これは始まりの話。 シャンリット家に伝わっていた――今は失われた話。 ある神との約束の――呪いの話。◆ 自室に置かれた机を前に、『レビテーション』で自重を軽くして少し勢いをつけて椅子に腰掛ける。 背が足りないので足は床につかず、後ろから見たら背もたれに身体がすっぽり隠れているように見えるだろう。 『ライト』を唱えて手元の視界を確保し、慎重に、今にも崩れそうな羊皮紙の束をめくる。 今、私が読んでいるのはシャンリット家の書庫に眠っていた、先祖の日記や帳簿の中でも一等に古いものの一つだ。 仕舞い込まれていた書庫から、『固定化』をかけ直して『レビテーション』でここまで運んできたのだ。 流し読みして所々に記されている日付を見るに、どうやら2000年位前の人物の日記のようだ。 シャンリット家の歴史が始まったのも大体それ位らしいから、ひょっとしたら開祖の日記なのかも知れない。 当時は高価だったであろう羊皮紙にわざわざ書き記す内容とは一体何か。 他に読むものもないし、このシャンリットの由来を知るのも悪いことではないだろう。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝1.ご先祖様の日記って探索者的にどう考えても死亡フラグだろ常考◆『この度、東の反乱者共を打ちとったカドで王よりこの土地――シャンリットを賜った。 これよりこのラリバール・ウーズ・ド・シャンリット、粉骨砕身して祖国のためにこの土地を治めると誓う』『北の領境となっている山地に質の悪い亜人共が棲み着いているらしい。 奴らは非常に俊敏で、獰猛で、鋭い爪と歯を持ち、山から降りてきては領民を脅かすという』『忌々しいトロールどもめ!あのヴーアミ族め! 知性のない野蛮人の分際で王より賜りし我が領地を荒らすとは! 根絶やしにしてやらねば気が収まらぬ!』『大規模な集落をゴーレムで押しつぶしてやった! 始祖の力を思い知ったか、ヴーアミの獣面どもめ。 まだまだヴーアミの集落はあるという。 奴らの棲む洞窟も一つ一つ潰して回らねばなるまい』『4、5の洞窟を我が土の秘技によって埋め尽くしてやった。 執拗に何度も何度も土の槍を『錬金』し、洞窟のあった場所に突き刺してやったから生き残りは居ないだろう。 それにしても洞窟が多い上に深い。 全く何処まで続いているのか。 魔法で埋めた洞窟もひょっとしたら遙か深くまで続いていて、ヴーアミのトロールどもを取り逃がしたかも知れぬ。 地上に通じる出口を全て潰した上で、追いかけて根絶やしにしてくれる』『洞窟をひたすらに潰している。 それにしてもここには蜘蛛が多い。 森全体が蜘蛛の巣によってまるでヴェールに覆われているようだ。 領地内のトロール共は殆ど殺しつくすことが出来たように思う』『大きな穴が新しく山腹に出来ていた。 根絶やしにしたと思っていたヴーアミどもは未だ残っていたのだ! 今までの意趣返しか、思いもよらぬ量の亜人共に奇襲を受けた家臣たちの何人かは始祖の御元へ旅立つことになった。 奴らは我らを奇襲して混乱させた後に一つの村を襲い、その村人を根こそぎ連れていった。 始祖よ、彼らを憐れみ給え』『これ以上の犠牲を出す前に、奴らトロールを根絶やしにせねばならぬ。 幸い、あれから新しく出来た洞窟はない。 あの大きな新しい洞窟に向かい、地の底までも追い詰めて、最後の一匹までも殺しつくしてくれる。 このラリバール・ウーズ・ド・シャンリットの土地でこれ以上好き勝手させたとあっては、王に顔向けできぬ』『精鋭を連れて、大きな洞窟を降りてゆく。 『ライト』の明かりが洞窟の闇を照らす。 新しく出来た洞窟だというのに、もう蜘蛛が巣を張っている。 所々に、ヴーアミ族がつまみ食いしたのだろう、人のものと思われる内臓や骨の一部が落ちている』『深い洞窟を土の魔法で均しながら5リーグ程も進んだだろうか。いや、もっとかも知れない。 奴らの棲み家に近づくにつれて、ケモノ臭さ、腐敗臭、濁ったあらゆる嫌悪感をかきたてる臭いが強くなる。 それよりももっと恐ろしく、恐怖をかきたてる空気が、滲み出してきているのが分かる。 土メイジの私でも感じられる、このおぞましさを孕んだ腐った空気を、家臣の風メイジはどう思っているだろうか』『開けた場所に出た。何らかの魔術的な篝火が焚かれ、明るく照らされたその中心には何か異教のものを思わせる祭壇らしきものがあった。 無骨な岩と、人間や獣の骨で組み上げられたそれは、真新しい血でベッタリと汚れており、胸糞悪くなる腐臭に血の彩りを加えていた。 トロール共が跪くのとは逆側には、何らかの巨大な生き物が座っていたであろう巨大な台座があった。 今はそこには何の影もない。まるで『サモン・サーヴァント』でも使ったかのように巨大な異形は掻き消えてしまったのだろうか。 ああ、我々は間に合わなかったのだ! 哀れな村人はその祭壇で、何らかの巨大な異形に食い尽くされてしまったのだ! 家臣の一人が耐えきれずに悲鳴を上げて魔法を放つ。 ヴーアミ族が我々に気が付き身を翻して向かってくる。 我々は、遮二無二に魔法を放つ。 粗方はその魔法に切り刻まれ、燃やされ、串刺しにされたが、何匹か更に奥に逃げたようだ』『ここで逃がしてはまた勢力を増して再来するかも知れない。 私がこの地に封ぜられたのは、その腕を見込まれて、亜人を殺し尽くし、民に安寧をもたらす為なのだ。 この奥へ、ここまでとは違って空虚な雰囲気を醸しだす、更に洞窟の奥へと向かわなくてはならない』『怖気づく家臣を叱咤し、トロールを追って更に更に洞窟を奥へと向かう。 蜘蛛の糸がそこかしこに張り巡らされ、洞窟全体が絹糸に覆われたかのようだ。 魔法で傷を負ったヴーアミの足跡が続いているのが、『ライト』に照らされて淡く光る蜘蛛糸の中に赤黒く沈んで見える』『不意にまた広い空間に出た。 今度は先も見えぬほどに広い断崖の上のようだ。 虚ろな空気が辺りを覆っている。 ヴーアミはその底も見えぬ断崖に架かる吊り橋のような綱の上を歩いている。 好機だ。 我々は『風の槌』で忌まわしいトロール共を綱の上から弾き飛ばした』『奴らの悍ましい断末魔が響き、掠れ、消えてゆく。 どれだけこの谷は深いのだろうか。 全くトロールが下に着地する音が聞こえない。 これで、この地のトロール共は根絶やしに出来た筈だ』『貴族としての責務を果たし、この忌まわしく恐ろしい地の底から去ろうとした時、それは我らの目の前に現れた。 あのヴーアミの断末魔を聞きつけたのだろう。 谷に架かる綱の上を、恐ろしい速度でこちらに向かってきたものがあった。 人の身程もある漆黒の身体に、長く節くれ立った蜘蛛の足を生やし、真っ赤な瞳を持つ生き物だ。 こちらを珍しものでも観るかのように睨め上げ、しかし猜疑心を隠そうともせずにそれらが入り交じった不気味な表情を浮かべた。 真っ赤な瞳がこちらを見た瞬間、我々はその恐ろしい瞳に魅入られて仕舞い、身体は痺れ、ルーンの詠唱すら不可能になった』『蜘蛛の口が動き、言葉を発する。「良き哉。丁度小腹が空いていた所。我が眷属の数も増やしたかったところだ」 精神を犯すようなその声は、虚しくも恐ろしげに深淵の谷に響いていった。 その蜘蛛の化物は、我々を素早くその頑丈な糸で巻き取ると、何事か口元で唱え、その鋭い牙を首筋に近づけて毒を注入していった。「毒の呪いを受けて生き残れば眷属に変化する。耐えられずに死ねばそのまま喰ろうてくれよう」 灼熱に焼かれるような痛みが首筋から全身に走り、――やがて私は意識を失った』『次に目を覚ましたときには、蜘蛛の化物の赤い瞳が目の前にあった。「ふむ、解せぬ。毒の洗礼を受けても死なぬし、我が眷属に変態もせぬか。 今は腹も空いておらぬし、お前が眷属に変化せぬ理由を探る時間もない。 我はこの谷に延々と営々と橋を架けねばならぬゆえ」 私の家臣はどうなったのだろうか。 「我が毒に耐えたならば、人の身とは言えそれは我が眷属と同じこと。 我が深淵の谷にお前たちのような邪魔者が入らぬよう、お前は地の上からこの地を守護せよ。 帰り道にツァトゥグァに襲われぬように、毒の呪いの上から我が祝福を受けて行くが良い」 目の前の蜘蛛神は何事か唱え、私に纏わり付く糸を断ち切った。 詠唱を聞いた私は、再び朦朧としながら、来た道を登り始めた』『再び私が意識を取り戻したのは、地上に出てからである』『あの日から、あの深淵の谷の夢を見る。 あの蜘蛛が私を急き立てるのだ。祀れ、守護せよ、と』『かつての家臣たちが、恐ろしい赤目の蜘蛛の元で糸を紡いでいる。 もはや人の姿は留めぬ彼らは、粛々と巣を架け続けている』『私は、本当は毒で気を失ったのでは無かったのだ。 私は、私は。 あのおぞましく冒涜的な光景に耐えきれず、部下たちの叫びに耳を閉ざして――』『苦しみ悶える家臣が、引き攣ったように動きを止め、ゴツゴツとした何かが皮膚の下で蠢き、みるみるうちに大きく膨れ上がってしまった背中にビシリとヒビが入る。 黒い毛に覆われた節足が8本突き出し、メリメリとヒビを押し広げる。 部下の背から、脱皮するように蜘蛛が這い出る。 それに応じて、彼の身体は萎んでいく。皺くちゃになっていく』『緑と金色の毒々しい腹をした、真っ黒な腕の蜘蛛だ。不吉な蜘蛛だ』『何度も夢に見る。 何度も。何度も』『何度も。何度も。何度も』『私もこうなるのだろうか。 私の子供も、ああなるのだろうか』『助けてください、始祖ブリミルよ。 何でもしますから』『どうか。どうか。 ああ。ブリミル』『始祖よ。どうか。助けて下さい。ああ』『始祖ブリミルよ、あの赤目の蜘蛛を追い払ってください』『夢の中で急き立てる、あの蜘蛛をどうにかしてください』『どうか、神様。毎晩、もう一年も夢で追い立てられるのです。段々と迫ってくるのです。あんなにも捧げたではありませんか』『助けて神様。神様。信仰の証が必要なのでしょうか。一体、これ以上何をすればいいのです』『助けて下さい。神様。神様。お願いです。もう私は何もかも捧げました。ですから、お願いです』『ああ。蜘蛛の神様。ですからどうか、シャンリット家に祝福を』◆ ……あー。私は何も見なかった。見なかった事にしたい。でも、もう後戻りはできない。 というか、父上はこのこと知っているのだろうか。聞いたら薮蛇になりそうだから聞くに聞けないが。 何か他の日記も嫌な予感がする。でも気になる。私の、この一族のルーツは一体何だというのか。 とりあえず、この日記の内容は私の胸の中に仕舞っておこう。 ああ、今までと世界がまるで違って見える。 前世の知識がある時点で自分が異物だとは思っていたが、まさか一族そのものが異物だとは思いもしなかった。==================================よく考えたら、アトラク=ナクア様をキチンと書いてないなと思って。『七つの呪い』からラリバール・ウーズさんに出演してもらいました。ヴーアミ族≒トロール。なので当SSの世界観ではトロールはツァトゥグァを信仰している設定で。普段はン・カイに居るツァトゥグァ様を召喚して生贄捧げる感じ。系統魔法で無双してるのは、それだけラリバール・ウーズが強かったってことで。2010.07.31 サブタイトルを変更2010.09.26 人称を変更