喉が渇いて目が覚める。 『集水』で水を空気中から抽出して口へと運ぶ。 揺れる鶏卵ほどの水の玉が開けた口から吸い込まれる。 だが、水を飲んでも渇きはおさまらない。 ぎしぎしと右肺が軋む。 咳込むが、何も出てこない。 漠然と人を殺したいと思った。 根拠は無いのだが、殺してその血を飲めばこの渇きも癒されるような気がしたのだ。◆ 領内に侵入した盗賊討伐だが、なんとウード一人で放り出されることになった。家長であるフィリップの決定だ。 13歳になるかならないかというラインメイジを一人で放り出し、その上、元敵国軍の野盗化した敗残兵の一団を壊滅しろ、と。 しかも初陣であるのに、だ。「父上、母上、あなた方はアホですか。アホですよね? アホに決まってる!」 常の彼には珍しくそのように声を荒らげた。情緒不安定になっているようだ。 相変わらず夢見が悪いのだろうか、眼も紅く充血しているように見える。 しかし、そのウードの剣幕を前にして、何事でも無いかのようにフィリップとエリーゼは答える。「グリフォンは我が子を巣から突き落とすものだ! 頑張れ、ウード、お前なら出来る!」「あなたなら問題ないと思ったのだけれど」 フィリップがグッと親指を立てるジェスチャーをする。やたらと爽やかである。ウードが陰気なのに対して、フィリップは陽気な性格のようだ。 エリーゼは優雅に朝食後のティーカップを傾けている。「相手にはトライアングルやスクエアも含まれるそうじゃありませんか。 ラインメイジの私が勝てるはずありません」「正面からぶつかれば、ね。ならば正面からぶつからなければ良いのよ」 エリーゼは事も無げに言う。確かに、搦手ならば幾らでも方法はある。 母に言ってもダメだと分かると、ウードは矛先を父に向ける。 「父上、伯爵家の嫡男として、個人の武勇を誇っても仕方ないと思いませんか!? 戦場では部隊を率いるのだから、まず順番としては部隊を率いての戦いに随行して手際を見て学ぶというステップが必要だと思うのですが」「それを言ったら、勇将でなければ兵は付いて来ないとも言える。この位で怖気付いていてはいけないぞ。 大体、俺はお前なら出来ると思って任せているんだ。俺は出来無い事は口にしない。 最低でも威力偵察、出来れば殲滅、もっと言えば、全員を生かしたまま捕縛できれば最良だな」 無茶苦茶を言う夫婦であるが、これはウードの実力を知っているからである。 ウードが〈黒糸〉を束ねた鞭を、魔法の杖として契約していることは家族や家臣にとって既に周知のことである。 領地に同様のものを張り巡らせているというのは知られては居ないが、手に持った鞭から糸を伸ばして、さらにその伸ばした先でも魔法を使えるというのは知られている。「とにかく、行って来なさい。まあ、あまり研究室に篭りっぱなしでも良くないだろうし、気分転換も兼ねて、ね」「……わかりました」 これ以上逆らっても無駄だと悟ったのか、ウードは肩を落とす。 そんなウードを残してフィリップとエリーゼは退出しようとする。 メイリーンも二人に合わせて朝食の席を立つ。「お兄様、無理はなさらないで下さいね……」「ありがとう、心配してくれるのはメイリーンだけだよ」 「きちんと睡眠は摂ってくださいね」と言ってメイリーンが食堂を出て、フィリップもそれに続く。 フィリップは『レビテーション』でまだ赤子のロベールを浮かべて、一緒に連れて行く。 フィリップを先に行かせ、エリーゼはウードに囁く。「……それに、実はヒトを喰らいたくて堪らないのでしょう? 右肺に影が“診える”わ。まあ、戦利品は好きにして良いからストレス発散だと思って行って来なさい」「……! 母上、何故それを」「フィリップも最近は時々、そんな風になるのよ。目が紅く輝いて、情緒不安定で。流石にそこまで水の流れが淀んだりはしないけど。 そういう時は決まって、喰いちぎる程に激しく求めてくるの。 まあ私なら肉を噛み切られても直ぐに治せるし、そんなのに耐えられるのは他に居ないだろうから浮気の心配をしなくて良くなったのは良いことね」 まさに獣のようなのよ、と少し艶っぽい様子でウードに囁くエリーゼ。頬に手を当ててうっとりしている。 夫婦の夜の営みについて仄めかされて渋面を作るウード。自分の親のそういう下世話な話なんて聞きたくもない。「まあ、あまり溜め過ぎるのは良くないわ。あなたは特に呪いが強いみたいだから、余計に進行するわよ? そういえば、コトが済んだ後はフィリップの影も消えてるから、あなたも誰かとそういう関係になったら解消されるかも? 適当な誰かを宛てがってあげても良いのだけれど。そうだ、初夜権でも使って村から……」「……ストレス発散だと思って行って来ます!」 尚も続けようとしたエリーゼの言葉を遮って、ウードはフィリップに続いて部屋を出る。エリーゼは悪戯気にくすくすと笑っている。ウードはからかわれたのだ。 研究室に寄って必要なものを準備しなくては、とウードは『フライ』で庭の片隅にある自分の研究室“グロッタ”へ向かう。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 8.弱肉強食テュラリルラ◆ 準備を整えたウードは地下の風石の魔力を使って、地面から少し浮いて滑るように移動する。 馬に乗れないので仕方ない。 いくら頑張っても乗馬は無理だったのだ。 何故か馬が嫌悪感を顕にウードを振り払うせいで。 父フィリップも普通の乗馬は苦手らしいが、バイコーンには乗れるらしい。 ユニコーンには近寄れもしないらしいが。 シャンリットの血筋の方の祖父も曽祖父もそうだったらしい。 アトラク=ナクアは邪神だから、その呪いが関係してるのだろうか。「まあ、低空『フライ』の方が馬より速いしな。……負け惜しみではないぞ」 落馬した時の腰の痛みを思い出して、苦虫を噛み潰した顔になるウード。 『フライ』の魔力は彼の自前のものだけでは足りないので、裾から垂らした〈黒糸〉を通じて、地下の風石から取り出している。 だから余り高く飛ぶことは出来ない。 高く飛ぶと魔力供給用に接地してる〈黒糸〉が地上の構造物をスパスパ切ってしまうのだ。 飛んでいて、気づいたら下を歩いていた村人が真っ二つとかいう事態は避けたい。 魔力伝導を無線化する研究もしているが、今の所実用化の目処は立っていない。 空気中に満ちている魔力が邪魔をするのか、上手く行かないのだ。 水中では電波が拡散するのと同じようなものだろうか?「巨大蜘蛛型ゴーレムでも作って乗って行ってもいいが、あれだと盗賊に気づかれて無用の警戒を与えそうだしな……」 何度か休憩を挟んで3時間ばかり空中を疾駆し、盗賊たちが根城にしている廃村まであと少しの所に到着した。事前に場所は把握している。 ……廃村というが、ここを廃村にしたのは盗賊団である。ウードが〈黒糸〉を通じて以前に測量したときまでは普通の村だったはずだ。 懐から事前に領民から聴取した盗賊団の陣容についての報告書を取り出す。「盗賊団、というか敗残兵達は50名ばかり。一個小隊くらいか? これまでの被害などから分かってるのは、相手には少なくとも10名はメイジが居て、トライアングル以上が2名以上。 その内少なくとも1名はスクエア、か」 隣領とその更に東の都市国家が少し大きめの会戦を行ったのが、およそ2ヶ月前。 都市国家側の部隊の一つが、トリステイン側に突出しすぎて、そこを都市国家側の本陣から分断され、包囲殲滅されたそうだ。だが、一部はその包囲網を突破して、戦場の側面に突き抜けたのだ。 トリステイン側の殲滅の網を逃れた、その部隊の中でも腕利きが中心になり、都市国家側やトリステイン側の傭兵団から零れた人員を吸収しつつ、略奪を繰り返してシャンリットまでやって来たという訳だ。 ちなみに、都市国家の側は敗戦によってトリステイン側に一つの街を切り取られた。 シャンリットの隣領の不作による戦争であり、都市国家側の街は略奪の憂き目に遭ったことだろう。 不作はシャンリットの〈黒糸〉を逃れて溢れだした幻獣たちによる被害が原因であるため、間接的にはウードが招いた戦争だとも言えるかも知れない。 帰るべき領主を失った都市国家側の兵は、そのまま山賊となったのだろう。 盗賊団の陣営に高位のメイジが多いのはそういう理由である。彼らは激戦を潜り抜けた精兵だ。 ハッキリ言って、まともにやったらウード一人では捕まえられる筈が無いだろう。「だが、まあ、正面切って戦う気は毛頭無いから問題無いな」 準備万端整えて、戦い始めた状態で既に相手詰んでいるというのがウードの理想形だ。 準備とは言ったものの、ウードがやることはそれほど無い。 手元の杖から更に〈黒糸〉を伸ばして、何が起こっても対処できるように更に密度を高めていく。それだけだ。 鞭状の杖から、〈黒糸〉を垂らし地面を這わせて伸ばしていく。 それはまるで黒い水が音もなく川を作っていくような、あるいは蟻や百足の列がゾワゾワと進軍していくような光景だ。 標的の廃村を包み込むように、その黒い川は広がり、そして飲み込んだ。これで、あの廃村はウードの手の中も同然だ。 あとは全員が寝静まる頃を待って、奇襲を仕掛けるのみ。「さて、ひと眠りしたら夜襲をかけるかね」 ウードはその場に『錬金』の応用で即席の地下室を作り出すと、その中に入り、入り口を空気穴を残して塞ぐ。 空気循環用の『ウィンド』の魔道具を作っておくのも忘れない。 適当に寝具を『錬金』すると、ウードはそれに包まって寝息を立て始める。――ぎしり。 眠ったウードの右肺から、何かが擦れるような、軋るような音がした。◆ 時は過ぎて、夜半、双月が天頂に登る頃。「はぁ~あっ。眠い~」「全くだ、少尉は神経質すぎるぜ。こんなとこに誰も来やしねぇっての」 カンテラを持って村の中を歩くのは、人影が2つ。 会話の内容からするに、盗賊団の一員で、夜の警備中というところだろう。「森の中で小人どもに追いかけられたせいだろけど、森を降りてからは全然何も無いしな」「なあ、夜警はもう良いんじゃないかなって思うんだが、どうよ?」「じゃあお前が少尉に言えよ」「いやいや、無理だろ、怖すぎる。スクエアなんて化けモンだよ」 “少尉”というのは彼らの上官だろう。 おそらくは盗賊団のリーダーであるスクエアメイジ。 土の使い手らしく、盗賊行為を行う際は村ごと囲む壁を出したり、大きなゴーレムで荷馬車ごとさらったりしていたという目撃情報がある。 だが、どれだけ魔法の才能があろうとも、この夜に彼らを襲った襲撃者にとっては関係の無い話であった。「夜回りが終わったら、また女どものところにでも行くかな~」「はん、お前も好きだね~。この幼女趣味が!」「何だと、年増好きめ!……まあ、確かに美人ではあったが。あと15年若けりゃな」「熟れた身体が良いんじゃねえか。ガキなんかとヤって何が楽しいんだか」 下世話な話をしながら、盗賊の2人は歩く。 彼らが賢明なら、空中を漂うか細い糸に気付けただろうか。 彼らが敏感なら、周囲の草むらや森から何の虫や獣の声もしないことに気づいただろうか。 彼らが善良なら、もしかしたら襲撃者は見逃してくれただろうか。 だが彼らは、自分たちが蜘蛛の糸に絡め取られた哀れな獲物であることに気付けなかった。 耳が痛いほどの静寂が村を包んでいることも、虫や獣の声を打ち消している魔法の存在にも気がつかなかった。 ましてや敵国のメイジである彼らは平民に対して善良であろうはずも無く、ゆえに今夜の襲撃者はそんな彼らに一片の情けを掛ける理由も持ち合わせてはいなかった。 2人の夜警が異変に気づいたのは、お互いの会話が『サイレント』の魔法で掻き消された時点だった。 ――それは致命的に遅すぎたが、早く気付けたところで何が出来たというのか。 まず、声が掻き消え、次に物陰から何かが顔に飛んできて視界と口を完全に塞ぐ。 次に四肢が断ち切られ、血も吹き出ないうちに傷口が何かで塞がれた。 傷口を覆った何かは素早く肉体に適合し、完全に止血する。 それに遅れて漸く二人の体幹が地面に落ち、蠢く土『アースハンド』によって地面に拘束されていく。 最後に『眠りの霧』を受けて、夜警の2人は深い深い眠りについた。◆ 盗賊団のリーダー、“少尉”と呼ばれた男は、夜中でもあるに関わらず、目を覚まして杖を握り締めていた。 昼間に盗賊団が仮のネグラとしていたこの村を襲った正体不明の怖気。 占い師でもない少尉には詳しくは分からないが、どうにも致命的な予感がして、こんな時間まで神経を磨り減らしながら起きていたのだ。 そして果たして、その予感は当たっていた。 双月が傾き始める頃合、不吉な魔力が村を包んだのを少尉は感じ取った。 ――来たか! 少尉はまず『暗視』の魔法を発動させる。 次に土の『錬金』の呪文を唱え、床下の土や家の壁を意識に上らせる。 イメージするのは針のような鋭さを持ち、鉄よりも頑強な槍だ。外敵を滅ぼす最強の槍だ。イーヴァルディーの勇者が持つような、竜すら滅ぼす槍だ。 残りは最後のトリガーワードを呟き、イメージした魔法を現実化するだけ。 注意深く部屋の外に出る。 周囲で動くものの気配は無い。 不自然なほどに、何も無い。(夜警は既にやられてしまっていると考えた方が良いだろう) それどころか、ここまで付き従ってくれた自分の部下たちもやられてしまっているかも知れない。 外は夜の静けさではなく、『サイレント』による平坦で人工的な静けさが満ちている。 開放空間である村全体を覆うほどの『サイレント』を使うということは。(相手は風メイジか) 『サイレント』の効果は屋敷の中にまで及んでいる。 自分の足音すらも掻き消される不自然な静けさの中、少尉は部下たちが詰めている部屋へと足を進める。 相当の手練である風メイジを相手に、一人では心許無い。 視認さえ出来れば圧倒的な質量で押しつぶせるだろうが、死角から襲われては対処できないだろう。 暗殺に秀でた風メイジほど恐ろしいものは無い。 部下の助力が必要だ。(領主の私軍が来たのだとすれば、一人ではあるまい。 既に包囲されていると見たほうが良いか? いや、包囲するような大軍ならば昼間から見張りが気づくはず。 『サイレント』を使っているということは、こちらに気づかせたくないということか) 相手は少数だと予想する。 そして本気で殺しに掛かってきているとも。襲撃者はこちらを誰一人逃す気が無いのだ。(先に相手を見つける。そして速攻で殺す。それ以外に手は無い) 漸く部下たちが寝ている部屋に辿り着いた。 強く戸を叩くが、その音すらも『サイレント』の魔法は吸収してしまう。 戸を開ける。 しばらく待つが、中から出てくるモノは無かった。 ……中に潜んでいた者は居なかったが、逆に言えば、部下たちもこの異常時に関わらず起きてはいなかったということ。 練度不足ということは、彼の部下に限って有り得ない。 地獄のような撤退戦を生き残り、山中に何故か仕掛けられていたブービートラップの数々を潜り抜け、あまり見かけない小さな亜人たちの仕掛ける『マジックアロー』をかわしてここまで生き残ってきたのだ。 そんな修羅場を生き延びた部下たちが、こんな時に眠りこけているだなんて、絶対に有り得ないことだった。 では、何故誰も反応していないのか。 『暗視』で強化された視力が、部下の眠る部屋を映し出した時に、その理由が明らかになった。 鉄錆の臭いが鼻を衝く。 薄暗い中、石造りの床に赤黒い血が広がっている。全てのベッドから血が滴っている。ベッドの下を基点にして染み入るように赤黒く床を変色させている。 しかし、その量は圧倒的に少なかった。戦場を駆けた少尉は知っている。人が死ぬ時にどれほどの血が流れるのか、知っている。この程度の流血ならば、部下は死んではいないかもしれない。 赤黒く染まったシーツ。秋口に差し掛かったこの季節、まだまだ夏の寝具を使っている。薄いその毛布から部下の指が覗いている。足の先が覗いている。 しかし、それが本来着いているべき胴体が、ベッドの上には存在しなかった。 四肢の膨らみのみを残して、毛布はぺたりと凹んでいる。 胴体は? 誰がこんな酷い事を。 胴体はどこだ。 何故誰も気づかなかった? 隣でこのような悍ましいことが行われているのに気づかなかったのか? 馬鹿な。そんな筈は無い。 胴体は何処だ、おい、一体何処にある。 まだ今なら『治癒』で手足を繋ぎ直すことが出来るかも知れない。 探さなくては。 部屋の中のベッドをもう一度見回す。 全て同じように四肢だけを残して他に何も無い。 成程、出血が少なかったのはその所為か。 確かに胴体の血液が出ていなければ、この程度の出血で済むだろう。 壁に影が見える。 上着掛けはあんなところにあっただろうか。 壁の上。 ベッドの頭の方の壁だ。 上着と帽子を掛けたような影が見える。 上着と帽子? いや違う、あれは。 あそこに。 壁に。 壁に吊るされているのは。 胴体だ。 部下の胴体だ。 畜生! 何てことを! 少尉と呼ばれていた男が動揺した瞬間。 それを狙っていたかのように、床から伸びたか細い糸が彼の四肢に絡みつく。 その糸は、彼の部下にしたのと同じように、少尉の四肢を断ち切って行く。(畜生……!) 杖を握っていた右手も離れていく。 最後に呟いた「『錬金』……」という言葉は、効果を表さずに霧散する。◆ そうして、夜も更ける頃には廃村の中には呻き声一つ上げられない達磨が沢山転がっているという状況だ。 最初の一人から、全部片付けるのには一時間もかかっていない。「最後の隊長さんらしき人は、慎重に慎重を重ねて狙った甲斐もあって、大して抵抗も受けずに済んだ。 自爆覚悟の全方位『ジャベリン』とかも覚悟してたんだが、部下思いの人で助かったな」 この盗賊たちは適当な台車に乗せて、屋敷までゴーレムで引きずって行くこととなる。 敵国の人間であり、ウードからしてみれば領民に危害を加えた犯罪者だ。容赦してやる理由が存在しない。 屋敷まで帰ったら、処刑されて晒し者にされるだろう。「人んちの庭で好き勝手やるからそうなる」 バケツリレー的に『アースハンド』を使って盗賊団の胴体(トルソー)を運んで一纏めにする。――ぎしぎし、がちがち。 ある廃屋には、村の住人の死体が詰め込まれていた。 人身売買の商品になるような少年少女や若い女性以外の全ての住人は、殺されていた。――がちがち、ぎちぎち。 その女性たちも、まあ、悲惨な状況だ。 特に、売り物にせずに“使用用”にすると割り切られた女性などは四肢の腱は切られ、その傷が膿んだりして衰弱している。 それに、盗賊どもの慰み者にされたせいで、精神的にもかなり壊れてしまっている。――ぎちぎち、みしみし。 碌に服も纏わぬ女性たち。 傷が膿んで饐えた臭いがする。 獣臭。呻き声。意味を成さない呟き、啜り泣きが聞こえる。――みしみし、きしきし。 光が広がる。 淡い水色。『ヒーリング』の光。 女性たちに感染していた細菌を殺し、傷を癒していく。 精神の傷までは、ウードでは癒すことは出来ない。 出来るのは、ただ眠らせるだけ。『スリープクラウド』。――きしきし、ぎちぎち。 右肺が軋んで、疼く。 母上は何と言っていたか。『戦利品は好きにして良いから』 そうか。そうだ。 奴らを使おう。 別に一人くらい居なくなっても、構うまい。――ぎちぎち、ぎしぎし。 ウードは盗賊団の胴体(トルソー)を並べた広場に向かう。 幽鬼のような足取りで、並べられたトルソーへと近寄る。 そのトルソーの一体に近づき、蹲る。 ウードのその手には、いつの間にか、薄く鋭い刃が握られている。――ぎしぎし、きちきち。 その手を、自分の首元へと持っていくと。 首筋から右肩までを一直線に切り裂いた。――ぎしり。 その切り口からは、血ではなく、大きな節のある触腕が飛び出した。 牙だ。大顎だ。毒牙だ。片刃の牙だ。表面は月の光を吸収してつやの無い黒色をしている。 鋭い針が二の腕ほどもある甲殻の先に付いている。その大顎は、首筋と細い甲殻で繋がっている。関節部は何かの液体が貯められているようで、膨らんでいる。毒袋だろうか。「ああ、がまんできない。はやく、はやく、はやく」 鋭い針が先に付いた蜘蛛の大顎が、きちきちと軋む音を奏でながら、犠牲者を求めて物欲しげに振るわれる。 そして遂には、横たわっているトルソーに牙が突き刺さる。――どくん、どくん、どくん。 牙が脈動し、犠牲者のその内側に、毒袋に濃縮されていたナニかを注入する。 それに従い関節の毒袋が萎んでいく。――どく、どく、どく。「あはぁああ……」 恍惚となるウード。 横たわる盗賊の胴体に毒が行き渡る。 大顎に貯められていた毒が全て無くなると、その蜘蛛の大顎は根元から落ちた。 ウードの目に正気の光が戻ると、自分が何をしたのか認識して、尻餅を付いたまま後ずさる。 毒を注入された犠牲者は、細かく痙攣している。 まるで咆哮するように大きく口を開き、背骨を反らせる。「――――ッ」 声にならない叫びが上がり、皮膚が蠢き、不規則に盛り上がっていく。 ウードはその様子を、蒼白になって見ている。 やがて、皮膚の蠢きは無くなる。 そして四肢の切断面や目、鼻、口、全てから大小様々の蜘蛛が這い出してくる。 ぞろぞろ、うぞうぞ、ぐねぐね。 そうだ、ウードは呪いを移したのだ。 いよいよ自分の身の内に留めておけなくなった呪いを、凝縮して、蜘蛛の顎の形に整え、毒液にして注入することで、他人を形代にして移したのだ。 その結果、呪いの毒を注入された男は、その身の内を無数の蜘蛛へと転じさせられて死んだのだ。「ぐぅっ。こ、れで。まだ、暫くは、時間が稼げるはず」 皮だけになった盗賊団の男を前に、蒼白な顔のまま息を荒げて蹲るウード。 その足元を、犠牲になった男から生まれた蜘蛛が、幾匹も這って去っていく。 ウードは右側の鎖骨、肩甲骨、第一肋骨と右肺を、毒蜘蛛の片大顎に変じさせた為に、大きく消耗している。 水魔法を駆使すれば補うことが出来るだろうが、今直ぐには無理だ。「ああ、くそ。呪いを移すのは上手く行ったが、やっぱり形代となる生贄が必要か。 体内で毒素を凝縮させるだけじゃ、駄目だった。誰かに注入しないと、凝縮させたその周りを蝕むだけだ」 体内に張り巡らせた〈黒糸〉を介して魔力を流して、身体を変容させようとする呪いの毒素を一箇所に集めることに、ウードは成功していた。 しかし、毒素はどういう訳か、体内で移動させることは出来ても、外に排出することはできなかった。 ウードは“毒素”として認識しているが、実際は実体がないモノなのかも知れない。 先程、盗賊の男に注入されたのも、物理的な実体ではなくて、もっと魂に作用するような霊的なものだったのだろうか。「この残った皮は標本に加えるかな……。それとも鞣(なめ)して本の装丁にでも使うか」 傍らのぺちゃんこになった人皮を見て思うのはその程度であった。 ヒトを殺した感慨なんてものは別に去来しない。 それは彼がヒトではなくなりつつあるからだろうか。「ごちそうさまでした。いや、別に食べてはいないけど」 自分が生き延びる糧にした命に、一頻り祈りを捧げて、ゲホゲホと咳き込むウード。 この呪い移しを使えば、他の家族が呪いを発症する前に誰かに呪いを移して対処することも出来るだろう。 生贄が確保できないときは、最悪、自分に移し替えるか、改造ゴブリンを使うなどしても良い。「あぅあぁ、ぐはぁぁああ。息しづらい。右肺無いし。畜生、どうやって再生させようか。取り敢えずは骨は復元しないと不便でしょうが無い」 だらりと垂れた右腕を押さえながら、ウードは悪態をつく。 ふらふらと村の中のとある廃屋に歩を進める。殺された村人の死体が詰め込まれた廃屋だ。 ウードが廃屋の扉を開けると、わぁあんと死体に集っていた蠅が一斉に飛び立った。 ウードは顔を顰めて廃屋から離れると、廃屋の中まで伸ばしていた〈黒糸〉で廃屋の中に酸素を大量に『錬金』し、『発火』の魔法で一気に燃焼させる。 空中を浮遊していた蠅は一息に燃え上がり、爆音とともに廃屋の窓や扉が吹き飛んだ。 生き物が焼ける臭いがする。 ウードは適当な死体を『念力』で燃え盛る廃屋から取り出すと、取り出した死体の火を消す。 『錬金』あるいは『集水』の応用で、気相から液相に変化させた窒素を燃える死体の上から注いだのだ。 炎を吹き上げる廃屋は、『錬金』で壁の隙間を塞いで空気の循環を無くしてやって、これ以上燃え広がらないようにしておく。 ウードは足元の死体を見る。液体窒素を掛けられて表面にうっすらと霜が降りている。髪や皮膚は焼け焦げていて、顔は判別できないが、骨格から見るに若い男のようだ。 周囲の土から何枚か薄いフィルム状のものを『錬金』し、『硬化』を掛けて即席のメスとする。 それを『念力』で幾つも器用に操り、死体の肩を開き、骨を取り出していく。 これほど複雑に『念力』を使うことが出来る者は、ハルケギニアには殆ど居ないだろう。数年間の修練と、数々の解剖実験・生体実験の経験の賜である。「材料は、確保」 死体から鎖骨、肩甲骨、肋骨を切り出すと、一息つく。 今度は、自分の体を切り開き、これらの骨を埋めこまなくてはいけないのだ。 深呼吸。燃えた肉の匂いが鼻腔を満たす。 深呼吸。右肺が無いせいで上手く呼吸できない。 深呼吸。水魔法で自分の右肩の神経を麻痺させる。「よし」 覚悟を決める。 これから行う手順を思い浮かべる。 一気に、痛みを感じないうちにやってしまわなくてはならない。 取り出した骨と、薄刃のメスを周囲に浮かべる。 いざ、と努めて無心になって自分の肩に刃を入れる。 皮を切り、筋肉を分け開いて、本来骨のあるべき場所に、死体から取り出した骨を埋めていく。 息を止めて、1分ほど。右肩口から背中にかけて切開する。 まずは肋骨を在るべき位置に。筋肉を『念力』で肋骨の形に押し広げて、挿入する。 深呼吸、は出来ないので浅く、息を吸う。 肋骨に腱や筋肉を纏わり着かせる。 肩甲骨、鎖骨も同様に作業を続ける。 骨と一緒に蜘蛛の顎に変異してしまって、無くなっている腱や筋肉は、とりあえず後回し。 応急的に〈黒糸〉を使って骨の位置だけは固定する。ウードの額を汗が流れ落ちる。顔面も蒼白だ。「ぐううぅっ」 術式開始後15分。 失っていた骨は埋め終わり、正しい位置に固定した。 だが、骨を埋めて、それで終わりではない。正常な骨と同じように血管や神経などを復元させなくてはならない。 『治癒』を使ったり、体内の別の場所から幹細胞を〈黒糸〉を細かく使って移送したりして、骨の周囲や内部を復元していく。「取り敢えず、朝までゆっくり、じっくり時間をかけて復元させよう」 安全な作業場所を確保するために、昼間と同じように、ウードはルーンを唱えて土を操って地下室を作る。 咳き込み、悪態をつきながらもずぶずぶと彼は地面に沈んでいく。◆ あー、朝だ。 光が眩しい。溶ける。 昨夜は大変だったな。 鎖骨と肩甲骨が無いから右腕上がらないし。 右肺無くて息しづらいし。 呪いとか人食いの衝動とかは収まったから良かったが。……一時的なものだろうけれど。 さてこの村はどうしたものか。 このまま放っておくと亜人が住み着くし……。 ああ、いや、そうかいっその事、そういうことにすればいいのか。 この廃村に私の配下のゴブリンを住ませるようにすれば良い。 今あるスペースでは手狭になっていた所だし、作成した新種の作物を広めるための交易拠点も欲しかった所だ。 いい加減、ゴブリンたちも表に出しても良い頃合いだろう。 大体、自分の自由にできるお金が少なすぎる。 カメラのパテントの一部は頂いてるものの、もっと欲しいのだ。 そうしないとマジックアイテムや秘薬、水精霊の涙、土石、火石を揃えるのに全然資金が足りない。 書籍は勝手に写本するからいいんだけど。 幸い、魔改造したゴブリンたちはかなり見た目が人間に近くなってるから、ゴブリンだとバレることはあるまい。 ゴブリンたちを子供と偽っての人身売買は今のところ考えていない。ゴブリンの売春とかも、まだ早い。 ゴブリンたちをトリステイン社会に浸透させる上で必要なら行うつもりではいるが。 年齢構成が子供ばかりだと怪しまれるから、成人型ゴーレムかガーゴイルも結構な数が必要だろうな。 商人との交渉の矢面や商会の直接のオーナー名義には、その成人タイプのゴーレムかガーゴイルを使えば良いだろう。 あと、村に残された女性たちの処置だが……取り敢えずはゴブリンたちに世話をさせよう。 見た目少女である雌ゴブリンの方が、私なんかより適当だろう。 村に女性や少年少女が残っていたことは伝わっていないはず。 悪いが、村の女性らは既に死んでいた事にさせてもらう。 それに、彼女らを仮に家臣たちに引き渡したところで、お金を払えない彼女らに有効な治療を施してやれる訳でもない。 平民の損害に対する保証なんて概念はないのである。もちろん予算が無いという事情もあるのだが。 生きるべき村と家族を失った彼女らは、このままではどちらにしても生きていけない。 それよりはゴブリンの村の中であっても、生まれ育ったこの村で生きていて貰いたいと、私は思う。 彼女らはそうは望まないかも知れないけど。所詮は私の自己満足だけれど。 ……さて、じゃあ早速、ここに一番近いゴブリンの集落から何匹か派遣させるか。 いや、各集落から、だな。魔法の扱いに長けた奴を派遣させよう。 各集落の巫女ゴーレムには『新天地を開拓し、人間と交易せよと天啓が降りた』とかなんとか言わせるか。 人面樹の苗木も持ち寄らせれば、それぞれの集落の木に蓄積させた記憶を統合する良い機会にもなる。 先ずは荒れた村の立て直しと周辺の開墾、街道などのインフラ整備だな。 そして同時に人面樹とバロメッツや、新品種の作物を植えて生活基盤を整えさせよう。 それまでは、ゴブリンの各集落から食料品を運ばせなきゃならないな。 ゴブリンの集落には道を通す訳には行かないから、輸送は『レビテーション』か『フライ』で空からか? あるいは穴を掘って地下から? ……地下道なんてそう簡単に整備できないから、最初は空からだな。 インフラ整備には各ゴーレムの集落を繋ぐ地下道の整備も含めさせておこう。 ゴブリンたちが到着するまでは、私が造ったゴーレムに生き残りの女性らの相手をさせることにする。 ゴーレムのタイプは巫女ゴブリンタイプ。 女性型の方がトラウマを刺激しないだろうし、ここに到着したゴブリンの統率役も必要だからこその選択である。 そろそろ遠隔操作するゴーレムが多くなりすぎてるな。 王都の写本用の奴はほぼルーチンワークのためにガーゴイル化しているから負担はそうでもないが、 巫女ゴブリンゴーレムは逐次色々判断しなくちゃならないから、直接操作しないといけない。 最大で同時稼動は3~5体くらいが限界か。 巫女ゴブリンゴーレムは、20以上のゴブリンの集落に対して、最大同時稼動数が常に3体以下になるように タイムスケジュールを調整しながら集落の運営を行わせている。 また、ゴブリンの集落から寄せられる各種レポート――例えば、新種の作物の開発状況や、召喚魔法の研究、召喚された生物の生態研究、人面樹から読み取った記憶の中で有用な情報についてなどなど――や、王立図書館その他からの写本もそれらと並行して読んでいるし、私本体の礼法や魔法の訓練もあるから、脳のリソース的にかなりイッパイ一杯な状況だ。 むしろ、パンクしてないのが凄い。ハルケギニア人の脳は化物か。私やシャンリットの血脈だけが特殊なのだろうか。 まあ、いっぱいいっぱいだったからこそ野盗の領内への侵入を気づくのが遅れて、水際で防げなかったという面もあるのだが。 さて、あらかた村の中も見て回ったし、後始末はゴーレムに任せて帰るかな。 ああそうだ、地下に『活性』の魔法を発生させる魔道具を作っていかないとな。 この魔道具は農業にはもはや欠かせない。忘れるところだった。◆ さて、悪党どもを蜘蛛型ゴーレムで引きずって帰還しましたよー。 父上に報告だなー、と、その前に。 前後左右上方を確認。 うむ、メイリーンは居ないな。 達磨になってる犯罪者なんか、メイリーンの自家製秘薬の格好の実験材料にされるだけだからな。 情報を聞き出す前に廃人になられちゃ困る。 それに、達磨の人体なんか普通は目の毒にしかならんからな。普通は。「おやウード様、お帰りなさいませ。その様子ですと首尾は上々だったようですね」「ああ、爺や。いい所に。この犯罪者連中さ、メイリーンにはバレないように連れってってくれないか?」「ああ。そうですね。メイリーン様に見つかるのは不味いですね」「頼んだぞ」 妹は家臣たちにも愛されてるのさ。 メイリーンは可愛いからな。 ……同時にマッドアルケミストなことも知れ渡ってるが。 どうしてこうなった。 私の妹だからか? さて、では、早く父上のところに行きますか。 報告するまでが初陣ですよ、ということで。◆ 報告自体は恙無く終了した。 盗賊どもと一緒に、略奪にあっていた物品も回収してきたから証拠は充分。 自白も秘薬と水魔法を使えばすぐに引き出せるだろう。 村にいた女性や子供たちの件については誤魔化しておいた。 村の跡地についてだが、交通の要衝からも外れているので再開発などはせずにそのままにするそうだ。 つまり、しばらくは好き勝手に出来るということだ。 実験農場が欲しいから、今回被害に遭った廃村を使って良いか尋ねると少しの逡巡の後に許可を貰えた。 ゴブリンを住み着かせて残された女性や子供の世話をさせつつ、適当に村が復興してきたら伯爵領に再登録することにしよう。◆「お兄様、大丈夫でしたかっ?」「メイリーン、心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」「そうですよね。お兄様がたかが野盗にどうにかされるはず有りませんものっ!」 翌日の朝食の席。メイリーンから心配された。 母上はなんだかニヤニヤした視線を送ってくる。 私の中にあった呪いの毒の淀みが無くなった事とか、略奪に付き物の強姦の被害者の事とかを合わせて、下衆の勘繰りを巡らせているのだろう。 そう言えば、母上は父上から、性交を通じて呪いの毒素を移されている可能性もあるのか……。脳がやられちゃいないだろうな。 まあ、毒を注入したときは、確かにアレの時と同様かそれ以上に気持良かったが……。 ……癖にならないように気をつけないといけない。本気で。===============================2010.07.18 初投稿2010.09.29 修正 旧題:7.ヒトとは嬉々として同族殺しを行う種である2010.10.02 修正。 ウード君が邪気眼(邪気肺?)を患ったようです。ところで邪気肺と書くと、邪気姉と見間違えません?