「で、そっちの準備はできたのか?」
「ええ。老師には一応の許可はもらっているわ。それに宝貝もいくつかいただいたし」
和麻はテーブルを挟んだ椅子に座る石蕗紅羽に尋ねながら、優雅にお茶を飲んでいた。同時に彼はテーブルに置かれたパソコンで、何かの操作を行っていた。
「そうか。まっ、せいぜいがんばれよ」
他人事のように言い放つ和麻。実際他人事なのだから当然かもしれないが、妹弟子に対してかける言葉ではない。
「言ってくれるわね。どうせ私では魔獣を倒せないと思っているのでしょ?」
紅羽も自分の前に置かれたお茶を飲みながら、若干和麻を睨む。
「単独ならな。たった半年で神話クラスにまで強くなれるんだったら苦労しない」
「………そうね」
和麻の言葉が正論であったため、紅羽は何も言い返せない。目の前の男は一年でかなりの高みにまでのぼり、あとの数年で神話の域に到達したのだが、それをおくびにも出さない。
紅羽も和麻のことを聞き及んでいたのだが、いちいちそのことを追及するのも馬鹿らしいと思ったので言うことはなかった。
正直、才能と実力の差と言うのをこの数か月で思い知らされたのだが。
「ところで私に協力してくれるのかしら?」
「間接的にはな。直接は面倒だからしない」
あっさりと和麻は言ってのけた。
「何が悲しくて神話級の化け物と戦わなくちゃならないんだ。俺は高みの見物をしながら、石蕗一族が踊ってくれるのを見てるさ」
紅羽は老師のもとで修行している最中に、和麻の計画の大まかな概要を聞かされた。
曰く、人間生贄にする奴は死刑と言う独自ルールのもと、石蕗をつぶすそうだ。
と言っても彼は一族郎党皆殺しにはしないと言っていた。
その時の和麻の言葉が……
「いやいや。仮にも日本のために身内から泣く泣く犠牲者を出していた可哀そうな連中なんだ。お前が魔獣を倒せばその必要はなくなるだろ? だから俺はその手助けをしてやるんだ。連中の悲願の達成。もう二度と犠牲者を出さないように尽力してやるさ」
普通の人間が聞けばあるいは感銘を覚えたかもしれない。和麻ほどの力を持つ人間が、犠牲者を出さないように尽力する。
しかし彼をよく知る者が聞けば、かなりひきつった顔をしただろう。
それは建前で本音は……
「魔獣は他人に任せて自分は楽をする。そのための裏工作はしてやるが、直接の殴り合いはしない。石蕗は殺さないが今までの方がよかったってくらいの目にあわせてやる」
である。
基本的には石蕗に不正があればそれを告発し、なければいちゃもんをつけて嫌がらせをすると言う所である。
「けどまあ、神凪みたいに金に汚いことはしてなかったけど、中々に面白いことはしてくれてたな」
にんまりと笑いながら、和麻はパソコンに表示されている情報に目を通す。そこにはいくつかのデータととある建物の姿、ほかにもさまざまな金や資材、人材の流れが表示されている。
「お父様も馬鹿よね。今まで叩かれても埃が出ないように、不正行為には一切手を染めていなかったのに、娘可愛さに最後の最後でこんなことをしでかすなんて」
紅羽は和麻の言葉にどこか遠い目をしながらつぶやくと、目の前に置かれたお茶をすする。
今はもう、父を恨んでいない。父親への恨みはすべて魔獣へと向けられている。しかし父親に対する愛情も一切ない。紅羽も父と口では言っていても、もはや他人として割り切っている節があった。
紅羽自身、ある意味理解したのかもしれない。自分をあの人が嫌っていたのは、無意識に自分の中にある魔獣に嫌悪感を抱いていたのではないか。
三百年と言う時間を一族総出で、それも身内に犠牲者を出しながら封じてきた忌むべき存在。それに取り込まれていた紅羽の事を地術師として、石蕗一族最強の術者として、無意識に感じ取り、それが感情に、行動に現れていたのではないか。
気付いてはいなかったのは間違いない。気がついていたのなら、石蕗巌は間違いなく紅羽を処分していたはずだから。
(今さらね。もう魔獣に魅入られていないと言っても、あの人と親子の関係を築けはしないだろうし、私にもその気はない)
それに仮に自分が求めても、巌は決して受け入れてくれないだろう。どれだけ強くなっても、魔獣と言う楔から解き放たれても、自分はあの人の本当の意味での娘にはなれないのだ。血のつながりはあっても、心のつながりは存在しないのだから。
彼の娘は石蕗真由美一人………。
(本当に、あなたは幸せよね。誰からも愛され、大切な人を得て、そして死なずに済むのだから)
こんな自分になついてくれていた妹の顔を思い出す。不思議だ。あんなに愛憎が入り乱れ、最終的には殺そうと計画していたと言うのに、今ではそんな感情がさっぱり消え失せている。
(でもいいわ。私の目的は魔獣だけ。それさえ叶えば……)
あとのことなど考えない。今は魔獣への復讐だけを胸に刻む。
思考の海に沈んでいた紅羽は、気持ちを切り替えるともう一度和麻の方を見る。
和麻が見ている情報。石蕗一族が今回の儀式において使おうとしている生贄。それは石蕗巌の愛娘である真由美のクローンを使うという物であった。
しかし人間のクローンという物は認められていない。倫理的観点や技術的な問題もあり、未だに成功例はない。仮に成功しても、それを表に出せば即座に大問題になるだろう。
マスコミを先導すれば大々的に叩く口実ができる。曰く、非人道的な行いを行う集団だと。これを行えば表社会からの抹殺は可能である。
一般人からすれば、富士山の魔獣を封じる石蕗一族など胡散臭い集団でしかなく、事実を言えるわけもないうえに、政府もトカゲのしっぽ切りのように切り捨てるだろう。
客観的に見れば、三十年周期で身内を殺している邪教集団でしかないのだ。そこにクローンを作ろうとしていたという情報が加われば、どう考えても漫画の悪の組織にしか見えなくなる。
開示する、またはできる情報が少なければ少ないほど、または出せないというのならば、石蕗一族と言う存在が明るみに出れば、それだけで彼らは社会的に抹殺されるのだ。
「石蕗巌が最後の最後でやらかしてくれたおかげで、こっちはつけ入る隙をもらえた。しかしクローンをどうやって作り上げるのか気になってたが、妖精郷の秘宝を使うか。これでまた大義はこっちにできたな」
すでに和麻は石蕗がクローンを完成させるために妖精郷を襲い、妖精の秘宝を強奪した事実をつかんでいた。
和麻はこの計画をスタートさせると決めた半年ほど前から、ウィル子を使って石蕗一族を調べさせ、同時に監視させていた。
そこで浮かび上がったクローンの作成。しかしウィル子が入手したクローン作製の技術ではどうやっても、儀式に耐えうる肉体を得るためにはそれ相応の時間をかける必要があった。成長の促進などできず、儀式に耐えうる年齢、少なくとも十二、三歳までの年齢にするには同じだけの時間が必要となる。
しかし儀式は半年後である。そんな猶予はない。
どうするのかと疑問に思いながらも監視を続けていると、彼らは何と妖精郷を襲って彼らの秘宝を強奪したではないか。
昔からこう言った事件は少なくないとはいえ、さすがに日本国内有数の歴史ある術者の一族が行うのは珍しいだろう。
いや、文明開化以前ならばそんな話も珍しくは無かったようだが、今のこの時代でやるのは恐れ入る。
理由としては、彼ら妖精のような神秘の存在はこの科学技術の進んだ現在では人間に見つからないように巧妙に隠れている。ゆえに見つけ出すのも一苦労だし、仮に発見しても強力な結界や幻術で外敵の侵入を拒んでいる。
それを発見し突破して秘宝まで強奪するとは、さすがは日本国内最高の地術師の一族と称賛すべきか。
それでも和麻とウィル子には筒抜けである。現場を抑えたわけではないが、盗聴などで計画段階から情報を知り、またクローン作製の研究所に秘宝が到着したのも確認した。
最初から奪われる前に止めろよと妖精達が聞けば怒るかもしれない。あるいは知ってるんなら教えろと言うかもしれないが、和麻にしてみれば知ったことではない。
なんでわざわざ他人のために動かなければならないのか。それに警告しても欲深い人間ならば、どこまでも追うだろう。特に身内を助けようとする人間の執念は凄まじい。
ゆえに和麻は放置した。ついでに言えば、秘宝を取り返した後で妖精達に吹っかけてやろうかとも考えていたのはここだけの話である。
「つくづく思うけど、あなた達はどうやってそんな情報を手に入れてくるの?」
「企業秘密だ」
紅羽の疑問に和麻は人の悪そうな顔をしながら答える。
実際、和麻はウィル子の能力を自分達以外に教えるつもりはないのだ。それが老師であっても決して教えることはない。
能力が知られるのは、それだけでリスクなのだ。和麻が風術師であると言う情報は知られているので、それを前面に出してウィル子の情報が漏れないようにしている。
「で、クローンが完成したのが約数日前。儀式は年明けの最初の満月の晩だったか?」
「ええ。それは間違いないわ。月の魔力が一番強くなる日に行うわ」
紅羽の行動もそれに合わせて行われる。と言っても力づくで儀式を止めるつもりはない。それは労力の無駄でしかない。
神話級の化け物と戦おうと言うのだ。できる限りの無駄を省き、万全の状態で望みたい。
「あなたが協力してくれれば楽なんだけど」
「俺に誘拐でもしろっていうのか?」
「ええ。真由美とそのクローンを一緒に攫ってくれれば、儀式は遂行できない。魔獣も目覚める。尤もそのまま目覚めさせる気はないわ。そんなことすれば完全な状態の魔獣を相手にしなければならない」
紅羽の計画では、魔獣が出てくる際に少しでもその力を弱めるために本来の石蕗の儀式に手を加え、魔獣の力を拡散させようと考えた。
それに以前に聞いた老師の考察が正しければ、復活した魔獣はどこまでも強くなる可能性がある。
「ほんと、老師が前に魔獣を見ててくれて助かったな。成長、いや、適応進化か。大地の気を無限に取り込んで外敵にあわせて進化する。どこぞのゲームのボスかってんだ。ついでに龍脈を通っての移動も可能とか」
三百年前に魔獣との戦いを観戦していた老師が、そう言えばこんなことしてたなと何気なしに言っていた敵の能力。
聞かされる方は、またはこれから戦おうと思っている人間にとっては、まさに悪夢のような話である。
だからこそ、紅羽は修行をこなしつつも、時間があれば魔獣への対策を同時に練っていた。情報さえあれば策を弄することができる。情報こそがすべてを制する武器。
もし知らなければ、いくら紅羽が力をつけたところで、それこそ和麻が力を貸そうとも倒すことは難しかっただろう。
だが人間と言うのは強大な存在をその知恵で、策略で、あるいは道具で排除し、駆逐し、蹂躙してきた。何の力も持たないただの人間が、この地球上の頂点に立っているのは、生まれ持った力を凌駕する知能を有していたからである。
魔術や仙術と言った異能の力で世界を人間が手に入れたわけではないのだ。
「ええ。知らなかったら、対処はできなかったでしょうね。今の段階でも成功確率は五分五分。いいえ、状況によってはそれ以下……」
紅羽は己の策が完璧であるなどとは思っていない。それどころか、これに力を割けば、おそらく魔獣と戦う力は通常時の半分にも満たないであろう。
「結界用、地脈操作用の専用宝貝か。急ごしらえで作った簡易用だったか」
「そうよ。老師に手伝ってもらったとは言え、完成度は高くはない。一度使えば壊れてしまう上に使用時間も極端に短い。さらには魔獣相手にどこまで通用するか」
「まっ、がんばれ」
ヒラヒラと手を振りながら言う和麻に紅羽は苦笑する。
「ええ、そうさせてもらうわ。ところでそっちの準備は?」
「こっちも終わってる。人員の方も手配済み。俺も半年も準備してたんだ。こっちも失敗してもらっても困る。少なくとも俺は日本がどうなってもいいが、日本の俺の資産が何の価値もなくなるのは困る」
「どこまでも利己的なのね、あなたは」
「人間なんてそんなものだろ。とにかく、お前が行動を起こして魔獣が復活したら、お前を援護する手はずは整えてある。相手にはあくまでお前が儀式を邪魔するのではなく、魔獣が復活する可能性があるってだけ話してある」
「助かるわ。さすがに私が儀式を邪魔するなんてことになれば、リスクを考えて私を排除しようと動いてもおかしくはないでしょうからね」
「ああ。俺としてもそれは困る。人間生贄にする儀式なんて聞くだけで虫唾が走る。と言っても、今回はクローンを代役に使うから、失敗する可能性も本来よりも大きいからな」
「さっきあなたが言った通り、つけ入る隙は十分にあるわけね」
紅羽の言葉に和麻は首を縦に振る。
「さてと。じゃあ私は一足先に日本に向かうわ。準備もしないといけないし。あなたは?」
「俺はもう少し後だな。老師と一緒に行くことになるだろう。あの人も見物するらしいから」
「老師もあなたも高みの見物ね」
はぁっとため息をつく紅羽。確かにこれは自分の復讐とは言ったものの、こうも傍観者を決め込まれると少しへこむ。信用されていると思うべきか。
「俺たちはこんなのだからな。まっ、いざとなれば老師が手を貸してくれるだろう。たぶん」
「あなたが、とは言わないのね。それに老師もたぶんって」
「そこは俺だし。老師も気分次第だろうからな」
事も無げに言う和麻にもう紅羽はため息しか出てこない。
「つうわけで安心していって来い」
「今の会話のどこが安心できるのか甚だ疑問だけど、あなたの言うとおりね。これは私の復讐。私自身の手でやらないとね」
紅羽は決意を新たにすると、席を立ち決戦の地へと向かう。
敵は富士の化身。最高クラスの魔獣。それでも紅羽は戦う。自身の運命を捻じ曲げた存在を、人生を滅茶苦茶にした憎むべき相手に復讐するために。
「………さてと。で、ウィル子。こっちの準備は?」
そんな紅羽を見送った後、パソコンへと話しかける和麻。本来なら応える相手などいないはずだが、返事が返ってきた。
『準備は万端なのですよ、マスター』
画面の向こうに映る和麻のパートナーたる電子の精霊であるウィル子。彼女は今の今まで、さまざまな準備を続けてきた。
『追加情報含め、それなりに情報を入手しました。見ますか?』
「ああ。で、石蕗の動きはそれなりか?」
『はいなのですよ。研究所も相変わらず稼働中です。クローンの方は一週間以内には富士山の方へ送られるでしょうね』
「それはどうでもいい。攫うにもこっちにメリットがあんまりないし。で、あっちの方は?」
『そっちも問題ないのですよ。五ヶ月と言う短い時間でしたが、さすがと言うか何というか。まさかウィル子もここまでうまくいくとは思いませんでした』
「お前の能力が反則的なのは知ってたが、俺もそこまでとは思わなかったぞ。あの人も驚いてたぞ。いや、そもそもあの人が反則か」
『そりゃそうなのですよ。ウィル子やマスターでさえ驚いているのに。ですがこれで戦力に関しては問題なさそうですね』
「当然だろ。紅羽の小細工がなけりゃどうかはわからんが、これだけの戦力と小細工をして勝てないじゃ、もうどうにもできないだろ」
和麻はウィル子と会話しつつも、さらにパソコンを操作して今回の作戦をまとめたレポートを見る。
暇つぶしとして始めたことだったが、かなり今回は力を入れて計画を練り、準備に準備を重ねた。
アルマゲストの時以上に念入りに準備した。風牙衆の時のようなことが起こらないように、自分の存在が表に出ないように、それでいて最高クラスの戦力を用意した。
裏で暗躍するのはやはり面白いなと和麻は再確認した。
『それでマスター。ウィル子たちはこれからは高みの見物ですか?』
「基本的にはな。だがイレギュラーがあるかもしれないし、人間がやることだ。こっちが考えてたのとは違う、あるいは考え付かない行動をとる可能性もあるからな。その場合は臨機応変で対応だな」
『了解なのですよ、マスター。ではウィル子は先にアジトを確保し、必要な機材をそろえておきますね』
「ああ。俺も数日中にはそっちに行く。もちろん偽造パスポートでだが」
和麻は自分が日本に帰ったことを誰にも知られないようにするために、わざわざ偽装パスポートを用意し、変装して日本に戻ることにしていたのだ。
これは神凪やほかの敵対勢力に知られないようにするためだ。
「こんな面白い見世物の観戦中に横やりが入ったらむかつくからな」
席を立ち、和麻は老師の下へ向かう。
「老師、紅羽が行きましたよ。俺もまた日本に行きますが……って、何読んでるんですか?」
老師がいつも酒を飲んでいる場所に行くと、酒の入ったひょうたん片手に、老師である霞雷汎が何かを読んでいた。
「ん? ああ、これか。朧の奴から手紙が来てな」
「………師兄からですか」
李朧月の名前が出た瞬間、和麻は露骨に嫌な顔をした。
和麻はここ半年、兄弟子である彼に会っていない。それはありがたかったのだが、どうにも嫌な予感がどんどん強くなっていった。
彼は雷公鞭事件の時に盗みを働いた実行犯を捕まえに日本に行き、宝貝を回収して一度老師の下に戻ってきていた。
ただその直後、また日本に向かったため、和麻とは入れ違いになったのだ。
なんでも日本に向かう理由は気になる子がいるという物だった。これだけ聞けば恋かとも思えたが、あの百年以上生きていて、性格も最悪の人間がそんな感情持つはずがないと言うのが、和麻の正直な感想であった。
同時に、その相手には和麻も同情を禁じ得なかった。
おそらくはその人物はあの性悪の兄弟子に良いように振り回せれていることだろう。
しかし和麻にしてみれば自分に被害が及ばない分には問題ないので、その相手に同情しつつも大いに俺の代わりに犠牲になってくれと思うのだった。
「お前のことも伝えたんだけどな。今は帰ってくる気はないそうだ」
「あの師兄がねぇ。よっぽど面白いおもちゃを見つけたんでしょうね」
「おう。名前が書いてあるな。名前は……神凪煉だと」
老師からその名前を聞いた瞬間、和麻はあまりのことに一瞬、頭の中が真っ白になったという。
「はぁっ!」
「うん。その調子だよ、煉」
どこかの浜辺で二人の少年が戦ってた。
一人は炎を操る少年・神凪煉。
もう一人は道術を操る少年・李朧月。
年齢的には同じくらいだが、朧の年齢は見た目どおりではない。彼はすでに百年を生きる仙人だった。
朧は煉から放たれる攻撃を軽快なステップで回避し続ける。同時に煉は彼に向かい接近戦を仕掛ける。幼いながらもその動きはどこか完成されていた。
ここ半年の修練の成果だろうか。肉体はまだまだ完成されているとは言い難いが、その動きは高いレベルだった。
「やっぱり君は呑み込みがいいよ、煉」
そんな煉の姿をうれしそうに見ながらも、朧は煉の攻撃をさばき続ける。
「もっと気の流れをスムーズにするんだ。以前よりはいいけど、気の動きがまだまだ固い。それだと相手によってはどこに気を集中させているのか、またどんな攻撃を放ってくるのかが丸わかりだよ」
「うっ、まだ駄目かな……」
攻撃を続けながらも、煉は朧と会話を行う。
「ダメと言うほどのものじゃないよ。ただまだまだ改善の余地があるというだけだよ」
にっこりと笑いながら言う朧に煉もありがとうと笑顔で返す。
ここ半年で二人の仲は急速に近くなった。煉の中で朧と言う人物は大切な友人であり、親友になれたらいいなと思えるほどの位置にまでになっていた。
和麻が聞けば即座に二人を引きはがしにかかっただろう。あとは何としても煉にそんな考えを持つことをやめるように説得しただろう。
ついでに言えば、和麻が日本にいれば煉がここまで朧と仲良くなることはなかっただろう。
朧はあの宝貝強奪事件の後、煉と同じ学校に転校してきた。彼としては煉は和麻の弟と言うこともあり、新しいおもちゃを手に入れたと思っていた。
しかし接してみると、どうも煉は和麻とはずいぶんと違っていた。才能と言う点では和麻に劣る。と言うよりも和麻より上の才能がいるなんて考えたくもないほどに彼は異常であった。まあ煉も才能がある方ではあった。あいにくと仙骨はなかったが、気の扱いを覚える速度は早かった。
そして煉の性格とその心。煉の心は純粋だった。純粋でありながらも、母を失い、自分の弱さに絶望し、苦悩していた。それでも純粋な心が闇に染まることはなかった。
そんな彼に朧はさらに興味を持った。また煉は磨けば光る宝石の原石のような輝きも持っていた。
和麻を師である霞雷汎と鍛えた時を思い出す。もっとも和麻は面白い弟弟子ではあったが、煉ほどの感情を抱くことはなかった。それに和麻は霞雷汎が直々に鍛え上げたのだ。自分が一から手塩にかけて育てたわけではない。
つまり何が言いたいかと言うと、煉を自分の手で一から育てようと画策したのだ。
人間としても好ましく、まるで子犬のようになついてくる少年。さらには才能も十分と有れば手塩にかけて育てたくなるという物。
この半年、煉と一緒に行動していて飽きなかった。自分がこのくらいの年の頃には存在しなかった友人と言う存在。
煉は自分の事を本当に大切な友人として接してくる。それが新鮮で、または心地よかった。
それに自分が教えたことをどんどん吸収して強くなっていく。見ていて飽きない。
(ああ、煉。君は最高だよ。どうしてこう、果実が熟していく過程を見るのは心躍るんだろうね)
純粋無垢な心も朧が気に入る大きな要因。つまり今の煉は和麻よりもさらに彼の心をくぎ付けにしていたのだ。
だから老師の下に和麻がいると聞いても、帰ろうとはしなかった。
(それにしても和麻がこのことを知ったらどんな顔をするだろうね)
心の中でくすくすと笑いながら、弟弟子の顔を思い浮かべる。すでに煉から和麻の情報を得ている。半年前の神凪にかかわる事件の顛末と、煉との関係。
あの和麻が煉に自分の連絡先を教えているところを見ると、彼も煉を大切に思っているのがよくわかる。先日書いた老師への手紙を和麻もそろそろ知るころだろう。
(煉に頼んで電話してもらってもよかったけど、やっぱり向こうから連絡させないとね。この僕を退屈にさせたんだ。それくらいの悪戯は許してもらわないと)
和麻への悪戯も半年かけて準備した。自分が今、煉の親友のポジションのいると知ったら、本当に和麻はどんな顔をするか。またはどんな行動を取るか。
(ああ、楽しみだよ、本当に)
「どうしたの、朧君?」
「なんでもないよ、煉。ちょっと楽しみなことがあるだけ」
「そうなの?」
「そうなんだよ」
いぶかしむ煉に朧は笑顔で答える。
和麻から煉の携帯に連絡が入るのは、このあと少ししての事だった。
「乗れ」
「………はい」
とある場所にある研究所。ここは石蕗一族が管理している研究所だった。クローンを作り出す施設。そこの入口の前に一台の黒塗りの車が止まっていた。その周囲には黒服を着た数人の男達と、その中心には十二、三歳くらいの少女の姿があった。
彼女は促されるままに車に乗り込む。これから向かう場所は、彼女の死に場所。生贄の祭壇。
少女の名前はあゆみ。姓は無い。ただ死ぬことを義務付けられ生み出された少女。彼女は約半月後に生贄になりその命を散らす。
もっとも生まれてからまだ二週間もたっていない。なぜなら彼女はある人間のクローンなのだから。基本的な知識や記憶はオリジナルの物を適当に編集して植えつけられている。
これから向かう石蕗の本家にて、あとの二週間を儀式に必要な術などの最終確認や起動のための必要最低限の修練に当てられる。
希望はない。あるのは絶望のみ。それでも少女はそれを受け入れる。受け入れるしかない。
そのために彼女は生まれてきたのだから。
(でも……)
車に乗り、走っているさなか少しだけ外の景色を眺める。できることなら、一つだけ見てみたいものがある。与えられた記憶の中にある光景。自分の目で見てみたいと思う感情。
それが決して叶えられるはずがなく、見ることもできないものであるとわかっていても。
車は山に敷かれた公道を走り続ける。誰も走っていない、石蕗に向かう道。
この時、この車に乗っていた誰もが無事に石蕗の本邸にたどり着くと思っていただろう。
しかし事態は大きく急変する。
数時間後に石蕗本邸・石蕗巌の下に届けられた連絡は、あゆみを乗せた車が何者かの襲撃に合い、谷底に転落。そのまま川に流されたと言う最悪の物だった。
あとがき
遅くなってすいません。リアルが忙しくて。
いいよ始まりました、三巻の物語。
原作とは違うオリジナル展開で進んでいきます。煉とあゆみはどうなるのか。
暗躍する和麻達。石蕗の運命など、できるだけ早く続きをかきたいと思うので。
ではでは。