「綾乃様・・・・・・。どうしたんですか、そんなに急いで」
廊下を走る綾乃を見つけた燎が声をかけた。いつも以上に焦りの表情を浮かべる綾乃を訝しげに思いながらも、燎は彼女の後を追う。
「時間が無いわ、燎。早く久我透を見つけないと、和麻が動くわ」
「えっ?」
綾乃は手短に燎に事情を説明する。説明された燎も青ざめた顔をする。久我透を神凪の手で倒す。それは神凪再建の絶対条件だからだ。
「美琴には連絡を入れたわ。橘警視もこっちに車を回してくれるって」
「わかりました。じゃあ俺達は美琴に合流して探すんですね」
「ええ。その方が早く対処できるわ。煉が起きるまでどれだけ時間があるかわから無いけど、そんなに時間は無いはずよ」
数時間もあれば御の字だろう。出来れば煉には事情を話して和麻を説得してもらいたいが、綾乃が燎が煉が起きるまで傍にいるわけにも行かない。
他にも事情を説明してもらおうにも、大半の神凪の人間は和麻を敵視しているため、まともに話し合いなど出来そうにも無い。
話し合いが出来そうな人間を送ろうとも、和麻はそんな相手に対してどんな態度に出るかわからない。
和麻と唯一話が出来そうなのは綾乃の父の重悟くらいである。生憎と彼は今、入院中の厳馬の元へと赴いている。
「とにかく急ぐわよ」
綾乃に急かされるまま、燎も彼女の後に続き屋敷の外へと向かい、美琴と合流するのだった。
「厳馬。深雪が妖魔に襲われ、亡くなった」
場所は移る。厳馬が入院している病院において、彼は親友より妻の死を告げられていた。
上半身を起こした状態で、ベッドの隣に座る重悟から告げられた言葉が彼の心に突き刺さる。
その言葉を聞いた厳馬は、普段は絶対に見せないような驚きの表情を浮かべ、顔を凍りつかせた。
「・・・・・・・重悟。それは・・・・・・・本当か?」
厳馬自身、絞り出すように声を発する。間違いであって欲しい。嘘であって欲しい。そんな願いが込められていたのかもしれない。
だが重悟は苦々しい表情で首を縦に振った。
「・・・・・・・・・そう、か」
重悟から顔を逸らした。その胸中にはどんな感情が渦巻いているのか、重悟にもわからない。感情を表に出すという事を一切しない男だ。
長い付き合いの中、彼が自らの感情を発露させたと言う場面を、重悟はほとんど見たことが無い。
「犯人はわかっている。今、神凪が特殊資料室に協力を仰ぎ全力で捜索に当たっている」
「・・・・・・・・・犯人は?」
決して重悟と顔を合わさずに厳馬は問う。そんな彼の態度を気にもせず、重悟は犯人のん名前を口にする。
「犯人は久我透だ。妖魔に身を堕とし、神凪の術者を殺して回っている。すでにお前を除く先の戦いで入院した者や警視庁に拘留されていた全員が被害に合ったようだ。深雪は・・・・・・神凪の本邸を襲撃された際に命を落とした。すまん。私が気づかなかったばかりに・・・・・・・」
「・・・・・・・・お気になさるような問題ではない。神凪一族の一員なれば、妖魔に襲われて命を落とす可能性は常にあります。私の妻もまた、その覚悟はあったでしょう」
若干、口調を変え、以前の宗主であった重悟に接するような態度で言う。重悟はその変化を訝しく思いながらも、そうかと口にする。
正直、重悟は深雪にその覚悟があったとは思えない。厳馬自身、本当にそう思っているのか、はたまた重悟を気遣って口にしたのかはわからない。
「厳馬。あまり背負い込むなよ」
「・・・・・・・・・・・」
一度だけ、首を縦に振った厳馬に重悟はこれ以上かける言葉が見つからなかった。厳馬の性格を知っているだけに、どれだけ言葉をかけてもあまり意味が無いことだと理解しているからだ。
「すまんが私ももう戻らねばならん。神凪一族もかなり混乱している。他にも多方面への対処がある。久我透の方は綾乃と燎に討滅を命じた。一両日中には終わるだろう」
楽観的かもしれないと重悟は思うが、なんとしても一両日中に終わられなければならなかった。神凪一族存続のためにも。
「ああ・・・・・・・わざわざ、すまなかった」
最後まで重悟と顔を合わさずに、厳馬は話を終わらせた。重悟が部屋から退室したのを確認すると、厳馬は視線を下に落とした。
「・・・・・・・・・・・・っぁっ!」
声にならない叫び声を上げ、厳馬は己の両足を自分の両手でたたきつけた。激しい痛みが足を襲うが、厳馬はそれを感じないように拳をきつく握り締め、歯を食いしばる。
己の中にある荒ぶる感情を押さえつけるように。
妻が死んだ。退魔に関わる神凪一族であるならば、当然起こりうる事態だ。厳馬自身覚悟はしていたし、頭の中ではこんな事もあると理解している。
だが感情が納得しない。厳馬とて人間であり、感情があるのだ。
彼が許せないのは久我透ではない。いや、確かに久我透に対しても激しい感情が渦巻いているが、何より許せないのが自分自身に対してだった。
自分は何だ。神凪最強の炎術師。蒼炎の厳馬。宗主代行。様々な肩書きを持った最高クラスの術者のはずだ。
しかしこの体たらくは何だ。
息子を守れず、放り出すことしか出来ず、その息子に敗北を喫した男。
宗主代行としての役目も果たせず、風牙衆の反乱の際にも何も出来ないまま病院のベッドで横になるしかできない役立たずの男。
自分の妻さえも守れずに死なせてしまった男。
自分自身への怒りが厳馬に渦巻く。膨大な炎の精霊が無意識のうちに集結し、今にも天上を焼くような神話級の炎を生み出さんばかりに高まってていく。
無論、感情に流されるという愚行を厳馬は犯さない。こんな状況でも彼の長年培ってきた様々なものが、精霊と炎を制御している。
だがそんな技術や経験が何だと言うのだ。結局、自分は何も出来ず、守れなかったではないか。
何が最強だ。何が蒼炎の厳馬だ。
ここまで自分自身が不甲斐ないと思ったことは無い。十年前、和麻が死にかけた際も己の無力を呪ったが、今はそれを遥かに越えるほどの怨嗟と憎悪を自分自身に向ける。
幾度も、幾度も己の身体を叩きつける。鈍い音が部屋に響く。明らかに人間の身体を叩く音ではなかった。
しばらくの後、異変を感じ取った看護師が厳馬を止めるまで、彼は自分の足を叩く事をやめなかった。
その一時間後、彼は病院から姿を消した。その報告を受けた重悟は即座に彼を止めようとしたが、彼は止まらなかった。
彼が目指すのは久我透。自らの手で、倒すと厳馬は心に決めるのであった。
「ぐっ、がぁっ・・・・・・」
久我透はミハイルとの合流場所である彼らの拠点である教会にいた。彼は自分の胸を押さえ、苦悶の表情を浮かべうめき声を上げていた。
苦しい、熱い、痛い。
体全身に激痛が走り、教会の床をでもだえ苦しんでいた。
「あ、あのやろう。どこへ・・・・・・・行った」
合流するはずだったミハイルは教会のどこにもいない。彼の死体も和麻が細切れにした上に、ウィル子が01分解能で分解してしまったのだ。死体の残らない完全犯罪である。
透はミハイルが死んだ事を知らない。彼を探しても、連絡を取ろうにも、彼を見つけることは出来ない。
さらに透はこれまでに無い程に身体が痛みを発していた。全身の血液が沸騰しそうなほどに体温が上昇し、全身の筋肉がズタズタになっていくような感覚。
痛みで発狂してしまうほどの激痛が彼に襲い掛かる。
原因はこれまで取り込んだ二十人近い神凪の術者の力と、ミハイルと言う本当の司令塔を失った事によるスライムの暴走だった。
本来、神凪宗家でもない透のキャパシティなどたかが知れていた。そんな彼が分家の大半と頼通と言う宗家の人間の力を軒並み吸収したのだ。
しかも分家には現行で力を失いつつも、まだまだ潜在的にはかなりの力を持つ人間も多数いた。そんな彼らの力を一気に集めた上に、ミハイルの死でスライムの制御が失われた事により、膨大な力が暴走を始めたのだ。
透だけではその身に取り込んでおくことが出来なくなった力。スライムと言う外部存在の力を利用して維持していた力が、一気に透へと逆流したのだ。
普通ならそんな膨大な力の逆流ならば即座に死に至る。だが不幸と言うか幸いと言うべきか、彼も神凪と言う一族の一員。それが彼を死と言う運命から救い、延命させていた。
また司令塔を失ったスライムが、透を核として新しい存在へと自らを再構築しようと動いている事が、彼を延命させているもう一つの要因だった。
彼の激痛と高熱は力の逆流によるものと、スライムにより透と言う人間を改造する事により起こるものだった。
スライムは透を人間としてコアに組み込むのではなく、彼を作り変え、力を使うのに最適なように組み替えていく。
人間に跡付けのように力を増やすのではなく、その物を作り変えて力を増やそうそしていた。
人間と言う限界を超え、本来とは違う形へと変化を遂げさせていく。
外見は人間のままだが、久我透と言う存在はすでに人間ではない存在へと変貌を遂げていた。
「がぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
叫び声と共に全身から妖気を纏った黒い炎が吹き上がる。皮膚の色も褐色に変化していく。
スライムは透と融合し、一つになる事で新しい存在へと変化を遂げる。
そして彼は手に入れる。神凪宗家に匹敵する力を。
否、神凪宗家の綾乃や燎を超える力を・・・・・・・・。
「すげぇ、すげぇ・・・・・・・」
激痛と高熱が収まり、身体が軽くなった透は自分自身の中にある力に酔いしれる。
力が漲ってくる。何でもできる気がする。敵などいない。自分は無敵だ。この力があれば、何でもできる。
嗤う。嗤う。嗤う。
この世界に敵はいない。自分こそが最強だ。ミハイルなどもう必要ない。
透は思う。この力があれば和麻を簡単に殺せる。神凪一族の頂点に立つことも出来る。
彼の傲慢で子供じみた支配欲が掻き立てられる。
「見つけたわよ、久我透!」
そしてその時はやってくる。
タイミングよく教会にやってくる綾乃と燎。その後ろには美琴の姿もあった。
彼女達の姿を見ると、透はニヤリと嗤う。飛んで火にいる夏の虫とはこういう事を言うのであろうと。
両者の視線が交差する。言葉など要らない。問答など不要。
黄金の炎と漆黒の炎が交差する。
「・・・・・・・・マスター。久我透の居場所がわかったようです」
「場所は池袋の教会か。不味いな。ちょっとばかり射程外だな」
和麻はウィル子の報告を聞きながら、どうしたものかと考える。和麻の最大有効範囲は通常で十キロ。聖痕を発動させればその限りではないが、現状では少々不味い。
「聖痕発動させますか?」
「それも一つの手だな。つうか予想以上に綾乃達の行動が早かった上に、久我透を見つけるのも早かった」
「資料室も必死でしたからね。資料室も捕まえていた神凪皆殺しにされたと言うのは不祥事ですから、お互いに何としても早急に久我透を始末したいのでしょう」
資料室も自分達の監視下にあった神凪の者達を気づかれずに、皆殺しにされたと言うのは大きな不祥事なのだ。
霧香はこの件が明るみに出ても少しでも被害を最小限に抑えようと奔走していた。その過程で、一刻も早い事件の解決が望まれていたのだ。
「俺達には何の関係も無いけどな」
「そうですね」
この主従は基本的に自分達さえよければ他はどうでもいいと言う、極悪の最低コンビなのだから、この発言も最もであった。
「けど獲物を横取りされるのは気に食わないからな」
「でも煉が起きるまで手を出さないと言ったのはマスターですからね」
「別に手を出さないとは言って無いぞ。ただここを動かないって言っただけで」
和麻としてみれば、ここから動かないまでも手を出さないとは一切言っていない。
射程範囲内であれば、綾乃たちを妨害して透を殺すように行動しただろう。
「ここから久我透を殺す手段が無いわけでも無いですからね」
「結構ダルイし疲れるから、あまりやりたくは無いがな」
和麻一人では無理でもウィル子がいれば、遠距離から敵を抹殺する方法はあるのだ。そう、抹殺であり消滅させる方法が。
「ウィル子としてはいつでもいけますが、マスターはどうですか?」
「こっちも準備は終わってる。だから透を殺すだけなら、今すぐにでも出来るぞ」
すでに準備は整っていた。完全な奇襲による攻撃。この場を動かずとも、和麻とウィル子は確実に透をしとめる攻撃を繰り出すことが出来るのだ。
「でもそれだけ気がすまないんだよな。ここまで舐めた真似してくれたんだ。なぶり殺しはさすがにあいつと同じところまで堕ちるからやりたくないが、何が起こったかも知れないうちに殺すのは癪だ」
「でも下手に余裕を持ってると兵衛の二の舞になる恐れがあるのですよ」
「そうなんだよ。あれは本当に教訓だよな」
和麻としても先の一件が骨身にしみている。どうにもままならない物である。
「でも直接相対するのなら、そろそろ動かないと間に合いませんよ?」
「そうだな・・・・・・・・・」
煉を起こすのも気が引けるしと思っていると、うーんと和麻の腕の中で眠る煉が声を漏らした。
「兄、様?」
「おう、起きたか、煉」
心の中でナイスタイミングと呟きながら、和麻は満面の笑みを浮かべる。
「あの、おはようございます。兄様」
「おう、おはよう。少しは落ち着いたか?」
「・・・・・・・はい。ありがとうございます」
泣いて、眠った事で少しは精神的にも落ち着いたのだろう。煉は和麻に礼を述べた。
「んじゃ、煉。俺は行くわ。ちょっと野暮用が出来てな」
自分の服を掴んでいた煉の手をどけてもらうと、和麻は立ち上がりながら言った。
「あの、もしかして、母様の敵討ちですか?」
「いや、違うぞ」
和麻はきっぱりと否定した。
「そう、ですか・・・・・・」
和麻の言葉に煉は悲しそうに視線を逸らす。
敵討ち自体、煉は正しいとは思ってはいなかったが、自分達の母親の死に対して、和麻が何も感じていないような気がした。それがどこか辛かった。
「兄様。兄様は母様が死んで辛くはないんですか?」
綾乃に聞かれたのと似たような事を聞かれ、和麻は返答に困った。ここで辛くないというか何も思っていないと口にすれば、余計に煉の心を傷つけてしまう可能性がある。
十二歳の子供の心は繊細だ。ほんの少しの事で余計に落ち込ませてしまう。
なんて言っていい物かと和麻が思案していると、横からウィル子が口を挟んできた。
「辛い、辛くないは人それぞれですよ。マスターの場合、基本的にそう言った感情を口に出しませんし、出したくないのですよ」
と、和麻をフォローする発言をした。
「そう言った感情を表に出すのは未熟と思われますからね。そう言うのを聞くのは野暮なのですよ。男は黙って行動で示すのです」
「ウィル子さん・・・・・・・。そうか。そうなんでね」
ウィル子の言葉に煉はどこか納得したかのように呟く。おそらく煉の中で和麻も悲しいがそれを表に出さずに、いつものように振舞う事に努めていると勘違いしているのだろう。
和麻としては自分から煉に嘘を付いているわけではないので、良心の呵責に苛まれる事もないし、別に勘違いを正そうとも思わない。
「そうなのですよ。マスターはこういう人ですからね。だから煉もいつまでも落ち込んでてはダメなのですよ。大切な人を失って悲しいのは皆同じ。でもそれをいつまでも引きずっているのは不毛ですよ。あなたが悲しいのは本当にその人を愛していたからです。でも泣いても落ち込んでいても死んだ人は生き返りません。あなたのお母さんもそんなあなたを見て安心できると思いますか?」
ウィル子の言葉に煉ははっと思い知らされる。
「泣くのも当然ですし、悲しいと思うのも、落ち込むのも当たり前です。でもずっとでは死んだ人も周りの人も安心できませんよ」
「・・・・・・・・・はい」
「まああんまり変に考えるな。お前はまだ十二歳だ。そんなに割り切れるわけもない。こいつの言うことを真に受けるなよ」
「いや、真に受けるなって。ウィル子は一般的な話をしただけなのですが」
和麻の突っ込みにウィル子がタラリと汗を流す。ウィル子自身も適当にネットのお悩み相談の話をしただけだから、あまり大きなことは言えないが。
「さてと、そろそろ行くか。時間もない」
「そうですね」
二人はそのまま煉に背を向けて、神凪を後にしようとした。
だが・・・・・・。
「待ってください、兄様!」
と、煉に呼び止められた。
「あの、兄様。兄様の野暮用って、本当に母様の敵討ち・・・・・。あの久我透を討つことじゃないんですか?」
煉は先ほどの会話で和麻は自分に嘘をついて、一人で久我透を討ちに向かうのではないかと考えた。確信に似た予感があったのかもしれない。
煉の真っ直ぐな視線に、和麻は少し考える。どう答えるべきか。
そうだと言えば自分も敵討ちをしたいとばかりについてくるだろう。それはそれで問題ではある。
煉には自分と同じように復讐者としての道を歩んで欲しくはない。自分の過去を振り返り、後悔はしていないが、煉にさせるようなものではないと言うことだけははっきりと断言できる。
しかし下手に心にトラウマとしこりを残したままでは、これから先炎術師として煉はやっていけない可能性が高い。
もう神凪一族は以前のような権威を振るうこと出来ないが、逆にこれ幸いと敵対しようとする輩が出てくる可能性はある。
煉も自分の身は自分で守らなければならないだろう。いつまでも和麻が守ってやれるわけもない。
とすれば、これは煉を成長させるために久我透を利用するのも一つの手ではないか。無論、最後は自分で手を下すが、途中まで煉を成長させる教材として利用できれば・・・・・。
(どの道殺すのはすぐ出来るし、神凪に獲物を譲るわけじゃないからな。綾乃や燎って奴はこっちで足止めすればいいし、虚空閃と黄金色の風を用意しておけば万が一もないだろう。兵衛の時と違って、神なんて言う後ろ盾は無いんだ)
ミハイルの記憶を読んだからこそわかる。どこまで力をつけようが、妖魔に変貌しようが、神クラスの力を手に入れられるはずも無い。
せいぜい炎雷覇を持った綾乃と同等か、綾乃と燎を足した程度だろう。厳馬クラスでも正直虚空閃といつでも放てる黄金色の風があれば怖くはない。万全の状態のウィル子もいるのだ。
『ウィル子。このまま煉を連れて行くぞ。こいつも成長させないとな』
『色々と問題が起こりそうなのですが』
呼霊法で会話をする和麻とウィル子。ウィル子は消極的賛成だった。
『そこは俺とお前がフォローすればいい。黄金色の風と虚空閃。お前も武器を用意していけば万が一もないだろ』
『うーん。ウィル子としてはこれまたフラグのような気もしますが』
『もうフラグはいらねぇよ。それにやばそうだったら一も二もなく消滅させる。それにリスクを恐れてたら、何にも出来ないだろ?』
和麻も言う事も正論である。
『しかしいつの間にか憂さ晴らしが煉の成長を促す事に変わっていますね』
『仕方がないだろ。煉がいつまでも落ち込んでたり成長できなかったりだったら、俺が安心して日本を離れられないだろうが』
『はぁ、ブラコンここに極まりですね』
ウィル子はため息を吐く。まあここに来ると言った時から、そんなことは百も承知だったのだ。今更ではある。
『了解なのですよ、マスター。ウィル子はマスターに従います』
『当然。んじゃ、煉を連れて久我透狩りと行くか』
ウィル子との相談を終え、和麻は煉に向き直る。
「・・・・・・・・ああ、そうだな。これから久我透を討ちに行く。お前も来たいのか?」
「・・・・・・・・はい。母様の敵を討ちたいんです」
ゴシゴシと自分の目元を腕で拭う。煉自身、自分に何が出来るか考えた結果だろう。
彼は一般人ではない。神凪一族の宗家の人間。その心のあり方も当然教わっている。
と言うよりもあの厳馬の息子なのだ。術者としてのあり方や心構えを厳馬が教えているのは当然だ。
無論、あの男が饒舌に煉に物を教えているはずもないだろう。言葉少なく要点だけ教えている姿がまざまざと浮かぶ。
煉は神凪一族の一員として、母の敵を討ち、妖魔に堕ちた透を倒そうと思ったのだろう。
復讐。そう呼べる類に感情が煉の中で渦巻いていたのも確かだ。だがかつての和麻と違い、憎悪や何においてもと言う感情が見受けられない。
これは境遇の違いだろう。
和麻の場合、翠鈴は何にも代えられないたった一人の女性であり、彼女以外に大切な人間は存在しなかった。唯一無二であり、何者にも変えられない存在。
煉に取って深雪は大切な母であり、代わりがいないと言うのは同じだが、煉の場合は母親だけではなく、大勢の大切な人が周囲にいる。
厳馬であり、重悟であり、綾乃であり、友人であり、他にも多くの人がいる。だからこそ、怒りを沸きあがらせながらも、憎悪を抱くことはなかったのだ。
(まだマシだな。俺みたいにならなくてよかった)
内心安堵した。当時の復讐以外何も考えられなかった自分自身のようにならずに。
「わかった。だが無茶はするなよ」
「はい」
こうして和麻は煉を引きつれ、久我透の元へと向かった。
教会では激しい戦いが起こっていた。教会はすでに黄金と黒い炎の余波で燃え落ち、跡形も残っていない。
周囲は特殊資料室が結界を張っているために被害は無いし、気づかれてもいない。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・・」
「くっ・・・・・・・」
肩で息をしながら、あちこちに傷を作っている綾乃と燎が忌々しげに通るを睨む。
二人がかりで攻めていると言うのに、透を倒せない。
それどころか逆に二人が不利であった。
ありえない。それが二人の感想だった。自分達が全力で挑んでいるのに、透の方が強い。
燎も報告した時から半日も経っていないのに、これだけの強さを得ている透に驚きを隠せないでいた。
漆黒の炎は吸収された神凪の術者の怨嗟を含むかのように、不気味な妖気を放っていた。
威力も高く、炎雷覇を持った綾乃と同等の出力を有していた。
一体何があったのか。
種明かしをすれば、神凪宗家の血肉を取り入れたからだった。宗家である頼通の血肉が、彼に宗家並のポテンシャルを得る下地を与えた。
そこに他の分家の血肉も加わり、スライムが透の身体を作り変え、魂と精神を変質させる事で、彼は綾乃を超える力を得たのだ。
さらに不運は綾乃のコンディションもベストではなかった点だろう。透の襲撃で睡眠を途中で中断した上に、和麻との約束で焦りが生まれたていた。
そんなことが言い訳になるわけでもないが、綾乃は現在、不利な状況に置かれていた。
「死ねぇ!」
透は炎を両手から放ち綾乃と燎に向ける。二人は全力を持って炎を打ち出して相殺する。しかし燎は単純出力で透に負けていた。
「ぐっ!」
「お前には借りがあったな!」
透は再び炎を放ち追い討ちをかける。
「燎様!」
様子を伺っていた美琴が風を纏って高速移動し、燎を抱きかかえる形で炎から逃がす。
「美琴! ありがとう」
「いえ。それよりも次が来ますよ」
見れば次々に炎を放つ透がいる。
「調子に乗るなぁっ!」
炎雷覇を構え、綾乃は透に接近する。
「ちっ!」
透は炎を剣のような形にして綾乃の炎雷覇を受け止める。
「はぁっ!」
幾度も斬りつける綾乃。炎雷覇からほとばしる黄金の炎が黒い炎を浄化する。
「ぐっ!」
透は不味いと感じた。接近戦では不利だった。炎雷覇と言うアドバンテージは今の透でも覆せない。
このままではやられる。そう彼が判断したと同時に、彼の背中から翼が出現した。漆黒の蝙蝠のような翼。彼の変質した身体が、彼の体内に残るスライムの残滓が飛行能力を与える。
「なっ!」
空に逃げられては、綾乃達に取れる手段は限られてくる。
透はそのまま炎を眼下に向けて解き放つ。漆黒の炎の雨が綾乃達に襲い掛かる。
「うわっ!」
「きゃぁっ!」
炎の雨に燎と美琴が飲み込まれる。
「燎! 美琴!」
思わず叫ぶ綾乃だが、彼女も他人に構う余裕はない。巨大な漆黒の炎の塊が、綾乃に向けて迫っていた。
「このぉっ!」
だが綾乃は炎雷覇の刀身を炎に向けて、先端より巨大なプラズマを纏った炎を解き放つ。
巨大な二つの力がぶつかり合い、周囲に爆音と爆風を発生させる。
「きゃあっ!」
綾乃もその衝撃で吹き飛ばされてしまった。
「っ・・・・・・」
地面を転がる綾乃。すぐに体勢を立て直さなければと綾乃は思った。バッと立ち上がり、空を見る。そこにはさらに大きな炎を発生させる透がいた。
空を飛ぶ相手に、空を飛ぶ手段を持たない者が戦いを挑むのは不利すぎた。また透は人間を捨てているために、人間に比べれば無尽蔵とも言える体力や精神力を有していた。
透がにやりと嗤った。その嗤いが癪に障る。綾乃も最大級の攻撃を放とうと炎雷覇を構える。
直後、均衡が崩れる。
「がっ!?」
透の黒い炎と背中から生えた翼が切り裂かれた。透は重力に従い真っ逆さまに堕ちる。
地面に叩きつけられる透。その光景を呆然と見るしか出来ない綾乃だったが、それが風による攻撃だと気づく事になる。
ハッと綾乃は周囲を見渡す。
彼女は見つける。その攻撃を放った相手を。視線の先には一人の男とその脇に少女と少年が追随する。
最強の風術師・八神和麻。ウィル子、神凪煉。
彼らはここに参戦した。
そしてもう一つの巨大な炎がここへと近づいていた。
あとがき
遅くなりました。
ちょっとリアルで色々ありまして。申し訳ないです。
最近はスランプ気味で面白いと思える場面が作れないです。もう少し厳馬戦の時みたいに盛り上がれる戦いを書きたいです。