※※※
会議場には文官、武官の全員が席を埋めていた。
本来はチュレンヌ徴税官への不法な裁きへの抗議として、出席を見合わせていた文官達であったが、リッシュモン高等法院長の内通に関する重要な会議と言われては、参加せざるを得なかったのだ。
「やはり退位に関する事でしょうか」
「陛下のご性格を考えれば、その可能性は高いでしょうな。しかしマザリーニ卿が素直にそれをお認めになるかどうか」
女王の進退に関係した会議であろうというのが、集まった大方の予想であった。
口さがない文官達の態度に、グラモン元帥を始めとする武官達は苦々しい顔であったが、警備に当たっておきながらむざむざとリッシュモンの逃亡と殺害を許した手前、強く出る事は出来なかった。
やがてアンリエッタ女王が入室する。
一同はアンリエッタの表情を観察したが、軽い緊張を伺わせるだけで、重臣に裏切られた主君の印象とは一致しなかった。その為、幾人かは心中で首を捻ったのだった。
「よく集まってくれました。リッシュモンが他国に通じていた事、またその先がガリアであった事は、皆も承知していると思います」
やはり退位宣言であるのかと、文官達は思った。
しかし続いたアンリエッタの言葉は、この場に集まった重臣の、誰一人として予想だにしないものであった。
「こんな旨い話を、逃す手はありません。先のアルビオン遠征でガリアより借用した戦費の返済金額を、この件を材料として減額させてしまいましょう」
ガリアは最終決戦での功績――敵旗艦の撃沈――によりアルビオンとも有利な貸借関係を結んでいます、彼らだけに儲けさせるのは大変好ましくありません、とアンリエッタは語った。
声も出ない重臣達の内から、ガリアとの折衝を担当している者を、アンリエッタは呼んだ。
「証人はガリア王弟の息女、シャルロット姫です。交渉により減額されて浮いた分については、『いつも通り』法と規則に反しないように、あなたが処理してくれて構いません」
アンリエッタの発言の意味に気付き、一同はざわめいた。女王陛下は、臣下の着服を見逃すと、本当にそう言っているのかと。
文官の一人が発言の許可を求め、探るような目でアンリエッタに質問をする。
「陛下、先日のチュレンヌ徴税官へのご裁可ですが、あれに変更はございませぬか?」
「いいえ、変更などはありません」
議場に、落胆と安堵のため息が漏れた。やはり、あの女王陛下が臣下の不正を見逃したり、あまつさえ助長などする筈がないのだと。
「ですが、付け加える事はあります」
視線を向ける一同に、アンリエッタは笑みを浮かべて言った。
「チュレンヌに不当に財貨を奪われた者のうち、返却されるのは、実名によって自己申告を行った者に限るという事。そして、返済に関して王家は一切の関与を行わない、という事です」
議場には声を上げる者はなく。中には口を開けたまま、呆然としている者すら居た。
王家が関与しないと言う事はつまり、金を返して欲しければ直接、平民が貴族のチュレンヌの所に返してもらいに行け、という事だ。とんでもない話で、返済を迫れる者など居よう筈がなかった。
「まことに僭越ながら、果たしてそれで、平民が納得しますでしょうか」
「それをさせるのが、チュレンヌの仕事です。かの者に会った事はありませんが、実績を鑑みれば、その程度の働きは十分に期待できるでしょう」
疑問を投げかけた者は、アンリエッタの返答に言葉を失った。
議場に居る者たちが、アンリエッタの変化を確信したのは、この時だった。
能力のある者には利益と特権を与え、同時に、その才幹に応じた働きを要求する。そして以前のアンリエッタからは想像だに出来ない事に、臣下個人の人間性については、全く意に介していないようなのだ。
別人の如き変わりようであり、実際、身代わりのたぐいを疑った者すら居た程である。
「私からは以上です、他に何も無ければ、今回の会議はここまでとします」
「陛下は、不当に私服を肥やす者を、お見逃しになると仰られるのか」
声を上げて立ち上がったのは、大将の内でも若手の者だった。軍部にあっても特に文官と仲が悪く、また、アンリエッタがアルビオンへの援軍を提案した時、真っ先に主戦論を唱えた者でもあった。
眼差し厳しい大将を、アンリエッタはまっすぐに見つめた。
「不当であっても、不正でなければよいのです」
「それが国を脅かすとしてもですか!」
大将が机を叩き、議場内に暴力的な音が響き渡る。顔をしかめたグラモン元帥が、やめぬか、とたしなめた。たとえ軍人であろうと、正道ばかりを歩んではいられない事を、トリステインの元帥は知っていた。
アンリエッタは見た目には冷静な表情のまま、文官達をちらりと見て、言葉を継いだ。
「心配いりません。彼らはそれ程、無能ではありませんから」
退出していくアンリエッタの後姿を、重臣達は声もなく見送ったのだった。
※※※
自室に戻ったアンリエッタは、ソファーに身を預けて、深く長いため息を付いた。
「如何でしたか、陛下」
「緊張し通しでした。特に、大将に恫喝された時は、身のすくむ思いでした」
本来なら不敬罪にあたる行為であったが、押し寄せる威圧感にそのような事を思う余裕すらなかった。理想論に偏る部分はあれど、地位に相応しい能力と貫禄をそなえた人物である事は確かであろう。
ひるがえって自分に当てはめると、羞恥どころか、滑稽さすら感じてしまうアンリエッタであった。能力も経験も無い身で、自分はなぜあのように理想を追えたのだろうか、と。
「あの者達の、陛下を見る目も変わりましょう」
「だと良いのですが。自分では上手く行った気が全くしません」
アンリエッタは眉をしかめて両の手のひらを握り締めた。
チュレンヌへの対応と、リッシュモンの件をガリアとの交渉に使う案については、マザリーニから事前に提案があった。しかしそれ以外については、一切をアンリエッタに任されていたのだ。
マザリーニがアンリエッタにした助言はただ一つ、重臣達の私利私欲を認め、尊重する、という事であった。
それでは国が滅びてしまうと不安を口にしたアンリエッタに、マザリーニは、自分の宿主を殺してしまうほど彼らは愚かではありません、と語った。だからこそ彼らは有能であるのだと。
以前の自分なら、絶対に受け入れられない言葉だったろうと、アンリエッタは思った。今でさえ、躊躇もあれば不快感もある。
それでも、能力も才能もない自分がこの国を治められるというのなら、受け入れようと思うアンリエッタだった。
「頼りにしていますよ、マザリーニ」
「御意」
※※※
アンリエッタが為政者として新たな道を歩みだしてから、数十日が過ぎた。
城下ではチュレンヌ徴税官の断罪による混乱が収まりを見せ始め、王宮ではリッシュモンの空席が表向きは穏便に埋まった。
一方、ガリアとの交渉は順調ではなかった。アンリエッタは報告を受けるだけであったが、どうもガリア側の態度が強硬であるらしい。
アンリエッタ個人の変化としては、まず他者の自己中心的な思考や欲望に、それ程嫌悪感を感じなくなっていた。
そうして臣下と接していると、次第に見えて来る物がある。それは、相手の欲望に沿う提案であれば、支持が得られる、という単純な事であった。自分以外の人物、例えばマザリーニや他の重臣であれば常識であろうそれは、アンリエッタが初めて自分で掴んだ、為政者としての知識であった。
「私は、このような事も知らなかったのですね」
思えば、無知蒙昧な自分がアルビオンへの派兵を提言した時、それでも支持した者が居たのは、軍事行動がその者の欲望に結びつく行為だったからなのだろう。
さらに自己を省みれば、リッシュモンの言葉を容れて女王に即位した事も、理想を実現するという自分の願いに繋がる物であったからなのだ。
相手の利益に繋がる事ならば、支持が得られる。無関係ならば、少なくとも反対はされない。
その事を改めて自覚したアンリエッタは、次第に、対象の利益は何であるのか、相手が何を望んでいるのかを、注視するようになっていった。
※※※
「よく来てくれましたヴァリエール公。さあ、ルイズもワルド卿も、こっちに来てお座りなさい」
三人にソファーを勧めて、アンリエッタも向いに腰を掛けた。
その日、ワルド元子爵は領地の整理を終え、報告と、謝辞の為に、アンリエッタの元を訪れていた。ワルドの罪が減じられた理由が、表向きはアンリエッタのお声掛かりとなっていたからである。そして妻のルイズと、後見人となったヴァリエール公爵も同行していた。
「我が娘ルイズも、良き妻として立派に成長してくれたようです。全ては陛下のご温情のたまもの。感謝の言葉も御座いません」
身分と立場から、ワルド本人ではなくヴァリエール公がまず謝辞を述べてくる。
続いてワルドと、そしてルイズが礼を述べる。並んで座った夫婦の仲睦まじい様子に、アンリエッタは祝福と僅かな羨望の気持ちを持って返礼した。
「私は何もしてはいません。骨を折ったのは、全てヴァリエール公です。二人は早く子供を作って、公に恩返しをしなければなりませんね」
若夫婦が頬を赤らめ、その父がどこか困ったように、それでも満更でもないという風に口元を緩める。
ヴァリエール公爵は王国の重鎮であり、その権力は王家に匹敵するといっても過言ではない。その上、名誉と忠誠を重んじる古風な貴族でありながら、魑魅魍魎の跋扈する王宮を泳ぎ渡るしたたかさも兼ね備えている。
なかなかに一筋縄ではいかない人物で、本来その心中はアンリエッタなどが見渡せる高さにはなかったのだが、今は娘の幸せと、まだ見ぬ孫への思いが透けて見えるようだった。そこを前面に出せばヴァリエール公を味方につけられるのですね、とアンリエッタは心に記録した。
「ルイズは、すっかり大人びましたね」
身体的な変化はないのだが、ルイズはずいぶんと落ち着いた雰囲気をまとっていた。夫であるワルド卿とは長く離れ離れであった筈だから、貴族の妻として、家名を担う片割れとして日々振舞ううちに、自然と身についた変化であろう。
それにしてもルイズは扱いにくそうですわね、とアンリエッタは思う。
この桃色の髪の親友は、王家に忠誠を誓い、アンリエッタに敬愛を抱いてくれている。けれどもそこには、打算もなければ見返りも求めてはいないのだ。だからなにも言わなくても支持してくれる代わりに、アンリエッタが間違いをおかしていると知れば、全力で制止しようとする事だろう。
親友のそのような部分を嬉しく思うと同時に、面倒だとも感じている自分に、アンリエッタは内心で苦笑した。
「なんだかお恥ずかしいです。それに姫さま――陛下もお変わりになられました」
「私がですか?」
「はい。まるで、心の中を覗き込まれているみたいです」
アンリエッタは思わず声を上げかけたが、ルイズの表情に他意がなく、ただ不思議に思ってそう言っただけだと気付いて、なんとか平静を装う事が出来た。
欲に目の曇っていない人間の恐ろしさを、実感させられた気のするアンリエッタだった。
その怖さは、アンリエッタの心を見抜いた事にではない。心中を探ろうとする視線の意味に気付かず、その事を平気で口にするルイズの無垢さに対してである。アンリエッタが相手の欲望の方向を見定めようとしている事は、ヴァリエール公などはとうに承知しているだろう。それ程、王宮内にあってはありふれた視線なのだ。
そしてふと思い出したのは、かつてガリアの王ジョゼフに言われた言葉だった。臣下の欲深さを嘆くアンリエッタに、かの王はこう言ったのだ。欲深い臣下が多くて助かっている、と。
あれはこの事だったのかとアンリエッタは考え、そして、自分が他の人間のどれほど後ろを歩いているのかと、気が滅入る思いだった。
※※※
この日の会議は、以前から予定されていた物ではなく、対ガリアの交渉において突発的な自体が発生した為であった。
皆が慌しく席に着くのを確認し、アンリエッタは交渉の担当者に説明を促した。
「はっ。ガリアとの交渉ですが、とんでもない要求が届けられました」
要求? と皆が腑に落ちないように眉をしかめる。ガリアとの交渉では、こちらの減額要求をどこまで相手が飲むか、という方向で話が進んでいたはずである。ガリア側から要求が出る道理があるようには思えなかったのだ。
そして担当官の次の言葉に、重臣達一同は目を見張る事となる。
「ガリアは、誘拐されたシャルロット姫の身柄返還と、誘拐実行犯の引渡し、及び犯行時に損壊したアーハンブラ城の修繕費用を、借款に上乗せするように要求してまいりました」
要求の意図が理解できず、アンリエッタは首を捻った。シャルロット姫がトリステイン側に誘拐などされていない事は、本人から既に明言済みなのだ。加えて、ジョゼフ王の非道な行いやトリステインへの政治的攻撃も、証言が取れている。このような無茶苦茶な要求が通るとは思えなかった。
しかし重臣達のざわめきは、アンリエッタの考えとは方向性が異なるように感じられた。
「陛下、いかがなさいますか?」
そういえば最近、所見を尋ねられることが増えてきましたわね、と思いながら、アンリエッタはどう答えるか迷った。そしてすぐに、自分の迷いを馬鹿馬鹿しいと笑った。自分より遥かに有能な政治家達を前にして、何を今更取り繕うというのだろうかと。
アンリエッタは国民達に見せるのと同じ、白百合と評された笑みを浮かべて答えた。
「まったく分かりません」
一同の目と口が縦に引き伸ばされる中、アンリエッタは交渉の担当官に問いかけた。
「ガリアはどういうつもりで、このような要求を突きつけてきたのでしょう。貴方の推察を聞かせてくれますか?」
「は、はいっ。おそらくこちらの出方を伺っての事かと。最初に非常識な要求を突きつけるのは、確かに交渉の基本ですが、それにしては限度を越えております。ジョゼフ王は現実的な利を求めるお方ですが、それ以上に、人を試し、他人が苦境にあってどのように動くかを見て楽しむ一面をお持ちです」
さらにガリアで戦争の準備が進められている事から、挑発の意味もあるのかもしれません、と担当官は締めくくった。
アンリエッタは一同を見回し、文官達の総意が、その発言とそれほど離れてはいない事を確認した。
ジョゼフにそのような性癖があったとは知らなかったが、アルビオンで対面した時の妙な居心地の悪さを思うと、納得できるアンリエッタであった。
「なるほど、分かりました。グラモン元帥、今ガリアと戦って、トリステインは勝てるでしょうか?」
アンリエッタが武官の面々へと顔を向けると、文官達がにわかにざわめいた。不思議に思って顔を戻すと、先程の担当官がぽかんと口を開いていた。
「どうかしたのですか?」
「はっ。いえ、その。それがしの言葉一つで、あまりにも簡単に会議をお進めになられますので、少々驚きまして」
「おかしな事を言いますね。長年に渡って対ガリアの交渉を勤めてきた貴方の意見を聞いて、さらにこれ以上誰に、何を尋ねよというのでしょう」
担当官は数瞬、呆然とした後、分かりました女王陛下と深く深く頭を下げた。
アンリエッタは首をかしげた後で、再び、グラモン元帥に対ガリア戦についての質問をした。
「戦力差はありますが、負けはしますまい。アルビオンの例を鑑みるに、異国よりの援軍を呼べれば、戦力差などあって無いような物。さらにこちらにはヴァリエール公のご息女より提供された、新しい戦争の知識もございます。勝ちの可能性も十分あるでしょう」
たとえガリア側が同じく援軍を呼んだとしても、十分に引き分けにもっていけるだろうと、グラモン元帥は答えた。
それにはアンリエッタも同意見だった。僅かな時間であれど、メルファリアで実際に彼らの戦いを目にしたアンリエッタには特に、ハルケギニアの兵士の差がどれだけあろうと、戦況には大差ないように思われたのだ。
武官達の意見も同じようであった。
ルイズからの情報の提供を受け、さらには彼女達と模擬戦を行い、その対集団戦での理論の洗練さと、兵士一人一人が戦況を見定める臨機応変さへの驚嘆を、アンリエッタも臣下達から聞かされた事があった。
「いかがなされますか、陛下。ガリアの要求を、完全に拒否なさいますか。あるいは交渉を継続いたしましょうか」
アンリエッタはしばし思案に目を伏せた。
常ならば臣下に判断を委ねる所だったが、アンリエッタには一つの考えがあったのだ。口にするか迷った後、駄目ならば別の案を出してくれるでしょうと、アンリエッタはその案を一同に伝えた。
居並ぶ重臣達は、ぽかんと口を開けた後で、アンリエッタの提案に賛同した。その口元には、皆とてもイイ笑みが浮かんでいた。
その日ガリアへと届けられた書状には、ガリア側の要求を突っぱねた上で、さらなるトリステイン側の要求が書き連ねられていた。
曰く、シャルロット姫が真実誘拐されたかの調査を行ったので、その費用の請求。および、誘拐犯と目された人物の、拘束に要した費用。
さらには、突如高圧的な要求を突きつけられ心身の健康を害したアンリエッタ女王と重臣一同への賠償などが、もっともらしい文章で記されていたのだった。
駄目押しとして、シャルロット姫の誘拐事件について、該当する事実は無し、との調査結果が嫌味なほど丁寧な書式で添えられていた。
書状を居城で手にしたガリア王ジョゼフ一世は、口が破けそうな程笑ったというが、定かではない。
ただ一つ確かな事は、彼がトリステインに軍を進めたという事であった。
戦争が始まる。