目を覚ませば、消毒薬の匂いと、陽に干されたリネンの香り、何かの花の芳香。 それによって、サイトは地球のアメリカ、ミスカトニック大学の病院にでも帰ってきたのかと錯覚する。 サイトは大学病院の常連だった。ソフト面でもハード面でも。 だが、勿論ここはサイトが学んでいたアメリカではない。(あれ、ここ、何処だっけ? というか何があった?) サイトは記憶を手繰る。(異世界に召喚されて、いきなり可愛いけどとんでもねえ女の子の下僕にされて。 しっとマスク操る巨人に襲われて半裸で戦って。なんかマズげな暗黒のアーティファクトを解放しちゃって。 ……で、気絶したのか? この辺から記憶が曖昧だな) 中世レベルの世界だと思っていたが、衛生観念は発達しているようだ。 よく陽に干された清潔なベッドの上でサイトは身を起こそうとする。「ぐひぃ、痛ってー! なんか全身痛い! って身を捩るとそれでまた痛い! 何だこの無限ループっ」 全身の筋肉という筋肉、筋という筋、関節という関節が痛み、軋んで、全く動けない。 サイトは全身がばらばらになるような痛みに呻きつつも、何とか頭に手を当てて、何が起こったのか思い出そうとする。 ちらりと周囲を見れば、両隣のベッドにも患者らしき金髪の少年たちが寝ているのが分かった。 サイトのベッドサイドにはなにか見覚えがありそうで無さそうな、異国の白い花が生けられている。傍には黒塗りの鞘に収められた日本刀らしきものが立てかけられているのも見える。 右隣の少年のベッドサイドには大輪の薔薇が生けられている。真赤な薔薇だが、見舞い人の趣味か、それとも寝ている彼の趣味だろうか。 左隣の少年のベッドサイドにはサイトと同じような白い花が生けられており、その近くに黒縁の眼鏡が置かれている。 どうやらこの部屋は三人部屋のようだ。(途中で気を失ってたけど、何か魂の奥底に響くような、綺麗で、安らぐ、そんな声で目が覚めて……、起きたら何故か真っ黒い全身タイツの空飛ぶ怪人と戦っていて。自分もカニみたいな鎧を着て喋る日本刀握ってて。とにかく『守らなきゃ』と思って空中に飛び出してその黒いヤツを上下真っ二つにして……) 段々と鮮明に思い出されてくるが、それとともに、その内容を信じられないという思いも沸き上がってくる。 全く、頭が狂ったとしか思えない内容だ。異世界召喚、英雄のような力、巨大なゴーレム、暗黒のアーティファクト、邪神の化身のような三眼悪魔……。 そして『狂った』という想像も、ありえない話ではなさそうに思える。 あの時とっさに撃ち落としてしまった小箱から飛び出した、暗黒の偏四角多面体(トラペゾヘドロン)は、それほど危険なものだった。(……なんだろうか、あの後、真っ白い光に包まれて。そして……そして? どうなったんだっけ) サイトがさらに詳しく思い出そうとしたとき、彼に声をかける者がいた。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 7.狂宴の後始末◆◇◆「ようやく起きたかい。使い魔君」 声を掛けてきたのはサイトの右隣に寝ていた少年。 どことなく気障ったらしい声色だ。 サイトは、きっと枕元に飾られた赤薔薇は彼の趣味なのだろう、と思った。「サイトだ、平賀才人。動けないんできちんとした礼はとれないが、今はこれで勘弁してくれ。名前を聞いても?」 どうにか首だけ動かして右隣を見るサイト。 一瞬、言葉遣いが不味いかも知れない、と思ったが、後の祭りだ。「普通なら『貴族に対して口のきき方がなってない』と言うところだが、まあ良いよ。伝え聞いた話によると君は学院を救った恩人らしいからね」 向こうの薔薇の少年も動けないのか、言葉だけで返してくる。 そのセリフに混じった『恩人』という言葉に疑問を覚えるも、サイトは少年の言葉を遮らずに続きを促す。「僕の名前はギーシュ。ギーシュ・ド・グラモン。『青銅』のギーシュと呼ばれている」「なるほど。ギーシュ様、と呼んだほうがいいのか?」「呼び捨てで構わないよ。お互い暫くはこの部屋のベッドの住人だろうからね、会話するのに面倒臭いだろう?」「ああ、話し相手が他に居ないものな。いちいち様付けは確かに面倒だ」「そういうこと。男に様付けで呼ばれても嬉しくもないし。それに君が貴族と同じ部屋に寝かされてるってことは、学院側としても君を貴族と同列……かどうか分からないが、少なくとも生徒と同列には扱うつもりなんだろうし」 右隣のギーシュという少年は、その気障っぽい声に違わず、女好きなようだ。 それだけでなく、ある程度は頭の回転も速いらしい。「そうか、それなら俺のこともサイトと呼んでくれ」「分かったよサイト」「ああ、よろしくギーシュ。生憎握手も出来やしないがね」 何とか左手を上げて、ギーシュに向かって振ってみる。 ギーシュの方も右手を上げて振り返してくる。「って、お前その腕、凄いことになってるな」「ああ、これかい?」 ははは、と疲れたように笑いながら、ギーシュは両腕を上げて見せる。 ギーシュの両腕はギプスによって肩から指先までがっちりと固められている。「何だか良くわからない白覆面の男に成敗されてね……」「ムキムキの?」「そうムキムキの。何だったんだろう?」「嫉妬の神様の使者だよ」「そうなのかい?」「本人がそう言ってた」 なんか左隣の人がビクビクしてる雰囲気がするがサイトはスルー。 左隣の少年の顔つきは、しっとマスクを剥がした時に見たのと同じような気もするが、大人の余裕でスルー。 ギーシュからは左隣の少年がビクつく様子は見えてないようだし。「まあその覆面男にだね、バキボキのボロボロにされたあとにスープレックスで地面に突き立てられてね。腕はこの通りボロボロさ。まあ今はもう大体治ってはいるんだが……」 詳しく聞くと、どうやらスケキヨ状態にされたらしい。 沼沢地ならともかく、普通の地面に真っ逆さまに人体を突き立てたらどうなるのか、ギーシュの両腕を見れば理解できるだろう。 両腕の複雑骨折(骨折部分が露出する骨折、開放骨折)だったらしい。もう治りかけているといことは何か魔法の作用なのだろう。「よくもまあ首が折れなかったもんだな」「どうやらあの覆面が土の使い手だったらしくてね。予め、首と上半身が入る分の穴が、突き立てられた場所には掘ってあったみたいだよ。だから被害は腕だけで済んだんだ」「……半端に親切だな」「そうだね」 はあ、とギーシュは溜息を一つ。 元気づけるようにサイトは別の話題を振る。 怪我や病気の時は弱気になってしまうものだから、何か楽しいことを考えなくては。「まあ、前向きに考えようぜ。両手が使えないなら、誰かの介助が必要だろう? ほら恋人から御飯を食べさせてもらうイベントとかさ、そういうのあるだろ?」「……二股がバレてね……」「Oh……」 地雷を踏み抜いたらしい。サイトにとっては良くあることだ。地球にいた頃は、地雷原を爆走する男とか呼ばれていたこともある。 さらにどんよりとするギーシュと、思わずアメリカンな反応をするサイト。 女好きそうだったから女の話題を振ってみたが、逆効果になってしまった。「じゃあ何かこう、楽しいことを考えようぜ! ほら、左隣の君も」 サイトは苦し紛れに左隣の少年に声を掛ける。「おいおいサイト。そっちの彼は僕らなんかより重傷だったんだぜ。何せ上下真っ二つにされてたんだからさ。多分まだ意識は戻らないよ」「……上下真っ二つ?」 サァーっとサイトの血の気が引く。 彼の記憶の中で上下真っ二つといえば、あの時の三眼の悪魔だ。(まさかあの悪魔の中身はしっとマスクと同一人物……?) 殺人未遂……、と口の中で呟く。 顔色を失いながら固まるサイトを知ってか知らずか、左隣の少年から声がする。「起きてるよ。身体は動かせないけどね。レイナールと呼んでくれ。というか上下真っ二つって本当かい? 記憶がないから分からないんだが」「隣のクラスのレイナールか。真っ二つってのは、そうらしいよ。随分綺麗に輪切りにされてたらしいけど、現場に居合わせたルイズの応急処置が良かったそうだ」「へえ、流石全属性スクウェアのシュヴァリエ持ちは違うね。じゃあそっちの、サイトだっけ、君のご主人様には礼を言っておかないとなあ」 サイトの頭越しに会話するレイナールとギーシュを余所に、サイトの頭の中では葛藤が繰り広げられていた。 すなわち、左隣のレイナールを真っ二つにしたのは俺だ、と告白するか否か。 葛藤は数秒。精神衛生上、告白したほうがいいと判断。お互い動けないこの状態なら今すぐどうにかされることはあるまい、と打算。「なあ、レイナール、だっけ」「なんだい、サイト」 サイトは意を決して謝罪を口に出す。「スマン! お前の身体を真っ二つにしたのは、多分俺だ。済まなかった!」「えぇ?」「はぁ?」 突然のサイトの告白に困惑するレイナールとギーシュ。 ギーシュが問いただす。「うん? どういう事だい? そんな話は初耳だな」「俺もよく覚えてないんだけど……。ここで目が覚める前の最後の記憶が、黒尽くめの三眼の悪魔を両断した光景でさ。というか、聞きそびれたけど、俺が『恩人』ってのはどういうことだ?」「僕の方は記憶が曖昧だから何とも言えないなあ。ホントにそんな大怪我だったのかも分からないし。というか君もよく覚えてないことで謝るなよ。なあギーシュ、一体学院ではどんな話になってるんだ? 僕ら二人よりは多少詳しそうだし、教えてくれないか」 サイトがさらに聞き返し、レイナールが情報提供を求めた。 レイナールという少年は沈着冷静で、慎重な性格なのかもしれない。 サイトは、あの時の冷静さを失っていたしっとマスクと隣のレイナールが本当に同一人物か、少し自信が揺らぎ始めた。「そうだね、先ずは何より情報が必要だ、と父上もよく言っていたよ。一旦状況を整理しようか。とは言っても僕が知ってることもそれほど多くはないんだけれど――」 ギーシュはサイトとレイナールに、彼ら二人が意識を取り戻すまでの話をすることにしたようだ。◆◇◆ ギーシュはこほん、と咳払いをして話し始める。「先ずは、今日は何日かということだけれど、既にあの学院生全員昏睡事件から四日経っている。君たちが運ばれてきてからも四日だね」「げ、そんなに経ってるのか」「というかその『学院生徒全員昏睡事件』というのはなんだい?」 レイナールがギーシュに問いかける。「ああ、そこから分からないのか。僕が白覆面の男に成敗されてこの医務室に運ばれた直後くらいかな。何かの事故で、学院宝物庫の秘宝に封印されていた古代の悪魔が目覚めてしまったそうだ」「悪魔?」「俺が戦ったやつかな?」「その悪魔は精神を狂わせるらしくてね、学院長がとっさの判断で学院の秘宝〈眠りの鐘〉を使って全員を眠らせたそうだよ」「あれ、全員眠らせたら、誰がその悪魔を退治したんだい?」 レイナールが当然の疑問を口にする。「そこで出てくるのがゼロのルイズとその使い魔のサイトさ」「あー、確かにそれらしき奴と戦った記憶もあるし、封印が解かれた秘宝ってやつも心当たりがあるな」 サイトがギーシュの話を補足する。 というか直接的に〈輝くトラペゾヘドロン・レプリカ〉の封印を破壊したのはサイトなのだが、どうやらその辺は公式発表では有耶無耶になっているようだ。「そう、そしてその悪魔を退治した功績で、ルイズは表彰されたらしいよ。僕はこの有様だったからその表彰式には参加できなかったけれど」「みんなその悪魔云々ってのは信じてるのかい? だってルイズとサイト、学院長以外はその悪魔を直接確認したわけじゃないんだろう?」 悪魔が退治されたといって、皆眠っていて誰も悪魔の存在を確認できなかったなら、素直にそれを信じはしないだろう、とレイナールが指摘する。 むしろ事件自体を隠蔽した方がいいだろう。「ところがそうでもないのさ。学院長の〈眠りの鐘〉は確かに効果を発揮したけれど、それでも感受性豊かな何人かはその悪魔の影響を受けて精神に異常を来したらしい。眠らされている間にとびきりの悪夢を見たという生徒や使用人は、何十人と数えきれないほどだとか」「ああ、なるほど。だからきちんと事件は終息したと示すためにも、ルイズの表彰という形で学院の公式見解を示す必要があったわけか」「そういう事さ。頭の回転が速いな、レイナールは。まあ精神に異常を来した数人についても、学院の方できちんとフォローしているらしいし。その筆頭だったレイナールがマトモに戻ってるなら、他の被害者も大丈夫じゃないかな」「え?」 首を傾げるレイナールに、ギーシュは、覚えてないのかい、と尋ねて、ギプスで固められた腕を大げさに振り回して話を続ける。「大変だったんだぜ。ここに運ばれてきて少ししてからかな、君はいきなり訳のわからないことを喚きながら暴れだしたんだ。まだ傷も満足に塞がっちゃないっていうのに!」「お、覚えてない」「その方が良いよ。素人見立てだが、ありゃ尋常じゃなかった。正気に戻ったなら、その方が良いに決まってる。あの場にルイズが居なきゃどうなっていたことか」「ん、ルイズが居たのか?」 自分の主人の名前が出たことにサイトが反応する。 彼の心の奥深くに、ルイズという美少女の存在は刻みつけられている。「ああ、ルイズは毎日、授業が終わって夕食までずっとこの部屋にいるよ。使い魔の君の事が心配なんだろうね。僕だってヴェルダンデ、あ、これは僕の使い魔のジャイアントモールなんだけどね、その可愛い使い魔が重傷を負ったら付きっきりで看病するさ。ああ、ヴェルダンデ、ずっと会っていないけれど元気かなあ。どばどばミミズをたっぷり食べているかなあ」 何か恍惚そうな様子で身を捩らせるギーシュ。 使い魔バカ、という言葉が二人の脳裏を過る。 ちょっとトリップしてるギーシュが戻ってくるまでに、サイトは使い魔の話題で気がついたことを、ついでとばかりにレイナールに謝っておくことにした。「使い魔といえば、俺はもう一つ謝らなきゃいけないことがある、レイナール」「ああ、僕の使い魔のあのマスク〈解放の仮面〉のことだろう? 朧気ながら、君に返り討ちにされた時の記憶はあるんだ。覚えているよ」「済まなかった。あれ壊して、ごめん」 ギーシュの使い魔バカっぷりを見るにつれて、サイトの中でレイナールに対する罪悪感が膨らむ。 メイジにとっての使い魔がいかに大きな精神的支柱かというのを考えると、レイナールの覆面を破壊したことは謝っても謝りきれないことだろう。 だが、レイナールは、口元を緩めて儚げに微笑んで、優しく言葉を掛ける。「いや、謝る必要はないよ。それどころか僕はサイトに礼を言わなくちゃならない。――僕を止めてくれてありがとう。そうじゃなきゃ、もっととんでもないことを仕出かすところだった。あと、襲って、ごめん」 ギーシュにも謝らなくちゃな、と言って、レイナールは意を決して、未だ使い魔の大もぐらを想って身悶えしているギーシュに話しかける。「ギーシュ」「ん、ああ、話の途中だったね、レイナール。どこまで話したんだったか」「その前に僕は君に謝らなきゃいけない。――君を襲った白覆面の男は、実は僕なんだ」「……なんだって?」 ギーシュが怪訝そうな表情で、顔をレイナールの方へ向ける。「僕はさ、今まで真面目一徹でやってきたけどさ、ずっとずっと君みたいにワイワイ楽しく学院生活を送ることに憧れていたんだ。有体に言って、嫉妬していたんだよ」 気恥ずかしいのか、それとも自分の心の整理をつけるのに一杯いっぱいなのか、レイナールはギーシュの方から視線を外して、天井を見ながら訥々と語る。 レイナールの告解を、ギーシュは茶々も入れずに神妙に聞いている。「僕の使い魔として召喚されたあの白覆面、〈解放の仮面〉と言うそうなんだけど、それによって僕は気付いたんだ。自分の中に眠る、世界への憎悪とも言えるような、嫉妬の感情に。『何で僕の世界は、こんなに灰色なんだ』、『何で僕はギーシュのようになれないんだ』ってね。妬ましかったんだ」「そうなのかい」「そうなんだよ、ギーシュ。本当に済まない。君には本当に申し訳ないことをした。君を傷つけ、その上、何もかも台無しにさせてしまった。妬みなんて、お門違いもいい所だったんだ。結局自分が悪いのに、自分こそが変わらないといけないのに……!」 レイナールは知らず知らずのうちに涙を流していた。 元から内罰的な人間であるレイナールは、自分のしでかしたことが許せないのだろう。「レイナール。君は本当に反省しているかい?」 シーツを握りしめて、嗚咽を押し殺して泣くレイナールにギーシュは優しく声をかける。「ああ。ああ。反省している。許せとは言わない。本当に、済まなかった」「君が、本当に反省して、これから変わっていきたいと、変わりたいと、そう本心から願うなら」 ギーシュは、ゆっくりと区切りながら、レイナールに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。「僕は君を許すよ。そして、友達になろう。そうだ、お互い怪我が治って元気になったら、トリスタニアに遊びに行こう。サイトも一緒にさ」「俺も?」「ああ、そうさ。皆で一緒に遊びに行こうじゃないか。何、レイナールは顔も良いし、脱いだら凄いし、サイトはサイトで凄腕の戦士だそうじゃないか。きっと女の子にもモテモテさ。トリスタニアに、かわいい女の子が給仕をしてくれるって評判のお店があるんだ」「はは、そりゃあ良いなあ。なあ、レイナールもそう思うだろう?」 レイナールは泣きじゃくりながら、声にならない声で、うん、うん、と頷いている。「うぅ、ぐすっ。あ、ありがとう、ギーシュ」「何、薔薇は多くの女性を楽しませるだけじゃなくて、他の花にその咲き方を教えるものさ」 おいおいとレイナールは泣き、サイトやギーシュもそれにつられて涙ぐむ。 そこには不思議な友情があった。 彼らはこの瞬間から、確かに友となったのだ。 しばらく、レイナールが落ち着くまで待ち、ギーシュは話の続きをすることにした。「まあ、白覆面の件はこれで解決、だね。僕も僕で、二股がバレた程度で愛想つかされるようじゃまだまだだと痛感したし、いい経験になったよ。次はもっと上手くやることにする」「ギーシュ、お前、全然懲りてねえじゃねえか」「今後は例え二股だろうが三股だろうが、『ギーシュ様に愛されるならそれでいい』と女性に思われるように頑張るよ。父上や兄上に教えを請うのも良いかも知れないな」「ふふ、程々にしとかないと、また僕みたいな嫉妬の使者に成敗されるよ」「その前に夜道で女から刺されそうだけどな」 はっはっは、と三人で笑いあう。 サイトが笑いすぎて腹筋を押さえて転がり、それによってまた全身が痛んだのか呻きを上げる。 それを見たレイナールとギーシュがまた笑う。「あはは、それで、えーと、どこまで話したんだっけ」「えーと、確か『ルイズが悪魔退治で表彰された』『何人か悪魔の精神攻撃で病んだ』『レイナールがその被害者筆頭だったけど、ルイズが何かしておさまった』ってところまでかな」「ああ、そこまでか。ルイズが毎日病室に来ているとこまでは言ったな。レイナールはもう彼女に頭が上がらないんじゃないかな。君が暴れたとき、彼女が何かやたらと長い、聞き覚えがない呪文を唱えたら、その後ピタリとおさまったからね。精神作用系の水魔法か何かかな?」「輪切りにされたとかいう胴体の治療もルイズがしてくれたんだってね。元気になったら重ね重ね礼を言わないとなあ」「まあ多分今日も授業後はこっちに来ると思うから、その時に礼を言いなよ」「そうするよ」 お返しには何がいいかなあ、などと悩み始めるレイナール。 無難に花が良いんじゃないかなあるいはクックベリーパイとか、と割と的確なアドバイスをするギーシュ。 そこにサイトが口をはさむ。「なあところで、俺たちが入院してるのは、それぞれどういう理由になっているんだ?」「ああ、そうだった、確かにそこは気になるところだろうね。どうやら君たちはどうして自分がここに居るかも分からないみたいだったし」 ギーシュは、これはルイズからここ数日雑談してるうちに伝え聞いた話だけどさ、と前置きして続ける。「先ずはサイトについてだけど、症状の内容は、全身の肉離れやらいろんな骨に細かい亀裂が入ってるとかだね。悪魔退治に大立ち回りをしたせいだと聞いてるよ。あと、今はもうルイズの『治癒』の呪文で治ってるけれど、全身の皮膚の糜爛(びらん)も酷かったみたいだ」「あー、確かに思い当たる節がたくさんあるわー」 忍者のような身のこなしをしたことを思い出して納得するサイト。 たしかにあんな人間離れした機動をすれば、そりゃあ、全身にガタが来るに決まっている。 全身の糜爛というのは、あの気色悪い生体装甲が侵食だかなんだかしたんだろう。視線を動かして病院着の胸元を見れば、新生した皮膚特有の、無垢なピンク色が見えた。「もっと身体を鍛えなきゃなあ」 しみじみとサイトは呟く。 毎回毎回、ガンダールヴのルーンを使うたびにこんな状況に陥っていてはたまらない。「でもルイズは褒めてたよ。使い魔の鑑だってさ。君のことを随分高く評価しているみたいだったし、期待も大きいみたいだ。心配していたから、君が目覚めたと知れば、喜ぶんじゃないかな」「へえ、あの苛烈でとんでもねえご主人様がねえ。想像できないな」「それは実際の反応を見て確かめたら良い。じゃあ次はレイナールだね」 ごくり、とレイナールが息を飲む。「レイナールは、学院の発表では封印が解かれた悪魔によって精神汚染されて、さらに悪魔の爪で真っ二つにされたことになっている。悪魔による直接的な唯一の犠牲者だってさ」「『学院の発表では』?」「ああ。でも、前に君が錯乱したのをルイズが鎮めたときに、彼女から聞いたところによると、君は悪魔の依代にされたらしい。錯乱したのはその後遺症だって」「どっちが正しいのかな」「多分ルイズじゃないかなぁ。何と言っても当事者だし。サイトも悪魔を斬った覚えはあるんだろう? それと同じような傷でレイナールはここに運ばれてきたんだし、状況証拠的にもルイズが正しそうだ」 ギーシュが推測を口にするが、残りの二人は異を唱えない。 サイトが左隣のレイナールに顔を向けて、改めて謝罪を口にする。「そういうわけで、レイナールをぶった斬ったのは、多分俺だ。済まなかった」「いや、不可抗力だろう、話を聞くに。謝らなくても良いよ」「それでもだ」「やめてくれよ、友達だろう? もうこの話はおしまいにしよう」 全く律儀で一本気な性格だ、とギーシュは謝る謝らないとやり取りしているサイトを見て思う。レイナールもレイナールで真面目過ぎだ。 でも、きっと、こいつらと一緒なら楽しいだろう。モンモランシーとケティからの慕情は失ったが、良い友人を得られたなら、それもまた良し。いい女と同じくらいに良き友は得難いものだと父上も言っていた。 ギーシュはそう思いつつ、だんだん興奮して大声でやり取りを始めた友人たちを宥めにかかる。「まあまあ、諸君。ここはこの『青銅』のギーシュに免じてだね――」◆◇◆ サイトが目覚めたのと同時刻。 はぁ~、と教室でため息をつくのはルイズである。「どうされました? お姉さま」 最前列の席、ルイズの隣りに座った金髪ツインテールの幼い少女、ベアトリスは、彼女の敬愛するルイズのため息を耳聡く捉えた。 心配するように覗き込まれた妹分の瞳に、ルイズは軽く手を振って応える。「なんでもないわ。ようやくサイトが起きたってだけよ」「ああ、あのガンダールヴですか。目覚めるまで四日も掛かるようじゃまだまだですね」「いやいや、上出来よ。戦果著しく、幸いこの四日間も問題らしい問題はなかったしね」「何か事件がありましたら、今度こそは私がお姉さまのお役に立てましたのに」 ベアトリスは、先日の『闇の跳梁者召喚事件』において、自分に声がかからなかったことを不満に思っているらしい。 ちなみにルイズがサイトの覚醒を知ったのは、『カーの分配』によってサイトに移植された彼女の左眼を通じて送られてきた感触によってである。 離れた場所にいても、この学院内程度の距離ならば、霊体を同調させて、サイトの感覚器官からの情報を、自分のそれと同じように知ることができるのだ。「そうね。次に何かあったら、貴女にも役に立ってもらうわ。その為にここ数日は蜘蛛のササガネや竜騎士とコンビネーションの練習をしているんでしょう?」「……バレてましたか。せっかくの秘密の特訓でしたのに」 ベアトリスは次こそは自分もルイズの役に立つのだと、気合を入れて、従者の触手竜騎士と使い魔のササガネを交えて連携訓練を行っていたのだ。 その時間、ルイズはサイトが寝ている病室に行ってしまっているので、見られてはいないだろうとベアトリスは思っていたのだが、そんなことはなかったようだ。「ふふふ、学院長オールド・オスマンのピーピング程じゃないけれど、私もある程度は『遠見』には自信があるのよ」 『遠見』の魔法は風の系統魔法なので、ルイズの自力ではなく、マジックカードの借力によるものだ。 だが自分の力だろうが、他人の力だろうが、何であろうが、使えるものは使う主義なのだ、ルイズは。 そのカード型アイテムが、例え、邪悪な千年教師長由来のものであっても、だ。「お姉さまに隠し事はできませんわね」「隠し事なんてしなくて良いのよ。イザという時にお互いの正確な戦力がわからないと、コンビを組むときに難儀しちゃうわ」「そうですわね」 そんな実際的な理由だけでベアトリスのことを覗き見していたのではなく、異教徒であるこの可愛い妹分の少女が虐められてやしないかと、ルイズは心配なのだ。 もっとも、自分の感情に素直になれない彼女は、それを直接ベアトリスには伝えないだろうけれど。「サイトが回復したら、皆で戦闘訓練しましょう。備えあれば憂いなしって言うし」「それがいいですわ! じゃあ早速本国から模擬戦用のマト、もとい、矮人部隊を呼び寄せないと!」 早くも模擬戦の計画を練り始めるベアトリスに、ルイズは肩をすくめる。 血の気の多い妹分だこと、など自分のことは棚に上げて考える。 第三者から見れば、ルイズの方こそ、近寄り難い武闘派天才少女だと思われているのだが。 そこにふわりとノートの切れ端が飛来し、まくしたてるベアトリスの口にぺたりと貼りつく。「もが!?」「授業中」 ルイズたちと同じく最前席に座っているロリータ体型トリオの最後のひとり、青髪のタバサが、手に握った大きな杖を微かに動かして、ぼそりと呟く。 ベアトリスを黙らせるために、風の魔法で紙切れをベアトリスの口元まで運んだらしい。 ルイズとベアトリスは互いに顔を見合わせる。確かに授業中の私語は厳禁である。◆◇◆ 使い魔サイトの見舞いに行って、今後のことなどを取り決めたり、他愛のない話をしたりして、夕食を食べて、夜半。 ルイズは自分の部屋で、ニマニマ笑いながら、ネグリジェに着替えてベッドに寝っ転がっていた。 彼女の弓なりになった目の先には、先日からひとつ増えた彼女のコレクションを収めたチェストがあった。 両開きの扉が開かれて、中に収められた自慢のコレクションをさらすそのチェストを、ふんふふ~んと鼻歌を歌いながらルイズは眺める。 彼女は非常に上機嫌だった。「うふふふ、やっぱりサイトは“使える”わね~」 彼女の視線の先にはチェストに収められた新たな収蔵品である小箱があった。 内側に発光機構が組み込まれているのか、小箱の隙間からは、白い光が漏れている。「〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉は消滅させるしか無いと思っていたんだけど~」 らんらんらー。「真っ二つになった胃の中からポロリと~」 たりらりらー。「ラッキーらっきーらんらんるー♪」 俯せになって足をじたばたさせながら恍惚とした目で何やらよくわからない歌を歌う様子は、某金髪ツインテールのスールが見れば速攻ルパンダイブものであった。 歌の内容はそこはかとなく宇宙的で猟奇的だが。 何故そこまで彼女が上機嫌なのかというと、先日の騒動の原因となったアーティファクト〈輝くトラペゾヘドロン・レプリカ〉が彼女の手に残ったからであった。 オリジナルには及ばないにしても、流石大メイジであるオールド・オスマンお手製のレプリカである。 レプリカとはいえ、全宇宙の知識を得るための鍵になるとも言われる偏四角多面体のそれは、一体どれほどの力を秘めているだろうか! 当初、彼女としては虚無魔法『爆発』による選択破壊で、レイナールの体内の〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉を消滅させるつもりだった。 だが、『爆発』の詠唱に先駆けて、サイトがレイナールの身体を上下に両断した弾みで、〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉がレイナールの身体の外に転がり出たのだ。 虚無の詠唱によって極限まで研ぎ澄まされた精神集中のおかげで、彼女はそれを見逃さずに済んだ。 ルイズは咄嗟に〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉を消滅の対象から外し、闇の化身の残滓のみを消滅させた。 そして両断されたレイナールをマジックカード経由で発動させた『治癒』の水魔法で応急処置をして、こっそり自分の部屋に〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉を持ち帰ったのだ。 もちろん〈トラペゾヘドロン・レプリカ〉は、暴走することがないように、常に内部が光で満たされるように『ライト』の魔道具を仕込んだ、特製の頑丈な小箱に封印してある。 それが今ルイズがニマニマ眺めている小箱だ。「んふふふ、ふふふ~ん。嬉しい誤算だわ! サイトを取り巻いてる奇妙な運命は、やっぱり私の望みにピッタリのものね~。いやあ、いい使い魔を引き当てたもんだわ~」 ひとしきりコレクションを眺めて悦に入った彼女は、明日に備えて眠ることにした。 ぱちん、と指を鳴らせば、開いていたチェストの扉は閉まり、部屋の魔法のランプも消える。「いい夢を見られますように~!」 そして彼女は夢路を辿る。 彼女が治める夢の王国に向かって。=================================第二部第一章 了ギーシュ△。マジ男前ッスあとルイズ可愛く書けてると良いのですが。彼女のコレクションの中身が若干不安(暗黒神話的に)2011.01.23 初投稿