「マスター、マスター」
和麻はベッドの上で自分を呼ぶ声に意識を呼び戻された。ゆっくりとまぶたを開けると、そこには良く見知った顔があった。
「・・・・・・・時間か、ウィル子」
「はいなのですよ。決闘の五時間前。ここから身体を調整していけば、ベストコンディションで望めますよ」
ウィル子の言葉にベッドから起き上がり軽く身体を伸ばす。
「・・・・・・・軽く飯食ったら出かける。お前は付いて来るな」
「・・・・・・・了解なのですよ、マスター。ウィル子はここでマスターの無事を祈ってるのですよ。あっ、もちろん祝賀会の準備は進めておきますので。帰ってきたらシャンパンで祝杯ですね」
楽しそうに言うウィル子。彼女はすでに和麻が勝つと言う結末しか見えていない。
彼女も心配なのだろう。心配で心配で堪らないが、和麻を信じている。和麻の強さを。絶対に帰って来ると。
「ふっ、当然だろ? お前は豪華な食事と最高級のシャンパンを用意させとけ。俺が過去を乗り越える記念すべき日だから。金に糸目を付けるなよ?」
「にひひ。了解なのですよ、マスター! ではその前に軽くご飯ですね。もう準備はさせてます。身体に負担が少なくて、エネルギーになるものを」
「さすがは俺の従者だ」
「いや、せめてそこはパートナーとか相棒とか言って欲しかったのですが」
「俺がそんな事を素で言う奴に見えるか?」
「見えないですね」
即答である。ウィル子の言葉に和麻は笑みを浮かべ、ウィル子も笑う。
決戦まで、残り五時間。
「・・・・・・・・・・」
和麻が目を覚ましたのと同時刻、厳馬は神凪の屋敷の中の一角、修練を行う庭先で座禅を組んでいた。
静かに、それでいて力強く。研ぎ澄まされた刃のごとく鋭い気配。極限まで押さえ込んでいるゆえに、周囲には漏れていないが、もしこれを開放すれば数メートル範囲にいる一般人をたちどころに精神異常を起こさせることが出来る。
和麻との戦いを厳馬は舐めてかかるつもりはなかった。
様子見など考えていない。最初から本気で和麻と相対するつもりだった。厳馬は息子である和麻を放逐したが、誰よりも彼を理解しているつもりだった。
四年前、ただ泣くだけの、逃げるだけしか出来なかった少年が最強と称される炎術師に戦いを挑む。
普通なら愚かと言うべきだろう。神凪厳馬の力を知らない弱者が粋がっているだけ。
しかし厳馬はそう思わない。おそらく、和麻は本当に力をつけたのだろう。
綾乃との共闘を聞いたとき、重悟にはああ言ったものの、綾乃の手に負えない妖魔に一撃を与え、足止めをする程度は出来た事を考えるに、炎雷覇を持った綾乃よりも力をつけたと見るべきか。
いや、それも楽観的だろう。和麻は誰よりも己の弱さと神凪の炎の力を知っていた。
和麻は炎術の才はなかったが、それ以外は天才と言ってもいい。相手と自分の力量を測れないほど、有頂天になっているとも思えない。
(・・・・・・・・実際に相対すればわかる)
和麻が向かってくるのならば、こちらも真っ向から向き合わねばならない。
「・・・・・・・・・そんなに気を張り詰めてどうした、厳馬。これから上級妖魔との戦いにでも出向くのか?」
「・・・・・・・・宗主」
声が聞こえた方を見ると、そこには重悟が腕を組んで立っていた。
「もう宗主ではない。して、厳馬よ。それほどの気迫、私と継承の儀で戦った時と同じかそれ以上のものでは無いか。今、お前がそれほどまでに気を高ぶらせる相手がいるのか?」
「・・・・・・・・・」
重悟の問いに厳馬は何も答えない。
「・・・・・・・和麻か?」
「!?」
重悟の言葉に厳馬は珍しく驚いた顔をする。
「図星か。と言うよりも珍しいな。お前がそんな顔をするなど」
「・・・・・・何故お気づきに?」
「気づきもする。お前がそこまで真剣に、本気で相手をしようと思う相手が世界中のどこにいる? 神凪の滅亡の際でもなく、ましてやかつての私と戦うわけでもない。ならば消去法しかあるまい?」
ふっと笑みを浮かべながら述べる重悟に厳馬は頭を下げる。
「お叱りは後でいくらでも受けます。厳命に背き、和麻と戦うなど背信として処罰されて当然のこと」
「そこまで硬くなる事もあるまいに。それで、今回は和麻からの申し入れか?」
「・・・・・・・はい。あれは天狗になっております。ゆえに私がその鼻をへし折ってやろうと」
「心にも無い事を言うな、厳馬よ。その程度の考えなら、お前がここまで集中する理由はあるまい。お前は、息子の成長を見たいのであろう」
重悟は薄々ながら気がついていた。厳馬が和麻を愛していた事を。本当に大切に思っていたことを。
「あの和麻がお前に戦いを挑む。四年前では考えられなかったことだ。それほどまでに強くなったのだろうな」
「おそらくは」
重悟の言葉に同意する厳馬の口調はどこか嬉しそうだった。
「嬉しそうだな、厳馬。しかし厳馬よ、何故四年前に和麻を手放した?」
「私は神凪の人間として生まれ、また生きてきました。外の世界を知らず、狭い箱庭の中のことしか知らぬゆえ、他の生き方を選べませんでした。息子にもまた、それ以外の道を示してやれませんでした」
「・・・・・・・・・お前も十年前の事件を未だに悔やんでおるのか」
「・・・・・・・・悔やむなど。私には悔やむ資格すらありません」
十年前、和麻が瀕死の重傷をおった時、厳馬の態度は表面上は一切変わらなかった。しかしあれ以来、彼は何とか和麻を守ろうと必死だった。
方向性は間違っていたかもしれないが、和麻を強くして自分の身を守れるようにしようとした。
自分が守ってやればよかったのだろうが、和麻自信が強くならなければ意味が無い。親はいつまでも子供を守ってやれない。退魔に身を置く者はいつその命を落としても仕方が無いのだから。
「だから自分の手の届かないところに、か。好きな道を選ばせるために・・・・・・・。だがそれにしては乱暴すぎるだろ。何も身一つで放り出さなくても。野たれ死んだらどうする。と言うよりも恨まれ、憎まれても仕方が無いぞ」
「それで奴が生きる気力を得られるのなら、いくらでも憎まれ役を買いましょう。それと・・・・・私の息子はそれほどヤワではありません」
「あー、そうかい」
まったく。この頑固者がと重悟は思ったがそれ以上何も言わない。
「まあ和麻からの申し入れなら、断る必要も無い。ただまあ、勝っても負けても神凪としては最悪な展開だな」
「・・・・・・一応、これはただの私闘と言う事で言質を取っておきます。ICレコーダーで私と和麻の会話を録音しておけば最悪の事態は避けられるでしょう」
「・・・・・・・・少しは考えておったのだな」
「・・・・・・・・もしや私が考えなしだと思っておられたのか」
いや、まあ、うーんと重悟は視線を逸らした。そんな重悟に厳馬は少し視線を険しくしてため息をつく。
「とにかく、今回の件は私としては逃げるわけには行きません。私自身、挑発された感はありますが、今回ばかりは・・・・・・・・・・」
「よい。お前の好きにしろ、厳馬。もしここで戦いを避けても、おそらく和麻は納得すまい。他の手を講じてもお前との戦いを望むだろう。でなければお前に連絡をいれるはずもないだろうからな。だが厳馬。お前は和麻に勝てるのか?」
重悟の言葉に厳馬は真っ直ぐに重悟を見返す。言葉など要らない。厳馬の目が雄弁に語る。負けることなどありえない。勝つのは私だと。
「そうか。では言って来い。それと一つだけ。万が一負けても、命だけは失うなよ」
「・・・・・・・・・はい」
そして厳馬は向かう。和麻との対決の場所へ。
「・・・・・・・そろそろ時間だな」
時計を見ながら、和麻はホテルで呟く。食事も済み、身体もほぐした。体調は万全。気合も十分。
「じゃあ行って来る。お前は俺が帰って来るまで、適当にくつろいでろ。ああ、なんだったらそこら辺で適当なデータを食い漁っててもいいぞ。俺が許す」
「にひひひ。マスターの許しが出たので、ウィル子はしばらくの間お出かけをしてきますね。じゃあ、マスター、ファイトなのですよ! 負けることはこのウィル子が許しません!」
ビシッと親指を立てて声援を送るウィル子に、和麻は背を向けながらも同じように指を立てて返す。
ホテルの部屋の扉を開いて、和麻は対決の地に向かう。
そして閉められたドアの手前で、先ほどまでとは打って変わった心配そうな表情をウィル子は浮かべる。
「マスター。頑張ってくださいね」
唯一無二のマスターである和麻の勝利を、ウィル子は祈ることしか出来なかった。
和麻は公園の入り口にやってきて、その周辺の違和感に気づく。すでに結界が張られている。今の時刻は十一時半。約束の時間にはまだ早い。
和麻は早く来て周囲に結界を張り、人払いを行い、自分達が戦った際の余波を出来る限り押さえようと考えた。
控えめに言っても和麻と厳馬の戦いは怪獣の同士の戦いだ。冗談抜きでしゃれにならず、下手をすれば半径数キロは地形が変わるかもしれない。それにそんな戦いをすれば、途中で余計な介入を招きかねない。
それを避けるために和麻は結界を張ろうと考えたのだが・・・・・・・。
「ったく。来るのが早いんだよ」
山頂に意識を向けると、そこには気配を隠そうともしない、むしろ己の存在を誇示するかのように、まるで王者の風格を纏うかのような者がいる。
和麻は山頂に向かって一歩一歩進んでいく。まるでボクシングの世界チャンピオンに挑む挑戦者のように思える。
否、まさしくそうなのだ。
圧倒的にして絶対の頂点に君臨する炎術師の最高峰・神凪一族。その中でも現役最強の名を欲しいままにしている男に挑もうと言うのだ。
身体がまた震えだす。恐怖か、あるいは武者震いか。どちらかなどわからないし、どちらでも関係ない。
口元がかすかに歪む。恐怖ではない。これは歓喜。いよいよ自分はあの男を叩きのめせる。
心のどこかでこれは絶対に俺じゃないなと言う考えを浮かべながら、こんな風に熱くなれる自分がまだいたのかと驚きを隠せない。
和麻はゆっくりと相手の待つ広場に足を踏み入れる。相手はその中央に堂々と立っていた。
和麻の目に映る一人の男。四年ぶりに見る父であった男の顔。四年前と変わる事の無い男の姿がそこにはあった。
「よう、待たせたな。時間よりもずいぶんと早いじゃないか」
「ふん。ワザワザ結界を張っておいてやった。これでお前も私も心おきなく全力を出せる」
「・・・・・・・・・へぇ、全力を出してくれるのかよ、俺ごときに」
「・・・・・・・・・今のお前を過小評価するつもりは無い。私に挑もうと考えるほどに成長したのならば、当然の措置だ。だが一つだけ確認しておく。この戦いは私とお前の私闘であり、神凪は関係ない。それで間違いないか」
「ああ、間違いないぜ。しっかりと胸ポケットにあるICレコーダーに録音しとけよ。俺が嘘付いた時のために」
和麻はニヤリと笑いながら答える。厳馬の言葉がどういう意味かを、和麻はすでに理解している。
「きちんと言質を取らしてやる。これは俺・・・・・・八神和麻が神凪厳馬に戦いを挑んだ。他に一切の他意はない。で、いいか?」
「そうだな。ならば問題ない。これで私も心置きなくお前と戦える。・・・・・・・私の過大評価で終わってくれるなよ、和麻!」
厳馬の体から金色の炎が吹き上がる。綾乃の炎など比では無い、圧倒的な炎が厳馬の体から吹き上がる。
そして変化はそれだけでは無い。黄金の炎の色が変わる。金から透き通った蒼へと変わっていく。己の気を極限まで練り上げ、炎の精霊の力と合わせる。
神炎。
真に選び抜かれ、傑出した才能を持つものだけが習得できるとされる黄金の炎を超える絶対無敵の力。
蒼炎の厳馬。神凪千年の歴史の中でも十一名。そしておよそ二百年ぶりに出現した神炎使いの二人のうちの片割れ。
(初っ端から神炎かよ!?)
さすがの和麻もこれは驚きだった。本気で相手をしてくれるのは嬉しかったが、さすがにこれは無い。
風術と炎術ではその力の差が大きすぎる。仮に厳馬と和麻の力量が同じでもその性質上、和麻が風で厳馬の炎に勝つには、厳馬の操る精霊の数倍の数の精霊を操らなければならない。
しかし厳馬は最高位の炎術師の一人であり蒼炎を操る存在なのだ。その彼の数倍の精霊を操るなど、はっきり言って無理である。
いや、不可能ではないのだが限りなく不可能に近くそれをすれば五分で倒れる。この男相手に、そんな無謀な戦いは出来ない。
(いや、この戦い自体が無謀ってもんだけどな。しかし聖痕“スティグマ”の開放をこの男が待っててくれるとは思えないし、これは隠しておきたいからな)
切り札中の切り札。現時点において世界中で和麻のみに許された絶対的な力。
しかし開放には時間もかかるため、実戦において簡単には使えない。
それに使うにしてもリスクが大きすぎる。
(けどそうも言ってられないよな・・・・・・・)
風術師が炎術師に勝つには、奇襲、あるいは相手が全力を出す前に倒すと言ったものしかない。
だがすでに厳馬は本気を出し、全力とも言うべき神炎まで展開している。
「初めて見るぜ。それがあんたの蒼炎か」
「そうだ。お前も見せてみろ。お前がこの四年で手に入れた力を。さもなくば・・・・・・・死ぬぞ」
ゾクリ!
和麻の身体が震える。殺気を放たれただけだと言うのに、身体を引き裂かれるかのような不快感が体を襲った。
(飲まれるな! 飲まれたら死ぬだけだ!)
激を飛ばし、身体に力を込める。四の五の言っていられない。
膨大な数の風の精霊を召喚し、周囲に集める。さらには厳馬と同じように自らの気を練り上げ、風の精霊の力を合わせる。
厳馬と同じように、周囲の風が無色から透き通るような蒼へと変化していく。
厳馬はその光景に驚きを隠せないでいた。和麻はまるで神炎のように風を蒼く染めたのだ。
もし神炎と同じものであるのなら、和麻は間違いなく自分と同じ領域に足を踏み込んでいる。知らず知らずのうちに厳馬にも笑みがこぼれる。
「勝負だ、神凪厳馬!」
和麻が声を発すると同時に蒼い風が刃となり、厳馬へと襲いかかる。しかし厳馬は風の刃を全身に纏った神炎で受け止める。
「ちっ!」
続けざまに刃を放つが、厳馬の身体を切り裂くことは無い。それどころか、全身に纏った神炎の表面に接触した瞬間、たちどころに焼き尽くされる。
(わかっちゃいたが、正面からだと辛いな。それに神炎を全身に纏わせるとか、最悪の戦闘スタイルだ)
炎術師は炎に対して耐性があり、また精霊王の加護を受けた神凪一族の血を引く者は、より高い耐火能力を有する。さらに高位の炎術師は指定したもの以外を燃やさない事も可能。
綾乃ならばこのように全身に炎を纏った瞬間、衣服は焼き尽くされるだろう。無論、退魔の際に着る可能な限りの呪的防御を施した制服ならある程度は耐えられるのだが、それでも限度がある。
しかし厳馬の着ている服は普通の服である。だが神炎に晒されても、燃えるどころかこげる様子すらない。
だからこそ、自らの服や荷物の心配をすることなく、最高の攻撃と防御を兼ね備えた鎧を身に纏う事が出来る。
これは人間の脆弱な防御力をカバーするには打って付けだ。生半可な攻撃では突破できず、常に展開さていれば接近戦を挑む事さえも困難。
また遠距離からの攻撃では途中で威力が落ちるか、または迎撃される可能性も高い。
どんな術者でも肉体は人間のものであり、人間をやめていなればほんの僅かな隙を突いて身体にダメージを与えることも出来るのだが、全身に圧倒的な神炎を纏われてしまえば手の出しようが無い。
おそらく相対したほとんどの人間はこう言うであろう。
無理だ。あれを突破する事など出来ない。勝てるはずが無い、と。
「終わりか、和麻。ならばこちらから行くぞ」
「っ!」
厳馬が動いた。神炎を纏い、そのまま和麻へと一直線に向かってくる。速度も気で身体能力を強化しているのか俊敏だ。
だが速さでは和麻は負けていない。機動力は風術師の十八番だ。さらに和麻は仙術もかじっている。
仙術は基本的には気の扱いをメインとしている。和麻は昔から気の扱いに長けていた。さらに彼に仙術を教えた師や兄弟子からは類稀なる才能を持つと言われるほどだった。
そのノウハウを活かし、彼は並々なら無い高速移動術を手に入れた。風術と仙術の融合。その速さは厳馬と言えども追いつけるものではない。
「むっ・・・・・・・」
突進し、拳を振り下ろした先に和麻の姿が無い事に驚く厳馬。当の和麻は厳馬の背後に回っていた。
「これなら、どうだ!?」
和麻は両手の手のひらを開き、そこに風を集める。膨大な風の精霊が左右の手のひらに集結し、高速回転を始める。生み出されるのは直径三十センチほどのチャクラム。
ただし外円から中心まで風の精霊で満たされ、中心部に空洞は無く、薄さも一センチ程度しかない。
だがそこに収束されている精霊の数は尋常では無い。それこそ台風に匹敵する力が込められている。もしこれを普通に開放すれば半径二百メートルを更地に出来るほどの力。
それを凝縮し、圧縮し、回転を持たせることでさらにその威力を挙げる。
精霊魔術とは意思の力である。その意思をさらに強固にするにはどうすれば言いか。
イメージを浮かべることだ。
スポーツ選手でもそうだ。自らのフォームをイメージし、理想の状態へと近づける。
コンセントレーションやプリショットルーティーンと同じである。
和麻は何の予備動作もなく攻撃を放てる。しかしそれ以上の威力を出そうと思えば、予備動作をする。
その方がイメージを精霊に伝えやすく、己の意思をより強固にするから。
原初の法則に自らの意思を割り込ませ、便宜的に新たな法則を作り出し事象を操るのが魔術である。
和麻は考えた。どうすれば圧倒的な力を持つ炎に対抗できるのか。
風と炎の差は大きい。それを力ずくで覆すのは難しい。力が無理ならば技だ。技術で補うしかない。
和麻には収束と圧縮の才能が誰よりもあった。これは攻撃力の弱い風の弱点を補うには最適だった。
総量や総エネルギー量では劣っても、一点に集めれば相手を上回れる。
そして風は切断と言う点では優れている。かまいたち現象でもそうだ。風とは時に鋭い刃で人を襲う。
斬ると言う明確な意思を、チャクラムと言う投擲武器としては珍しく斬る事に特化した形状で放つことで、通常の風の刃以上の効果を発揮する。
厳馬が炎を全身に纏っているのは好都合だ。総量では明らかにこちらが不利と言うか、劣っているが、全身に纏っている分、そのエネルギーも分散している。
高速回転するチャクラムならば、厳馬の防御の一部を突破する事も不可能ではない。
和麻は大きく腕を横に振りかざし、全力でチャクラムを投擲する。この動作も威力を高めるための、厳馬の炎に向ける意思を上回るための意思を強固にする行為である。
左右より厳馬に迫るチャクラム。
(切り裂け!)
だが・・・・・・。
「ふん!」
厳馬は迫り来るチャクラムをあろうことか拳で叩き潰した。
(おい、マジかよ・・・・・・)
あまりの出来事に和麻も思わずぼやく。あれは対厳馬用に用意していた攻撃手段の一つだ。
風の刃以上の攻撃力に加え、台風に匹敵する力を込めた攻撃だった。それをあろうことか拳で消滅させるとは・・・・・・・・。
それでも一度防がれたくらいで諦めるつもりは無い。いくら厳馬の神炎といえども、神炎と同等の神風を極限まで研ぎ澄ませたチャクラム状にして放つのだ。
ただ炎を纏っているだけで防げるはずは無い。もしこの風が厳馬にとって驚異でも何でも無いのなら、ワザワザ拳で迎撃するはずが無いのだ。
この風が厳馬の炎を裂けぬのなら、厳馬は悠然と立ち、ただ受け止めるだけで終わるはずだ。
(つまりまったく効かないってわけじゃない!)
そう判断し、再び和麻は風を集める。同時に風の刃を放ち牽制を行うと共に、彼の周囲にも高速回転をする風のチャクラムを多数出現させる。
こちらは手で生成するよりも威力は劣るが、厳馬の集中力を分散させる程度は可能だ。
四方より襲い掛かる風の刃の群れ。しかし厳馬は冷静にそれらを見極め、精神を研ぎ澄ます。
和麻の風は速くどこまでも純化しているため、感知能力の低い炎術師では察知するのは難しい。目で追う事も、感知する事も困難。
厳馬は動かない。下手に動けば危険と判断したからだ。そして迫り来る刃を纏う炎をほんの少し大きくする事ですべて飲み込む。
炎に接触すれば、厳馬にも察知は可能。ほんの僅かな刹那のタイミングだが、厳馬はその僅かの時間に炎の分配を変化させる。常に均等に配分している炎をより強い風が迫る場所へ増やす。
仮にその場所へほとんど同時に風の刃が到達しても、厳馬の炎を切り裂く事は出来ない。厳馬は完全に和麻の風を消し去る分の炎をすばやく移動させているのだ。
「うらぁっ!」
だが和麻もそんな厳馬の技術に驚愕しつつも、攻撃をやめない。炎の攻防移動をやってのけるなんて思っても見なかったが、逆にそれは弱くなる箇所が生まれると言う事。
そこを強襲すれば和麻の風は厳馬の身体を切り裂ける。
和麻はチャクラムを投擲する。直線的ではなく円を描くように厳馬の周囲を回り、隙を見つけようとする。
「・・・・・・私を舐めるな」
厳馬の炎がより高まる。厳馬の感情が高ぶったのだろうか。炎は輝きを増し、周囲を明るく染めていく。ここだけまるで昼であるかのような明るさだ。
拳を握り締め、厳馬は深く腰を落とす。そして拳を和麻に向かい振りぬく。
(この距離で攻撃だと!?)
和麻と厳馬の距離は数メートル以上離れている。だが厳馬の拳が振りぬかれると、そこから炎の塊が和麻に向かい恐ろしい速さで突き進んでくる。
炎は周囲を回っていた牽制用の多数のチャクラムと本命のチャクラムを飲み込む。
飲み込んでなお、威力は半分以下にもなっていない。
「くっ!」
何とか上空に飛翔し和麻は回避する。そこで和麻は見た。厳馬が逆の手をこちらに向けて振りぬこうとするのを。
(やべっ・・・・・・)
「ふん!」
第二波。迫り来る炎の塊。受け止めるなどと言う選択肢は無い。こんな炎を真正面から受け止めようものなら、一秒と待たずに風の結界は消滅し、和麻は骨さえ残らず灰に変わる。いや、灰すら残らず消滅するだろう。
だから全力で避ける。逃げる。風と仙術を駆使して、命の限り。
「逃がしはせん」
だが守勢に回った和麻を厳馬は容赦しない。侵略する事火の如しと言う言葉のように、厳馬はもう一度拳を和麻に向けて振りぬく。
今度は大きな塊ではなく、無数の小さな炎が弾幕のように打ち出される。
和麻は理解している。小さくてもその一つ一つは和麻の結界を燃やしつくし、和麻を消滅させるのに十分な力を持っていることを。かすめただけでも致命傷だ。
逃げ続ける以外に今の和麻に選択肢は無い。
(不味い。完全に守勢に回った・・・・・・・)
厳馬の攻撃を避け続けながら、和麻は己のミスを後悔した。炎術師相手に守勢に回ればこうなる事は目に見えていた。一度劣勢に陥れば、簡単には覆せない。
いや、そもそもの前提条件が間違っていた。
(これが、神凪厳馬!)
現役神凪一族最強の男。彼が強いのは炎の威力が高いだけでは無い。
揺るがぬ信念と自信。単純な出力としての炎の威力だけに頼らない、炎を操る技術。そして長きに渡り前線で戦い続けてきた事で得た経験。
和麻の倍以上の年月を生きてきた男の強さは、時間をかけて形成されたものだった。それは簡単に覆るものではない。
「後悔しろ、和麻。この私に戦いを挑んだ事を!」
圧倒的強者が牙を向く。
だが厳馬は知らない。二人が戦う遥か上空で、蒼い輝きを放つ風の精霊が一箇所に集結し続けていたことを・・・・・・・・。
あとがき
何だ、この更新速度は。と自分でもびっくり。いや、思ったより早く書けました。
厳馬さん無双。まともにやれば厳馬はチートです。
でもチート具合では和麻も負けていない。
勝敗の行方と和麻の反撃をお楽しみに。