「姫様が脱走したですってぇ?」 トリスタニアの路地裏にルイズの頓狂な声が響いた。 その声の先には、急ぎ足で各路地を確認している魔法衛士隊の制服を着た灰色の長髪の男がいる。この男、ルイズの婚約者、ということになっているジャン=ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵と言う。魔法衛士隊のグリフォン隊の隊長を務めているエリート軍人である。 ルイズの後ろには、おねえさまが男(しかも婚約者!)と話しているのが気に入らないのか、額に縦ジワを作ったベアトリスと、そんな様子をハラハラしながら見ているシエスタがいる。ベアトリスの悋気のオーラのストレスで、シエスタの胃がマッハでヤバい。誰か彼女に胃薬を支給してやってください。「ああ、全く困ったものさ。これからゲルマニアに行幸しなきゃならんってのに、ゲルマニアのアルブレヒト三世との婚約を儚んで、いや墓なんだと思って、かな、とにかく城から逃げ出したのさ、我らが姫殿下は。本当はもう出発してなきゃいけない時間なんだが」「あぁ、姫様ならやりそうですね。それも常日頃から。実は脱走は恒例行事だったりしないのですか?」 ルイズは昔、クルデンホルフのミスカトニック学院に拉致され……、いや留学する前は、歳が近いこともあってアンリエッタ姫の遊び相手を務めたこともあるのだ。 あの頃の姫はお転婆で、もしもその頃の性向のままならば、王城脱走も日常茶飯事だということがありうる。いや、ワルド子爵の様子を見るに、追う側に『脱走慣れ』がないことから、そう頻繁に脱走しているわけではないのだろう。 脱走経路は不明だそうだが、姫様には妙な色香があるから新米の衛兵なんかはころっと誑かされて脱走幇助くらいやらかしてしまうだろう。あるいは王家のみが知っている秘密の抜け道でもあるのだろうか。「さすがにそんなことは無いと思うがね。まあ何にせよ今回は時期が悪い。城下では何か不穏な噂も聞くし、玉体に何かあってはコトだ」「それでワルド様は『偏在』を総動員して捜索に当たっている、と」「その通り。我らがグリフォン隊は姫殿下のゲルマニア行幸をまるまる護衛するってことで、色々な確認事項が山とあったんだがねぇ。本体は未だに執務室に缶詰だよ。残りの『偏在』たちも各所で捜索指揮を執るために動いている。僕は別の指揮所に向かう途中で君たちにぶつかったというわけだ」 風系統の分身魔法『偏在』を使える術者は貴重である。それぞれが自立思考を持った分身は、各自で魔法を唱えることすら可能である。特にワルド子爵は、まるで人間のような、非常に精度の高い分身を作る事ができる卓越した術者である。 実はワルド子爵には財務省や各省庁の方から引き抜きが掛かっていたりもする。彼が居れば事務処理能力が段違いに上昇するからである。実際時々彼は文官の真似事もしている。パッと現れて何時の間にやら書類を処理して去っていくことと、雷電系魔法の詠唱の速さも合わさって付いた二つ名が、『閃光』のジャン=ジャック。 彼がグリフォン隊の隊長職を務めているのは、ヴァリエール公爵の後ろ盾やスクウェアレベルの魔法の腕のおかげだけではなく、それを活かす実務能力の裏付けもあってのことである。ただの魔法バカではないのだ。「とりあえず、殿下もさすがに市門から外には出てらっしゃらないと思いたいんだが……」「市門の外の貧民街に入り込まれてたらマズイですね」 ルイズは親友として、アンリエッタの身を案じている。割とトリステインの行く末はどうでもいい。ゲルマニアと結ぶのは気に入らないが、クルデンホルフに借金のカタに身売りするよりはマシだ。 それに、ルイズが彼女の目論見通りに蜘蛛連中を駆逐して、彼らの蓄積した富や知識、ネットワークを乗っ取れば、いくらでもトリステインは発展させられる。 それよりアンリエッタが何かトラウマを負うようなことになっていないと良いのだが。純潔とか治安的な意味でも、暗黒神話的な意味でも。 シャンリット程ではないにせよ、トリスタニアにも色んなところに碌でも無いトラブルが埋設されているのをルイズは知っている。平穏の一つ下にはいつでも不穏な影が蠢いているものだ。「それより地下水路にでも入られたらもっと大変だ」 王都トリスタニアは、もともと水資源が豊富な立地の上に、長年、都市を拡張してきた。 地下水路はもとからあった小川を暗渠にしたものから、土魔法によって掘られた大規模下水道や、増水時の緊急放水路などが錯綜しており、王政府でも全容を把握していないと言われている。……しかし何故かアトラナート商会なら全図面を持っていそうな気がする。というか絶対持ってる。 このような複雑な地下水路迷宮の存在は、浮浪者やモンスターの温床となりやすく、治安上の問題を引き起こすとの懸念が古くからある。また治安だけでなく悪臭などの大衆衛生上の問題も市民の衛生意識の高まりに応じて近年クローズアップされている。「最近、地下水路の出入口近くで化物を見たという報告が散発的に上がってきている。縄張りを化物に追われて地上に溢れ出した浮浪者たちによる窃盗やスリが増えたりもしている。君たちも気をつけてくれたまえ。あと姫殿下らしき人物を見かけたら近くの衛兵に知らせてくれ。 ゲルマニア行きの後に休暇が貰えそうだから、是非とも今度は食事でも! 二人っきりでね。本体にも君に会ったことは伝えておくよ」 では! と白い歯を見せて笑い、シュタッと腕を上げて礼をしつつ、ワルド子爵は疾風のような速さでルイズたちから別れる。 追風の魔法を併用して複雑な街区を駆けていく『閃光』のジャン=ジャックは、あっという間に雑踏に消えてゆく。風のスクウェアの実力に恥じない速度であった。 ルイズから一歩引いたところを歩いていたベアトリスが、すかさずルイズの隣に並ぶ。と同時に、周辺の空気を『錬金』の魔法で消臭し、ワルドの残り香の一切を駆逐する。その後ろではようやく緊張から解放されたシエスタが一息付いている。「ふん、気障ったらしくて嫌な男! お姉さま、彼との婚約は解消しませんの?」「んー、でもいい男よ、有能で。腹に一物秘めてそうな感じがするけれど……。ああでも婚約はまだ有効なのかしらね? 酒の席の話だったと思うし、私の留学とかでその辺有耶無耶なのよねー。今度お父様に聞いてみようかしら」 自分の目的を果たすまでは結婚などしないつもりであるが、どうせなら伴侶は有能な方がいい。 魔法衛士隊隊長の『偏在』遣いなら申し分はないだろう。頭も切れるし、領地がラ・ヴァリエールのすぐ隣りというのもポイントが高い。 打算まみれの自分の思考に苦笑しつつも、ルイズは貴族の結婚とはそういう利害関係の上に成り立っているものだということは否定しない。それならそれで、ルイズは自分の家柄や虚無の血統を利用し尽くして、自分の目的の役に立てるつもりであった。「む、むむ、いけません。お姉さまの隣りはこのベアトリスと決まっているのです。あんな優男にも、ガンダールヴにも、お姉さまは渡しません」 ベアトリスがルイズに抗議する。「ふふ、ヤキモチかしら? ベアトリス。安心なさいな、私は誰かに所有されることはないわ。逆に、みんな纏めて私のモノにしてこき使ってあげるわよ」 だが自信満々に、ルイズは不敵に笑って続ける。自分は支配し所有する側なのだから心配無用だと。 彼女の目元は影になっていて伺えない。支配者としての天性のオーラが、実体を持った風の様にして叩きつけられる。虚無の系統とは、始祖の系統、即ち、王の系統。彼女にはリーダーの資質と、圧倒的な魔法の力が宿っている。 それを感じてベアトリスは陶然とし、シエスタは恐怖した。“魔王”、シエスタは知らず知らずのうちに、口に出そうとしたその単語を手で押さえて飲み下す。「来るべき、世界奪還の時に向けて、ね。当然、貴女たちは私についてきてくれるわよね?」 あれ、いつの間にか私も含まれてる? とシエスタは思うがもはや後の祭りである。「もちろんですわ! お姉さま! 『運命をヒトの手に』!! ……ほらシエスタも」 ベアトリスに促されて、半ばやけっぱちにシエスタも声を出す。「う、『運命をヒトの手に』~!」 路地裏で、美少女三人が、えいえいおーとスローガンらしきものを唱えあう。 それだけ見れば微笑ましくもないが、内容は極めて物騒であった。 きゃっきゃうふふ、と手を取り合って大通りへと出て行くルイズとベアトリスの後を慌ててついて行きつつ、シエスタは心中で嘆く。(ああ、ひいおじいちゃん、シエスタは選択を誤ったかもしれません。せめて同僚のサイトさんはもっとマトモだと良いんですが……) ちょっと潤んだシエスタの視線の先で、ルイズが何やらこめかみに右手を当てて立ち止まる。するとみるみる彼女の表情が曇っていく。 女主人(ルイズ)の左手が忙しなく擦り合わされている。これは厄介ごとのサインだということを、シエスタはここ数日の付き合いから知っている。 一体今度はなんだと言うんだろうか……。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 11.トリスタニアの地下水路迷宮(ラビリンス)◆◇◆ 淀んだ水の匂いがする。 流れない水は、死んだ水だ。死霊を遮る力も持たない、活力を失った水。淀みを無くすことは、水系統の術者の基礎にして基本。アンリエッタも御用教師からそう教わった。 流水の爽やかさとも無縁で、海の生命の匂いもしないここは、死の領域なのだろう。周囲の地下水路の闇から骸骨が手を伸ばしてくるような想像に、アンリエッタは背筋が凍るような気がして、ギーシュに『錬金』してもらったマントの前をぎゅっと閉める。「大丈夫ですか、お姫様」 彼女を気遣って、黒髪の青年(サイト)が声をかける。「ええ、大丈夫。ありがとう、サイトさん。それにギーシュさんに、レイナールさんも」「勿体無いお言葉です」「ええ全く」 周囲にはギーシュやレイナールも居る。二体ずつのスパイクが目立つ鎧で構成された四脚ゴーレムが彼らの前後を固めている。 前からレイナールのゴーレム×2、レイナール、アンリエッタ&サイト、ギーシュ、ギーシュのゴーレム×2の隊列で、現在は小休止をとっている。 ここは巨大な水路の脇の通路だ。水路には僅かな水と湿った汚泥しか残っていない。 “敵”は前から後ろから、時には汚泥の中や天井からも襲って来た。それに対処するために前後に壁となるゴーレムを置き、最優先護衛対象のアンリエッタ姫を、最も単体での反応速度と攻撃力に秀でたサイトが守る形だ。 土メイジであるギーシュらが造るゴーレムたちは互いにうまく連携し、空間の限られた地下通路で“敵”を上手く誘導してきた。 そして動きを止められた“敵”にトドメを刺すのが、サイトの持つ強力な弓だ。彼は時には単身斥候に出て、通路上の“敵”を遠距離から撃破して安全を確保したりもした。 サイトの指示のもとに『錬金』の魔法で作られたその金属弓は、コンパウンドボウと言うらしい。彼の腕には篭手が嵌められており、弓の弦から腕を守ることができるようになっている。 滑車を備えたその弓は、比較的軽く引くことが出来るのだが、一撃必殺の威力を出すためにその金属弓は何枚もの銅板を貼りあわせて太く厚く作られているため、サイト以外では少しも引くことが出来ない。 しかしそれでも尚、人の手による『錬金』の弊害か弓の材質が一定になっていないため、何度か半ばから弾け飛びそうになった、らしい。 弾ける直前にサイトが弓の限界を悟って、予備の弓に持ち替えたために、幸い、弓の破裂による味方の被害は出ていないが、サイトによると、かなりギリギリで危なかったらしい。「スクウェアクラスの『錬金』が使えれば、壁や通路に掛けられた『固定化』を破って道を作れるんだけどね」 レイナールが自分の未熟を嘆く。「あるいは風メイジが居れば、どこか外に繋がる道がないか分かるだろうにね」 ギーシュもボヤくが、無い物ねだりをしても始まらない。「風メイジ……風のルビー……ウェールズ様ぁ……」 風メイジという言葉に反応して、アンリエッタの顔がくしゃくしゃっと歪められる。 目は涙で潤んでいる。 この極限状況で、精神が弱って涙もろくなっている部分もあるのだろう。 アンリエッタ姫には想い人が居る。 彼女は望まぬ結婚が嫌で、王城を抜け出してきたのだ。 そしてその彼女の想い人というのが、風メイジらしい。 白の国の王子ウェールズの名前が聞こえたが、彼らとしては是非とも聞かなかったことにしたかった。 姫様の想い人の名前を知ってもどうしようも無い。話は国と国との問題なのだ。一貴族子弟にどうにか出来る問題ではない。 まあ、次代のトリステインを担う身として、自分たちトリステイン貴族の不甲斐なさが身に染みるということはあるが……。 もっとトリステインに国力さえあれば、姫がこんな風に声を押し殺して地下水路迷宮で泣くようなことにもならなかったはずだ。 あーあ、なーかしたー。サイトとレイナールは非難を込めてギーシュを見る。いーけないんだー、いっけないんだー。 ギーシュもギーシュで狼狽える。姫様を泣かせてしまった! どうしよう!? 何か、何か話題を逸らさなくては、明るい方向に、恋愛から離れて!「ひ、姫様! 姫様は使い魔を召喚なさいましたか?」 この話題なら大丈夫だろう、多分。「ぐすっ、ぅえ? 使い魔、ですか? いえ、まだです。そういえば皆さんは魔法学院の二年生でしたね。使い魔品評会の予定が、ゲルマニアに行ったあとに入っていたと思います。……そう、ゲルマニアに……いった、あと、に、ぐすっ、ふぃいぃぃ……」 うわ、めんどくせえ。 サイトだけでなく、臣下たるギーシュとレイナールも、不敬と分かりつつ、その思いを抱いてしまったのは仕方ないと思う。 今度はサイトが強引に話題を転換する。そう、建設的に行こうじゃないか!「なあギーシュ、お前の使い魔のヴェルダンデに穴を掘って迎えに来てもらうことは出来ないのか?」「さすがに僕の自慢のヴェルダンデでも、スクウェアクラスの『固定化』と『硬化』がかかった壁を崩せないよ。しかも半端に老朽化しているから、きちんと応力計算しないと、下手したら全通路が連鎖的に崩壊してトリスタニアごと地盤沈下、なんて事態にもなりかねない」「いや、さすがにそこまではならないだろう。多分」 そんな、経絡秘孔を突いて人体爆裂みたいなことにはならないだろう。 クリティカルでジャックポットな悪魔的な偶然が重ならない限りは。 ……そう、偶然が重ならない限り(・・・・・・・・・・)は。(……うわぁ、否定出来ない。俺って運悪いし) 経験上、事態は必ず想像の斜め下を通ることを身に沁みているサイトは、楽観的な想像を捨てる。 大体、この地下水路に落ちたのだって、運がなかったとしか言いようがないのだ。 少しサイトは回想してみる。 何故彼らが廃棄された地下水路を当て所なく彷徨うことになったのか。 まずは衛兵に追われる美少女を見つけたギーシュが、カッコ付けて「彼女は僕の連れだよ」と衛兵に金貨を差し出しながら助けたのが、フラグ1。 その美少女が実は王女様で、というので、フラグ2。 婚約が嫌で逃げ出してきたとか、隣の国の王子に恋してるとか聞いて、「自分の意思をちゃんと伝えてみたり、他の道を探るべきじゃね?」ってサイトが諭して、フラグ3。 じゃあ、辿ってきた地下水路経由の抜け道を帰ろう、となって、「もちろん城まで送ります」とギーシュやレイナールが立候補して、フラグ4。 で、長年使われていなかった地下水路の抜け道は老朽化していて、ひとり分ならともかく、四人分の重量を支えることはできなかった、というのでフラグコンプリート。 ビシビシと地下水路に亀裂が走ったのに気がついたときにはすでに遅く、水路はサイトたちを巻き込んで崩落した。 そしてなんとか怪我せずに着地したものの、見事サイトたちは地下水路に閉じ込められました、と。余談だが、このときサイトがガンダールヴの力を発揮して、姫様をぎゅっとお姫様抱っこして、すばしっこく瓦礫をかわしたりした。大きな胸が当たって幸せだった。役得役得。 だが息つく暇もなく、崩落してすぐに九本足の“敵”に襲われて、そいつから逃げ出して地下水路をぐるぐるしてるうちに、現在位置も何もかも分からなくなりました、と。 運が悪いってもんじゃないぞ、これ。まあ美人とお近づきになれたのは良いが、死亡フラグと同時なのはどうなのよ。 サイトが自分の悲運に改めて凹んでいると、レイナールが、何かを思いついたような表情で口を開く。「使い魔と言えば、さ、サイト。ルイズとは連絡取れないのか? 念話とか」 その声に姫様が反応する。「ルイズ? ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール?」 どうやら姫様とルイズは知り合いらしい。 というか、それは一先ず置いておいて、問題は、サイトとルイズの共感覚による連絡が可能かどうか、だ。 ……すっかり忘れてた。「す、すまん、忘れてた。すぐに連絡取ってみる。待ってろ」「え、サイトさんはルイズの使い魔なんですか? ヒトなのに?」 王女様が混乱しているが、とりあえず無視だ。 レイナールとギーシュの刺すような視線がきつい。 さっさと桃髪の小さいご主人様に連絡取らないと! 前までは自然に自分の考えがルイズに流れて読まれていたような感じだったのに、最近は集中しないと念話が繋がらなくなってきているから、すっかり忘れてた。(ルイズー! るーいーずー! おーい! 聞こえるかー!?)◆◇◆ サイトの左眼窩に移植されたルイズの左眼を通じて、サイトとルイズの間には霊的な繋がりがある。『カーの分配』という魔術の効果だ。 虚無の使い魔には通常は念話機能は付いていないのだが、これによってルイズはサイトの大まかな場所や身体の指揮権奪取、感覚共有、念話などを補っている。 焦るサイトの気持ちが通じたのか、直ぐにルイズはサイトの呼びかけに応えた。(何よ、サイト)(ああ、繋がった! よかった。実は色々あってトリステイン王女アンリエッタ姫と一緒に地下水路に閉じ込められた)(……、……。詳しく話しなさい) うわぁ、不機嫌そう。そう思ってサイトが尻込みするのが、共感覚によってルイズに何となく伝わる。 ……だが以前に比べてサイトとの繋がりが弱くなっているような、何かに邪魔されているような感覚をルイズは感じた。 そんな感想を抱いたルイズはさておいて、もはや頼みの綱はルイズたちだけであるサイトは覚悟を決めて話し出す。(ああ、実は……) サイトは必要な事項をルイズに伝えていく。 今一緒に閉じ込められているのが、4人(サイト、ギーシュ、レイナール、アンリエッタ)であること。 王家の秘密の抜け道を通っている最中に崩落したこと。 現在位置、および脱出経路が不明なこと。 ナニモノかわからないが、人外の“敵”に襲われていること。(分かったわ、直ぐに救助に向かう。場所は、私が見つけるから、そこを動かないで頂戴)(“敵”に襲われても、か?)(出来るだけ、ね。持ちこたえて)(あぁ、分かった――ッ!? “敵”だ! スマンが、宜しく頼む!)(使い魔を見捨てるメイジはいないわ。そっちこそ姫様を宜しく) サイトとの念話が切れる。 聞いた限りでは武器もあるし、シュヴルーズの訓練で互いの連携もなんども練習して培っているから、恐らく、迎えに行くまではサイトたちは持ちこたえるだろう。 地上にいるルイズは、ため息を一つ。「ベアトリス、シエスタ。アトラナート商会のガン・スミスまで戻るわよ。姫様が地下水路に閉じ込められているそうだから、その救助に向かうわ」◆◇◆ アトラナート商会の看板のない店の前。 ルイズたちは最初に出てきたこのガン・スミスまで戻ってきていた。「あの、ルイズさん。どうして直ぐに助けに行かないんですか?」「地図も装備も無しに地下水路には入れないわ。だから地図や装備を補充しに来たのよ」 シエスタの問いに答えながら、ルイズは店のドアを開く。 奥から厳つい店主の親父(の形の精密なガーゴイルか何かだろう)が、揉み手をしながら「いらっしゃいませ」と、三人を出迎える。 アトラナート商会は、気に入らない。だが、彼らが便利であるのも、また事実。ハルケギニアに浸透している彼らを完全に取り除く弊害は大きい。 ならば、最上策はアトラナート商会の総てを乗っ取ること。勝利して、支配する。それしか道はないと、ルイズは決意を新たにする。「お嬢様がた、お頼みのものは揃っておりますよ」 店主が鏡を一枚差し出す。〈ゲートの鏡〉だ。しかも伸縮自在の丈夫な素材でできた最新式。別名、四次元ポケット。 この〈ゲートの鏡〉は、どこか遠くに用意された倉庫用のスペースと繋がっている。その中に今回ルイズが買い物した装備など一式が入っているのだ。 ルイズがその四次元ポケットを受け取る。「仕事が早いわね。あと、トリスタニアの地下水路全体の地図を頂戴。三次元で、現在位置やナビゲーションも表示してくれるやつを」 王政府ですら地下水路の全容は知らない。 だが、知りたがりの蜘蛛たちならば、必ず知っているだろうという確信がルイズにはあった。「へい毎度。ではマジックカードにインストールさせていただきますので、カードをお入れください」 やはり地下水路の全貌をデータとして持っていたか。 軽い摩擦音とともにオヤジの額に、カード挿入用のスリットが開く。 お辞儀をするように額を下げたガン・スミスのオヤジに、ルイズは自分のIDカード兼用の汎用マジックカードを挿入する。 その様子を見て、ベアトリスは平然としているが、シエスタが息を呑む。(ホントに人間じゃなかったんだ……!) 額にカード挿入口がついているものが人間なわけはない。 シエスタは戦慄する。ミス・ロングビルも人間ではないということだったが、それでは、一体、誰が人間なのだろうか? マルトーさんは、メイドの仲間は、メイド長は、きちんと人間だったのか? 世界が得体の知れないものに入れ替わってしまったような、そんな不安定感。キモチワルイ。ぐらぐらと世界が揺れる。いや、揺れているのは、私?「シエスタ、大丈夫ですの?」 立ち眩みを起こしたシエスタを、ベアトリスが支える。 ベアトリスが急に倒れたシエスタを心配気に覗き込む。 しかし、ベアトリスは、何故シエスタが気分が悪くなったのか、その原因が全く思い当たらない様子であった。ベアトリスにとっては、人間かインテリジェンスアイテムかどうかなんてどうでも良いのだろう。彼女の世界は、おねえさま(ルイズ)と、それ以外で出来ている。「顔、真っ青ですのよ。少し、休みます?」 休む。ここでだろうか。シエスタは一瞬考える。 確かベアトリスは、『この店自体がインテリジェンスアイテム』だと言っていなかっただろうか。 その、得体のしれないモノの内部(ナカ)で、休む? 冗談ではない。「いえ、ベアトリス様、ここは、ちょっと……」 断ろうとしたシエスタの言葉に、ルイズが割り込む。 ルイズの表情からは、心配と、そして理解の色が浮かんでいた。 ベアトリスとは違って、シエスタの感じている、悍ましい感覚にルイズは心当たりがあるのだろう。シャンリット生まれのベアトリスには分からないのだろうが。「シエスタ、具合が悪いところ申し訳ないけど、衛兵の詰所に行ってもらえるかしら。姫様の居場所が分かったと伝えて頂戴、秘薬屋『Piedmont』の向かいの店に来るようにと。ラ・ヴァリエールとワルド子爵の名前を出せばすんなり行くはずだから」「は、はい! ルイズ様! 直ちに行って参ります! ありがとうございます!」 即答であった。 この悍ましい場所から遠ざけようとしてくれているのを感じて、シエスタは心のなかで感激の涙を流す。 着々とルイズの人心掌握は進行中であった。シエスタはガン・スミスのドアを蹴破らんばかりの勢いで飛び出していく。「ベアトリスはここで待機。私はベアトリスの使い魔のササガネと一緒に地下水路に向かうわ」「えー、私も向かいますわ、お姉さま~」「あんまり他国の人間を連れて行くことは避けたいし、連絡員が必要なのよ。お願い、ベアトリス」 確かにここに来るであろう衛兵に、ルイズの現在位置を知らせる者が必要だ。 サイトの位置を把握できるのがルイズしか居ない以上、ルイズは地下水路への突入部隊ということになる。 となれば、このガン・スミスに連絡員として残るのは、マジックカード経由でルイズから連絡を受けられるベアトリスしか居ないのは自明だ。「……お、おねえさまにそこまで言われては、断るわけにはいきませんわ。ササガネをつけますので、もしもの時は遠慮無く彼女を盾にしてくださいね」 ベアトリスは『盾になれ』という指令に猛然と抗議する女郎蜘蛛を脳裏に浮かべながら、ルイズのお願いを承諾する。さて、どうやってササガネを説得しようか。 ササガネはこのガン・スミスの地下に待機している筈だ。 確か地下水路への入り口は、この店の地下にもあったはずだから、ルイズとササガネはそこから突入することになるだろう。 地図データのダウンロードが終わったようだ。 いつの間にかオヤジが立ち上がり、ルイズのマジックカードを差し出していた。 ルイズはそれを受け取り、さっと三次元の地下水路全容を空中に投影して映し出す。「ん、感覚的には、このあたりか……」 ルイズは左眼に意識を集中させるような感じでサイトの位置を探る。 大まかな方向と距離を求めて場所を特定すると、それを三次元マップ上に光点として表示させる。 ルイズの現在位置と向かうべき方向も、マップ上に表示される。「じゃあ私のマジックカードもお姉さまのと同期させますわね」 ベアトリスもマジックカードを翳して、ルイズのマップとデータを共有する。 三次元マップ上に、ベアトリスと彼女の使い魔ササガネを表す光点が追加される。 ササガネにはベアトリスによって敵味方識別装置(IFF)が埋めこまれており、それが自動的にマップ上に位置を表示したのだ。「あら? ササガネ、なんか随分離れたところに居ますわね。ちょ、ちょっとお待ちください、お姉さま。確認します」「……散歩でもしてたのかしらね? サイトの光点と結構近いけど。まあ良いわ、とにかく一度戻ってきて貰って、どこか途中で合流したほうが良いわね」 ルイズの言葉を聞き終わってすぐに、ベアトリスは使い魔と感覚共有を行い、女郎蜘蛛の位置と彼女が置かれている状況を確認する。 ササガネは勝手気ままに餌を求めて地下水路を徘徊していたらしい。「え、『餌ば見つけて追い掛け回して遊んどーうちにサイトば見つけたけん、加勢する』? ちょ、ちょっと? ササガネ?」「サイトと合流したの? それなら私が行く必要はなさそうね。ここで衛兵が来るのを待ちましょうか。ササガネの方でも出入口は把握してるんでしょ?」「え、た、確かにササガネが合流したならもう心配はないですし、私としてもお姉さまと一緒に居られるのは嬉しいんですが、このままでは何だか、私が使い魔も制御できないマヌケなメイジみたいじゃないですか?」「大丈夫。私はベアトリスがやれば出来る子ってのは知ってるから。それに閉所暗所では貴女は実力出せないじゃない」「確かに狭いところや暗いところでは持ち味出せませんけど……。ちょ、お姉さま? なんか視線が生ぬるいんですが!?」「そんなこと無いわよ~。そうだ。店主ー、紅茶は出ないかしらー? てーんーしゅー?」「なんか扱いがぞんざいですわ!? きっと、きっと、挽回してみせますから!! だからそんな扱いは嫌ぁーー!」◆◇◆「くそっ、キリがない!!」 地下水路の闇の奥から、無限と思われるほどにその“敵”は次々と襲ってくる。 戦えないアンリエッタが使う『ライト』の魔法によって照らされる範囲に、死体のような生白い肌の生き物が縦横無尽に飛び跳ねるのがチラチラと見える。アンリエッタは、凄惨な光景と、敵に襲われるプレッシャーに顔を真っ青にしている。だが、『ライト』の魔法を維持してくれているだけでも、この場では有り難かった。 襲い来る“敵”の、その餓鬼のように醜く膨れた大きな卵型の胴体から、何本もの棒のような足がでたらめに突き出ている。動きが早く、周囲を完全に照らせているわけではないので、正確な足の数は分からないが、九本くらいあるように見える。 足の先はカエルのような水かきがついており、足先は死体の海を踏みつぶして来たかのように真っ赤に染まっている。地下水路を三次元的に飛び回っているのは、水かきのある足を吸盤のように使っているからだろう。 “敵”の頭には目がなく、大きな耳と、豚のような鼻がある。ブタバナコウモリの目が無いバージョンというのが近いだろうか。この生物は聴覚と嗅覚が発達しているようだ。 頭と胴体は1メイル半ほどで、脚も合わせると3メイル近い大きさがある。 何本もある脚を使って、まるでゴムボールのように巨体が地下通路を跳ねる。 ルイズがもし居れば分かっただろうが、“敵”の名前は、ワンプ(Wamp)という。 腐肉を喰らって育つ、不潔で醜悪な化物だ。 本来、幻夢郷の廃墟に生息するはずのそれが、何故かこのトリスタニアの地下水路に発生していた。 そのワンプの突進を、ギーシュが操るゴーレムが阻む。レイナールのゴーレムは逆側を固めているが、水路が狭いのでこちらに加勢することはできない。 四脚のゴーレムたちが、大きく掲げたスパイク付きシールドで突進を受け止める。 一体これが何体目のワンプだろうか。 ゴーレムのチャージによってワンプの動きが鈍ったところを、サイトが矢で狙い撃つ。 四本の矢が、それぞれ“敵”の脚に突き刺さる。ガンダールヴの人外の膂力で猛烈な速度を与えられた矢は、突き刺さった脚をその勢いでもぎ取ってしまう。 一挙に四本の矢を放ち、さらに命中させるという離れ業も、ガンダールヴのルーンの加護によって可能となっていた。 飛び散ったワンプの血や肉片からは、耐え難い悪臭がする。 腐った膿のような、その臭いは、ワンプの血肉が持つ、不潔と腐敗の性質を表している。 サイトたちは、その病原菌を多数保有すると思われる汚染された血肉を避けるために、出来るだけ遠距離でワンプを仕留めていた。「くぅっ、この臭いはどうにかならないかね!? 鼻がもげそうだ!」 ギーシュが悪臭に堪らず声を上げる。 皆、マントなどの布で鼻を覆って、少しでも、このドブを煮詰めたような臭いを軽減させようとしていた。 きっともう、いま着ている服は臭いが染み付いてしまい、使い物にはならないだろう。 次から次へと湧いて押し寄せるワンプによって、サイトたちは徐々に元いた場所から追いやられていた。 サイトの矢に脚をもがれたワンプが、地下水路の汚泥に落ちる。 そして落ちたワンプの胴を、また別のワンプが踏みつけて突進してくる。彼らに仲間意識というものは無いのかもしれない。「っ!? 逆からも来たぞ!」 レイナールが声を上げて敵の襲来を知らせる。 現在視認できる範囲でも、ギーシュの方に二匹、そして新たにレイナールの方に三匹は見える。 これまで撃退したワンプは既に二十は下らないというのに、一体こいつらはどれだけ居るのだろうか? サイトがギーシュの方のワンプに向けて、矢をまた同時に四つ放つ。 ワンプが激しく動くため、二つは外れたが、残りの二つは命中する。 一つはワンプの脚に突き刺さり、それを壁に縫い留める。もう一つは別のワンプの頭蓋に刺さり、それを『粉砕した』。「あぁっ!」「しまった!」 それを見たギーシュとサイトが焦った声を上げる。 粉砕され、命が失われたワンプの頭蓋骨の、その大きな破片のそれぞれから、何かぬらぬらとした羊膜に包まれたモノが出てくる。 それは孵化であった。生白いぬらぬらとした豚鼻の九本足の不気味なワンプの仔が、死体の頭蓋骨から発生したのだ。 ワンプは、ある一定以上の大きさの死体の頭から、生まれ出るのだ。 人間の死体、犬の死体、豚の死体、牛の死体、馬の死体……。この地下水路に蓄積された様々な死体の頭を割って、ワンプたちはここまで増えしまったのだ。 そして、当然、ワンプ自体の死体からも、ワンプの仔は発生する。 サイトが粉砕したワンプの頭から生まれた仔は、三匹。 それぞれが、びぎゃびぎゃと耳障りな産声を上げて、汚泥に落着する。 そして、その仔は、腐敗したものを好むという彼らの習性通りに、汚泥を啜って(・・・・・・)急速に成長する。 サイトが脚を狙っていたのは、このためだ。殺してもすぐ生まれるから減らないし、下手に頭を吹き飛ばすと、数が増える。実際、ヘッドショットによって吹き飛ばされた頭から孵って、ワンプが数を増やしていくのを、これ以前にもサイトたちは目撃している。 火メイジでも居れば、頭蓋骨も残さず焼き尽くすことができるのだが、残念ながらギーシュとレイナールは土メイジだし、アンリエッタは水メイジだ。この混戦の中で、頭蓋骨を焼き尽くす魔法を使う余裕はない。 急成長して数を増やしたワンプたちは、遂にギーシュのゴーレムの防衛戦を抜けてしまう。「マズイ! サイト、姫様を……」 そこまで言いかけたギーシュが、ゴーレムを飛び越えたワンプの張り手によって壁に叩きつけられる。気を失ったのか、そのままギーシュは崩れ落ちる。 ガチガチと歯の根も合わない様子だったアンリエッタが、ギーシュが吹き飛ばされるのを見て、精神が限界に達したのか気を失ってしまう。だがサイトには、崩れ落ちるアンリエッタの身体を支える余裕もない。 向かってくるワンプに対処するために、弓を鈍器のように振り回すサイトの後ろで、金属が叩きつけられる音がした。レイナールも突破されたのかもしれない。 サイトは銅板を何枚も張り合わせた弓を振り回して、ワンプの張り手を弾くが、圧倒的に手数が足りない。 何度か、ワンプを防ぐものの、サイトもまたギーシュと同じように張り手で吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。 かは、と肺から空気が抜け、身体全体が痺れ、弓を手放してしまう。 倒れ行くサイトの視界に、場違いなものが映る。 逆さまになった女の上半身が、水路の天井から生えている。闇に溶けるような漆黒の髪の女だ。雪の様に白い肌が闇から浮いている。 衝撃が見せた幻影か?「ん~、間一髪、ってとこかねー。このササガネが来たからには、あとは任せんしゃい!」 幻聴かうつつか判別出来ない、その女の声を最後に、サイトは意識を失った。=================================ルイズにフラグ立てなきゃいけないのに姫様にフラグ立ててどうするサイトゼロ魔原作一巻分で取り残した『王都来訪』と、二巻の『姫様と知り合う』、『ワルド登場』を消化。あ、あとピエモンの秘薬屋前の武器屋来訪イベントも消化2011.02.08 初投稿