■23-1.翼蛇と風韻竜 ルイズたちが滞在するタルブ村は、クルデンホルフの資本投下によって、魔改造されてしまっている。 近代的な街並みに変貌したタルブの一角に、ベアトリスやタバサ、キュルケが泊まる別邸があった。 そこには当然、タバサの使い魔であるシルフィードや、空中触手竜騎士であるルネの乗騎ヴィルカンのための広い竜舎も設えてある。「ん~、今日もご飯が美味しかったのね~! きゅいきゅい♪」 シルフィードはその日も、ベアトリスの計らいで与えられた最高級の牛肉をお腹いっぱいになるまで食べて、非常に満腹であった。「隣にあのおっかない触手竜も居ないし! ご飯は美味しいし! もう言う事なしなのね~」 何せ隣に、あの天敵の地底魔蟲(クトーニアン)とのキメラであるヴィルカンとか言う触手竜が居ないのだ。 心置きなく食事に専念できる。 学院に居た頃は、シルフィードとヴィルカンの竜舎は隣り合っていたが、今はタルブ村の竜舎にかなりスペースの余剰がある(50騎は入れるスペースがある)し、ヴィルカンは別棟にいるため、隣り合うことは無い。 しかし束の間の平穏を謳歌するシルフィードの前に、新たな魔手が迫る。【貴女、韻竜よね?】「キュイ!?」 何処からか掛けられた声に、シルフィードは身を縮ませる。「キュイ!? ど、何処なのね!? 何者なのね!?」 シルフィードはキョロキョロと竜舎を見回す。 シルフィードが韻竜であることは、この一ヶ月以上に渡る滞在で、ベアトリスやキュルケにはバレてしまっている。 つまりこの新発展したタルブ村に出入りする研究狂の矮人(改良ゴブリン)たちにもバレてしまっているのだが、既に韻竜のデータは充分に採取してあるそうなので、わざわざガリアのオルレアン公爵の使い魔であるシルフィードに手出しをしてきたりはしない。あのガリアの星慧王と外交問題になると面倒なのだ。 見回すシルフィードの死角、彼女の足元から、声の主はやって来た。 それはまるで蔓植物が支柱に絡みつくようにして、シルフィードの青い鱗の上を滑り、巻きつくようにして脚を登ってくる。 ゾワゾワとした触感と、得体のしれないものに対する忌避感がシルフィードの中に湧き上がる。「何!? 何なのねっ!?」【答えなさい。貴女、韻竜でしょう?】 視線の先には、朱鷺色の羽根の毒々しい赤と黒の腐り蛇の胴体を持った、全長50サントほどの小さな翼蛇の幻獣。「お、おチビのくせにビックリさせるんじゃないのね!!」【おチビじゃないわ。私の名前はエキドナよ。サイトにつけてもらった名前があるんだから。……貴女、韻竜よね?】「そうよ! 私は古き誇り高き韻竜の末裔!」【やっぱり! 私の目に狂いは無かったわ!】 喜色満面といった様子で、翼蛇エキドナは飛び上がって、シルフィードの眼前に浮遊する。「きゅいきゅい。おチビのくせに、なかなか見る目があるのね!」【だから名前はエキドナよ。おチビじゃないわ。……でも、まあ別に覚えなくても構わないわ】「きゅ、きゅい……?」 エキドナの様子に、シルフィードは何処か不穏なものを覚える。 違和感。 この小さな翼蛇が、まるで歳経た火竜のような、そんな空気を纏っているような気がする……。「……な、何をするつもり、なのね……?」【うふ。うふふふふふふふふふふふっ】 ドロリと蛇の口から、毒粘液のような含み笑いが漏れる。 シルフィードはそれを聞いて、本能的な恐怖を覚えた。 まるであの天敵の触手竜を前にしたような――絶対捕食者を前にしたような、あの、魂を鷲掴みにされるような、恐怖。【うふふふふ。あのねぇ、私、精霊魔法の『変化』を使いたいのよ】「そ、それが、ど、どうしたのね……?」 圧倒的な食欲。 この翼蛇の身体の中には、一体どれほどの欲望が詰まっているのか。 ジットリと貼り付くようなエキドナの声に、シルフィードは知らず知らずのうちに後ずさっていた。【貴女はー、精霊魔法をぉ、使えるんでしょおぉぉぉ?】「つ、使える、使えます、のね……」【あははははははっ! やっぱり! やっぱり使えるのね!?】「ひぃぅ!?」 エキドナが期待に目を輝かせて、鼻息荒くシルフィードに詰め寄る。 50サントほどエキドナに、シルフィードは完全に気圧されてしまっていた。【じゃあ、貴女を食べたら、私も精霊魔法が使えるようになるかしら? 人間に化けられるかしらぁ!?】「きゅい……、こ、恐いのねー!! 逃げるのねー!!」【逃さないわよぉ! あっはははははははっ】 明らかに有り得ない大きさに、まるで出来の悪いカリカチュア(風刺画)のようにエキドナの顎が広がる。 大口広げた貪食と狡猾の翼蛇が、憐れな韻竜を喰らおうと迫る。 竜舎は狭くはない――しかし広くもない。 シルフィードは遂に追い詰められてしまった。「た、助けてなのねーー!!」【却下! 貴女は私の糧になりなさいっ!】 口だけを巨大に拡大したエキドナが、シルフィードを丸呑みにしようとしたその刹那――。 ビタン、と、エキドナがシルフィードの眼前で地面に失墜した。「た、助かった……のね?」【く、何? 何なのよっ、邪魔しないでよ!】 シルフィードが恐る恐る目を開けてみれば、エキドナの尾を、何かが掴んでいる。 その何かは、竜舎の入り口から長く伸びる、巨大なミミズのような、肉質のホースというか――つまり触手であった。【……? 触手?】 エキドナが振り返って自分の尾を掴む触手に対して疑問の声を上げたのを合図にしたのか、その触手が暴れ出してエキドナをぶん回す。【う!? だ!? ぎゃっ?! 頭に血が上る――】「きゅい! な、何なのね!? もう勘弁して欲しいのね!!」 触手はエキドナを散々にグルグルと振り回す。 尾の先端を中心に振り回されて遠心力で頭に血が上ったエキドナは、血液過剰によってレッドアウト。 シルフィードは予想外の事態の連続で恐慌状態に陥っていた。【ぅう~~……】 意識朦朧としているエキドナを、ずりずりと引き摺って、触手は竜舎の入り口まで縮んで行く。 やがて完全に触手も翼蛇エキドナも、シルフィードの視界から消える。 それにしても、さっきの触手は一体何だったのだろうか?「きゅい……? も、もしかして、あの触手の竜の――えーと、ヴィルカン、おじさまが、助けてくれた……?」 その頃、隣の竜舎では。【おい、起きろ。起きろ、エキドナ嬢】【ぅう? うえぁ?】 触手竜ヴィルカンが自前の長い触手で翼蛇エキドナをぶら下げていた。【ぅぅー? あれ、私、何でこんなところに?】【覚えとらんのか。まあ良い】 ヴィルカンは溜息をつくと、エキドナを解放し、自分の背中から生える触手をぶちりと一本ちぎって、エキドナの前に投げ出す。 切られた蜥蜴の尻尾のように、ちぎられた触手が跳ね回る。 ヴィルカンがビチビチ跳ねる触手を指す。【ほれ喰え】【えー、不味そう】【儂の身体にも、先住種族たるクトーニアンの血が流れておるし、品種改良の過程で韻竜の血も混ざっとる。儂の触手を喰らえば、精霊魔法の為の感覚器ぐらい手に入る――】【イタダキマスッ!!!】 ズルリ、とエキドナがヴィルカンの触手を呑み込む。【現金な奴め。今後勝手に他人の使い魔を食おうとするなよ?】【んがぐっぐ】【呑みこんでから喋れ。まあ実際の精霊魔法については、エルフの記憶からサルベージして作った教科書をシャンリットから取り寄せてもらえば良かろう】【んごがが】【落ち着け】 その後、シルフィードは少しだけヴィルカンを怖がらなくなり、 エキドナは全長1メイルくらいに成長して簡単な精霊魔法を使えるようになり、 ヴィルカンの背中からは新たにピンク色の真新しい触手が一本生えた。 タルブ村での、そんな一幕。■23-1.翼蛇と風韻竜と触手竜/了 (シルフィのトラウマ±0)◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 23.幕間――本筋には余り関係ないお話たち◆◇◆■23-2.北花壇騎士団 ガリアの暗部を担当する、公式には存在しないはずの騎士団。 日の当たらぬ北花壇の名を冠するその工作部隊は、国内のあらゆる汚れ仕事、また周辺諸国への諜報を行う組織である。 そこに『元素の兄弟』と呼ばれる腕利きの四人組が所属している。 彼ら『元素の兄弟』の素性は不明である。 ただ、恐ろしく強力な使い手たちであるということは確かだ。 不確かな噂によれば、彼らはクルデンホルフの学術都市シャンリットで研究されていた生体兵器の脱走実験体だとも言われている。 これから紹介するのはそんな彼ら――長兄ダミアン、次兄ジャック、三男ドゥドゥー、末妹ジャネットたち『元素の兄弟』がこなした任務の、ほんの断片である。◆◇◆ ●その① ファンガスの森のキメラドラゴン退治「ファンガスの森のキメラドラゴンを退治しろ、ねぇ」 これは今から数年前の話。 フェンガスの森という場所で、魔法実験体であったキメラドラゴンが暴れているので退治して欲しいという依頼が、北花壇騎士団に届けられた。 その頃から既に元素の兄弟の次兄ジャックは北花壇騎士団に所属しており、名を上げ始めていた。 そんな彼に、その任務の白羽の矢が立ったのだ。「まあ、こういう依頼のほうが、やりやすくて良い。不肖の弟ドゥドゥーじゃないが、行って見つけてぶち殺す(サーチアンドデストロイ)ってのは楽で良いさね。護衛だとかよりよっぽど楽だ」 ジャックはその人外の脚力で森の中を走る。 彼ら『元素の兄弟』は先天的にそして後天的に強化されている。 既に日は落ち、森の中は闇。 獣の時間となって久しいが、『暗視』の魔法で強化された彼の瞳は、まるで昼間のように――とはいかないが、薄暗がりを見通し、彼をそこを駆け抜ける。「ジャック兄さま! 待って! 置いてかないで!」 それを追う少女が一人。 幼い少女はフリルが過剰に付いた黒白のドレスを着ている。 彼女も、ジャックほどではないが、大人の男よりも明らかに速いスピードで森を走っている。「この程度付いてこれないでどうする、ジャネット。さっさと来い」 口ではそう言いつつも、ジャックは可愛い末妹のことを待ってやる。 彼はなかなか優しいのだ。……断じてシスコンではない。断じて。 末妹の匂いに惹かれて森の中をやって来る様々なキメラたちを、手に持った棒手裏剣でジャネットに気付かれないように撃破するくらいには、彼は妹に優しかった。「はぁっ、はぁっ、兄さま、走るの速いですわ……」「お前が遅いだけだ。もっと鍛えろ。あと、走ることだけに気を取られるな。罠や狙撃、隠れている相手に気をつけろ」「はぁっ、はぁっ、はい、兄さま」「精進しろよ、ジャネット。俺がフォローしなきゃ、5回はキメラどもに襲われてたぞ」「ふふっ、ありがとうございます。私、兄さまのそういう優しいところ、大好きですわ」「ああ、俺もお前のことは好きだよ。分かったから、さっさと俺が撃墜したキメラ5匹の所に行って、氷漬けにしてこい。あとでシャンリットの博物館に売り払うんだからな。氷漬けにしたら、四次元ポケットに入れておけよ?」「はぁい、分かりましたわ」 ジャネットは一息つくと、再び森の中に消える。 その間にジャックは周囲の土から棒手裏剣を『錬金』して補充する。 そして直ぐ隣りの森の茂みを見透かすようにして、そこに居る何者か(・・・)に向かって声を掛ける。「そこに隠れている者、出て来たらどうだ? 出て来ないなら、土の槍で貫くぞ」「……」「三秒だけ待ってやる。3、2、1――」「分かった分かった! 出る、出ていくよ!」 おお怖い、と言いながら茂みから姿を表したのは、矢筒を背負った一人の女猟師だった。 ジャックとその女漁師は少しお互いの情報を交換する。 もしかしたらこの若い女猟師は、キメラドラゴンの場所を知っているかも知れない、とジャックは打算してのことだ。 ジャックは事前情報で得ていたキメラドラゴンの特徴――喰った獲物の頭を生やす再生力の強いドラゴンであることなどを話す。 黒髪の美しい、若い牝鹿のような女猟師は、名をジルと言うらしい。 人の寄り付かぬこのファンガスの森で狩りをしていた猟師の娘だったが、森の研究塔を脱走したキメラの群れに襲われ、家族を全て亡くしたらしい。 そして今は自分が生きるための狩りではなく、キメラを殺すために狩りをしているそうだ。「はあ、そうかい。そりゃあ大変だったね。それで、キメラドラゴンは何処に居るか分かるかい?」「……これっぽっちも同情なんかしていないくせに、よく言うよ。まあ、こんな森で狩りをしてたら自業自得なんだが……。そうだね、キメラドラゴンを探してるなら、獣になったつもりで考えな。ヤツだって休息が必要だし、水飲み場も必要だ。そういうのが揃ってる場所を探せば、巣が見つかるだろうよ。何せヤツは森の主だ。一等地に居を構えてるだろうさ」「なるほど。しかし探すのも大変だ。この辺には不案内でね。それで、このあたりのことに詳しそうな猟師である君は、キメラドラゴンの巣がありそうな場所は知らないのかい?」「……知っていたって教えるもんか。ヤツは私の獲物だ」 ジルは、ぷいっと横を向いてしまう。 そこにジャネットが現れる。 彼女はジャックが撃墜して殺したキメラたちを氷漬けにして、魔法のポケットに仕舞っちゃって帰ってきたのだ。 そして女性と話しているジャックを見て目を丸くする。「あら! あらあら! ジャック兄さんが女性を口説いてらっしゃる! まあまあ! これは大変!」「……。ジャネット、これの何処が口説いているように見える? 彼女はこの森の猟師だそうだ。キメラドラゴンのことについて聞いていたんだよ」「アンタの妹かい? コブ付きで倒せるほど、あのキメラドラゴンは安い相手じゃないよ。家族がいるならアンタらはもう帰りな。そんで家族を大切にするんだ」 ジルは忠告めいたことを口にすると、さっさと茂みの向こうに行ってしまった。 ジャックとジャネットは、互いに顔を見合わせて肩を竦めた。 彼ら兄弟は、自分たち四人兄弟――家族のために、ガリアの狗として任務を果たしにファンガスの森までやってきたのだ。おめおめ帰れるわけがないではないか。 翌日、ジャックは『レビテーション』で森の上空に飛び上がり、ファンガスの森一面を見渡していた。 キメラドラゴンなどという大物が居るのなら、その周囲はキメラドラゴンから逃げるためにざわめいているか、あるいはキメラドラゴンを避けて息をひそめて静かになっているかどちらかのはずだ。 ジャックは目を凝らし、森の中で異常な場所がないか探していく。「っ! 見つけた。あれだ」 その時ジャックの視界に、木々の枝が不自然に揺れているのが飛び込んできた。 しかも林冠の揺れは、まるで巨大な何かが移動しているかのように、森に線を引くような軌跡で動いている。 おそらくそこにキメラドラゴンが居るはずだ。「ジャック兄さまー? 見つかりましたー?」「ああ、見つけた! ここから南だ。すぐ行ってさっさと片付けるぞ」「はぁい、分かりましたわ」 ジャックとジャネットが空を飛んでキメラドラゴンのもとへ向かう。 勝負は一瞬だった。 キメラドラゴンに接近したと同時に、ジャックが合成竜の足元を泥沼に『錬金』して足止めする。 キメラドラゴンの火球を避けながら、更に接近し、ジャネットが全身を泥沼ごと凍りつかせる。 『元素の兄弟』は並の使い手ではない。シャンリットの生体兵器だと噂されるのも頷ける。 再生力は高いようだが、一瞬で体内外の水分を凍らせられては、さすがのキメラドラゴンもひとたまりも無かった。 ひょっとしたら解凍したら生き返るかも知れないが。「ふん、何だ、楽勝じゃないか」「まあこれで任務達成でお金が入るなら良いじゃありませんか」 ジャックが討伐証明に、凍ったドラゴンの牙を折る。 そして『レビテーション』でキメラドラゴンの氷漬けの身体を浮かせ、ジャネットが広げている四次元ポケットに突っ込む。 まるで魔法のように――いや実際に魔法なのだが、キメラドラゴンの巨体が小袋の中に吸い込まれてしまった。「喰った獲物の頭を生やすキメラドラゴン、か。シャンリットの人面樹転生システムの模倣でもしようと研究してたのかな? ここの貴族は」「確かに、人面樹もキメラドラゴンと同じように、吸収した獲物の頭を生らせますわね」「ああ。キメラドラゴンとは違って、人面樹なら記憶もきちんと吸収できるがな」「……何がしたかったんでしょうね? ここで研究してた貴族は」「まあ大方不老不死がどうこうってヤツじゃないのか?」「まさかそんなありきたりな……。だって不老不死になりたいなら、シャンリットの人面樹×バロメッツのキメラ樹による転生システムを利用すれば良いじゃないですか。――私たちみたいに」「そうだ、俺達みたいにな。シャンリットの転生サービスは法外な値段だが、貯められないわけじゃ無いだろう。――いや、案外高すぎて自分で研究したほうが早いと思ってしまったのかも知れないな」 一般には流布していないが、シャンリットでは金さえ積めば、生前の記憶や人格や魂を保ったまま、任意のボディにそれを引き継がせるサービスを受けることが出来る。 擬似的な不老不死ともいえるものだが、その為のサービス料というのが、一回につき数百万エキューだと言われている。 もちろん、転生後の肉体に様々な付加価値をつけるとなれば、その転生料金数百万エキューに加えて、さらに転生後の肉体のチューンナップのために数百万エキューのオプションがかかるだろう。 どうやら彼らの会話によれば『元素の兄弟』たちは、その転生サービスを利用して、若く高性能な肉体にありついているらしい。「ここで採集したキメラのサンプルたちが、シャンリットに高値で売れれば良いんだけどなぁ」「そういう面倒な交渉事は、ダミアン兄さまに任せましょう。ダミアン兄さまは最近ボディを交換しましたし、その分多少は苦労してもらわないと」「だな。まあ、ついでだからもう四五十匹くらい狩っとくか。俺の身体もそろそろガタが来始めてるし、少しでも早くお金を貯めなきゃな」「それはジャック兄さまが無茶な身体の使い方をするからですわ。魔法の威力が足りなきゃ生命力を燃やすって、いくらボディを交換できるからって考えなしすぎますわ……」「生命力の使い所は弁えてるさ」「節約してくださいまし。……あ! ジャック兄さま! ここでもう暫く狩りするなら、あのジルっていう猟師のおねーさんも連れて帰って良いかしら!? ああいうタイプは私の“人形”たちには居ませんし、とても凛々しくて綺麗だったでしょう?」「何だ、気に入っちまったのか。……まあ良いんじゃないのか。彼女の仇のキメラドラゴンは俺らが倒しちまったしな。彼女もやることが無くなって困ってるだろう」「やったぁ! 流石、ジャック兄さまは、話が分かるわ!」 ●その① ファンガスの森でサンプル採集&ワイルド美人なお人形さんゲット/了 ◆◇◆ ●その② サビエラ村の吸血鬼退治 轟々と家が燃え盛る。 それを見ている者が居る。 吸血鬼討伐を命じられた北花壇騎士『元素の兄弟』の長兄であるダミアンと、末妹のジャネットであった。 だが傍目から見れば、ジャネットの方が姉に見えるかもしれなかった。 ダミアンは10歳くらいの子供にしか見えないからだ。 それは彼がつい先日、魂の乗り物である自らの身体を新調したばかりだからだ。「大体、吸血鬼を見たというのも、ここ最近は誤認というか思い込みだったり、単なるヘマトフィリア(血液嗜好症)だったりで、真実本当に吸血鬼が出るということは少なかったんだがね」「でも今回は当たりでしたわね」「ああ。今回ばかりはジャネットが居て助かったよ。仕事の見習いに、と連れてきて良かった」 ジャネットは自分の腕の中で眠る小さな女の子を見る。 村長宅に拾われていたエルザという幼い少女――に偽装した弱い三十ほどの吸血鬼である。 ハーフヴァンパイアのボディを使っているジャネットは、その嗅覚で血の匂いのするエルザが吸血鬼であるということを見抜いていた。 その上で、ダミアンとジャネットは、占い師の老婆をスケープゴートとすることを良しとしたのだ。 その結果、集団心理によって暴徒となった村人たちの手によって、占い師の老婆は家ごと燃やされた。 実際のところ、村人たちは真犯人を探していた訳ではなく、吸血鬼という妖魔が居るかも知れないという行き場のない不安のぶつけ先を求めていただけなのだ。 だからエルザが犯人でした、などと言っても聞き入れず、勝手に「いいや真犯人は別に居る!」とか言って、村の中で一番立場が弱い人物を血祭りにあげていたことだろう。 結局のところ、端的に言えば、彼らはストレス発散したいだけなのだから。 惨劇に走らせないようにするためには、適当に「隣村で吸血鬼が見つかったらしい。これで何も恐れるものはない! 祭りだ!」とか言って、何かストレス発散できる祝祭の場を設けてやることが必要だろう(まあそれも実際に吸血鬼の被害が今後確実に出なくなると分かってからの話しであるが)。 などと集団心理の有り様について考察しつつ、ダミアンとジャネットは眠りの魔法で眠らされたエルザを抱えて、サビエラ村を後にした。「それでそのエルザって娘はどうするんだい? “人形”にでもするのか?」「まさか! きちんと吸血鬼としての常識をつけさせてあげるだけですわ。可哀想に、小さい頃に親が殺されて、吸血鬼の常識も知らずに生きてきたのですわ、エルザちゃんは。きちんと更正させるチャンスは与えませんと」「……養うならお前の金で養えよ。ちなみに吸血鬼の心得ってのは?」「ニンゲンは生かさず殺さず、ですわ」「貴族のような言い分だな」「当然ですわ。ヴァンパイアは夜の貴族なのですもの」 ●その② サビエラ村にて村人たちのストレス発散を見届け、吸血鬼の養女を引き取るのこと/了◆◇◆ ●その③ ド・ロナル伯爵公子を学院に通わせるべし「全く、なんで俺がこんな事をしなきゃいけないんだ! いくら金払いが良いからって……いや、金払いが良いなら、何でも引き受けるんだった、ダミアン兄さんは……」 憤ったり落胆したり、一人で百面相しながらガリアの首都リュティスを歩くのは、北花壇騎士団の腕利き『元素の兄弟』の三男ドゥドゥーであった。 ちょうど任務がなくて暇していたドゥドゥーに、エルフ混じりの長持ちボディに新調したばかりの長兄が持ってきたのは、引き篭っているド・ロナルとかいう伯爵の息子を学院に通わせることだった。 だが暗殺・諜報が主任務の北花壇騎士団に、ヒキコモリの更生を頼むだなんてどうかしている。 ◆ドゥドゥーの任務報告書 一日目。 ド・ロナル伯爵の邸宅に辿り着いた。 召使にさっさと伯爵の息子――オリヴァンとかいうらしい――の部屋に案内させる。 オリヴァンが出て来ないので、俺のお得意の『ブレイド』で扉の鍵を切断し、ドアを開けて引っ張り出す。 そのまま無理やりリュティス魔法学院に引っ張っていき、放り込む。 ……直後、オリヴァンがいじめられているのを目撃。いじめっ子を蹴散らす。 オリヴァンが「良いこと思いついた、お前俺の代わりに〈透明マント〉着て魔法使え」とか寝惚けたことを言うのでこっちも蹴散らす。 二日目。 オリヴァンが昨日よりなお強固に引き篭もる。 あ、これあかん。堂々巡りになるわ。と、昨日のことを反省。 任務に当たってダミアン兄さんがよく言っていたことを思い出す。 確か「任務の達成には顧客満足度が重要だ」とダミアン兄さんは言っていた。 リピーターになってもらうにはそれが必要なのだそうだ。 無い知恵絞って考える。自慢じゃないが俺は頭が良くない。(えーと、この場合、顧客ってのは、金出してくれる人だから、この坊主の父親か。兄さんが言うには、顧客が本当に求めていることと、実際の依頼内容はワンクッションもツークッションも置かれていることが多いってことだから、この際、依頼内容の『学院に通わせる』は一回忘れよう。すると、ド・ロナル伯爵とこのオリヴァンとかいう息子の関係において、伯爵が何を求めてるかってことだが――) 湯気が出るまで考える。 考える。 考える。 考えた、が、無い知恵絞っても無いものは出ない。「だぁーーっ! もう訳分からん! 学校にはいじめっ子がいて行きたくないってんなら、苛められない実力つけさせりゃ良いだけじゃねえか! そうすりゃオリヴァンの親父さんも満足だろ! 跡継ぎが強いに越したことはないんだからな!」 俺はオリヴァンの部屋の扉をダイナミック解錠し、抵抗するオリヴァンを抱えて屋敷を飛び出した。 行く先は、火竜山脈。 武者修行と言えば、山篭りだと相場が決まっている。 三日目。 取り敢えずオリヴァンを火竜の前に放り出してみた。 ……速攻で失神したので、俺が『ブレイド』を伸ばして火竜の首を刎ねた。肝心の伯爵公子を死なすわけにはいかない。 その日の二人の夕飯は地熱で焼いた火竜肉だった。 オリヴァンが泣きながら「帰りたい」と言うので、「俺を倒せたらな」と答えておいた。 尚更オリヴァンが絶望に顔を染めて泣いた。 ……火竜肉の匂いに釣られたのか、リュリュと名乗る美食ハンターがいつの間にか晩餐に参加していた。 七日目。 何を勘違いしたのかオリヴァンがリュリュに夜這いをかけようとして逆襲されていた。馬鹿か。 少しオリヴァンが痩せてきたように思える。 オリヴァンを鍛えつつ、リュリュにも(切実に)請われて護身術を教える。 十日目。 季節外れの極楽鳥の卵を見つけたので食べてみる。 ……クソ不味かった。 オリヴァンの身体が徐々に良い感じに出来上がってきている。 だが魔法も体術もリュリュの方が筋が良い。 二十日目。 再びオリヴァンを火竜の前に放り出してみる。 気絶はしなかったが逃げまわるだけ。 風メイジだけあって脚だけは中々早い。 埒が明かないので途中で俺が火竜をブチ殺して、強制終了。 まだ早かったか。 三十日目。 リュリュが火竜を倒した。 三十一日目。 オリヴァンが火竜を倒した。 リュリュに先を越されたのが相当悔しかったらしい。 三十二日目。 最終試験と称して、俺に一太刀当てることを言い渡す。 その場でいきなり飛び掛ってきたので、体術のみであしらう。 リュリュは新たな美食を求めて旅立っていった。 リュリュの別れ際、リュリュとオリヴァンは何か約束をしていたようだ。 四十日目。 オリヴァンが俺に対して罠を使うことを覚えたらしい。 いい傾向だ。 生き残るためには使えるものは何でも使う必要がある。 だがムカツイたので腕の一本刎ね飛ばしておく。 痛みに耐えかねて気絶しやがったので、その後『治癒』で腕を繋げ直してやる。俺って優しい。 四十五日目。 俺が気づいたときには、オリヴァンによって巧妙に誘引された火竜たちに囲まれてしまっていた。 その乱戦の中で遠くからの石礫が飛来。 何とか石礫は避けたものの、石礫に被せるように発射されていた風の魔法を食らってしまう。 不覚。いや、オリヴァンがよく成長したというべきか。 既に山に登る前の豚のような風貌は失せて、筋骨隆々とした肉体に彼は生まれ変わった。 四十六日目。 満を持して下山。 ド・ロナル伯爵や使用人たちが、オリヴァンの変わり様に驚く。 だがド・ロナル伯爵にはかなり好感度が高い模様。 やはり俺の選択は間違っていなかった。 俺が「学校に行けるか」とオリヴァンに問うと口ごもりやがったので、「次にズル休みしたら、今度はサハラだぞ」と言って脅しておく。 学院前まで送り、門に入るのを見届ける。 ……しばらく周囲を見張るが、オリヴァンが戻ってくる様子はない。 無事に登校したのだろう。 これで任務は達成のはずだ。 四十七日目。 オリヴァンはきちんと学校に行っているようだ。 遠目だが学院で見かけたから間違いない。 四十八日目。 オリヴァンはきちんと学校に行っているようだ。 四十九日目。 オリヴァンはきちんと学校に行っているようだ。 よし、もう大丈夫だろう。 ダミアン兄さんの所に戻ろう。 五十日目。 この程度の任務に時間をかけすぎだとダミアン兄さんに怒られた。 まあ俺の働きに対するド・ロナル伯爵からの評判は良かったらしいのが救いか。 次からはせめて締切りと定期報告は忘れないようにしよう。 ◆オリヴァンの再登校「ようやく僕は帰って来れた! この光り溢れる麗しのリュティスに!」 鍛えられた身体に生まれ変わったオリヴァンが、リュティス魔法学院の門の前で感涙に咽ぶ。 苛められた日々の記憶が残る学院であるが、そんなもの、あの火竜山脈での四十日間に比べれば、どうということはない。 授業に取り残されているかも知れないが、もともと座学は得意であったのだ。直ぐに追いつけるだろう。 チェスやパズルが好きなオリヴァンは、頭の回転に掛けては自信を持っていた。(頭を活かした罠や作戦は、あのドゥドゥー師匠にも褒められた! 魔法だって強くなった! 身体だって、あの苛めっ子のアルベールにも負けないぞ!) 胸を張って、彼は門を潜る。 ……直後、衛兵に引き止められた。 部外者だと思われたのだ。 学生証を提示したが、風貌があまりに変わりすぎていたので、疑いは晴れず。 面倒くさくなってこのまま帰ろうかとも思ったが、おそらくドゥドゥーが監視していることを思い出すオリヴァン。 ――後には退けないため、強行突破。 しかし途中で教師に十人掛かりで止められてしまい、最終的に職員室に連行される。 教師たちはオリヴァンが、「ただ登校しに来ただけだ」と言っても聞く耳を持ちはしない。 途中で苛めっ子のアルベールとその取り巻きを見かけたので、「僕だ! オリヴァンだ! なあ、アルベール! 覚えてるよな!?」と呼び掛けるが、彼らは青い顔をして首を振るとそそくさと去っていった。 結局疑いが晴れず、学院に乱入しようとした不審者として懲罰房に入れられる。 屈辱である。「だが、逆に考えるんだ。僕には何も後暗いところはない。逆に、教師たちの弱みを握ってやったって思うんだ。そうすれば何も怖くない。大丈夫、明日にはきちんと父上から学院に事情が伝わるはずだ」 翌日、オリヴァンの身元を保証しに来たド・ロナル伯爵に平身低頭する教師たちや衛兵を見て、オリヴァンの溜飲が下がった。 教室に行くと、ざわざわと皆がオリヴァンの方を見てくる。 「誰だあいつ」という声が聞こえる。 アルベールとその取り巻きは、端の方で縮こまっているようである。 オリヴァンにとって久しぶりに受ける授業は新鮮で面白かった。学習意欲も高まっているようだった。 さらに翌日。 何故かアルベールが決闘を申し込んできた。 アルベールは不承不承という感じであったのが、オリヴァンには疑問であった。 実際は、アルベールが自分の派閥内でのメンツを保つために、他のメンバーから半ば強制されるようにオリヴァンに決闘を申し込んだのだが、そんなことはオリヴァンにはこの時は頭が回らなかった。 その日の午後、決闘。 難なくアルベールに勝利。「……弱っ。これならリュリュの方がよっぽど強かったよ」「く、くそっ! 貴様、やっぱりオリヴァンじゃないな!?」「いやいや」「そっちが別人で決闘するなら、こっちだって代理人を立ててやる! 出て来い、セレスタン!」 後ろから現れる、傭兵崩れ風の男セレスタン。「いくらその代理人が腕利きでも、僕の師匠には敵わないと思うよ。花壇騎士だと言っていたからね」「花壇騎士ィ? そうと聞いちゃ黙ってられんな。あんなお坊ちゃんどもに闘いの何が分かるってんだ」「……何だと?」「お座敷で習った魔法や剣術に意味はねぇってんだ」「お座敷だと?」 オリヴァンがわなわなと震え出す。 アルベールがオリヴァンの震えを目ざとく見つけて、からかいの言葉を飛ばす。 他の取り巻きも同調して嘲笑う。「何だ、オリヴァン。怖くなったのか? 今なら土下座すれば許してやらんこともないぞ」「馬鹿にするなっ!!」 オリヴァンは泣きながら叫ぶ。「アレがお座敷魔法だと? お座敷剣法だと!? 嘘を言うなっ! お前らは経験して無いからそんな事が言えるんだ! この四十日間、僕が何処に居たと思う? 火竜山脈だ! それも繁殖期の気が立った火竜の群れの中で四十日だぞ!? 初日からいきなり十五メイルはある火竜の前に放り出されたんだぞ!? それで鍛えに鍛えて頭も使って火竜をようやく倒せたと思ったら、今度は火竜を瞬殺する師匠と試合だぞ!? いや、あれは絶対試合じゃなかった。殺し合いだった! 今思い出しても足が震える。涙が溢れる。泣き虫オリヴァン? 泣くに決まってんだろうがっ! この四十日、生きた心地がしなかったんだぞ!? それでようやくリュティスに帰ってきてみれば、どうだ!? くっだんねぇことで絡んできやがって! ブチ殺すぞっ!」 オリヴァンの突然の急変に周囲は戸惑う。 癇癪を起こしたオリヴァンの風の魔力のオーラが、彼が叫んだ内容を真実だと裏付ける。 雇われ用心棒のセレスタンが前に出る。「ならばブチ殺してもらいましょうや。花壇騎士の名前を出されたんじゃあ、俺も退くに退けねぇんでね」「ああ、良いだろう。行くぞ!!」「来い! 小僧!」 対峙する二人の交錯は一瞬であった。 そして、崩れ落ちたのは、セレスタンの方だ。「ぐふっ、てめぇ、只のガキじゃねぇな……」「セレスタン、と言ったか。確かに、僕は只者じゃない。何せ、ド・ロナル伯爵の跡継ぎで、ドゥドゥー師匠の弟子なんだからな!」「ドゥドゥー……聞いたことがあるぞ。まさか! 『元素の兄弟』のドゥドゥーか!?」「さあね。師匠は師匠さ」 という訳で、自力と自信を付けたオリヴァンは、見事に社会復帰を果たしたのであった。 ●その③ ドゥドゥー弟子を取る/了◆◇◆ 他にも彼ら『元素の兄弟』は様々な任務に従事した。 それは、コボルドの討伐であったり、翼人を追い払ったりであったり、ミノタウロスを装った人身略取を暴いたり、本当にミノタウロスを討伐したり、色々だ。 八面六臂の活躍をする彼らのモットーは「給料分だけ働こう」である。 とはいえ、彼らの上司は頭が切れる事で有名なあのオデコがチャーミングなイザベラ王女である。 きっと楽はさせてもらえないのだろう。ギリギリまでこき使われるに決まっている。 ああ、でも、お金が好きな彼らが嬉々として行った任務が一つだけあった。 それは――違法カジノの摘発である。■23-2.『元素の兄弟』は転生資金を貯めるようです/了◆◇◆■23-3.トリスタニアの王城にて「陛下。お顔色が悪いようですが……」 侍従長のラ・ポルトが、寝室から出てきたアンリエッタに声を掛ける。 ちなみにまだウェールズとは褥(しとね)を共にしていない。 アンリエッタの顔は青ざめており、口は恐ろしいものでも見たかのように戦慄いている。 何度か唾を飲み下し、やっとアンリエッタは口を開く。「夢を、恐ろしい夢を……」「大丈夫です。アンリエッタ陛下。現実が上手くいっているときには、脳内でバランスを取るために、悪夢を見ると言います。無意識が“こんなに上手くいっていると揺り返しが来るのではないか”と勝手に心配するのです。それが夢に現れることがあるそうです。ですが、アンリエッタ陛下に限ってその心配が現実になるようなことはありえません。何せ、アンリエッタ陛下は神にも等しい始祖に選ばれた始祖の後継たるお方ですから」「そう、ですか。そうですよね。ええ、心配は、要らない、はず」「その通りです。案外、吐き出してみれば良いかも知れません。私でよければお聞きしますよ」 ラ・ポルトは微笑みながら、敬愛し心酔するアンリエッタを気遣う。 気遣いつつも、彼は優秀なカウンセラーを手配することを脳内に刻んでおく。アンリエッタは望まないかも知れないが。 アンリエッタ女王を盲信するだけではなく、彼女の将来を思えばこそ、時には自ら嫌われ役にならねばならぬこともあると、ラ・ポルトは信じている。 ラ・ポルトの愛の形は忠愛であったし、王城の他の多くの者も、同じく忠愛を胸に抱いて――いやアンリエッタの魅惑の美貌によって忠愛を胸の奥深くに塗り込められているだろう。 息を整えたアンリエッタは、幾分か顔色が良くなったようだ。 場所を王族のための控え室に移して、アンリエッタは話し始める。 ラ・ポルトはメイドに紅茶を持ってこさせるように命じ、女王が話し出すのを待つ。「ラ・ポルトは、私と私のおともだちのルイズ・フランソワーズが『アミアンの包囲戦』と呼んでいる、昔のちょっとした喧嘩を、覚えていますか?」「はあ、ルイズ・フランソワーズと申しますと、あのラ・ヴァリエール公爵の三女でありますな。そういえば昔はよくご一緒に遊んで、またよく喧嘩もしてらっしゃいましたな」「ええ、その数ある喧嘩のうちの一つ。私の寝室で、ルイズと衣装を取り合って、『宮廷ごっこ』でどっちが姫をやるかで喧嘩して」「ええ、ええ。ルイズお嬢様は、ラ・ヴァリエール夫人に似たのか勝気な性格で。あの勝気なルイズお嬢様に、姫様はよく泣かされておりましたなあ」「そうなの。ああなんだか懐かしいわね。でも、私が快勝したこともあったのですよ? それが『アミアンの包囲戦』と私たちが呼んでいる事件なの」「事件とは、また大変ですな」「ええ、大事件よ。私の一発が見事にルイズ・フランソワーズのお腹に決まって、彼女、そのまま気絶しちゃったんですもの」「おお! 思い出しましたぞ! あの時は姫様が泣いて慌てて、大変でございましたな! いやはや懐かしい」「そうなの。私、びっくりしちゃって」 とりとめない話であるが、かなりアンリエッタの顔色は良くなった。 あと暫くして、ウェールズ王子が起きてくる頃には、恐らく回復するだろうと思われた。 だが、アンリエッタは急に顔色を暗くする。「今日の夢は、その『アミアンの包囲戦』についてなの。起きてからもはっきりと覚えているわ」「どんな夢だったのです? お聞きしても宜しいでしょうか」「とても……、とても恐ろしい夢。衣装を取り合って取っ組み合いになるまでは同じ。だけど、取っ組み合いになった私とルイズが居る場所は、いつの間にか血みどろの死体が積み上がった戦場――まさに地獄のような戦場に変わり果てていたの」「それは……おだやかではありませんな」「ええ、しかも、それだけではありません。はっと気がつけばルイズは後ろに回っていて、私の顔を後ろからがっちりと固定してくるのです。そして、固定された視線の先には――ああ、とても言葉にはできません! 蠢いて気持ちの悪い、肉塊のような、死体のような、とにかく、悍ましいとしか表現できない、ナニか! 混沌の、暗闇の、血色の、火色の! あらゆる悪徳を煮詰めて憎悪で色付けしたような、最悪の、狂気が――! ルイズが『姫さまは、こうならないでください』と囁くのよ! 誰が好き好んであんな気持ちの悪い肉塊になんてなるものですか! あんな、あんな、腐った、流れの止まった淀みのような、池の底のヘドロのような――」 アンリエッタが取り乱す。「陛下! 陛下っ! しっかりなさってください! ここにラ・ポルトがおります! ウェールズ陛下も王城にいらっしゃいます! どうかご安心下さい!」「……はぁ、はぁっ。ええ、っ、大丈夫です。大丈夫です。ウェールズ様が居る限り、私は、大丈夫です……」「そうです。アンリエッタ陛下は一人ではありません。この私も、トリステインの全てが、陛下のためにあるのです」「ええ、私は、大丈夫。大丈夫。大丈夫」 アンリエッタは身を掻き抱くようにして暫く震え続けた。(夢の最後では、夢の中のルイズ・フランソワーズも、震える私のことを優しく抱きしめてくれた……。それはとても温かかったけれど――彼女の眼の奥の、あの絶対零度の虚無のような決意を秘めた瞳は、とても恐ろしかった。『敵になれば、容赦しない』と、彼女の瞳は語っていた……)■23-3.女王陛下は夢見が悪いようです/了◆◇◆■23-4.ロマリア教皇は慈善事業好き 光り溢れる都市ロマリアの、教皇のお膝元である寺院――ロマリア大聖堂にて。 慈善事業の一環で引き取ったと思われる子供たちが、寺院の庭で遊んでいる。 その内の二人の男の子が、何がきっかけか分からないが、取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。「コイツっ!?」 「やんのかコラ!?」 だが慌てて、一人の美男子が、その喧嘩を止めに入る。 年の頃は二十歳ほどか。 慈愛の笑みを浮かべつつ、毅然とした態度で男子の仲裁に入る。「コラーーッ! 二人とも止めなさ~~いッ!!」 喧嘩していた二人がびくっと、動きを止める。「二人とも一体どうしたというのです?」「コイツが先に殴ったんだっ!!」 「違わいっ! そっちが先に僕の本を――」 「何だとー!?」「止めなさーーいっ!」 再び美男子が仲裁する。 やれやれ嘆かわしい、と美男子が首を振る。「暴力を友達に振るうなんて……いけませんよ!! そんな事では、二人とも始祖の御心から外れて、外道に落ちてしまいますよ?」「えぇぇ~~~~?」 「ゴメンナサイ! 教皇さま、ゴメンナサイ!」 なんと、どうやらこの美男子は、ロマリア宗教庁のトップ、ロマリア教皇聖エイジス32世――ヴィットーリオ・セレヴァレらしい。 教皇職にありながら、自ら率先して子供や貧者に施しを行う、慈悲深き男である。 ……いや、果たしてそうか?「いいですか? 暴力を振るっていい相手は――化物(・・)どもと異教徒(・・・)どもだけです」 慈悲深い教皇が、こんな酷薄なセリフを、酷薄な表情で宣う(のたまう)だろうか? その時、大聖堂の庭に、また別の男が現れる。 ゆったりした衣装に身を包んだ、沙漠の匂いがする男だ。 頭部には日除けのためか、布を巻き付けており、その表情は杳として窺い知れない。「ロマリア教皇、ヴィットーリオ・セレヴァレ……待ちくたびれたから、こちらから出向いてしまったが、良かったか?」 繊細なハープのような声音で、沙漠の男が教皇に問う。 教皇は、少々間抜けにも思える動作でそれに応じる。「――ああ! もうそんな時間でしたか? これは申し訳ない、ミスタ――何とお呼びすれば良かったですかね?」「人前では、“アルハンブラ伯爵”とでも呼ぶがいい。実際、私はあの沙漠のアルハンブラ城を任されている」「では、ミスタ・アルハンブラ。ご案内します」 喧嘩をしていた子供たちに、「もう喧嘩してはいけませんよ? 仲直りしてください」と言いつけると、教皇は、現れた沙漠の男を引き連れて聖堂の中へと入っていく。 教皇と沙漠の男は、聖堂内の教皇の執務室へと入っていく。「……先ほど子供たちに言っていた言葉――『暴力を振るっていいのは、化物どもと異教徒どもだけ』というのは本心か?」 出し抜けに“アルハンブラ伯爵”が疑問を口にする。「ええ。そうですけれど、それが何か?」「ならば、私と接触を持つのは、その信念に抵触しないのかと思ってな。私が仕える神は、遙か星辰の彼方のセラエノに在す(まします)ハストゥールだぞ?」 そう言って、アルハンブラ伯爵は、頭を覆っていた布を解いていく。 いや、正確には布自体が意思を持っているかのようにして、ひとりでに解けていく。 その下から現れたのは、少年とも壮年とも言えない不思議な雰囲気をまとった、澄んだ青い切れ長の瞳が印象的な男だった。 だが、ハルケギニアに住むものならば、その男の美貌よりも、別の部分に目が行くだろう。 即ち、長く尖った耳――天敵たるエルフの証である長耳に。 彼の名はビダーシャルと言い、エルフのネフテス(夜の女神)の部族の一員であり、ハルケギニア諸国との外交を任せられている者でもある。「まあ我々も、誰彼構わず攻撃を仕掛けるわけではありません。何せ、このハルケギニア――いえ、この大地には、生半な覚悟で手を出すことが憚られるような、その名を口に出すのすら躊躇するような、そんな化物どもが犇めいているのですから。話し合いが出来るなら、それを行うのは吝か(やぶさか)ではありません。先程のは『敵に向けるべき杖を、味方たる人間に向けるな』というだけのことです」「なるほどな。お前たち蛮人――いや、失礼。マギ族は、常に身内で争っていたからな」「エルフも似たようなものでしょう。宗派の違い、利権の取り合い、利害の衝突……。争いは絶えず、社会は矛盾に満ちています」「まあ確かに似たようなものだな、お互いに」 軽くお互いに会話の拳を応酬すると、二人の男は本題に入る。「それで“聖地”への立ち入りの件は、如何です?」「老評議会に諮るべく根回しをしているが――やはり難航しそうだな。老人たちが、6000年前の“大災害”の巻き直しになるのではないか、と心配している」「つまり、我々ロマリアと貴方たちの間に、まだ信頼関係が足りない、ということですね。土壇場で裏切って、聖地で良からぬことを企んでいるのではないかと勘ぐられている、と」「そういう事だ。エルフ敵視の教条があるロマリアよりも、寧ろ“ハスターを崇める天空大陸の天空教徒たちと結んだ方がまだマシ”という声もあるくらいだ。実際、アルビオンからサハラに留学の申し出が来ているらしいからな」「“らしい”? アルビオンとのチャンネルも、ビダーシャル卿が取り持つのではないのですか?」「それが、アルビオンの新王の妃が、エルフだろう? その親戚筋を通じて、打診があったようなのだ。私の頭の上を通り越してな」「そうですか。実は内心、そのアルビオン妃の一族に思うところがあったりしますか? 貴方の利権が侵されそうなのでしょう?」「別段気にしないな。彼らがアルビオンを担当すれば、私のハルケギニア方面への業務が少しでも減ってくれるだろう。楽になるのは歓迎だ。今は激務に過ぎる」 そしてヴィットーリオとビダーシャルは二人揃って溜息をつく。 彼ら二人が次に口に出したのは、全く同じ言葉だった。「「全く、あの蜘蛛どもめ……」」 そこから先は、彼ら二人が揃ったときには、最早お定まりとなった、愚痴の応酬であった。「どうせ奴ら蜘蛛どもは、ここ千年と同じく、観察するだけで何もしてこないのだろうが、だからといって、シャンリットの蜘蛛どもへの監視を緩めるわけにもいかん。諸国で政変が相次ぐ中、大人しくしているのが却って不気味だ」「聖地への立ち入り許可を得る前に、あの蜘蛛どもから、虚無魔法『生命』の鍵である第四の使い魔(リーヴスラシル)を解放しなくてはなりません。とはいえ、あの学術都市は、物理的にも魔術的にも難攻不落。突出した技術力、千年の富の蓄積、強力な矮人兵隊で構成された軍隊……。並大抵では、どうにもなりません」「はぁ……」 「本当に……」「お互い気苦労が絶えないな、ロマリア教皇」「ええ。蜘蛛に煩わされているという点では、信仰の違いに目を瞑って、友人になれそうですね、ビダーシャル卿」「全くだ。お前たちの“方舟計画”に、我々エルフも一口乗りたいくらいだ」「あはは、それも良いですね……。6000年前は、マギ族である始祖ブリミルを基準に環境改変魔法『生命』が発動したせいで、エルフが環境変動に耐えられずに被害を被りましたが……。しかし恐らく、ハーフエルフの虚無の使い手が、恒星系規模環境改変魔法である『生命』を使えば、我々人間とエルフが共存できる環境を別惑星に顕現させられるでしょう」「……それも是非、真剣に検討しておいてくれ。比較的若い老評議会議員には、このハルケギニアから離れることに興味がある者たちも居るようだった。もしハーフエルフの虚無遣いが居るなら、それは聖地への立ち入りから最終的に異星へ植民するという“方舟計画”にエルフを協力させる為の、強力な説得材料になるだろう」「分かりました。……となると、やはりアルビオンに潜入しているジュリオには、頑張ってもらわなくてはなりませんね。……全く、ロマリアの手が長いとはいえ、幾ら何でも限度があります」 ロマリア教皇とエルフの議員の会談は、時に脱線しながらも続く。■23-4.邪神の坩堝から逃れるために/了◆◇◆■23-5.行けラグドリアン湖 虚無会議を終えてタルブでひと休みしたルイズは、他の一行と共にタルブから一度学院に戻っていた。 ラグドリアン湖に向かう前に、学院の私室に保管している装備を確認し、手持ちの道具を充実させるためだ。 アニエスのグリフォンと、タバサのシェフィールド、クルデンホルフの竜騎士ルネの触手竜ヴィルカンが牽引する竜籠に乗って、ルイズたちは空路で学院まで帰還した。 そんな彼らを出迎えたのは、悩める金髪縦ロールモンモランシーだった。 正確には出迎えたわけではなく、たまたま門の前を行ったり来たりしていただけなのだが。 モンモランシーは、深刻な悩みがあるのか、クマのように唸りながら門の前を右往左往したり立ったり座ったりしている。「う~……」「あら、モンモランシーじゃないの。どうしたのよ、門の前で頭抱えて蹲って」「う~ん~……」「モンモランシー? 聞いてるの?」「……はっ!? ルイズ!? 帰ってきたの!?」 漸くルイズたち一行に気づいたのだろう。 モンモランシーが顔を上げる。「またすぐに出かけるけどね。モンモランシーこそ、夏期休暇なのに実家の方には帰らなかったのね」「……それが、モンモランシ領はラグドリアン湖の増水で深刻な被害を受けているの。危ないから、帰ってくるなって、お父様が……」「ああ、貴女の家は昔からの水精霊との交渉役だったわね」「ええ。私としては、領地に被害が出ているなら、是が非でも帰って、領民の皆のもとを訪ねて元気づけてあげたいんだけど……」「なら帰ればいいじゃない? そういう理由なら、貴女のお父様も、無闇に拒否したりはしないと思うけれど。昔に園遊会でお会いした感じでは、そのくらいの融通は効きそうな方だったけれど、貴女のお父様」「それが……。どうも、その水精霊の様子がオカシイみたいで……」 水精霊の様子がオカシイ。そしてラグドリアン湖の大増水。 そのモンモランシーの言葉に、ルイズは眉をぴくりと動かす。 ルイズは左手の指を癖でこすり合わせると、思案する。(モンモランシーから、何か情報が聞けるかも知れないわね)「お父様やお祖父様が、何とか水精霊を鎮めようと、鎮めの儀式をしてるみたいだけれど、上手く行ってないみたいで……。今も、実家からの便りがないかって、こうして門の前で待っていたところなの。家族も領民も、無事だといいんだけど……」「ふぅん? 私たち、ちょうどこの後ラグドリアン湖に行く予定だったのよ。ガリア政府とトリステイン政府が行う調査に協力の要請が来ていてね」 そう言って、ルイズは王家の花紋が入った命令書を見せる。「おい、ルイズ。任務の内容は言っても良かったのか?」「問題ないわよ、サイト。コレは必要なことよ。トリステインの交渉役に連なる娘が同級生なんてラッキー、くらいには思わないと。コレで一つ手間が省けるわ」 サイトの抗議に、ルイズは肩を竦めて答える。 どの道、モンモランシ家には接触を取ろうとしていたのだ。 いきなり門外漢が彼らの仕事場に乗り込んでいって「女王陛下の命令だから協力しろ」と言うより、娘を介して繋ぎを取った方が心象も良いに決まっている。「モンモランシーも実家のことが気になるでしょう? 家族の力になりたいのでしょう? 領民を助けたいのでしょう? 貴族の義務を果たしたいのではなくって? ――心配要らないわ。貴女のお父様からの責めは、全て私が負うわ。だから協力してくれないかしら?」 ニヤリと決して断れない笑顔でモンモランシーに問いかけるルイズ。 その様子を見て、サイトは「何か、何処と無く蛇っぽい」と思ったとか。 タルブで喰らった翼蛇エキドナの根幹――ルイズによればルイズの在り方を貪食と狡猾に限って伸ばしたもの――が、ルイズの在り方にも影響しているのだろう。【誘い方がえげつないわね。流石は私の本体】【そうか? 虚無遣いの娘っ子がおっかねえのは、昔からだろ?】「まあ、実際、現地に詳しいモンモンが居れば楽になるのは確かだ。本人もラグドリアン湖に行くのを望んでいるみたいだし、問題ないだろう」【私はサイトの周りにこれ以上女の子が増えるのは、ちょっと――いいえ、かなりイヤね】 翼蛇エキドナが、サイトの耳朶に舌を這わせる。 そこに、モンモランシーの決然とした声が届く。 蛇のようなルイズの誘惑にモンモランシーは転んでしまったのだろう。「……っ。ええ、私を連れていってくれるかしら。『極零』の魔女ルイズ。学年でも屈指の――いえ、国中探しても指折りの実力者である貴女が協力してくれるなら、きっと、ラグドリアン湖の問題も、解決するはずよ」■23-5.ラグドリアン湖は梔(クチナシ)の香り/続=================================今回は短編未満のネタの消化でした。形にしてしまわないと自分の中で消化不良で気持ち悪くて。次回以降、ラグドリアン湖畔編です。クチナシの香り、でピンと来た方……、あなた、水無瀬ゼミのゼミ生ですね?2011/05/10 初投稿