しっとマスク(嫉妬心が解放されたレイナール)が操る巨大ゴーレムに襲われたサイト。 ひとまずはそのゴーレムの巨体から繰り出される『土弾』の弾雨を避けることには成功したが、このままではあの巨大なしっとマスク型ゴーレムにプチっと潰されるのは眼に見えている。(危ねえ……っ。魔法ってのはとんでもねぇな!) サイトは、まるで巨大なビル一つが人形に変形して襲ってきたような錯覚を覚えていた。 圧倒的な質量はそれ自体がひとつの武器だ。抗いようのない暴力だ。 しかしサイトは諦めない。その暴威に対抗するために、現状での自分の手札をサイトは確認する。(つっても自爆用のダイナマイトもなければ、ショットガンも6フィート棒も無いぞ……。女子寮に逃げこんでも、建物ごと粉砕されそうだし。一縷の望みをかけて、この左手のルーン、ガンダールヴを試してみるしかないか……?) ガンダールヴの発動条件は、武器を手に握ること。それはインプリンティングされた知識から理解できている。 武器と言っても、その定義はルーンを刻印された者つまりサイトの主観によるものであるから、曖昧なものだ。 そこら辺にある石や砂、枝だって、使おうと思えば立派な武器だ。 あるいは、眼前のマッシヴゴーレムを操るしっとマスクくらいに鍛え上げられた肉体を持っていれば、“武器とは己の肉体よ! フゥハハハーハァー!”くらい言えるのかも知れない。(武器、武器、とにかく何か、武器を!) その時サイトの脳裏に蘇るのは、かつて地球にいたときに読んだ護身術の本。 何も手元に武器がないときに使える物として、その本では色々なものが挙げてあった――折りたたみ傘、鍵束、ベルト……。(ベルト! そうだ、ベルト!) サイトは直感に従って急ぎベルトをジーパンから抜き取る。(これは鞭、これは鞭、これはムチ、これはウィップ……!) 抜き取って自分に言い聞かせるように「これは武器」と念じると、身体の奥から不思議な力が湧いてくるのが分かった。 左手のルーンが光り、熱を持ち、同時に身体が羽のように軽くなる。(よし、イケルっ!) 攻勢に出ようとしたサイトは、しかし、ベルトを抜き取られて緩くなったジーパンに足を取られてコケる。「げ!?」「好機っ!!」 しっとマスク(レイナール)は、その隙を逃さずに、サイトに向けてゴーレムの足を進ませる。踏み潰すつもりだ。「つ・ぶ・れ・ろーーー!!」「うおおおおお!?」 サイトはそれをゴロゴロと無様に転がって避ける。 手に持った革ベルトの鞭による身体強化のお陰か、高速で地面の上をスピンしたサイトは、間一髪巨大マッシヴゴーレムの震脚を避ける。 サイトが倒れていた場所にゴーレムの巨大な足が落ちる。 着弾。 轟音。 女子寮塔の窓ガラスがビリビリと振動し、幾つかはその振動による歪みに耐え切れずに破砕する。 ゴーレムの足が落ちた部分は、陥没して罅割れている。 だがゴーレムの足も無事では済まない。それはひしゃげて潰れてしまっている。 しかし巨大ゴーレムはそれを意に介さずに立ち上がる。「な、再生すんのかよ!? 反則じゃねえかっ」「ちょこまかとっ! どこに行った! 大人しく潰されろ!」 土で出来たゴーレムは、潰れた脚部をみるみるうちに再生させながら、すり足で周囲の者を挽き潰さんと移動するが、それはサイトがいる方向とは全く見当違いの方向だ。 どうやらゴーレムの肩の上に居るしっとマスクは、サイトを見失ったようだ。 サイトは転がって女子寮に程近い場所まで来ていた。 幸運にもしっとマスクからは死角になっているようだ。 邪魔になったジーパンを脱ぎ捨てる。また足を取られてはたまらない。 その時、またしてもサイトの脳髄を知識のフラッシュバックが襲う。 こちらの世界に召喚されてから何度となく彼を襲った、こちらの世界の知識についての、頭痛すら覚える知識の奔流。 今まで頭痛しかもたらさなかったそれは、だがしかし、この瞬間、サイトに天啓を与えた。 割れた窓ガラスの破片と、ジーパンや鞭をトリガーにして頭痛と共に流れ込んだ、鞭や裁縫に関する知識を組み合わせて、サイトは何かを思いついたようだ。「よっ、と」 サイトは幾つかの細く砕けた硝子の破片を拾いあげて宙空に投げると、右手に握った革ベルトの鞭を一閃させる。 ベルト鞭の軌道はガラス片を捉え、次の瞬間には宙空のガラス片は消え失せていた。「よし」 その代わりにベルトの先端に幾つも鋭いガラスの棘が生えていた。 先端部の重量増強と、ガラスの刃による攻撃力アップである。 さらにサイトはジーパンも空中に投げ上げて、ガラスの刃を付けた鞭を振るう。「っ、オラオラオラァッ!」 目にも止まらぬ早業で、一瞬の内に何度も振るわれた鞭は、ジーパンの脚部をそれぞれ螺旋状に切り裂く。 まるで剥かれたリンゴの皮のように細く長く切り開かれたジーパンが地面に落ちる。 サイトはそれを左手で拾うと、革ベルトを握ったままの右手で、ジーパンのポケットの部分の鋲(リベット)を強化された握力を活かして引きぬき、人外の力でごりごりと鋭く成形し直す。 その間にもジーパンを持った左腕は蛇のように複雑にゆらゆらと動かされる。 螺旋に切り開かれて二本の長いリボンとなったジーパンの足の部分は、その動きによって互いにからみ合って、頑丈な一本の帯となる。 サイトはさらに周囲に落ちていた石を拾って、捩り合わせられたジーパンの先端に包み込ませる。 ポケット部分から引き抜いたリベットを、その即席の布槍に撃ち込み、錘の石を固定し、捩り合わせられた束帯が解けないように縫い留めて、強化する。(うぅ、このジーパン結構良い値段したんだけどなあ……。仕方ない、背に腹は代えられない) 全長7メイル近い即席の布槍に変貌したジーパンをサイトは左手に握りしめる。 左手のルーンが、なお強く発光する。 どうやらこちらも武器として認められたようだ。(欲を言えばこの布槍をさらに水浸しにでもしたいところだが……)「見つけたぞ! 使い魔ぁっ!」「ちっ、そんな時間はないか!」 しっとマスクの声が響き、同時に、サイトのいた場所をゴーレムの指先から発射された土石弾が穿つ。 しかしサイトは既にそこにはいない。 身軽に跳躍して、サイトは、再びゴーレムの死角へと動く。 その右手に革ベルト、左手にジーパンを解体変形させて作った布槍を携えて。下半身半裸で。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 5.跳梁者は闇に吠える◆◇◆ サイトは巧みに左手の布槍を操って、強化された筋力を用いてしっとマスクの巨像を登っていく。 筋力と慣性を巧みに用いたその機動は、魔法を使っていないにもかかわらず予測不能な複雑さを以てしっとマスクを幻惑する。 対するしっとマスク(レイナール)もまた、サイトに負けていない。 サイトが足場に用いようとしたゴーレムの表面を平滑化させて取っ掛かりを無くしたり、逆に針山のようなトラップにしたりと、悪辣な妨害を仕掛ける。 宙空に居るサイトに向けて土石弾を放ち、巨像の手足を振り回させて、怨敵たる黒髪の羽虫を叩き潰さんとする。 だがサイトもまた然る者。 背後から土石弾が迫れば、まるで後ろに目が付いているかのように避け、時にはその左手に握った扁形動物の笄蛭(コウガイビル)のようなシルエットの布槍で土石団を絡めとり、その土石弾の勢いを利用して自分の身体を動かして、ただひたすらに前進する。 巨像の脚の隙間を三角飛びで駆け上がり、ゴーレムの指に布槍を絡みつかせて移動し、さらにそこから肩に乗っているしっとマスクに向けて疾駆する。(狙うのは、額の“ルーン”!!) サイトが狙うのは、如何にも弱点ですとばかりに光り輝く、しっとマスクの額のルーン。 相手を無効化するには、おそらく、それが有効だと、彼のこれまでの超常現象体験と、植えつけられた異世界の知識が教えてくる。「うぉおおおおおお!!」「近づくなあっ! 使い魔ぁっ!」 巨像の腕の上を疾走するサイトだが、その目前に、突如として五本の柱のような物が出現する。「なっ!?」「僕が上で、貴様は下だぁっ!」 サイトの行く手を阻むように出現した五本の柱はみるみるうちに伸び上がり、指となり、手となり、腕となっていく。 サイトが後ろを振り返れば、ゴーレムの腕の先は消失していた。 人間ではないのだから、ゴーレムはその形を人型に縛られる必要は無い。 しっとマスクは、巨像の指先から質量を動かし、ゴーレムの二の腕の半ばから、腕を生やし直したのだ(・・・・・・・・)。「はぁっはぁ! 虫のように壁にへばりつく染みになれぃっ!!」 再構築された巨像の腕が振るわれ、サイトはその慣性のままに、学院本塔の壁へと吹き飛ばされる。「ち、くしょうっ!」 サイトは猫のように空中で姿勢を制御すると、学院本塔半ば、宝物庫の壁の直上に何とか着地する。 その勢いはサイトの脚で吸収されているものの、ほぼ垂直な壁にサイトの身体を数秒間ほど押さえつけ続けるくらいには強力であった。 しっとマスク・レイナールは、サイトが宝物庫の壁に着地するのを確認するよりも早く、ゴーレムを加速させていた。「ジェラスゥィイ、ラリアットォォォ!!」 大きく振りかぶられた巨大しっとマスクの腕が、学院本塔に着弾する。 数千万リーブルに達するであろう巨像全体の運動エネルギーが、学院本塔の宝物庫の壁の上の一点に集中する。 ずど、と鈍い音が響くが、スクウェアメイジの総力を結集した塔は、その衝撃に耐え切った。「あっぶねえーーっ!!」 間一髪、巨像の腕の着弾点から跳躍して被害を免れたサイトは、学院本塔の壁の形に沿ってへばりつくように広がったしっとマスク型巨像のひしゃげた腕の上に着地し、冷や汗をだらだら流していた。 この世界の戦争では、こんな怪獣大作戦のような光景が常に展開されるのであろうか。なんとも恐ろしい話だ。 そして、遠いようで近い場所から聞こえる、なにか巨大な物の風切音に、サイトは冷や汗を倍増させる。「そこかぁっ! 使い魔ぁっ!」 しっとマスク・レイナールが叫ぶ。 学院本塔に叩きつけられたマッシヴゴーレムの腕の先は、手首から先が、細く伸びていた(・・・・・)。 ワイヤーに繋がれた振り子のようになった巨大ゴーレムの手首から先は、刺鉄球のように変形していた。 ラリアットによる勢いを伝達されて、その巨大なモーニングスターは加速する。 大きく振りかぶられて、鞭のように撓って(しなって)勢いがついた、ソレは、学院本塔に巻きつくようにしてさらに勢いを増す。「ジェラシィ・モーニングスター!!」 振り子の原理である。 振り子は、錘を支える糸が短くなればなるほどに、その周期が短くなり速度が増す。 つまり、学院本塔に巻きついた巨大モーニングスターは、巻きつくほどに加速し、その破壊力を増していく。 さらに、こちらの世界でも、速度の二乗に比例して、破壊力は上昇するのだ。「死ねぇい! 使い魔っ!」 そして巨大なモーニングスターとなったゴーレムの手首は、狙い過たずにサイトが乗っていた場所に着弾する。 轟爆音。 連続して打撃が加えられた宝物庫の壁は、ついにその威力に負けて弾け飛ぶ。 壁際に配置されていた収蔵品の一部も、壁の破片と一緒に宙へと舞う。 一瞬、学院本塔そのものが、重みに耐えかねて座屈しそうになるが、瞬時に修復されて持ち直す。 恐らくはオールド・オスマンが魔法を使ったのだろう。「やったか!?」 舞い上がる土煙に紛れてしまって、サイトの生死はレイナールからは確認できない。「いいや! まだだねっ!」 その時、声と共に、土煙を割って飛来するものがあった。 レイナールは思わず、その声の方を見てしまう。 だが、声にひかれてレイナールが声の方を見ることこそが、その声の主、サイトの狙いであった。 弾かれるように顔を向けたしっとマスク・レイナールの、その額目がけて、蛇のようにしなる布槍が飛来する。 間一髪でモーニングスターのヘッドを回避したサイトは、土煙にまぎれて巨像の腕の上を走り、レイナールを射程圏内に捉えていたのだ。「うぉっ?!」 サイトの狙いは、レイナールの額のルーン。 意思を持つようにうねる布槍は、サイトの望みどおりに、レイナールの額に到達する。「がぁっ!?」「シッ!!」 サイトは布槍から伝わる感触から着弾を確認。 その瞬間に手首のスナップを効かせて、レイナールの額に沿わせるように布槍の軌道を変化させる。 妙技。ガンダールヴの精妙なる業が、マスクのルーン文字のみを削り取り、かつ、レイナールの命を救うことを可能せしめた。「よしっ!」 サイトの操作によってレイナールの額の上を滑るように動いた布槍は、ルーンを削りきり、その勢いで仮面をレイナールから引き剥がした。 同時にレイナールは意識を失う。 限界以上の魔法行使はレイナールの精神を酷く蝕んでいたのだ。 レイナールが気絶するのと同時に、巨像が崩れ落ちる。 サイトは伸びきった布槍を器用に操ってレイナールの腕に絡みつかせると、自分の元へと引き寄せる。 折角助けた命、このまま土砂の下敷きにするのは後味が悪い。(まあ、生かして無力化するっつー無理難題に挑んだのは、貴族を殺すことによって発生すると思われる諸処の問題を回避するためではあるんだが……) サイトは崩れつつある巨像の上を、強化された脚力で上手く落下の勢いを殺しながら、レイナールを抱えたまま跳び降りる。「よっと、っと、と」 サイトは崖を駆け下りるカモシカのように、崩れる土巨像の上を、うまく斜めにジグザグに跳躍して勢いを殺す。 いかにも余裕綽々にやっているが、土石流の中から生還するくらいの無理難題である。 一歩間違えれば崩落する大質量に巻き込まれて、挽肉になるのだから。「しゃ、着地、……ぅお」 無事に着地したサイトは、崩れ落ちる土砂から急いで距離を取る。 地響きと共に、巨像を構成していた土砂がサイトの背後で地面に落ちる。 学院本塔が、その地響きによって鳴動する。「いやー、危なかった危なかった。それにしても、このガンダールヴのルーンはスゲェな。忍者みたいな真似ができるようになるとは思わなかったぜ」 元しっとマスクの金髪の少年(レイナール)を地面に仰向けに横たえながら、サイトは巨大ゴーレムの跡地を振り返る。 その時であった。 破壊された宝物庫から飛び散らばって、学院本塔の壁に引っかかっていた小箱が、地響きによって外れて落ちてきたのは。 その小箱の名前は、〈滅亡の小箱〉。 またの名を――〈輝くトラペゾヘドロン・レプリカ〉。◆◇◆「んぅ……?」 微かな振動音に揺られて、ルイズは女子寮棟の自室で目を覚ました。 寝不足だったのでひと眠りしていたのだが……、使い魔が来たのだろうか? 小さく欠伸を噛み殺しながら周囲を見回すが、まだ使い魔は来ていないようだ。 微かな振動は、ストーカーツインテールのベアトリスが起こしに来て身体を揺すっているのかとも思ったが、そうでもないようだ。「全く、遅くなっても良いとは言ったけど、遅すぎやしないかしら。どこで油を売っているんだか」 ルイズは、レースをあしらった眼帯の下の左目に意識を集中させる。 魔術的にサイトの左目に接続された、ルイズの左目の霊体(あるいは精妙体)を通じて、ルイズは情報を入手。 すぐにヴィジョンが像を結ぶ。 全裸の少年が横たわっていた。「ひっ?!」 垣間見えたサイトの視界には、全裸――いや訂正、パンツ一丁の半裸の金髪の少年が横たわってる。(え、これ、何? 何? もしかして濡れ場? あいつそういう趣味だっけ? 読み盗った記憶からはそんなフシは無かったけど……?) 乙女回路絶賛暴走中。 その時、サイトの身体が動いた。 一瞬で、彼は、からんからんと軽い音を立てながら崩れかけた学院本塔の壁を転がる何かの箱を視認。 かん、と一際大きな音を立てて、その小箱は崩れた壁面でバウンド。 悪魔的な偶然で――いや邪悪な必然で、サイトとレイナールの方へと小箱が飛び跳ねる。◆◇◆ サイトは慢心していたのだろう。 巨大な敵を、そのルーンに因る技量によって、見事に無効化し、油断していたのだろう。 たかが小箱ごとき(・・・・・・・・)。 そう思った彼は、左手に握った布槍で、小箱を迎撃する。 新しく身につけた力を誇示するように。 ――彼はこれを受け止めるべきだった。 ――迎撃など、するべきではなかった。 ガンダールヴの力を、伝説の使い魔の能力の恩恵を受けた布槍は、一瞬で距離を詰めて、小箱に――〈滅亡の小箱〉に到達する。 そして十分に加速された布槍の穂先は、小箱を破壊。 その内に封じられていた、闇を、解放した。 小箱から飛び出した、闇を纏った偏四角多面体を、ルーンで強化された動体視力で確認したサイトは、瞬時に自分の失敗を悟る。(あのアーティファクトは、マズイ……! 何か知らんが、絶対にマズイ!) これまで幾つもの超常現象に直面してきたサイトの経験が、第六感が警鐘を鳴らす。(あれこそを迎撃しなくては……!) だが、無情にも、布槍は伸びきったまま。 闇を纏った偏四角多面体は、外殻の小箱を破壊された勢いで、サイトとレイナールの方へと弾丸のような速度にまで加速している。 ルーンで強化されたサイトの身体は、迫り来る多面体に対して、反射のレベルで回避を実行。(しまっ……!?) 直後サイトは後悔。 避けるべきではなかった。 避けた先、トラペゾヘドロンの行先には、仰向けになったレイナール。「んぐっ?!」 悪魔的な偶然、いや、宇宙的悪意(・・・・・)に捩じ曲げられたとしか思えない確率によって、闇の多面体はレイナールの口へと入って、飲み下された。 当然、人体内部というのは、光の届かない暗黒である。「ん。ぐ? ……ぐ、う、うああ、え、はあ、ああ、ああああああ、いいいいい、や、はああ、あああああ――!」 レイナールの口から意味のない囁きが漏れ、それと共に混沌の悪意が溢れ出し、直近に居たサイトの意識を直撃する。 悪意の波動。 暗黒のエナジー。「ぎ、ぎ、ぎ、ぃ?! 頭が、割れそうだ――こ、れは、ヤバい……っ」 頭を抱えて蹲るサイト。 精神を直接揺さぶる暗黒波動によって、サイトの意識は暗転する。 視界の端からでは、まるで仰向けに倒れるのを逆回しにするように不自然な動きでレイナールが立ち上がっていく。◆◇◆ 立ち上がったレイナールの顔に、遠くに弾かれていた筈のしっとマスクが飛びついて、べたりと貼りつく。『念力』の魔法で引き寄せたのだろうか。 レイナールの腕が顔に伸び、動物的な動きで、そのマスクを装着する。「いぐなああああいいいいい、いぐなああああああえええええ」 〈解放の仮面〉が、その純白から、どす黒く染まっていく。 口のあたりから、まるでレイナールの身体の内側、胃の腑の中から溢れ出した暗黒に染まるように。 マスク全体を漆黒に染めた混沌の黒は、さらに彼の体の表面を侵食するように広がっていく。「ええ、やああ、はああああああ、いいいいいぐうううなああああああああいいいいい」 まるでゴムのような遮光性の物質が、マスクの首元から全身を覆うように伸びていく。 恐らくはレイナールの魔力を用いて『錬金』しているのだろう。 〈輝くトラペゾヘドロン〉によって呼び出されるものは、光に弱い。 だから、それを補うために、遮光膜で全身を纏うつもりなのだ。「いいいい、ぎひいい、があああ、は、は、やは、やあああ、ええ、えええ、えええええ」 真っ黒なラバースーツに包まれたきったレイナールが、咆哮するように仰け反る。 〈解放の仮面〉の面影を残すのは、燃えるような隈取の双眸。 額にあったルーンは、額から頭頂部にかけて、サイトの布槍で削られたため、無くなっている。 黒い遮光膜に覆われ直した今、そこに残っているのは、火傷のように引き攣れた穴の跡。 仰け反ったレイナールの顔に、炎のような光が宿る。 炎が宿る場所は、双眸と、額の穴。 燃え滾る三眼、それは、闇の跳梁者のシンボル。 ナイアールラトホテプの化身の証。「はああいいやあああああああああああ!!!」 咆哮に合わせるように、レイナールの背中から、ぼこぼこと、悪魔のような羽が生える。 ラバースーツの内部、レイナールとスーツの隙間に満ちて膨れ上がった闇が、コウモリの羽のような形に、遮光膜を持ち上げたのだ。 ばさり、と、漆黒の悪魔、夜の鬼、ナイトゴーントが、赤く燃え盛る三眼を光らせて宙空に浮かび上がる。 それがさらなる混沌の毒電波を撒き散らさんとしたときに、何処か遠くに響くような、鐘の音が響き渡った。 狂気の毒電波から生徒たちを守るための、慈悲の眠りを齎す鐘の音が。 ――ごぉーーーーーん、ごぉーーーーーん◆◇◆ 時は巨像が学院本塔の宝物庫の壁を破壊した瞬間に遡る。 場所は宝物庫直上、学院長室。「おおう、揺れる揺れる」「オールド・オスマン、子供の喧嘩だからと放っておくからこうなるんです」「はいはい、すまんすまん」 赤髪のユージェニー・ロングビルが嗜めるも、全く反省していない様子のオスマン。 飄々とした老人は、軽く杖を振るい、座屈しかけた本塔を瞬時に立て直す。 オールド・オスマンにかかれば、この程度は朝飯前である。三百年の研鑽は伊達ではないのだ。「全く、少しは反省を……っ?!」 その時であった、凶悪な悪意に彩られた何がしかの波動が撒き散らされたのは。 “何がどうなっても構わない”、“とにかくどうにかなってしまえ”、“何でもいいから、どうにでもなってしまうが良い”、その波動はそう言っているかのようだった。 余りに混沌とした、暗黒の悪意の具現。「ふむ、これは、ちぃとマズいかの。ミス・ロングビル、〈眠りの鐘〉を。学院全員の精神を夢の中へと緊急退避させねば」「……確かに、被害を局限するためにはそれが良いでしょうね」 オスマンの命令を聞いたロングビルは、その右手を黒い糸状のもの――カーボンナノチューブを素材とした魔力伝導杖――に、パラパラと分解すると、学院長室中央の床にその黒い糸を伸ばす。 『ブレイド』の魔法を纏わせられた糸は、学院長室の床に突き刺さり、一瞬で、電熱線がバターを切り裂くように、ぐるりと床の石材を刳り抜き、さらに縦横に走って刳り抜かれた石材を細かな破片に分解する。 ず、と床石が崩壊して、大きな穴が開く。「『レビテーション』」 その床の中から、ロングビルの魔法に引き上げられて、人の上半身ほどもある鐘が姿を現す。 見るものを安心させる雰囲気のある、優しげな鐘だ。 頂点には、眠りの大帝ヒュプノスを象った、若く美しい青年の胸像があしらわれている。 これこそが〈眠りの鐘〉。トリステイン魔法学院の秘宝の一つである。「さて、ではやるかのー」 渾身の魔力を込めた『風の槌(エア・ハンマー)』で〈眠りの鐘〉を鳴らそうとするオスマン。 〈眠りの鐘〉は、鐘を鳴らす際に込められた魔力によって、それを聴いた者が陥る眠りの深さが決まる。 また、眠りの波動の効果範囲は、鐘を打つ時に加えられた物理的な威力によって決まる。「『レビテーション』」 『エア・ハンマー』を使おうとしたオスマンを、ロングビルの『浮遊』の魔法が持ち上げる。「ひょ? 何をするんじゃ? ミス・ロングビル?」「オールド・オスマン。学院全員を、狂気から守るために、夢の彼方にまで、一瞬で意識を吹き飛ばすためには、いくらオールド・オスマンの魔法といえども、足りないかと判断いたします」 その間にも、空中で固定されたオスマンは、ロングビルの操るカーボンナノチューブの糸によって簀巻きに拘束されていく。「ゆ、ユージェニーちゃん? 解いてくれんかの? まさかとは思うが……」「そのまさかです、オールド・オスマン。学院全員を眠らせるためには、オールド・オスマンの正真正銘文字通りの意味での全身全霊に、さらに私の魔力を加えなければならないと判断します」 簀巻きにされたオスマンは、水平に姿勢を変化させられ、その頭を〈眠りの鐘〉の方へと向けられる。「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくれぃ、な、考えなおさんかね? ワシ頑張って『エア・ハンマー』に魔力込めるから、ね? というか、それなら鐘撞きの撞木の役は、インテリジェンス・メイスの君の役目じゃろ!?」「……、……。時間がありません。では行きますよ、オールド・オスマン。お覚悟を」「うぉぉぉい! 何その今まで忘れてましたと言わんばかりの反応!?」 撞木のように構えられたオスマンが、弓引くように鐘から離される。「まあ良いじゃありませんか、どうせ死なないんですから」「良くなーーーいっ!!」「往生際が悪いですよ。時間ないんですからいいですか? ああそうだ闇の化身退治には虚無が相性良いんで彼女に頼むつもりです、ですから多少再生に手間取っても大丈夫ですよ、オールド・オスマン。じゃあいよいよ行きますよいいですね、せーのっ 脳漿を――」「ちょ、ま」 いよいよ、人間撞木となったオスマンが〈眠りの鐘〉へと轟然と射出される。 ロングビルの掛け声が響く。「――ブチ撒けろぉっ!!」 直後、ぱきょぐわぁ~ん、という鐘の音と共に、学院中に強烈な眠りの波動が撒き散らされた。◆◇◆ オールド・オスマンの手によって、『眠りの鐘』の音が響き渡り、瞬く間に学院中の全ての人間が眠っていく。 眠りは救い。暗黒の波動に侵された精神を休めるための安寧の場。 そして学院全員が安穏たる眠りの国へと旅立っていく間に、女子寮棟からひとりの少女が飛び降り、ナイトゴーントの前に立ちはだかった。 その背後に、グロッタ調(グロテスク)の鏡を一枚と簡素な造りの日本刀を魔法によって浮かせて伴なって。 ピンクブロンドの少女は、邪気を撒き散らす悪魔に向けて、物怖じもせずに宣言する。「人間はアンタら邪神の玩具じゃないわ。人間の運命を好き勝手に弄ばせはしない。そんな事は、このルイズ・フランソワーズが許しはしない」 レイナールの体を乗っ取った【闇の跳梁者】の三眼が、ルイズの敵意を受けて、愉悦に燃える。 やれるものならやってみろ、とでも言っているかのようだ。「人間の運命の主は人間自身であるべきよ。だから、私はアンタの存在を許容しない。虚無遣い、“極零(ゼロ)”のルイズ、その名の下に、全ての邪悪は消えて去れ!!」 戦いが、始まる。=================================次回、闇の跳梁者(ナイトゴーント・フォルム) VS 虚無遣い2011.01.16 初投稿2011.01.19 あとがきを感想板に移動