象の記憶を読み取る魔法である。 同系統の魔法には対象に暗示をかけて思い通りに操る『制約』という魔法がある。 『読心』はその応用のようなものだ。「……異世界人?」 ベアトリスはルイズが放った言葉を鸚鵡返しにする。「ハルケギニア星人ではなくて、ドリームランドの者でもなくて、異世界人ですか。それにしては随分人間らしい体つきですけれど」 持っていた長物を机に立てかけながらベアトリスはルイズが座っている場所の向かいあわせに座る。 外は既に双月が昇り始めた宵の口である。 こんな時間になるまでルイズは、異邦人の青年に魔法を使って、彼の脳から記憶を吸い出し続けていたのだ。「ええ、異世界というか、平行世界というか。地球人、アーシアン(Earthian)とでも呼べば良いのかしらね。平賀才人、22歳。まあハルケギニアと地球じゃあ暦が違うから、こっちだと20過ぎくらいかしら」「あら、意外と歳なんですね。もっと若いかと思ってましたが」「彼の人種は幼く見られがちだそうよ。でも、頭脳はずいぶん優秀みたいね。幼いうちから頭角を発揮し、外国の大学へ留学。最近は成績は振るわないみたいだけど、確か、大学の名前は『ミスカトニック大学』とか言ったかしら」「……私とお姉さまの母校、学術都市シャンリットの『ミスカトニック学院』と同じ名前ですね」 ベアトリスの実家であるクルデンホルフ大公家が治める学術都市シャンリットの中枢を占める私立ミスカトニック学院は、千二百年前に開設されたハルケギニア初の私立総合学院である。 ルイズは弱冠12歳でその総合大学を卒業した傑物であり、ベアトリスとはその当時の学生時代からの付き合いである。 ベアトリスはベアトリスで早熟な天才であり、幼い頃からその学院に通っていたが、敬愛するルイズを慕ってトリステイン魔法学院までやって来たのだ。「千年教師長のルーツは案外この彼と同じ世界なのかも知れないわね」 その私立学院を創始したウード・ド・シャンリットという人物は、千年の時を越えて今なお学術都市に君臨する怪物である。 ミスカトニック学院の名前を定めたのも、そのウードという人物である。 彼には、この世界ではないどこかの記憶を持って生まれた、という噂があるのだ。「ありえますわ。『サモン・サーヴァント』で召喚できたということは、何処かでハルケギニアと繋がっているのでしょうし。例えばアトラク=ナクア様の橋の向こうとか」「まあ、そこの彼について、詳しいことは後でレポートを送らせてもらうわ。今はさっさと契約しちゃいましょう」「……キスするんですか?」「まさか」「え、じゃあどうするんです?」「別に粘膜接触ならばキスじゃなくてもいいのよ。それに、使い魔が言うことを聞かないってことがあってもらっちゃ困るからね、従属させるための保険に、ちょっとした手術と魔術を使おうと思って。手伝ってもらえるかしら、ベアトリス」「もちろんです、お姉さま!」「良い返事ね」 そう言うとルイズは指を持ち上げ。 自分の左瞼の隙間に向かって。 ちゅぷり。 おもむろに指を突き入れた――。◆ 翌朝、平賀才人は見知らぬ部屋で目を覚ます事になる。 激動の時代の始まりを告げたのは、異世界でも変わらずに響く鶏の声であった。=================================2010.12.27 初投稿/誤字修正2011.01.19 あとがきを感想板に移動