「ブリミルッ!!」「……漸く来たか、サーシャ」「何故だ!? 何故こんなひどい事をするんだッ!?」 問答をする、男と女。 男の方は、ローブを羽織り、身の丈ほどもある杖を持っている。その顔には隠し切れない隈(クマ)と濃い疲労が浮かんでいるが、表情は至って穏やかなものであった。 女の方は、大きな片刃の長剣を構え、怒りに相貌を燃やしている。眼を引くのは異国風の民族衣装と、長く伸びた耳だ。彼女はエルフだ。とてもエルフ一人では賄い切れないほどの膨大な魔力を噴出させて、左手と胸元の刻印から光を溢れさせ、彼女は男に大剣の刃を向ける。 男の名前は、ブリミル。ハルケギニアに移住した、系統魔法を使う種族『マギ族』の族長。 女の名前は、サーシャ。ハルケギニアの現住種族であり、強力な精霊魔法を操るエルフである。そして彼女はブリミルの使い魔であり、マギ族がハルケギニアにやって来る際の、道標になった女性だ。 愛を育んだはずの男女は、因果なことに、今ここで、殺意を持って対峙している。 彼らが対峙するのは、緑の平原の真ん中、黒山羊(ブラック・ゴート)の豊穣神を祀る大神殿の南にある土地だ。 ゆえにマギ族はここを『山羊の南の土地』――『サウスゴータ』と名付けた。 後に始祖光臨の地と呼ばれる場所である。「何故だッ!? 何故私に、こんなルーンを刻んだッ!? リーヴスラシルなど――」「――――同じだよ」「――何?」 怪訝な顔をするサーシャ。 ブリミルが、穏やかに語りかける。「同じなんだ、君がこの場に来た理由とね。――君は、僕を止めに来たのだろう? エルフの『一族を救うため』に、僕を討ちに来たのだろう? 何度も愛を交わした僕を――」「――その私に、リーヴスラシルを刻んだのは、お前だ、ブリミル。この同族殺しのルーンを私に刻んだのは、お前が先だ。裏切ったのは、お前が先だ!!」「ああ、その通り。僕は何処まで行っても、『マギ族の族長』ブリミルでしか無いんだ。だから、『一族を救うため』であれば、愛しい君も罠にかけるし、忌まわしいルーンを刻みもする。お互い、ここに立っている理由は同じ、即ち――『一族を救うため』だ」 ブリミルは言い訳しない。 そんな後悔と葛藤の段階は、既に通り過ぎている。 最早、ブリミルもサーシャも、止まれない。 運命の歯車は、圧倒的な慣性でもって回り続ける。 サーシャに刻まれた、二つ目のルーン――それは神の心臓・リーヴスラシル(生命を叫ぶもの)。 他の三つの虚無の使い魔のルーンは、それぞれ『支配する』ルーンであった。 神の左手ガンダールヴは、『武器支配』。 神の右手ヴィンダールヴは、『他種族支配』。 神の頭脳ミョズニトニルンは、『魔道具支配』。 そして最後のルーン、神の心臓リーヴスラシルの権能は、最も忌むべき『同族支配』。 サーシャに宿れば、全てのエルフを支配し、彼らの力を集約してサーシャ自らに宿らせることすら可能な、悪夢のルーン。リーヴスラシルは、能力値を委譲する魔術【完璧(PERFECTION)】の強制使用すら可能とする。 その自動効果によって、サーシャは全てのエルフの力を合わせた一騎当千以上の超人となっている。彼女から立ち上る神の如きオーラは、全てのエルフの力を、文字通りにサーシャが背負っているが故であった。「済まなかったね、サーシャ。でも、来てくれて嬉しいよ。最期に逢えるのが君でよかった、ぼくを殺してくれるのが君でよかった」「~~ッ!!」「さあ、ぼくを止めるのだろう? 早く来るが良い、その大剣を、この心の臓に突き立てろ! 同胞を救いたくば、僕を殺せ、僕のガンダールヴ(魔法の妖精)ッ!!」 この期に及んで葛藤するサーシャ。 だが、そんな葛藤を後押しするように、ブリミルが叫ぶ。「迷うな! 迷えば迷うだけ、エルフが死ぬぞ!」「や、やめろ、やめろ!! ブリミルッ――」「止めたくば僕を殺せッ! 『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる!! 捧げよ! 捧げよ! 捧げよ! その命を以って、世界法則を揺るがせッ!!』」 そして、これまでの使い魔のルーンと、リーヴスラシルのルーンの最大の違いは、その発動権限が、主人の側――つまりはブリミルにあるということである。リーヴスラシルのコントロール権限は、ブリミルにある。サーシャでは、リーヴスラシルの能力発動を、止めることも何も出来ない。 支配する対象を同族に限定することで、リーヴスラシルのルーンは、他の使い魔のルーン以上の支配性能を発揮する。宿主(サーシャ)の同族(=エルフ)の肉体や精神のみならず、魂までも自由に操作できる。 例えば、その魂を強制的に捧げさせて、世界を覆う根幹の法則を揺るがすことすらも、可能なのだ。 『捧げよ』というブリミルの命令に従って、リーヴスラシルのルーンは輝きを強める。 瞬時に『同族支配』の呪われた力が、世界に満ちるエーテルを伝い効果を発揮し、幾千のエルフの魂を喰い尽くす。彼らの肉体すらも、跡形も残さずに生贄に捧げる。 彼らを生贄にして、世界はまた一つ、あるべき姿から歪んだ。「あ、あああああぁぁぁぁぁぁあああッ!! あああああああああああああああああッ!!」 サーシャが絶望の叫びを上げる。 同胞何千人もの生命が、この世界から消滅したことが、リーヴスラシルのルーンを介して、魂で理解出来たのだ。 零れ落ちる生命たちの怨嗟と絶望が、彼女の口から迸る。 同時に、巨大な鐘が鳴るような、世界を砕くような、魂を揺さぶる轟音が響く。 世界が悲鳴を上げている。これは世界の悲鳴だ。歪んで砕ける世界の悲鳴なのだ。 この世界でも随一の魔法の使い手であるエルフ――それは一番世界の法則を理解しているということでもある。つまり、世界を壊すのに、彼ら以上に上等な燃料(いけにえ)は存在しないのだ。「さあ、エルフを守りたければ、僕を殺せ、サーシャ。君が迷えば迷うだけ、犠牲が増えるぞ。そら――『捧げよ』!!」「うわあああああああああああ、もう、もう止めろ、止めてくれッ! ああああああああああああああああああああああッ!」 ブリミルの言葉に従って、またリーヴスラシルのルーンが輝く。今度は数万のエルフが、跡形も残さず、この世界から消滅した。 そして彼らを代償に、また一つ、世界は歪む。ブリミルの――マギ族の望む形に。 消滅したエルフの分だけ、サーシャに集約されていた力が減る。ごっそりと抜け落ちる活力が、同胞の消滅をサーシャに知らせる。「『捧げよ』、『捧げよ』、『捧げよ』――」「ブゥゥゥゥゥリィィィィミィィィィィルゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!」 愛した男の裏切りが悲しくて、同胞の消滅が悲しくて、世界の悲鳴が痛くて、そしてこの期に及んでまだ愛しい男をこの手に掛けることが辛くて、サーシャは生命も枯れんばかりの叫びを上げ、滂沱しながら、ブリミルへと突進する。その姿は正しく、リーヴスラシル(生命を叫ぶもの)そのものだ。 ブリミルが呪言で命じる度に磨り減る同胞たちの生命と、軋みを上げる世界の悲鳴が、彼女の背中を推す。 全エルフから吸い上げられた力が、サーシャの肉体を強化し、目にも留まらぬ速度で彼女を走らせる。「そうだ、それでいい、さぁ、サーシャ――」「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」 韋駄天のごとく駆けた彼女を防ぐことは出来ず――そしてブリミルにも防ぐ気は無かった。 ブリミルは儚い笑みを浮かべて両腕を広げると、サーシャの突進を抱きしめるように受け止めた。「がっ……――ああ、ありがとう、サーシャ」「う、うぁ、うわあああああああああああ、ああぁぁぁああああああぁああッ! ブリミル、ブリミルッ! なんでだよぉ、うわああああああああああああああああッ!!」 ブリミルの背から飛び出る大剣。 一際大きく輝くリーヴスラシルとガンダールヴの二つのルーン。 サーシャを抱きしめるブリミル、彼の胸で嗚咽をあげるサーシャ。 だが、明らかに致命傷を負って、ブリミルは倒れない。 心臓を貫かれたのに、倒れない。「ありがとう、サーシャ。そして、また騙してしまって、済まない。――――これで、計画通りだ」「――――ぇ?」「終わりじゃない。終わりじゃないんだ、これが始まりなんだ」「な、なに、を――?」 サーシャの胸の輝きが薄れ、光がサーシャの胸から左手そして握られた大剣を伝って移動する。サーシャの胸の輝きが消え、代わりに、ブリミルの胸が輝き出す。 彼の、半神であるブリミルの心臓が輝く。そこに現れるのは、呪われた『同族支配』のルーン――神の心臓リーヴスラシル。サーシャから、ブリミルへと、ルーンが移ったのだ。 虚無の最終魔法、世界改変の大魔法『生命』は、今、下準備が終わったばかりだ。「世界改変の虚無魔法『生命(リーヴ)』を使う準備は整った。 禁忌のルーン・リーヴスラシル(生命を紡ぐもの)は、確かにぼくの胸に。 ――さあ、始めよう、『世界の終焉と創世(ラグナロク)』を!!」◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 外伝.11 六千年前の真実◆◇◆『――――――……“四種の力を部下(しもべ)に与え、我はこの地にやってきた。”“我を守りしガンダールヴ。異界より来て我を導く。勇壮可憐な魔法の妖精。”“風に長けるはヴィンダールヴ。秀でし才にて我を守る。獣と心を通わせる、心優しき風の娘。”“知識の蜜酒を授けるミョズニトニルン。優れし智慧にて助言を呈す。溜め込めし智慧は歩く本。”“そして最後に叫ぶはリーヴスラシル。一族全てを殺して守る。禁忌を背負う、生命の叫び手。” ……――――――』◆◇◆ 今は昔。 故郷を追われたマギ族が、エルフの集落の外れに入植した。 彼らマギ族の故郷イグジスタンセアに召喚されたハルケギニアのエルフ、サーシャの魂の縁を伝って、彼らはハルケギニアに世界扉を繋げたのだ。「ブリミル、ここは良い場所じゃの」「――ルミル婆か。ああ、あなたの助言通りにして良かったよ。ここでなら、きっと、一族は怯えずに暮らしていける。平穏に暮らしていける」「そうだな、そうなると良いな――いや、そうせねばならぬ。……それと、お主、わしを婆と呼ぶな。呼ぶなら、役職である『蜜酒の娘(ミョズニトニルン)』で呼べ」 簡易のキャンプで遊ぶ子供たちを見て、族長であるブリミルと、一族のご意見番であるルミルは目を細める。 ルミルは四十を超える年齢の女性であるが、一族で一番の水魔法の使い手であり、老化など物ともせず、未だ二十台前半の容姿を保っている。ブリミルと同じくらいの身長で、白髪混じりの長髪で、ローブを纏っていて、泣きぼくろが特徴的だ。円熟した色香を放つ女性である。トリステイン女王アンリエッタが歳を取れば、この様になるのかも知れない。 彼女はその水魔法の腕を生かして、蜂蜜酒の醸造を任されており、その役職にちなんで、『蜜酒の娘(ミョズニトニルン)』と呼ばれている。ミョズニトニルンのルミル。蜜酒は知識の象徴ともされ、彼女もまた、その象徴が意味するところに違わず博識であった。 ルミルの額には、『魔導具支配』の権能を与えるルーンが刻まれている。ブリミルに頼んで、年の功で集めた知識をさらに生かせるような能力を、と願って、刻んでもらったのだ。もっとも、ルーンを刻みつけるまで、どのような能力が発現するかは、ブリミルにも分からないのだが。「そうだ、お主がくれた、自動筆記・自動製本の魔導具じゃがな、なかなかに使い勝手良いぞ。お陰で筆が進むこと進むこと。羊皮紙の生成と文字の転写、綴じ込みを自動でやってくれるのはありがたいわ」「ああ、そう言ってもらえると助かるよ。作るのに苦労したからね。……もっとも、操作が複雑になりすぎたから、『魔導具支配』が出来るルミル婆しか使えないだろうけど」「じゃから、婆と呼ぶな」 ルミルがブリミルの頭を小突く。「いて。 ……まあ、あの魔導具は、そもそもルミルのために作って贈ったんだから、別にそれで良いんだけどね」「ワシのために、のぅ。そいつは光栄じゃ」「まあ、僕とルミルの仲じゃないか。子供を産んでもらった相手に何かしらプレゼントするのは、不思議なことじゃないでしょ」 ……そう、実は、ブリミルとルミルの間には、子供が居たりする。 というか、ブリミルの筆下ろしをしたのがルミルである。 ちなみに一発命中であった。熟練の水メイジ(女)の体内操作恐るべし。生まれた子供の血筋の鑑定も、水のエキスパートであるルミルに掛かればお茶の子さいさいだ(六千年後には失われる技術であるのだが)。 マギ族の集落では、未だ一夫一妻制度というものは発達しておらず、性については割と奔放であるし、子供は村の皆で育てることになっていた。村全体が家族という感じである。 彼らが元いた世界でのヴァリヤーグとの戦いで、マギ族は男の数が減っており、一夫多妻制でないと集落の規模を維持できないという事情もある。 とはいえ、ルミルの血筋鑑定によって、あまりに血が近すぎる者同士だと、子供を作ってはいけないことになっている。「あ、ブリ兄~! 私ちゃんとヴァリヤーグの軍団を土壁で塞き止めたんだよ~、褒めて褒めて~」「義兄上殿、ここはイイ場所ですな。少し離れた場所にマグマ溜まりもあるようなので、掘り下げれば温泉も湧くでしょう」「ヴィリ、ヴェー! お前たちも無事で良かった。移住前の最後の戦いでは、お前たちに殿軍を務めてもらっていたから、不安だったんだ」 ブリミルに話しかけてきたのは、ヴィリとヴェーの双子の姉弟だ。 ヴィリは一族で最も土の扱いに長けた女の子で、蒼い髪が特徴的な、活発そうな雰囲気を放っている。ルミルに比べると随分小柄で体の凹凸に乏しいが、健康的な美というものがある(明るいタバサという感じだろうか)。年の頃は十代後半である。ちなみに彼女とブリミルの間にも幼い子供がいる。最も優れた使い手との間に子供を成すのは、族長の義務であるからして……。 ヴェーは炎の扱いに卓越したメイジであり、ヴィリと同じように蒼い髪を持っている(若いジョゼフという感じである)。ブリミルのことを義兄殿と慕い尊敬している。戦いでは先陣から殿まで、どんな場所でも受け持てる戦巧者だから、戦術級の虚無魔法の使い手であるブリミルを尊敬するのは当然だろう。因みに彼も幼い子供が居て、その名前をフォルサテと言う。ヴィーの教育の賜物か、フォルサテはブリミルに心酔している。むしろ神のように崇めている。……将来が心配だ。 ヴィリは勢いつけてブリミルに抱きつくと、花咲くような笑みを浮かべた。 そんなヴィリの蒼い髪を、ブリミルはよしよしと撫でてやる。 氷のような色合いだが、陽だまりのような温かさがあった。「えへへ~、ブリミル~、好き~」「うん、私も好きだよ、ヴィリ。それに撤退の時はよく頑張ってくれたね、おかげで皆、このハルケギニアに逃げられた」「ありがと~! その為に頑張ったんだもん。だ・か・ら、今夜は、ね? ご褒美、欲しいな~」 その時である、上空からばさばさという羽撃き音とともに、声がかかった。「ヴィリ、抜け駆けは困る。ヴェーも、ちゃんと見張っておいて」「やっぱり節操がないのね、蛮人って」 上空から竜と共に降りてくるのは、金糸のような長い髪を靡かせた小柄な少女と、異国情緒の溢れる服装をした金髪碧眼のエルフだ。「ユル! こっちの生き物も、君の声を聞いてくれたみたいだね!」「ただいま、ブリミル。竜たちも言うことを聞いてくれるわ、あなたがくれたルーンのお陰で」 金髪で長髪の小柄な少女は、名前をユルと言い、その右手に輝くルーンを見せながら、竜から降りる。 彼女は強大な力を持つ風魔法使いで、かつてはその力を制御できずに暴走させていたため、近寄るものは居らず一人ぼっちだった。 それを哀れに思ったブリミルは、彼女に『友だちが出来るように』と願ってルーンを与えた。 その結果、ユルの右手には、獣の言葉を解する『他種族支配』のルーンが現れた。 一族随一の風の使い手であるユルも、強い血統を残すために、当然ながらブリミルのハーレムの一員であるし、既にブリミルとの間に子供も居る。彼女は風の属性と可憐な容姿から、風の妖精(ヴィンダールヴ)と呼ばれている。 今ではユルも、ブリミルから魔法の力の扱いも手ほどきを受け、力が暴走することもなくなって落ち着いている。大きな力の扱いにおいて、ブリミルの右にでる者は居ないのだから、彼は教師としてうってつけであった。「よっと……、エルフの議員には話をつけてきたわ。暫くはここに住まわせてくれるそうよ、具体的には三年。良かったわね、蛮人」「そうか、交渉ありがとう! しかしサーシャ、蛮人という言い方はやめてくれよ、あんなに愛しあった仲じゃないか!」「蛮人は蛮人よ、この、節操なしの破廉恥漢!」 竜から降りたエルフの女性――サーシャがブリミルの顔面にハイキックをかます。 いつもの光景だ。 彼女の左手に輝く『武器支配』の能力によって強化された身体能力で、鋼鉄の脚甲が付いた編み上げブーツが炸裂する。 だがブリミルは無傷だ。これもいつもの光景。 目の良い者なら、ブリミルの影から一瞬なにか触手のようなものが伸びて、攻撃を防いだのが見えたかも知れないが、周囲の誰も、その触手らしきものを認識することは出来なかった。「ちっ……」「んふふ、貸しイチだよ、サーシャ。君も懲りないね、そんなに『オシオキ』されたいのかい?」「!!」 もちろん、オシオキの前には『夜の』という形容詞が付く。 ルミル、ユル、ヴィリの三人の美女と、ブリミルの合わせて四対視線がサーシャの細い体に絡みつく。どうやら今夜は皆でサーシャを楽しむことになりそうだ。 慌てたサーシャが、唯一助けになりそうなヴェーに視線を向けるが、ヴェーは自分の息子のフォルサテに会いに村の広場に向かったため、既にこの場を後にしていた。「ひ、ひぅぅッ――」 サーシャの声が、絶望と――そしてこの後の行為への期待に潤む。◆◇◆「アンリエッタ姫似の熟女に、タバサに似た元気っ娘、無口な不思議系少女、エルフの美人さん……絶倫だな、ブリミル某」「まあ、後に始祖って言われるくらいだから、産めよ増やせよで頑張ったんでしょうね。英雄色を好むというし、三王家の始まりの王たちは、皆彼の子供だという話よ。……異母兄弟だとは思わなかったけど」 実際、各王権の始まりの王たちは、同じ母から生まれた兄弟であるというのが定説で、歴史学ではどの王家が長兄だったかでよくモメる。「……下手に同じ親から生まれた兄弟よりも、順列が無くて良いんじゃないか、逆に。見た感じ、一年くらいで全員に並列でフラグ立てしてハーレムエンドに持っていったっぽいし、子供たちも生まれた時期は同じくらいだろ」「あぁ、そうかもね。それなら順位争いの揉め事も少なそうかも? ガリアの青髭兄弟見てると、ホントそう思うわ。兄弟姉妹の確執ってやーよね」「ルイズのところも三姉妹じゃねーか……」 『記録(リコード)』で時間遡行したルイズとサイトは、上空に浮きつつ自らを『幻影(イリュージョン)』で不可視化して、これまでの一連の流れを眺めていた。 宙に浮いているのは、ルイズとサイトの二人だけではない。 彼ら以外に、もう一つ――「あ、あええああああ、ああ、あああえあ――――あ?」 不恰好な、人間の出来損ないのような、胎児のまま大きくなったような、不気味な肉塊も浮遊していた。 それをサイトは胡乱気に見つめる。 その肉塊は、『記録(リコード)』発動前に、蜘蛛の巣から吊り下げられた繭に包まれていた肉人形(フレッシュゴーレム)だ。ルイズたちの時代で、最も始祖に近いとされる、量産聖人グレゴリオ・レプリカを霊的に模した肉人形だ。千年の間に生まれた虚無遣いの因子を継ぎ接ぎにしたという量産聖人は、確かに最も始祖ブリミルに近いのだろう――故に、この時間遡行の水先案内人には持って来いだ。「なあルイズ、こいつ、もっとどうにかならないのか?」「暫く待てば、曖昧状態から復帰するはずよ、この過去記憶の世界のブリミル某と同調して――」「あ、あああ? あああ、あ、あえ、えあ、あああ――――? ――ぎ、ひ、ひひひひひ」 何か、肉人形の様子が変わる。「なんか受信したっぽいぞ」「みたいね」 ルイズとサイトは、冷静にそれを見る。 同調が始まったのだ。 降霊が始まったのだ。 始祖の神降ろしが始まったのだ。「ひ、ひひひ、ひだだり、ひだり、ひだ、だだだ、ひだりりり、り―――― ――左。 ――――左手の、彼女。エルフのサーシャ。 魔法の満ちたハルケギニアから、マナの薄いエグジスタンセアに、引きずり下ろされた可憐な妖精。 ガンダールヴ(魔法の妖精)に与えし力は、『武器支配』。 暴虐のヴァリヤーグから、我らを守る強き盾。 イェソドからマルクトへ堕ちし我が妖精、彼女を梯子に、我らは登る。 そうだ我らは、マルクトからイェソドへ登る、大地のセフィラから魔法のセフィラへ。故郷を捨てて高みを目指す。 彼女は我らの救世主にして道しるべ」 それだけ喋ると、肉人形は沈黙する。「ふぅん、ガンダールヴってのは、もともと初代であるサーシャ個人の渾名だったのね。それがやがて、『武器支配』の能力を持った使い魔のルーンの名前として定着して使われるようになった、と」「マナの薄い世界――イグジスタンセアってのは、地球のことかな? マルクト(大地、王国)って言ってるが、マギ族はカバラも齧ってるのか? ルーン文字を使って、カバラのセフィロトも知ってて、魔法使いの名前がメイジって、ちゃんぽんだな」 サイトの出身地である地球では、ルーン文字は北欧のドルイドあたりが源流だ。アルファベットの前身とも言われる。 カバラは、ユダヤ教の宇宙観だ。十のセフィラと、それを結ぶパスによってセフィロトの樹を構築し、宇宙を解釈する。タロットカードも、このセフィロトの樹の大アルカナから来ている。小アルカナはトランプになった。 マギ、メイジ、またはメイジャイというのは、紀元前600年あたりのメディア王国のペルシア系の神官のことを指すと言われ、彼らはゾロアスター教に似た宇宙観――真の神は遥か彼方にあり、世界創造主はその卑俗な影に過ぎない――を持っていたと言われている。メディア王国の神官層の生き残りが、ブリミルたちなのだろうか。「マナが薄いんじゃあ、エルフでもあまり魔法は使えなかっただろうから、肉体強化も出来る『武器支配』のルーンは役に立っただろうな。敵の軍団を撹乱し、矢を叩き落とし、撤退の時間を稼ぐ一騎当千の妖精将軍ってところか」「確かに、戦闘では役に立ったんでしょうね、このブリミルレプリカの口ぶりと、教会に伝わる伝承によると。でも、あんたの故郷にも邪神は居るから、マナが薄いってことはないんじゃ?」 始祖ブリミルの故郷は地球なのか、それともまた地球ともハルケギニアとも別の世界なのか。「どうだかね? 星辰が抑制的位置にあるから、地球はあんまりマナは濃くないんだぜ、ハルケギニアとは違って。それでも、どっかの星の彼方とゲート繋いで強制的に賦活して化生が呼び起こされる事件は、日常茶飯事だけど」「それはサイトの周りだけよ、多分。あんた、運が悪いから」「……否定出来ない」 サイトの星回りはデフォルトでトラブル万来である。 おそらくニャルラトホテプあたりの加護があるのではなかろうかと、彼自身は疑っている。「でもまあ、ブリミルが地球出身ってのも不自然だよな。そんな伝承残ってないし、六千年前に、虚無を含む魔法使い一族を追放できるほどの勢力があるとは思えねぇ」「ハルケギニアとイグジスタンセアの時間の流れが同一だとは限らないけどね」「ああ、まあ確かになぁー。六千年前とは言わずとも、二千年前辺りだとすれば、ローマだかのレギオンに追われるってことはありえそうだ。いや、メディア王国の崩壊と共に落ち延びたのか? そんで、故郷を捨てて、六千年前のハルケギニアに集団転移……むしろそれが妥当そうな気がするぜ。――――お?」 そのようにサイトたちが考察していると、唐突に周囲の景色が歪む。 早回しに周囲の夜と昼が移り変わり、夜色と空色が混ざり溶けた紺色になる。 『記録』によって映し出される景色の、その時間が移り変わるのだ。「あ、場面が移るみたいよ」「だな。場面が移ったら、またその肉人形も何か受信するだろ」「……」◆◇◆ ブリミルたちが入植してから、およそ三年の時間が経過した。 今は夜だ。 天幕の一つから、光が漏れている。中で一族を運営する幹部たちが、会議を行なっている。 マギ族は未だ、エルフ領から離れる入植地を決めきれていなかった。 ……いや、正確には事情が異なる。 入植地の選定は、終わっている。 先遣部隊によって、測量や気候調査なども済んでいる。 だが、未だエルフ領からは、出て行っていない。 つまり、他所に入植『する』『しない』など、どうでも良くなるような、重大な問題が発生していた。「ルミル婆、やはり一族の子供が出来ない原因は分からないか」「ええ、全くの不明……って訳でもないのだけど、兎に角、胎に子供がとどまらないねぇ。イグジスタンセアから連れてきた家畜も全部そう、不妊になっちまってるよ」 そう、不妊問題である。 まるで呪いにでもかかったかのように、ハルケギニアに来てから、人間も家畜も子供が出来なくなってしまったのだ。水魔法と体内診療のエキスパートであるルミルのサポートがあって尚である。 現地の種類との交雑も進めているが、そちらも全く成果は挙がっていない。「この土地の水の問題というわけでは無いのだな?」「他の入植予定地でも、全く子供は出来ないねぇ。こっち(ハルケギニア)の動物は、どの土地でも普通に殖えるし。――エルフたちもね」 芳しくない現状確認に、皆の間から溜息が漏れる。「その上、だ――」 良くない報告は、未だ続く。「――魔法の力の衰えが、著しい」「大気に含まれるマナには事欠かぬのにな」「若年の未熟だった者の中には、既にほとんど魔法が使えないレベルになった者も居る。年老いた者も、衰えがイグジスタンセアに居た頃より早いようだ」 皆の顔色が悪い。 今まで切り札であり、生活を支えてきた力が失われるというのは、マギ族にとって恐怖だ。最早力を保っているのは、幾人かの熟達者たちと、特に才気煥発な者のみである。 かと言って、エルフ式の魔法を覚えることも出来ない。八方塞がりという有様だ。「まるで、この世界(ハルケギニア)から、我らが拒絶されているようだ……」 それが、彼らの偽りのない気持ちであった。 異世界人ゆえの、世界からの拒絶ではないのか?「だが既にイグジスタンセアに帰る道は失われている。帰ることも出来ん」「万に一つもヴァリヤーグに追われないように、一族全ての、イグジスタンセアとの因果を断ち切ったからの」「まあ、断ち切ったというよりは、土地との因果を生贄に捧げて不退転の覚悟を示すことで、転移魔法の成功率底上げを狙ったのじゃが」「だが、帰れぬことに変わりはあるまい。……不退転は、覚悟の上じゃった。不妊による緩やかな絶滅や、力の減衰も、想定の範囲内じゃ。……まあ、実際に起きると、凹むがのぅ……」 抗いようのない、呪い。 そしてそれへの恐怖。 力を失い、絶滅することへの、言いようのない絶望感。黒い気持ち。 皆が氷に覆われた池の中の魚のような、あるいは、干からびつつある沼に取り残された魚のような気分になった所で、その会議の天幕に一人の男が入ってくる。 ――――ブリミルである。「やーやーやー、お待たせしちゃって申し訳ない。ちょっと調査に時間がかかってねー」「ふん、遅いぞ、族長(ブリミル)。調査と言っても、どうせ殆ど弟君(ヴァルトリ)に任せておったのだろう?」「そしてその間は、ガンダールヴの嬢ちゃんの相手をしておったのだろう? 相変わらず爛れておる」 長老陣がブリミルを冷やかす。 だが責められるブリミルは、まんざらではなさそうだ。 照れとかそういう次元は超越しているし、ブリミルがハーレム野郎だというのは周知のことだし、というか半神のブリミル・ヴァルトリの血を残すために一族の実力者たちを嫁がせたのはこの幹部の爺様方だ。「いやいや、爺さま方、これも重要な任務ですって! あれでサーシャは勘が良いから、他所で動くヴァルトリの気配に気づくかも知れない。となれば、別のことに集中させてやるのが、常套手段でしょう?」「まあそれ自体は良い。調査結果がきちんと出れば文句ないわい。お主とガンダールヴの仲も、エルフとの交配実験という面もあるしのう。……で、やはり子供は出来んのか?」「……出来ないね。あと、ヴァルトリに調べてもらった結果だが、そちらも良くはない」 やはり、という諦め半分。 ダメだったか、という失望半分。 もう一度、場に溜息が満ちる。「……やはり、そうか。詳しく聞こう。ヴァルトリが話すのか?」「いや、アイツは疲れて、ぼくの影で眠っているよ。『ウボ=サスラの石盤』まで辿り着くのに、相当無理をしたらしい」「そうか、族長(ヴリミル)にも弟君(ヴァルトリ)にも、苦労をかけるな……、済まない」 ブリミルを労う老人たちに、彼は人好きのする笑みを浮かべて語りかける。「何言ってるんだよ! ぼくは、いやぼくたち兄弟は、その為に創られて(・・・・)、生まれてきたんだろう? ――――マギ族のためにさ」「あ、ああその通りだ。お前たち兄弟は、我々が秘術の限りを尽くして、降誕させたのだ。我が一族の生存と繁栄のために――」「なら、生まれさせてくれたことに感謝こそすれ、恨みなんてしないさ。ぼくらだって、一族のみんなの役に立つのは嬉しいからね。ましてや、マギ族の、今後万年に至る発展の礎を造ろうってんだ、光栄なことだよ」 唐突だが、ブリミル・ヴァルトリは、人造人間である!! 来歴としては、むしろ神造人間(神を模造した人間)と言ったほうが正確であるが。 彼ら兄弟はマギ族の期待を一身に背負う、スーパーエリートなのだ。 気を取り直して、ブリミルが話し始める。「ウボ=サスラの石盤……全生命の始まりさえ記したとされる、神々全ての智慧を収めた銘板。 この世界のそれに、ぼくたちマギ族のことは書かれていなかった。当然だね、この世界と、ぼくたちの一族は来歴を異にするのだから。 ……記述の有無が直接の原因というわけではないにせよ、マギ族がこの世界に受け入れられることは、ありえない。異物なのだから。 不妊や衰弱は、世界そのものへの不適合のせいだね」「やはりそうか……」「ま、それは移住前から予想されてた点だし。ある意味想定の範囲内だね。 で、対処法も、以前から考えていた通りだね。 ――――世界を、書き換える」「それしかないだろう」「そのための魔法も、ルーンも、既に開発済み」「確か名前は――」 ――――虚無魔法『生命(リーヴ)』と、絶命と綴命の使い魔『リーヴスラシル』。「『生命』と『リーヴスラシル』の準備は出来た。 星辰が揃う時も近い。……実際には儀式場ごと浮かせて運んで、引力的に正しい位置に微調整しなくてはならないけれどね。 それに、鍵となるリーヴスラシルも、サーシャにさっき刻んできた。……彼女を利用するのは心苦しいけどね。エルフだって、今生きてる彼らのうち半数以上が消えてなくなるだろうし」「それでも、それでも我々は生き残りたいのだ。エルフを殺しつくしても、我らは我らの生存のために。 大虐殺の汚名を着ようとも、一族全てを生かすためにならば、我らは他の一族を全てを殺し尽くすことも厭わない。生存競争だ。 ……とはいえ、お前たちに押しつけてしまうのだがな」「ミョズニトニルンのルミルも、ヴィンダールヴのユルも、ヴィリもヴェーも、ヴァルトリも、勿論ぼくだって、覚悟は決まっている。 それに、汚名は全て、リーヴスラシルのルーンが背負うことになるさ、その為に創ったルーンだ。すべての禁忌を背負って呑み込む生贄たるルーンなのだからね」「ああ本当に、本当に、お前たちには苦労をかける。もし、生命の贖いが足りねば、遠慮せずに我ら老いぼれの生命を磨り潰すのじゃよ?」「勿論! ……では、ルミル婆のところの蜂蜜酒で乾杯といこうじゃないか! ――――マギ族万年の繁栄に……」「マギ族万年の繁栄に、そして死地へ向かう我らの英雄に……」「「乾杯!!!」」◆◇◆ 再び上空。不可視化しているルイズとサイトと、肉人形。 天幕の中の様子は、サイトの腕から切り離されたエキドナが、独立偵察ユニットとしてガンダールヴのルーンの支援のもと最大スペックで忍び寄ってライヴ中継している。「悪だくみしてるわねー」「だなー。恩を仇で返すどころじゃない話だよなー」「この後、エルフの伝承で言う、『大災厄』が始まるのかしらね」 マギ族は極めて利己的に、エルフの生命を磨り潰そうとしている。 新天地で温かく……は無いが、それほど冷たくもなく……いや、『蛮人め』という侮蔑と共に接して、用地を提供してくれた(用地のみを提供してしかもきっちり法外な使用対価を取った)エルフに対して、その仕打ちはあんまり……でもないのか? いや根本的な問題として、知性持つ異種族同士が融和することがありえない。自分たちが生き残るために、生存競争相手を燃料にすることは、本来何ら責められるべき行為ではないのかも知れない。「で、あっちもなんか受信し始めたっぽいぞ?」「……み、み、あ、ああああああああああああああああああああ――――?」 肉人形がみしみしと軋みを上げ、醜いカリカチュアのような、あるいは出来損ないの胎児のような姿から、少しずつ洗練された人間らしい姿に変わっていく。 それは、今ルイズたちの眼下の天幕の中で、ウボ=サスラの銘板について語り、世界を変えるという大それた計画について語っている、あの男――――ブリミル某に、どこか似ていた。「あああああ、い、あいあいいいいい、み、あああああああ――――? み、右手。右手の少女、額の女」「鎌鼬の中心、天雷の投げ手、寂しく優しい風の少女。 心優しき風の妖精、ヴィンダールヴのユル。 力強いゆえ、誰も近づけず。 我れは力の扱いを伝え、ルーンを与える。 与えるは『他種族支配』の苛烈なルーン。 しかして彼女が扱う限り、獣と心を通わせる、優しき能力(ちから)。 風が伝える全てを聞き取り、天すら操る風の娘、我らを運ぶは地海空」「智慧の遣い、蜜酒の守り、長く生きしゆえの年の功。 一族まとめるご意見番にして金庫番、蜜酒を守るミョズニトニルンのルミル。 水に長けしその才で、医術薬学、一手に引き受ける。 揺り籠から墓場まで、一族見守る皆の母。 我れが贈りしルーンは『魔導具支配』。 祖先が造って遺した魔導具の、その全てを統べて保全する。 溜め込みし智慧にて助言を呈す、一族の母として助言を呈す」「――――あ、ああああ、あああああああ、いあああああああああああ、あいああ、あああああああ――――」 ガンダールヴについて吟じた時と同じように、ヴィンダールヴとミョズニトニルンについて吟じると、白痴のように口から雑音を吐き出すだけに戻ってしまう。「終わったっぽいな。今回は、ヴィンダールヴとミョズニトニルンについてか」「ヴィンダールヴは、強力な風使い……お母さまみたいな感じかしら?」「かもな。カリーヌさんも、天候くらい操れるし。ヒューマノイド・タイフーンだもんな」 でも、ヴィンダールヴ・ユルは、『心優しき風の娘』と呼ばれているのだから、カリーヌみたいに勇猛果敢というわけではないのだろう、多分。「というかむしろ、ミョズニトニルンの話のほうがビックリなんだけど。一族全てを『揺り籠から墓場まで見守る』産婆兼医者兼薬師でしょ? 何歳なのよ、一体……」「さあ? 百歳どころか二百歳、三百歳でも不思議じゃないけどさ……」「幾ら熟達の水使いでも、そんだけ長生きはできないと思うけど……、しかも閉経せずに。古代のメイジだからかしら? 血が薄まっていないから、昔のメイジは強力だった? ――――あ、でも姫さまなら何とかやってのけそう。あああああ、やばい、ホントに水魔法でそのくらい長生きしそう、姫さまならリアルにイメージできる!?」 ルミル婆の顔が、ちょうどアンリエッタを白髪にして少し老けさせたみたいな感じだから、尚更そう思えてならない。 水魔法による高度な体内操作で不老長寿となり、永劫君臨する魅了女王アンリエッタⅠ世……なにそれこわい。 先日ルイズたちは、アンリエッタの夢の中を窃視したが、その時の有様は酷いものであった。アンリエッタ女王の精神は、既に人間の枠を超えている。ひょっとすれば、ルイズにも迫らんばかりの魂の位階に達しているようだった。シャンリットあたりの外法で改造されたか、それとも自力で高みに登ったのか。「うわあ、あり得るわ……」「伴侶たるウェールズ殿下への深遠なる愛と、君臨するトリステインへの無限の郷土愛が、彼女をもってして、ヒトの枠を超えさせたのだ――って感じか、姫さまパネェ」 アンリエッタを高みに導いたのが愛ならば、ルイズ・フランソワーズを亜神のごとき高みに導いたのは、渇望と憤怒であった。 力への渇望――なぜ自分は力(まほう)が使えないのか、魔法魔法魔法ッ、あの力が欲しい!! あれさえあれば、いやアレ(魔法)があってこそ初めて、私は私に成れるのにッ!! 理不尽への憤怒――圧倒的な力で運命を弄ぶ人外たちへの怒り、許しては置けないというヒト種としての本能、神殺しの本能と宿業。人間嘗めるな邪神共。 渇望と憤怒を燃料に、ルイズ・フランソワーズは人外に至り、そんな自分すら肯定して、対邪神の杖となることを決めたのだ。 そして彼女は、誰もが覚えていない、誰も知らない、この世界の『本当のこと』にとうとう手を掛けている。 そして、知識は力だ。認識の飛躍は、即ち魂の進化だ。世の理を解することは、世界を支配することと同義だ。 彼女はこの時間旅行の後に、今までとは比べ用もない力を――世界を左右する力を手に入れられるに違いない。 再び『記録』の光景が巡り移り始める――。◆◇◆ 運命の日。 星辰が正しい位置に至り、ブリミルはそれを――サーシャに刻んだリーヴスラシルのルーンを発動させる。 『同族支配』の禁忌のルーン。 同族殺し。 大量虐殺。 生贄の血。 阿鼻叫喚。 世界歪曲。 天上階梯。 葛藤を押し込め、彼はルーンを発動させる。「早く、早く来るんだ、サーシャ。ぼくは君を待っている、恋焦がれて待っている、救いたくて待っている、救われたくて待っている、殺して欲しくて待っている――待っているから、早く来いよ、ぼくのガンダールヴ……」 人気のなくなった街を、サーシャは走っていた。 彼女が足を踏み出す度に、彼女の脚力に耐えかねて、地面が陥没しヒビが入る。 周囲の親しい人間が倒れ伏す度に、彼女が纏う力は上がっていった。 なにか良くないことが起ころうとしている。 不穏、不吉、不安。 サーシャは鳥肌が立つのを押さえられない。 父母が倒れ、叔父叔母も倒れ、甥や姪、兄弟姉妹が倒れ、しかしサーシャのみは無事で。 しかも、皆が倒れる度に、自分には活力が満ちるのだ。 いくら彼女でも、この異変の原因が自分にあることは明らかだと気づく。 身に宿る力が増す度に、胸のルーンが輝きを増すとなれば、それは尚更だ。「ブリミルッ……!! これは、これは一体何なのか、説明してもらうわよ――!!」 手に馴染んだ大剣を持ち、ガンダールヴにしてリーヴスラシルは、無人の街をひた走る。 ルーンの導きに従って、主人の元へと、ヴェイパートレイルさえ出して雲を引き、最高速でひた走る。 終わりの予感を押し殺して、彼女は走る。 そして彼女は辿り着き、愛した男の胸に大剣を突き立てる。 しかしそれは、決して終わりではなく、終わりの始まりでもなく、始まりの終わりでしか無かった。◆◇◆「ガンダールヴ、ヴィンダールヴ、ミョズニトニルンが、それぞれ初代の使い魔の容貌だとか役職に基づいたあだ名であるのに対して、リーヴスラシルは違うわ」「まあ、それも当然だろ? リーヴスラシルとガンダールヴは、同一人物なんだからよ。同じ方式で名付けたら、リーヴスラシルもガンダールヴ(魔法の妖精)になっちまう」「そうね。そして、リーヴスラシルが他のルーンと違うところはまだ幾つもある。その内の一つが、リーヴスラシルが、明らかに狙って創られたルーンということよ」 虚無魔法『生命(リーヴ)』と、リーヴスラシル(生命を叫ぶもの)。 叫びを上げることは、存在を示すこと、つまり存続し紡ぐこと。 綴命のルーン、リーヴスラシル。 『リーヴとリーヴスラシル』というのは、サイトの世界では、北欧神話においてラグナロクの後に生まれる人類の始祖である男女を指し示す言葉だ。 北欧神話のノアと言い換えていいだろう。大破壊のあとに、人の世を築く『始まりの人間』だ。 虚無魔法『生命(リーヴ)』と、神の心臓リーヴスラシルは、最初から二つ一セットで運用することを想定されているとしか思えない。「あのルーンは、他のルーンと違い、よく設計されているわ。おそらく、ガンダールヴやヴィンダールヴ、ミョズニトニルンを試作することで得た経験を元に創った、本命のルーンなんでしょうね」「つまり、リーヴスラシルを創るためだけに、他の三つのルーンは刻まれた?」「そういうことだと思うわ。逆に言えば、ガンダールヴを刻んだ瞬間から、リーヴスラシルが創られることは確定していた。ブリミルの計画というよりは、あの『神の本』たるミョズニトニルン・ルミルの策略でしょうね」 いかなる偶然からか、ハルケギニアのエルフ・サーシャが召喚された時点から、この結末は決まっていたのだろう。 サーシャの縁をたどってハルケギニアに移住した際に、おそらく世界法則規模での障害が発生することも、考慮されていた。 あるいは、サーシャの召喚すら、偶然ではなく、狙って成されたものなのかも知れない。マギ族に友好的になりうる異界の水先案内人を、狙って召喚したのかも知れない。「ルミル、ね。……あの婆さんにとって、一族全てはまさに自らの子供。子供を守るためになら、母親は何でもやるって訳だ」「そう、でしょうね」 子を想う母、ということで、ルイズは幼き日にシャンリットに自分を取り返しに攻め寄せた『烈風』カリンの勇姿を思い起こす。 母の愛は尊く慈悲深い。しかし、それは苛烈で残酷で、障害の一切を薙ぎ倒す。たとえそれが何であろうとも、たとえそれが誰であろうとも、たとえそれが神であろうとも。 ミョズニトニルン・ルミルが立てたであろう計画、ハルケギニアをマギ族のために塗り潰すという神にも等しい計画は、ただただ愛ゆえに考えられ、そして愛ゆえに実行されるのだろう。「グレートマザーって奴だな。全てを包み込む慈愛と全てを呑み込む残酷さは、表裏一体の同じものだ。これだから女は怖い」「ブリミルがサーシャを待ち構える土地が、豊穣の黒山羊女神――大地母神の神殿の近くってのも、暗示的ねえ。グレートマザーは、大地母神と同意義なんだから」「それにしても、なんでわざわざハルケギニアなんだろうな? 同じようなことは、マギ族が元居たイグジスタンセアでも出来るだろうに。世界をマギ族に都合が良いように塗り替える大魔法は、それこそハルケギニアじゃなく、イグジスタンセアでやるべきだろうよ」 わざわざ故郷を離れて侵略しなくとも、とサイトは疑問に思う。「まあ、イグジスタンセアではマナ不足で発動できないとか、星の並びが悪いとか、始原の銘板に種族の来歴が記されていてはそれ以上の改変ができないから異世界でしか発動できないとか、幾つかの条件があるんじゃないの?」「そうだな。ああ、例えば、外敵の存在と迫害の歴史がトラウマになっていて、魔法の成功を妨げるとか、ありそうだな」 魔法は精神の産物。 虐げられた記憶そのものが、下克上のための魔法を阻害する。 いわゆる『か、勝てるイメージが沸かねえ……ッ!』状態である。民族的にそんな迫害の歴史(トラウマ)がある場合、おそらく自分たちの一族を支配者にするような魔法は、まともに発動しないだろう。「だから、異世界に――――真っ更なキャンバスに移って来る必要があったのかしらね?」「そうなんじゃないか? そもそも、ハルケギニアのエルフを召喚したのだって、最初からハルケギニアに狙いを絞っていたから、かも知れねー」「ああ、確かに。今も残る『サモン・サーヴァント』は、世界を超えてまでメイジの運命の使い魔を見つけられる――――ならば、それに組み込まれた探査魔法を以ってすれば、望む条件に合致する世界を、正しい星辰にある惑星を、生贄たる高等生物が満ちた土地を見つけることも、造作も無いでしょうね」 最初からマギ族は、ハルケギニアを侵略するつもりだったのかも知れない。 今までマギ族を迫害した天敵も居らず。 迫害の歴史も染み付いておらず。 星の並びが都合良く。 マナに満ち溢れ。 生け贄に使える、魔法に長けた生物(エルフ)にも事欠かない。 考えれば考えるほどに、まるで誂えたような舞台である。 なかなかあるような惑星ではない。 だが、無限に存在する星々の中には、この様な都合のよい条件を満たす惑星も、確かに存在するだろう。 いくら低い確率でも、無限の試行回数と可能性の前には、いつか実現されるに決まってるのだ。 そのありえないくらい低い確率で適合するはずの条件に適合した、都合の良い世界というのが、たまたまハルケギニアだったというだけである。「エルフの『大災厄』の原因は、『運が悪かった』ってことなんでしょうね」「身も蓋もねえし、救いもねえな……」「世界はそんなもんよ。でもまあ、そんな『運が悪かった』というだけで襲い掛かる理不尽に抵抗して対抗して反抗するために、私たちは力を蓄えるのだけれどね」 世界はこんな筈じゃなかったことばっかりだ。 とはいえ、それに甘んじるのは、人間ではない。 人間はいつだって抗ってきた。運命を受け入れず、神に抗うのは、人間の特権だ。 そしてそれこそが、人間を人間たらしめている最大の要素だとルイズ・フランソワーズは信じている。「ん? あ、肉人形の方も、なんか受信したらしい」「いぎぎぎ、ひぎぎいいしいしいじあいあめいおだじゃいえなしじふおえじゃあああああ――――」 再び、ブリミルレプリカの肉人形が、変形を始める。 先程よりも、より完全な人の姿へと。 ビキビキと音を立てて変形していく。 そして、もはやそれは、生気の宿らぬ茫洋とした瞳以外は、ブリミルと瓜二つとなった。「――――神の心臓、リーヴスラシル。 あらゆる禁忌を受けとめる、呪いのルーン。 同族殺し、大量虐殺、主人殺し。 伴侶殺しに、世界崩しと、親殺し。 臣下も殺し、半身も殺す。 神さえ殺し、法則を変え、最後の果てには自裁する……。 大逆担う、罪のルーンは、リーヴスラシル。 旧世界の生命に断末魔(さけび)を上げさせるもの。 新世界の生命に産声(さけび)を上げさせるもの。 全ての罪は、我れのもの。 全ての業は、我れのもの。 世界に罅入れ、罅広げ、隙間を我らの血で埋めて、法則捩じって、神さえも、生贄に捧げ焼き固む。 全ての罪は、我れのもの。 全ての業は、我れのもの。 子孫永劫の栄のために。 我らは今一時の悪名を。 流された血に報いるために、永久(とわ)万年の繁栄を。 全ての誉は、皆のもの。 全ての栄は、皆のもの――――」◆◇◆ ブリミルに肩を押され、サーシャは大剣から手を離してよろよろと後退り、最後には尻餅をついてしまう。「な、何を言っているの? ブリミル、『終わりじゃない』って――――」「言葉の通りだよ、サーシャ。本番はこれからだ。 エルフの生命を燃やして広げた世界の罅に、新しい法則を塗り込めないといけないんだ。 それにしても、心臓を貫かれたら死ねると思ったんだけど、そうでもないみたいだね。自分で作っておいて何だが、『同族支配』のリーヴスラシルは、宿主の生命すら完全に支配するんだね」 狼狽えるサーシャとは対称的に、ブリミルの顔は涼しいものだ。 悟りきっていると言い換えても良い。 いや、もはや諦めているのか。 彼は道具。 彼も道具。 マギ族のために造られた、マギ族を救うためだけの存在。 彼女は道具。 彼女も道具。 マギ族を導くためだけに呼び寄せられた、哀れな女。「それじゃあ始めよう。破壊と創成による救世を。ヴァルトリ、皆を――」 ブリミルのつぶやきと共に、彼の影の中から、四人の人影が現れる。 それは全て、サーシャも見知った者だった。「ルミル、ユル、ヴィリ、ヴェー……、お前たちも、これを知っていたの!? 何をするつもり!?」「「……」」 彼らは黙して答えない。 彼らは、マギ族でも最も系統魔法に長けた四人である。 水のルミル。 風のユル。 土のヴィリ。 火のヴェー。 そして彼女らを統べる、虚無のブリミル・ヴァルトリ。「それじゃあ、先ずは舞台設営から始めようか」「……」 ブリミルは杖を振るう。「大地よ持ち上がれ『レビテーション』」 ――一振りは雨の起源に響かせて―― ブリミルの一振りと共に、周辺の大地が鳴動する。 見渡すかぎり一面の地面が揺れ、そして、徐々に持ち上がる。 後の世でアルビオン大陸と呼ばれる岩塊である。 数分掛けて数百メートル持ち上がったその岩塊の下には、岩塊から引き抜くようにして残された奇妙な形の巨大な円環列柱が何本もそそり立っている。 そして円環列柱が引きぬかれた跡は、宙に浮く巨大な岩塊に、洞穴として穿たれている。「地脈エネルギー送信用の円環列柱――列石は準備完了。魔力を満たす溶媒として、列石を水に沈める。 水よ降れ、魔力を受ける杯となれ『ウォーター・フォール』」 ――二振りで海の怒りを学ぶ―― 二振りめの魔法で、大地が引きぬかれた広大な窪地に、ブリミルが魔法で集めた水が満ちる。 水は生命の源、魔力の溶媒、全てを溶かすもの。 龍脈から沸き上がる魔力が円環列柱で増幅され、即席の海に蓄積される。それを受けて、水面が荒れ狂い、不可思議な虹色に輝きはじめる。「さて、送信用の装置は完成したし、あとはこの岩塊を、正しい位置にまで移すだけだ。時間が無いから、ショートカットしようか。――『世界扉(ワールド・ドア)』!」「そんな、瞬時に――!?」 ――三度の恵みでこの世に間借りして―― 岩塊の真下に広がる即席海の輝きが薄れ、ブリミルへと魔力が流れる。 そして発現したのは、数百キロメイル半径もある巨大な虚無の『ゲート』だ。 それが、巨大な岩塊全てを呑み込む。 そして瞬時に、巨大岩塊を、星辰的に、引力的に、魔術的に、最も正しい位置へと転移させられる。 それは予想通り、六千年後のアルビオンがあった位置である。 三年間を過ごした、間借りの大地は遂に、地海空の恵みを受けて浮き上がり、終局的な配置に固定される。「位置は整った。 準備は整った。 じゃあ、始めよう。 世界を変えよう。 ぼくたちの望むとおりに」「ええ、始めましょう」「マギ族の未来の為に」「私たちの子供たちのために」「覚悟はできてるよ、ブリミル」 ブリミルが腕を振り上げるのに合わせて、彼に付き従っていた四人のマギ族は瞑目し、頷く。 水のルミル。風のウル。土のヴィリ。火のヴェー。 全員を見渡し、ブリミルも頷きを返す。 サーシャは、完全に腰が抜けた様子で、呆然と彼らを見ている。 無理もない、先程ブリミルが見せた魔力のうねりは、エルフ全ての力を統べていたリーヴスラシルであった時のサーシャすら遥かに凌駕していた。 世界に満ちる精霊に祈請する以上、エルフの魔法は、世界の枠を超えることはない。 だが、マギ族の魔法は違う。 個人の魂からの力を用いるそれは、平均的な出力ではエルフに劣るものの、最高峰の実力者ならば、その威力は世界の枠など超越する。 世界(たにん)の力に頼って、何が魔法か。魔法とは、自らの魂を燃やすものなのだ。「じゃあ送信機はできてるから、受信機を造らないとね――人工龍脈形成『アース・メイク』」 ブリミルが足を踏み鳴らすと、そこを起点にして、岩塊に光のラインが走る。 岩塊全体が、脈動する。大陸規模の土魔法が、巨大岩塊を魔法構造体に作り変える。 ブリミル達がいる場所も、五芒星に――いや、旧神の印(エルダーサイン)によって囲まれる。 サハラの龍脈を束ねる円環列柱から転送される魔力が、岩塊の人工龍脈で受け止められる。「じゃ、いよいよ始めよう、虚無魔法『生命(リーヴ)』を。 世界の罅を埋めよう、ぼくたちの魂で。 『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる――』」 ブリミルの言葉に、サーシャが肩を震わせる。 数万のエルフの生命を奪った(捧げさせた)強制真言。 だが、今は、サーシャの胸に、リーヴスラシルは無い。 リーヴスラシルが輝くのは、ブリミルの胸だ。 そして、リーヴスラシルの権能は、『同族支配』。 ブリミルの同族は、この世界には、僅かしか居ない。「『ルミルの魂を捧げ、水の理とせよ』」 ブリミルを見守るように立っていた四人のマギ族のうち、白髪の女が、光りに包まれる。 サーシャはそれを呆然と見ている。「ブリミル、あんたにゃ酷な役割を押し付けるねぇ。……んじゃ、先に逝ってるよ」「ああ、ぼくも直ぐに行くよ――――母さん……」「――――ふふっ、未だ私を母と呼んでくれるのかい。じゃあね、愛しい子……」 ざぁ、とルミルは、光となって消える。 慈母にして鬼母たる女は、世界に溶けた。 そして、不安定だった世界に、多少の安定が戻る。 世界の間隙に、系統魔法の水の理が、書き加えられたのだ。「……おい、ブリミル、いま、なにをした?」 サーシャが顔面蒼白で、ブリミルを問い質す。「何をしたんだ、ブリミル? ルミルは、あの女は、何処へ行った――?」「――何処でもない場所へ。世界の礎となりに逝ったよ、ぼくの伴侶にして母たるルミルは」「母? 殺したのか? お前は、彼女を愛していたじゃないか?!」「彼女はぼくの愛する母で妻だよ、正真正銘ね。神の子(ブリミル・ヴァルトリ)を孕んで産めたのは、水のエキスパートたるルミル母さんしか居なかったんだ。そして、愛する故に、生贄に捧げた。当然だろう? ぼくらの犠牲で、未来のマギ族は救われるんだから。ルミルもそれを望んでいた」 古代――神話の時代ではよくあることではあるが、ルミルとブリミルは母子であり、かつ夫婦であった。 人造人間たるブリミル・ヴァルトリの誕生には、細心の注意が必要であり、母体としてはルミル以上の適任が居なかった。 そしてまた、水に長けた系統を残すために、ブリミルとルミルが交わるのも、仕方のない自然な流れであったのだ。 そして、今、ルミルは世界に溶けて消えた。 リーヴスラシルの『同族支配』によって、系統魔法の水を司る世界の理として捧げられた。 エルフの生命を燃やして造られた、世界の罅に、ルミルだったものが補填される。 歪な形のまま、世界が軋んで固められる。「『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる――』」「まさか――」 この場には、水のルミルの他には、風のユル、土のヴィリ、火のヴェー……四元を司る使い手たちが揃っていた。 ブリミルは、世界の罅を補填し、新たな理を敷くと言った。 ルミルが捧げられ、水の理になった。つまり――「『ユルの魂を捧げ、風の理とせよ』」「――さよならブリミル。……まってるから、はやくきてね?」 風が吹く。 金髪の心優しき娘が、風に解ける。 儚い声が、いつまでも空洞に残響しているようだった。 そして、また世界が軋みを上げる。 おそらくハルケギニアの何処かでは、新しい法則に触れて、狂れて(ふれて)しまって、その形を保てないものも出るだろう。 歪んだ生命が生まれているだろう、歪んだ法則に従って。 実際、以後のハルケギニアで散見される、ゴブリンやオークといった邪悪な亜人たちは、この虚無魔法『生命(リーヴ)』の発動以後に、エルフや現住の人間たちから変異して生まれるのだ。「『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる――ヴィリの魂を捧げ、土の理とせよ』」「ん。じゃ逝ってくるね、ブリミル! それと、ユルの力は強すぎるから、どうにか抑えるように念じてみるよー! ……じゃ、またね?」「苦労をかけるな、ヴィリ……。ありがとう」 パンっと、蒼い髪の元気な少女が、弾けるように消える。 いつもその便利な土の魔法を使って皆のフォローをしていた彼女は、その世話焼きな性格の通りに、皆の役に立つ理となるだろう。 そして、また、世界は元の姿から歪んだ。 歪んだ法則に耐えられず、また世界中で異形が生まれるだろう。 (ちなみに、この時の『風の余分な力を土が封じる』という概念によって、余剰の大気循環が、風石の形で大地の下に結晶することになるのだが……完全に余談である。)「じゃあ最後は私の番ですね、義兄上殿」「ああ――『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる――ヴェーの魂を捧げ、火の理とせよ』」「では義兄上殿、お待ちしております」 ――四方を魔法の支援で囲む―― 蒼髪の美丈夫ヴェーが、劫火に包まれて消え去る。 四元素の理の、最後の一つが、世界に組み込まれる。四方八方全てに、マギ族の系統魔法の力が満ちる。 そして火の理は、世界の罅割れに補填された異物を焼結し、世界の復元力を妨害する。 虚無魔法『生命(リーヴ)』とは―― 使い魔リーヴスラシルの力を以って―― 現住種族の生命を消費して、世界を揺るがし―― マギ族の精鋭の生命で持って、新たな法則を塗り込め―― 移住先の世界環境を、マギ族が生きるのに適した形へと改変する―― ――時空と魂を扱う虚無系統の最高峰の魔法である。「じゃあ、仕上げと行こうか。 このままじゃ、折角改変した世界が、元に戻ってしまう。 アレだけの犠牲を出した大魔法だったのに、そんな事をさせる訳にはいかないよね」 世界にも当然、慣性というか、復元力がある。 放っておけば、如何な大魔法による改変とはいえ、数年の内に効力が失効するであろう。 世界を変えるというのは、それほどの難事なのだ。 世界を変えるために、数万のエルフと、数人のマギ族の犠牲では、全く足りない。 この虚無魔法『生命(リーヴ)』の結果を維持するためには、神すら生贄に捧げねば足りるまい。 ――逆に言えば、神を生贄に捧げれば、虚無魔法『生命』は完成する。 そしてブリミル・ヴァルトリは、神を模して造られた、半神の人造人間である。 故に――「最後の最期に、ぼくらの命を捧げて、世界を留める鎹(かすがい)にしよう。――なあ、ヴァルトリ」「■■■■■■、■■■■■■■■■――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(勿論だ兄さん、愛しい家族のために――この身に流れる虚無の邪神の血を捧げよう)」 ブリミルの影から、幾本もの触手が伸び上がる。 そして、這い上がるように、這い寄るように、悍ましい異形が影から滑り出る。「ひっ」 生理的嫌悪を覚えて、サーシャが後ずさる。 サーシャは、もう全く事態の展開についていけていなかった――というか、世界の歪みの中心地に居るせいで、まともな思考が出来る状態ではないのだ。 しかし、それでも、本能というか生物の根幹に、魂に訴えかける邪悪さを前にしては、逃げざるを得ない。 それを見て、ブリミルは悲しそうな顔をする。 自分の双子の兄弟である異形のヴァルトリを否定されて、兄たるブリミルは悲しく思う。 ブリミルとヴァルトリは、ほとんど同じものだ。 違うのは、その姿形のみ。 ほんの数分、母であるルミルの胎からまろび出る時間がずれただけ。 それだけの違いで、星辰は決定的にずれ、危ういバランスで形作られていたヒトと邪神ヨグ=ソトースとの合いの子のバランスは崩れてしまった。 あるいは、ブリミルと呼ばれていたのはヴァルトリだったかも知れず、ヴァルトリはブリミルだったかも知れないのだ。 ――結局世の中顔か。 いや、既に世界に溶けた彼女たちは、ヴァルトリとも交わってくれた。 虚無の兄弟に、分け隔てない愛情を注いでくれた。 ルミル以外は、最初は驚いたが、すぐに分かってくれた。 サーシャも、時間があればあるいは、ヴァルトリのことを愛してくれたかも知れない。 でも、もはや事ここにいたっては、どうしようもない。 事情を説明する時間も、理解してもらう時間も、そんな余裕はない。 虚無魔法『生命』を行使するにあたって、絶好の星辰は、あと数分も持たない。 早く自分と同じ血を持つ弟と、自らの命を世界に捧げ、四界に満ちた新たな魔法の法則を確定させなければならない。「さて。 じゃあね、サーシャ――愛してたよ。本当に、こればかりは嘘じゃなく。 『ブリミルがリーヴスラシルに命ずる――ブリミル・ヴァルトリの魂を捧げ、虚無の理と為し、マギ族のための四界の法を確定せしめよ』」「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(さらばだ、サーシャ、魔法の妖精。あなたは私を知らないが、私はあなたを知っている) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(いつか語り合える日がくればよかったのだが、運命は既にタロットを混ぜた、賽は既に投げられた) ■■■■■■■■■■■■■■■(まあ、私もブリミルも、単に世界に溶けるだけゆえ、離れ離れになるわけでもないがな) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(聖別されたこの岩塊をティファレトと見立て、中庸の柱を通り、神の位階たる遥か彼方のセフィラであるケテルへと至る) ■■■■■■■■(私たちは、肉体を捨てて概念に至るのだ)」 カッ、と目を焼くような光が満ちる。 どこかで巨大な歯車が噛み合ったかのような、腹に響くような感覚が、空間を揺るがす。 その、世界が歪みきってしまった違和感がサーシャを襲い、彼女は思わず蹲る。 そうして、ブリミルもヴァルトリも、完全に消滅する。 虚空と魂を司る半神たる彼ら兄弟は、世界を覆う概念となるべく、ブリミル自らに刻まれたルーンの作用によって解けて消えた。 その瞬間、ハルケギニアの法則改変は、完全に固定された。「ぶ、ブリ、ミル……? おい、なあ、ブリミル、何処に行ったんだよぅ、ぶりみるぅぅぅううう……」 サーシャが、その場にただひとつ残された大剣へと、這うようにしてにじり寄る。 ブリミルは、もう居ない。 彼女が、彼を殺したから。 いや、彼は彼女に彼自身を殺させたのだが。 そして、彼の最期は、自殺であった。 しかし、彼女は、それを止められなかった。 確かに彼女は、彼を討つしか無かった。 でも、だけど、しかし、根が純粋で善良な彼女は、もっと別な方法があったのでは? と、そう考えてしまう。「ブリミル、ブリミル、ブリミル――。独りにしないでよぉ、私が悪かったからぁ――」 実は、サーシャのブリミルへの依存度合いは相当酷い。 異世界に召喚されて頼れる人間がブリミルだけで、使い魔のルーンによる恋慕増進があるので仕方が無いといえば仕方ないのだが。 大剣を抱きかかえて、彼女はわんわんと泣き叫ぶ。 彼女とて、ブリミルを殺したくなんて無かったのだ。 だが、そうするしかなくなっていた。 運命によって出会った彼と彼女の結末は、最初から運命付けられていた。「ああああああああ、ああああああああああああああああああ――――!!!」 長く長く、永訣の慟哭が響き続けた。=================================ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ。ブリミル一人の名前ではなく、何人もの生贄の名前を吸収したという想像です。連ねる名が増えたのは、虚無魔法『生命』に関わった全員の名前を後世に留めるため、ということで。では、次回もお付き合い下さいまし。2012.02.17 初投稿2012.03.24 誤字修正2012.05.05 誤字修正