兵衛は和麻に胸を貫かれた。音速を超える風の一撃。心臓付近を確実に抉り取られ、胸には大きな穴が開いた。
「が、はっ・・・・・・」
衝撃で地面から浮き上がりながら、兵衛は口から血を吐き出す。意識はあった。即死ではない。これは和麻があえて外したのだ。
付け加えるのならばあまりにも速過ぎる攻撃であったのも影響している。
しかし致命傷には間違いない。兵衛の命は残り僅か。即死させなかったのは和麻のいやがらせに過ぎない。
和麻はいたぶりながら殺すと言う事はしない変わりに、殺すのでも何も気づかずに即死させるのではなく、死ぬのだがその死を理解しながら死なせると言うやり方を選択した。
兵衛に手は残されていない。この状況で妖気を身に宿そうとも、彼は助からない。
浄化の風でもある蒼い風での攻撃だった。ポッカリと開いた兵衛の胸の穴の周囲には浄化の力が纏わりつき、妖気を即座に消滅させるだろう。
仮にそれを上回る妖気をその身に宿しても、虚空閃を持った今の和麻に対抗する事は出来ない。
あの流也でさえ、今の和麻とウィル子の前には敗北するであろう。それだけの力を今の和麻は有している。
兵衛は自分の胸に穴が開いているのを確認すると驚愕に顔を歪めた。痛みは無い。何が合ったのかも理解できていない。
ただ己の死と言うものが間近に迫っていると言うことだけは理解できた。
自分は死ぬ。
走馬灯が流れてくる。思えば碌でもない一生であった。風牙衆に生まれ、幼い頃より神凪の下で働いていた。
父や母、祖父母に技を鍛えられ、必死に努力を繰り返した。決して報われる事の無い努力でしかなかった。
どれだけ諜報技能を磨いても、どれだけ機動力を上げ、早く正確に情報収集を行おうとも、戦う力が無いと言うだけで、神凪一族には評価されることは無かった。
父も母も、祖父母も神凪一族のために尽くしてきた。しかし彼らが報われる事は決して無かった。
神凪頼通の時代には風牙衆はかなり汚い仕事をさせられた。主に彼のライバルの失脚を目的に。協力すれば多少の地位向上を約束しようと。
だからこそ風牙衆は彼に協力した。
しかし結局は報われなかった。所詮は口約束。ある程度の金を握らされたまま、待遇がよくなることは決してなかった。
彼の息子・重悟の代で兵衛は絶望した。
重悟と兵衛はほとんど似たような世代だった。
当時神凪千年の歴史の中でも九人しかいなかった神炎使いが、およそ二百年ぶりに現われた。それも穏健派として目されていた重悟であった。
兵衛は彼に期待した。彼ならば実力や性格などから風牙衆の立場をきっと良くしてくれる。
彼にはそれだけの力と発言力があった。兵衛は重悟が宗主になれるよう、必死に手を回した。
と言っても、ライバルであった厳馬を己の力だけで打ち破り宗主の地位に着いた。頼通とは違う。風牙衆の手を借りず、己の力だけで宗主の地位を勝ち取った。
重悟が宗主に付いた当初、兵衛は期待と希望に満ちていた。ここから風牙衆の未来は変わる。これから生まれてくる自分の子や一族のものが自分と同じような思いをせずに済む。そう考えた。
だが実際は何も変わらなかった。
重悟は確かに風牙衆の扱いや待遇をよくしようと尽力した。尽力したが、何も変わらなかったのだ。
頼通や長老が重悟に圧力をかけたことも理由のひとつだ。如何に宗主と言えども限界はある。さらに頼通は重悟の父親であり、策謀に長けた男である。いかな重悟と言えども親子と言う関係上、表立って、それも力を持っての対立をするわけにはいかなかった。
下手に対立をすれば、神凪が内部崩壊を起こす。
さらには厳馬の存在も大きかっただろう。彼は力こそ全てと妄信する男だった。力が無ければ何も出来ない。何も守ることが出来ないと常々思っていた。力の無い風牙衆に対しても、いい感情を抱いてはいなかった。
彼が力の無い一介の術者ならばそれでも良かった。しかし彼は重悟と同じ神炎使いでもあった。彼の発言は色々な意味で波紋を与えてしまった。
希望と期待が裏切られ、絶望へと変わり、それが怒りと憎しみに変化するのはそう時間がかからなかった。
もし兵衛が重悟に期待と希望を見出さなければ、反乱を企てようとはしなかっただろう。
人は裏切られた場合、簡単に天秤が大きく傾く。恨みつらみを募らせても、なんら不思議ではない。
息子と娘を犠牲にしてでも、兵衛は今の現状を打破しようと考えた。神凪一族を滅ぼし、自由を手に入れる。
正当な評価を貰えず、隷属され、希望も奪われた者の気持ちを思えば、兵衛が反乱を起こそうとしたのも無理は無い。
だがそれは阻まれた。それもたった一人の男に。いや、男とその従者に。
兵衛は自分の胸を貫いた男の顔を見る。笑っている。自分が死ぬ姿を見て、笑っている。
これほど憎らしいことがあるか。これほど腹立たしい事があるか。
全て目の前の男達の手の上で踊らされていた。自分達の思いも、信念も、悲願も、この男達は踏みにじった。
この男は自分達と同じく虐げられていたのではないか。神凪に恨みがあったのではないか。
なのに何故神凪に味方をする。何故自分達ではなく、憎き神凪に手を貸す!?
隷属され、屈辱を受けたのにも関わらず、似た境遇にありながらも、自分達の邪魔をする。
利用しようとしたことを恨んでいても、ならば何故神凪は恨まない。神凪に復讐しようとは思わない。理不尽だ。不条理だ。
我らの邪魔をするのならば、等しく神凪の邪魔をしなければおかしくは無いか。
確かに神凪の不正を暴き、頼通や長老を刑務所送りにしたり、久我透などを再起不能にしたりとかなりの事をしているのだが、それでも納得いかない。
いや、考えればわかることだ。所詮はこの男も神凪の人間だったのだ。神凪を追放されたとは言え、炎を使えないとは言え、神凪宗家の嫡子にしてあの厳馬の息子!
だからこそ、自分達とは相成れない。
しかし今の自分に何が出来る。もう死ぬまであと十秒も無いかもしれない。あの男に一糸報いることも出来そうにない。
悔しい、悔しい! 悔しい!! 悔しい!!!
憎い、憎い、憎い! 憎い!! 憎い!!!
このまま何も出来ないで終わるのか。この男にこんな表情を浮かべさせたまま死ぬのか。
終われない。断じてこのままでは終われない。
兵衛は不意に風牙衆の神が封印されている祠を見る。先ほどまでは強大な妖気で満ちていた祠は、和麻の風で完全に沈静化している。
三昧真火の封印の上から、さらに和麻が風で封印をかけたようだ。風は炎を煽る。和麻の風は三昧真火をより強力にしたようだ。
地面に倒れ落ち、兵衛は急速に自分の死と言うものを感じ取る。
死ぬのは怖くない。命など当の昔に捨てたつもりだ。後悔は無い。神凪の反乱の結果として殺される覚悟は持っていた。
しかし死に切れない。死に切れるはずも無い。
神凪に戦いの末に殺されるのではなく、風牙衆の悲願を達成した後に殺されるのではなく、一人の男の手のひらの上で弄ばれた上に、何一つ出来ないまま、絶望の中で死んでいくなど、決して我慢できなかった。
手を伸ばす。決して届かない自らが欲した存在へと。
兵衛は願う。力が欲しいと。
この命が尽きるのは理解している。残された僅かな命を持ってしても、この男に傷一つつけるどころか、触れる事も僅かに表情を崩す事も出来ないだろう。
力があれば。力さえあれば。
(神よ、風牙の神よ。あなたに願う。ワシの命を、肉体を、精神を、魂を、今を、過去を、未来を・・・・・・・・。この風巻兵衛の全てをあなたに捧げる。だから、力を。この男にせめて一太刀だけでも与えられる力を・・・・・・・)
兵衛はこのままでは終われなかった。終われるはずなどない。
(このままでは死んでも、死に切れんっ!)
目を見開く。今の兵衛は風は操れない。神器を持った和麻が傍にいるのだ。並みの風術師、否、仮に世界最高峰の風術師と謳われる凰一族の人間がこの場にいようと、決して風を操る事など出来なかっただろう。
だが彼の全てをかなぐり捨てるほどの覚悟は、今、この瞬間だけ、死と言うすべての生物が絶対的に本能的に拒否する場面において、和麻の意思さえ上回った。
不幸な事に上回ろうとも、契約者にして神器持ちの和麻から精霊の支配権を奪えず、また風の精霊と共感するチャンネルも少ない彼ではどうする事も出来なかったが、唯一、彼だけに用意されていたチャンネルがこの時、花開いた。
それは三百年前より脈々と受け継がれてきた、風巻の直系にのみ与えられてきたチャンネル。風牙衆が神と崇めた存在とのチャンネル。
三百年と言う長き時と、神自身が封印された事により、今では完全に閉じられていた物。しかし閉じられていただけで、決して消滅したわけではなかったのだ。
兵衛とて風巻の血を引く、直系であった。流也や美琴と同じく、その素養は高かった。
彼が妖気を宿すのが二人よりも適正が低かったのかと言えば、年齢によるものもあった。衰えた肉体では、改造を施すのは最適ではなかった。もし彼が流也や美琴と同じ年齢であったならば、二人よりも適正は高かったはずなのだ。
三昧真火の中で何かが揺れ動く。
和麻の風で強化された封印。巨大な網に出来た穴を縫い直すように展開した風。これから逃れる術は無い。普通なら。
しかし兵衛は自らの中にある抜け道を解き放った。普通なら出来ない裏技である。抜け道があるのなら、最初からこれで神が抜け出せると思うかもしれない。
だが封印されたほうから抜け道を開く事はできない。風巻の直系にしても、強固に封じられ、三昧真火の中にある神へと道をつなぐと言うことは即座に炎に焼かれ、道ごと消滅を意味する。
さらに道が出来ても、その道を神が即座に通れる保証は無かった。強大な力を持つ存在が通り抜けるには、道が小さすぎては意味が無い。それこそ、美琴や流也でも神を一瞬で自らの肉体に転移させる事は出来なかっただろう。
兵衛はやってのけた。自らの死と和麻達への怒りと憎しみと言う強固な意志をトリガーに、一秒にも満たない僅かな時間であったが、道をつなぎだし、さらには神をも一瞬で通らせる道を、己の全てを持って作り上げた。
道が出来た時、兵衛は道を通って漏れ出した三昧真火に焼かれ炎に包まれた。だが同時に、神さえも兵衛は自らの肉体へと宿す事に成功した。
炎が吹き上がり、兵衛の身体が炭化する。だがそれもすぐに変化する。
身体が膨張していく。元々身長がそれほど高くなかった兵衛だが、彼はその姿を劇的に変化させていく。服は消え去り、腰の辺りに妖気でできた黒い布のようなものが巻かれる。
皮膚も肌色から深く濃い、黒に近い緑へと変色した。肉体が硬化し、筋肉質になっていく。身長もおよそ三メートル近くなる。歯も鋭くなり、まるで猛獣のような牙を見せ、口からは瘴気をあふれ出させている。目は赤く変化し、瞳は消失したかのようにも見える。
髪は逆立ち、怒りを表現するかのように天に向かい伸びている。
背中からは妖気で黒く染まった、片翼だけでも五メートルはあろうかと言う羽を生み出した。
ここに神は蘇った。
神と一つになった兵衛の意識はほとんど消えうせた。
しかし神の中で、彼の感情は脈々と残り、さらに燃え上がった。
自分達を封じ、隷属した神凪への怒りと憎しみ。
そして復活を邪魔し、風牙衆を弄び、すべてを奪った和麻への憎悪。
だからこそ、彼――ゲホウ―――は睨む。
神凪ではなく、八神和麻を。彼を八つ裂きにするために、ゲホウは咆哮を上げた。
「・・・・・・・・・おいおい、冗談だろ?」
兵衛を殺したと思ったのだが、何故か神が復活してしまった。
この間、僅か五秒にも満たない時間であった。変身ヒーローは変身に長い時間をかけているように思われがちだが、その実は僅か一瞬で終わっていると言うのは常識であるし、変身中は攻撃し無いと言う暗黙の了解がある。
しかし和麻が外道であり、そんなもの知ったこっちゃない。隙見せるほうが悪いんだよと、喜々として攻撃するような男である。
だが風で攻撃しようと思ったが、あまりの出来事に思考が停止していた。
和麻もまさか、風で封印しなおした神が封印を破ってではなく、いきなり兵衛の中に現われるなんて思いもしなかった。
さらに向こうは和麻の方を物凄い形相で睨んでいる。
「にははは、かなり恨まれてますね」
タラリと汗を流しながら、ウィル子は言う。出来るのなら、このままパソコンに入ってそのまま衛星を経由して国外に逃亡したい。和麻も同じでこのまま逃げ出したい。
「・・・・・・・・・・逃げるか」
「はいなのです」
主の言葉に素直に同意し、そのまま彼らは風を纏って姿を消して逃走しようとする。
だがそうは問屋が卸さない。
『ガァァァァァ!!!』
ゲホウは巨体とは思えない速さで姿を消した和麻に向かい襲い掛かった。風を操る者同士であり、索敵範囲も広い。逃げ切る事など、できるはずも無い。
「ちっ!」
姿を現し、虚空閃で相手の拳を受け止める。まともに受けても虚空閃は壊れないが、衝撃はハンパではない。和麻は虚空閃を巧みに操り、衝撃を逃がして同時にゲホウの身体へと虚空閃を幾度も突き立てる。
『グガァッ!?』
さらにゲホウの身体を蹴って、自分は後ろへと下がる。おまけに虚空閃の振り下ろし、衝撃波を相手に浴びせてやる。
「ウィル子!」
「問題ないのですよ!」
和麻の声に反応すると、すでにウィル子は周囲にいくつもの武器を展開していた。無数の小型ミサイルと蒼く光輝く正八面体の物体。某ラミエルそっくりの和麻の拳大の小型結晶体が複数。
ウィル子は和麻がゲホウから離れたのを確認すると、ミサイルと光の粒子を束ねた光線の雨を解き放つ。和麻によって防御に徹していたゲホウに容赦なく降り注ぐ攻撃。
爆発とそれを貫く光。容赦も無いし、手加減もしない。生半可な攻撃ではダメージを与えるどころか、風の防御を突破する事が出来ない事を理解しているから。
「うらぁっ!」
ウィル子の攻撃が終わると続けざまに和麻は両手で槍を構え、神速の突きを繰り出す。槍の真髄は突きである。
和麻の腕と虚空閃の性能、風の精霊の力を組み合わせた攻撃は、まさに一撃必殺。一発だけでも並大抵の相手を貫き、巨大な大穴を開けることが可能な攻撃の乱れ打ち。爆風の向こうにある巨体に確実に突き刺さる。
だが和麻は気がついている。理解している。これだけの攻撃を繰り返していても、相手には致命傷を与えていないと言う事を。
「はあっ!」
最後に美琴の身体を浄化したときのように、虚空閃の先端に風を集めてゲホウに槍を突き立てる。オリハルコン製の武器を風で強化して突き当てたと言うのに、その肉体はあまりにも硬い。
「だぁっ! なんつう硬さだよ!」
ぼやきながら、和麻は一度後ろに跳び退る。
様子を伺う。爆風が晴れた向こうには、傷つき身体のあちこちから血を流すゲホウの姿がある。身体の一部は抉られ、さらには斬撃で斜めに大きな切り傷が出来、他にも幾つか傷がついている。血は予想に反して赤いままだった。
それなりのダメージを与えてはいるようではあるが、傷は見る見るうちに回復していく。大きな傷の治りは遅いが、それでも確実に回復している。和麻を睨みながら、ゲホウは忌々しそうな表情を浮かべている。
「いや、そりゃないだろ。今のこの状態で再生可能とか。元神でも今は堕ちて妖魔だろ? 虚空閃と浄化の風の攻撃でなんであっさり再生できるんだよ」
愚痴しかでてこない。腐っても神は神と言うことか。神器持ちの契約者と神の雛形の攻撃に対して、致命傷を与えられない。
「マスター。いっそのこと核ミサイルでもぶち込みますか?」
ウィル子が何気に過激な発言をするが、和麻はそれもいいなと同意する。
「最悪の場合、核ミサイルなり、核爆弾なり打ち込むか。さすがに何発かぶち込めばそれなりのダメージを与えられるだろうからな」
ただしここ数十キロが大変な事になるが、彼らは自分の命が大切な外道である。
『グルゥゥゥ・・・・・』
獣のように唸り声を上げる。もしこれが神器を持った和麻とウィル子でなければ、ダメージを与える事さえ困難であっただろう。
堕ちたとは言え、神とはそれほどまでに強力な存在なのだ。人間とは違う次元の存在。
和麻も人を超えた次元の違う存在ではあるが、それでもこの両者は現時点では同じ領域の存在でしかないのだ。
しかも神は怒り狂い、その力を底上げしている。
神と言う存在の本性は暴威である。暴れ回る脅威であり、人間にいいようにしてやられていたのを黙って見過ごせるはずも無い。
だからこそ、今のゲホウは本来よりもより強力な力を発揮している。
それに対抗できている和麻も明らかにおかしい存在ではあるのだが。
「でもまあ・・・・・・・。これで終わりだな」
和麻はそう呟くとゲホウを風で束縛する。虚空閃で増幅した風の束縛はゲホウを完全に捕らえた。さらに回復を優先していたため、ゲホウは動く事ができない。少なくとも五秒は押さえ込める。いや、今の和麻には三秒あれば十分だ。
「消えろ」
短く言い放つ。直後、頭上よりゲホウに何かが降り注いだ。光学迷彩を用いて、その光景を見られないようにしていたが、それは厳馬戦でも使用した和麻の切り札である黄金色の風である。
和麻は万が一の場合を考えて用意していた。虚空閃を使用する事で、生成時間や集中力の分散を抑える事ができたので、いつもよりも余裕で準備し、維持しておけた。
最悪の事態を常に想定しておく。使わなければ使わないでいい。準備過剰なら笑い話で済むが、準備できるのに準備せずに準備不足で痛い目を見たりするのは馬鹿らしい。
無駄にならず、無駄にせずに和麻は黄金色の風をゲホウへと叩き込む。虚空閃を持った状態での一撃だ。聖痕発動よりは劣るだろうが、それでも聖痕使用に準じる威力はある。
天空より降り注ぐ、圧倒的な破壊の風。もはや風とは呼ぶ事さえ憚られる神の一撃にも等しい攻撃だ。ゲホウは先ほど与えた傷も癒えきっていない状態での攻撃だ。効果が無いはずは無い。
「いやー、マスターも容赦ないですね」
「当然だろ。つうか虚空閃と黄金色の風を用意してきて正解だったな。無手の状態で、黄金色の風も用意してなかったら危なかったぞ」
はははと和麻は笑う。実際、ゲホウは流也を遥かに超える化け物であった。無手の状態で殴りあうなんて考えたくも無い。さらには虚空閃もウィル子が改造してオリハルコン製にしていなければどこまで通用したか。
炎雷覇も虚空閃も精霊の力を増幅する増幅器としてならば、他の追随を許さない最高にして最強の呪法具であるのだが、強度と言う観点だけを見れば上級と言う程度なのだ。
ミスリルと同じかそれよりも前後する程度の強度なのだ。それでも十分強固であり、精霊の力を纏わせればよほどの事が無い限り刃こぼれしたり、傷ついたり、ましてや折れたりもしない。ただしオリハルコンと比べれば見劣りする事は言うまでも無い。
オリハルコン、風の精霊の力、神器、契約者、和麻自身の腕と、ここまでの条件がそろってこそ、あっさりとゲホウの身体を貫いたのだ。このどれかだけでも欠けていれば、ゲホウの身体に簡単に傷を付けることはできなかっただろう。
黄金色の風がゲホウを蹂躙する。
だが・・・・・・・・・。
『グゴアァァッッッッ!!!!!!』
「へっ?」
「おい・・・・・・・・・・」
咆哮が木霊した。
黒い風が黄金色の風と拮抗し、あまつさえ取り込んでいくでは無いか。見る見るうちに風は輝きを失っていく。どれだけの力を注ぎ込んでいるのだろうか。どれだけの力を発揮しているのだろうか。
ゲホウはその全てを持って黄金色の風を相殺していた。一つになった兵衛が願った、和麻に対する怒りと憎しみ。
取り込まれながらも最後の最後まで失う事がなかった執念が、主となったゲホウを突き動かすほどに作用した。結果、自らの存在も、力も、何を失っても和麻だけは八つ裂きにすると言う意思が精霊を伝い、その狂気が精霊達を狂わせて行った。
『ガァッ!』
黒い風が和麻の風を吹き飛ばす。自らの命を燃やし、傷を再生させる。黒い風の翼がはためき、どす黒い風が周囲へと撒き散らされる。
「そりゃ無いだろうが!」
和麻は虚空閃を振るい、蒼い風を生み出し周囲の黒い風と拮抗していく。浄化の風と妖気に支配された風に差は無い。正か負かの差だけである。残るはどちらの技量が上か、または意思が上かと言うことだ。
だが虚空閃を持った今の和麻と言えども、ゲホウの意思を上回る事は困難を極めた。
ゲホウは和麻を八つ裂きにする事だけに執念を燃やしていた。取り込んだ兵衛の意識もそれを後押しし、和麻に匹敵する二人分の意思を持って風の精霊を支配下に置き、妖気で狂わせ力を増させていた。
切り札とは先に切った方が不利である。それで勝てるのならば問題ないが、破られた場合、一気にピンチに陥ってしまう。
和麻もまだ聖痕と言う切り札を残して入るが、はっきり言ってこれしか残っていない。ウィル子が01分解能で作り出せる武器も確かに強力だが、黄金色の風を上回る威力を発揮する武器は核兵器くらいしかない。
作り出すにも、使用するにもリスクが高く、ここまでの相手に果たしてどれだけ通用するのかも疑問が残る。
しかもウィル子は先ほどまで神凪を先行させるためにミサイルを生み出し続け、色々な裏工作を進めていたのだ。もうエネルギーがあまり残っていない。
風の精霊や和麻からエネルギーを貰い受ければいいが、ゲホウと拮抗している今の和麻や風の精霊から下手に力を貰い受ければ、この拮抗状態すら崩しかねない。
「ウィル子! できる限りでいい。援護しろ!」
和麻はそのまま虚空閃を構えて接近戦を挑む。槍では接近しすぎると不利だが、和麻ならば間合いを読む程度は苦もなくできる。
遠距離攻撃ではあまりダメージを与えられない。ならば直接、虚空閃を突き立てて内部に風を送り込み切り裂くまで。
だがゲホウも和麻の思惑など理解している。強大な風を操り、さらには風を集めて漆黒の巨大な斧を作り出す。
「ちっ、どこのバーサーカーだよ!」
「十二回殺さないと死なないとか、マジで勘弁なのですよ!」
和麻とウィル子の言葉が聞こえているのか、聞こえていないのかはわからないが、ゲホウは咆哮を上げ、斧を和麻に向かい振り下ろす。風で出来ているだけに早い上に、ゲホウ自体が物理法則を無視しているかのように俊敏な動きを繰り返し、渾身の一撃を放つタイミングが見つけられない。
ウィル子も和麻が接近戦を挑んでいるので、効果範囲の大きなミサイルは使えない。光線で対応するしかない。電子精霊の能力を駆使して、彼女は瞬時にゲホウの動きを解析、シュミレートし、和麻の邪魔にならず、ゲホウの動きを止めるのに有効なタイミングで攻撃を繰り返す。
だがまるでウィル子の攻撃など蚊に刺された程度と言わんばかりに、ゲホウは彼女と彼女の攻撃を無視して和麻ばかりを付けねらう。
「ちょっ! ウィル子を無視するなですよ!」
ウィル子は何とかゲホウの気を引こうと、顔を中心に、それこそ目まで狙うが身体に接触する寸前に風で全部防がれる。
幸い、和麻に対応するのと、ウィル子の攻撃を防御するのに手一杯なようで、彼女の方に攻撃を向ける事は無い。
ゲホウの力は確かに恐ろしいが、多少ならばウィル子も十分に防ぎきる事ができる。
攻撃を続ける和麻とウィル子。
(ったく。この状況下で黄金色の風をもう一回準備するのは厄介だぞ)
虚空閃を持っている今、時間も短縮できると言っても、ここまで集中して戦っていれば難しい。三分、いや、最低でも一分半は欲しい。
それにもう一回ぶちかましたとしても、果たして今のこいつにどれだけのダメージを与えられる事か。もし効果が無ければ、あるいは防がれればこちらには打つ手がなくなる。
聖痕の発動も時間稼ぎをしている間に殺される。ウィル子単独で防ぎきれるはずが無い。
厳馬との戦いの際に出来た短時間での聖痕の開放は、ほとんど火事場の馬鹿力に近い。もう一度同じことをしろと言われても絶対に無理だと言える。
(ああ、くそ! そもそもなんで俺がこんなガチンコでやりあわないといけないんだよ!)
厳馬戦は望んだとは言え、あまりにも自分らしくない戦い方をした。今回はその反省を含め、高みの見物とおいしいところを掻っ攫うと言う実に楽しい展開にするつもりだった。
先ほどまで明らかに超絶な力を持つ、大魔王的な黒幕ポジションであったのに、今はパワーアップした主人公に苦戦を強いられるそこらの悪役になっていた。
この落差は明らかに酷い。
まあそもそも和麻が兵衛に対して嫌がらせで真相を暴露しなければ、あるいは即死する攻撃をしておけばこんな苦労をしなくて済んだはずである。
人を呪わば穴二つ。ブーメラントとも言うべきか。
(宗主はもう戦える身体じゃないし、綾乃も、あの燎って奴も、煉も力不足。分家なんてものの役にもたたない・・・・・・・)
宗主の傷は治っても、義足を壊されている今、まともに戦えないし回復も仕切っていない。
綾乃達を含めてあの美琴に手を焼いていた状況を考えれば、足止めにすらならない。分家は論外。
それに最悪なのは、彼らがこの妖魔に食われると言う事態だ。
妖魔と言うのは人間を餌にする場合が多い。かつて神でも妖魔に堕ちれば食人衝動が生まれるらしい。さらに人間は霊長類と言う、霊力を持つ生命体だ。他の生物も霊力を持つものはいるが人間はその中でも最たるものだ。
さらに神凪宗家や分家の力は一般人や他の術者に比べれば格段に強く、餌としての栄養価も高い。
今この場にいる神凪の人間や美琴は妖魔からすれば最高級料理のフルコースにも等しい。前菜からメインディッシュ、デザートまであるようなものだ。これを全員食われれば、かつての神に近い力を取り戻せるかもしれない。
和麻としては、神凪が餌になっている間に逃げればいいかもしれないが、そうすると後々神の力を取り戻したゲホウに追われる事になる。
和麻はどこまでも逃げとおす自信はあるが、さすがにこんな化け物に追われ続けるのはゴメンである。ウィル子と協力して、世界中の退魔組織を総動員し、核兵器まで使用すれば勝てるかもしれないが、それまでにどれだけの被害が出るか。さらに神の力を取り戻した存在を、果たして核兵器だけで仕留めきれるか。
虚空閃持ちの和麻が勝てない相手に一体世界中のどれだけの人間が抗える? それも神の力を取り戻したこいつに。和麻の師でもおそらくは難しかろう。核ミサイルも到達する前に迎撃される気がする。流也でさえ二十キロぐらい先を攻撃できるであろう力を有していたのだ。その上位の能力を持つこいつなら、五十キロ先ぐらい余裕かもしれない。
(あれ、これってかなり不味いかも・・・・・・・)
和麻はゲホウと戦いながら、若干弱気な考えを浮かべてしまう。
しかし和麻とて簡単に殺されてやるつもりは無い。何が何でも生き残ってやるつもりだった。
何度目かになる攻撃を繰り出し、ゲホウの身体を傷つけると再び和麻はウィル子の元へと移動した。
「ヤバイですね、マスター」
「そうだな。ちょっと予想外だ。虚空閃持ってこの状態だからな」
「・・・・・・・・どうしますか? 打つ手ありますか?」
「切り札を使えばおそらく勝てる。今で拮抗状態、あるいはこっちが少々不利って状況だ。圧倒的な力で再生する暇も与えずに一気に攻撃すれば倒せるが・・・・・・」
「切り札を使う暇が無い、ですね」
「ああ」
聖痕を使い、黄金色の風を虚空閃で叩き込めば確実とまで行かなくとも、おそらくは勝てる。そう何度も黄金色の風に貫かれて死なないはずはない。現に虚空閃の攻撃でもダメージは与えられているのだ。聖痕発動状態ならば倒せるはずだ。
「こっちがジリ貧になる前に何とかしたいが、お前ももうあんまり余力は無いだろ?」
「はいなのですよ。ミサイル攻撃やらなにやらに結構力を使ってしまいました。今すぐに動けなくなると言う程のものでは無いですが、マスターが切り札を使うまでの足止めをといわれれば、さすがに無理です」
和麻が聖痕を開放するまで約一分。その間にゲホウを一人で足止めするのは無謀すぎる。
「せめて宗主が動けりゃな・・・・・・・・」
宗主が引き付けてくれれば楽なのだが、今の彼にそれを言うのは無理だ。
ああ、どうしたものかなと和麻が考えていると。
突然、ゲホウに向かい黄金の炎が襲い掛かった。
ゲホウはそれを確認すると、あっさりと腕で払いのける。だがそれは囮。本命はその脇から姿を見せる。
「でりゃぁぁぁっ!!!」
黄金の炎を纏わせた剣を振るう影。当然のごとく、それは防がれるのだが。
防がれたのと同時に、その人物は後ろへと飛び退く。
そんな光景を眺めながら和麻はポツリと呟く。
「・・・・・・・何やってるんだ、あいつ?」
和麻の視線の先には、炎雷覇を構えた綾乃の姿があった。
あとがき
まだだ、まだ終わらんよ!
と言うわけで兵衛=ゲホウのターン。
前回まで圧倒的な力と存在感を示していた和麻ですが、ここに来て鰤のヨン様こと愛染様みたいな事に。何故愛染様はあんなに落ちぶれてしまったのか。あれは酷いなんてもんじゃないよ!
まあ調子こいて事情をベラベラと口にする奴はどんな物語でも、最後には痛い目を見るものです。
とにかくまだ終わりません。もう一話か二話は引っ張りましょう。
あと次回の更新は多分遅くなります。仕事が年末に向かい大変忙しくなることもあり、年内に更新できるのは多くてもあと一回か二回です。下手をすれば年内の更新は出来ないかもしれないのでご了承ください。