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ルイズは王宮に参内し、アンリエッタ姫に拝謁していた。
「ひさしぶりね、ルイズ。それともミズ・ワルドと呼んだ方がいいかしら?」
アンリエッタが悪戯っぽく笑うと、後ろに控えていたマザリーニ枢機卿が顔をしかめて咳払いをした。
「マザリーニの言いたい事は分かります。でもたとえ相手が反逆者だとしても、友人の結婚を祝う事は間違っていませんわ」
毅然と言うアンリエッタに、マザリーニは出すぎた真似を致しました、と深く一礼をした。
変わらない優しさに、ルイズは微笑んだ。
「そんな顔をしないで、ルイズ。これでも私、あなたに腹を立てているのよ?」
「ひ、姫様?」
アンリエッタはルイズの手を取ると、眉を寄せた。
「大人っぽくなったと思ったら、いきなり結婚してしまうなんて。私を置いていくなんてひどいわルイズ」
アンリエッタが自分を祝福してくれているのだとルイズには分かった。同時に、彼女が本当は何に怒っているのかも。
「申し訳ありません姫様。本当は姫様にも、式に来て欲しかったです」
「親友の晴れ舞台ですものね。ヴァリエール公も残念がっていましたよ」
両親に黙って式を挙げた事には、後ろめたさを感じざるをえないルイズだった。
「父にお会いになったのですか?」
「ええ。ワルド元子爵の扱いについて、何度も」
夫の爵位に元がつけられていた事で、ついに処遇が決定したのかと、ルイズは息を止めてアンリエッタを見つめた。
アンリエッタは親友の視線を受け止めると、一歩下がって表情を真剣なものに変えた。
「マザリーニ」
「はっ。ワルド子爵家は爵位を返上、領地は国領となす事が決定した」
ルイズは口元を押さえた。名を失い、家も奪われ。これでは命が助かったとしても、貴族としては死んだも同然ではないか。
アンリエッタは親友の表情を見て、辛そうに後ろのマザリーニを振り返った。
「マザリーニ、続きを」
「ただし、ワルド元子爵と妻ルイズ・フランソワーズの間に子供が生まれた場合、再び爵位を与え、その子供をワルド子爵家当主と認める」
ルイズは安堵すると同時に、不思議なくすぐったさを感じて身じろぎした。自分のお腹に子が宿る事を前提に話されると、妙に落ち着かないのだった。
「領地に関しては、ヴァリエール公から申し出がありました。将来的にヴァリエール領から一部をワルド領として割譲するとの事です」
「お父様が……」
アンリエッタの言葉に、ルイズは目元が熱くなるのを感じた。親に内緒で他国に赴いた上に、式まで挙げてきた娘に、ここまでしてくれたのだ。自分が愛されている事を強く感じるルイズだった。
ワルド元子爵は数日中に拘束を解かれ、領地に赴き事後処理を行った後、正式に爵位を返す事になるとアンリエッタは語った。
「それともう一つ、ルイズに協力して貰わねばならない事があります」
「なんでしょうか、姫様」
アンリエッタは一瞬ためらうように間を置いて、ルイズを伺った。
「アルビオンでの戦いについて、です」
「あの戦いが、どうかなさいましたか?」
「あまりに途方もない話で、疑問の声を上げる者が多いのです。実際に貴女から報告を聞き、ウェールズ様からの書状を読んだ私ですら、にわかには信じがたい話でした」
頭の固い大臣達ならなおさらです、とアンリエッタは苦笑して、マザリーニに顔をしかめさせた。
ルイズは何度かまばたきした後で、やっとアンリエッタが何を言っているのかが分かった。あちらの世界、メルファリアの戦争の流儀は、ハルケギニアの人間にとっては常識外もいい所なのだ。
使い魔のナナと共に幾度と無くあちらの国に赴いているルイズは、自分とアンリエッタに、認識のズレが出来ていることに気が付いた。
「その……戦争中は死人が生き返るとか、巨人が召喚されるとか。しかもそれだけではなく……」
アンリエッタは非常に言いにくそうに視線をさ迷わせていた。
「何かの間違いかも知れませんが、敗北した側の砦が……勝手に『爆発』するとか……」
「ああ、いえ、それは違います姫様」
「そうなの? そう、よかったわ」
ほっとしたように息をつくアンリエッタに、ルイズは笑いかけて答えた。
「先に砦<Keep>や城<Castle>が爆発した方が負けなんです」
アンリエッタの笑みが引きつった。
「ええと、まずは領域ダメージというものがありまして、これはオベリスクを建てることにより……」
「い、いえ、ここで解説しなくてもいいのよルイズ」
何かを押しとどめるように慌てて両手を前に突き出すアンリエッタに、ルイズは首をかしげた。
「前々から話していた通り、私の護衛から何人かを、ルイズの元に向かわせます。その者に貴女の知識を授けてやって下さい」
「分かりました。そういえばアルビオンからも使者が来ると聞いておりましたが?」
ルイズが何気なく尋ねると、アンリエッタは意表を突かれた様に目を見開いた。
「あ、ああ、そのことですか。どうやら向こうも慌しいらしく、話は進んでいません」
「そうですか……持ち直したとはいえ戦争中でこざいましたね」
「私の用件はここまでです。あまり奥方を引き止めては、子爵に恨まれてしまいますものね」
ルイズは赤面してうつむいた。学生と囚人の立場なのでそうそう会えず、久方ぶりの逢瀬をずっと待ち焦がれていたのだ。
アンリエッタの部屋を後にしたルイズは、跳ねそうになる足を押さえて静々と王宮の廊下を進んでいった。
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※※※
「ごめんなさい、ルイズ」
「殿下」
閉じた扉を見つめていたアンリエッタは、俯いて謝罪の言葉を漏らした後、マザリーニの声に、わかっています、と答えた。
「全ては国の為。きちんと割り切っています」
とは言え、晴れ晴れしい気持ちになれるはずも無かった。ワルド子爵への恩赦は、温情の産物ではなく、打算と政治的取引の結果でしかなかったからだ。
ワルド子爵は、ルイズ・フランソワーズに対しての『足かせ』だった。
「さっきの会話で、殿下のご判断が正しかった事が証明されましたな。世界に起こっている異変に、ミズ・ワルドは非常に有用です。アルビオンからの使者を足止めした事も正解でした」
「私は判断などしていません。ただ大臣達に流されただけです」
親友への友誼からワルドの助命を願ったアンリエッタだったが、大臣達は感情とは無縁に会議を進めた。結果として、ワルド領を王領に加える事、ヴァリエール領を割譲させる事で大公爵の力を削ぐ事、そして念のために、ルイズ・フランソワーズの身柄をトリステインに確保する為の重りとして。これらの理由で、ワルド子爵への判決が下ったのだ。
ルイズの持っている情報が重要だった場合を考え、アルビオンからの使者の打診に対しても、理由をつけて延期させていた。
あの者達は、己の利益と、他者の足を引っ張ることしか考えられないのですね。
アンリエッタは歯がゆく思ったが、実質的に国政を握っているのは彼らであり、どうする事もできなかった。
「ルイズに比べて、私はなんと情けないのでしょう」
学院を訪れた夜、久しぶりに再会した親友は、ひどく頼り甲斐があるように感じられた。そしてたった数日後、アルビオンから戻ってきた時には、最愛の人を見つけ、美しい大人の女性になっていた。
自分も変われるかと思った。変わりたいと思った。けれども出来たのは、臣下の言葉に曖昧に頷き、認可を下すことだけだった。
「駄目ですね、こんな弱気では。ルイズは戦争中の他国にすら飛び込んだというのに」
アンリエッタは杖を握って、胸元に引き寄せた。
「私は、必ずこの国を変えて見せます」
窓の外に連なる遠い山並みを見据えて、アンリエッタは眼差しを強くした。
王家に忠実に仕え続けてきた宰相は、ただ静かに眼を閉じて頭を垂れたのだった。
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「ひ、ひめ、姫殿下にはごきげんうるわしゅう、このギーシュ・グラモン、光栄の、いた、いたりりり」
「そんなに緊張しなくていいのですよ? ギーシュさん。ここは公の場ではありませんから」
微笑みながら、アンリエッタは自分が優越感を抱いている事に気付いた。
こんな気持ちを抱いてはいけないと、どんなに考えても、お飾りである事を実感させられたこの数日の鬱屈が、それを邪魔していた。純粋な敬愛を向けられると、もっと自分を前にして平静を失って欲しい、声をかけられたと感動して欲しい、と望んでしまっていた。
「今日来てもらったのは他でもありません。ギーシュさん、貴方にお願いがあるのです。他の方には任せられない、大切なお願いが」
アンリエッタの信頼を滲ませる言葉に、ギーシュはろれつが回らない様子で、なんなりと、と平伏した。
「私は立場上、王宮を離れることが出来ません。ですので貴方に私の目と耳になって、城下の出来事を伝えて欲しいのです」
ずっと前から考えてはいた事だった。しかし実際に行動に移そうとすると、人選が厳しいと気が付いた。
真っ先に浮かぶのはアニエスを初めとする護衛達だったが、こちらは主だった人間をルイズの元へと送っている。そして先にアンリエッタの『お願い』を聞いてくれたルイズは、今や重要人物の一人である。
任務をこなせる身軽さと、他言しない忠誠心、この二つを持った人物を脳内で探し回ったアンリエッタは、あの夜にルイズの部屋に飛び込んできた貴族の少年に行き当たった。
「ご安心ください殿下、僕には心強い知り合いが居ます。この使命、必ずや果たしてご覧に入れましょう」
資金の金貨と、身分を証明するアンリエッタのサイン入りの書状を渡した後で、ギーシュは胸を叩いた。彼の言う知り合いが誰のことか分かるアンリエッタは、いいえ、と首を振った。
「ルイズにはこの事は内緒にしておいて下さい」
意外そうな顔をするギーシュに、アンリエッタは内心の罪悪感を隠しながら語った。
知ればルイズは手伝おうとしてくれる筈だが、結婚したばかりのワルド子爵は、もうすぐ自領へと戻る事になっている。今を逃すと、二人はしばらく会えないのだ、邪魔をしたくはない、と。
ギーシュは偽りの言葉を信じ、感動極る様子で退出していった。
「ごめんなさいギーシュさん。貴方の忠誠には、この国を良くする事で報いたいと思います」
謝りながらも、久しぶりに王族らしく扱われ、アンリエッタは充足を感じていた。
純粋に自分を慕ってくれる学生や、アニエスのように絶対の忠誠を誓う平民達を集め、自分の下で実働してくれる部隊を作りたい。アンリエッタが初めてその構想を持ったのは、この時だった。
ルイズの知る異国の戦争についての報告も届いていた。
報告者であるアニエスは冗談を嫌う、生真面目な女性だったが、自分自身の言葉が我慢ならないという風に、声をつっかえさせていた。
「戦争中は人が死なないというのは、真に遺憾ながら、真実です。正確には、事切れてから十を数えると、拠点で生き返ります」
「そうですか。他ならぬアニエスが言うのですから、やはり真実なのでしょうね」
その他にも様々な、信じがたい報告をアニエスは行った。
あまりにも荒唐無稽な話であったので、まじまじとアニエスを見つめていると、不安そうな顔をされた。
「やはり信じられないでしょうか? 殿下」
「いいえ、そんな事はありませんよ。ただ実直なアニエスが、このような話を聞いて、よく納得したものだと思っただけです」
「あんな場所へ連れて行かれては……信じるほかありません」
アニエスは、死ぬほど不味いけど栄養価の高い料理を食べさせられたように、眉をしかめていた。
「何か言いましたか?」
「はっ。実はひとつ、信じがたい報告があるのです」
「先ほどまでの話よりも信じがたい事などないでしょう。どうぞ話して下さい」
先を促したアンリエッタは、アニエスが、分かりました、と続けて語った内容について、言葉を失う事になる。
そしてその日のうちに、アニエスはある依頼を抱えて、学院の、桃色の髪をした少女の元を訪れる事になるのだった。
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「姫様、もう眼を開いて下さって構いません」
アンリエッタは言葉の促すとおりに目を開き、一気に視界に飛び込んできた情報のあまりの多さに、くらりと後ろによろめいた。
さっきまで自分は確かに、魔法学院のルイズの部屋に居たというのに、今目の前には、見上げるほどの巨大な崖が存在していた。渡る風に、土の匂いがまじっている。差し込む太陽の光が、身体に熱を伝える。
まやかしなどではなく、自分は確かに、別の場所に来ていた。
アニエスの報告にあった通り、ルイズの使い魔と一緒ならば、彼女の国へと瞬時に移動することが可能だったのだ。
「ここが、ルイズの使い魔さんの国なのですか」
「いえ、ここはもう戦場です。目の前に、向かい合った崖がありますよね、あの中央が主戦場になると思われます。そうよね? ナナ」
ルイズが振り向くと、彼女の使い魔さん――ルイズよりもさらに小さな女の子が、こくこくと頷いた。
最初に見たときは、その鎧の露出の多さに驚いたものの、今辺りを見ていると、同じくらい、あるいはさらにきわどい衣装の人々が現れては、ルイズの言う『主戦場』の方へと駆けていく。
普通のドレスを着ている自分が場違いな気がして、アンリエッタは杖を胸に引き寄せた。
「やっぱり裏方よね。攻め側だから僻地クリって東だったかしら?」
使い魔のナナが、うんじーろく、とルイズに答えている。
では行きましょう姫様、とルイズに促されて、アンリエッタは目を白黒させた。
「あの、どこへ? というか、私のような者が混ざっては、皆さんの邪魔になってしまうのでは?」
大人しく見学だけさせてもらおうとしていたアンリエッタが、その考えを述べると、ルイズは困ったような顔で首を横に振った。
「それは駄目なんです姫様。ここでは戦場に入れる人数がきまっているので、何もしない人間が居ると、それだけで味方が不利になってしまいます」
正確には五十人だとルイズは言った。一人がサボれば、残りの人間は四十九人で五十人と戦わなければいけない。逆に言えば、一人一人が、勝敗の五十分の一を、責任として背負っているのだと。
それを聞いたアンリエッタは、軽い気持ちでここに来たいと言った自分に、後悔した。
「ごめんなさい。私は、帰ったほうがよさそうですね」
「大丈夫です姫様。戦えなくても、ちゃんと戦争に貢献する事は出来ますから。さあ、ご案内します」
ルイズがエスコートするように手を差し出し、ナナがうんうんと頷く。
二人の笑顔に後押しされ、アンリエッタはルイズの手をとったのだった。
ルイズの言った目的地は、小高い丘の上にあった。
遠目にも見えていた通り、それは巨大な水晶の柱であり、トリスタニア城の中庭に数ヶ月前に忽然と現れた物と同じに見えた。
「近くで見るとやはりすごいですね。ここが、ヘキチクリ、なのですか?」
うん、そーそー。と、アンリエッタの片腕に抱きついたナナが答える。
ここに来るまでの会話で、アンリエッタはナナと大分打ち解けていた。ナナはルイズにたしなめられながらもアンリエッタに甘え、アンリエッタも、自然体で隔意を感じさせないナナを可愛いと思った。
なんでもナナの国には、耳の可愛い小さな王女様と、声の渋い王様がいるとの事で、もしトリステインとの国交が叶うようならば、是非とも会ってみたいと思うアンリエッタだった。
水晶の根元に座って、ルイズとナナの解説を受ける。
周囲に立ち登る光が、膝の上に集まった時には驚いたが、それが小さな水晶の結晶になると、アンリエッタはその神秘と輝きの透明さにため息をついた。
手の中で水晶が十個を越えた頃に、茶色の民族衣装めいたものに弓を携えた少女が現れて、アンリエッタの隣に座った。
「なぼ、あとさんじゅう」
アンリエッタは緊張して身を堅くした。ルイズ達が手持ちの水晶を渡している。アンリエッタは教わった事を脳裏で復唱しながら、どうぞ、と残りを手渡した。
「ありがとっ」
少女がウインクして駆け去っていく。
アンリエッタは、まるで自分が、別の誰かになったような錯覚を覚えた。初対面の人間からの、対等な感謝の言葉。そんなものを、果たして今まで向けられたことがあっただろうか。
手の中の水晶が、なぜかとても暖かく感じたアンリエッタだった。
「今日はありがとう、ルイズ、それにナナ。とても貴重な体験をさせて貰ったわ」
そして大きな発見もさせてもらいましたと、ルイズの部屋に戻ったアンリエッタは語った。
ルイズ達から教えてもらった様々な事、それは単なる方法ではなく、全てが戦争に勝つための布石に繋がっていた。水晶の渡し方一つを取っても、一秒でも早く戦況を進め、一サントでも勝利に近づく為の、明確で合理的な理由が存在していた。
今トリステインに必要なのは、まさにこれだと思った。
私利私欲や保身に迷わず、国の発展と民の幸福を実現する事。その為の努力を惜しまない事。これらを臣下に伝えるべきだと決意した。
「ルイズ、私はこれから、この国を少しでも良い方向へと進めるよう、努力するつもりです。その為に、もし貴方を必要とする時が来たならば、私に力を貸してくれますか?」
「もちろんです姫様。たとえ何処に居ようと、かならず姫様の元へ駆けつけますわ。あなたもよね? ナナ」
いつでもアンアンを手伝うよー、とナナは同意した。
心強い味方を得、アンリエッタはこの国を変える為に戦う事を、改めて心に誓ったのだった。
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会議の席において、アンリエッタは居並ぶ重臣達を前に、ルイズの言うメルファリアで学んだことについて語った。
彼らの戦術がどれほど合理的で、実効性に富むか。私心なく勝利を目指す、その精神がいかに高潔か。
けれども重臣達の反応は、非常に鈍い物だった。
信じていないというよりは、重要視していないと言う所だろうか。死者が生き返るという部分には興味を引かれたようだったが、精神論については、はぐらかすばかりで実のある議論に発展しない。
アンリエッタは机の下で握り締めていた拳を、解き、ため息をついた。
「分かりました、この話は後日もう一度、話させて貰います。ですがもう一つ、以前から申し上げているアルビオンへの援軍派遣つにいては、譲ることはできません」
それはルイズがアルビオンから帰還してからすぐに、アンリエッタが主張し続けている事柄だった。
こちらはすぐに、何人かの賛同の声が上がる。グラモン元帥を始めとする、武門の重臣達だった。
しかし長く平和の続くトリステインでは文官の地位が高く、倍する反対の声が上がり、援軍派の主張は立ち消えになりそうに見えた。
このままでは、また同じ事の繰り返しだと、アンリエッタは思った。
何十人もの重臣達が集まって、ただひたすら時間を無駄にするだけの会議。メルファリアの、一人が一秒一サントを珠玉のように扱う戦場に比べて、なんと愚かな振る舞いか。
もう我慢できません。
アンリエッタは立ち上がると、両手で激しく机を叩いた。
「いい加減にしなさい。あなた達は恥ずかしくないのですか。こうして時を浪費している間にも、他国は動いているのです。このままではトリステインは、世界に取り残されてしまうやも知れないのですよ」
アンリエッタの言葉に、重臣達は一瞬鼻白んだかに見えたが、すぐに口々に語り始めた。
派兵ひとつにいささか大げさなのでは。そもそも現在の国庫には軍を支えるだけの余裕がありません。殿下には目下の異常現象について調査の続行を願いたく。ワルド領への取り計らいもその為ならば。
「私には、夢物語を追っているのがお似合いだというのですか?」
「とんでもございません。トリステイン一国に収まらぬ重大事なれば、臣のような者の手には余りましてございます」
文句のつけようが無い礼儀作法で頭を下げられ、アンリエッタはそれ以上何も言う気になれず、椅子に身を落とした。
そして会議が終わるまで、一言も言葉を発することは無かったのだった。
※※※
「殿下、お話したき儀が御座います」
「リッシュモンですか。先日の会議では、醜態を見せてしまいましたね」
アンリエッタは、ここ数日晴れぬままの顔で、重臣を迎え入れた。
リッシュモンは司法を管轄する高等法院の長で、アンリエッタの父王の代から王宮に仕える法律家だった。三十年に渡るキャリアからアンリエッタも信頼を寄せていたが、アルビオンへの援軍派遣については、反対の立場を取っている人物であった。
「滅相も無い。このリッシュモン、これまでの己の不見識に恥じ入るばかりでございます」
そしてリッシュモンは、援軍派遣に賛成すると述べたばかりか、アンリエッタの語ったメルファリアの精神についても深い賛同を示した。
リッシュモンの突然の翻意にアンリエッタは驚いたが、それ以上に、自分の理念が他者に受け入れられた事に感動していた。それが一貫して反対の立場を取り続けてきた人物であれば、なおさらであった。
目頭が熱くなるのを、アンリエッタは感じた。
「感謝します、リッシュモン。貴方の言葉だけで、私は報われたように思います」
「ありがたきお言葉。なれど、殿下には是非、その理想を実現していただきたく存じます。その為ならばこのリッシュモン、己が身を惜しみはしませぬ」
再度謝辞を述べて、アンリエッタは語った。軍事行動を起こすだけの予算的余裕がないのは事実であり、重臣達の大半が反対している以上、資金をひねり出すだす為の方策を巡らす事は難しいだろう、と。
リッシュモンは周囲を伺うと、抑えた声で、手だてはあります、と言った。
「トリステインの何者にも異議を唱えられぬ存在に、殿下が成られればよいのです」
リッシュモンの言葉が理解できた時、アンリエッタは、目を開けたまま眠っていて今まさに目覚めたように、びくりと目を見開いた。
この者は自分に、王位に就けと言っているのだ。
トリステインの王座は長く空のままであり、アンリエッタの実母であるマリアンヌ大后は、女王への即位を明確に否定している。
アンリエッタは自身にも即位への期待が集まっている事は感じていたが、そのような重責に耐えられるとはまるで思っていなかった。
「無理です。私に王など務まりません。それに一方的に命令しても、理解が得られなければ、資金の問題は解決しません」
「それもご心配ございません。非公式にですが、ガリアから資金協力の申し出があるのです」
最早アンリエッタは軽いめまいすら覚えていた。なぜガリアが? と問うと、リッシュモンは、なめらかな口調で理由を説明した。
始祖の名を侵略に利用するばかりか、尊ぶべき王家に弓ひくレコン・キスタの横暴は許しがたい。だがガリアは地理的にも遠く、軍を出す大義名分も弱い。その為、アルビオン王家と血縁的にも距離的にも近いトリステインが援軍を出すのならば、水面下での援助は惜しまない、との事だった。
さらに、とリッシュモンは続けた。
「殿下の仰る異国の戦い方も、戦場で実際に目にし体験すれば、皆も認めざるを得ないのではないでしょうか」
それはひどく説得力があるように、アンリエッタには感じられた。
アンリエッタ自身も、ルイズに連れられてメルファリアの戦場を駆けるまでは、半信半疑であったのだ。
しかし、突如地面を盛り上げてそそり立つ塔や、人の言葉で話す巨大な騎士を目にして初めて、自分の想像の及ばぬ世界が在ることを実感できた。
そして一秒一サントをも無駄にしない彼らの戦いを肌で感じれば、会議で無為に過ごすだけだった重臣達も、己の行動を見つめなおしてくれるのではという期待もあった。
臣下達が己の中の常識を打ち破られ、目を覚ます姿を、アンリエッタは想像した。
私利私欲に走っていたこれまでを悔い、不正を憎み、国の発展と国民の幸せだけを目指し、競い合うように工夫を続ける臣下達。それは間違いなくアンリエッタの理想そのものだった。
「決断なされませ殿下。今この時こそが、殿下がご自身の手で理想を実現なされる、唯一の好機なのではありませんか」
リッシュモンの言葉に、アンリエッタは深く目を閉じた。
数日の後、トリステイン王国の王女アンリエッタは、自身の王位への即位を宣言すると同時に、アルビオンへの軍事派兵を決定する。
派兵に反対する声は、それに倍する、即位の歓迎への声にかき消されたのだった。