さて、ウードの妹が生まれてから半年余りが過ぎた。 ちなみに妹の名前はメイリーンと言う。 今頃は父親のフィリップ・ド・シャンリット伯爵がトリステイン王国王都トリスタニアの紋章院に登録に行っている頃だろう。 登録しに行って直ぐに亡くなったら、登録したのが無駄になるから、生まれた年のうちに紋章院に登録すればいいことになっている。 シャンリット家長女の名前は異国の花の名前からとってある。 名に因んだ可憐な少女に育って欲しいという願いが込められている。 恐らくは実際にそうなるだろう。多分。 兄がウードだけれど。 何とか、きっと。花のような可憐な女の子に。 そんな両親の願いが込められている。 ウードが以前に見つけた知能が高そうなゴブリンの集落に対しては、家畜化のために選別を行っている最中である。 気性の荒いモノは間引き、悪食で育ちが早く大人しい性格のモノを残すようにしている。 何を食べさせてもよくて、すぐに殖えて、扱いやすいというのは実験動物として大切なことだからである。 あとは、将来的に魔法を使えるようにする計画なので、脳が大きいものや舌や喉の形が発語に適しているものを優先的に残している。 また、同様のことを他にも幾つか見つけたゴブリンの集落に対しても行っている。 複数の集落から望む形質を持つものを選別し、欲しい形質を濃く持つもの同士を掛け合わせるというのは品種作成に必要なことだ。 今のところ、8つの形質に絞ってそれぞれに特化した血筋を創り上げようとしているところである。 脳が大きい者。手先が器用な者。舌や喉の形が整っている者。気性が大人しく勤勉な者。 食事量に対してよく成長する者。好奇心旺盛な者。病気に強い者。性成熟が早い者。 これらの8つの原原々種から、2つづつを引き継ぐ原々種を作成し、その掛け合わせによって4つの形質を持ちあわせる原種を作り、最終的には特化させた8つの形質全てを受け継ぐように品種を作成する計画である。 今後も品種改良は続ける予定なので、目的とする8形質を持っていないゴブリンたちもむやみに殺したりはしない。 時々は野生種の血を入れないと血統が弱り、奇形や不妊が多くなってしまうのだ。 ここまでは“ゴブリンメイジ化計画”の下準備の段階である。 今後もまだまだ沢山やることがある。 山積である。相変わらず、人手が欲しいと言っている。 そのなかでも、今、一番ウードが力を入れていることは精神作用系の水魔法の習得である。 『スリープクラウド』もウードが最近習得した魔法の一つだ。(水魔法って何なんだろうか……。 一気圧下常温での水を媒介とする魔法行使に特化した系統……って訳でもないみたいだが。 第一、眠らせるイメージでって何なんだ……。 いやまあ、そんな説明で習得できた私も私だが) 『スリープクラウド』が精神作用系なのか、催眠ガスを『錬金』しているような魔法なのかはいまいち分からない所である。 専門家の間でも意見が分かれているらしい。 ウードは使っている個人によってそのどちらかに分かれる、もしくは複合的に作用しているのだと仮説を立てている。 人によっては強力な磁場を局所的に発生させて脳の特定領域の神経活動を誘発もしくは阻害して眠らせる、とかいうパターンもあるかも知れない。 ウードの場合は相手の“脳の活動状態を睡眠時の自分の物と近しく変えるように”イメージして『スリープクラウド』を唱えている。 ……同じ感覚で“死人の脳と同じ状態になるように”イメージして『スリープクラウド』を唱えたらどうなるのかというのは、目下ゴブリンやオーク相手に実験中である。 『スリープクラウド』という名前の即死呪文が出来上がるかも知れない。 魔法はイメージ次第だと言われているが、果たして。 精神作用系の水魔法の中でも、記憶操作系の魔法を早く習得したいので、そのようにイメージして訓練に勤しんでいる。 様々な人の記憶を〈黒糸〉を介して覗ければ、より簡単により多くの知識を集めることが出来るだろう。 これらの精神系の水魔法には禁術の『制約(ギアス)』なども該当するのだが、当然そんな物騒な魔法を6歳児に教えてくれるわけもなく、今は『スリープクラウド』や簡単な診療魔法など、水魔法の初歩を母親のエリーゼから習っているだけだ。 もちろん精神系だけではなくて、水魔法の他の分野にもウードは興味がある。 生物の体や細胞などを更に細かく精査する魔法や、魔法生物の作成もいずれ本格的に学ぶ予定である。 オーク鬼やゴブリン相手に『治癒』と外科的手法を合わせて色々と実験を行っているが、おそらくはキメラ用に特化した魔法の方が効率はいいだろう。 母親のエリーゼは水の国の王家に近しい血筋を引く水魔法のエリートである。 彼女から学べばウードもその水の国5000年の奥義を習得できるかも知れない。 ちなみに、エリーゼは水のトライアングルで、二つ名は“虹彩”というそうだ。“虹彩”といっても別に目の中にあるそれでは無い。 小さい頃から、霧を操って虹を作るのが得意だったらしく、それに因んで付けられたらしい。 多くの水メイジが雨の日を得意とする中で、エリーゼは晴れの日ほど殲滅力が上がると言う珍しい水メイジである。 得意な魔法は、空中に広範囲に浮かべた水滴を操作して、太陽光線を敵に収束させるというオリジナルの魔法。 その名も『集光(ソーラーレイ)』。 名前からは絶対に水魔法とは思えない。詐欺である。実際、炸裂するのは灼熱の白光である。 しかも射程距離が数リーグにも達する対軍規模の魔法であり、状況によっては、その簡素な名前からは想像も出来ない様な威力を出すそうだ。 最大出力でやった際には、竜は焼き落とすわ、フネは燃やすわ、敵兵は甲冑ごと蒸し焼きになるわと、まさに地獄絵図だったそうだ。 古参の傭兵の中には、生でその焦熱地獄を見たことある者も居るらしく、『“虹彩”とは敵対するな』とはその筋では有名らしい。 遠目で見るには、上空に巨大な円環状の虹が見えて綺麗らしいのだが、実は虹が見える場所は全て射程内なのである。 まあ、この魔法、本気の戦闘出力で使うには並外れた精神集中と、かなり開けたスペースが必要なため、攻城戦や籠城戦、平原での会戦開始直後など全力全開に出来るシチュエーションが限られるのが僅かな救いだろうか。 最大出力を長時間維持するには無風の環境か、それに近い状況を風メイジたちに作り出させる必要があるし、使っている本人は無防備になるので絶対無敵というわけでもない。 あとは、この魔法には広範囲の水滴を把握し操作するために飛び抜けた認識力とセンス、トライアングル以上の実力が必要だから、現状ではシャンリット家に嫁いだエリーゼしか使える者はいないらしい。 彼女の息子のウードには水の才能は遺伝しなかったようだが、娘のメイリーンにはそれが遺伝したのかしなかったのだろうか……。 もしも“虹彩”の後継者が現れるなら、シャンリットの地は暫くは安泰だろう。 この魔法『集光』の維持には精々水滴を浮かべておくくらいの力しか使わないので、適性があって集中力さえ続けば、太陽が出ている限りは攻撃を続けることが出来る。 威力の割には非常にコストパフォーマンスに優れた魔法と言えるだろう。 まあ普通はその集中力が続かないのだが。 考えても見て欲しい。 上空数百メイルまでに数万とも数億ともつかない水滴を浮かべ、その形状を操作し位置を制御するなんて人間業ではない。 正気の沙汰とも思えない。化物だ、と言わざるをえない。 しかし、ウードが『ディテクトマジック』をわずか一年で超々微細領域感知魔法に磨きあげられたのは、母親のエリーゼから認識力やセンスが遺伝したおかげかも知れない。 何せ、原子単位で『錬金』を制御しようと思ったら、その操作する原子数は数億では効かないのだ。 たかだか1リーブルの〈黒糸〉を作るにしても10の26乗以上もの数の原子を制御しなくてはならない。 ウードも大概に化物である。 自分は安全圏にいて攻撃しようって発想も、親譲りなのかも知れない。 だが、母親のエリーゼは戦略級の遠距離攻撃使いでも父親のフィリップは近接メインのメイジなので、流石にそこまで遺伝に原因を求めるのは間違っているだろう。 戦場に出たエリーゼの護衛をしたのが父であるフィリップだとか。 さて、話を戻すが、水魔法の他にも文献によると獣人の得意とする先住魔法にも精神操作系の魔法はあるのだという。 獣人の先住魔法では、人格の植え付けすらも可能だそうだ。 もしも獣人と合う機会があれば、彼らに人格植え付け魔法やその他精神系の魔法のコツを聞いてみるのも良いだろう。 まあ獣人なんてそうそう見つかるものではないし、彼らが教えてくれるとは思えないが。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 4.著作権? ナニソレ美味しいの? 関係無いが蜘蛛は豊穣のシンボルらしい◆ 一通りエリーゼから水魔法について習った結果、記憶を覗く魔法はあるらしいのだが、トライアングル以上の実力が無いと使えないとされていることが判明し、ウードは落胆した。 ウードの『錬金』で金を作ることが出来たという例があるから一概にトライアングルでないと使用できないとは言えない。 とはいえ、『錬金』の場合と違って前世知識は通用しそうに無いのでウード自身も期待薄だとは思っている。 倫理上の問題から、記憶を覗く『読心』という魔法は当然のごとく禁呪指定である。 拷問吏の一族には代々受け継がれているらしいが、普通の水メイジはそういう魔法が存在している事実くらいしか知らないはずだ。「因みに、母上は『読心』を使えるのですか?」「うふふ、まあね。でも、秘密にしておいてね? あなたが水のトライアングルになったら使い方を教えてあげても良いけど」「おぉ! 頑張ります」 張り切るウード。ウードの場合、水は土に比べて適性面で劣るが、目標があれば上達は早いだろう。 意味深げに笑うエリーゼ。何か面白いことを思いついたようである。「……でも、悪用しそうだから『集光』5発を凌いだらってことにしとくわ」「……母上、実は教える気無いでしょう。『集光』は終わりが無い広域殲滅魔法だと父上から聞いていますよ。それを5発も耐え切れる訳無いでしょう」「あら、じゃあ1発なら耐えられるのかしら?」 ウードは少し考える。天から降り注ぐ光の柱。それを凌いで相手に一撃入れるにはどうするか。 有効なのは鏡だろうか? あとは勝負の条件。距離や罠、開けた場所かどうか。「……それは距離によると思います。遠距離では絶望的です。 近距離なら鏡の盾を作って盲滅法に撃てば或いはこちらが死ぬ前に……」「あら、随分な自信じゃないの。秘策でもありそうね」「いえ、自信なんてありません。黒焦げになった自分しか想像できません」 むしろ焦げる前に蒸発する。対軍規模の魔法の威力を一点に集中したらどうなるだろうか。 彼は上空の虹の輪から放たれた細い光の筋が、彼自身が掲げた鏡の盾ごと両断する様を幻視した。 エリーゼは公爵令嬢だったのだと父親のフィリップが言っていたのをウードは思い出した。 水の国「トリステイン」の公爵家という事は、当然ながら水系統の魔法には明るいだろうし、自身の配下にそういったことを生業にする一族がいてもおかしくは無い。 恐らく、ウードが『集光』を凌ぎきれば実際に『読心』を教えてくれるだろう。「ふふ、まあ、精進なさい。『読心』の他にも覚えるべき水魔法は沢山あるでしょうから」「はい。頑張ります」 一応、エリーゼから水系統を教えてもらった成果として、ウードは『スリープクラウド』の他にも『治癒』の応用の『活性』といった魔法を習得している。 『活性』は植物や動物の成長促進に使われる魔法だ。 とはいえ、ドットでは精々、蕾を咲かせるくらいが関の山である。 『活性』は出力か持続時間が上がれば、農業革命どころではない魔法である。日本の昔話、“花咲爺さん”の真似事が出来るようになる。 それを何故誰も利用しないのか? 労力の割に採算が取れないマイナーな魔法であるということも原因としてあげられる。 だが、最も大きな原因はこの魔法の副作用にある。 成長を活性化させるが、それに伴う栄養摂取は高速化される訳ではないのだ。 その為、例えばこの魔法を使って麦を高速成長させた場合、途中で栄養不足で枯死するか、実が出来てもスカスカの売り物にならないものになってしまうのだ。 他にも植物の急成長によって土地の力が急激に失われるとか、そういう副作用もあるようだ。 考え事をしながら、エリーゼの部屋を辞し、庭の片隅にある研究小屋を目指す。 最近は地下室の増築にも力を入れつつある。 ウード本人としては研究室というよりも秘密基地のつもりで楽しんで作っている。 標本や本の量が多くなりすぎているという切実なスペース問題もあるのだが。(精神系やキメラ作成などに関わる魔法は、魔法の運用を工夫してもラインにならないと難しいかもしれない。 母上や他の水メイジからも話を聞いて、イメージを固めて行こう) 研究を進めるにしても、やはりランクの低さがネックになってくるか、とウードは自身の魔法の一層の向上を決意する。 水魔法については、しばらくは診察用の魔法に磨きをかけていくしかないだろう。 細胞内の小器官の働きや、遺伝子の発現、ウィルスなどまで視えるくらいに鍛えれば、新たなアプローチの魔法を思いつくかも知れない。 ちなみに『集光』もエリーゼから教えてもらったが無理だったようだ。〈黒糸〉をうまく使って似たようなことは出来るかも知れないが。(今のランクで記憶を読む魔法は使えないから、ランクの低さを補うマジックアイテムを買うか作るかしないといけないな、やはり) しかし、ランクを上げるマジックアイテムの作り方等これまで読んだ本には書いてなかったし、そもそもそんなものがあれば、もっと普及しているはずである。 研究室の扉を開き、中に入ると、数々の標本群がウードを迎える。 アルコールやホルマリンの独特の臭気がする。 『固定化』で蒸発を抑えているが、それでも臭うものは臭うのだ。(それとも脳改造して無理やりランクを上げるか……。いや、これは最後の手段だな) 実行するにしても、ゴブリンを使った動物実験とその経過観察が必要だろう。 少なくとも数年では技術確立は無理だろうし、その間にウードのメイジとしてのランクも自然に上がるかも知れない。 正攻法が取れるときは、正攻法で行うのが一番だ。 標本の様子を見ながら『固定化』の掛け直しが必要なモノがないか確認しながら、埃を払っていく。 しかし、『錬金』の魔法と同様に、精神系の魔法も発想の転換で使えるようになりそうなものではある。 原子の概念は前世の記憶からイメージ付きやすいが、精神とか知性となると上手くイメージが沸かないので望み薄だが。 地道にこちらの魔法の概念を覚えつつ、身につけるしか無いのだろう。なんとももどかしい話だ、とウードは思う。 実は記憶を読むマジックアイテムについては一応あてがあるのだが。 これは散々言っている人手不足を解決することのできるアイテムでもある。 つまり、スキルニルである。 血を吸った相手に化けるこのマジックアイテムは、その性質上、記憶や人格の転写を行える。 それも使用者が魔法を使うことなしにである。このメカニズムを解明すれば、簡単に人の記憶を手にいれることができるだろう。 また、ウード自身やあるいは誰か優秀な者の血をスキルニルに吸わせれば、人手も簡単に増やせる。 どの道、そのスキルニルを見つけるための伝手もなければ、お金もないのだが。 魔法学院の宝物庫にはあるようだが、流石にウードも王家のものを盗むほどには覚悟は決まっていない。 ウードは古くなったり壊れたりして屋敷で使わなくなったマジックアイテムを分解した際のガラクタ類を整理しながら、まだ見ぬ幾多のマジックアイテムに想いを馳せる。(うーむ、一先ずは地道な鍛錬と勉強しかないか。 取り敢えず、王都の図書館の蔵書を読むための遠隔地情報収集用ゴーレムを作るくらいはしておくか。 王都まで〈黒糸〉を伸ばしたものの、領内の地図作成や亜人・幻獣の秘密裏な討伐や蒐集などをしていたから、結局手をつけてなかったんだよな) ゴーレムは人に似せた質感で作って怪しまれないようにすることが可能になっている。 自律行動可能なガーゴイルにすることは未だ出来ないため、〈黒糸〉での有線操作の形になる。 ゴーレムの視界を介して本を読むことは、ごく近い距離では可能だということが分かっている。 無意識に軽い『遠見』の魔法をゴーレム作成の魔法に組み込んでいるようだ。 研究小屋の書庫も少しずつ充実し始めている。 だが、まだまだ専門書の類は少なく、基礎的なものしか無い。(まず読まなきゃならないのは、スキルニルなどのマジックアイテム作製技術かな。 農作物などの品種改良のために魔法生物作成技術なんかも読みたい。あと記憶操作系の水魔法とか。これは禁書庫だろうか?)◆ ……と思って私は早速その日の晩に王都の図書館にゴーレムを侵入させて書物を読ませたのだが、全く内容が頭に入ってこなかった。 〈黒糸〉は王都の図書館の内部まで伸ばしているから、図書館内で〈黒糸〉を起点にゴーレムを生成。〈黒糸〉を介した有線操作でゴーレムを動かし、本を選ばせて、『遠見』の魔法でページを見たのだが、ゴーレムの遠隔操作と周辺の警戒に意識を割きすぎて、本を読む事に集中できなかったのだ。 やはり本は手元で読むものに限る。 ということは、つまり、ゴーレムが見た景色を元に本をまるごと手元に複製して、後で読めば良いのではなかろうか。 うむ、そうしよう。著作権など知ったことか。 そんな概念はこの世界には無い。 どの道、手元に資料があった方が研究ははかどるのだし。 因みに、図書館の本を読む時に『念動』で開き、〈黒糸〉をページの上に持って行って『遠見』を発動させても、ゴーレムを操るのと同じ効果があるが、人に似せていた方が怪しまれずに済むだろうという配慮からゴーレムを使っている。 夜中に知らない人が本を読んでいるのと、本が一人でに浮いてページが捲れていくのとではどちらがホラーだろうか。 実際はページをめくる度に『レビテーション』や『念動』を細かい操作で発動させるより、ゴーレムを維持し続けた方が楽なのでゴーレムを使っているだけなのだが。 本の複写方法としては『遠見』の魔法でゴーレムが見た景色を投影し、それをこちらで焼き付ければイケるはず……と、まあ要するに写真だな。 まずは転写用の印画紙が必要だな。ベースとなるフィルムと感光剤は恐らく『錬金』で作れるだろう。 印画紙、というかインクや感光剤の研究が必要だな。 まあ、酸化銀系から開発するか。銀の『錬金』は難しいが、極微量なら大丈夫だろう。 ジアゾ化合物系は未だ自信ないし。 最終的にはフルカラーにしたいがまずはモノクロでいいだろう。 『遠見』と『錬金』なら今の私のレベルでもなんとかなりそうであるし……、うむ、いけそうだ。 風魔法の素質が乏しいから『遠見』ではあまり遠くまで見えないのではないかという心配は、発動体である杖自体を伸ばすという暴挙により解決済みである。 〈黒糸〉付近なら問題なく『遠見』で見ることが出来る。 有線式の『遠見』を、果たして『遠見』と呼んでいいのか疑問ではあるが。 さて、一応、写本を行うプロセスとしては、次のようなものだろうか。準備:「複写・製本作業用の暗室を自宅の地下などに作る」「図書館の床に伸ばした〈黒糸〉から本をめくるゴーレムを創りだす」「シャンリットの屋敷の地下の暗室内に作業用のゴーレムを作る」「大量の印画紙を暗室内に『錬金』で作成しておく」「暗室内に図書館の景色を『遠見』の魔法で投影する仕組みを作る」作業手順:「王立図書館のゴーレムにページを捲らせる」 ↓「ゴーレムを通じて『遠見』の魔法でページを暗室に映す」 ↓「用意した印画紙に、映った模様を転写する」 ↓「転写されたら、映像を何かで遮り、その間に印画紙を交換する」 ↓「工程繰り返し」後始末:「転写された印画紙は暗室から出す前に『固定化』をかける」「読み取った本を一冊分ごとに製本して、別に屋敷の地下に作った書庫に内容ごとに分類して並べる」 ふむ、これなら『遠見』の魔法じゃなくても、光ファイバーで映像を映せば十分かもしれないな。 どうせゴーレムは有線操作なのだし光ファイバーを既存の〈黒糸〉の上に追加するくらい出来るだろう。 いや、どうしても映像がぼけるだろうから『遠見』の魔法の方が確実か? まあ、いい。試行錯誤と実験だ!!◆ 最近、私の息子ことウードはゴーレムの操作に熱心だ。 少し前まではガラス作りに熱心で、プリズムとかいう三角の棒で虹を作ったり、老いて目が悪くなった執事にメガネを自作してやったりしていた。 私も“晶壁”の二つ名を持つメイジだから、ウードから度々助言を求められた。 今は種類の違う水晶を入れ子構造にして遠くの光を届ける管、確か“光ファイバー”とか言っていたが、そういったものも作っているようだ。 これがあれば伝声管で声を伝えるように、遠くの景色を好きな場所に伝えられるようになるらしい。 ……『遠見』の魔法との違いがわからないが。 我が妻のエリーゼにも助言を求めていて、光を操るコツを聞いていたようだ。……『集光』の魔法を覚えるつもりなのだろうか。 その一月程前は、真っ暗な部屋の中で秘薬作りをしていた。手を真っ黒にしていたが、インクでも作っていたのかもしれない。 今は人間そっくりのゴーレムを作っては、召使いにさせるかのごとく、自分の身の周りの世話をさせている。 元からの使用人がいるからそんなものは必要ないと言っても、魔法の練習なのだからと押し通されてしまった。 ……私が息子に対して甘いという事実もある。まあ、使用人たちもあの庭の片隅の研究小屋“洞窟(グロッタ)”に入らなくて済むようになったから助かっているようだ。 まあ、一ヶ月もしないうちに、また別のことを始めるだろうから、使用人たちには気にしないように言っておいた。 使用人たちももう慣れたもので、「また坊ちゃんの実験ですか」と言った風情であった。 大体、一ヶ月から二ヶ月単位でウードは異なる実験というか奇行を繰り返している。 かなり飽きっぽいのかもしれない。 今も人型のゴーレムを操っているかと思えば、全く別の奇妙な形のゴーレムを作ったりもしている。 机から腕が生えたようなゴーレムで、机の上のものを腕で掴んで位置をずらしたりしている。 腕フェチなのだろうか? それにあんな限定された動作しかできないものなど使えないと思うのだが、息子によると、もとから一定の動作しかさせないつもりだから、この形の方が精神力の節約になる、ということらしい。 まあ、奇行は多少目立つものの、それも天才ゆえの行動なのだろう。そう思うことにしている、精神衛生上。 この間など、ウードの部屋に入ったときは驚かされたものだ。 そこには一流の画家でも書けないだろうという位に精密な風景画や、妻や娘のメイリーンなどを描いた人物画が沢山、無造作に積み重ねられていたのだ。 いつの間に絵画の勉強をしたのかと問うてみたところ、どうやらそれは絵画ではないようだ。 写真と言って、カメラと言う箱の中に映された風景を印画紙というマジックアイテムに『固定化』したものだそうだ。 時々なにか箱を持ってこちらを覗いていると思ったら、それだったらしい。 もちろん、妻やメイリーンの写真は譲ってもらった。また、その後にそのカメラで全員の写真を撮った。 これは素晴らしい。家族の写真は今も額に入れて飾ってある。 これからもじゃんじゃん撮るように言ったが、返答はつれないものだった。「じゃあ父上が撮って下さい。使い方を教えますし、印画紙が無くなったら言っていただければ作りますし」 ということで、カメラと印画紙を譲ってもらった。 どうやら既にカメラには飽きてしまった後だったらしい。 撮ったあとなら『固定化』を掛けるだけなので、それくらいなら私にも出来る。印画紙の『錬金』は教えてもらえなかったので出来ないが。 それに、ウードの写真が無いのはどうも寂しかったところだ。 これからはウードの写真も撮って、思い出を増やしていこうと思う。 これだけでは父親として情けないので、カメラの代わりに何かしてやれることはないかと言ってみたところ、マジックアイテムの作り方を本格的に習いたいので、誰か紹介してくれないかということだった。 また、ゴーレムを扱う際のコツについても助言して欲しいそうだ。 それと、王都に行く時は、図書館や書店に行きたいから是非連れていって欲しいと言ってきた。出入りの商人に小遣いの範囲で本を頼んでいるのは知っていたが、それだけではウードの好奇心を満たすには足りないらしい。 私の友人でマジックアイテムの作成に長けた者も、今は王都にいるので丁度いいだろう。 ゴーレム操作については、私からも教えるが、その友人からも助言してもらうように伝えよう。 それではすぐに友人に手紙を書いて連絡をとるとしよう。息子のことも、このカメラも自慢したいしな。◆ 父上の使い魔は巨大な蜘蛛である。 全長2メイル程の黒い蜘蛛(ブラックウィドウ)で、屋敷の壁に張り付いて日向ぼっこしている姿をよく見かける。 緑と金色の縞模様の腹が、毒々しくて印象的だ。 名前は『ノワール』。黒いからクロって安直な……。 この種類は普通は深い森にいるので日光は避けるはずなのだが、使い魔になったことで太陽光も平気になったのだろうか。 私は何故か、こう曰く言いがたいのだが、惹かれるものがあって、ノワールを見かけたら近づいて触るようにしている。 腹に生えたビロードのような産毛の手触りがなんとも心地いい。 大顎と八つの目の凶悪な面構えも何故か愛らしく思えるから不思議なものだ。 それに何故か、傍に居るととても安心するのだ。 餌は週に一度ほど、生きた鳥を食わせているらしい。 野生の状態ではそこまで頻繁に食べなくともいいそうだ。 栄養状態がいいからか、野生種の倍くらいの大きさになっている。 もう十年近く使い魔として過ごしているそうだ。 ……実は野生のブラックウィドウとは違う種類なのかもしれない。 一緒に南側の庭で日向ぼっこしながら、ノワールの腹とかを撫でているとうつらうつらしてくる。 そうしていると決まって、夢うつつの中でノワールが私に話しかけてくる。 夢の中だからか、不思議なことに、なんとなくだが、こいつの言いたいことが分かる。 ノワールの本名が『◯jgだいkj』(発音不能、彼らの言葉で“つややかな”という意味らしい)だということとか。 シャンリットとアtらchなcha様との古い古い盟約に従い蜘蛛の眷属はシャンリットの地(血?)を守るために守護を与えているとか。 シャンリットの者に呼び出されたのは良いものの我らの主神たるアtらchなcha様への感謝を忘れており非常に憤慨しているとか。 日向ぼっこも案外悪くないとか。 お前からは懐かしい匂いがするとか。 もっと撫でてくれとか。 この毛並みは自慢なのだとか、何とか。 話している内容の9割は毛並み自慢だったが、なんか聞き逃せ無いことも言っていたように思う。 どうせ夢のなかの話だけど。起きたら殆ど憶えていないけど。 こいつの横にいると、まるで母の胎内に居るかのような、安心感を感じる。 いや、もっと前? 胎内に居た時よりももっと? 生まれる前? 死んだ後? 前世で死んだ後、ここに生まれる前。 果てしない落下の最中に、私は何に遭ったのだったか。 深淵の谷。 蜘蛛の糸。 赤い瞳。 アtらchなcha?「……ハッ!?」 どうやらまた、ノワールの横で眠ってしまっていたらしい。 全く、凄まじい癒し系だな、こいつ。 夢の中までノワールが出てくるとは、ひょっとして惚れてしまったのかも分かもしれない。 すべすべの毛並みとこのプヨプヨした腹には惚れても仕方ないと思う。 普段はあまり昼寝中の夢の内容なんか覚えてはいないが、今回は珍しいことに一つだけ覚えていた。 アtらchなcha。アトラクナチャ。アトラク=ナクア。アトラナート。 ……何で、前世のコズミックホラーの蜘蛛の神性の名前が出てくるのだろう? フィクションじゃなかったのだろうか、あれは。 いや。この世界(ファンタジー)ならあり得るのか……? ご先祖様の日記をもう一度読み返してみよう。 何か書いてあるかも知れない。================================================クトゥルフ神話的に日記って死亡フラグですよね。まあ、ウード君はデフォルトでSAN値ゼロ近辺ですけど。2010.07.18 初出2010.07.21 誤字修正2010.09.26 色々修正、追記