和麻とウィル子は煉との待ち合わせ場所に向かいながら、たわいも無い雑談を続ける。待ち合わせ場所は人の多いところにした。
下手に人気の少ないところだと目立つし、変な事件に巻き込まれそうだったからだ。
「でも綾乃にあそこで会ったから、もう今日は会うことは無いでしょうね」
「そうだな。待ち合わせ場所は離れてるし、俺も風で周囲を警戒するからな」
「弟に会うって雰囲気じゃないですね・・・・・・」
「仕方がねぇだろ。俺が生きてるって出回ったんだ。ここ一年では恨みは買ってないが、お前に会う前はそれなりに恨みも買ってたんだ。まあ大半はアルマゲストだし、それ以外に恨みを買ったやつはほとんど生きてねぇし、生きてても直接俺をどうこうしようって言う奴は少ないだろうけど」
「・・・・・・・つくづくマスターは極悪非道な奴だと言う事を再認識したのですよ」
たははと乾いた笑い声を出す。今はこうしてずいぶんと落ち着いているが、出会った直後は本当に恐ろしい人間だった。よくもまあ一年でここまで変わるものだとウィル子自身も驚く限りである。
「あー、アーウィンを探して時は我ながら派手にやりすぎた。それ以外に考えてなかったつうか、考えられなかったからな。いや、本当に失敗した」
頭をかきながらぼやく和麻。あの時は先のことを一切考えなかったので、仕方が無いといえば仕方が無いが。
「無関係な奴とかも少なからず巻き込んでたからな。いや、冥福を祈りたいもんだ」
「・・・・・・・心にも無い事を言うと、余計に恨まれますよ」
「気をつける。話は戻るが、今の段階で俺を直接殺そうとか考えて動こうとする奴はヴェルンハルトくらいなもんだ。あるいはアルマゲストの残党・・・・・・・。てかいるか、そこそこ腕の立つ残党? 大概殺したか、殺すように仕向けたんだけどな」
「どうでしょう? リストに載っている大半は殺してますし、各国の追調査で死亡が確認されたのも多いですが、中には行方不明で終わってるのも多いですからね」
政府以外に敵対組織や個人で殺された魔術師は、死体が出てこない場合もある。その場合は、死亡を確認する事も出来ない。
「兵衛の一件で恨み節は怖いってわかったからな」
「あれはマスターがやりすぎただけでは?」
「まあな。アレは反省だ。これからは調子に乗らずに気づかれずに殺すように心がけよう。とにかく、まだ俺が日本にいるって思ってくる奴はいるかもしれないからな。ああ、適当に入国管理局とか空港や港のシステムで調べとけ。密入国してくる奴はどうしようもないが、アルマゲスト関係で手に入れたリストに該当する奴がいたら教えろ」
昨今の魔術師も当然飛行機や船と言った普通の手段で移動をする。一昔前の使い魔や巨大生物、あるいは箒や絨毯に乗っての移動など、今の魔術師はしない。
現在は各国に様々なレーダーが張り巡らされている。物理的なものや魔術的なものだ。日本はまだ配備が遅れているが、欧州やアメリカなどでは当然のように配備されている。
それに近い距離ならばまだしも、数百から数千キロの距離を自力で移動するよりも飛行機などを使ったほうが安全だし、労力も少なく他の術者に目を付けられる可能性が少ない。
だからこそ、アルマゲストのTOPクラスの人間でさえ、車や飛行機、電車や船と言った移動手段を手軽に利用する。
たまに正体を隠したい場合は、術をかけるが、常日頃かけることは少ない。違和感を際立たせ、同じ術者に気づかれやすいからだ。つまり、大きな空港や駅、港では防犯カメラなどに写る可能性が高い。
「にひひひ。それで以前も大部分を排除しましたからね」
「ああ。パスポートを偽造してようが、お前がいれば調べが付くからな」
様々なコンピューターにアクセスし、世界中から情報を集め照合する。ウィル子の能力を持ってすれば、その程度わけは無い。今ならばアメリカ国防総省のパソコンにさえ侵入可能だ。
「わかったのですよ、マスター。ではウィル子はマスターが煉と遊んでいる間に暇つぶしでアルマゲストの残党でも探すのですよ」
「頼んだ」
このような会話を続けていると、ようやく目的の場所が見えてきた。
「あっ、兄様!」
煉は兄である和麻が遠くから歩いてくるのを見つけると、うれしそうに手を振った。まるでデートの待ち合わせを喜ぶ少女のようだ。
いや、この場合兄と言う言葉がなければかなりの高確率で間違われるだろう。下手をすれば和麻はロリコンとか性犯罪者とか思われたかもしれない。
(煉・・・・・・・恐ろしい奴)
と、これまた失礼な事を和麻が思い浮かべていたが、当然煉は気がつくはずが無い。
煉も煉で久しぶりに再会した兄との語らいと、自分に対して優しくしてくれると言う事が何よりもうれしくついつい浮かれてしまった。
本当なら綾乃も会いたそうだったので呼びたかったが、和麻が難色を示したのと、もし綾乃が来たら何か揉め事が起こるような気がしたので、煉も無理を言わない事にした。
和麻の横にはウィル子が並んで歩く。その姿は恋人と言うよりも年の離れた兄妹といった感じに見えた。
「よう、煉。待ったか?」
「いえ、僕も今来たところです」
待ち合わせの十分前。本当はもう少し前に来ていたのだが、煉は和麻に気遣わせないように今来たと口にした。そんな煉の気遣いがわかったのか、和麻は多少苦笑している。
若干、ウィル子はあんたらどこの恋人だなんて思わなくもなかったが、下手に言うと怖いので黙る事にした。
「ではマスター。ウィル子はしばらくブラブラしています。あっ、パソコンはマスターが持っていてください」
「ん、わかった。ああ、こっちの用事が終わったらこっちから連絡する。メールはいつものところで」
「にひひ。ではマスター。また後で」
そう言うと、ウィル子はその場から走り去り、裏路地のほうへと入り姿を消した。この場で消えても良かったが、それだと大勢の目に留まるので、人の目が少ない場所で電子世界にダイブする予定だった。
そんなウィル子を見送ると、和麻は煉へと向き直った。
「さてと。んじゃ、俺達も行くか」
「はい!」
和麻に促され、煉は彼の後を追うように付いていった。
入った先は高級レストランである。私服でも入れて、それなりにおいしいところを前もって探しておいた。
ここならば学生はあまり来ないし、神凪に連中もいろいろとごたごたが続いているので、こんな所で食事をしている余裕のある奴などいない。
「さて。何でも好きなもの食え。ああ、心配するな、俺のおごりだから」
「えっ、あっ、はい・・・・・・」
和麻に言われ、煉はメニューに目を移すがどれもこれもかなり高いように思える。
目で和麻に大丈夫なんですかと心配そうにたずねてくる。
「ああ、何の問題も無い」
スッと懐から一枚のカードを取り出す。それは黒く装飾された、俗に言う最上級のクレジットカードであるブラックカードであった。
「こんな所で二人分の食事払っても、俺の懐は痛まないんだよ」
そもそも毎日最高級ホテルのロイヤルスィートに泊まっている人間である。この程度の食費の出費など何の問題にもならない。
「だからお前は気にせず頼め。俺も頼むから」
「わかりました。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」
「おう」
煉はそう言うと料理を注文し、和麻も最高級のワインを頼んで喉を潤す。
料理が来る間、久方ぶりの兄弟の会話を楽しむ。一応、周囲に声が漏れないように風で音を調整しているのは言うまでも無い。
そんな折、煉は和麻にこんな質問をした。
「兄様、どうしたら兄様みたいに強くなれますか?」
強さに憧れる少年。その瞳で見る和麻の姿はまぶしく映っていただろう。
父・厳馬、兄・和麻とも信じられない程の高みにいる存在。
父である厳馬の凄さは聞き及んでいるし、自分と同じ炎術師であるのだ。常にその力を感じ、修行をつけてもらってることで、誰よりも知っている。
兄である和麻も先日の京都の一件でその強さを知った。圧倒的な風を操り、宗主が敗北した妖気に取り付かれた美琴をあっさりと浄化した。
それだけではなく、綾乃と協力したにしてもゲホウと言うかつては神であった大妖魔を倒したのだ。その強さは厳馬に劣るものではない。
と言うか、虚空閃を持てば、すでに厳馬を上回っているのだが、それを煉が知る事も無い。厳馬の入院も流星を防いだ事によるものにされ、和麻との死闘によるものとは知らない。
「俺に聞かれてもな。俺は炎術師としては無能つうか、素質ゼロだっからな。炎術師の修行法なんて聞くだけ無駄だぞ。才能無かったからな」
「兄様には才能があるじゃないですか! 風術師として物凄く。僕は宗家で一番才能が無いのかもしれません」
「いや、炎術使えずに勘当された俺の立場は?」
煉で才能がなければ、自分は何だと言うのか。いや、今更言っても仕方が無いし、別にもう気にして無いからいいけど。
「僕なんて中途半端で、この間も何も出来ませんでした。炎では父様や姉様には遠く及ばないですし・・・・・・」
「おいおい。修行中の、しかも十二歳の分際で神炎使いや炎雷覇持ちと張り合おうって言うのか? そりゃ思い上がりだぞ、煉」
和麻は煉の言葉を聞いて反論の意見を出した。
「厳馬の炎は別次元だ。あんなのと張り合おうなんて、同じ神炎出してからにしろ。つうかあいつは神凪千年の歴史でも十一人しかいない神炎使いだぞ。神凪の先祖、それこそ何百人いるかわからん炎術師の中でも上位の化け物だ」
思い出すのはあの一戦。聖痕発動させた黄金色の風を受け止めただけではなく、相殺した化け物。あんなのがホイホイごろごろ神凪に転がってたらゾッとするどころの話じゃない。
「あんなのと自分を比べるのは、お前が成人してからにしろ。そもそも今のお前があいつと優劣を競えるとか、あいつに一歩か二歩しか劣らないとか言われたら、逆に俺はお前を見る目が変わる。いい意味じゃなく悪い意味で」
目の前の少年が厳馬に近い力を持っているとか、それはどんな冗談だよと思う。おそらくは聖痕を発動させていない、無手の和麻ならばまともに戦えば苦戦どころか下手をすれば死闘にまで及ぶ可能性がある。と言っても、最終的には和麻は勝つつもりだが。
「綾乃に関してだが、あいつも未熟だよ。四年前のあいつの実力と今のお前の実力はたぶんそう変わらない。つうか炎雷覇持って四年も経ってあの程度かって思ったな。まあこの間は少しは役に立ったし、才能があるのは認めるが・・・・・・・」
最後のほうだけは少しだけ声を落として発言した。綾乃を褒めているみたいで、和麻としては気に食わなかったからだ。
それでも綾乃の心のあり方と才能は少しだけ認めている。未熟者の、あの程度のレベルの分際で神炎を出し、ウィル子の協力があり、ダメージがあったとは言え、一分間もゲホウと渡り合えていたのだ。少なくとも、将来性は十分にある。
「他には燎って奴だが、あいつも論外。炎術師としてはそこそこだがまだまだお粗末。確かあいつは病気してたらしいからな、それを差し引けば・・・・・・。あー、普通か」
はっきりと言い放つ和麻。一応、京都で全員の戦いを見ていたので、和麻は自分なりの評価を下した。
「今のお前がコンプレックス抱くのは十年早い。っても、納得できないか」
強さに憧れる。強さを、力を欲する。優秀な身内に抱くコンプレックス。どれもこれも和麻自身が神凪にいる十八年間に自身で体験している。
厳馬に、周囲の存在に、煉に。もし当時の自分が仮に誰かにお前には才能があるんだと、頑張れば報われると言われたところで到底納得できなかっただろう。
(ああ、そうだよな。そんな言葉で救われたら、苦労しないよな)
和麻は炎術をのぞけば、ほとんど神童と呼ばれてもいい才能を誇っていた。神凪の外、学校では学業も運動もこなし、多くの人に切望や憧れの眼差しを受けた事もあった。
教員連中にも神凪は凄いと褒めちぎられた覚えがある。
でもそれでも和麻の心は救われなかった。軽くはならなかった。違うのだ。欲しいと思った言葉ではない。自分を救ってくれる救いの手では決してなかった。
だから高校時代は結構ただれた生活を送っていた。人肌を求め、多くの女生徒と関係を持った。それでも決して満たされる事はなかった。
煉の場合も似ている。和麻ほど根は深くはなく和麻のように追い詰められてはいないが、それでもあまりいい兆候ではない。
特に、先の戦いで自分の無力を思い知らされたあとでは。
「修行法、修行法ねぇ。俺も才能があるとか師匠には言われたが、正直、あんま関係なかったな」
ポツリポツリと和麻は語りだす。
「俺の場合、強くなったのはお前が思うほどカッコいい理由じゃなかった。どうしても強さが欲しかったって理由はあったが、それしか見えなかったって言うのが一番しっくり来るな」
翠鈴を生贄に捧げたアーウィンを殺すためだけ。それだけに和麻は力を望んだ。他には何もいらない。見えない。見ようともしなかった。風に目覚めたのはきっかけに過ぎない。
「週に一度は死にかけたな。ただ我武者羅に、それだけしか見えてなかった。今思い返せば、無茶やったなって思う。神凪にいた頃も厳馬にきつい修行をさせられたが、あの時は言われるままだった。強くなりたいって思ってても、心のどこかで諦めてた。俺は決して強くなれない。炎術は使えないって、心のどこかで思い込んでたんだろうな」
くつくつと笑う。透に心を折られてからか。厳馬に言われる修行はこなした。それ以上のこともした。けどしただけだった。
そこには必死さはなかった。何が何でもと言う気概は存在していなかった。ただ流されるままにこなしていた。
和麻にはこなすだけの器用さがあったが、打ち込んでいると言うレベルではなかった。いや、打ち込んでいたのだろうが執念とも言える感情が存在しなかった。
脅迫概念に近いものに押しつぶされまいと、ただ闇雲にしていただけだった。
ただ厳馬に失望されないように、見限られないように・・・・・・・。
縋っていたんだ。どれだけ厳しく言われても、どれだけ苦言を呈されても、厳馬は神凪の中では煉や宗主以外では唯一、和麻を見ていた。勘当を言い渡されるまで、和麻を鍛えていたのは和麻が必ず強くなると思っていたから。
もしなんとも思っていなければあの女のように見限り、何の興味も沸かなかっただろう。厳しい修行をこなさせず、煉にだけ心血を注いでいただろう。それこそ口で言うだけで、自らは一切見ずに。
けれども厳馬は違った煉以上に、和麻にも自分の時間を使って指導を行っていた。だからこそ、和麻は厳馬が自分を見ていると無意識に感じ取っていたのだ。
(ああ、そうだ。今にして思えば、あいつは俺を捨てるまでは、十八の時までは確かに俺を見ていた)
和麻はそう思った。あの女とは違う。決別の言葉を言われる前から、深雪が自分を愛していない事を薄々気がついていた。自分を見ていない事に気がついていた。
子供と言うのは敏感だ。親からの愛情があるかどうかくらい、幼くてもよく分かる。否、幼い子供だからこそ、敏感に理解する。
和麻は小学生の頃から、あるいは物心付いた時から、深雪が自分を見ていない、愛していない事に気がついていたのだ。
だが厳馬はまだ、自分を見ていた。見てくれていた。あの勘当を言い渡された時、厳馬に追いすがったのは、捨てられるのが嫌だっただけではない。
自分を見てくれていた厳馬に失望された、見限られた事がショックだったのだろう。自分を見てくれていた人が自分を見放した事が耐えられなかったのだろう。
何故あの時、神凪を盗聴していたとき、厳馬に失望と漏らされて何故ああまで感情を顕にしたのか。
そうだ。自分は捨てられてからも、心のどこかで厳馬に自分を見ていて欲しかったからだ。
何故自分はあんな戦いを挑んだのか。
なんて事は無い。自分は心のどこかであの男に認めて欲しかったのだ。自分はこれだけ強くなったと、あの男に訴えたかったのだ。ずっと自分を見ていたあの男に・・・・・・・・。
(・・・・・・・・ああ、くそ。最悪だ)
自分の心のうちに気がつき、和麻は手元にあったワインを一気に飲み干す。正直、忌々しい感情でしかない。あの男に認めて欲しいなどと思う自分が憎らしくて仕方が無い。
その考えを打ち消すかのごとく、和麻は空いたグラスにワインを注ぎ、また一気に口に含む。
「に、兄様?」
その様子にどこか心配になったのだろう。煉が声を上げた。
「ん、ああ、悪い悪い。ちょっと嫌なことを思い出したからな。お前のせいじゃないから。で、話の続きだな。あー、そうだな。努力に勝る才能無しって言う言葉は好きじゃないな。努力しても俺の神凪の十八年間は無意味に近かったからな。でも本気ならそんなの関係ない。本当に強くなりたいのなら、そんな事を考える余裕なんて無い」
和麻ははっきりと煉の目を見ながら言い放つ。
「俺の実体験からだが、本気で強さを求めるんだったら、無理でも無茶でも、何を捨ててでもやるし、やれるもんだ。やるしかないからな。人の十倍、二十倍、それこそ死ぬまでやってみて無理だったらその時諦めろ。途中で諦めるんだったらそれは本気でもなんでもない」
「兄様はそうやって強くなったんですか?」
「まあな。理由は・・・・・・・まっ、神凪を出てから俺にも色々あったんだ。その辺の事情は勘弁してくれ」
あまり掘り起こされたくない理由だし、煉に聞かせるような内容でも無い。
「・・・・・・・わかりました。それは聞きません」
「いい子だ。さて、強さ講義はこんなもんで面白い話を聞かせてやろうか。笑い話ならことかかないな。例えば中国の奥地で竜王に出くわしたとか、毒を吸ってもだえ苦しんだ吸血鬼の話とか・・・・・・・・」
「あっ、じゃあ僕は兄様と一緒にいたあの人のことを聞きたいです」
その言葉にピクッと和麻の眉が少し動いた。確かに煉にしてみれば気になるところだろう。
ウィル子は見た目中学生。十二歳の煉とは近い年齢と思うだろう。
「ウィル子のことか?」
「あっ、ウィル子さんって言うんですね。中学生くらいに見えましたけど」
なんて説明すればいいか。いや、あいつが京都で宗主に妖精と言っていたからそれにしておこう。
「あいつとはもう出会って一年になるな。ある事情で、それから一緒に世界を回ってる。あいつは綾乃と違って役に立つからな」
もし綾乃がここにいればまず間違いなく怒り狂うだろう台詞を平気で述べる和麻に、煉もあははと苦笑するしかない。
「もしかして・・・・・・・・兄様の恋人・・・・・」
ですかと続けようとした煉の顔を思いっきり和麻は鷲づかみにした。
「に、兄様?」
「おい、煉。あいつが俺の恋人に見えるか? 見えねぇよな? 見えるはずねぇよな?」
ニッコリと笑いながら言う和麻。しかし目が全然笑っていない。
「お前、俺がロリコンに見えるのか? 見えないだろ? 見えないよな? 見えるはず無いだろ?」
今度はどこか優しく諭すように語る和麻に、煉は何とか頭を縦に振ろうと頑張ってみた。
「よろしい。俺とあいつの関係はそんなんじゃねぇから。もう一度言ったり、他の連中に言われても違うって言っとけ」
もし変な事を言えば・・・・・・・・・と和麻は手を離しながら念を押す。煉も今度は思いっきり頭を縦に振った。
「あいつは、そうだな。俺の・・・・・・・・」
和麻は躊躇いがちに言葉を濁しながら、もう一度ワインに口をつける。
そしてどこか誇るように彼はこう告げた。
「あいつは俺の・・・・・・・最高のパートナーだよ」
和麻が煉と会食をしている頃、事件は起こった。
入院中の久我透が忽然と姿を消し、同時に同じく入院していた厳馬を除く神凪一族に名を連ねる人間が姿を消した。
さらに事件はそれだけで終わらなかった。
警察の留置場。そこでは逮捕された神凪の人間がいた。
と言ってもここは警視庁の地下の特殊な、一般には使われる事の無い場所であった。
主に異能力者に対して使われる。しかしまさか設計した人間は神凪の人間に使用されるとは思わなかっただろうし、しかも一気に十一人も入れるとは想定外もいいところだろう。
頼通をはじめ、捕まった全員はここにいる。当初、ここにいる全員は神凪が保釈金を支払いすぐにでも出れるだろうと考えていた。ところが事態はそうは行かなかった。
まず最初に重悟。彼が保釈金の支払いを認めなかったのだ。これは外部に対して、少しでも厳しく対処すると言う姿勢を見せたかったこともある。
他にも透の暴走や風牙衆の反乱も重なり、結局彼らが保釈される事の無いまま、二週間近くが経過した。
その中に久我家の先代当主で透の父でもある久我勲がいた。
「何故だ、何故こんな事に・・・・・・」
ぶつぶつとうめくには理由があった。逮捕された事もそうだが、息子である透が重悟の命に背いた上に重傷を負い入院した。さらには彼が株で多額の損を出し、久我の資産がほとんどなくなった。またそれに伴い、透は神凪を追放になり、久我はお家が取り潰しに近い状態になってしまった。
久我の一門に連なっていたものは、宗家や他の分家の庇護を受ける形になった。もう久我の家は終わったも同然だった。
さらに信用をなくした術者に未来は無いし、神凪内での立場も悪くなるだろう。いや神凪に戻れるかどうかもわからない。
「どうして、どうしてこんな事に・・・・・・・・」
頭を抱え、何度も自問する。
「そりゃ和麻のせいだからだよ、親父」
不意に声がした。ハッとなり、勲は声の方を見る。すると鉄格子の向こうにはなんと息子である透がいた。
「と、透。お前、何故ここに!?」
勲は透が重傷を負い入院していると、面会に来た者に告げられていた。なのに目の前にはぴんぴんとした彼がいた。
「あっ、別にいいだろ。それよりもさ、親父。協力してくれよ。和麻を殺すのをさ。あいつ、くそムカつく事に宗家並みに強くなってるんだってよ。だから俺一人じゃ無理なんだって」
「きょ、協力!? お前何を言って!」
だがその時、勲は自分の足元に半透明のゼリーにも似た何かが湧き上がってきた。
「こ、これは!?」
彼も分家とは言え神凪の一員。それが何のか知識としてはっきり知っている。
スライム。低級の妖魔、あるいは使い魔とされている。だが断じて、神凪の人間が扱うものではない。
「透! お前まさか!?」
「親父。和麻は俺がぶっ殺すんだ。だからさ、親父は力だけ貸してくれよ。分家でも集めりゃ宗家に匹敵するだろうから」
「ぎゃぁっ!?」
「こ、こやつは!?」
「おい! 誰かいないのか!?」
周囲から聞こえてくる喧騒と悲鳴。どうやらここにいる神凪の全員がこのスライムに襲われているらしい。本来なら、何の苦もなく焼き払える程度の存在。
だがここは特殊な結界が施された留置場。炎は一切使えない。つまり彼は一般人にも等しい。いや、気を多少は扱えるがスライム相手にはそれはあまりにも相性が悪すぎた。
ちぎっても、吹き飛ばしても再び集まり、再生するスライム。神凪の人間はなすすべもなくスライムに覆いつくされていく。
「と、透・・・・・・」
手を伸ばすが透は何もしない。いや、面白そうに笑っている。
「あっ・・・・・・」
短く呟くと勲は意識を失い、もう二度と目覚める事がなかった。彼からは血が、水分が、否、生気そのものが吸われていく。
全員がミイラのように干からび、そこからさらには衣服や装飾品に至るまで分解し吸収していく。肉を、皮を、髪の毛を、骨に至るまで全て分解し、取り込んでいく。
「・・・・・・・・これであいつを倒せるんだろうな?」
全員が取り込まれたのを確認して、透は誰もいないはずの場所に話しかける。
「うん。これで良い。本当は生気の強い一般人を千人近く吸収しようかと思ったけど、さすがは神凪。十六人でもうずいぶんと力が集まった」
透に返すのはミハイルであった。本来ならば透では見つからずに警視庁の地下に侵入などできるはずが無い。しかしミハイルの手を借りれば別である。
彼は腐ってもアルマゲストの上位の魔術師。序列百位には入れないが、魔術の秘匿や隠密行動を得意としている。さらには転移の魔術をも使いこなす。優秀な部類なのだ。
彼の当初の目論見としては、生気の強い一般人を大量に襲いそのエネルギーを貰い受けるつもりだった。
しかし分家とは言え神凪の人間が入院していたり、留置場にいたりと比較的襲いやすいところにいた。
和麻襲撃の際に入院した透を除いた五人。逮捕された十一人の計十六人。
彼らは腐って神凪。一般人どころか術者の中でも優秀な部類にいる。潜在能力なども含め、一般人に換算すれば十数人から数十人にも匹敵した。いや頼通など宗家としては落ちこぼれの上、年で衰えていても一般人数十人分のエネルギーがあったのだ。
「この調子で神凪を襲えばすぐに目的は達成できるね」
一石二鳥どころか、三鳥とも言っていい手だった。
ミハイルは日本に来て、神凪の事を調べた。単純に情報屋を魔術で操り情報を持ってこさせたのだが、あの八神和麻が生きていた。
ミハイルは歓喜した。自分の怒りを、憎しみを、全てを神凪にぶつけるつもりで日本に着たが、まさかあの八神和麻がいるとは。
これは主であるアーウィンの導きかとまで考えた。アーウィンは自分に仇を討てと言っている。そうとしか思えなかった。
さらに彼にとって好都合だったのが、利用する駒がいたこと。
目の前にいる久我透である。この男はそこそこに力もあり、強い肉体もある。最終的には壊して捨て駒にするが、それでもそこいらの一般人や並みの術者よりも使える。
足もスライムを一時的に使い動くようにしている。身体も病院で奪った力を憑依させているので健康体であった。
他にも神凪もごたごたがあり、神凪最強の術者である神凪厳馬も入院中。さすがに神凪厳馬に手を出すにはリスクが大きすぎるので、まだ手を出していない。
だが和麻を倒せるだけの力が手に入れば、和麻を殺す前に襲ってさらに力を強化するつもりだった。
だがこの状況は好機だ。他にも神凪は下部組織で諜報に優れた風牙衆を追放している。今ならば、神凪の術者を襲ってエネルギーに出来る。
神凪の術者の力は凄まじく、エネルギーとして申し分ないどころではない。さらには透をコアにすれば炎への耐性も出来上がり、攻撃力の高い炎を操れるようになる。
神凪の宗家に匹敵、あるいはそれを超える攻撃力の炎を操れればあの男の風も敵ではない。
「さあ。次に行こうか。八神和麻に復讐するために」
「ああ。絶対に和麻の野郎をぶっ殺してやる」
二人はそう言うと、警視庁を後にした。
あとがき
神凪壊滅のお知らせ。これ以上、何も言わない。
そして今回の話を書いて思った。やっぱり和麻もツンデレだ。