「殿下、積荷はどうやら硫黄と硝石らしいです」「そうか! そりゃ素晴らしい戦果だ! あと、ここでは“殿下”じゃなくて“頭(かしら)”と呼べ」「へい、頭ぁ」 『マリー・ガラント』号に接舷している空賊船の上にて、如何にも荒くれ者という感じの眼帯をした“頭”と、その“手下その一”が会話を交わし合う。 彼らはこれでもアルビオン空軍のれっきとした軍人である。 そんな彼らが何故空賊に偽装して通商破壊を行っているのかというと、補給もままならない現王派の苦肉の策なのである。 反乱軍である王弟派に届けられる物資を略奪し、自分たちのものとする、という一石二鳥の作戦なのだ。 それに加え、私掠船免状――略奪品の何割かを政府に献上する代わりにお上公認で海賊行為を他国の船に対して行って良いという許可状――も、多く発行している。 私掠船免状の発行は、現王派に限らず、王弟派も行っている。 私掠船免状の乱発行によって、空賊たちは、両者からの免状を持ち、略奪相手の所属に応じて使い分けたりするという事態も起こっている。 現在、アルビオンの空を中心にハルケギニア各国の空は、にわか空賊が多く蔓延る、まさに大空賊時代となっていた。 船団を組んで空賊に対抗したりする者も居るが、全体としては、そんな危険な空に船を出す船主は減る。 船が減れば、物資は届かず、アルビオンでは内乱中であるという事情も加わり、物価が高騰することになる。 天空大陸アルビオンは、他の国から封鎖線を敷かれたわけでもないのに、勝手に干上がりつつあった。 ……民衆が内乱で飢える一方で、王家貴族や空賊兼業の商船の蓄えた財貨は、私掠船からのアガリによって、内乱以前よりも豊かになっている。 そして、「民衆が飢える→空賊が儲かるらしい→じゃあ空賊になろう→空賊が増える→ますます真っ当なルートでは物品が入ってこない→物価高騰・闇市の蔓延→真っ当な農民たちが物価上昇の煽りを食らって飢える」という無限ループが形成されつつあるのだった。 現在のアルビオン経済は、かなりの部分が、他国から強奪した富によって成り立っているのだ。 一旦この形式で社会が成立してしまうと、内乱終結後も、この空賊経済を維持するために他国への略奪を行わなければならないので、当然、内乱後も他国へと略奪、ひいては戦争を行うことになるだろう。 他国も「アルビオンの内乱が終結して、どっちが勝者になろうとも、奴らは経済的に大地に攻め降りざるを得ない」ということは諒解している。 それゆえ、トリステインはゲルマニアとの相互条約締結に向けて動き、ゲルマニアとガリアは仕方なく軍備を拡張している。 ゲルマニアとガリアからしてみれば、本当は軍備拡張よりも自国内の開拓開墾開発にリソースを振り分けたいのだが。 狭い国土を隅々まで開発しきったアルビオンと違って、広大なゲルマニアとガリアには手付かずの土地が山ほど残っているのだ。 とはいえ、国土開発において、亜人退治や治安対策に武力が必要なのも事実。 仕方ないので、ゲルマニアとガリアの両国は、対アルビオンを口実に、王直属で各地辺境までの巡察権限を持つ警邏巡察部隊の構築や、王軍自体の再編成を進め、王権強化に努めている。 クルデンホルフ大公国は、国土は狭く、ほとんど全ての土地が開発されている上、陸海空軍すべてが充実しているので、そんな他国の状況をニヤニヤ眺めている。 人面樹×バロメッツのキメラと成長促進魔法の併用でベテラン矮人魔法兵を日産10軍団余裕でした、とか出来る馬鹿げた国なので、その余裕も当然であるが。 他国からの難民がまた増えるだろうけれど、別にクルデンホルフ大公国の領土はハルケギニア星だけではないし、あぶれた人民は人工惑星に回したりとか、邪神の生贄にしたりとか、人体実験の材料にしたりとか、脳髄の記憶を人面樹に食わせて人面樹ネットワーク中に形成された仮想現実社会上に移住させれば良いのである。 クルデンホルフ大公国の兵力が余っているなら、大公国船籍である『マリー・ガラント』号にも護衛をつけてやれよ、という意見もあるかもしれない。 まあ実際、便宜置籍船に対しても、最新式の電信装置を無償で配ったり、さらにオプションで金を積めば魔法も使える矮人奴隷を何人も付けたりというサービスも大公国は行なっている。 ちなみに便宜置籍船とは、実際の船主の国とは別の国に船籍を置いている船のこと。税金が安かったり、諸々の規制(船員の最低賃金とか)が緩い他国に、船籍を置くことで、税金などを安く上げたり、船員や装備などを船主の都合がいいように変更できるのだ。クルデンホルフ大公国は、基本的に税金がゼロの上、電信装置や各種保険などのサービスも充実してるので、便宜置籍船が多いのである。『マリー・ガラント』号も、船主はトリステイン人だが、船籍はクルデンホルフ大公国となっている、典型的な便宜置籍船である。 閑話休題(それはさておき)。 アルビオン軍人は『世界の空は俺らの空』だと本気で信じている者が多い。 現在空賊船に偽装した軍艦の甲板上で会話をしていたアルビオン空軍大将ウェールズ・テューダーも、そんな事を信じている一人である。 彼らには、自分たちがトリステイン国境を侵犯したという意識はない。 揺れ動く天空大陸にとって、その領空をきちんと線引きするというのは、非常に難しいし、領空を区切るという意識自体がアルビオンの民には無い。 何故なら、『全ての空はアルビオンの空』なのだから。 高空の寒風が、彼らの間を吹き抜ける。 春先にしても冷える風だ。 荒ぶる魔風と氷雪の神イタクァの近くにでも来てしまったのか、と彼らは一瞬不安に思う。 アルビオンの船乗りの間では、風の神イタクァも、信仰とまではいかないが、災厄として言い伝えられており、広く知られている。「随分冷えるな」「一雨来るかもしれませんね」 雨が降れば面倒なことになる。 特に触れた途端に凍りつくような、過冷却水の雲が湧くと大変だ。 氷点下に冷却された雲に突っ込めば、マストや帆、船体にあっという間に霜と氷柱がまとわりつき、バランスを崩して墜落してしまうことも少なくない。 まあ、この季節にはそのような雲が湧くというわけではないから問題ないだろう。 そう思った二人をよそに、状況は進行する。 否応なく進行してしまう。 船体が、徐々に傾いでいくのだ。 彼らが――人間の感覚で以て――船体の傾きに気づいたときには、既に遅かった。 船体の傾きは、加速し、既に立っていられないほどになっていた。 甲板に置かれていたモップやバケツが落ちていく。「うわぁ!?」「なんだっ!?」「風石機関、出力上げろ! 傾いてるぞ!」「機関室は何をやってる!?」 どんどんと船体は傾き、隣接していた『マリー・ガラント』号との間に渡していた渡し板が、ばらばらと下に落ちて行く。 『マリー・ガラント』号に掛けられた碇付きの縄が、豪、という音と共に、空賊船からは死角となっている下方から、何者かの風魔法で断ち切られる。 空賊船の船体自体も、浮遊している『マリー・ガラント』号から比べて、ドンドンと沈没するように高度を下げていく。「何だ、何があった!?」 船の縁(へり)から下を覗いた船員は、船の前方の衝角(ラム)の下に、霜が張り付き、巨大な氷柱(つらら)が出来ているのを見つける。 霧氷によって静かに成長していた氷柱に、乗組員は気がつかなかったのだ。 皆が漸くそれに気づき、驚愕をあらわにする。「氷柱だ! 火メイジは居るか!?」「溶かせ溶かせ! 船が落ちるぞ!」 それを言う間にも、下から吹きつけられる極冷気の湿風が、霜と氷柱を成長させる。 何百リーブルもの重さはあるであろう、その氷柱は、船体を下へ下へと引き込む。 船員たちは、地獄から手を伸ばす氷の亡者に掴まれたような錯覚を覚えていた。「殿下! これは自然のものではありません!」 ウェールズの横に居た部下が叫ぶ。 この時期に、隣の商船には全く影響を与えずに、彼らの船のみを引きずり落とすような自然現象は存在しない。 ならば、信じがたい規模であるが、この“霧氷”をまとわりつかせて船体を氷漬けにする墜落攻撃は、何者かの水と風の魔法なのだろう。「分かっている! これは『イーグル』号を狙った攻撃だ! それより対処を急げ! 火メイジは氷柱を溶かせ! 風メイジは船首に『レビテーション』を掛けろ!」 ウェールズの号令によって規律を取り戻した彼らが、手に手に杖を持ち、それぞれに魔法を唱える。 だが彼らの魔法が効果を発揮するよりも先に、衝撃が船を襲った。 轟音と共に下から突き上げるような衝撃に、甲板から数人が放り出される。腰に結わえた命綱によって、辛くも、放り出された者たちは、船縁から宙吊りになる。「くっ!? 何だ!? ダメージコントロール! 損傷確認と応急!」 ウェールズは何とか船体から放り出されずに残っており、急いで指示を出す。 船体の傾きは、既に30度を超えており、先程の衝撃の後は、さらに傾く速度が上がったようである。 その時、船から投げ出されて宙吊りになった者たちから悲鳴が上がる。「うわああぁあああ!? 触手だぁーーー!!!」 触手。 それは空の男達の恐怖の象徴。 クルデンホルフ大公国の、無双の竜騎兵団の、シンボル。「げぇっ!? テンタクル・ドラゴン!? 何故こんな所に!?」 のた打ち回る触手が、外壁を伝い、窓から船内へと侵入していく。「くそっ! 離れろ!」 何人もの船員が魔法を放つが、その一切を、触手は意に介さない。 幾つかの魔法が騎手にも向かうが、いずれに対しても、竜の背中から伸びている細い触手が振るわれて、弾かれ、掻き消される。 そして触手の先から、得体の知れないガスが注入されていく。 同時に、テンタクル・ドラゴンの騎手も魔法を唱える。 綿飴のような、固形化した雲のようなものが、船体を覆い、船体の隙間からも浸透していく。 触手が、甲板や船外に居る者へと伸びる。「うわぁぁああ!? やめろ! 近づくなぁああ!!」 触手に掴まれた者は、次々と船室に放りこまれていく。 そして、竜騎士が唱える、煙を固めるような魔法によって、取り囲まれて、泡に包まれるようにして固められてしまう。 空気から『錬金』された綿のような泡のようなエアロゲルによって、船内と船外、全てが、白く凍るように覆われていく。「ぐ、身動きが……、それに、これは、眠りの魔法、か……ぁ?」 同時に行使された、触手竜による眠りの精霊魔法によって、ウェールズを始めとする船員たちは意識を失ってしまう。 緩衝材の中に厳重に包まれた標本のようにして、彼らは船内に閉じ込められた。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 15.王子様は厄介者◆◇◆ 時間は若干遡る。 触手竜騎士が空賊に襲いかかる前まで。 ウェールズらが絶望の檻に囚われる直前まで。 ルネは戦艦『イーグル』号に取り付く触手竜ヴィルカンの鞍の上で、襲われていた商船『マリー・ガラント』号に連絡をとっていた。 クルデンホルフ大公国籍の船ならば、標準的に電信装置が備えられている。 そのためルネは自分のマジックカードを介して、『マリー・ガラント』号と通信が可能なのだ。マジックカードには、電信機能も付けられている。「あ、あー。聞こえるか、こちらクルデンホルフ大公国所属 空中触手竜騎士(ルフト・フゥラー・リッター)ルネ・フォンク准尉である。『マリー・ガラント』号、応答されたし」『ルフト・フゥラー・リッター!? 有り難い! 助けてくれ、当船は、現在所属不明艇に襲われている』「了解、了解、こちらからも見えている。直ぐに不明艦艇を引き剥がす。接触事故は起こさない予定だが、不意の衝撃には備えてくれ」『こちらマリー・ガラント、了解した。救援感謝する!』「当然のことをするまでだ。良い旅路を!」 そうこうしている間にも、ルネは過冷却水滴の『錬金』を続ける。 作成された過冷却水滴は、ヴィルカンが精霊魔法によって巻き起こす風によって、空賊船『イーグル』号の船底へと打ち付けられ、霜を作り、大きな氷柱へと育っていく。 やがて『イーグル』号の船体が、巨大な氷柱の重みによって重心を崩されて、船体前方の衝角(ラム)を下にして、引き摺り下ろされるように傾く。 それを見て、ヴィルカンが船に取り付く為に急進して近づく。 触手竜の急激な加速は、翼によってではなく、触手の先から放つドラゴンブレスの反動によって行われる。 この全方向可動性の大出力スラスターによって、触手竜は、縦横無尽の機動性の獲得と、超音速までの加速を可能にしているのだ。 ヴィルカンが、轟然とフネに取り付き触手を這わせる。ビチビチと、うぞうぞと、蠢く触手の群れは、次々と窓を破って内側に入り込む。ヴィルカンは『イーグル』号の窓に突き刺した触手の先から精霊魔法による催眠ガスを吹き込み始める。 ヴィルカンに向けて、無数の魔法が飛ぶが、それらは何らダメージを与えることができない。地底魔蟲クトーニアンから受け継いだ耐久力を、ヴィルカンは持っていた。幾つかルネの方にも、傾いた『イーグル』号の甲板から魔法が飛ぶが、それらは全て、周囲でうねるヴィルカンの触手によって弾かれる。 では自分も、と、ルネは、内部の人間や家具を固定するためのエアロゲル、まあ要するに細かい発泡衝撃吸収材(遮音材や耐熱材としても使われる)みたいなものを『錬金』して、もりもりと『イーグル』号の中へ注入していく。「多少は財宝でも積んでると良いんだけど。そうじゃないと、お嬢様の機嫌が悪くなってしまう」 ルネは、短気で自分のことをちっとも見てくれないが、愛すべき大恩ある自分の主君のことを思って頭を痛める。 遠く振り返れば、遥か彼方に、クルデンホルフ大公国の天空研究塔イエール=ザレムの細いシルエットが見える。 あの細い糸のような塔は、空を往くフネの発着ポートも兼ねているのだ。 つまりは触手竜騎士の訓練基地も、天空研究塔の下方に位置する16角形の蜘蛛の巣型ポートの内部に位置しているということ。 ルネの後輩たちは、今もそこで鬼教官にしごかれていることだろう。「ま、取り敢えずは、これを下まで降ろしてからだな」 大急ぎで去っていく『マリー・ガラント』号を見送りつつ、ルネは、『イーグル』号をさらにぼこぼことエアロゲルで覆っていく。 ルネの作るエアロゲルによって、『イーグル』号は、まるで雲に包まれたかのようになる。 ルネは『イーグル』号の船体に、触手竜騎士特有の強力な重力制御魔術を掛けながら、ゆっくりと地表に降ろしていく。◆◇◆ 森の中、円形に木が薙ぎ倒されて、広場になっている。 その中心に、綿飴のようなエアロゲルに包まれて座礁した帆船がある。 中心の帆船から少し離れたところに、竜が二匹と、卵型の竜籠が二つ並んでいる。 空賊船『イーグル』号を拿捕したルイズ一行が、森に即席の広場を作ったのだ。 ルネは、切り倒した木々や下草を魔法で乾かしている。乾いた木々はサイトがレイナール作の鉈や鋸で切って丸太や板に加工し、それをレイナールがゴーレムで運び、シエスタの四次元ポケットの中に突っ込んで保管する。何かの役に立つかもしれないからだ。 ルイズとベアトリスは、空賊船の検分と、昏倒した乗組員たちに追い剥ぎをしている。キュルケとタバサはそんな彼らを興味深そうに眺めている。「で、これが空賊ってわけね」 ルネのエアロゲル形成魔法によって船内に位置固定されていた、昏睡した空賊たちの身柄は、ルイズとベアトリスの『念力』の魔法によって、軟着陸したフネから外へと運び出されていた。 現在彼らは身ぐるみを剥がされて素っ裸にされている途中である。 繊細な『念力』の魔法によって、二人の美少女は、杖や武器、装飾品なども全てを空賊たちから取り上げていく。全く、どっちが空賊だか分からなくなる光景だ。しかもそれを行っている者が、いと高貴な血筋のやんごとなき令嬢だとは、思いもすまい。 全て取り上げられて裸にされた者たちは、両手首を縄で縛られ『イーグル』号のマストに吊り下げられていく。 キュルケがしげしげと彼らの裸を眺めている。 よく鍛えられた彼らの裸身を見て、キュルケは感心して呟く。「ふぅん、なかなか鍛えられてるみたいねぇ。眼福眼福」「……悪趣味」 タバサはそう言って、顔を真赤にして、手に持つ本に視線を落として顔を伏せてしまっている。 が、興味はあるのかちらちら見ている。 そんな様子を見たキュルケは、口をニンマリと三日月型にして、タバサの頭をぐりぐりと撫で回してからかう。 一方で、空賊たちを全員剥き終わったルイズとベアトリスは、彼らの持ち物などを検分していた。 彼らが身につけていた、杖、ドッグタグ、階級章、『指輪』をルイズは確かめる。 そして頭を抱える羽目になった。ルイズの左手が、苛立たしげにカシカシと擦り合わされている。「なんで王立空軍が空賊やってんのよ。しかも王太子がその指揮を執ってるとか、どういうことなの……」「空賊船にしては装備が整いすぎていた時点でそんな予感はしていましたが……。まさかウェールズ王太子とは……」 現状は、不味い、としか言えない。 王太子を裸にひん剥いたことが、ではない。 トリステイン領空で、空賊に与していたアルビオンの王子を、クルデンホルフの竜騎士が、拿捕してしまったことが、だ。ああもうややこしい。 三年前のラグドリアン湖の園遊会には、シャンリットのミスカトニック学院を卒業していた公爵令嬢ルイズと、大公姫のベアトリスも参加していた。 それ故、ウェールズの変装を剥いだ時点で、二人とも「なんか見覚えがあるような、いやでも、まっさかー」と嫌な予感を持っていたのだ。 そして戦利品の中にあった『風のルビー』を見て確信に至った。ああ、本人だ、と。 伐採製材作業を終えたのか、サイトがルイズのもとへとやって来る。 額に汗をかき、鉈をぶら下げる彼は、まるで本職の木こりのようだ。 日頃の訓練によって筋肉が増えており、逞しくなっている。「おーい、こっちの作業は終わったぞー。そっちの、生贄の儀式は終わったかー?」「生贄の儀式って何よ」「いや、それ。どう見ても……、生贄に捧げられた人柱だろう。じゃなきゃ、百舌(モズ)の早贄(ハヤニエ)。あるいは、海賊への見せしめに、港の入口に死体を吊るしとくような……」 サイトが帆船『イーグル』号のマストからぶら下げられたむくつけき男達を指さす。 なるほど、確かにそう見えないこともない。まるでサバトだ。 いっそのこと本当に生贄にしてしまおうか、などと物騒なことを考え始めたルイズの思考に、再びサイトの声が割り込む。「で、こいつらどうするんだ? 官憲に突き出すのか?」「……官憲に?」 その言葉に、ルイズは少し目を瞠る。「何その“そんなこと考えもよりませんでした”みたいな反応」「捕まえて身包み剥いで森に放り出すつもりだったのよ。でも捕まえてみたら、相手が何故か隣国の王子で、どうしようかと思ってたの。しかし、そうね、官憲に、か……」 隣国の王子という単語に、サイトはこの間、王都の地下水路で時間を共にしたアンリエッタ姫のことを思い出す。 確かあの姫様の想い人が、隣のアルビオン王国のウェールズ某ではなかったか。 見れば、吊るされている裸男子の中に、見覚えがあるような人物を見つける。ルイズからサイトに『カーの分配』の魔術で移植された左目が軽く疼く。「王子様って、ひょっとして、ウェールズって人か?」「あら、良く知ってるわね。いや、私の知識が流入してるから、あんたも知ってておかしくないか」「まあそれもあるけど。この間、王都に行ったときに、姫様が言ってたんだよ。“ウェールズ王子が好きだけど、ゲルマニアに嫁がなくちゃならないから辛い”って」「姫様が?」 ルイズが片手を顎に当てて、首を傾げる。 そんな何気ない動作、その一つ一つによって、サイトはルイズに惹かれていく。それは単にルイズが可憐であるというだけでなく、サイトとルイズが、使い魔と主人という強い絆で結ばれているためでもある。 彼は夢のなかで出逢う、ルイズから植えつけられた蛇のような分霊のことは朧気にしか覚えていないが、夢のなかで死闘と蜜月を繰り広げるあの化生に対する印象と、その分霊化生の本体であるルイズに対する印象がごっちゃになってしまっているのだろう。 ぼーっとルイズを見つめるサイトの足を、ベアトリスが踏みつける。 そしてサイトとベアトリスが、いつものように口論を始める。 その、もはや様式美となった光景をよそに、ルイズは考えを巡らせる。(この間王都に行った時というと、姫様がサイトたちと一緒に水路に落ちて、ササガネが回収した姫様たちを、ワルド様たちが迎えに来たんだったわね) 確か、ゲルマニア行幸の帰りに魔法学院に寄るという日程だったはず。 そして明日が、使い魔品評会。 現在位置などを考えると、あまり余裕はなさそうだ。(本当はタルブ村の『夢の卵』を見ておきたかったけど……。これじゃあ、そんな余裕はなさそうね) ワルド子爵はその護衛を行っているという話だったから、今は、多分、ゲルマニアとトリステインの国境あたりか。 ワルド子爵は優秀な軍人であるし、上層部の覚えもめでたいと聞く。 きっと彼なら、あるいは行幸に同行しているマザリーニ枢機卿ならば、上手い考えを思いつくだろう。(そうね。私が持っていても持て余すから、ワルド様に押し付けてしまいましょう。そうしましょう) 考えをまとめたルイズは、指示を出すべくベアトリスの方に意識を戻す。「何やってんの、あんたたち」「あ、ほふぇえひゃま(あ、お姉さま)」 「ふ、ふいず(る、ルイズ)」 お互いの頬を引っ張り合いながら動きを止めるベアトリスとサイト。 おそらくは子供みたいに口論から頬の引っ張り合いに発展したのだろう。 ルイズは、はあ、と溜息をつく。ベアトリスとサイトは、羞恥で顔を染めつつ、慌ててお互いの頬を放す。「ベアトリス、宝飾品のイミテーションをお願い。ウェールズ王太子の身柄は、ワルド様に引き渡すことにするけど、『風のルビー』は私が確保しておきたいから」「あ、はい、お姉さま。ウェールズ王太子の身の回りの宝飾品や、他の方の杖は、イミテーションを作成して、それと入れ替えておきますわ」 ベアトリスは返事をすると直ぐに、マジックカード片手に戦利品の『錬金』魔法による複製にとりかかる。 杖を複製品と入れ替えておけば、反抗される心配もない。 『風のルビー』については、虚無の血統であるルイズが持つのが当然だとベアトリスは考えているので、そこに疑問は挟まない。「イミテーションと入れ替えるって、良いのかよ。本物の方はネコババするってことだろ?」「構いやしないわよ。『風のルビー』なんて、虚無の使い手が持ってないと意味のないアイテムなんだから。それに彼らは偽装していたとはいえ、空賊。盗賊から盗っても、問題ないわ。命があるだけ有難いと思ってもらわないと」「そりゃあ、そうかも知れんが……」 困惑するサイトの横で、ルイズはマジックカードを片手に『偏在』の魔法を編み上げる。 ウェールズたちは、またエアロゲル詰めにして『イーグル』号の船体内に突っ込んでおくとして、彼らの身柄を引き渡す予定のワルド子爵には、先触れしておかねばなるまい。 分身した方のルイズは、本体と視線を交わして確認する。 本体の方のルイズは、即席で天馬型のガーゴイルを作り上げると、それを『偏在』の分身体に渡す。「じゃあ、ワルド様に先触れをよろしく、私の分身」「頼まれたわ、本体の私」 分身体は、ひらりと天馬型ガーゴイルに跨って、本体と短く会話を交わす。 そして、アンリエッタ姫たちが居ると思われる方向の空へと駆け出した。◆◇◆ ゲルマニアから王都トリスタニアに向かう途上、まだ陽が高い時間。 アンリエッタ王女の護衛をしていたグリフォン隊の隊士アニエスが、遥か遠くに、異常な視力で以て、こちらに近づく影を発見する。 彼女の遙か空の果てまでも見通すような眼は、それがペガサスに跨った騎士であることを見抜く。「ワルド隊長! 前方空中より天馬(ペガサス)が接近してきます!」「まずは停止命令を。止まらぬ場合は撃ち落としても構わん。的が見えるならば、アニエスの腕を以てすれば、撃ち落とせるだろう?」「了解です!」 優秀な部下であるアニエスに命令を下し、ワルド子爵は人知れぬように溜息をつく。 ただでさえ、婚約に乗り気ではない王女のご機嫌取りやら、彼女のストレス発散のワガママに振り回されてクタクタなのだ。 出発前にも脱走を企てるし、道中でも不機嫌で不安定だし……。(だがそれももうすぐ終わりだ。もうゲルマニアの関所は通り過ぎたし、トリステイン領にようやく帰ってくることが出来た。あとはこのまま王都まで何もなければ、また魔法の鍛錬に打ち込むことが出来る) そんな彼の望みは、彼の婚約者がもたらした急報に、敢え無く打ち砕かれることとなる。=================================タルブ村は後回し2010.02.26 初投稿