「皆さん、春の使い魔召喚の儀式、お疲れさまでした。全員無事に使い魔を召喚し、一人も欠けることなく進級できたことを嬉しく思います」 教室に入ってきた福々しい女性はミセス・シュヴルーズと言うらしい。 年の頃は四十を過ぎたくらいだろうか。 紺色のローブに魔女帽子という如何にもな格好をしている。手に持っているのは、天体儀のようなもののようだ。「ミス・クルデンホルフ、ミス・ヴァリエール、お久しぶりです、ミスカトニック学院でもこちらの魔法学院でもあなた方のような優秀な生徒を持てることを嬉しく思います。 おや、ミス・ヴァリエール、その左目はどうしました? 怪我ですか?」「目の乞食(モノモライ)です、ミセス・シュヴルーズ」 嘘だ。「あらあら。保健教員に診てもらわなくても大丈夫ですか?」「問題ありません」「ではでは、使い魔の契約は終わっていますか? ミスタ・コルベールからの報告ではまだ『コントラクト・サーヴァント』は行っていないとか。隣の方が使い魔として呼び出された方ですか?」「そうです。サイト、左手を」 ルイズの呼びかけに応えるようにサイトの左手が跳ね挙がる。「確かにルーンは刻まれていますね。結構です。では授業を始めましょう」 サイトの左手甲に刻まれているルーン文字を見て、シュヴルーズは納得する。 一方サイトは若干困惑していた。(今、俺が左手を挙げようと思うよりも、一瞬“早く”、挙がらなかったか……?)「私は『あかつち』のシュヴルーズ。 担当授業は“大地と天体の運行を魔法的に利用する方法”です。こちらの学院に来る前は暦法と天文学を専攻していました」 サイトが挙げた左手を下ろして不思議そうにしている間にも授業は進んでいく。「まずは基本的な事項の確認から行きましょう。私は今年赴任したばかりですので、皆さんの知識との摺り合わせが必要です」「はい」「皆さんが利用している暦についてですが、一年、一ヶ月、一週間、一日はそれぞれが天体の周期に関係しているのを知っていますか。では、えーと、ミスタ・グランドプレ、それぞれが何の周期に拠っているか分かりますか?」「はい」 グランドプレ、と呼ばれた金髪のこれまたふくよか気な、ポッチャリ系の生徒が立ち上がり、それに答える。「それぞれ、太陽が再び冬至の高さに戻るまでの周期、紅月が新月に戻るまでの周期、蒼月が新月に戻るまでの周期の半分の周期、太陽が再び昇るまでの周期を一つの単位にしています」「良く出来ました。予習は完璧のようですね。一年は十二ヶ月、一ヶ月は四週間、一週間は八日で出来ています。ああ、着席して結構ですよ、ミスタ・グランドプレ」 ポッチャリ系のグランドプレが席に付くのを見届けると、シュヴルーズは話を続ける。 手に持ってきた天体儀を高く浮かせて、分かりやすいようにクルクルと回して示しながら解説をする。「つまり、我々のこの大地は一日かけて一回転自転します。これが一日ですね。 蒼月が大地の周りを一周するのにかかるのが二週間。不思議なことにこれはハルケギニアの大地の一日のちょうど16倍となっています。 紅月が大地の周りを一周するのにかかる時間が一ヶ月。これも不思議なことに蒼月のちょうど二倍ですね。 太陽の周りをこの大地が一周するのが、大地の自転のちょうど384倍となっています」 と解説したところで、怖ず怖ずとひとりの生徒が手を挙げる。「あら、ミスタ? 質問ですか?」「ミセス・シュヴルーズ。その天体儀を見させて頂いたところ、このハルケギニアも双月と同じく球体で表されていますが、それは一体どういう根拠で?」 利発そうな少年は、怖ず怖ずと、しかし心中に横たわる侮蔑の色を滲ませながら、小馬鹿にした様子でそのように発言した。 シュヴルーズのこめかみに青筋が走る。 ビシリ、と固まる空気。「……。つかぬことを伺いますが、ミス・クルデンホルフ」「は、はひ! ミセス・シュヴルーズ」「ひょっとして、トリステインでは未だに天動説や大地盤状説が主流で?」「そ、そのとおりですわ」 怯えながらベアトリスがシュヴルーズの質問に答える。 はあ、と溜息をついて、シュヴルーズは「あのクソジジイ厄介ごと押し付けやがってからに。もうこっちで家も買っちまったぞ」と呟いて(耳の良い風メイジの何人かはそのどす黒い声を聞いて震え上がった)質問した男子生徒に向き直ると、イイ笑顔で発言する。「その質問に完膚なきまでにお答えするには少し教材が足りませんが……。そうですね、大地と天体の力の一端をご覧に入れましょう。何、簡単なコモンマジックですよ。慣性制御術式のちょっとした応用です」「は、はあ……」 シュヴルーズの笑顔に冷や汗を流す男子生徒。 懐からカード状のマジックアイテムを取り出すと学院校舎から離れた草原(召喚の儀を行った場所だ)を指し示す。「ミス・クルデンホルフ、あの辺りに鉄のゴーレムを100体ほど作れますか? ただの人形でかまいませんので」「……はい、わかりましたわ」 ベアトリスもシュヴルーズと同じように懐からカード状のマジックアイテムを取り出すと、その表面を撫でる。どこかその動作には諦観が滲み出している。 ベアトリスのカードの上に文字列、選択肢とカーソルらしきものが現れる。彼女はその無数の選択肢の中から『ゴーレム生成』の魔法を選択し、魔法発動のトリガーを唱える。「『クリエイト・ゴーレム』!」 詠唱と同時に200メイルほど離れた草原上に、騎士鎧の一群が現れる。 どうやらベアトリスの持つカード型アイテムは魔法使用を補助あるいは肩代わりするもののようだ。 いつの間にか窓際に寄っていたシュヴルーズは、窓を開けて、カード型のアイテム、ではなく、自前の魔法の杖を振るう。 そのシュヴルーズの杖の動きに呼応するように窓の下の土が一握の砂となって、草原に林立する騎士人形の間へと向かう。 シュヴルーズが操る砂塵は鎧騎士人形の間に漂うように滞留する。「ミス・ヴァリエール、今から私、『あかつち』の魔法を使おうと思いますので、魔法学院への被害が出ないように衝撃波の防御をお願いできますか?」「あの、ミセス、何もそこまでムキにならなくとも……」「ミス・ヴァリエール、二度は言いませんよ」「い、イエス、マム!」 顔色を失ったルイズは渋々といった様子で、シュヴルーズやベアトリスと同じようなカード状のアイテムを取り出して魔法を使う。 使うのは風の障壁を作り出す魔法だ。ただしその規模は学院をすっぽり包むほどの大規模なものだ。 同じ机に座るベアトリスは同じく憔悴した顔でIDカード型アイテムを通じてどこかに連絡をとっている。「空中触手竜騎士(ルフト・フゥラー・リッター)、衝撃波に注意せよ」。その連絡が終わると「手伝いますわ」と言って、ルイズと同じように風の障壁を巡らせる。「ミセス・シュヴルーズ、障壁展開しました」「ありがとうございます、ミス・ヴァリエール」 シュヴルーズは教室中の生徒を窓際まで呼び寄せる。「では今から私の得意魔法をお見せしましょう。大地が動いていることを利用した魔法です。今から二十年前にクルデンホルフに攻め寄せた聖戦軍を私が殲滅し、その功績でシュヴァリエの位を賜る所以ともなった魔法です。 このカード型アイテムは本来は学術都市の中でしか使えないのですが、シュヴァリエ受勲者には特別に国外でも一部の機能が解放されます。ミス・ヴァリエールもミス・クルデンホルフも持っていますよね」 生徒たちの間からは、前聖戦の軍人?、親父から聞いたことある血濡れで赤熱の『赤つ地』には気をつけろって、いやいやそんな風にはとても見えないよ偶然の一致じゃ、などという囁きが漏れている。 自分の言葉が染み渡ったのを確認すると、シュヴルーズは窓を閉めて、カード型のアイテムを掲げる。「魔法の名前は『ポイントロック(座標固定)』なのですが、特に私が用いるものは『赤槌(あかつち)』の魔法と呼ばれています。皆さん、結構大きな音がしますから使い魔の制御を手放さないように気をつけてくださいね」◆◇◆「オールド・オスマン、何をされているのです?」「ん~? 覗きじゃよ、覗き」「趣味悪いですね。王国法違反では?」「ここではワシがルールじゃよー」 トリステイン魔法学院の学院長室にて、学院長オールド・オスマンと、その秘書ミス・ロングビルが会話をしている。 老齢にしては長身のオスマンは、白髪長髪長髭と、老賢人の典型例のよう風貌をしている。 男魔法使いのイメージを挙げれば、十中十は合致するであろう風貌である。 彼は今、『遠見の鏡』というマジックアイテムによって学院の授業を覗き見していた。その先が女子寮だとか女子更衣室でないだけマシになったものである。 ミス・ロングビルは赤い長髪を結い上げ、理知的な印象をあたえる鋭角なメガネを掛けている若い女性である。 キャリアウーマンのステレオタイプを思い浮かべてもらえば良いだろう。 いかにも仕事が出来る女という風貌だ。 オールド・オスマンの秘書をやっている女性である。 ――彼が学院長に着任した約五十年前からずっと。 この二人のコンビは、五十年経っても全くその風貌が変わっていないのだ。「それに授業の監督も仕事の一環じゃて」「確かにそうですが……。そもそも『遠見の鏡』の設置目的はそうだったんでしょうし」「年寄りには授業視察のためにあちこち移動するのも辛いからのお。動かずに離れた場所を見れるこの魔道具は重宝しておるわい」「……絶対に女子学生にこの『鏡』の存在を知られるわけにはいきませんね」「何故じゃ? 別に疚しいことはしておらんぞ。それにお主が設定を弄って個室やらトイレやらは見れないようにしとるじゃろ?」「アンタの性格と普段の言動を省みやがれ。“覗かれるかもしれない”って疑惑だけで、被害妄想をもとにして親御が怒鳴りこんでくるのが目に見えてるだろうが」「君、君。口調、口調。素が出とるよ」「……コホン。今の生徒たちの親は、丁度オールド・オスマンが着任した当初の生徒たちです。学院長のエロスへ掛ける情熱を眼の前で見た世代です。絶対に知られる訳にはいきません」「ふむ、まあ、一理あるかのう」 話をする間にもミス・ロングビルの手元にあった書類の山は減っていく。 オールド・オスマンの秘書とはいえ、学院で一番の古株でもあるため、実際は実務方の決裁権限も与えられている。 教頭代理くらいの権限である。教頭が空位なので、実質的には彼女が教頭であるが。「オールド・オスマン、こちらの書類が、学院長の決裁が必要なものになります」「うむ、ご苦労」「それと」 ロングビルがオスマンに学院長権限の決裁が必要な案件を回す。 だが、それとは別件で伝えなくてはいけないことがあるようだ。 彼女は少し間を開けてオスマンに告げる。「学院長決裁の案件ではありませんが、ミス・ヴァリエールに関して幾つか案件がありましたので報告します」「うむ。監視を頼んでおった、虚無を受け継ぐ娘についてじゃな」「はい、そうです。虚無遣いの彼女が学院のメイドを一人身請け、というか個人的に雇いました。これについてはメイドもその上司も合意の上なので特に問題ありません。使い魔の青年――地球人(アーシアン)、ヒラガ・サイト――を従者、そのメイド――タルブ村のシエスタ――を侍女にするつもりのようです」「従者に侍女、とな。確かにミス・ヴァリエールは遺跡発掘だかなんだかでクルデンホルフ大公国からの騎士爵位(シュバリエ)を持っておるから、従者を雇うのは有りうる話じゃが、何故このタイミングで?」「推測になりますが」「構わん」「そのメイドに、使い魔の青年の夜伽をさせるためではないかと。使い魔が主人に欲情して暴行、など、笑い話にもなりませんし、どうしても生理的に性欲の発散は必要でしょうし。ヒラガ・サイトとシエスタは黒髪黒瞳など似たような特徴を持っていますから、そこから彼女を選んで身請けしたのではないかと」「……16歳の子女がそこまで気を回すかのう? 流石に考えすぎじゃないかね。理屈は通っとるが、下衆の勘ぐりに過ぎるじゃろう」「……そうですね。どうも私もオールド・オスマンに思考を毒されていたようです」「うわぁお、遠まわしに“エロジジイ”って罵倒されとる、ワシ?」「気のせいです」 軽口をたたきながらも、オスマンは書類を『念力』の魔法で手を触れずに捲って、同時にサインを施していく。 その流れが止まる。「あ」 オスマンは〈遠見の鏡〉を凝視している。 ザッピングして様々な教室の光景を見ているうちに、二年生の件の虚無遣いルイズが受けている授業の映像に切り替わったのだ。「どうされました? 外を裸の王女が飛んでるとか言ったらぶち殺しますよ?」「いやいや、違う違う。――ミセス・シュヴルーズが切れおった。『赤槌』の魔法を使うつもりじゃ。あの女、短気でならんわい。念のため障壁を展開してくれい」 オスマンの言葉を受けたロングビルは、学院を衝撃から守るための風の障壁を作り上げる。 ルイズとベアトリスが作り上げた障壁のさらに内側に、学院の建物に被害が出ないように。「ちゃんとミセス・シュヴルーズには労働条件などについて話していたんですか?」「んー、どうじゃったかのう」◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 3.魔法の力は人智を越える◆◇◆「『赤槌(あかつち)』!!」 シュヴルーズのトリガーワードと共に、慣性から切り離され、相対速度で公転速度まで瞬時に加速された砂塵は、赤熱した光となって騎士人形たちを打ち据えた。 白光と轟音、地響きが見ていた生徒たちを襲う。「うわあああ!?」 その衝撃に耐え切れずに転げ倒れるものもいる。 使い魔たちが生徒の制御を離れて暴れだそうとするが、それらはシュヴルーズの一睨みで大人しくなった。 転ばずに騎士人形が立っていたあたりを見ていた生徒たちは言葉を失っている。 倒れた生徒たちが起き上がって、外を見れば、そこはまるで地獄のような光景であった。 無数に立っていた騎士人形たちはバラバラに吹き飛び、全く原型をとどめていない。 鎧騎士たちが立っていた場所は赤熱して熔けた鉄や大地によって彩られた広大なクレーターとなってしまっている。 ルイズとベアトリスが障壁を張り巡らせた範囲の外には、熔けた鉄や抉れて飛んできたと思われる大地の欠片が降り積もり、綺麗に境界を示している。「これが星の運動の力を流用した『赤槌』の魔法です」 言葉をなくす生徒たちに、シュヴルーズの解説する声が届く。 ルイズとベアトリスは、相変わらずこの先生切れやすいのね……、と在りしの日のミスカトニック学院での日々に思いを馳せていた。「皆さんは流星雨という現象をご存知でしょうか。そう、夜空に雨霰と流星が見えるアレです。あれは彗星の欠片のクズに私たちの大地が突入することで起きる現象です」 シュヴルーズは持ってきた天体儀を示しながら、『念力』を使ってそれをクルクルと回す。 それによってハルケギニア星を示す球体が、彗星の尾の破片に突入するのを見せる。「この大地の上に立っている私たちは、当然、大地と一緒に動いています。ですが、それをもし、天体の運動から切り離したらどうなるでしょう? 答えは皆さんが先ほど目にしたとおりです」 先ほど質問した利発そうな男子生徒が声を上げる。「で、では、ミセス・シュヴルーズ、先生は、地上に流星雨を作り出したというのですか!?」「そう言い換えてもいいでしょう。理解は早いようですね。頭のいい生徒は大好きですよ」「それでは、先生はスクウェアメイジなのですか!?」 顔を青ざめさせながらも興奮した様子で、男子生徒は質問する。「いいえ、私は精精トライアングルが良いところです。それに先程の『赤槌』の魔法は、事前に宣言したとおり、コモンマジックでしかありません。皆さんも良く使う『レビテーション』から慣性減衰作用のみを顕著に取り出したマイナーな魔法です」 その言葉に教室中がざわめく。「ドットメイジでも使える魔法であるとはいえ、安全に、かつ完全に使いこなすためには、天体や大地の運行に対する深い理解と、精確なイメージが必要不可欠です。皆さんには私の授業を通じて、偉大なる宇宙の力を学び、活用する方法を身につけてもらいます」 ちなみにこの間中、サイトは未知の専門用語の知識が次から次に浮かんでくるという気色悪い感触に耐えるために、机に突っ伏していた。 ……――スクウェアとは――……――代表的なスクウェアスペルとは――……――コモンマジックとは――、などという知識の奔流に耐えていた。 時折呻き声を上げたり、ビクンビクンと痙攣するのが不憫さを煽る。頑張れサイト、君の冒険はまだ始まったばっかりだ。 キュルケは早速、バシリスクの幼生体を呼び出した男子生徒に流し目を送っていた。 毒性の低い幼生体とはいえバシリスクを呼び出せるならば、あるいは自分の毒体質に耐えうるかもしれないと考えたのだろう。 周囲が混乱する中で、二人の周りだけ空気が違っていた。具体的に色で例えると桃色であった。 青髪の小さな少女タバサは、同じシュヴァリエなのにガリアとクルデンホルフじゃ特典が違いすぎる、と世の理不尽に想いを馳せていた。やはり世の中カネか。◆◇◆ その後授業はつつがなく進行し、昼食の時間となった。 何だかんだで皆、力への憧れというものはあるのだ。 もしもあの力を自分のものに出来るとしたら、そう考えれば否が応にも、授業態度は良くなるだろう。 ……単に、ミセス・シュヴルーズを『怒らせるべきではない相手』と認識しただけかもしれない。賢明だ。 サイトはこめかみを押さえながら、ルイズとベアトリスの後ろをふらふらと歩く。「頭痛え……。二日酔いなんて目じゃねーぞ、これ」 先程の授業によって惹起された知識の奔流は、未だにサイトを蝕んでいた。 おかげでこの世界ハルケギニアの魔法の概念については大分馴染んできたようだ。 サイトが今まで自分の元の世界で目にしてきた正気を削る魔術とは異なり、ハルケギニアの系統魔法はかなり使い勝手が良いようだ。 惜しむらくはそれが血統に左右されることだろうか。 先ほどルイズたちが使っていたカード型のマジックアイテムがあればサイトも魔法を使えるのだろうが、今のところそれは望み薄だろう。 どうやらあれは個人認証機能も付いているらしいから、ルイズやベアトリスから借りても、サイトには使えないだろう。「まあ一日もすれば知識も馴染んで頭痛もおさまるわよ」「……プッ、ざまぁ」「はしたないわよ、ベアトリス」 相変わらずベアトリスという少女には嫌われているようだ。 まあ10歳は年下の少女に嫌われようと、それがどうした、と流せる程度の余裕はサイトにもある。 アルヴィーズの食堂の前まで来た三人はそれぞれ厨房の方と食堂の方へ分かれる。 サイトは朝と同様に厨房へ、ルイズとベアトリスは食堂の内部へ。「なあ午後の予定はどうなってるんだ?」 サイトはルイズに問う。「ん、午後は授業はないから、あんたの寝床や生活用品の手配とか、その左手のルーン(ガンダールヴ)の性能調査とかするつもりだったんだけど」 ルイズは立ち止まって、下顎に人差し指を当てながら答える。 可憐である。(ちくしょう、なんでそんなに的確に俺のツボを押さえてくるんだ?) 『サモン・サーヴァント』で召喚される使い魔は、主人にとって相性が良い者が選ばれるのは当然であるが、使い魔の側も主人を自然と好きになる素養を持つのだと言うことが分かっている。 数多いる人間の中で何故サイトがガンダールヴとして召喚されたのかというと、魂の形とかなんやらがジャストフィットだったから、ということになる。 つまり彼が彼女の一挙手一投足に惹かれるのは至極当然のことなのである。断じて彼がロリコンだからではない。今のところは。 それはともかく。 サイトが気になっているのは、送還可能か否か、従属の期限は何時までかということである。「それよりも、俺は帰れるのか? いつまでこっちに居れば良い?」 ……。 間。「さ、行きましょうかベアトリス」「はいお姉さま」「待てーい!?」 サイトはスルーして行こうとしたルイズを留める。「まさか帰れないのか!? 一生仕えろとか言うのか!?」「あら、察しが良いわね」「うぉおおい!?」 ダン、と足を踏み鳴らすサイト。 それを見たルイズは苛立たしげに、何度も左手の親指と人差し指の腹をこすり合わせる。 擦り合わされるルイズの指から、かしかしかしかし……、と、どこか鋏が軋るのを思わせるような微かな音がする。「まあまあ、そう憤らないでくださいまし。契約を解除する方法も、帰る方法もありますから」「何!? 本当かベアトリス!?」「触るな下郎」 希望の一言を発したベアトリスの肩に思わず掴みかかろうとするサイト。 だがそれはすぐに振り払われる、辛辣な言葉と共に。「サイトが心臓を止めた仮死状態になれば契約は解除されます。帰り道は、まあ、アトラク=ナクア様の深淵の谷の何処かから帰れると思いますよ?」「心臓を止めるという契約解除法はともかく、帰り道の方が絶望的というのはわかった」 確かにあらゆる世界と繋がっていると噂される、アトラク=ナクアの深淵の谷の何処かには、サイトが元居た世界に繋がっている所もあるかもしれない。 あらゆる次元の地下交差点、それが赤目の蜘蛛神が橋を架け続ける深淵の谷だ。 ただし、無数無限に開いている出入口のうちの何処がサイトの世界に繋がるかというのは分からない。 ともすれば、やってきた道すらも次の瞬間には掻き消えてしまっているかもしれない場所なのだ。 その方面から帰り道を見つけるのは至難といってもいいだろう。十中八九は時空の狭間に取り残されることが眼に見えている。 よしんば万に一つ、億に一つ、いや無量大数に一つの奇跡で以て帰り道を見つけられたとしても、その帰り道が安全である保証もない。例えば、腹ペコ蟇蛙神にマルカジリされるかもしれない。「……まあ、その内に帰してあげるわよ。あんたは予想外に“使えそう”だから惜しいけど」 ルイズは目を逸らしながら言う。 確かに、先ほどの授業中に襲ってきた知識の奔流によれば、虚無系統の時空操作魔法には、『世界扉』とかいう世界間移動魔法があるらしいから、ルイズがその気になれば、サイトを送還できるのだろう。 だがしかし、本当に彼女が彼を送り返す気があるかというと、それは疑問である。 その気があるなら、とっくにやっているだろう。 未だに送還しないということは、彼女は彼に何かやって欲しいことがあるということだ。(なんかいまいち信用できねえ……) サイトがジト目で睨むが、どこ吹く風で涼しい顔だ。「そんなことよりお腹が空いたわ。早く昼食にしましょう」「そうですわね、お姉さま」「詳しい話は食後に聞かせてもらうぞ……」 サイトは二人と別れて厨房の方へ向かう。◆◇◆「マルトーさん、すみません、またご飯頂きにまいりました」「おう、サイトか。待ってろ待ってろ。直ぐに準備する。つっても貴族の坊ちゃん方に全部出してからになるから、またしばらく待ってもらわなきゃならんが」「構いませんよ。ただ美味しい料理を早食いで片付けなきゃならないのは気が引けますが」「がはは、確かに朝は良い食いっぷりだったな」 朝食は時間の都合上、得意の早食いを発揮して、急いでかき込むこととなったサイトであるが、それを気にかけていたのだ。 一流の料理(たとえ賄いであっても)に対してあんまりな態度だった、と。 マルトーの方はそんなことは気にしていないようであったが。「やっぱり何か手伝えることは有りませんか?」「うーん、そうだなあ、そこまで言うなら……。配膳は出来るか?」「多分、出来ると思います。格好は制服があるなら貸していただけるとありがたいですが」「ん、じゃあデザートの配膳を手伝ってもらうかな。 おーい、シエスタ! サイトに給仕服用意してやってくれ!」 マルトーはメイドの一人を呼び止めると、サイト用の制服の準備を命じる。 呼び止められたシエスタという黒髪おかっぱのメイドは、すぐに使用人用の控え室に取って返すと予備の男性用給仕服を持ってくる。「はい、こちらをどうぞ、サイトさん」「ありがとう。シエスタさん、でいいのかな、お名前は」「ええ、シエスタです。呼び捨てにしていただいて構いませんよ? 長い付き合いになりそうですし」「俺は平賀才人。よろしく頼むよ、シエスタ。ところで“長い付き合いになりそう”ってのは一体……?」 シエスタに問い掛けようとしたサイトをマルトーの声が遮る。「おうい、もうすぐデザートの準備ができるからさっさと着替えて来てくれ」「は、はい!」「着替えるならあちらです、サイトさん」 慌てて返事をするサイトにシエスタは使用人用の控え室の方を指し示す。「サンキュ、シエスタ!」「いえいえ」◆◇◆「それで、あんたは給仕の真似事をしてるって訳? やめなさいよね、私があんたに給金出してないように思われるじゃない。『ヴァリエールの所は使い魔にバイトさせてる』とか思われちゃうわ」「え、何、使い魔って給料出るのか?」「出すわよ。名目上はあんたのことは、私の従者ってことにするつもりだから。食費だって別で学院に払うつもりだったんだから、そんなに気を回さなくても良かったのよ?」 アルヴィーズの食堂でシエスタに伴われてデザート配膳を手伝っていたサイトは、ルイズにそれを見咎められていた。「それなら早く言ってくれよ。思うに俺らの間にはコミュニケーションというものが不足してるんじゃないか? 俺は使い魔として何をやればいいのか、ってのも聞いてないぞ」「だからその辺諸々含めて午後に話ししようって言ってんのよ。召喚されて昨日の今日じゃない。食堂の手伝いと賄い飯食べ終わったら、私の部屋に来なさい。多少遅くなってもいいから、必ず。場所は覚えているわね?」「覚えてるよ。了解しました、マイマスター。ではまた後で」「粗相の無いようにしなさいよ。あんた(使い魔)の無礼は全部、私(主人)の責任になるんだから」 軽く午後のことについての打ち合わせを行い、サイトはルイズの下を辞する。 シエスタはサイトとルイズが話している間にも、黙々と周囲の貴族の皿へとデザートを配膳していく。 少年たちの一団が、誰と誰が付き合ったの惚れたの腫れたので盛り上がっているところに、サイトとシエスタは差し掛かった。 シエスタはその盛り上がりを意にも介さずに給仕を続ける。 少年たちも女中の存在などまるで空気のように扱っているため、シエスタを気にした様子もなく話を続ける。 ある一人の気障そうな少年のズボンのポケットから、小さな小瓶がこぼれ落ちたのはその時であった。 周囲でそのことに気がついたのはサイトだけであった。 だが、ここで彼は逡巡する。 今の自分は食べ物を給仕中の身、床のものを取り上げるのは不潔ではなかろうか、いや、そも小瓶を拾い上げたとして、その後どうしようというのか。 テーブルに置く? それこそ不潔だろう。 落とし主に直接渡す? 給仕風情が話しかけて良いのだろうか。こっちの文化はいまいちわからない。 放ったらかしにする? いや落とし主を知っているのは自分だけだから、どうにか誰かに、小瓶の落し物があることと、それが派手で気障な少年が落としたものだということを伝えておかなくてはならないだろう。 一瞬のうちに様々に考えを巡らせた挙句、サイトは最終的に、シエスタに相談することに決めた。 彼は小声でシエスタにことの次第について話す。「なあ、シエスタ。実は落し物を見つけちまったんだけど……」 かくかくしかじか。「こういう場合、この辺りの社会ではどうするべきなんだ? 何分、異邦人なもんで詳しくなくってさ」「そうですねえ……。取り敢えずは食事後に皆さんが退出してから回収して、こっそりその貴族の方、多分、ギーシュ・ド・グラモンさんでしょうから、その方に届けるのが妥当で無難だと思います。……あれだけ盛り上がってるところに水を差すのもアレですし」 シエスタはそう言ってちらりとギーシュたちが話を続けている食卓の方を見る。 話は、学年で誰が一番可愛いか、という話題に移っているようだ。 候補に挙がっているのは、『微熱』のキュルケ、『極/零』のルイズ、『雪風』のタバサ、『香水』のモンモランシーなどなどだ。ちなみにモンモランシーはギーシュ某が猛プッシュしていた。お前その女に惚れてるだろ。「成程。分かった。ひとまず俺達は給仕に専念すればいいんだな?」「そういう事になりますね。配り終わってバックヤードに引っ込むときに、清掃担当の者たちには伝えておきましょう。二年生のテーブル近くに落ちている小瓶は、ミスタ・グラモンのものだから、あとで届けておくように、と」「二年生のテーブル近く、だけで分かるかな?」「不足ならば加えて、“マリコルヌ・ド・グランドプレさんの近く”だと伝えれば分かるでしょう。あの方は健啖家で、周囲の料理を綺麗に残さず食べてくれますから、食堂勤めの皆にはよく覚えられていますし」 確かに視界の端に写ったポッチャリ系の少年貴族は、ものすごい勢いで料理をその体内に収めていた。 食事にともなって彼の体から吹き上がる凄まじい熱気と汗。それを中和させるために心遣いとして彼が常に行使している『冷却』と、汗のニオイ成分を分解するための『錬金』の魔法(マリコルヌは体臭に気を使うジェントルマンであった)。 汗の臭いを中和消去されて、適温まで冷やされた空気は、しかし、マリコルヌから発散され『錬金』で空気へ変換された汗の水分の分だけ体積が増えているため、彼を中心としてそよ風を周囲に吹き散らす。常に風上にいる男、それが『風上』のマリコルヌ・ド・グランドプレであった。「まるで人間火力発電所のようだ……」「熱力工場(サーマル・パワー・プラント)?」「……何でもないよ」 サイトはシエスタに曖昧に笑って返しつつ疑問に思う。(というか、今更だが、俺は一体何語を話しているんだ? そして他の人には何語に聞こえているんだ?) アメリカで暮らしていたという経歴上、彼は日本語と英語のバイリンガルである。 ついでに言えば、ギリシア語やラテン語、古典英語なども、英語圏の教養科目として若干嗜んでいる。 彼の耳には周囲の会話は、母国語である日本語のように聞こえるし、彼自身も日本語のつもりで話している。 だが、先ほどおそらくはサイトの「火力発電所」発言を鸚鵡返しにしたのであろうシエスタの言葉は、奇妙なものだった。 あれではまるで、サイトが日本語の音として「カリョクハツデンショ」と発言したつもりが、実際は、その意味・英訳としての「熱力工場(サーマル・パワー・プラント)」と言葉に出してしまったかのようではないか。 それとも、サイトが話している言葉は、実は全て、そこに込められた概念を直接伝えられるように、何らかの魔法で偽装……いや、この場合は不完全な人類言語概念によって劣化偽装されたイデアを明らかにする真化措置を施している、ということなのだろうか。(物理現象ではなくて、もっと根源的で概念的なものに干渉する、この世界の虚無系統あるいはコモン系の魔法が作用している? それとも俺の脳内に高度な翻訳用の脳回路が形成されているとか? 通常会話なら問題ないが、ハルケギニアでは一般的じゃない概念を伝えるときには誤訳が生じるとか?) いや、彼女がつぶやいた言葉が自分には「熱力工場」に聞こえただけで、本当は彼女はもっと何か別の言葉を呟いていたのでは? 今まで自分が聞いていた、そして話していた言葉は、きちんと意図した通りに伝わっているのか? 良く考えられたすれ違いコントのように、自分と彼ら彼女らの会話はずっとすれ違っているのではないのか? 自分はこの世界から切り離されているのではないのか? 耳から入ってくる言葉はほんとうに正しいのか? さらに言えば、目から入ってくるこの光景は、本当に、正しく、この通りなのか? 人間に見えるものは、実はもっと悍ましい、何かの肉塊のような形をしてはいないと、どうして判断できる? 何を信じればいいのだ? ……考えても分からん、というか、サンプル数が足りない。一旦は保留しよう。ルイズに聞けば何か分かるかもしれないし。 サイトは諦めて、疑問を棚上げにして、給仕に専念することにした。 分からないことを分からないままにしておく慎重さというのは、必要な技能である。 何でもかんでも容易く断定するよりは余程理性的な態度だ。 狂人であるほど、余りに容易く断定し、それで世界の真理を見つけた気になるのだから。=================================毎回初授業で気絶させられるシュヴルーズ先生が不憫だったので魔改造した。後悔はしていない2011.01.10 初投稿2011.01.19 あとがきを感想板に移動