ここはロマリア。 教皇のお膝元、光の国。 宗教庁の一室で、現ロマリア教皇である聖エイジス32世ことヴィットーリオ・セレヴァレはほっこりと茶を嗜んでいた。「ああ、この一杯が心に沁みる……」「――――暢気に茶など呑んで良いのか? 今も空の向こうでは人智の及ばぬ神々が暴れているのだぞ」「まあまあ、ミスタ・アルハンブラ。焦ったって仕方ありません。お茶でも飲んで落ち着きましょう」「むぅ……」 東方由来の緑茶を湯呑みで飲むヴィットーリオ。 なかなか様になっている。 その向かいに座るのは、エルフの外交官であるアルハンブラ伯爵ことビダーシャルだ。 彼もずずずとお茶をすすっている。「そもそもアルビオンとシャンリットの戦争について、私は――ロマリアは積極的に関与するつもりはありません」「何故か、と聞いても?」「簡単ですよ……。意味が無いからです」 ヴィットーリオは語る。 ロマリアの国力、特に軍事力は二十年前の聖戦によって磨耗しており、未だに他国にちょっかいを掛けられるくらいまで回復していない。 ビダーシャルが既に充分なように見えるが、と問えば、それは箱舟計画のための戦力であり、ここで磨り潰す訳にはいかないのだと返す。「そして、ロマリアが参戦せずとも、シャンリットは自前で決着をつけるでしょう。それにシャンリット以上の戦力は、何処の勢力も用意できないのですから、彼らが敗れるということは何処の勢力が事にあたっても結果は同じということです」「それは単独で各個に事態に当たった場合だろう。共闘すればどうだ? 力を合わせて敵に対抗するというのは王道だが」「ありえませんね。――蜘蛛と組むなんてありえません、たとえハルケギニアが滅ぶとしても。 エルフだってそう考えるでしょう。ロマリアだってそうです。誰だってそうする。トリステインだって虎視眈々と漁夫の利を狙っていることでしょう。共闘なんてありえない」 またヴィットーリオはお茶をすする。「それに蜘蛛らもハルケギニアという研究対象とその拠点を失うのは避けたいでしょうし、これまでの千年と同じく今回も危機を封殺するでしょう。我々が手を出す必要はありません」「意外と楽観的なのだな」「そういう訳ではありませんよ。ただ、出来ることと出来ないことを弁えているだけです。私たち(ロマリア)にできることは、この戦争の隙に『箱舟計画』に必要な要素を揃えることです。……邪神の戦いに介入することではない」「そうか。まあ確かに、シャンリットのような知識狂いの享楽家でなければ、あのような戦争は成り立たないだろうな。そこまで相手を放置するワケがない」「ええ。我々ならば、このような正面戦争になる前に謀略やなんかで決着をつけますね。ジュリオは優秀ですから、私たちがサポートすれば召喚儀式の妨害はお手のものでしょう。第一、正面戦争なんて正気の沙汰じゃない」「ふん、それは今さらだろう。蜘蛛連中が正気のわけがないのだから」「ああ全くその通りですね」 かと言って、この二人が正気かというのもまた、怪しいところであろう。 片やブリミル教のトップで惑星脱出計画の推進者。選ばれし民のみを連れて別惑星へと逃げるのだ。安定的な星辰にある新天地へと。 片や遥かセラエノにまで巡礼に行く風の信奉者。エルフの同胞の中でも風の神の加護が厚いとびきりの空間制御術者。「そう言えばミスタ・アルハンブラ。アルビオンは天空教理を掲げているが、貴方の信奉する神様もシャンリットとの戦争に駆り出されているのですか? 天空教の主神は、あの黄衣の王なのでしょう?」「いや、どうだろうな。ハストゥール様が顕現したということは聞いてないし、私の感覚でも感知していない。あまり混沌とも相性がよくないという話も聞くしな。……配下の小神は時々やってきているようだが。イタクァ様とか」「……そうですか」「ああ。それに闇の皇太子たる我が神は慈悲深いから、きっとこちらに顕現なさるにしても、ぽっと出のアルビオン人のところではなく、永く仕える沙漠の羊飼いたる我々のところにいらっしゃるに違いない」「…………そうですかー」 そうだといいのですけれども、とヴィットーリオは思ったが口には出さない。実際そうであるに越したことはないのだから。 これ以上の邪神祭りはハルケギニアがもたない。実際今この瞬間消滅していないのが奇跡である。流石に恒星級の熱量を伴って炎神クトゥグァの化身が顕現した時にはヴィットーリオも肝が冷えた。 だがその炎神も今は退散している。シャンリット連中はこの千年間と同じように、それなりに上手くハルケギニア上の邪神勢力をコントロールしているようだ。――――今のところは。「ああそうだ、教皇殿。アルビオンに関して、ある女性から伝言があるのだ」「その“ある女性”とは外に立っている女性ですか?」「ああ気づいていたか。そう、その彼女だ。部屋に入ってもらっても良いだろうか?」「危険物も持っていないなら――と言っても身体ひとつ在れば戦術級以上の破壊力を出せるあなた方エルフには意味ありませんね。害意が無ければ構いませんよ」「害意など無いと保証しよう、この私がね。大体、戦力的には悪魔(シャイターン)の末裔たる教皇殿の方が上だろう。正直二人がかりでも勝てるとは思えん」「さあ、それはどうでしょうね」 教皇は曖昧に笑う。その笑みは正に聖職者めいており、善と美というものを体現している。その笑顔に神の具現を幻視したブリミル教信者も数多いだろう。 だが信者たちの誰が知ろう。 この男が、ハルケギニアの最大個人戦力の一角を担っているということを。 ブリミル教のトップは、武力においてもトップなのだ。 『加速』による時間停止状態からの『爆発』は大抵の相手を完封できるし、『解除』によって相手の魔法を無効化するのもお手のものなのだから。 ブリミル教だけではない。 ガリアの“鬱屈王”ジョゼフ然り。トリステインの“魅了王の再来”アンリエッタだってそうだし、“夢の女王”にして“憤怒(オーディン)の化身”たる公爵令嬢ルイズ・フランソワーズだってそうだ。そして“千年教師長”ウード・ド・シャンリット。アルビオンの“大司祭”、オリバー・クロムウェル……。 ハルケギニアの各組織のトップには、世界を左右できる武力が揃っているのだ。 まったくもって最悪なことに、彼らは組織力に依らずに世界を滅ぼせるのだ。 ああなんという狂った世界。人の悪意こそ恐ろしい。彼らの指先ひとつで世界は決まる。神ならぬ人の身でありながら。 ――しかし神には及ばないのだろう。神の悪意が恐ろしい。混沌の遊戯が恐ろしい。だがそれ以上に! 悪意なき神が恐ろしい! 結局、あがいても無駄なのだ。この世は泡沫。生きることに意味など無い。死すらも意味が無い。全ては夢。白痴の神の夢。夢。夢。夢。いや、虚無だ。幻影の蜃気楼。全ては平等に無価値である。何もかも移ろう虚無の影に過ぎない。「……だがそれでも私たちは生に意味を求め、意義を認める。足掻くだけの価値があると」「急に何を言っているんだ?」「なんでもありませんよ、ミスタ・アルハンブラ。強いて言うなら決意であり妄言です、あなたにはわからないかも知れませんがね。――さあ、外で待たせているという彼女を早く呼んで下さい」 頭(かぶり)を振ってヴィットーリオはビダーシャルを促す。 ビダーシャルは少し訝しむ様子を見せたが、直ぐに指を鳴らして部屋の外に合図をする。 しばらくしてノック。ヴィットーリオが入室を許可する。 果たして入ってきたのは、軍服らしきものに身を包んだ空のような碧眼のエルフの少女であった。「お初にお目にかかります、マギ族の教皇殿。対アルビオン外交窓口のファーティマと申します」「はい、よろしくお願いします。……なるほど、アルビオン担当ということは、貴女はアルビオンのシャジャル妃の血縁の?」「ええ、私はシャジャルの姪に当たります」「お願いというのも、そちら絡みで?」 ぐ、と言葉に詰まるファーティマ嬢。図星を突かれた。 ヴィットーリオは、異教を信仰しブリミル教を裏切ったアルビオン王家が何をいけしゃあしゃあと厚顔無恥な、とでも言いたげだ。 だがファーティマはその眼光に負けずに、気を取り直して話を続ける。「――ええ、そうです。具体的には亡命の手引きです」「チャールズ・スチュアートⅠ世と、シャジャル妃の?」「そして王女ご夫妻も、です」「ティファニア・スチュアートと、シャルロット=カミーユ・ドルレアンも、ですか」 ヴィットーリオは表面上は平静に、内心では渋る。だがそれを表情に出すようなことはない。 ティファニアとシャルロット。 その二人は虚無遣いのスペアでもあり、ロマリアの『箱舟計画』のキーパーソンでもあるのだ。それらをエルフ領にそのまま逃すのは避けたい。ヴィットーリオが渋るのも無理はない。 出来ればアルビオンのスチュアート一家は丸ごとロマリアで確保しておきたいくらいだ、エルフなどには渡さずに。 ハルケギニアの王家の血筋はマギ族の血を色濃く残しており、故に別惑星に系統魔法の理を再構築するときの生贄としては申し分なく、そして生贄は多ければ多いほどいいのだから。 ヴィットーリオの返事に芳しくないものを感じ取ったのだろう。 ファーティマが不安そうな顔をする。表情に出すぎだ。彼女は直情的すぎて外交官には向かなさそうだ。 ヴィットーリオが口を開く。「貴女が私に話を持ってきたのは、私の虚無の魔法が目当てですね。あの擬神機関の結界の内部にゲートを繋げられるのは、今覚醒している虚無遣いでは私しか居ないでしょう、移動に特化した虚無遣いである私のみしか……」「ええ、そのことを見込んでお願いに参りました。どうか私の血族を救っては頂けないでしょうか」「対価は? 対価は何です? 虚無の魔法を使うのは、場合によっては命を削る。何の見返りも無しには、頷けませんよ」 その問いにファーティマは切り札を切ることにした。 問答する猶予もあまりないのだ。ことは一刻を争う。「……ロマリアは、聖地への立ち入りを求めていると聞いています」「その通り。ミスタ・アルハンブラから聞きましたか? 私たちの計画のために、ロマリアは聖地への立ち入りを求めています」「ですが、老評議会での協議は難航している、とも」「そうですね。――つまり?」「……私たちの派閥も貴国の聖地立ち入りの件について、支持しましょう。我が党は水軍を持ち、聖地の海を管轄していますから。そうすればきっと貴方がたの立ち入りも許可されるでしょう。――それが見返りです」 沈思黙考。会話の流れが止まる。 切り札を切るのが早すぎたか? とファーティマは考えてしまう。 だがファーティマの血族と彼女が所属する“党”はここ最近でかなりの勢力を誇っているのだ。この切り札のさらに奥の伏せ札もあるが、この提案だけでも充分だという確信もある。問題ないはずだ。 事態が逼迫しているのはファーティマもそうだが、ロマリアだってそうだ。ハルケギニア脱出の算段は可及的速やかにつけなくてはならないのだから。先日の炎神と混沌の戦いのような神代の戦争がまた起こらないとは限らない。ヴィットーリオだって焦っているはずだ。「良いでしょう」 ヴィットーリオは頷いた。 聖地ならばゲートの魔法で失う精神力の回復にも都合がいい。あそこは魔力に満ちあふれている。収支は釣り合うだろうと打算した。 元からアルビオンには使い魔(ヴィンダールヴ)のジュリオの帰還のためと、アルビオンの王女夫妻を誘拐――ご招待するためにゲートを繋がなくてはならないのだ。失う精神力の回復のメドが立つのは良いことだ。それに誘拐ではなく彼女ら自らの意思による亡命の方が、あとあと何かと言い訳が立ちやすい。 ジュリオには負担をかけるが、国王夫妻をそれに追加することくらいは問題無いだろう。あとで使い魔の共感覚で連絡しておかなくてはいけない。(シャジャル妃も一緒だと、ティファニア姫やシャルロット=カミーユを虚無魔法『生命』に捧げるときに一悶着ありそうですが……――まあそれは彼らを『箱舟』に乗せてしまえば“向こう(新天地)”の惑星でどうとでも出来るでしょう) そこはむしろヴィットーリオの手練手管の見せ所だ。 謀略は若くして教皇に上り詰めた彼のホームグラウンドなのだから。 ティファニアらを言いくるめて生贄に仕立て上げるくらい、ヴィットーリオには造作も無いだろう。「そういえば、何故貴女はシャジャル妃に拘るのです? 国を捨てた者など捨て置けば良いでしょうに」「……血縁だからですよ、教皇殿。エルフは氏族の結び付きが強いのです」「それだけですか?」 ヴィットーリオが微笑みながら尋ねる。この質問に意味は無いだろうに……、何故尋ねるのか、それはきっと単に面白半分なのだ。 性格が悪い。ファーティマは唾でも吐きたい気分だった。 虚無遣いをは皆このような性悪なのだろうか。そうに違いない。「…………。叔母が凄腕の神官だから。逆らうことは出来ないのです。今も空を超えて見張られているかもしれない。いつ何時呪いが降りかかるか分かったものではない……」「信心深いのですね、異教の神官でさえも恐れるとは。いや、迷信深いのでしょうか」 ヴィットーリオはファーティマを憐れむ。 信心が足りないから邪教の神官に怯える羽目になるのだ。 自分自身が確固たる信仰を持っていれば、たとえ暗黒の地母神の神官に呪われたとしても、何一つ恐れることはないのだから。「あなたには恐ろしいものなど無いのでしょうね、教皇殿」「そんなことはありませんよ。人の身ではどうにも出来ないことだってありますから」「そうですか? 人を超える方法だって、あなたは――あなた達(マギ族)は知っているのでしょう? 世界に解けて概念に昇華する方法を。――――エルフの六割を持っていった“大災厄”で何が起こったのか、知らないはずがありませんよね?」「それでも、ですよ。世界なんてものは、最も不確かなものの一つにすぎないのですから」 無言で睨み合う。 次の瞬間、不意に、かすかに宗教庁が震えた。 地震だ。「これは……地震? 一体――」「始まったのでしょう、アルビオンとシャンリットの戦争が。これは大方、山脈が立ち上がった音でしょうね」「山脈が? まさか!」「――――蜘蛛連中にとって山を立ち上がらせることくらい、造作も無いことなのですよ。常識で推し量ることは愚かだ」 ビダーシャルは押し黙っている。ファーティマは目を白黒させている。余りに突拍子もなさすぎて実感がわかないのだろう。 余り猶予はなさそうだ。早くアルビオンに潜伏しているヴィンダールヴ・ジュリオと連絡を取らなくては。蜘蛛連中がティファニアたちを確保する前に攫ってしまわないといけないのだから。 ヴィットーリオは忌々しげに、クルデンホルフ首都シャンリットの方角を睨みつけていた。「まあ今回も蜘蛛連中は上手くやるでしょう、ハルケギニアを破滅させない程度には」「奇妙な信頼、だな」「統計的事実ですよ、ミスタ・アルハンブラ」「だといいが」 ビダーシャルが鼻を鳴らすが、ヴィットーリオとてそこまで無条件にシャンリットの千年教師長を信頼している訳ではない。 いざとなれば自分の魂を削ってハルケギニアの半分を邪神の戦場ごと宇宙の何処かへ強制転移魔法で吹っ飛ばすくらいは考えている。 尤も今回の事態はその程度で収束する範囲には収まらなくなるのだが――――彼らはまだそんな事は思いもよらない。◆◇◆ 一方その頃アルビオンのハヴィランド宮殿の肉壁の中。 教皇の使い魔であるヴィンダールヴ・ジュリオは蠢く肉壁に埋もれ、その一部を【他種族支配】の能力によって乗っ取り、宮殿内部を偵察していた。「眼球端末生成」 ジュリオの足元に、無数の眼球がぞわりと浮かび上がる。「行け」 それらは海岸で逃げ惑うフナムシの群れのように、肉色の床を滑るように移動していく。 一見正常に見える壁面も、全ては肉壁の擬態である。そこを分化させられた眼球が滑って走る。 この宮殿は、生命要塞なのだ。ジュリオはヴィンダールヴの能力でそれを乗っ取っている。 ジュリオは縦横無尽に走り回る眼球を介して宮殿内を隈なく窃視せんとする。 遠隔視の眼球は壁も床も関係なくぬるりと滑ると、ぎょろぎょろと目当ての美姫たちを探す。 さらに彼は乗っ取った体性感覚で、宮殿内の人物の動きを把握する。 ルーンを介して伝えられる情報が、不快感とともに押し寄せる。皮膚の下で寄生虫が爬行するような不快感。宮殿内部で蠢く人間らしきものたちの存在感に、胸をかきむしりたくなる。 膨大な量の情報がジュリオの脳を焼く。 だが、そんなものはヴィンダールヴのルーンによる補正によって問題ないレベルに緩和される。 伝説のルーンは所有者に、伝説に相応しいだけの能力を与える。与えてしまう。 そしてそれは身体スペック的に許容できるというだけであり、精神的に耐えられるという意味では決してない。 人ならざる者の感覚を乗っ取り支配するという行為は、その分だけジュリオの心を確実に人間から遠ざけるのだ。「……見つけた」 ジュリオは遂に目当ての姫を見つける。 王宮の庭で仲睦まじい様子のティファニアとシャルロット=カミーユ。 それを微笑ましげに見つめるシャジャルとチャールズ・スチュアート。 正に理想のロイヤル・ファミリーだ。 彼は思わず見蕩れてしまう。 汚泥と腐肉に沈む自分と比べて、彼女らの何と輝かしいことか。 ジュリオには、そんな家族は居ない。 いや一人、家族以上の主人のみが居る。ロマリアの謀略の海を共に泳いできた主人ヴィットーリオが。だから寂しさを覚えること無い、無いはずだ。 だがそれでも、視覚端末越しの光景は、目に毒だった。 やがて彼女ら家族を、ロマリアの謀略に従って虚無魔法『生命(リーヴ)』に生贄に捧げることを思うと、ジュリオの中から幾つも湧き上がる気持ちがある。 憐憫と悲哀。 そしてそれ以上の、仄暗い喜び。恵まれた相手を引きずり下ろすときの、許されざる快感。 『その時』を想って、ジュリオは生きた宮殿に埋没して息を潜める。◆◇◆ ――空が落ちてくる。 いよいよシャンリットの上空に差し掛かったアルビオン大陸は、それそのものを武器として、シャンリットを押しつぶさんとしていた。 まるで夜。アルビオンがシャンリットに影を落とす。 そして自身も落ちんと欲す。 だが勿論、シャンリットもそれを指を咥えて手を拱いて見ているわけではない。 アルビオンが上空に現れた時には、シャンリットでは軍団の出撃準備が整っていた。 トップの指揮権の移譲こそ少し遅れたが、戦争の準備は万端であった。 その軍団の中に、金髪ツインテールの若い――というよりは幼い、女性の士官の姿があった。「戦争、戦争、戦争――嫌になっちゃいますわ。はあ、全くもってお姉さま成分が足りません!」 シャンリットの何処かにある格納庫らしき場所で、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・カンプリテ・クルデンホルフ大公令嬢はため息をついた。 彼女は夜会に着ていくようなドレスではなく、近代的な迷彩服に身を包んでおり、傍らにはヘルメットも置かれていた。 どうやら戦争に参加するらしい。襟元には士官階級を示す階級章が輝いている。しかし何故に大公令嬢が戦争に一兵卒として参加するのだろうか?「後方で待機なんかしてられませんわ。ここは階級を上げるチャンス……功績を積んでおけば今回みたいに千年教師長から急に呼び戻されることもなくなるでしょうし。 それにセヴァンフォード(セヴァン渓谷)やゴーツウッド(黒山羊の森)には貴重なアーティファクトが眠っていると聞きます。それをちょろまかしてお姉さまへの手土産に――」 どうやら戦利品の着服が目当てのようだ。 それでいいのか大公令嬢。軍規はどうした。いや、逆に大公令嬢だからこそ許される類のワガママか? お姉さまへの愛の前には軍規遵守など関係ないとでも思っているのだろうか。……大いに有り得そうだ。「いやいや、マスター・ベアトリス……、着服はマズかばい」 ベアトリスの頭上から半人半蜘蛛の幻獣――アラクネーのササガネ――が糸を伝って逆さに降りてくる。ベアトリスの使い魔だ。 その姿は艶かしく、人間のような上半身は黒髪を編んだようなドレスできつく絞り上げられている。男なら胸の谷間に思わず目が行くだろう。 ベアトリスがササガネを見上げて会話する。「ササガネ、昔の人は言いました。『バレなきゃ、罪じゃないんだぜ』と」「ええーー……? それで良かとですか?」「良いのよ!」 胸を張るベアトリス。 だがそうは問屋が卸さないらしい。【いいや、良くないな】 聞いているだけで陰鬱になる声が響いた。獲物を絡め取るような蜘蛛の巣のような声だ。「んん? 何ですの? 誰? 何処に居るの? 出てきなさい!!」「あ、あはははー、ご主人様? 何かいやーな予感がするけん、逃げても良かかね?」「却下。いつもいつも逃げ出してからに、だいたいアンタには使い魔としての自覚が――――……っ」 いや、今はそんな問答をしている場合ではない。 シャンリットの格納庫で敵に襲われるとは考えづらいが、万が一ということもある。 大博物館の所蔵品から滲み出た異界の生き物かもしれないし、シャンリットの街に潜む悪意の具現かも知れない。 ベアトリスはさっと周囲を警戒する。「……? 何も、居ませんわね。気のせい?」「やっぱり悪いことはいかんのですよ……。やめましょうやあ、やめましょうやぁ……」 だが何も見つけられない。 ササガネはすっかり萎縮して小さくなって震えている。ベアトリスが見つけられないだけで、ササガネは魔物の本能で何かを感じ取っているようだ。 ベアトリスがさらに注意を広げようとした瞬間、彼女の影から声が聞こえた。【気のせいではないぞ、蜘蛛の末裔、我が眷属】「――ッ、この声は!」 ベアトリスが戦慄する。 シャンリットに暮らすものなら知らぬ者は居ない声。 千年教師長、ウード・ド・シャンリット!【前線を観察するのに都合の良い依代を探しておったのだ。それがシャンリット――カンプリテ・クルデンホルフの末娘なら申し分あるまい】「な、何をっ!?」 ベアトリスが不吉な予感に後ずさる。 ササガネは頭を抱えて部屋の隅で丸まっている。「諦めましょうやぁ……」というボヤキも聞こえる。完全に気合い負けしている。 純真な子供のような悪意なき、しかしそれ故に最もどうしようもない暗黒の声がベアトリスに纏わり付く。【なぁに、少しの間だけ身体を借りるのだ。後で褒美も渡そうぞ】「か、勝手に決めな――――きゃあ!?」「ひ、ひいいいい!? ご主人様ーー!?」 ベアトリスの影から黒い糸――ウードの本体たる魔道具<黒糸>――が飛び出し、彼女を幾重にも取り巻いていく。 それはまるで闇の絹で出来た繭のようであった。ベアトリスはすっかりと繭に覆われてしまった。 そしてその繭が収縮し、まるで全身タイツのようにピッタリと締め付ける。中でベアトリスが逃れようと藻掻き、ぐにぐにと闇色の繭が変形する。「ぐ、うっ……うぅ……!! むー! むぅ~~!!」【抵抗するな。今は眠れ。夢の国でならお前が敬愛を捧げる主君にも会えよう。七百七十の階段を下り炎の神殿を潜りあやかしの森を駆けて主君の治める国へ往くが良いさ。そうすれば時ならぬ援軍にお前の主君も喜ぶだろう!】「……ぅくっ! むーむーむ~~!! むぐぅ~……っ、……っ――――」 やがてベアトリスの動きがなくなり、倒れこむ。 直後にすぅっと闇色の繭がベアトリスに吸収されるように消えてなくなる。 そしてベアトリスはまるで何事もなかったかの如く、跳ね上がるように立ち上がった。「くふふ、ふふふふふ、ふはははははははははは!!」「ま、マスター・ベアトリス……?」「馴染む! 実に馴染むぞ! やはりシャンリットの血はよく馴染む! くふふはははははははははっ!!」 不気味な嗤い声と共に立ち上がったベアトリスに、ササガネは怯えつつも声をかける。 ぐるりとベアトリスが首を回し、ササガネに狂笑を向ける。 そのあまりの形相に「ひぃ」と悲鳴をあげてササガネが引く。「ああ、使い魔のアラクネーか。お前も主のベアトリスの元に行くが良い。別に私に着いてきても構わんのだが、契約の主と居るのが筋だろう」「え、いや、その」「【アトラク=ナクアの子供の従属】の魔術によって無理矢理にお前を私の急造の使い魔として従わせても良いのだが――、別に今さらアラクネーの使い魔なんて要らんしな。それにまあ我が末裔の娘を野垂れ死なせるわけにもいかぬ故な、お前もドリームランドへと行けば良いのだ」「あの、勝手に、そげんこといわれても」「何遠慮するな、虚無の『世界扉』かゲートの魔術でもって直通で送ってやろう。帰りは適当に頑張れ」「それってどう考えても一方通行ですよねえ!? 片道切符じゃないですか、やだー!!」「問答無用。お前と主人の魂を捏ね混ぜて完全なる一心同体の合成獣(キメラ)にしなかっただけでも有難く思うんだな」 そう言ってウードはベアトリスの声で、時空を曲げる魔術を唱える。 彼方と此方を繋ぐ魔術【門の創造】によって、空間が悲鳴をあげて歪み、絶対に入りたくはないと思わせるような忌避感を抱かせる穴が開く。 ウード(in ベアトリス)はレビテーションの魔法でアラクネーのササガネを持ち上げると、その穴の中へと放り込んだ。「行ってこい!」「いーやーー!?」 放り投げられたササガネの悲鳴がドップラー効果を生じて遠ざかる。 異空の繋がる先はドリームランド。帰り道は不明である。 ウードは幻夢郷に開いた【門】を閉じると、ウキウキと依り代にした少女の年格好にふさわしい態度で歩き出す(中身は全くそうではないが)。 邪神と邪教と異形が蹂躙し尽くしたアルビオンの実地調査に赴くのだ、心が躍らないはずがない。邪教がはびこる前と後では、何が変わったのだろうか、何が変わらなかったのだろうか。かつてのシャンリット――アトラナート商会――でも、そこまで徹底的な社会的実験はやらなかった。ああ一体どんな有様になっているのだろうか、白の国は。そして彼らはどのように我ら叡智の蜘蛛の眷属に抗うのだろうか。あるいは彼らの方が我らの上を行くのだろうか。暗躍するカオティック“N”と会うべきか、ああ、折角だから会うべきだろう。ここまでお膳立てされたイベントなのだ、拝謁しに参上せねばなるまい。行く先に何が待とうとも、だ。未知を恐れて何が探求者だ、何が未知なるものの蒐集家か。そもそも破滅を恐れるような者は、千年を経て形を保てはしない。最初から狂気に身を任せはしない。自制など、千年の内に磨り減ってしまった。ウード・ド・シャンリットが躊躇う理由など、もはや何処にも存在しない。 アルビオン大陸は既にクルデンホルフ領空に侵入しており、徐々に高度を下げつつある。シャンリットは既に大陸落としの射程圏内だ。 だが当然にして相手の射程内ということは、学術都市シャンリットの射程内にも収まっているということ。 学術都市の第一撃がそろそろ炸裂することだろう。その一撃は擬神機関(アザトース・エンジン)によるアルビオンを囲う結界を切り裂き、後続の部隊が突入するための橋頭堡になるはずだ。 ウード(in ベアトリス)の周囲で、突入部隊が整然と準備を始める。 ――いよいよだ。◆◇◆「擬神機関の位置、算出できました」「ルート検出および、推力プログラム調整終わりました」 シャンリットの中枢では、第一撃の準備が進んでいた。「グレゴリオ・レプリカ八万基を励起状態に移行。残り二万八千基を準励起状態に」 天から垂れる巨大建造物、軌道エレベータ――天空研究塔『イェール=ザレム』の内部。 そこに格納された十万八千の培養ポッドに光が灯る。 浮かび上がるのは、千二百年前の虚無の聖人グレゴリオ・セレヴァレを起点に改良を施し続けた量産型の聖人兵器――グレゴリオ・レプリカ。「聖堂詠唱。虚無魔法『解除(ディスペル)』および虚無魔法『魔法制御(コントロール)』。比率は三対五」 培養ポッド内の聖人たちが声にならない絶叫を上げる。虚無の魔法の強制使用は、残り少ない彼らクローンの魂を削り切る。所詮彼らは一山幾らの使い捨ての量産品。 量産によって複製され薄められ分割されたグレゴリオ・レプリカの魂だが、共鳴させることで、瞬間的な大出力を確保できる。 擬神機関の結界を中和して切り裂くほどの出力を。「『魔法制御』、引数入力開始」 グレゴリオ・レプリカ内部に張り巡らされた<黒糸>を通じて指令を下す。「――対象魔法=“虚無魔法『解除』”」「――形状=“刃”」「――基点構造物=“天空研究塔『イェール=ザレム』”」 『解除』のフィールドが『魔法制御』によって整形され、軌道エレベータに纏わり付き、その全体が鈍く輝く。 それはデルフリンガーが得意とする、『解除』の刃と同じものであった。違うのは、その規模だけだ。「爆砕ボルト、点火」「イェール=ザレム基部、分離します」 軌道エレベータの基部が爆音とともに切り離される。「大気制御開始、正弦波打ち消し計算」 内部に蓄えられた風石を消費し、周辺の風の影響を遮断。 ぐねぐねと蛇のように波打つ軌道エレベータ本体の姿勢を制御。 さらに振り子の要領で、落ちながらシャンリットに近づくアルビオンとは逆側にしならせる。 結界を溶かす『解除(ディスペル)』の刃。 薄れた結界を叩き割る大質量。「大陸斬断刀『イェール=ザレム』、いつでも行けます」 全ての準備が整った。「オルガ・ルイン長官、発動許可を」 ウードから軍の全権を移譲されたゴブリンメイジ、オルガ・ルインは一瞬瞑目する。 彼女の金髪の巻き毛が微かに揺れる。 だが真面目くさった外見とは裏腹に、心の内では超絶にウキウキ跳ねまわっていた。(シャンリットの死蔵兵器の一つ、イェール=ザレムをこの手で起動できるだなんて! 大規模破壊兵器フェチの血が騒ぎますわっ) この女ゴブリン、大艦巨砲主義者である。 オルガ・ルイン系統を始め、幾つかのゴブリンの系統には千年前から脈々と受け継がれる業が染み付いてしまっている。オルガ・ルインの場合は大艦巨砲主義だ。 彼女は深呼吸し、直後カッと目を見開くと、いよいよ命令を下す。「開戦ですわ。――――イェール=ザレム発動! 大陸を斬断せよ!」◆◇◆ 静かに、遠目にはゆっくりと、天から垂れる一本の蜘蛛の糸が振り子のようにゆらぁりと、落下するアルビオン大陸に向かって行く。 だがそれは実際は音速に数倍する速度であった。 標的のアルビオン大陸も、天からの糸――軌道エレベータ・大陸斬断刀イェール=ザレム――も、両方が巨大すぎて、その速度が実感できないのだ。 風を切る音は聞こえない。不気味なまでの静けさの中を、イェール=ザレムが加速する。 周囲の大気を制御し、空気抵抗を無効化しているのだ。 内蔵された風石機関と慣性制御魔法によって異常なまでに加速するそれが、鈍い『解除(ディスペル)』の光を纏ってアルビオン大陸に迫る。 そして、見えない障壁にぶつかる。 アルビオンを覆う結界である。衝撃に応じて、その結界が姿を現す。本来ならば遥か月のゲートからの遊星爆弾によって減衰させる予定だったそれは、未だ健在。 可視化して、凝縮した霧か雲のようにも見えるそれが、イェール=ザレムの進路を阻む。 球状に展開された結界に吸い付くようにイェール=ザレムが弧を描いて変形していく。 ただの質量攻撃ならば、結界が完璧に防いだだろう。擬神機関の結界にはそれだけの強度がある。何となれば落下して惑星に接触するアルビオン大陸の全質量を、結界を柱にして支えることが出来るほどの強度があるのだ。 しかしシャンリットは、アルビオンに強固な結界があることなど既に知っていた。ならば対策しないはずがない。 イェール=ザレムは単なる大質量の建造物などではない。 虚無の聖人数万人を共鳴させたアンチマジック兵器なのだ。遊星爆弾が不発であったために結界が減衰されていなくとも、全く問題無い。 イェール=ザレムの風石機関が出力を上げ、特に最下端から猛然と加速する。 如何なる魔力も分解する虚無の『解除(ディスペル)』が、結界をゆっくりと掻き分けるように切り裂いていく。 粘土の塊を糸で切るように、ゆっくりとイェール=ザレムがアルビオン大陸に近づく。 お互いの機関が唸りを上げて魔力を放出し、あるいは分解する。 魔力が相喰みあって消滅するときの虹色の輝きが美しく空を覆う。 じわじわと――それでも縮尺を鑑みれば相応の速度で――軌道エレベータ・イェール=ザレムは、アルビオン大陸に近づいていく。 そして遂に――――!◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 33.開戦の狼煙は大陸の悲鳴◆◇◆「イェール=ザレム、赤熱化開始」「アルビオン結界抵抗値を再測定、推力調整」「目標、ロンディニウム近郊」「事前設定された途上地点にて、調査・蒐集部隊を順次射出する。該当の部隊は射出に備えよ」 イェール=ザレムは遂にアルビオンに辿り着き、その大地を斬り裂き始めた。 赤熱化し高速振動する長大な蜘蛛の糸が、地面を溶かしながら斬り進む。アルビオン大陸を直下型の地震が襲い、周辺の断層も活性化する。震動によって大陸の辺縁からは岩塊が剥がれ落ちる。 進行ルート跡は一瞬だけ、遥か地表まで見える断崖絶壁になり、地下水脈が水蒸気爆発を起こして砕けたり、その水脈が滝のようになって零れ落ちる。 が、直ぐに断面から、まるでカビが増殖するように何本もの通路らしきものが伸びて、赤熱化して熔けた断面を繋ぎ合わせる。あたかも大陸そのものが生きているかのようである。「軌跡が修復されていきます」「アイホートの迷宮概念による自己修復と推定」「大陸迷宮要塞ですね、やはり全体に迷宮を張り巡らせて要塞化していましたか」「イェール=ザレムの進行ルート近辺については地図作成出来ています。しかし全容は不明。迷宮が崩落する前に全容を調査するべきかと」「【アイホートの雛】を宿した調査隊の準備は万端です。アイホートと契約した彼らならば迷宮内でも迷うことはないでしょう」「では当初からの計画通り、調査部隊を投入するのですわ!」「了解しました、オルガ長官! イェール=ザレム壁面展開、<ゲートの鏡>内蔵の穿孔魚雷を発射します」 大陸を切り裂いて進むイェール=ザレムの壁面に射出口が開く。 そしてそこから現れるのは、先端がギュインギュインと回転する穿孔魚雷。それが全周囲に無数に発射されていく。 穿孔魚雷は適当なところまで進んでは停止し、内蔵された<ゲートの鏡>を通じて要塞をマッピングする任務を帯びたゴブリンメイジたちを吐き出していく。 無数のドリル魚雷を蜘蛛の子を散らすように(?)バラ撒きながら、イェール=ザレムは爆進する。 天から垂れる蜘蛛の糸が進む先は、瘴気漂うロンディニウムのハヴィランド宮殿。 敵の中枢、動力炉である擬神機関を制圧せんと驀進する。 だがこれは戦争。 いつまでもシャンリットのターンではないのだ。戦局は流動的で、お互いがお互いの思惑を持って動く。最悪の状況――自陣営の敗北を避けるために。 お互いの意思が噛みあい、時には空回り、戦争はまるで生き物のようだ。 ――要するに、アルビオンも、ただ指を咥えて見ているわけではないということ。◆◇◆ アルビオン大陸のゆるやかな落下は、止まってしまっている。 イェール=ザレムが突き立って、落下する大陸を支えているのだ。 だが大陸落としのみがアルビオンの武器ではない。 アルビオン大陸辺縁および大陸下部の断崖に開いた無数の横穴――アイホートの迷宮の開口部だ――から、雲霞のようにヒト型の何かが飛び出してきた。 それはそのままの勢いで、眼下のシャンリットへと向かって落下……墜落していく。 まるで雨のように、そのヒト型たちは尽きることがない。 遠目から見るとまるでアルビオンからシャンリットへ緞帳が降りるようにも見える、それほどの密度だ。 大陸から飛び降り自殺者たちが落ちていく、猛獣の口から滴る涎のように。 だがそれは本当に自殺者なのか? レミングのような。 いいや違う。 あれは兵士だ。 千メイルを超える高度から飛び降りても無傷で済むような――そんな人外の兵士だ。 その証拠に兵士たちは一定の速度で降下している。 重力加速度に抗っているのだ。 あれらは空を歩いている! ハイランドの野人、イタクァの信奉者、北風の眷属。 間違いない、ウェンディゴだ。獣じみた歪んだ骨格、はるか彼方からの風の音のような遠吠え、赤く爛々と輝く瞳! 無数のそれは、クロムウェルの呪いによって真なる血脈に目覚めた風のスクウェアメイジの成れの果て。ワルドの偏在だったもの。 理性を失い、正気を喪い、赤の女王の魅了に罹った彼らは、空を駆け下りて一路シャンリットを目指す。 一千万を優に超える空挺部隊だ。 落ちても落ちてもまだ尽きない。 一国すべての国民に匹敵する使い捨ての兵隊たち。 しかも彼らウェンディゴ・ワルドたちは、擬神機関さえ無事ならば、そこからの魔力供給で即座に数千万倍にも分身することが可能なのだ。 尽きることの無い悪夢の軍勢。 戦争は物量だと信奉しているのは、シャンリットのみではない。 偶発的に得た戦力を、アルビオンのシャルル・ドルレアンは積極的に活用していた。 全ては彼の野望のために。 ハルケギニアを統一するという、誰の目から見ても兄に負けない偉業を打ち立てるために。 その第一歩として、ハルケギニアのあらゆる富と智慧の集積地であるクルデンホルフ領シャンリットを制圧する。そうしなければならないのだ。 本来ならば作戦名『アルビオン堕とし(Falling Albion)』の名前の通り、アルビオン大陸ごとシャンリット直上に落とし、街を押し潰し、グラーキの魔水をシャンリットの地下都市に流し込み、アイホートの迷宮概念で侵食する予定であった。 だがそれはアルビオン大陸に軌道エレベータ・イェール=ザレムが突き立ったことによって妨害された。 落ちようとしても、大陸を切り裂いていく軌道エレベータが支えとなってそれより下に落下できない。 しかし大陸そのものを武器にしなくても、充分に勝算はあるはずだ。 文字通りに無尽蔵なウェンディゴたち、その他の様々な異形……あるいは神そのもの。 世界を滅ぼして余りある戦力が、シャルルの手中にあった。 『アルビオン堕とし』だって、あの蜘蛛の糸――イェール=ザレム――を断ち切ってしまえば再開できる。その工作のための兵隊たちは既に差し向けている。何の問題もないはずだ。そう、そのはず。 シャンリットからの迎撃は、何故か無い。 彼らならば、宇宙中に散らばる拠点から転移門を用いて何億もの兵士を集結させることも可能だろうに。 あるいは大地に張り巡らせた<黒糸>の魔道具を使って全周囲から尽きない火炎や烈風でウェンディゴを撃ち落とすのも訳はないはずだ。 それなのに何故? 簡単だ。 シャンリットは簡単に終わらせるつもりがないのだ。 セオリー通りにやる必要など、彼らには無い。 何故なら勝利も敗北も、征服も蹂躙も、シャンリットにとって全ては等価値なのだ。 ただそれら有象無象の概念より一段高い部分にあるのは、未知というもののみ。 蜘蛛の連中は今迄に無いような戦争が望みなのだ。 折角だからあれもこれも使ってみよう――そんなことを傲慢に考えているに違いない。 いや、あるいはそれは傲慢ですらなく、単なる習性に過ぎないのかもしれないが。 ウェンディゴ・ワルドの群れが、飢えたイナゴのようにシャンリットの空を埋め尽くす。 空など見えない。一分の隙もなく空を塞ぐ。 見えるのは黒く蠢く異形の獣人(ウェンディゴ)のみ。 やがてそれらが地表に辿り着き、シャンリットの何もかもを根刮ぎにしようとした。 その時である。 地響きが轟いたかと思えば、太陽かと見紛うような巨大な光球が飛来し、ウェンディゴの群れの半数を削り熔かした。 光球の軌跡、陽炎に揺らいだそこから、灰白色の岸壁と青い空が見えた。 そして見えたのはそれだけではない。 視界の端に映るのは、シャンリットに蓋をするように被さったアルビオン大陸の更に外側から震動しながら立ち上がる巨大な何かだった。あそこには山しか無いはずなのに、一体何だというのか。◆◇◆ 山脈が立ち上がっていた。 シャンリットを囲む一千メイル級の山々――火竜山脈の末端に連なる内のその一つが。 目を疑うような光景であった。 山とは動かないからこそ山なのだ。 それがあろうことか立ち上がり、蠢き、咆哮を上げていた。それは爆音であった。だが、確かに咆哮でもあった。 “火竜(・・)山脈が竜のように咆哮を上げたところで、何の不思議があろうか”と、そう主張しているかのようであった。 山裾からは数千メイルに渡る細い――それは本体に比してと言う意味でしかないが――棒状の……否、触手が数百本は伸びている。 それは灰色で汚らわしくてかてかと光っており、一本一本の太さが、シャンリットの摩天楼一本分には優に匹敵するだろう。その触手でさえも、本体の巨大さに比べればごくごく細いものにしか見えなかった。 ウェンディゴ・ワルドを蒸発させた極大の火球は、その巨大な触手の先端から、まるで火山が噴火するように吐き出されたのだ。 次々と地中から触手が引き抜かれる。埋設されたワイヤーを無理矢理引きぬくように、大地を掘り返して割りながら触手が数を増やしていく。引きぬかれた触手の先からはマグマが滴っていた。アレはその触手の先からマグマを啜っていたのだ! ざわざわと揺らめき、数を増やす触手たち。それはあまりにも禍々しい光景であった。 動き出した山の頂きに当たる部分に、二つの光が灯る。 ――眼だ。竜の目だ。 そして一際大きな咆哮、否、噴火のような低い轟音と爆音。 同時に山頂より少し下の地面が抉れ落ちる。竜の顎のような形に山頂を残して。まるでその形が当然であるかのように。 大山鳴動して竜一匹。 無数の触手。 巨大過ぎる体躯の竜。 ――触手竜。 大気が震え、地が鳴動する。 ゆらりと触手たちが鎌首をもたげる。 そしてその先からまた特大の火球。 しかし今度は一つではない。 無数の火球。白熱する空気。 余波で燃え上がる森林。 しかし、いかなる技術の賜物か影響を受けないシャンリット都市圏と、結界に守られたアルビオン大陸。 再び実体ある『偏在』で増殖し、空を埋め尽くし直していたウェンディゴ・ワルドは、やはり鎧袖一触、蒸発した。 今度は目に見える範囲の全てのウェンディゴの群れが消え去った。 青い空に浮かぶアルビオン大陸は、熱気でゆらぎ、まるで蜃気楼の浮き島のようだ。『VOOOOOOOOOO■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■OOOO■■OhhhhhOOOOOOOO■■■■■■OO!!!!』 耳を塞いでも腹に響く咆哮。 千年を超えて生きる最初の触手竜。 封印されし守護竜。 シャンリットの小神兵器が一つ。 溶岩を啜ってのたくる魔蟲とのキメラ。 ――――邪竜イリス、覚醒。◆◇◆ 一方幻夢郷でも怪獣決戦が佳境であった。 ピンクブロンドの鱗を持つ多頭の竜(ヒュドラ)が、巨大な顔だけの化物と格闘戦を行なっている。 ヒュドラの長い首が顔の化物に噛み付く。九本の首の根本には、大変美しい少女が埋まっていた。 顔の化物の方は、蝸牛の腹足のような底面から悍ましい触手を生やしてヒュドラに巻きつける。ヒュドラの相手の姿は巨大な顔を背負った蝸牛のようだ。 ――――透き通った桜色の鱗を持ったヒュドラは、ルイズ・フランソワーズ。複製変容術式『九頭竜』によって変容した姿だ。 ――――対する顔だけの化物は、ヴァルトリ・レプリカだ。遂に彼は本性を表していた。 虚無の正当なる力を継ぐのに相応しいか、彼女らは全てを賭けて競っているのだ。その身を異形としてまで。「いい加減にぃ、私を認めろぉ!! ヴァルトリ・レプリカぁああああああ!!!」『まだまだぁ!! 虚無の理を手にするとは、即ち世界を手にするのと同義! お前のような未熟者には渡せぬ! それでも欲しいというのなら――』「――力づくという訳ね……。この分らず屋ぁあああああああ!!」 今こうしている瞬間にも、ハルケギニアには滅びが迫っているかもしれないのに。 ルイズは歯噛みする。 この時代に四つの虚無が揃ったのは、神の――ブリミル・ヴァルトリの思し召しではないのか? 邪神に対抗するために。そう思う気持ちもある。 だが一方で、この対決に心躍る自分が居ることもまた事実であると、ルイズは自覚する。 自ら手に入れずして、何が『力』か。 それもまた偽りなきルイズの本心である。 ルイズが造り上げた城ほどの大きさもあるヒュドラの身体、その首元に埋まる形のルイズは、凄絶な笑みを浮かべる。 先ほどヴァルトリの巨体に食らいついた際に、幾らか相手の肉を引きちぎった。牙に『魔法制御』で圧縮した『爆発』を凝縮して、相手の防御を貫いたのだ。 その肉を喰らう。そして自らの糧にする。貪食の蛇。多頭は強欲の証だ、一つの口では到底足りないという強欲さの証。相手の肉を食らうことで、ルイズは枯渇する精神力を補っている。「おおっ! テメエの相手はルイズだけじゃねえぜ!」「そうです、私たち従僕も含めて、これ即ちルイズ様の力!」 イボイノシシの唸り声を思わせる銃声とともに、ヴァルトリの一部に火花がはじけ飛ぶ。その勢いに押されて後退するヴァルトリ。 銃声の元を辿れば、神刀<夢守>から影の触手を展開して巨大なガトリング・ガンを支えるサイトとシエスタの二人(ちなみにルイズの国民たちとモンモランシーは精神力切れで戦線離脱している)。 黒光りするのはGAU-8 Avenger。歩兵の守護神、A-10の武器。30mm口径の弾丸を毎分3900発吐き出す化物砲。弾丸含めた重量は2トンに迫る。正直言って人間が扱えるものではない。だがそれでも虚無魔法を凝縮したフィールドを纏うヴァルトリには有効打を与えられない。 サイトが握る封印刀からは【夢のクリスタライザーの守護者】の触手が何百本と展開され、蔦をより合わせたような有機的な砲台を築いている。それが反動を吸収し、狙いを定めているのだ。「シエスタ、次!」「はい、サイトさん!」 影の蔦で出来た砲台が、過熱したアヴェンジャーを放り捨てると同時に、それは夢の粒子に分解される。 そしてシエスタが再構成。 ドリームクリエイション。幻夢郷では精神力と引換に望むものをクリスタライズ可能なのだ。必要な精神力はルイズとの繋がりを通じて下賜されている。 新たなアヴェンジャーを再度、影の蔦が把持。 再点火。アヴェンジャーが吼える。 今度は弾雨は直撃せずにヴァルトリの『爆発』魔法によって消滅させられる。 そして『爆発』は射線を辿って、サイトたちの方へと迫る。 細かな爆発が弾丸を喰い潰しつつ迫って来る様は、空飛ぶ龍が追い縋るようで恐ろしい。「うわっ、逃げるぞシエスタ!」「了解です!」「しっかり掴まれよ!」 即座にアヴェンジャーの把持を放棄し、影の触手を<夢守>に収納して飛び退るサイト。シエスタはサイトに抱えられている。 直後に彼らが居た場所が文字通りに消滅する。 冷や汗をかくが、だがこれでイイとほくそ笑む。 ヴァルトリの注意を分散させるだけで充分な支援になるのだ。 ズン、と轟音とともにヴァルトリの巨体が吹き飛ぶ。「余所見とは余裕じゃないの、ヴァルトリっ!!」『ぬ、う』「サイトとシエスタだって私の力のその一端! 卑怯などとは言わせないわ―― ――というか仲間の協力なしに神に勝てるかぁっ!? このバカーー!!」 ルイズのヒュドラの首の一本がヴァルトリに(ヤケクソ気味に)突進したのだ。 インパクトの瞬間に輝くヒュドラの牙。虚無魔法によるコーティングだ、それがなければ同じく『爆発』を纏っているヴァルトリ相手に攻撃は通じない。 そしてまたルイズの牙がヴァルトリの肉を引き千切る。 さらに本体もヴァルトリにのしかかり、遂には押し倒して組み伏せる。「マウントポジションー! ここからはずっと私のターン! 勝てば良かろうなのだぁーー!!」『まだまだ! この程度何のピンチでもない!』「うるさいうるさいうるさい! 黙って喰われてなさい!」『ええい、この!』 さらにさらにそこに――「お・ね・え・さ・ま~~! あなたの妹にして信奉者、ベアトリスが援軍を連れて参りましたわ! レン高原に住まう【レンの蜘蛛】たち三千匹! ああなんて雄々しい姿のお姉さま! そこのそいつが敵なのですね!?」 使い魔のササガネに騎乗しているベアトリス。ハエトリグモのような脅威の瞬発力で戦場に乱入する。 それに続くのは大小様々な蜘蛛たち。レン高原に生息する賢くも獰猛な蜘蛛だ。 彼女は現実世界(ハルケギニア)で意識を身体から追い出されたあと、それらの蜘蛛たちを征服してからこちらにやってきたのだ。「者ども、掛かれー!!」【【 ギイィーーー!! 】】 ベアトリスの掛け声とともに、蜘蛛たちは腹先の糸疣をヴァルトリに向ける。 そして蜘蛛の糸を射出。 ヴァルトリの身体を雁字搦めにして押さえこんでいく。 その間にもルイズはヒュドラの首で間断なく攻撃を加えている。 ヴァルトリはそちらに対応するのに精一杯で、蜘蛛の糸を『爆発』で焼き切る事はできないでいた。 桜色のヒュドラによって削り取られていくヴァルトリの肉体。 急所らしき脈動する内臓器官が、遂に顕になった。「これでトドメ――!?」『うぉおおおおおおおおおお!! 鬱陶しい!! そうはさせるか!』「きゃ!? くぅっ、しまった――」『この戦いの中で貴様も中々成長した――だがまだ認めてはやれんな』 だがそこでヴァルトリは反撃。 一瞬の溜めの後に、特大の『爆発』を炸裂させて、自分もろともにヒュドラ・ルイズを吹き飛ばす。 そして立ち上がると、膨大な魔力に任せて傷を修復する。 だがそれを許さない男が居た。「そこが急所かぁああああ!!」 平賀才人だ。 彼は<夢守>から展開した触手を束ねて巨大な刀にすると、いつの間にか張られた蜘蛛の糸を足場にして加速する。 サイトの身の丈の五倍はあるような闇色の刃が、先ほど垣間見えたヴァルトリの心臓目掛けて進む。 彼の左手のルーンの刻印が目を焼くような光を放つ。 そう。 虚無使いの心臓を、ガンダールヴの刃が貫くのは、必然であり運命なのだ。 六千年前からそれは決まっている。 世界を覆う概念であるヴァルトリは、しかしそれ故にその神話の運命から逃れることは出来ない。「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」 運命の後押しを受けたサイトの刃が、ヴァルトリに突き立つ。『み、見事……。信じられぬが、私の――負けだ』 粒子に還元されながら崩れ落ちるヴァルトリ。 その粒子と崩れる肉体が、ルイズの身体と影へと流れ、吸収されていく。 同時に世界を形作る虚無の理についての認識が、彼女の脳髄と魂を染め上げる。「これが、虚無の理――くぅっ……」「ルイズ!?」 「ルイズ様!」 「お姉さま!!」 ルイズが作り出したヒュドラの身体も、粒子へと還元される。 残ったのはただの少女でしかないルイズだ。 そして彼女は地面に倒れこんでしまう。従者たちが血相を変えて駆け寄る。「すぅ……、すぅ……むにゃ……」「――寝てる。……ったく、心配させんなよ」「はあ、寝てるだけですか……良かった」 戦闘の緊張が切れたのと、あまりに厖大な認識の奔流によって、彼女は気を失ったようだ。 主人の寝顔に、サイトらは安堵し、温かな気持ちになる。 命を懸けて戦った報酬が、主人の安らかな寝顔というのも、悪くない。 ――――何はともあれ。 戦闘終結。 継承完了。 ――――勝者、ルイズ・フランソワーズ陣営!◆◇◆「次はどちらだ!?」「左です!」 荒削りな坑道を駆け抜けるのは、シャンリットの略奪部隊。 彼らの小柄な身体は狭い坑道内部では、かえって有利に働いていた。 ここはアルビオンの地下迷宮の内部。 入り組んだ上に、行く者を惑わす強力な妨害概念が掛けられた迷宮である。 迷路の神アイホートの支配領域。アイホートの加護が無ければ簡単に現在位置を失認し、即座に遭難するような場所だ。 だというのに彼らゴブリンたちは迷いなく足を進める。 まるで迷宮の中のことなど何もかも分かっているかのように。 いや、実際のところ、確かにゴブリンたちは迷宮内部で進むべき道を熟知しているのだ。 ――――その身を恐ろしき【アイホートの雛】の苗床とすることを代償として。 数名のゴブリンの集団の中で、道案内に声を出している者が居る。そいつの皮膚は不自然に盛り上がり、その下で何かが爬行しているのが分かる。【アイホートの雛】が身体を食い荒らしているのだ。 そして“雛”が受信機となって迷路の神からの啓示を受け取り、それに導かれて、彼らは迷路の中で進路を見失わずに済むのである。「先ずはゴーツウッドの【ムーンレンズ】だ! そしてシャッガイからの神殿宇宙船の残骸! 大陸が破壊される前に、何としても確保するぞ!」「「 了解!! 」」 他にもゴブリンたちの狙いは幾つもある。 <グラーキの黙示録>の草稿やメモ、【宇宙からの色】によって異常成長した植物のサンプル、蘇った村人たち……。 心を躍らせてゴブリンたちは地下迷宮をひた走る。 その途上で、ゴブリンたちは敵の軍団と遭遇する。 敵は迷宮の壁に開いた<ゲートの鏡>から次から次へと湧いて出ていた。 <ゲートの鏡>はアトラナート商会アルビオン支部から接収されたのだろう。 そしてそこを通って現れるのは、歪んだ骨格の凍てつく風の亜人――ウェンディゴ・ワルドだ。 ゲートの先で分身して増殖しているのだろうか。際限なく出てくるようにも思える。「いや、ウェンディゴだけじゃねえな――」「ええ、ゲートの向こうからは怖気立つほどの神の匂いがします」「全能白痴の“A”――アザトースの気配だと判断します」「となると、このゲートは……ハヴィランド宮殿の中枢に直結してるのか!?」「おそらくは」 ゴブリンたちは即座に目標を神気が溢れるゲートへと変更。 先ずはゲートから湧き出す邪魔なウェンディゴたちに攻撃を仕掛ける。「タイミング合わせろ! 3・2・1――」「『土弾』」 「『発火』」 「『風槌』」 「『念力』」「複合魔法『灼熱の杭』」 聖堂詠唱ともまた異なる方式の複合魔法。 個々人が使う魔法を一分の狂いもなく組み合わせることによる連携魔法だ。 『土弾』で迷宮の壁から飛び出した石の杭が『発火』によって熱せられ、さらに『風槌』によって加速され、『念力』で金縛りにされた敵へと向かう。 完全にコントロールされた灼熱の杭は、過たずにウェンディゴの心臓を貫き、絶命せしめる。心臓が溶けては、いかなウェンディゴとて復活できない。 何度かそれを繰り返して、ゴブリンたちはゲート周辺を制圧。 いよいよ息せき切ってゲートを潜る。 果たしてゲートの先に居たのは――「ようこそ矮人諸君」 ――右手にハンマー、左手にペンチを握った、壊れた司祭。 イゴローナクの大神官、オリバー・クロムウェル。 ぞっとするような冷気を背負って、彼は三日月の笑みで告げる。「任務御苦労、さような――」 だがそれを待たずに、銀閃が走った。「――ら?」「獲ったどーー!!」 クロムウェルの頭が落ちる。 一瞬の早業で、彼の首は刈り取られたのだ。 見れば周囲には突入したゴブリンたちとはまた別のチームが居た。 この部屋に繋がっていたゲートは、どうやら一つではなかったようだ。 油断したクロムウェルの頭を別働隊が刈り取った。「最重要標本、クロムウェルの脳髄、ゲットー!!」「イゴローナクの神官の記憶とか、マジ激レア!」「早速シャンリットの人面樹まで転送するッス!」「ヒャッハー!! 新鮮な邪神官の脳味噌だーー!!」「くっふふふ、あとでじっくり記憶(なかみ)を読ませてもらおう……!」 首を失くしたクロムウェルの胴体が倒れる間も無く、なんだかやたらとファンキーなゴブリンの一団はまるで嵐のように、神気が濃い方向へ――つまりは擬神機関中枢へ――去っていく。 最初に相対していたゴブリンたちは、唖然として怒涛の勢いで去っていく別働隊を見送る。 別働隊の中には、金髪ツインテールの大公令嬢によく似た少女が居たようにも見えたが、きっと気のせいだろう。「先越されちゃいましたね……」「……まあ、そういうこともあるだろう」 呆然としつつやや気落ちするゴブリンたち。 だがここで彼らは油断するべきではなかった。 何故なら、墓地の冷気のようなクロムウェルの瘴気は、まるで全く薄まっていなかったのだから。 クロムウェルの身体は、倒れること無く未だ立っているのだから。 大邪神イゴローナクは、『首の無い』邪神なのだから。 首を失ったクロムウェルの身体が、そんな事など全く意に介さずに動き出す。 次の瞬間、白熱した身体の首無しクロムウェルが振るうハンマーが、油断していたゴブリンの一団をまとめて叩き潰した。=================================頭なんて飾りです。クロムウェル「まだだ! たかがメインカメラをやられただけだ!」ルイズに強化外骨格・霞と零式防衛術・螺旋を使わせて「あはは! ヴァルトリが咲いた!」という展開(あるいは巨大化してG・螺旋)も考えていたが、お蔵入り。仕方ないね。次あたりからルイズ含めトリステイン陣営もはっちゃける予定。2012.05.07 初投稿2012.05.08 誤字修正