ダングルテール、と呼ばれる地方がある。 『アングル人の土地』という意味合いの言葉であり、この地方に住む人々は、アングル人を父祖に持つのだという。 ではアングル人とは何処の民族か、というと、一般的にはかつて天空大陸アルビオンを支配していた民族を指す。 実際はゲルマン地方の一部族だったとかいう話もあるが、確かではない。 エルフやあるいはもっと別の先住種族だったとの説もある。Angle(角度)の名の通りに、此の世ならぬ角度に住む何モノかであったという話もあるし、空に住まうモノとして天使(Angel)と同一視する向きもある。 確かなのは、彼らアングル人が、かつてのアルビオンで興隆を誇ったことだ。 だが始祖光臨を機に、彼らはメイジ(マギ族)によって追いやられ、天空大陸の平野部から追い出された。 一説によれば、アングル人の一部は人の棲めぬ高地へ逃げ、あるいは天空大陸に穿たれた鍾乳洞に逃げこみ、またあるいは天空大陸からガリアやトリステインに降下したのだという。 ダングルテールは、そのアングル人たちがトリステインに降りた際の、逃げ先の一つだとされている。 ……ダングルテールとアングル人について、奇妙な噂がある。 噂というよりは伝承、神話、伝説という類の話だ。 彼らの父祖たるアングル人が、アルビオンからトリステインに降りてきた際の伝説である。 アングル人は、風の神の加護を受けており、生身で、アルビオンの白い断崖からトリステインの海辺にまで飛び降りることが出来たのだという。 現在、そのダングルテールには、廃墟の痕跡が広がっている。 海風による風化と植物による侵食によって、煉瓦や石壁の名残しか残っていない。 ハルケギニアではよく見られる、ただの廃村だ。 オークなどの亜人の襲撃や、山賊の略奪によって村を棄てることは、ままあることだ。 残された瓦礫には煤の跡がある。 焼き討ちにされたのだ。 知る人ぞ知る『ダングルテールの虐殺』。 それは悲劇。あるいは恐怖劇。もしくは、あの蜘蛛の千年教師長や、混沌の化身にとっては、ありふれた喜劇に過ぎないかも知れない。 舞台は、今から二十年前まで遡る(さかのぼる)。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 外伝9.ダングルテールの虐殺◆◇◆ 魔法研究所(アカデミー)実験小隊。 下級貴族のメイジで構成される彼らは、戦場での魔法の運用方法や、人体への影響、範囲魔法の威力などを実験する何でも屋だ。 野盗退治や地方諸侯の反乱の鎮圧などにしょっちゅう繰り出される彼らは、汚れ仕事を請け負う点ではガリア北花壇騎士団とも似ている。 ただ彼ら実験小隊は、研究者でもあり開発者でもあるため、暗殺と諜報専門の特殊部隊である北花壇騎士団よりは、クルデンホルフの知識欲旺盛な外道特務機関“蜘蛛の糸”の方が、性質としては近いかも知れない。 実験小隊に所属するメイジたちは厳しい訓練を課されると同時に、最先端の科学理論と魔法理論を学ぶ。 小貴族の有望そうな次男三男は早いうちから目をつけられ、人買いに買われるようにしてアカデミーの門を叩く。 世間的には、『才能豊かなメイジをアカデミーがスカウトした』ということになり、実際にアカデミー実験小隊に入隊する彼らの面倒は、アカデミーが一括で衣食住すべて面倒を見る。 メンヌヴィルは、二十歳になったばかりの火のメイジだ。 実家が裕福ではなく長男でもなかったために、王都の魔法学院には入れず、しかしその魔法の才能を見出されて、数年前からアカデミーで英才教育を受けてきた。 ここで言う英才教育とは、幼い頃からの軍隊顔負けの訓練、各学科の権威を招いての講義、限界を超えた魔法鍛錬、食事制限とドーピングと水魔法による成長管理などである。 数年の、血反吐を吐いては水魔法で癒してまた訓練するという地獄のような鍛錬を経て、彼は育成予備部隊から実働部隊に配属された。 そこでメンヌヴィルは、自分の目標とすべき人物に出会う。 彼より少し年上の二十歳そこそこで実務部隊のトップを務める炎の使い手――ジャン・コルベール隊長である。 コルベール隊長は、正に実験部隊の長たるべき人物であった。 彼の華奢な体格をカバーする柔よく剛を制す圧倒的な体術の技量。 理性的で探究心に溢れる性格。 熱力学と流体力学を熟知した流麗で惚れ惚れするような炎の扱い。 範囲殲滅戦における広範囲の物質への魔法影響力の凄まじさ。 一体どのような経験と修練を積めば、そこまでの修羅の如き高みに登れるのか。 魂を祭壇にくべて燃やしたかのような強烈な炎と、それとは裏腹に凍てつくように怜悧な意思。 メンヌヴィルは、心の底から、幾らも歳の変わらぬそのコルベール隊長に惚れ込んだ。 師事しようと思ったことは数えきれず、指南してもらうためだけにコルベールに決闘を持ちかけたことも両手の指では足りないくらいだった。 メンヌヴィルはコルベールのあらゆる部分を尊敬した。 体術、知識、魔法、精神力、頭の回転、発想、応用力、統率力、努力する姿勢――。 そして中でも特に、何時如何なる時であっても決して動揺しない、蛇のような冷酷さ。『ウル・カーノ(行け、炎よ)』 と、隊長が唱えれば、たちまち何もかもが燃え尽きて灰になった。『エオー・ベオーク(変化し、伸びよ)』 と、それだけのルーンで、隊長は炎を縦横無尽に意のままに操った。 そんなコルベールの二つ名は、“炎蛇”。 周囲の可燃物の配置や、流れこむ気流を考慮して使われる彼の魔法は、小さな炎の蛇を、あっという間に全てを呑み込む火炎旋風の竜巻に育て上げる。 燃えるものがなければ、部下に適切に命令し、標的の周囲に可燃物を『錬金』して、標的を殲滅する。 任務達成率十割。 蜷局(とぐろ)を巻いてうねる炎と、冷血動物の酷薄さ。 故に、“炎蛇”のコルベール。 メンヌヴィルとコルベールは、同じ炎の使い手であることと、メンヌヴィルがコルベールのことを具に(つぶさに)観察したがることから、自然と同じ任務に共同で従事するようになった。 “炎蛇”のコルベールと、“白炎”のメンヌヴィル。 彼らのペアは、トリステインの上層部では名の知られた始末屋になった。 そんなある日、コルベールとメンヌヴィルのペアに、上層部から一つの指令が下された。『トリステイン沿岸地域に密入国した、ヴィットーリアというロマリアの女性が持つ、赤いルビーの指輪を確保しろ』 ――海上で撃破されたロマリアからの密航船に紛れ込んでいた、“ヴィットーリア・セレヴァレ”という女性が、恐らくトリステインの沿岸部に漂着したと思われる。 ――彼女の持つルビーの指輪を回収せよ。 ――“ヴィットーリア・セレヴァレ”の生死は問わない。 こういった内容の命令自体は、何も珍しい話ではなかった。 何処そこの未亡人がその家の花押印(かおういん:自署と同じ効力を持つ印鑑)を持ち逃げしたので、その花押印を取り返せとか。 ただ、それがトリステイン国内の貴族ではなく、ロマリアの貴族(?)だというのが珍しい話ではあった。 それも階級固定社会のトリステインから光の国ロマリアへの密出国ではなく、ロマリアからトリステインへの密入国というのであれば、尚更に珍しい。 だが、そんなことは回収任務を実行するメンヌヴィルとコルベールには関係の無いことである。 というより、いちいちそんな事を詮索していては、短い余生が尚更短くなるだけだ。賢しすぎる走狗は、直ぐに煮られることになる。 メンヌヴィルは、国家の秘密に関与した自分たちが生きながらえる道があるとは、全く思っていなかった。 ……まあ、コルベールのような天才(あるいは天災)とでも言うべきほどの実力者であれば、特殊部隊の次代を育てる教官としての道や、優れた頭脳を生かした研究者としての道もあるかも知れないが。「撃沈地点と、海流の関係から言えば、このダングルテールに流れ着いている可能性が高いのですよね。隊長」「そうだな、メンヌヴィル。私の解析によれば、恐らくはダングルテールに漂着しているはずだ」「あーあ、こんなクソ詰まらない探索任務なんぞ、かったるくてやってられませんな」 メンヌヴィルが肩を回して面倒くさそうに言う。 コルベールは相変わらず仏頂面だ。「そうだな。だが、こういうことも仕事の内だ」「どうせなら、こうパァ~っと燃やせる任務が良いですなあ」「……仕方あるまい。君が張り切るせいで、国内の目星い盗賊団と謀反人は、みんなみんな灰になってしまっただろう」 彼らがこの直前についていた任務は、南部地方の小貴族の未亡人が謀反を画策したというので、殲滅するというものだった。 実際にその未亡人が謀反を企てていたかどうか、彼らは知らない。「ははは、隊長の方こそノリノリだったではありませんか。南で謀反を企てていた女を焼いたときなんて惚れ惚れしましたよ。あの女、身篭っていたようじゃぁないですか」「仕事だからな。しかし、よくあの時の女性が身重だと分かったな」 命令一つで彼らは全てを焼く。 女も子供も男も老人も。 全てを燃やして灰にする。「そりゃあ、匂いが違いますからな。妊娠中の女と胎児は、焼くと、また独特の得も言われぬ匂いがするもんです。母になろうという女の情念が焼ける匂いです」「……そうか」「そうです、隊長には分かりませんか? 人を焼いたときの、あの素晴らしい極上の匂いが! 苦鳴と無念と怨嗟の匂いが!」「そんなに煙を嗅いで悦に入りたいなら、麻畑か芥子畑でも焼いてきたらどうだ。確かそんな任務があっただろう。密造恍惚薬の摘発だとか何とか」「いやいや、それとは全く別ですよ。全然違います。人を焼いたときの匂いは、こう、甘く、切なく、儚い、そういうもんです。人生の蝋燭を一瞬で蒸発させるのですから、儚くそれでいて芳醇な、一人一様千差万別の香りがするんですよ。まあだからこそ本当は、焼くならただの女子供より、人生の酸いも甘いも噛み分けた老人や悪人や手練の方が好きですがね」 メンヌヴィルが熱心に説明するが、コルベールは首をひねる。「分からんな。私はパイロマニアでもカニバリストでもないからな」「俺だって違いますよ、それどころじゃなくもっと崇高な行いをやっているつもりです。言うなれば炎の神官といったところです。罪に塗れた肉体を焼いて、魂を解放して浄化焼結し、神のもとに送り届けるという神官です」 メンヌヴィルが炎のむせるような匂いを思い出して陶然とする。 彼は胸元から下げた奇妙な形の十字架――太陽を表す円の左右に翼が伸びて下に尾羽根が付いたT字型をしている――を握り締めている。 この、鳥の首を刎ねて円を重ねたような十字架(シンボル)は、メンヌヴィルが炎の中に幻視した存在を象っているのだという。 コルベールはそんなメンヌヴィルのことが心底理解できない様子で、やはり相変わらず無表情だ。 あるいは、『コイツの頭の中はどうなっているのだろう、解剖してみるか?』とでも思っているのかも知れない。 そういえば、情熱の躍進の国ゲルマニアが『火の国』と呼ばれて久しいが、かつてそれは浄罪の炎として、光の国ロマリアの象徴であったはずだ。光は炎の要素でもある。ロマリア女の真っ赤なルビーと、炎の赤を、脳裏で重ねあわせたりしつつ、コルベールはメンヌヴィルを嗜める。「炎は炎だ。神でも何でもない」「そうでしょうか? 炎を使っていると、何か大きな太陽の如き何モノかの存在を感じることがありますよ。この鳥十字の形は、いわば俺の神の象徴でもあります」「錯覚だろう。いや、あるいはマジックハイ(魔法昂揚)か? 似た様な事例は聞いたことがあるな。帰ったら文献を漁ってみるか」「隊長殿は相変わらず研究一筋ですな。……しかし、あの時の隊長の炎は相変わらず見事なものでしたなぁ。俺もあんな風に炎を使いたいもんですよ!」 前回の任務の時のコルベールの炎――“炎蛇”の魔法の様子を思い出したのだろう。 メンヌヴィルが目をキラキラと輝かせて、尊敬の眼差しでコルベールを見る。 だが、相変わらずコルベールは無反応だ。いや過去何度も既に同じようなやりとりをしているので、かなりウンザリした様子だ。「私のような蛇になりたいならば、精進することだな」「その為に任務遂行の補佐として付いてきたんじゃないですか」「精精、ワザを盗むんだな。――見えてきたぞ、ダングルテールの村だ。まあ恐らくは海流の関係上はココに流れ着いているはずだ」「ええ。それにロマリアくんだりから亡命してくる奴なら、宗教庁の手の及ばない街に匿われているでしょうし」 ロマリアを逃れて来るということは、恐らく異端だの何だので宗教的に後暗いところがあるのだと、大体相場が決まっている。 そういった者が何処に逃げ込むか? まず第一候補には千年以上続く異端都市シャンリット。 あそこなら余所者でも最低限の生活を送れるという話だ。 しょっちゅう聖堂騎士がいちゃもん付けては門前焼き払いを食らっている。 次点でロマリアと国境を接するガリアか。 あるいはそれより離れた場所にあるトリステインかアルビオン。 それらの国の中でも特に教会の目が行き届いていない辺境地域や、守護竜信仰や豊穣神信仰などの古来からの土着の信仰が残る街が良いだろう。「ああ、そういう意味でもココ――ダングルテールはうってつけだ」 つまり例えば、ダングルテールのような。 ダングルテールは、立地上、漂流物が海流によって運ばれ易く、さらに街の由来に曰く――天人伝説と天人信仰があるために、ブリミル教会の権力が及びづらい。 コルベールは、標的の女性ヴィットーリアが隠れているならダングルテールだろう、と見当を付けていた。◆◇◆ ダングルテールの村は、無人だった。「……これは」「おかしいですな、隊長。人っ子ひとり居やしない」 それにしては略奪の跡もない。 人間だけが居なくなっている。「連中、ピクニックにでも出かけたんですかね?」「村の全員でか? ありえんな。手分けして何かしらの手がかりを探すぞ」「了解です、隊長」 コルベールとメンヌヴィルは二手に分かれる。 コルベールは村の中で、おそらく村長の建物と思われる、大きな民家のある方に向かう。 そしてメンヌヴィルは村の教会の方に向かう。「それにしても本当に人っ子ひとり居やしねえ。何処に行きやがった?」 メンヌヴィルは素早く陰鬱な木立の間の道を走る。 すると急に視界が開け、小さな教会が建っている広場が目に入ってきた。 そこにも、やはり誰も――いや。「ん? 子供か?」 子供。 幼子だ。 アッシュブロンドのショートカットの、幼い、ようやく言葉を話せるようになったくらいの子供が、教会の前で座って、何か地面に絵を描いている。「……親は居ないのか? 目の届かない場所に放って置けるような歳じゃあるまいに」 メンヌヴィルは走る足を緩め、子供を驚かせないようにゆっくりと歩く。「おい、そこのガキ!」「――っ!?」 メンヌヴィルの乱暴な言葉に、子供は顔を彼の方に向け、身体をビクっと竦ませる。 そして強面のメンヌヴィルを見て、みるみるうちに目に涙を溜める。「ぅぇ、」「ああ泣くな泣くな。えーと、ほれ、これ食うか?」「ぅ?」 泣き出しそうな子供を見て、メンヌヴィルは慌ててポーチから糧食のチョコレートを取り出す。 高カロリーで直ぐに食べられるので、メンヌヴィルたち実験小隊のメイジは重宝しているのだ。 炎の魔法の影響を受けないように断熱不燃素材で包装されたそれを剥いで、メンヌヴィルはまず一口、チョコレートを目の前で食べて見せる。「ほら、食いもんだ。甘くて美味しいぞー」「ぁ……」 メンヌヴィルは、魔法で軽くチョコレートの温度を上げて溶かし、その甘い匂いをそよ風にのせて幼児の方に送る。 鼻をひくつかせた幼児は、とてとてと覚束ない足取りで、しかし猛然とメンヌヴィルの方に駆けてくる。「あ、バカ、そんなに走ると――」 どてっ、ずざー。「ほら転んじまった」「ぅ……、うわぁあああああああん、ぅぎゃあああああああ!!」「ああ、もう泣くな。面倒だな。でもコイツ以外に誰も居ねえし」 メンヌヴィルは杖を振って、転んだ子供に『レビテーション』をかけて浮かせて引き寄せる。「すぐ治してやるからな~。ほら、痛いの痛いの飛んでいけ~」 ギャン泣きする幼児の首根っこを捕まえて、メンヌヴィルは『レビテーション』を解除。 直ぐに『治癒(ヒーリング)』の魔法を使ってやる。 すると直ぐに幼児の膝と手の平の擦り剥け傷は塞がった。成長力の高い幼児には、治癒の魔法も効きやすいのだ。「ほら、もう痛くないだろ?」「――ぁあああん!! ……ぁ、あ?」 メンヌヴィルは幼児を地面に立たせてやる。 幼児はしばらく不思議そうに自分の身体を見たり触ったりして確認している。 その間にメンヌヴィルは地面を土の魔法で少し盛り上げて、座れるくらいの台を作る。「いたくない」「ああ、傷を治す魔法を使ったからな。ほれ、座れる場所も作ってやったから、ここに座れ。んで、このチョコレートも食え」「おじさん、まほうつかい?」 アッシュブロンドの幼児が首を傾げる。 オジサン呼ばわりにもメンヌヴィルは動じない。その辺は気にしないのだ。幼児から見たら、大人は誰でもオジサンかオバサンに見えることくらい、彼は理解している。「そうだ。魔法使いだ。メイジだよ。ほれ、チョコレートだ」 メンヌヴィルは、また幼児の首根っこを掴むと、土魔法で盛り上げた台座に座らせる。 そして糧食のチョコレートを渡す。 幼児は両手でそれを受け取り、しばらく不思議そうに眺めていたが、メンヌヴィルが同じものを取り出して食べ始めたのを見て、齧り付いた。「~~~!! おいしい! おいしいよ、おじさん!!」「ああ、そりゃ良かった。ところで坊主、いやお嬢ちゃんか? 名前なんて言うんだ?」「わたし? わたし、アニエス」 口の周りをチョコレートでベタベタに汚しながら、アッシュブロンドの幼児――アニエスは元気よく答えた。 さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。 メンヌヴィルはそんなアニエスの口の周りを、ハンカチで拭いてやる。「ああ、そんなに口の周り汚しちまって……。じゃあアニエス嬢ちゃん。お家の人は居ないのか?」「むー。おかあさんと、おとうさん?」「ああそうだ。親は何処にいるんだ?」「おかあさんとおとうさんはねー、いまねー、『いさか』さまのところにいるのー」「『いさか』様?」 アニエスは、無邪気に笑って、そんな名前を口にした。 メンヌヴィルは怪訝そうな顔をする。 人名だろうか。あるいは、この地域で信奉されている神の名前か。両親は、その神の祠にお祈りにでも行っているのだろうか。そういえば、コルベールは天人信仰がどうとか云っていた。「そう、『いさか』さま。とってもえらい神さまなの」「他の村の人達も、その、『いさか』様の所に?」「そうー。ぴょーんって、とんでくの。ぴょーんって、おそらにねー」 そう言って、アニエスは地面に絵を描き始める。 それは奇妙に手足の長い、ヒトのような何かであった。しかし、決してヒトではなかった。 幼児の絵ゆえのバランスの崩壊というものではなく、そのモチーフは、元から人間では無いのではないかと、メンヌヴィルに漠とした不気味な予感を抱かせた。「いあ、いあ、いさかー」「それが、『いさか』様か?」「そうだよー。いあ、いあ、いさかー」 祝詞、なのだろうか。 アニエスは鼻歌でも歌うように、『いあ、いあ、いさかー』と口ずさみながら、脈絡もない絵を描いていく。 牙と爪が目立つ、鬼のような人間。それと同じ大きさくらいの、蜂のような身体と羽、鰐のような頭を持った、奇妙な動物。吹きすさぶ風と雲のモチーフ。「なあ、アニエスお嬢ちゃん。村の人達は、いつも、その『いさか』様の所に行くのかい?」「んー? ちがうよー。ごちそうのときだけー。よるには、もどるって、いってた」「ご馳走?」「そう、ごちそうー。すこしまえにねー、うみからごちそうきたのー。たくさんのねー、ごちそう」 すると、急にアニエスは手を止めて、悲しそうな顔をした。「わたしもねー、ごちそうたべたかったんだけど、おかあさんがねー、『アニエスは、まだ、からだができてないから、ダメ』だって」「そうか」「もっとおおきくなったら、ごちそうをたべて、『いさか』さまにも、あいにいけるのになー。ひとりでおるすばんは、さみしいよ」「……そうだな」 実家から売られるようにしてアカデミーに入れられたメンヌヴィルは、その孤独感について思うところがあったのだろう。考えこむようにして黙ってしまう。 不意にアニエスが立ち上がって、メンヌヴィルの顔を覗き込む。「ねえ、おじさん。あそぼ?」「……」「あそぼーよー」「……」「ねえ! あそぼう!!」「~~っ、ああ、良いだろう、分かった、遊んでやるよ。だが何をする? 子どもの遊びなんて俺は知らないぞ」「んとねー、じゃあねー、『イアイアごっこ』!」「『イアイアごっこ』?」「そう! 神さまのなまえをいいながら、いあ! いあ! っておどるの」 アニエスが両手を上げたり、様々な不思議なポーズを取る。「ねえ、おじさんの神さまは、なんていうの?」「俺の神の名前……」 鳥十字の聖具を作ったりはしているものの、そんな事は考えたこともなかった。 神の名など、そんなことは、考えたこともなかった。 虚を突かれたメンヌヴィルは黙りこむ。沈思黙考。 不意に、何か、思うところがあった。――⊂⊥≠∪↺H∀―― 何処からか齎されたか分からない、その単語。 いや、言葉ともつかない、曖昧で不鮮明で、しかし、炎の記憶と共にやって来た、そのイメージ。 メンヌヴィルは、それを確信を持って、自らの神の名前だと、思い込んでしまった。「そうだな、『くとぅが』様だ。炎の神さまだ」「へー。じゃあ、『いさか』さまとは、なかわるいかも、しれないね。『いさか』さまは、こおりのかみさまだもん。あついのきらいだとおもう」「でも、その『イアイアごっこ』じゃあ、自分の神さまを称えるんだろう。別にクトゥガ様でもイサカ様でも良いじゃないか」「そうだねー」 そう言って、半ば流されるように、メンヌヴィルはアニエスと一緒に、奇っ怪な踊りを踊り始める。 口々に神の名を讃えながら、能動的に体を動かし、舞を踊る。 奉納演舞。 いあ、いあ、いさかー。いあ、いあ、くとぅが。 いあ、いあ、いさかー。いあ、いあ、くとぅが。 いあ、いあ、いさかー。いあ、いあ、くとぅが。 いあ、いあ、いさかー! いあ、いあ、くとぅが! いあ、いあ、いさかー! いあ、いあ、くとぅが! いあ、いあ、いさかー! いあ、いあ、くとぅが! また泣かれてはかなわないという思いが半ばと、もう半分はヤケクソではあったが、メンヌヴィルの心の内にも、何かしら鬱積していたものがあったのだろう。 夢中無心になって、アニエスの模す神事儀礼をなぞった。 アニエスがやっているのは、この村の大人たちがやっている神事のままごとだ。 いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! だが、ままごとと、本物の間に、何処にそれほどの差異があるというのだろう? 大事なのは、意志。 真似事であっても、そこに真摯な祈りがあれば、それは本物と変わらない。 いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! いあ! いあ! いさかー!! いあ! いあ! くとぅが!! 結局、ままごとの神事・礼賛儀式は、コルベールがメンヌヴィルの様子を見にやってくるまで、小一時間続いた。「何をやっている」「あ、隊長……」「おじさんも、やろー! 『イアイアごっこ』!!」 コルベールが教会前の広場に現れたのと時を同じくして、磯の香りをのせて、この季節にしてはやけに寒い風が辺りを吹き抜ける。 コルベールとメンヌヴィルは思わず鳥肌を立て、体をぶるりと震わせる。 アニエスはというと、その不気味に冷たい風を感じると、目を輝かせて、風上の方を見る。「何だ、急に風が――」「おかあさんとおとうさんが、かえってきた!!」「おい、待て?!」 アニエスはそう叫ぶと、コルベールが制止する間もなく、あっという間に、村の方へと走り去ってしまう。 幼児特有の覚束ない足取りだが、不思議なことに、その速度は下手な成人男性より速い。 もう既にアニエスの姿は木立に遮られて見えなくなってしまった。「行ってしまった……」「なら、俺達も行きましょう、隊長殿。あの娘の言うことが本当なら、村に人が帰ってきたということでしょう」 そう言ってメンヌヴィルは、コルベールを先導して歩き出す。 さっきの奇っ怪な儀式めいた踊りのことなど、まるで無かったかのようだ。 いや、無かった事にしたいのだろう。羞恥で耳まで真っ赤に染まっている。 コルベールは溜息をつく。「そんなことで心を乱していていては、蛇のような巧緻狡猾な炎使いにはなれんぞ……」 ボソリと呟き、メンヌヴィルの後を追った。◆◇◆「ちっ、何とも不気味な村ですね、隊長」「田舎町なんてそんなものだ。余所者には簡単に情報を渡しはしないだろうよ」 コルベールとメンヌヴィルは、いつの間にか人影が戻ってきたダングルテールの村で聞き込みを行っていた。 “見慣れぬロマリア女が海岸に漂着していなかったか”と、ダングルテールの村人たち――皆奇妙に手足が長い――に尋ね歩いていた。そして今まで何処に居たのかも訊いた。 だがどの村人たちも、首を横に振るばかりで、頑として口を割らない。 しかも火のメイジに何か恨みでもあるのか、彼らが火メイジだと分かると、あからさまに逃げ出す者も居た。 あまつさえ石を投げてくる者さえ居た。 まあ石なんて鍛えられた彼らは避けたり受け止めたりしたから被害は無い。 石を避けるときの動きで、コルベールとメンヌヴィルが、訓練された人間だと、分かるものには分かっただろう。 これでこの小さな村の全員に、“軍人風の火メイジの二人組がヴィットーリアという女性を探している”という情報は伝わってしまったはずだ。 上手く行けば、村人の方から、厄介事を避けるためにヴィットーリアを差し出してくるかも知れない。彼らがヴィットーリアを匿って居ればだが。「この調子じゃ宿も取れませんぜ。あの連中、火メイジに何の恨みがあるんだか。まあ宿があるとは思えませんが」 メンヌヴィルが村の中心の通りで周囲を見回しながら呟く。 鄙びた漁村といった風情で、通りには民家と小さな教会くらいしか見当たらない。「ならば野宿だな。海岸の漂着物や遺留品の方も、もっと詳しく見なくてはならなかったから、今日は海岸で野宿だ」「ああ、面倒ですな」「何、直ぐに片付くさ。捜し物はきっとここにある。……勘だがな」 宵闇が迫る中、不吉な風が二人のローブを揺らす。 その時、パタパタと足音を立てて彼らに近づく何かが居た。 子供だ。 アッシュブロンドの子どもが、急いで道を走ってくる。 先ほど教会近くで見かけた、あのアニエスという子供だ。 アニエスは両手いっぱいに、ハーブや野菜らしきものを抱えている。「おじさんたちー」「おお、アニエス嬢ちゃんじゃないか。どうしたんだ?」 メンヌヴィルが屈んで、アニエスの目線に合わせて話をする。「これ、さっきの“ちょこれいと”のおれい! おかあさんが、わたすように、って」 はい、と、アニエスは抱えた野菜を渡してくる。 メンヌヴィルはそれを受け取る。「あ、あと、ありがとうございました!」 アニエスはそう言って、ぴょこんと頭を下げる。 何とも微笑ましい光景である。「わざわざお礼を言いに戻ってきたのかー。えらいぞ、アニエス嬢ちゃん」「えへへ~」 メンヌヴィルが優しくアニエスの頭を撫でてやる。「何だ、君、その子に糧食のチョコをあげていたのか?」「ええ、そうです」「意外だな。君は案外子ども好きなのか?」「成り行きですよ、成り行き」「そうかい。まあいい」 コルベールも屈んでアニエスに目線を合わせる。「アニエスちゃん、ちょっとお父さんとお母さんに話を聞きたいんだけど、良いかな?」 そう尋ねると、アニエスは困った顔をする。「えとねー、んとねー、おかあさん、おれいしたら、すぐかえってきてっていってたの。おじさんたちとは、あいたくなさそうだった……」 それは、そうだろう。 普通なら年端も行かないこんな幼子に、一人で山盛りの野菜やハーブを持たせるのは考えづらい。親が一緒に来て然るべきだ。 だが、アニエスの両親は、アニエスだけを寄越した。(なるほど、それほどに、我々とは顔を合わせたくないということか) 思案するコルベールをよそに、アニエスはそわそわしだす。「どうした、トイレか?」 メンヌヴィルがデリカシーも何も無いことを訊く。「もうー、ちがうよ、おじさん。はやくかえらなきゃいけないの。ごちそうがあるから。わたしはまだ、たべられないけど。やわらかくて、とっても、おいしいらしいの。もっとおっきくなったら、わたしもたべられるの」「成程、お母さんたちが楽しみに待ってるから、早く帰らないといけないのか」「そうなのー。おじさんたちもごちそうー?」 彼女の質問は、ご馳走を食べたのか、ということだろうか。 言葉足らずで分かりづらいが、コルベールはそう解釈した。「いや、オジサンたちは、最近はご馳走は食べてないな。まあ、君からのお礼のお陰で、今夜はご馳走だよ。お母さんとお父さんに、お礼を言っておいてもらえるかい?」「んー。わかったー」「そうか。頼むよ」「うん。もういい? はやく、おうちにかえらなきゃ、おこられちゃう」「ああ、引き止めて済まないね。ありがとう」 幼女はまたパタパタと走りだす。「じゃあねー!」「ああ。じゃあね――あ、そうだ、アニエスちゃんは、そう言えば、君は今、何歳だい?」 コルベールは、疑問に思ったことを口に出してみた。 言葉は話せるし、脚は速い。どうにも、このアニエスという少女が、年齢不詳だったからだ。 いや、それはアニエスに限ったことではない。この村の者は、皆、年齢不詳の外見をしているのだ。極端に年を取った者も居ないし、逆に少年少女も、このアニエスという幼女を除けば、見かけなかった。「んとねー、わたしねー――」 アニエスがその場でくるりとターンして、コルベールたちの方に向き直る。 彼女は手を前に伸ばして、指を立てる。 立てられた指の数は――「――いっさい!! こないだ、たんじょうびだったの!」 ――1本だった。 呆気にとられるコルベールたちに背を向けて、アニエスは再び走りだす。「ばいばーい、オジサンたち! あははははっ。おーいーしー、ごちそう、たーのしっみだなぁ! わたしも、はやくっ、たべれるよーに、なりたいな~! オジサンたちがきてくれたから、あしたも、あさっても、きっと、ごちそうねっ、おかあさんがいってたもん。あははははっ」 笑って走る幼女を見送った後、二人の火メイジは、家々の窓から監視するように伺う村人たちの凍てつくような視線を意図的に無視し、海岸の方へと足を向ける。 夕闇が迫る中、凍土の底のように沈黙したダングルテールの村。遠く童女の笑う声が響く。あはははははははははは、ははははははははははははは。 上空ではびょうびょうと風が渦巻き、それに煽られた雲がまるで人の顔の形のように動く。雲の合間から見える宵の星が、まるで爛々と光る眼のようにも見える。夷敵を見つける鷹の目がその夕闇に潜んでいるのかも知れない。◆◇◆ 夜闇の帳が落ちた海岸で、パチパチと爆ぜる焚き火を囲んで二人の男――コルベールとメンヌヴィル――が暖をとっている。 ダングルテールの夜は異様に冷え込むためだ。 焚き火の上に『錬金』で造られた金属棒が渡されており、飯盒が吊るされている。飯盒の中には先ほどアニエスから貰った野菜と干し肉が入れられたスープが温められている。「野菜とハーブ貰えて良かったですね、隊長」「そうだな、糧食のレトルトを減らさなくて済んだ。しかし、何だろうな」「何です?」 コルベールは飯盒の中のスープを見る。「いや、野ウサギでも見つかれば、丁度良かったのだがな、と思ってな」「ああ、そうですね。貰った野菜やハーブを中に詰めて丸焼きにしたら、そりゃあもう、美味かったでしょうなあ!」「ああそうだ。まるであつらえたかのように、肉に詰めるような野菜やハーブばかりをプレゼントされたからな」「本当に。隊長が魔法を節約しようと言わなければ、鳥でもウサギでも捕ってきたんですがね」 別に、飯を温めたり獲物を捕ってきたりくらい魔法でやればいいのだが、コルベールは「何か嫌な予感がする」と言って、それらを魔法ではせずにおいて、精神力を節約するようにしたのだった。「――ところで、メンヌヴィル、こんな話を知っているか?」「どんな話で?」「『注文の多い料理店』という話なのだがな――」 その話は、食堂に通される前に色々と客に注文をつけて、服を脱がせ金属製のものを外させ酢のような匂いの香水を付けさせたりする料理店の話だ。 注文の多い料理店とは、注文が多くて繁盛している店、ではなくて、客に注文付けて客自ら食材として下拵えをさせる店だったのだ。 客に食べさせるのではなく、客を食べる店。「――という話だ。知っているか?」「いえ、初めて聞きました。隊長は何処で知ったので?」「さて、何処だったか。シャンリットだかの童話集に載っていたような気がするが」「はあ、隊長はよく本を読みますものね。しかし何故いきなりそんな話を?」「……何故だろうな。急に思い浮かんだのだ。まあいい。それはさておき、お互い、今までに得た情報を共有しておこう――」「そうですね――」 彼らは、ここにキャンプを作る前にひと通り海岸を見て回っていた。 やはり海流が漂流物を集めるのだろう、海岸には流木や海藻やなんかのゴミが多く流れ着いているのがわかった。コルベールの海流分析は当たっていたのだ。 その漂着物の中には墜落難破したフネの残骸と思しき物もあり、彼らが探しているヴィットーリアが乗っていたとされるフネの銘盤が打ち付けられた板切れも含まれていた。「じゃあ、やはりこの海岸に流れ着いたようですね、その女」「ああ、そのようだな。近くに他の村も無いし、ダングルテールに入り込んだのは間違いないと思うんだが」「それしか考えられませんよねぇ」 よく煮えたスープを掻き込みつつ、コルベールとメンヌヴィルは会話を交わす。 簡単に周囲を見て回ったが、漂着した者の痕跡は見当たらなかった。 フネの残骸の漂着具合から見るに、生存者や、それでなくても水死体の一つ二つは上がってそうなものだが……。「土左衛門の一つもないのは不自然じゃあありませんか?」「……そうだな。流れ着く前に、魚や蟹や海老に食われたのかも知れんが」「それにしても、ひとつもないってなぁ、オカシイですよ。村の連中が供養したのでしょうか」「……」 コルベールは思案する。「……なあ、さっきの子どもが言っていた、“ご馳走”ってのは、何だと思う?」「さぁ? この辺りで捕れる、何か大きな魚とかじゃないですか? 海辺ですし。何処だかの海辺には、産卵後の烏賊が力尽きて、波打ち際に大挙して押し寄せると言いますし、その類では?」「……『最近流れ着いた』、『村中で分けられるくらい大きな、あるいは多量の』、『柔らかい』ご馳走――」 二人は無言になる。『最近流れ着いた』『大きな、あるいは多量の』『柔らかい』 ご馳走と言うからには、恐らくは、動物性の蛋白質なのだろう。「……」「……」 嫌な沈黙が流れる。「……まさか」「……。カニバリストの気は無いのだがな。あの村に泊まらなくて良かったのかも知れんぞ」「何が出されるか分からん、という訳ですか」 メンヌヴィルが嫌そうな顔をする。 彼は人が焼ける匂い(人生が燃え尽きる匂い)は好きだが、人肉は嫌らしい。「夕食に供されたのが水死体の人肉だったという、それだけで済めば良いがな」「というと?」「『注文の多い料理店』」 コルベールは澄まし顔だ。 この男が動揺することはあるのだろうか。「あ、真逆――」「喰われるのは、私たちの方かも知れんということだ。夜の見張りは気を抜くなよ。この村、どうにもおかしい。怪しいぞ」 冷たい風が、夜の海から吹き寄せる。 ダングルテールの村は、静かなものだ。 メンヌヴィルは、その静けさが、まるで、獲物に飛びかかる前に身を強ばらせた肉食獣のようだと思った。◆◇◆ 真夜中を回った頃のことであった。 金属膜が蒸着されたケープを羽織って夜闇に耐えるようにしていたメンヌヴィルは、一際強く、凍えるように冷たい風が吹いたため、さらに身を縮こまらせた。 コルベールは寝袋の中で寝ている。次の交代までは、あと三十分ほど時間がある。 また風だ。 この海岸は風が強い。 その風が表層海流に影響し、ダングルテールの海岸に付近の海流を集め束ねるのだと、コルベールが言っていた。 ざわざわと、海岸の樹々がさんざめく。 まるで巨人に揺すられているようだ、とメンヌヴィルは思った。 巨大な、歪な、大顎の、手長の、悍ましいヒトガタが、重く響く風の音で叫びながら、樹々を揺らしている様を、メンヌヴィルは幻視した。(本当に、ナニか人ならざる者が――そう、『イサカ』様、と云っていたか。……居るのか? この凍えるような闇の中に) メンヌヴィルの背が、寒さとは別の原因によって震える。 そしてそれと呼応するように、彼の背後の茂みが揺れた。「っ!!」 いつでも動き出せる体勢になり、メンヌヴィルは杖を握り締める。(隊長を起こすべきか?) 茂みの中の相手は、ケモノか、ヒトか、あるいは――。「――もし」 その得体の知れぬ気配が口を利いた。「……」「もし、メイジ様。わたくし、アニエスの母でございます。昼は、うちのアニエスに良くしていただきありがとうございます」 メンヌヴィルは答えない。 杖を握る手に、じっとりと汗が浮かぶ。 メンヌヴィルは直観していた。 あの茂みの中にいるものは、決してヒトではない、と。「それで、メイジ様。わたくしからのお礼は、きちんと召し上がっていただけたでしょうか?」 メンヌヴィルは答えない。 凍てつく闇の気配は言葉を重ねる。「召し上がっていただけたでしょうか?」 答えられない。「召し上がっていただけたのですね?」 そんな隙を見せて良い相手ではない。 十年近くにわたって戦闘者として英才教育を受けてきたメンヌヴィルの身体が、本能が叫んでいる。 逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、ニゲロ逃げろにげろニゲロ逃げろ――――!「召し上がっていただけたのならば――」 闇の向こうの相手の、凍気の気配が膨れ上がる。「――今度はわたくしたちが、貴方さまをいただきとうございます」 瞬間、襲撃。「ぐっ!?」「シャアアアッ!!」 言葉を言い終わるかどうか、その刹那、闇の向こうから氷の獣が飛び掛ってきた。 メンヌヴィルの持つメイス状の杖と、ケモノの鋭い爪がぶつかり合い、甲高い音を立てる。 メンヌヴィルが攻撃に反応できたのは、奇跡のような偶然に過ぎなかった。今までの修練の積み重ねが、彼を救ったのだ。 だが、未だ安心出来ない。 何故なら、今メンヌヴィルと鍔迫り合いしている異形は、今まで会話していた異形ではないからだ。「二匹居たのか!!」「よく受けられましたな! ですが、妻の攻撃は避けられますまい!!」 氷の異形は二匹居た。 メンヌヴィルと鍔迫り合いしている方の異形は、メンヌヴィルの全く知覚外の距離から、一瞬で文字通り一足飛びに跳躍して襲いかかってきたのだ。 恐るべき跳躍力であった。「ウル・カーノ!」「おっと!」 メンヌヴィルのルーンによって、炎が生まれ、氷の異形を退ける。 炎が、異形の全身を照らし出す。 牙が並んだ歯列をむき出しにした肉食獣のような顎、爛々と輝く赤い瞳、人間を縦に引き伸ばしたような歪な骨格、不気味に長い手足、刃物のようにギラつく爪、脚のつま先は靄のようにぼやけて確認できないがひょっとしたらつま先が存在しないのかも知れない。 風と氷の神イタクァの眷属、ウェンディゴ。 悍ましき異形。餓えた氷の獣。人食い。この世の道理から外れた忌むべき者たち。「うわぁああああああ!??」 メンヌヴィルが取り乱す。 彼の精神は、ウェンディゴを直視したことで、完全に恐慌を来してしまっていた。 盲滅法に炎を飛ばすが、風に乗って跳躍するウェンディゴには当たらない。「妻よ、早くとどめを!」 炎の隙を狙って、オスのウェンディゴがメンヌヴィルを押さえにかかる。 通常は共食いする習性がある彼らだが、神イタクァの支配下にあっては、連携行動が可能であるし、それどころか社会生活さえも営める。「シャアアア!!」 奇声を叫びながら、茂みの向こうから、メスのウェンディゴ――最初にメンヌヴィルに話しかけた方が飛び掛かる。「来るな、来るな来るなっ! 化物! 来るなぁ!!」 絶体絶命。 ウェンディゴたちが人肉の味を思い浮かべて、舌なめずりする。 もはやメンヌヴィルの命運は尽きたかに思われた。 だがしかし。「ウル・カーノ・エオー・ベオーク(炎よ来たりて変化し伸びよ)」 この場に居る火のメイジは、メンヌヴィルだけではなかった。「ぎゃあぁっ!!」 「ぬぁああ!?」「た、隊長っ!」 轟と凍気をも燃やして空中を泳ぎ来た炎蛇が、ウェンディゴたちに絡みつく。 炎蛇のコルベールが、戦闘の気配に釣られて目を醒ましたのだ。 ウェンディゴたちは、表面を炙られたが、持ち前の健脚で後退し、炎の蛇を振り切る。「メンヌヴィル、状況は?」「はっ、異形二匹に襲われ、喰われそうになりました! 戦線復帰は可能、救援感謝します、隊長!」「ふん、そういう時はさっさと私を起こしたまえ」 コルベールが杖を振るう度に、炎蛇の数が増えていく。 一匹、二匹、三匹、四匹。 四匹の炎蛇が、空中でとぐろを巻き、辺りの闇を照らす。 闇の中から浮かび上がったコルベールの顔には、何の表情も浮かんでいない。 あるのは、蛇のような冷酷さだけ。 任務達成のための、冷血の意志がそこにあった。「化物諸君、質問があるのだが、海岸に流れ着いたロマリア女の行方を知らないか?」 コルベールの問いに、風の響きのような低い声が答える。オスのウェンディゴだ。「知らないな。大方、村の誰かの腹の中だろうよ」「では、彼女が付けていた指輪は?」「あん? そんなちまちましたの知るか。一緒に食っちまったんじゃねぇのか? 何、心配要らん、貴様もじきにその探し物の指輪と対面できるだろうさ」「――君たちの腹の中でか?」「そういうこと!!」 ウェンディゴがコルベールに飛び掛かる。「いあ! いあ! いさか!!」「喧しい」 だが、ウェンディゴの神速の踏み込みも、コルベールにとっては想定の範囲内であった。 四匹の炎蛇が、ウェンディゴの踏み込みに匹敵する速度で伸び、ウェンディゴに絡みついた。 ウェンディゴは風に乗る。だが、炎蛇は風を読む。ウェンディゴが操る風に乗せて炎蛇を動かすことなど造作も無いことだった。「が――」「燃え尽きろ。私は貴様らの灰の中から指輪を探すことにしよう」 実力が違いすぎる。 残されたメスのウェンディゴは、不利を悟って、村の方に逃げ出す。「逃がさん。一匹残らず燃やしてくれる」 コルベールが杖を振って、炎蛇にウェンディゴを追わせる。 だが、ウェンディゴとてただやられてくれる訳ではない。「いあ! いあ! いさか!! 神よ、守り給え!! 風よ風よ、嵐よ、暴風よ、敵を彼方に散らせ!!」 メスのウェンディゴが祈り念じると、夜闇が動いた。 星星の影がなにか巨大なヒトガタに遮られて消えて見える。木々の梢よりも遙かに高い場所に、その巨人の頭部があるはずの場所に、二つ並んだ赤色巨星の光が残っている。それは瞳だ、アンタレスのような真っ赤で巨大な瞳が浮かび上がっているのだ。 眷属の祈りに応えて、彼らの神イタクァが、その力を分け与えにやって来たのだ。「くっ! 小癪な――、――――!?」 「あれは――!?」 叩きつけるような暴風が、コルベールとメンヌヴィルを吹き飛ばす。 だが、その一瞬前、彼らは見てしまった。 畏るべき北風の神の、その悪意と飢えに満ちた、紅い瞳を。◆◇◆ メンヌヴィルは逃げていた。 あんな、あんな恐ろしいモノ――風神イタクァ――を相手にできない。 イタクァを真正面から見てしまったために、彼は正気を失っていた。「はぁっ、ちくしょう、やってられるか!!」 そして、彼は逃げ出した。 イタクァを崇めるウェンディゴを恐れて、ではない(・・・・)。「敵も、味方(・・)も、まるで化物だ!!」 メンヌヴィルは、コルベールから逃げ出したのだ。「有り得ないだろ!! あんな化物が出てきたんだぞ! 任務の続行は不可能だ!!」 だというのに、あのコルベールは――『さて、では、任務を果たそうじゃないか。村ごと焼いて、灰の中から指輪を探すぞ。私はこのまま海岸側から焼いていく。君は逆側からだ』 イタクァの風によって吹き飛ばされたあとに、レビテーションで着地してすぐに立ち上がり、いつものような無感動な顔で――いやいつも以上に何の感情の動きも見せない顔で、淡々とそう言った。 メンヌヴィルは恐ろしいと思った。 憧れ続けてきたコルベールという男を、初めて心の底から恐怖した。 あの男は焼くだろう。 一切合切、何の躊躇もなく、老若男女区別なく、燃やし尽くすだろう。 そして、自分にはそれが出来ないと、理解してしまった。 メンヌヴィルの心に去来したのは、昼に少しだけ会話した幼い少女の顔。 コルベールは、全てを焼くだろう。 あのアニエスという少女も。 そんな事は、メンヌヴィルには出来ない。 何の罪科もない幼子を焼くことなどできそうになかった。 アニエスも人食いだというのなら、メンヌヴィルは焼けたかも知れない。 だが、メンヌヴィルは知っている。彼女はその幼さ故に、まだ人食いの罪業を負っていないことを。 そしてメンヌヴィルは、教会に向かうように見せかけて、森の中を走っている。 彼の後方では、赤々と燃える炎が、夜闇を照らしている。 既にコルベールが、焼き討ちを開始しているのだ。「おい、どこだ、アニエス嬢ちゃん、何処に居る?」 彼は、アニエスを助けるために、彼女を探して村の方へと走っているのだ。 轟々と燃える炎の音と、炎に引き裂かれる闇が上げる悲鳴のような風の音が聞こえる。 ◆◇◆ 火のルビーは、焼け跡から無事回収された。 任務は成功。 損害は、ダングルテールの村一つの全滅と、実験小隊隊員一名の行方不明。 実験小隊隊長コルベールは、無傷で帰還した。 後日、無事に任務を果たして帰還したコルベールは、ある法衣貴族に呼び出されていた。 その法衣貴族の名前は、リッシュモン。 ロマリアと繋がりのある貴族で、今回の『火のルビー奪還作戦』における功績により、その繋がりをさらに強固なものにした男だ。 つまり、今回の『火のルビー奪還作戦』の依頼者。「コルベール君、君はよくやってくれている」「は、ありがたきお言葉です」 全くそうは思っていないような口振りで、コルベールは頭を下げる。 あの事件以降、彼は、ますます爬虫類じみた、感情の動きのない男になってしまった。「ダングルテールの件だが――」 リッシュモンは、躊躇いつつも、口にする。「――村を全て焼き尽くした、とは本当かね?」「は、報告書に記述した通りであります」「……それは、必要だったのかね?」 蒼白な顔で、リッシュモンは尋ねる。 だが、こんなこと尋ねて何になるというのだろう。 彼はただ、安心したいだけなのだ。 実験小隊の長であるコルベールに、人間らしい感情が残っていることを確認して、安堵したいだけなのだ。 だが、コルベールは声ひとつ震わせずに、淡々と答える。「ええ、必要でした」 恐ろしい。 リッシュモンは、この目の前の男が恐ろしい。 人でなしの、炎の蛇が、心底恐ろしい。 だから、そんな恐怖に蓋をするために、怒りを装って罵声を浴びせる。本当は、これ以上会話したくないと望みながら。「何も焼き尽くすことはなかっただろう!!」「ええ。でも、焼き尽くしても構わなかったのでしょう? 異端どころか異形の村の一つや二つ」「君には、人の心というものがないのか! それに、後始末をするこちらの身にもなれというのだ!」 矛先を、リッシュモンの得意分野である金勘定にずらす。 ああ、だがそんなことは無駄なのだ。 炎蛇はやはり動揺せずに、淡々と「今日の天気はいいですな」と言うくらいの、どうでもよさで、リッシュモンに答える。「だから、後始末をしやすいように、一つ残らず焼いてきたんじゃありませんか」「――っ!」「要件は以上でしょうか。では、失礼いたします」 戦慄に固まるリッシュモンを置き去りにして、コルベールが退出する。 リッシュモンは思考する。恐怖にかられて鼠のように怯えながら、考える。「アレは、危険だ。いずれ、制御不能になって、王国に牙を向くに決まっている――だが、アレの実力を考えれば、始末は出来ないだろう。誰が、アレを、あの炎蛇を制御できる――?」 その時、彼の脳裏に、一人の老人が像を結ぶ。 何十年も前の紹介状を持ってきて、魔法学院の学院長に就任した、怪老。 300年生きる偉大なるメイジ、オールド・オスマン。「オスマン老ならば、あるいは、炎蛇を御せるやもしれん。最悪炎蛇が暴走しても、彼ならば、鎮圧することも可能だろう――」 リッシュモンは、コルベールを魔法学院に赴任させるための工作を開始するのであった。 数ヵ月後、コルベールは魔法学院に異動することとなった。炎蛇は、裏の世界から忽然と姿を消すことになった。 彼が元実験小隊隊長であったことは、リッシュモンとオスマン以外に知る人は、殆ど居ないはずだ。実験小隊のメイジたちにも、コルベールの異動先は知らされていない。 だが、王城の書庫には、その時の異動命令書が保管されているかも知れない。◆◇◆ ありふれた事件である。 トリステインの片田舎で、ある貴族が養女を引き取った。 その数ヵ月後、その貴族の係累は、火事によって一人残らず灰になり、爵位や遺産は、残された養女に引き継がれた。 後年、戦場で名を馳せる“白炎”のメンヌヴィルが、その養女の指南役におさまったという噂もある。 “白炎”のメンヌヴィルの武名は高い。その炎の腕前もさる事ながら、女子供は手にかけない高潔さと、手強い相手に好んで戦闘を仕掛ける姿勢、そして倒した相手に祈りを捧げながら焼き尽くす敬虔さから、彼はハルケギニア屈指の傭兵として名を挙げられる。 残された養女の名前は、アニエス。 アッシュブロンドの髪の毛と、凛々しい顔つきが美しい女性で、後にトリステイン魔法衛士隊に入団し、アンリエッタに最も近しい女性衛士として活躍していくことになる。 彼女の首からは、鳥十字のネックレスが掛かっている。 彼女の恩人が、“心臓を凍らせないように”とプレゼントした、手製の聖具である。=================================関係ないおまけ。時系列は本編時間軸に戻ります。■オリヴァン・ド・ロナルのその後? ガリアのド・ロナル伯爵家嫡男、オリヴァンは筋骨隆々の偉丈夫である。 ほんの数カ月前まで彼が肥満体のひきこもりだったなどと誰が想像するだろうか。 家の使用人たちも、彼の大変身ぶりに驚き、そして感心し、今後もド・ロナル伯爵家は安泰だと囁きあった。 特に昔から彼のことに期待していたアネットというメイドの感激っぷりは凄かった。「やはり坊っちゃまは、やれば出来る方でした!」 というのが、ここ最近の彼女の口癖である。 そんなある日のことであった。 自室でチェス・プロブレム(詰将棋のチェス版)をやっているオリヴァンの部屋の窓を、コツコツと何かが叩いた。 だがチェス・プロブレムを解くのに集中しているオリヴァンは、それに気づかない。「う~ん、ここでナイトを……いや、ポーンか……?」 コツコツと窓を叩く音が大きくなり、ごつごつ言い出し、やがて、窓を叩いていた何モノかは、ガラスを突き破る。「ん? 何だ?」 そこで漸くオリヴァンが気付くが、既に彼の手には杖が握られ、魔力で編まれた刃が出現していた。 『元素の兄弟』ドゥドゥーに鍛えられたブレイドの腕前は、現役の花壇騎士にも負けないだろう。 オリヴァンは窓を破って侵入してきた鳥くらいの大きさの黒い何かに向けて、ブレイドの魔力刃を、立ち上がりざま逆袈裟に斬り上げた。(――何だ、カラス? カラスが何故窓を破って? 誰かの使い魔か? まあ斬り殺しても良いだろう――) 窓から入ってきた黒いカラスらしき何かをブレイドで両断しようとオリヴァンが迫る。 オリヴァンの前のテーブルに置いてあったチェス盤と駒が跳ね除けられて宙を舞う。 そして―― オリヴァンの刃が到達する一瞬前に、 カラスがひとりでに正中線から二つに裂けた。(――は?) 眼の前で起こった理解不能の事象に混乱しつつも、オリヴァンは慣性でブレイドを振り切る。 刃は、二つに割れたカラスの正中線を捉え―― ――それ故に、何にも触れること無く、振り抜けた。 だが即座にオリヴァンは思考を切り替える。「線でダメなら、面だ! 『ウィンド・ブレイク』!」 オリヴァンが放った、風壁の魔法がカラスを吹き飛ばそうとする。 風が室内で吹き荒れる。 カラスの片割れずつが、部屋の壁に叩きつけられる。 動かなくなったそれを確認して、オリヴァンは息をつく。「一体なんだったんだ?」【詔勅デアル!! 詔勅デアル!!】「うわ!?」 急に、割れたカラスから出来の荒いガーゴイルのような声がした。【詔勅デアル!! 『オリヴァン・ド・ロナル』ヲ北花壇騎士団11号ニ任命スル!! ガリア王女及ビ北花壇騎士団団長『イザベラ』ノ名ノ下ニ、11号ニ任命スル!! 拒否ハ許サレナイ!】 北花壇騎士? 11号? 王女イザベラ様? カラスのガーゴイルは割れた身体のまま、ステレオで命令を喋る。【北花壇騎士(シュバリエ・ド・ノール・パルテル)11号ハ、可及的速ヤカニ王宮ニ出頭セヨ! コレハ命令デアル!!】 混乱するオリヴァンに関係なく、カラスのガーゴイルはさらに二三の命令を吐き棄てて、最後に何か任命書らしきものを吐き出すと、元通りに一つに合体して部屋の外へと飛び去っていった。 オリヴァンは恐る恐る、カラスが吐き出した赤い紙を取り上げる。 その真っ赤な紙には、金の印字で北花壇騎士11号に任命する旨と、確かに王家の花紋が押されていた。◆◇◆ 時間は少しさかのぼってリュティスのプチ・トロワ。 オデコの輝くお姫様と、小柄で老獪な雰囲気の少年が会話している。「人手が足りないわ、ダミアン」「はあ、そうですね。イザベラ様」 この二人、何を隠そう北花壇騎士団団長イザベラ王女と、北花壇騎士でも屈指の実力者『元素の兄弟』長兄のダミアンである。「アンタたちもっと働けないの? トリステインの“閃光”のワルドみたいに分身したりしてさ」「お給金を弾んで頂けるなら」「ちっ。しみったれめ。じゃあ、誰か腕利きを紹介しな。出来れば安い奴を」「……ふむ、そうですね。そういえば、先日、不肖の弟ドゥドゥーが弟子をとったとか何とか言ってましたね」「何処のどいつだい?」「ド・ロナル伯爵家のオリヴァンとか、確か」「ふぅん、名門じゃないか。まあ良い、ドゥドゥーの弟子なら少しは使えるだろう。名門のお坊ちゃんだろうが構うもんか」「そうですね。王女が団長の時点で、名門もへったくれもないですよね」「ついでに将来的にド・ロナル家を私の派閥に組み込むことにしよう。赤紙で招集かけといてくれ」「御意」「ま、そのオリヴァンとやらには、せいぜい苦労してもらおうじゃないかい。若いうちの苦労は買ってでもしろと云うし」「姫様は売りつける側ですがね」「ぁん? 何か言ったか?」「いえ何も」 その瞬間、北花壇騎士団11号“臆病風”のオリヴァン――遠距離攻撃と罠と策略を多用することから付いた二つ名(ある意味尊称であり蔑称)――が誕生することになったのである。=================================きれいなメンヌヴィル(不定の狂気:親馬鹿)と、改心してないコルベール(不定の狂気:サンチョ・パンサ症)。原作でメンヌヴィルが取った行動って、外から見たら「情け容赦無さすぎる隊長に恐れをなして錯乱して攻撃を仕掛けたヘタレ」にも見えると思うんです。この話でのメンヌヴィルは、アニエス救出後、適当な貴族を脅して養女にさせる→貴族をブチ殺して遺産ゲット→しばらくアニエスを育てる→不定の狂気:親馬鹿が治まってきていい感じに子離れして炎のむせる匂いを嗅ぎに戦場へ、って感じです。コルベールは、イタクァを見て、サンチョ・パンサ症(全てのものが大して重要ではないように見える。何を見ても自分の常識の範囲内に矮小して理解してしまう)を発症しさらに蛇みたいな男に。当然、改心なんてしません。異形の村の一つ二つ焼いたところで一体何を後悔しましょうか。そして目の前に、燃やし残しが現れれば……。アニエスは、当作では原作より2歳若いです。メンヌヴィルを養父・師匠と仰ぎ、村を焼いたコルベールの行方を探しています。まさか学院で教師してるとは思ってなかったはず。一応、ウェンディゴには未だなってません。危ういところで鳥十字の聖具(ゾロアスター教のシンボルがモチーフ)の加護のおかげで、人間のままです。まあ、人肉食ったら人外一直線でしょうけど。オリヴァンの話を希望する方がちらほらいらっしゃったので、おまけを付けました。でも今後、オリヴァンは再々登場はしないです。多分。あと翼蛇エキドナの絵面は、八房龍之助さんの漫画だったら「塊根の花」のヴードゥ使いのアレじゃなくて、「宵闇眩燈草紙」2巻「やなりめ」の思い余って蛇女になっちゃったヒトの方がイメージとしては近いかもです。2011.06.07 初投稿2011.06.12 誤字訂正