「つまり、戦いにきてるのにじっと守ってるのはつまらないという事です。基本彼らには、押すか引くしかありません。それは彼らのせいではなく、なんというかその、団体行動には向いてないのです、あちらでの戦いは」
「待ってくれたまえ。その、つまらないというのは、彼らの指揮官がそう思っているという事だろうか?」
グラモン元帥が尋ねると、ルイズはふるふると小刻みに首を振った。
「いいえ、彼らの一人一人が、という意味です」
「それでは指揮系統はどうなっているのかね。兵士個人の好き嫌いで戦局が左右されるなど、ありえないのだが」
そこまで聞いて、アンリエッタは、あっ、と声を上げて口元を押さえた。グラモン元帥がひどく大きな誤解をしている事に気付いたからだ。
何事かとこちらを見るグラモン元帥に、アンリエッタはどう説明したものかと迷った。
「あの……元帥、とても言いにくい事なのですが。彼らには指揮というものは存在しないのです」
アンリエッタは、メルファリアの兵士達が、常に個人の判断で戦っていることを説明した。兵士それぞれが知識を収集し、己の技量を高め、一人一人が国の為を思う指揮官であるのだと。
グラモン元帥は厳しい顔のまま、何やら思案しているようだった。やはりすぐには理解は難しいのでしょうか、とアンリエッタが思っていると、ルイズが複雑な顔をして口を開いた。まるで、褒められた料理に実は苦手な物を混ぜてしまっていたと告白する、料理長のようだった。
「あの陛下、それはちょっと違うんです」
「違う、とは?」
「彼らは国家の為とかは、ちょっと思ってないんじゃないかなあと。その、ぶっちゃけると、自分達が楽しければそれでいい、という感じなのです」
ルイズの言葉の内容を理解した時、アンリエッタは頭の中のもう一人の自分が、え゜、とか、に゜ぇ、とか、とにかく発音しようのない声を出したのを聞いた気がした。
「中には裏方とか報われない仕事をしている者もいますが、それも、勝つ事が楽しいからやっているのです。ナナにも聞きましたけど、国や王への忠誠心は全く無いそうです」
「つまり敵は、攻めるのが楽しいから何度も強固な防衛陣に突撃し、死ぬのは楽しくないから、劣勢になると後退する。そして来ぬ敵を待つのはつまらぬので、戦域をほったらかしにする。それを咎めるべき指揮官も存在しない、という事かね」
「仰るとおりです、元帥閣下」
グラモン元帥は頭痛を堪えるようにこめかみを抑えながら、伝令の兵を呼んだ。
「各戦域に通達する。敵が確認される限り、一歩も侵攻せず防御と迎撃に注力する事。敵が存在しない場合は、拠点を構築しつつ慎重に前進し、戦域を確保せよ」
その命令は迅速に前線に届けられ、トリステイン軍は確固たる意思をもって、五千人相手のもぐら叩きを継続する事になる。
戦場では突出してくる敵兵がひたすら叩かれ続け、本陣ではアンリエッタが茫然自失から戻った頃、新たな報告が届けられ、アンリエッタの正気を今度は遥か上空へと吹き飛ばしたのだった。
※※※
「すまんがミス・ヴァリエール、ああいや、ミズ・ワルド、もう一度説明してはくれぬだろうか」
切れ目を入れすぎたプラムのように、ぱかりとあけた口から、白いもやもやを吐き出すアンリエッタを見て、グラモン元帥は額に手を当てた。
「はい。座ったりしばらく動かなくなった後で姿が消えるのは、戦場から離脱したからです。戦場全体から援軍の数が減っているのを考えると、おそらくつまらないから帰ったのだと思われます。ナナが言うには、『ナエオチ』だそうです」
グラモン元帥は手のひらで自分の顔を揉んで撫で下ろした。この数時間で急に老けたかのように見えるその表情は、熱い湯と蒸した手ぬぐいを切に求めているかのようであった。
深いため息を吐いて、グラモン元帥は小さく呟いた。
「異国どころではない、これではまるで『別世界』ではないか」
敵兵の数が千を切ったという報告がもたらされた時、グラモン元帥は全軍前進の命令を下したのだった。
※※※
日が暮れる頃、夕日に照らされたガリアの砦は、黒煙を噴き上げながら崩れていった。
後に残された二百名のガリア正規兵は、三十倍のトリステイン軍に包囲されて、抵抗するすべも無く捕らえられた。
明けて翌日、捕虜の中で主だった者と、女王アンリエッタの引見が行われた。
「女王陛下の御前である、皆の者、控えよ」
グラモン元帥の声が、トリステインの砦内に響く。ガリアの高級仕官は、トリステインを見下した態度を隠しもせず、この戦の勝敗が恥知らずにも逃亡した援軍のせいであると声高に叫び、さらには、女王アンリエッタの即位自体が奸臣にそそのかされたものであると嘲笑った。
トリステインの重臣達が殺気立つ中、アンリエッタは手でそれを制して、ガリア士官の前に歩み進んだ。
この時、士官はアンリエッタ女王の表情を見るべきであった。そうであれば、さらなる侮蔑の言葉など口に出来なかったはずだろう。己が憧れ手本にしようとしていた者達の姿勢が、単なる自分の思い込みだったと知り、過去の、彼らを褒め臣下にも見習うようにと得意げに語っていた自分の姿に、頭を抱え転げまわりたいほどの羞恥を一晩抱え込んでいた、そんな、自分の生殺与奪を握った女王の前で。
「そうですわね。どこかの誰かが法院長をそそのかしてくれたお陰で、こうして戦勝国の女王になれましたわ」
その声音に、錆びた毒のような剣呑な響きを感じて、ガリア士官は顔を上げた。
そこには目と口の部分だけをくり抜いた、真っ黒な人の輪郭をした何かが居た。
「そういえば知ってらっしゃいます? 女王というのは、捕虜に侮辱を受けたら首をはねても良いそうなんですのよ。私は残酷だと思うのですけど、貴方のご意見はどうかしら?」
その後の引見は、非常に厳粛に進行した。
トリステイン南国境の戦いは、こうして終わったのである。
※※※
※※※
「まあエリス、こんなところで何をしているの?」
「アンリエッタさま」
ドレスの裾を控えめに握ってくる少女の頭を、アンリエッタは優しく撫でてやった。頭から上にちょこんと突き出た仔獅子の耳を指先でいじると、少女はくすぐったそうに頭を振って、アンリエッタの腰にしがみついてきた。
「エリスこんな所に居たのか。――これはアンリエッタ殿、ご無礼を」
「いえいえこちらこそ。お迎えに上がれず申し訳ありませんでした、ヒュンケル様」
自分を覆うほどに巨大な、獅子の頭をした男にアンリエッタは微笑みかけた。初めてその前に立った時は、影武者を用意してこなかった事を激しく後悔させられた程だったが、今では、この人物が非常に紳士的な精神と、上品さを兼ね備えた人物だと知っていた。
少女が男の足元に駆け寄る。慣れた動作で少女を肩に乗せる男を、アンリエッタは好ましく眺めた。
ガリア国境での戦いから数ヵ月後、ナナを通じて、メルファリアのとある王国から、トリステインと国交を結びたいとの打診が来た。
両王家とも互いの存在を知ってはいたが、これまで直接関わり合う方法がなかったのだ。しかしメルファリアの賢人王と呼ばれる人物が、所在地すら不明の二つの大陸を、行き来する方法を確立したのだと言う。
書簡と使節のやりとりが行われ、ついに相手方の国王がトリステインでアンリエッタと会見を行った時、巨大な獅子頭の王を前にしたトリステイン側の驚きは筆舌に尽くしがたいものであった。
国王の面相を含め、様々な障害があったが、ついに正式な国交が締結されたのが先月の事である。
それ以後、互いに相手国へ行き来することも増え、アンリエッタも相手国首都ベインワットへと何度も赴いていた。
「この度のご訪問は、やはりゲブランド帝国の事でしょうか?」
「やはりご存知でしたか。そちらのガリアという国の王と、なにやら画策しているとの情報が入ってきました」
「ゲブランドの統治者はひと癖もふた癖もある人物との事。ジョゼフ王と組まれると思うと、気が滅入りますわ」
アンリエッタはため息をついた。
それだけではなく、ハルケギニアの各国とも、メルファリアからなんらかの接触を受けているらしい。最も顕著なのはアルビオンで、メルファリアでエルフを女王と仰ぐ王国と親交を結び、国内でもエルフを受け入れる方向へと進んでいるらしい。
本来ならばエルフ排斥に真っ先に乗り出すであろうロマリアの反応が鈍い事にも、何らかの異変を感じさせた。
「我々が言えた事ではありませんが、アンリエッタ殿も頭の痛い事ですな」
獅子のあごに手を当てて語る男に、アンリエッタは己の胸に手を添えて、ひとかけらの迷いも不安も気負いもなく、あでやかに笑って答えた。
「仕方ありませんわ。私は、トリステインの女王なのですから」
了