「最後の使い魔リーヴスラシルの能力は『同族支配』、か。なるほど、今までシャンリットでも能力不明とされるわけだわ」「どういうことだ、ルイズ?」 ルイズは納得しているが、サイトはいまいち分からないようだ。「……今のハルケギニアでリーヴスラシルが刻まれているのは、あの一代一種の半機械半生物の化物――千年教師長ウード・ド・シャンリットなのよ」「ああ! なるほど、確かにそうだ、それじゃあリーヴスラシルの能力なんか分かるはずがねぇな」「そう、あの人外の蜘蛛には、同種といえるものは存在しないわ。支配能力があっても支配対象が居なければ、そんなのは宝の持ち腐れ」 ここは六千年前からの時間旅行の帰り道。 言い伝えの針、進めて戻して。 時逆・時順。サイトとルイズは、虚無の『記録』によって得た知識を整理しながら、元の幻夢郷(ドリームランド)の地下瞑想室へと戻るところだ。「でも一方で、千年教師長がリーヴスラシルを発現させたのも、納得できるわ」「六千年前にリーヴスラシルの苗床としてエルフを選んだのは、エルフが当時のハルケギニアで最も世界の理に詳しかったから、だったな」「そして今のハルケギニアで、最も世界の真理に近く、力を持った存在は、まあ間違いなくあの蜘蛛野郎って訳。……癪だけど」 ウード・ド・シャンリット一人で、六千年前のエルフ数万人に匹敵すると、使い魔のルーンを刻む“虚無の理”からは見做されているのだ。 しかもウードが精通して熟知している世界は、ハルケギニアだけではない。宇宙の他の惑星や、幻夢郷にも影響力を持っている。 もし虚無魔法『生命(リーヴ)』を発現させようと思ったら、確かに今現在、ウード以上の生贄は居ないのだろう。世界を跨いで存在する巨大な一個体、それがウードだ。「まあ、あの蜘蛛野郎がリーヴスラシルであっても、アイツ本人には全く意味はないわね」「同族が居ないから、能力値収奪による自己強化は出来ない。まあ、無茶なバランスで存在している肉体(ハード)に、魂(ソフト)を繋ぎ留めるくらいの作用は有りそうだけどな。リーヴスラシルの同族支配の効能は、リーヴスラシル自身にも及ぶから」「でもその程度なら全く脅威にはならないわ。それにルーンの制御権を持ってるグレゴリオ・レプリカは、アイツの支配下にあるから、そもそもルーンが発動する事自体がないだろうし」 虚無魔法『生命(リーヴ)』と神の心臓リーヴスラシル。 リーヴスラシルがシャンリットにある限り、死にスキルも良いところだ。真価を発揮することはないだろう。 だがそれを望まない者たちも居る。「ロマリアの計画も大体見えてきたわね。『箱舟計画』――六千年前のことを繰り返すつもりなのね、別の惑星で」「大脱出(エクソダス)と侵略、か。まあ実際間違っちゃ無いよな。宇宙的な邪神との戦いの果てに、ハルケギニアが最後まで残ってるかは、分からねえんだから」「保険としては妥当よね。少数の選ばれし民を連れて別世界に脱出し、そこの現住種族をリーヴスラシルにして生贄にする。その後、虚無の候補だとかの力が強いハルケギニア人を捧げて、世界法則を自分たちに都合が良いように改変し、理を確定させるってわけね」 ロマリアが進める『箱舟計画』。六千年前の始祖の偉業の焼き直しだ。 その実現のために、教皇ヴィットーリオたちは闇の中で蠕動している。 各地の密偵たちは、力が強い者のスカウトに余念がないし、その一環としてジュリオはアルビオンに潜入してティファニアとシャルロット=カミーユの二人の虚無候補を狙っている。「ハルケギニアは、ブリミル――いえマギ族が作り上げた巨大な箱庭ってわけね。まあ、庭を大体作り上げた時点でブリミルの命数は尽きたわけだけど」 マギ族という庭師たち。そしてそれを統べる王ブリミル。 一振りは雨の起源に響かせて、二振りで海の怒りを学ぶ。三度の恵みでこの世に間借りして、四方を魔法の支援で囲む。 庭師の王(KING)。世界という庭の全て隅々に彼の恵みが行き渡るように、彼は命を捧げた。そして彼の子供たちであるマギ族は地に満ちた。 そんな事を話しているうちに、二人の意識は幻夢郷の地下瞑想室へと帰還する。 目の前には蜘蛛の巣と、それからぶら下がる蓑虫。 その蓑虫に向けてルイズが語りかける。「さて! ようやく記憶と魂と肉体の全てが齟齬なく繋がった(・・・・)みたいね、ブリミル・レプリカ」「……ふむ、世界法則として解けた私を受肉させるとは、優秀な子孫のようだ。先祖として鼻が高い。――して、君の名は?」「ああこれは失礼、ご先祖様。私はルイズ・フランソワーズ。今代の虚無遣いよ」 六千年前の時間旅行から、幻夢郷(ドリームランド)の持ち城地下の瞑想室(研究室)に舞い戻ったルイズとサイト(+翼蛇エキドナ)。 彼女らの前には、蚕か蓑虫のように繭に包まれた肉人形がブラブラとぶら下がっている。その肉人形の中には、六千年の時間旅行の果てに神降ろしされたブリミル・ヴァルトリの魂が入り込んだはずだ。 部屋いっぱいに広がった巨大な蜘蛛の巣は、シャンリットの寓意であり、その中心にぶら下がるルイズの血肉を使った肉人形は、哀れな量産聖人グレゴリオ・レプリカの見立てであり、それを呼び水に『始祖降ろし』をしたのだ。「ふぅん、ルイズ・フランソワーズか。で、何の用だというのだ? 何か望みがあるのか? 世界を覆う概念に願えば、大抵の願いは叶うぞ? 富か、力か、智慧か……あるいはもっと大層なものか……」 ルイズの眼の前で蓑虫のように揺れるのは、世界の欠片であり、旧支配者にも匹敵しかねない存在だ。 それに願えば、大体のことは実現するだろう。本来ならば、人生を賭けて召喚するような高位存在。それが目の前のブリミル・レプリカ。 物理的な圧力を伴うようなブリミル・レプリカの視線に負けじと、ルイズは睨み返す。「全てよ!」「全て?」「そう、全て! 全部! 何もかも! あらゆる物を! 如何なるものも! 全て全て全て、アンタの持つ全てを――私に寄越しなさい!!」 調伏する。欲しいものは自力で手に入れる。 それがルイズ・フランソワーズの在り方。 退かぬ媚びぬ省みぬ。覇王女帝のような生き方を目指して、邁進する。 幾らかの対神戦闘経験と、自己研鑽によって、彼女はそのための実力と自信をつけつつあった。「全て!! それはまた豪気なことだ! して何を対価にするつもりかね?」「私の全てを賭けるわ。オール・オア・ナッシング、それでこそよ。自分の全てをBETして、アンタの全てを勝ち取ってやる!」「ほほう、成る程、虚勢ではなさそうだ。私を降霊出来たのも頷ける」 ブリミル・レプリカは目を細めて、迸るルイズの魔力を眺める。 未だ全快にまで回復しておらずとも、幻夢郷に巨大な王国を築いて維持できる彼女は、神の階梯に片足を掛けている。 虚無遣いという半神の系譜も相まって、確かに大言壮語するだけの裏付けはあるようだ。 才能が結晶したような彼女は夢を現実のものにするべく努力を怠らなかった。 努力した天才魔術師、ルイズ・フランソワーズ。 彼女は遂に世界の根源の理に手を掛けた。「ならば、我が身の全てを喰い滅ぼして噛み砕き呑み込むのに相応しいかどうか――――証明してみせよ!!」 召喚獣を調伏するのに一番手っ取り早いのは、ガチンコの戦闘だ。 実力を示し、認めさせるのだ。主人として相応しいことを。 そして力及ばなければ――――逆に食い滅ぼされる。人を呪わば穴二つ、魔術に関わるものは常にそれを心に留めよ。◆◇◆ サイトです。 最近特殊性癖に開眼しつつあります。 真人間には戻れそうにありません。 サイトです。 時間旅行してきました。ハルケギニア世界の衝撃の事実が詳らかにされました。 なんか、ドラクエのセーブデータをFFで動かすために無理矢理ゲームシステムを改変した、という例えがしっくり来ます。 サイトです。 帰って来たら、目の前にカミサマが降りてきてました。 いや、ミュージシャンとかドラッグトリップ的な比喩でなく。 サイトです。 いつの間にか、カミサマと戦う流れです。 相変わらず無茶苦茶なご主人様です(そんなところが好きなんですが)。 サイトです……、ちょっと逝ってきます……!◆◇◆「来い! 力を見せよ! 今代の虚無の担い手よ! 全てを望むに相応しいか、示すがいい!」 ブリミル・レプリカを包む繭が、内側から膨張する。 圧力に耐えかねて、鋼にも匹敵する強度を持った繭の蜘蛛糸が千切れて舞う。 そして現れたのは――――触手を生やした異形。それはブリミルと言うよりも……。「ふふん、絶対にモノにしてやるんだから! 這いつくばれ、虚無の理の化身! ブリミル―――― ――――いいえ、『ヴァルトリ・レプリカ』!!」「ははは、気づいたか! 如何にも私はヴァルトリの化身! 私は兄たるブリミルほど甘くはないぞ!」 触手だらけの巨人となった姿は、ブリミルではなく――その双子の弟であるヴァルトリ。 中途半端に崩れた猫背の巨人。その至る所から肉色の触手が生えている。そして何より、立ち昇る魔力が凄まじい。 顔だけは、ブリミルに生き写しのままだが。「やはり、降りてきたのはヴァルトリの方って訳ね。――さてじゃあブリミルは、一体どこに行ったのかしらね? さっさと叩きのめしてその辺全部洗いざらいキリキリ吐いて貰わないとね!」「召喚獣の調伏イベント……定番っちゃー定番か」【ア本体め! こうなるって分かってたんなら、事前に言っときなさいよね!】 サイトが前衛、ルイズが後衛。いつもの配置。 サイトの左腕のエキドナが変化し、ざわざわと超鋼の鱗が全身を覆う。超鋼の義腕。それはあたかも銀椀の旧神ノーデンスの鏡写しのようで。 ルイズの背から朱鷺色の翼が生え、下半身は人魚のように、そして腕は鋭い爪が伸びて恐竜のようになる。全盛期には回復していないが、夢の国の異形の女王が全力を振るう。「私は虚無の理・ヴァルトリ! ここは私が解けた世界(ハルケギニア)ではないが、それで私の魂の力が衰えるわけでは無し。力を得るには代価が必要なのだ。――さあ、抗ってみせろ、我が末裔よ!!」 ハルケギニアから引き摺り出された神の化身が試練を課す。真実を知りたくば命を賭けろと主張する。 戦士が吼える。魔女が嗤う。翼蛇も嗤う。笑って進む。神が相手になったとて、全く別に仔細なし、胸すわって進むなり。 無色の爆発が虚空を塗り潰す。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 32.開戦前夜、それはまるで坂道を転がるように◆◇◆ 天空大陸アルビオン。 重力結界の中で“炎神”と“混沌”が恒星級の攻防を繰り広げ、蜘蛛の眷属のゴブリンたちはそれを嬉々として観察し。 雲霞のようなワルド第三世代(トリプルダッシュ)が一気呵成に大陸の制圧を始め。 虚無候補の姫たちをロマリアからの月眼の刺客は、虎視眈々と機会を伺って肉壁の迷宮で微睡み。 遥か雲の下の水の国トリステインでは、人間辞めつつある“深淵”女王と、最終鬼畜兵器虚無が営々と参戦の準備を始めた、そう、その頃。 ハヴィランド宮殿の奥底の誰も近づかない場所。 墓所のような冷たさが支配する、唾棄すべき異端の寝所。 正気が吹き飛んだアルビオンにおいてさえ、未だに忌避される大いなる邪悪の棲家。 イゴローナクの祭壇。「ふうん? なるほどなるほど、これはこれは……非常にエコですね。魔力さえあれば、尽きることない献体が手に入るというのは」 血がこびりついた遺体安置台(載ってるのが生きてる時は『拷問台』)には、二つの死体が載せられている。 それはハヴィランド宮殿に侵入した賊――――ジュリオの侵入を手助けしたワルドの偏在第三世代のうち、うじゅるうじゅるした衛兵やうじゅるうじゅるした宮殿に討ち取られた死体である。空中大地中で絶賛増殖中のとは別の個体だ。 大体の反逆者の死体はこの地下の祭壇に運ばれ、邪悪の司祭オリバー・クロムウェルによって死後も尚、辱められるのだ。 クロムウェルは、ワルドの死体を検分し、狂人ならではの洞察力でその秘密に気づいた。「実体ある『偏在』……。如何ほどの研鑽を積めばその境地に至れるのか。もはやその執念のレベルは、狂っているとしか思えませんな、いやはや」 自分のことを棚にあげて、クロムウェルはワルドの執念の求道を賞賛する。 クロムウェルは自分のことを、真っ当な聖職者だと思っているのだ。仕えているのは邪神だが。 求道者同士、共感した部分もあるのかも知れない。「ふむ、ふむ、ふむ、ふむふむふむ。ここがこうしてこうなって――」 ぐちゅぐちゅぐちゅ。 みちみちみち。 ぶりゅるぶりゅるぶりゅる。「おやおやおや、心臓に氷? これはまるでウェンディゴの」 ウェンディゴ。 高山地帯に生息する人喰いの獣。北風の眷属。 死んでも死なぬ氷の心臓を持つ空の化物。完全に殺すには心臓を焼くしか無い。「ほうほうほう、この男はウェンディゴの血を引いているのか、あるいは噛まれて転化でもしたか、それともイタクァにでも行き遭ったか……」 享楽的に死体を解体するのを止めて、真面目に細々した部分にまで目を向ければ、普通の人間との違いも明らかになってくる。 筋肉の付き方、骨格、感覚器の発達、臓器の並び、血管の配置。それら全てが、只の人間ではないと告げている。 あえて言うなら、ウェンディゴの『成り掛け』。「おお? 心臓が拍動し始めた……凍った心臓が。そうか、擬神機関(アザトース・エンジン)の魔力を受けて活性化したのか」 ウェンディゴの特筆すべき不死身性。死んでも翌日には生き返る。 魔力にあふれたハヴィランド宮殿ではそのサイクルも早くなるのだろう。 クロムウェルの手の中で凍りついたワルドの心臓が脈動し、徐々に肉体を再生していく。血管、胸郭、肋骨――。伸びる肋骨がトラバサミのようにクロムウェルの手に喰らいつく。「ふん」 その瞬間、クロムウェルの手が一瞬で白熱する。 ――――部分的な化身変化。信仰の賜物。邪神イゴローナクの力をその身に宿す、神との合一化、神官の極地。腐敗と風化の魔神クァチル・ウタウスの信奉者――“灰塵”のオールド・オスマン――が、塵になっても生き続けたように、信じる神の性質をその身に降ろす究極技法。 邪悪の熱で、ウェンディゴ・ワルドの心臓が溶ける。イゴローナクの象徴である白熱する身体が内に秘める熱量は、まるで溶鉱炉。 熔けるそれを、クロムウェルは掌に開いた口で啜る。 心臓だったものが、再生しつつあった血管が、胸郭が、肋骨が、綺麗サッパリ呑み込まれる。物理法則を無視して、一瞬で、クロムウェルの掌に喰われる。 後に残るのは、舌舐めずりする邪神の口のみ。牙の生えそろったそれが、卑しい音でゲップを吐き出す。「美味美味美味、と。我が神も気に入ってくれると良いのですがね」 残ったもう一つの、凍てついた心臓を掲げ、独特の歩法で祭壇に向かう。詠唱を省略しつつも神への敬意を伝えるためのステップだ。別名暗黒盆踊り。 向かう祭壇の先には、邪悪なアーティファクト『イゴローナクの手』が安置されている。呪わしい行為の結果を捧げて、行動強制の呪いを掛けるアーティファクト。 クロムウェルは凍ったワルドの心臓に齧り付く。まるで林檎をかじるように。心臓が喰われ、歯の形に欠ける。「おお、神よ! わが大神よ! 供物を受け取りたまえ! らくたる、かんとぅす、ふんぐるい、ぃんじゃぃい! いぁ! いぁ! ぃごろーなく!!」 捧げられる心臓。 込められた強制プログラムは、『心臓を抉り出して齧り付くこと』。 強制の対象は――『ジャン=ジャック・フランシス・ド・ワルド’’’(トリプルダッシュ)』。このアルビオンを数の暴力で席巻しつつある風のスクウェアの分身体だ。◆◇◆ アルビオン中を数の暴力で蹂躙するワルドの分身たち。擬神機関からの波動で無限の魔力を備えた彼らは、白の国を飛び回っていた。 この世ならぬ物質で出来た【黒い仔山羊】を屠り、黄泉帰った屍人たちを再び黄泉路に叩きこみ、夜空に輝くフォーマルハウトからの炎神の眷属を風の障壁で遮断する。 一騎当千のスクウェアメイジによる物量攻撃だ。 しかし、それにも終わりが来ることになる。「がっ……!? き、貴様、狂ったか!?」 ワルド・トリプルダッシュの一体が喀血しながら信じられない物を見たような顔で下手人を睨む。 胸からはブレイドを纏った剣杖が生えている。その剣杖がぐるりと円の軌跡で回される。胸に大穴が空き、代わりに心臓が抜き取られた。 そのワルドたちは、夜空に閃く邪神超新星からの熱量を遮断するために真空断層と圧縮空気を何重にも積層させていたところであった。そこに突然の反逆。「ああ、あぁあああああああ! ちがう、ちがうちがうちがう! 違うんだ! 俺はこんな――」 墜落していく自分の同位体の恨めしげな視線を受けながら、胸を刺した方のワルド・トリプルダッシュは、抉り出した心臓を握り締める。 血が滴る新鮮な心臓。血とは生命、心臓は命の宿る場所。魅惑の果実、命の実。そうだ、それを食べるんだ。食べろ食べろ食べろ。美味いぞ? 甘いぞ? さあさあさあ。 心臓を握ったワルドの、彼自身の心臓が、高く拍動する。しかし全身は熱くならない。――それどころか、冷却される。心臓を中心に広がる氷温の血液。それこそが本質なのだ。風の獣、氷の化物、天空の民。その血脈の目覚め。 ごくりと喉を鳴らす。 ちがう。そんなばかな。 それがおいしそうにみえるなどということは、あってはならないのだ。「あ、ああああ」 だがひとりでに手に握った心臓はワルドの口元へと近づいていく。 彼の意思に逆らって。 それこそがイゴローナクの呪いの効果。行動の強制。 空の至る所で、同士討ちの血の花が咲く。 無限に供給される擬神機関からの魔力によって五千万にまで増えたワルドの偏在たち。それら全ては同一であるがゆえに、全てに等しく、クロムウェルの呪いが降りかかったのだ。 呪いの第一段階に抵抗できたのは、偏在たちのうち六割ほど。アルビオンの汚染された空気によって、ワルド・トリプルダッシュたち呪いへの抵抗力は落ちていた。それでも半数以上は呪いの第一波に耐え切った。――つまり、半数近くが、呪いの餌食となった。 クロムウェルが放ったイゴローナクの呪いに抵抗出来なかった偏在たちは、そこに込められた呪いに従って、行動した。 ――手近な人間の心臓を抉り出し、齧り付くという、恐ろしい行為を。 恐ろしくも、魅惑的な、その呪い。 ワルドの母はウェンディゴの血を発症させていた。 その彼女の心臓を抉ってトドメを刺したのは、幼い日のジャン=ジャック・フランシス・ド・ワルド。 彼はその時に、血を浴びてしまった。母の血を、ウェンディゴの血を。そして保因者(キャリアー)となった。 ウェンディゴは人喰いの獣。 人喰いはウェンディゴの始まり。 心臓を喰らえば、間違いなくその血に目覚めるだろう。呪われたウェンディゴの血に。 ウェンディゴは共食いの獣。 共食いはウェンディゴの証。 ほら血が滴る真っ赤な林檎が手の中に。飢えを満たす魔法の果実がすぐそこに。 食べろ食べろ食べろ。 齧れ齧れ齧れ。 啜れ啜れ啜れ。「ああぁぁぁぁぁ……」 呪いによる強制。 ウェンディゴの血の誘惑。 擬神機関からの狂気の波動。 一つの要素でも抗いがたいのに、それが三つも重なっては。 ……ワルドの分身たちに、抗う術はもう無かった。 ――じゃくり。 氷混じりの心臓を齧る音が、夜闇のあちこちから浸透した。 そして変化は劇的であった。 呪われた血の目覚め。ウェンディゴ。 相貌は獣のように変化し、骨格は不自然に伸び、異常な冷気を纏う。 およそ五千万のワルド分身体は、そのうち二千万が、イゴローナクの呪いの抵抗に失敗した。 呪いの抵抗に失敗した二千万は、手近の二千万を不意打ちした。偏在の四割が同士討ちで脱落した。 心臓を貪ったその二千万は、ウェンディゴとなってアルビオンの戦力に組み込まれる。北風の邪神イタクァの眷属となって、より擬神機関との親和性を強めたウェンディゴ・ワルドの軍勢は、異形化前よりもさらに精強になり、不死性も増すだろう。スクウェアメイジとしての能力はそのままに。 呪いの第一段階に抵抗して正気を保ち、不意打ちから逃れた残りの一千万だが、それでイゴローナクの呪いから逃れられたわけではない。 イゴローナクの行動強制の呪いは、一度では終わらない。繰り返し繰り返し襲い来るのだ。繰り返す度に呪いを強めて。やがては呪いに呑み込まれることは間違いない。 アルビオンの擬神機関の効果範囲に居る限り、ワルドの分身体は、クロムウェルの呪いから逃れることはできない。トリステインの魅了女王アンリエッタの庇護下に行けば、女王の魅了結界によってイゴローナクの呪いから逃れることは出来るだろうが……。 無限に増殖する不死身の氷獣の軍勢が、アルビオンの麾下に加わった瞬間である。◆◇◆ その頃、空でも異変が起こっていた。 ――恒星級のエネルギーを秘めた邪神達がぶつかり合う時点で異変もへったくれもないのだが。 夜空を昼に変える炎の精たちの立体魔法陣。 そこに召喚される遙か宇宙の恒星フォーマルハウトの核。 さらにその熱量を喰らって自分のエネルギーとする、十メイルにも満たない大きさの漆黒無貌の有翼ミノタウロス――“炎神”クトゥグアが化身【生ける漆黒の炎】。 対するは天を衝く三角錐の異形の頭部を持った闇の化身。 百メイルを超える三本足の、不気味に伸縮して蠕動する捻れた体躯と手足を持つ“混沌”ナイアルラトホテップの化身――【月に吼ゆるもの】。 それの周囲には光すら呑み込む暗黒のアギト……魔術的な『門』によって接続された重轟星(ブラックホール)への入り口が口を開けている。せっかく小細工をしたアルビオン大陸に被害が及ばないように、惑星すら吹き飛ばす熱量を、別時空のブラックホールへと逃しているのだ。 今やその二つの邪神の戦いは、千日手の様相を見せていた。 確かに炎神の熱量は凄まじい。 しかし【生ける漆黒の炎】の単調な理性なき攻撃は、そのことごとくが、時空の裂け目からブラックホールへと受け流されてしまう。 不完全な形での招来による弊害。 クトゥグアの化身は、その全力を発揮することが出来ていない。 一方の【月に吼ゆるもの】も、天敵の分は拭えないのか、一進一退の攻防を続けている。 混沌の司祭ナイアルラトホテップが祀る混沌の核たるアザトースの神気を、アルビオンの擬神機関の炉心から無尽蔵に取り込んでいるが、それでも拮抗するのがやっとである。 擬神機関自体が、邪神の出力を支えるには不完全だということでもあるが。神の力はヒトの手に余る。擬神機関に宿るのは、宇宙の原初の混沌の、その余波の余波の余波程度に過ぎないのだ。 だがその拮抗した戦場に、変化が訪れる。 それは神話の戦いが始まってから四十八時間経った瞬間でもあった。 ――――“四十八時間で、【生ける漆黒の炎】を【退散】させる真言を完成させよ” 四十八時間。 すなわち、傍観者である蜘蛛たちによる、【生ける漆黒の炎】の解析が終わったということである。 叡智の蜘蛛の眷属が、世界という極上の研究対象を守るために、邪神の戦いに介入する。「突入! 突入! 突入!」「【退散】の逆転立体魔法陣を構築せよ!」「アルビオンの貴重な資料が熔け落ちる前に、フォーマルハウトに送り返してやれ!!」 グレゴリオ・レプリカたちが作り出す『世界扉』のゲートを通じて、シャンリットからの調査機が次々と灼熱の戦闘空域に突入する。 鬱陶しげに【炎の精】が調査機に襲いかかり、【月に吼ゆるもの】の触肢が振り回される。 調査機の何割かが、燃やされ、叩き落とされ、撃墜される。「001、022、043から078、088、097、撃墜されました」「追加投入、101から150。フォーメイション修正。動的立体魔法陣のポジションデータを更新、各機正しい軌道につけろ」「立体魔法陣構築率、34%……完全展開まで残り150セカンド」 調査機一つ一つが立体魔法陣の構成要素となり、電子の軌道のように【生ける漆黒の炎】を中心にぐるぐると周る。 それはまるで檻のようだ。神を閉じ込める檻。人知の結晶。 【生ける漆黒の炎】と至近で対峙したオスマンの杖たるインテリジェンス・メイス<169号>からのデータ、数十時間に及ぶ激闘の観察と千年に及ぶ対邪神の経験の蓄積、【炎の精】たちによる恒星砲・北落師門の立体魔方陣の解析と逆転写。それら全ての要素が結実し、シャンリットのゴブリンたちは一矢を報いる。「立体魔法陣構築率、80%を超えました」「各機、詠唱開始。【クトゥグアの退散――生ける漆黒の炎バージョン】」「了解。各機、割り当ての詠唱を開始して下さい」 立体的に有機的に複雑に飛び回る調査機が、迸るエーテルを曳きながら詠唱を奏でる。「■■■■いあ■■■■、■■■――■■■■■、」 「なふたぐるん■■■――――」 「■■■■■■くとぅぐあ――■■■■、■■、い■――」 「■■■ほまる■■■と、――■■――! ■■! ■■■■■■!!」 鎮まりたまえ、帰りたまえ。静まりたまえ、還りたまえ。 荒ぶる神を鎮めて帰すための祝詞を紡ぐ。 計算し尽くされた神聖句の多重奏。エーテルの軌跡が魔法陣を織り上げる。 高熱によるプラズマの光とはまた違う、魔力の輝き。 それが繭のように【生ける漆黒の炎】を覆い隠して拘束していく。 多重詠唱と動的立体魔法陣により、魔術の効果が何百倍にも高められる。その余波で、魔力の繭の中に閉じ込められた炎神の手下【炎の精】たちは強制的に送り返されていく。「――――いけます!」「【クトゥグアの退散】、発動!!」 魔力で織られた絢爛たる繭が、一際輝いた。【AAAAAA■■◆$&@Aaaaaaaa■■■■AAA■AAAA――――!!??】 この世のものならざる断末魔が、星空よ割れろとばかりに響く。 そしてそれで終わりだった。 熱波が緩む。夜空に夜が戻る。 役目を果たした調査機たちが力尽きて落下する。 少し残された【炎の精】たちが、力なく墜落する調査機を貪る。風石機関が暴発して【炎の精】を吹き飛ばし、夜空に花火が咲く。 アレだけの猛威を振るったにしてはあっけない終わり。 だが、【退散】の呪文とはそういうものだ。 炎の神は、ハルケギニアから去った。夜空の彼方のフォーマルハウトへと。 墜落する調査機と、統制を失って手当たり次第に攻撃する【炎の精】。 だが、次の瞬間には、夜空に浮かぶそれら全てのものが、消え去った。 一瞬だが、全ての光という光が消えて、空域のあらゆるものが消滅した。混沌の邪神が操る超重力の一撃が、何もかもを屠ったのだ。 何も無くなった空。それはまるでアルビオンの前途を象徴しているようだった。 空の国の前に敵は無し。あるいは、空の国の未来は何も無し。果たしてどっちの寓意なのか。 捻れた三本足の【月に吼ゆるもの】の姿が薄れ、その場には赤い衣を纏った蒼髪の女が残される。「はぁ、まったく、クトゥグアの化身なんか何処から持ってきたんだか……」 因縁の相手が星辰の彼方に去ったのを確認して、蒼髪の女――オルレアン夫人は、安堵の溜息をつく。 苦手意識があるために相性的には最悪な相手だったが、不完全な招来であったために引き分けに持ち込むことが出来た。 今回は棲家ごと燃やされる無様を晒さずに済んだ。僥倖である。「ああしかし、予定よりも早く着いちゃいましたね。重轟星との接続で、大陸ごと“前に落ちて”しまったからかしら」 シャンリットは、既に目と鼻の先だ。 ブラックホールと接続した際の超重力によって、アルビオンは前へ前へと引力によって“落ち続けて”加速していたのだ。 シャンリットの名所である天から垂れる巨大建造物、天空研究塔【イェール=ザレム】も今では肉眼ではっきりと太く見える。「んふふふふ……。さぁて、私の可愛いシャルルは、あの蜘蛛相手に何処までやれるかしらね?」 上機嫌に、赤い女は歩いて行く。 軽やかに。段々と歩幅が大きくなる。夜を歩く。跳ねて歩く。 笑いながら空を歩く。踊る。ターン、ステップ。ドレスのスカートが翻る。「可愛い可愛い私のシャルル。うふふふふふ、心が可愛い、可哀想な、小さな小さなシャルル。うふふふふふふふふっ」 彼方に見えるアンタレスのように紅い瞳に目礼。たまには彼のように空を歩くのも気持ちが良いものだ。 眷属が増えて良かったね、北風の神様、いさか様。どことなく彼の紅い目は満足そうだ。 新しい北風の眷属は、空挺部隊として活用させてもらうことにしよう。「兄を見返すために世界征服だなんて、なぁんて莫迦なんでしょう、うふふふふふふふっ!」 嘲り笑う。 夜闇に響く女の声。 人間を嘲り、世界を哂い、ワルツを踊る。クルクル、くるくる、狂り狂り。「でもそんな莫迦なニンゲンが、私は大好きなのよねぇ」 夜闇を赤い女が飛んで行く。「そんな莫迦なニンゲンで遊ぶのが、とびっきりに好きなのよねぇー」 人ならざる者たちが、赤い女王を仰ぎ見る。 畏怖を込めて仰ぎ見る。 遙か高次元の神を仰ぎ見る。アルビオンの夜の支配者を。「うふふふふふふふっ、楽しみだわ、楽しみだわ、楽しみだわ! さぞかし素晴らしい阿鼻叫喚が! 地獄のような混沌が! 私好みの運命的で劇的で陳腐で新奇的で猟奇的な展開が待ってるに違いないわ! うふふふふふふふっ、あははははははっ!」 哄笑し、高笑いし、夜空を横切る。 クルリとターン。 赤いドレスと蒼い髪が翻る。「――それに、そろそろこの間に合わせの身体にも飽きてきたところだしねぇ。あちこちガタガタだし、ニンゲンの形を保たせるのも骨なのよねぇ」 綺麗な造形の身体だが、飽きが来ているし、ガタが来ている。 人外の魅了の力を垂れ流しにしているオルレアン夫人だが、やはり只の人間では邪神の力に耐えきれないのだ。 アルビオンとシャンリットの戦争が終わるころが潮時だろう。 そして、もう千年も前から決めてあるのだ、次の依代は。「蜘蛛の坊やも、良い加減素直に身体を譲り渡してくれないかしら。あのハイテクな身体、欲しいのよねぇ。うふふふふふふふっ、あははははははっ」◆◇◆「……悪寒が。また何かの呪いか?」 シャンリットの地の底で、千年教師長が呟いた。 昔から時々こういうことがあるのだ。いちいち気にしては居られない。最近は特に多い。 大方今回は、アルビオンのクロムウェルあたりから掛けられた行動強制の呪いをレジストしたのだろう。全く、懲りないやつらだ。ゲームならシステムメッセージで『抵抗(レジスト)に成功しました』と流れるところである。 しばらく虚空を睨んでいたウードの下に、配下のゴブリンからの連絡が入る。 部屋中に張り巡らされた<黒糸>から、いつも通りの幼い姿のゴブリンが空間投影された。金髪巻き毛で褐色肌の美しい矮人の少女だ。 他にもいくつかの画面が多重投影される。シャンリット周辺の空撮地図と、そこに近づく空中大地の様子、“炎神”と“混沌”の戦闘の推移などなどだ。「ウード様! オルガ・ルイン・634992号、報告いたしますわ!」「ご苦労。確か、戦闘指揮を任せている個体だな。聞かせてもらおうか」「はい、アルビオン大陸がクルデンホルフ領空に侵入。邪神同士の戦いで歪んだ重力場に沿って加速したため、予定時刻より早く移動しております。そこで迎撃の許可を頂きたいのです!」 ウードは少々疑問に思う。 戦闘指揮の権限は全てオルガ・ルインに委譲したはずでは、と。 だが瞬時に疑問は氷解。辞令の日時は未だ来ていない、アルビオンの到着が想定よりも早かったためだ。そのため彼女は直接ウードに許可を求めてきたのだろう。「問題無い。全戦闘の指揮権限を、君に委譲する。存分にやり給え。……大艦巨砲主義者の君にはうってつけだろう、どんどん派手にやると良い」「はい! 了解ですわ、オルガ・ルイン・634992号、拝命いたしました!」「シャンリットの死蔵兵器の最大出力を発揮できる数少ない機会だ、貴重なデータとなるだろう、期待している。……勿論、アルビオンの各種標本の蒐集もな」 むしろ蒐集こそが本懐。 千年患う蒐集癖。それがシャンリットの国是である。 勝敗は二の次、敗北さえも貴重なデータだ。貴重な蒐集物とデータさえ無事ならば、何も問題ない。そして既に大部分は、ハルケギニア星と同一軌道上に建造された裏惑星へと退避済みであるから、後顧の憂いもない。「さあて、私は先程のクトゥグアとニャルラトホテプの戦いの様子をじっくりと解析させてもらおうかな。気合を入れて見ないと、目が潰れてしまうからな……」「羨ましいことですわ……。私もまだ良く細かくは見てませんのに」「ははは、こればかりは後方の特権だな。だが勿論、アルビオンとの戦いも観戦させて貰うつもりだ。さあ、行け」「ハッ!!」 とか言いつつ、実は一兵卒として分身端末を紛れ込ませる気満々の教師長。 後方からの解析もそれはそれで楽しいのだが、生の臨場感だって味わいたいのだ。 彼こそは知識欲の権化、知りたがりの病人。死んでも生まれ変わっても治らなかった不治の狂人。(生邪神は、やっぱり見ておくべきだよなぁ……) アルビオンで何が待つかも知らずに、心を弾ませる。 いや知らないからこそ知りに行くのだ。 たとえ行く先に破滅しかなかろうと。 ――クルデンホルフ・アルビオン大戦、勃発。◆◇◆ ハルケギニア世界で大戦争が勃発しようとしていた頃。 幻夢郷でも、史上空前の苛烈な戦いが行われていた。 始まりの虚無と、現代の虚無との戦いだ。 神話になった虚無と、神話にならんとする虚無の戦いだ。 自己犠牲の莫迦と、強欲無辺の阿呆の戦いだ。「ああああああああああっ!! 大人しく私に降れ(くだれ)、ヴァルトリーーー!!」「吼えるだけなら狗でも出来るぞ! 腕を見せよ、武を示せ、智を使え、魔を魅せよ! そんな程度では、到底足りぬわぁーーーーー!!」「く、このぉーー!!」 既に戦いは十数時間以上は続いている。現実のハルケギニア世界でも、それ以上の時間が経っているだろう。 幻夢郷のルイズの城とハルケギニアの間の時間関係を司っていたのはルイズの虚無の力だったが、既に彼女にはそちらに力を回す余裕はない。ヴァルトリの『加速』を中和するために、ルイズの時空間制御能力は注ぎ込まれていた。 ヴァルトリ相手に、出し惜しみなど出来ない。既にルイズの城があった場所は、彼女らの戦いの余波で、一面の更地になっている。「『爆発(エクスプロージョン)』!!」「虚無の理に虚無で挑んでぇ、勝てるとでも思っているのかぁッ! 『魔法制御(コントロール)』!!」「く、制御が!?」 ルイズが放った虚無魔法の制御を、ヴァルトリが上書きして奪う。 虚無魔法の『解除(ディスペル)』の上位魔法、魔力を単に分解するのではなく、さらに細かい制御によって支配する魔法――虚無の『魔法制御(コントロール)』。 膨大な魔力があって初めて可能になる荒業である。「ははは、受けてみせよ。爆裂拳(エクスプロージョン・パンチ)だ!」 ヴァルトリは触手の一本に絡め取ったルイズの『爆発』を、触手で形作った拳に纏わせて圧縮したまま(・・・・・・)殴りかかる。 城塞一つ消し去るようなエネルギーを触手に纏わせて、歪な触手の巨人が、その姿からは想像もできない高速で殴りかかる。 触手がルイズに迫る。『加速』を中和しているのに、この速度とは。「あ、あんた魔法使いでしょお!? 殴りかかってくるんじゃ無いわよっ!」「ルイズ、危ねえ!!」「サイト!?」 間一髪、サイトがルイズを助け出す。流石はガンダールヴ、速度においては並ぶ者なし。 その直後にルイズが居た場所に、ヴァルトリの触手の拳が直撃し、地面が消滅する。 跡形もなく。吹き上がる土煙なんて発生しない、そんなものは完全に『爆発』によって消し飛んだのだ。「はっはっは、何を言うか。虚無同士の戦いは、魔法の制御権奪取の競争だ。遠距離攻撃なんて遅くて温いことしてられるものかよ、着弾する前にあっという間に魔法を奪われてしまうわ!」 そう、先ほどのルイズの『爆発』のように。 ヴァルトリは、在りし日の兄弟喧嘩を思い出す。 双子の兄であるブリミルとは、よくこうやって魔法を使った殴り合いをやっていたものだ、と。「さぁて、私はまだまだ魔力に余裕があるが――お前もそうなのか? ルイズ・フランソワーズ」「……っ」 千年どころか、六千年の歴史を積んだ、始まりの虚無使い――ヴァルトリ。 世界に満ちる虚無の理からマギ族のために遣わされた人型の救世主ではなく、その大本である虚無の理の統括者にして使役者。 虚無の“遣い”ではなく、虚無を“使う者”。 虚無遣いと虚無使い。 従と主の違い。 その間には、決定的なまでの差が横たわっている。 魔力量、瞬間出力、制御能力、戦闘経験――全てにおいて、ルイズはヴァルトリに劣っている。 現に彼女の魔力は激戦を経て枯渇しつつある。 頼みの虚無の魔法も、練度で劣るゆえに通用しない。八方塞がり。一体どうすれば良いのか、途方に暮れる。心が折れそうだ。 しかしただ唯一、今の彼女が優っている点があるとすれば――「ルイズ!」 仲間の存在。 なんだかんだで頼りになるあの男。 異世界人、使い魔、ガンダールヴ――平賀才人。「おおおおおおッ! 圧縮分裂昇華弾!!」 翳した掌から高熱の光球がヴァルトリへと飛ぶ。 だがそれは撹乱。魔法が効かないなら、魔力に依らない攻撃が必要だ。 すなわち――肉弾。拳が、蹴が、ヴァルトリの異形を襲い、その場に縫いとめる。「カハハハハハ! やるなあ、当代のガンダールヴ! 一対一で戦うにはこれほど厄介とはな! 流石は神の盾!」「うるっせえ! いい加減にくたばりやがれ!」【……ッ! サイト、左!】 サイトの側で無色の爆発が炸裂する。 だがサイトはエキドナの警告に従い、それを回避。ヴァルトリの魔法攻撃は、虚無の因子を継ぐエキドナが、相殺は出来ずとも察知する事が可能。 付かず離れず打撃を加え続ける。魔法を使う隙は与えないとばかりに、喰らいつく。「サンキュ、エキドナ」【魔法は全部読んであげるわ。……出来ればヴァルトリの肉を喰えれば良いんだけど、貪食の蛇の本分に懸けて、パワーを取り込んでやるわ!】「まあ、頭の隅に置いとくぜ。そんな隙がありゃあ良いんだがな! おおおりゃああああ!!」 挑みかかる。 神の盾。その役目は、主人のために時間を稼ぐこと。 サイトは消耗して肩で息する主人(ルイズ)を横目で捉えると、お互いに交換した眼球のパスを通じて意識を交わらせる。(ルイズ、俺がヴァルトリを引き付ける。その間に、準備してくれ!)(準備……?)(そうだ! 勝つための準備だ! 出し惜しみしてんじゃねえ、独りでやろうとしてんじゃねえ、使えるモノは全部使えよ!) その時であった、ルイズの周囲を何者かたちが取り囲んだのは。「ルイズ様を守れー!!」 「今こそ恩義を返す時だぞ!」 「王国民の魂を見せてやれ!」『おおおおおおおおおおお!!』 それは彼女の王国の臣民であった。 トランプの兵隊たち、城下の住民たち、森の獣……女も子供も種族すら関係なく、ルイズのために集まった。 それは彼女を想う夢の住人たち。ルイズによって命を与えられ誕生した者たちも居れば、幻夢郷に名高い賢君ルイズ・フランソワーズを慕って集い忠誠を誓った者も居る。「あんたたち……なんで……。ここは危険よ、下がりなさい。避難の下知は出したでしょう!」「いやいや、我々を遠ざけようったって、そうは行きませんぜ、女王様」 「我らの忠誠は全て貴女のためにあるのです、苦しければ頼って下さい」「女王様が、この夢の国を大切に思ってらっしゃるのは、俺ら一同、よぅく知ってます。でも――」 「それ以上に、ぼくたちも、へーかのことが、大好きなんですよ?」 現実世界の多くを犠牲にして、ルイズが幼い頃から没頭してきた夢の世界。 彼女は愛した、その全てを。溺愛と言っても良い。夢に耽溺し、才能の殆ど全てを傾けてきた。 夢の中で足りなければ、現実世界においても彼女は研鑽した。8歳から過ごした学術都市シャンリットは、その意味でうってつけだった。彼女の持つ殆どのスキルは、実際、夢の世界のために身に付けたものだ。 ルイズはハルケギニアの邪神を打倒すると常々口にしているが、その言葉は聞く者に何処か薄っぺらい印象を与えてしまう。 口にする内容の荒唐無稽さも勿論であるが、彼女の持つ夢の国という『逃げ道』が、宣言の真実味を、本気度を下げていた。 究極的に、ルイズにとっては、夢の国さえ残れば、後はどうでもいいのだ。重心は現実よりも幻夢郷に寄っている。 だが勿論、邪神という存在に対する憤怒は本物だ。 自身の片目を異界の知識のために捧げた、風と水と嵐と雷の支配者たる憤怒(オーディン)の化身。救世の業を背負う虚無の御遣い。 彼女の在り方が、邪悪の存在を許しては置けない。そして長年幻夢郷で一国を差配してきた彼女は、民の味方であり、民の嘆きを見過ごせるような者ではない。 邪神や蜘蛛の玩具にされて蹂躙されようとするハルケギニアを――トリステインを見て、放置できる訳もなかった。 だから彼女は更なる力を求めた。人々の笑顔を守る力を。家族の愛に報いる力を。君臨する貴族として相応しい力を。 その最果てに、今ここに、自分自身のあらゆるものをBETして、古の虚無の魔神を呼び寄せた。 いささか分の悪い掛けだったようだが、そうでもしないといけなかった。状況は加速度的に悪化している、破滅に向かって。無駄にできる時間はあろうはずもない。 義務感。 使命感。 邪神への嫌悪。 理不尽への怒り。憤怒。 人類愛。 救世の血脈。 夢の国の女王、統治者としての矜持。 メサイアコンプレックス。 ――本当に救われたいのは誰か? そして今、彼女は正に救われていた。 彼女を慕う臣民達によって。 彼女は孤高の女王であるが、決して孤独ではないのだ。「女王様、貴女が自身の全てを賭けてあの亜神と戦うというのなら、その『全て』の中に、俺たちのことも入れて下さい」「――!」 ルイズの本質は憤怒と強欲。 部下が死ねば腸が煮えくり返る。一度手に入れた者共を手放すなんて絶対にありえない。 だからルイズは自分の国の臣民を、この遭遇戦から遠ざけていた。そのはずだった。 王が民を思うならば、民もまたそれに応えるのだ。「あんたたち――」 次の瞬間、轟音と共にナニカ――弾丸が飛来し、ヴァルトリに直撃。ヴァルトリの身体が吹き飛ぶ。「これは……」「直接火砲支援(ダイレクトカノンサポート)! シエスタか!」【ナイス支援よ、メイドっ娘! 魔法よりも物理のほうが効くわ!】 射線を辿れば、彼方に銃を構えるシエスタが見える。巨大な銃だ。いかなる城壁も粉砕して貫通できるだろうと思わせる暴力の象徴。 シエスタは、ヴァルトリが召喚される前に一旦覚醒してハルケギニアに去ったのだが、時間が経っていつまでも目覚めない主人を心配して、また戻ってきたのだろう。仕える主人の力となるために。 そして頼りになる友人を連れて、この夢幻の戦場に舞い戻ったのだ。 シエスタが銃を構えている場所に、硝煙と共に円環状の虹が現れる。「あれは――虹か。『集光(ソーラーレイ)』の虹、ってことは」「モンモランシーも、来てくれたのね。……全く、何やってるのよ、こんなことに首を突っ込むことはないのに」 モンモランシーはルイズの夢の国で、文官をしたり香水調合師をしたり、同じく招かれたギーシュといちゃついたり、修行したりルイズから力を分け与えられたりしていた。 幻夢郷の時間でだが、何十年と友人付き合いしていれば、それなり以上に仲良くはなる。 ルイズの危機に駆けつけるくらいには。何せ、親友の危機だ。しかもルイズの状況は、祖国のためそして人類のために力を求めてのことだという。「ルイズも水くさいわ。貴女が貴族であるのと同じように、私だって誇り高いトリステイン貴族なんだから。恩ある親友の窮地の一つや二つを救いに、駆けつけないわけがないじゃない」 はるか遠くで銃を構えるメイドの傍らでつぶやくモンモランシーの声は、ルイズには届くまい。 彼女の上空で揺らぐ虹が、太陽光線を捻じ曲げる。対軍規模トライアングル水魔法、『集光(ソーラーレイ)』。クルデンホルフの秘奥とされるそれについて、ルイズは会得しており、夢の国で過ごす内にモンモランシーに伝授していたのだ。 覚醒世界のハルケギニアでは未だにトライアングルに至らないモンモランシーも、この夢の国ではルイズの加護もあり、楽々とトライアングルスペルを行使出来る。「シエスタ、合わせなさい!」「はい、モンモランシー様。ガトリングで足止めします。その隙にやっちゃって下さい!」「頼んだわよ」 シエスタがこれまた巨大なガトリングガンを、虚空から創り上げる。 夢の国は想像の国にして創造の国。シエスタほどの使い手であれば、たかが銃器やその弾丸程度を結晶化(クリスタライズ)するのは造作も無い。 シエスタはそのまま、ヴァルトリの異形の巨体に照準を合わせて弾丸をバラ撒く。モンモランシーの魔法【集光】は、その応答性に難があるため、足止めをしないといけないのだ。 ヴァルトリの周囲を飛び回って打撃を加えていたサイトは、その不意打ちとも言える弾雨を、まるで分かっていたかのように躱す。 サイトとシエスタが、ルイズの従僕として組んできた時間は、百年にも迫る(あるいは上回る)。その程度の連携は朝飯前だった。 サイトが急に腕を天に伸ばす。そこに後方からカタパルトで射出された一本の刀が、計ったかのように飛んできて納まる。デルフリンガーではない。「ナイスアシスト、シエスタ。……神刀『夢守』――佐々木の爺さん、借りるぜ!」【夢のクリスタライザーの守護者の触手、展開! 封じられし異形共、ここは幻夢郷、貴様らの故郷だ、存分に真価を発揮させてあげるわ!】 その刀は、タルブに封じられし護鬼・佐々木武雄が、曾孫のシエスタに遺した封印刀。 猫目海月の異形――幻夢郷では誰もが畏れる大帝ヒュプノスの尖兵『夢のクリスタライザーの守護者』――を、百近くも封じて使役する軍刀。 ガンダールヴの能力により、佐々木の血族にしか使えぬはずの刀から、無数の影の触手が現れる。触手は千の刃となり、ヴァルトリへと突き立つ。「ふふん、無駄だ! その程度では蚊に刺された程度にも感じんわぁ!!」「だが、蚊が飛び回る程度には鬱陶しいだろう?」 サイトが勝利する必要はない。影の触手が絶え間なくヴァルトリに襲い掛かる。チャージなどさせるものかと間断なく。 ヴァルトリに対する本命は、あくまでルイズだ。ガンダールヴの役割は、主人のための時間稼ぎだ。 そもそも、虚無の亜神相手に勝利する可能性があるのは、亜神に手を掛けつつあるルイズ・フランソワーズしか有り得ない。「モンモランシー様、今です!」「ウィ、『集光』発動!!」 モンモランシーが操作した『集光』による収束光条が、ヴァルトリに突き刺さる。 魔法を操作する虚無の『魔法制御(コントロール)』も、間接操作された太陽光線には作用が及ばない。 高熱がヴァルトリの触手を焼く。その間にも、シエスタの弾幕とサイトの剣軍はヴァルトリを襲い、足止めする。 従僕が異形を留める。親友も駆けつけて光条を突き立てる。 ルイズの周りには、主君を守る彼女の軍勢。 ここまでお膳立てされて、奮い立たない王が居ないはずがない。「みんな……ありがとう。ふふ、何弱気になってたのかしらね、私にはこんな心強い味方が居るってのに」 ルイズの周りにあった、城塞の瓦礫が、淡い色の粒子の風に還元される。ドリームクリエイションで創成した物品を、再び魔力に還元しているのだ。 同時に、周囲の兵や民からも、魔力のオーラが流れる。王の強権で、魔力を徴収。 さらに吸収した魔力で、自らの肉体を作り替える。ヴァルトリとガチンコの殴り合いをするために。「複製変容術式『九頭竜』、発動」 それは決別の術式だった。 化物となった自分を認めた時の、人間を超える覚悟の証。ルイズはそれを再び使う。 ざわざわとルイズの桃色の髪の毛が広がり、蛇髪となる。 『魔法制御』の虚無魔法の詠唱は、見様見真似でラーニングした。 魔法肉弾戦闘の準備は――覚悟は充分。 あとは――殴りかかるだけ。「やってやろうじゃないの……! 叩きのめして、ペーストにしてあげるわ!」 いざ下克上。=================================ヴァルトリさんの姿は、元ネタのウェイトリー兄弟の化物の方よりか、少しは人間に近いです。顔だけお化けじゃないです。生前はそんな感じでしたが。前の外伝と今回でヴァルトリさん推しなのは、ソースブック『クトゥルフ神話TRPG ダニッチの怪』が発売されたからです。次回――『開戦』。2012.03.23 初投稿2012.03.24 誤字修正2012.03.25 修正