その名前を聞いた時、和麻は一瞬頭の中が真っ白になった。
(ちょっ、待て。今老師はなんつった? 神凪煉? ああっ? 煉だと?)
同姓同名の奴が珍しく日本にいたんだな、あははと若干現実逃避をしたがすぐに意識を切り替える。
「ちょっとその手紙、貸してもらえますか?」
「ん、ああ。お前宛にも書かれてたからな」
老師から手紙を受け取ると和麻は内容に目を通す。達筆の文字。内容は近況報告と煉に関して書かれたものだった。
以前に宝貝を取り戻す際に偶然知り合い、その後良き友人になった。今は彼を育てていると。
(な、なにやってるんだぁぁぁっ、煉んんんんんっ!)
心の中で盛大に叫び声をあげる和麻。よりにもよってあの兄弟子が一緒など!
煉が大変なことになっている。間違いなく! あの人は好きなものを自分色に染めようとする。性格も最悪で、人が嫌がることが大好きで、他人の不幸は蜜の味と笑って鑑賞する人格破綻者だ。さらには自分が楽しむことには労力を惜しまず、どこまでも手間をかける。
もしこれをウィル子や霞雷汎が聞けば、「いや、それお前(マスター)もだろ(でしょ)」と言っているだろうが。
とにかくこうしてはいられない。一刻の猶予もない。いや、すでに手遅れになっている可能性まである。
(無事でいろよ、煉!)
まるで上級妖魔に襲われているかのようなほどに心配する和麻。実際、和麻の中ではそれと同じ、いや、それ以上の存在だと認識していた。
(とにかく煉に連絡だ)
携帯を取出し、煉の番号を呼び出す。何回かのコールののちに、相手は電話に出た。
『はい、煉です』
「煉か!? 無事か!?」
『兄様? どうしたんですか、そんなに慌てて』
電話の向こうでいきなりの電話で、しかもいつもの和麻らしくない声に、煉は疑問を浮かべていた。
和麻としてみれば、煉があの兄弟子の毒牙にかかっていないか、心配で心配で仕方が無かった。
神凪時代の清涼剤で、今でもあの二人の息子とは思えないほどに真っ直ぐで、純粋な少年が、あの性格最悪の外道でサディストで他人の不幸は蜜の味で、自分が楽しむためならどんな労力も厭わない兄弟子の傍にいるなど、考えただけでも恐ろしい。
いや、それはあんたもでしょうと誰もが口をそろえて言いそうだが、生憎と今は突っ込む人間がここには誰一人いなかった。
「・・・・・・・何とか無事みたいだな」
ふぅっと息を吐く。表情も若干和らぐ。
『煉。どうしたんだい?』
『あっ、朧君。兄様から電話がかかってきたんだよ』
『ああ、和麻さんから。煉、悪いけど代わってもらえないかな?』
と、電話の向こうでなにやら聞き覚えのある声がした。和麻は大量の嫌な汗を額からこぼれさせる。
『そう言えば朧君は兄様の知り合いだったんだよね?』
『そうだよ。前に話したと思うけど、僕の師匠が和麻さんと知り合いなんだ。それで僕自身も和麻さんとは面識があるんだ。久しぶりに和麻さんとお話がしたいな』
などと会話が聞こえる。まさかまさかまさかと和麻は拳を硬く握る。
『ちょっと待ってね。兄様、朧君って知ってますよね? 李朧月。兄様の知り合いですよね。その、話がしたいって』
「・・・・・・・・良く知ってる。俺も話がしたいと思ってた。代わってくれるか?」
『はい。あっ、お話が終わったら僕も兄様とお話がしたいです。兄様が僕にかけてきてくれるなんて久しぶりですし!』
電話の向こうで嬉しそうな声をあげる煉とは対照的に、和麻は心底ブルーだった。
「ああ。わかってる。とにかく代わってくれるか?」
何とか平静を保ち、和麻は目的の相手が電話に出るのを待つ。
『どうもお久しぶりです、和麻さん』
普段は呼び捨てなのにさんとつける辺り、煉には自分の正体を隠していると言うのが理解できた。本音で話すつもりは無いらしい。
この兄弟子は! と憤りを感じているが、下手な事は言えない。
「・・・・・・・どうもお久しぶりです、師兄。出来ればきっちりと話をつけたいので、煉に聞こえないところまで移動していただけますか?」
相手を怒らせないように努める。下手に挑発して煉に手を出されてはたまらない。電話の向こうの相手はこちらが嫌がることをするのが大好きなのだ。
『わかりました。煉。ちょっと師匠に関する話で、煉には聞かせられない話をしないといけなくなったんだ。すまないけど、少しだけ離れて電話をしてもいいかい?』
『えっ? そうなの。うん、わかった。じゃあまた終わったら電話代わって貰える?』
『もちろんだよ。じゃあ少しゴメンよ。・・・・・・・・うん、もういいかな。久しぶりだね、和麻』
煉に断りを入れたあと、朧は場所を移動したようで、口調を元に戻した。
「・・・・・・・・どう言うつもりですか、師兄?」
『何がだい? 詳細は老師への手紙で報告しているはずだけど』
何か問題でもあるのかいと言いたげな朧に、和麻は若干の青筋を浮かべる。
『やれやれ。君は僕が煉に何かしたとでも思っているのかな。だとすると、とんだ言いがかりだ。僕は煉を鍛えてはいるけど、別段、おかしなことはしていない。むしろ好ましく思っているのに』
誤解されているのは辛いなと言う朧だが、和麻はその言葉を一ミリも信用していなかった。
「まさか師兄。俺にしたのと同じようなことを煉にも」
あの天狗になりかけていた当時の和麻を完膚なきまでに、それこそトラウマが出来るほどに痛めつけたことを、発展途上の煉にしてはいないか、そんな不安が頭をよぎる。
『いやいや、君じゃああるまいし、そんなことはしないよ。煉はとても素直でいい子だ。自分の間違いをすぐに認め、自分の力についても天狗にならずにきっちりと理解している。むしろ神凪宗家に生まれて類稀なる才能があるのに、自分には才能がないとまで思っている。愚かしいと言うか、悲しいと言うか。でもそんなところも含めて僕は彼が好きなんだよ』
君と違い、力で叩き潰す必要性は無いよと言う。さらには宝石の原石のように磨けば輝き、さらには自分の言う事を素直に聞いてくれる。鍛え甲斐があると言うものだ。
「洗脳とかしてないでしょうね?」
『本当に失礼だね、和麻。僕が煉にそんな事をする必要があると思っているのかい? 彼は僕の友達なんだ。友達に対してそんなことはしない』
「・・・・・・・友達って言うとあれですか。自意識を奪って自分の言う事を何でも聞く、操り人形みたいにすると言う・・・・・・」
『・・・・・・・君とは直接会ってきっちりと話をしないといけないかな』
どうやら和麻の言葉に朧も若干怒ったようだ。
『とにかく煉は心配要らない。僕が傍についているんだ。命の危険は無いよ』
いや、あんたがいるから本気で心配なんだよ! と和麻は叫びたかった。
『それにそもそもそんなに心配なら、君が傍にいればいいじゃないか。けど聞いた話だと、君は神凪に関わりたくないといって、とっとと海外に出て行ったそうじゃないか』
痛いところをつかれる。確かにその通りだが、朧が煉の傍に居つく羽目になるのだったら、日本にいた方が良かったかと思ってしまう。
『だいたい君も君で目的が終わったんだったら、さっさと戻ってくればいいものを。それが一年以上も音沙汰無し。さらには生きているのかもわからない状況にしてくれるからね』
「戻る?」
『どこにと言うのだったら、僕は割と本気で怒るよ、和麻。せっかく老師の名まで頂いておきながら、情けないと思わないのかい?』
「俗人だった頃の名前をくれたのは『もう帰って来るな』って意味だと思ってましたが?」
『本当に君は何もわかってないな。丁度いい機会だし、老師に聞いてみればいい』
朧は電話の向こうでため息をつきながら、心底残念そうに言葉を紡ぐ。
『大体君は類稀なる才能があるにも関わらず、それをまったく開花させようとしない。僕からしても、君の才能は羨ましいのに』
「師兄に羨まれる才能なんて要りませんけどね、正直」
『うん。君は今、大多数の人間に喧嘩を売ったよ。まあ君は元々そう言う奴だから君らしいと言えば君らしいが。しかし嘆かわしい。老師のかつての名まで頂いておきながら』
「俺はもう帰って来るなって言う意味だと思ったんですがね」
和麻としては名前をもらった時はそう思っていた。それに元々後のことなど考えていなかったし、復讐を終えた後はウィル子とアルマゲストの残党を狩りつつ、それなりに満足のいく生活をしていたから、今更きつい修行をしたいとは思っていなかった。
『まっ、とにかくこうして電話をかけてくるということは老師のところにいると言うことだろう。そのままそこで修行に励むんだね』
「遠慮しておきますよ。大体俺は仙人になるつもりはありませんし、永遠の命にも興味はないですから」
和麻は短く太く生きればそれでいいと考えている。いつまでも生にしがみついてもやることはないだろう。
『まったく。本当にどうしようもないな。僕も煉がいなければ、今すぐにでも君のところに行ってお説教の一つでもしたいところだけど』
俺は出来れば会いたくないと心で和麻は思う。
『とにかく心配なら一度こちらに来るといい。煉もそれを望んでいる。ああ、それとも僕に会いたくないと言う理由でこちらには来ないのかな?』
挑発されていると和麻は思う。くすくすと笑っているのもわかる。この兄弟子は和麻が嫌がることをして、困った顔を見るのが大好きなのだ。
「・・・・・・・・別に師兄を信用していないわけではないですよ。けど師兄」
『ん?』
「本気で煉をどうこうするつもりなら・・・・・・・・俺はあんたの敵になる」
語気を強め、言い放つ。はっきりと敵になると和麻は言い放った。朧にしても、まさかここまではっきりと和麻が言い放つとは思っていなかったのか、電話の向こうで表情を消していた。
だがすぐに作ったような笑顔を浮かべ。
『―――へぇ、ずいぶんと強気に出たものだ。電話越しだからと、君は僕を甘く見てないかな? それともまた増長しているのかな?』
笑っているのではない。嗤っているのがわかる。見た目は子供だが、その存在はそんなものではない。人間を捨て、百を超える年月を行き、力を磨き、人を超えんと志す化物。それが李朧月である。
その彼に喧嘩を売る。それがどういう行為か。どういう意味を持つのか、和麻は身をもって知っている。
だが和麻は別に増長しているつもりは無い。自分が最強だとも、無敵だとも思っていない。
それでも譲れ無いものがある。譲れない信念がある。いつまでも、何も出来ない、無力な存在ではないのだ。
『師兄こそ、いつまでも俺を見くびらないで頂きたい。四年前とは違う。確かに師兄は俺よりもはるかに高みにいる存在で、あなたからすれば俺は弟弟子であり、未熟者であり、半端者かもしれない。けどそれでも、俺は守るために力を手に入れた。二度と失わないように。確かに今、師兄が煉を害すれば、俺は何も出来ないでしょう。けど、覚えて置いてください。その時は、俺があんたを許さない』
一触即発。それがまさに相応しいだろう。
「仮に今、目の前に師兄がいても俺は同じ事を言う。もう一度言います。俺の大切なモノを害するのなら、例えそれがどんな奴でも、老師やあなたであろうとも、俺は容赦しない」
虚勢ではない。口からの出任せではない。
『・・・・・・・なるほど。電話越しとは言え、僕にここまで言えるなんてね。これは次ぎ合う時が楽しみだ』
おそらくは口元を吊り上げ、心底楽しそうに嗤っているであろう朧を想像する和麻。しかし和麻もここで退く訳にはいかない。
「そうですね」
『うん。確かに山を降りた時よりはマシになっているかな。どれだけ成長したのか、本当に楽しみだ』
先ほどまでの剣呑な雰囲気が嘘のように、朧の口調が普段のものへと戻る。
『心配しなくても本当に煉には何もしない。僕の名に懸けて、それでも足りなければ老師の名に懸けて誓おう。さすがにここまでして信用してくれなければ兄弟子としては悲しい限りかな』
「そこは信じますよ、師兄。別に老師の名前を出さなくてもあなたの名前に懸けてくれるのなら」
『そうかい。しかし和麻、話は変わるけど、日本に来る予定はあるんだろ?』
どうして知っていると言いたくなったが、老師経由で富士山の一件の話が行っている可能性はある。
「はい。近々日本に行きますよ。その時は、一度ゆっくり話をするのもいいかもしれませんね」
出来れば会いたくは無かったが、啖呵を切った手前会わないわけには行かないだろう。それにもしかすれば電話の向こうの人物にも、今の自分を見て欲しかったのかもしれない。
老師とは別に、今の自分を作るうえの基盤を作る手助けをしてくれた相手。多分に趣味や遊び心などが入り、決して和麻を思っての行動ではなかったかもしれないが、それでも感謝はしよう。
トラウマも貰ったが、それ以上に得るものも多くあった。
『楽しみにしてるよ、和麻。おっと、そろそろ煉が向こうで痺れを切らしてふてくされているよ。僕としても彼を怒らせたくはないからね』
「煉に泣かれると、洒落になりませんよ」
尤も母を失った事件以降、泣くなんてことはしないであろうが。
『それは怖いね。じゃあ煉に電話を返すとしよう。けど和麻。本当に近いうちに僕の方まできちんと連絡を寄越して会いに来るように』
最後まできっちり釘を刺す。よほど信用されてないのか。いやお互い様だろう。
「わかりましたよ、師兄」
若干、表情を和らげる和麻の耳に、煉の声が聞こえてくる。和麻はどことなく安心しながら、煉の話に耳を傾けるのだった。
「・・・・・・・ふぅむ。中々にマスターの兄弟子は手ごわいようですね」
物陰からちゃっかり覗いていたウィル子は、和麻のあまり見られない姿に驚きつつも、話に出てくる兄弟子のヤバさに身を震わせる。
「まああいつは俺の弟子の中でも特に優秀だからな。だが今の和麻ならいい勝負はするだろうよ。ただしあいつが苦手意識出さなきゃの話だが」
ぐびぐびと酒を飲みながら、その後ろで霞雷汎がウィル子の言葉に答える。いくら動揺していたとしても、和麻ならばウィル子が近くにいればすぐに察知する。
それが出来ないでいるのは、この男が何らかの力を働かせているからだ。
「にひひひ。ウィル子のマスターですから」
「なるほど。しかしお前も面白い奴だな。新しい精霊で、電子世界の住人。俺にはあんまりなじみが無いが、世の中変わるもんだな」
かつて日本にいた時は八百万の神と存在にも多数出会っていたから、ウィル子と言う存在がどのようなモノかも漠然としながらも理解していた。
しかしあの和麻が他人を連れて歩くとは思っていなく、面白い成長をしたなと思っている。
「ちっちっちっ。ウィル子はその程度では終わらないのですよ! いずれは電子世界の神となるのです! そして世界中からアンチウィルスソフトを撲滅して、あんなところやこんな所に別荘を建てて・・・・・・」
楽しい未来を想像するウィル子に、霞雷汎はそうかと言いながら、酒を飲み続ける。彼にしてみればパソコン関係の話などどうでもよく、それで世界が変わればそれに合わせるだけと思っていた。
「神、ねぇ。ある意味仙人と同じように個としての頂点に君臨するって言う意味なら同じなのかもな」
目指す頂や道は違えど、最終的には完成された存在へと至る。そこは同じなのかもしれないと霞雷汎は考える。
「そうですね。しかしうちのマスターはどこまでも人間臭いので、永遠の命になんて興味ないでしょうね」
「割と勿体ないとは思うがな、俺は。あいつ、才能は無駄にあるし、俺クラスにまで来れる可能性はあるぞ」
「いや、これ以上うちのマスターにそんなチート能力が付与されたらどうなるのですか。と言うか、必要ないのでは?」
精霊王と電子の神の雛形と契約を結び、神器虚空閃を持ち、神殺しを達成した男。そこに仙人としても優秀で永遠を生きることが出来るなんて能力まであったら・・・・・・。
「もう完全にバグキャラなのですよ」
ウィル子は呆れながらも、心のどこかで和麻と共に永遠を生きると言うのもいいかもしれないと思った。
人間である和麻とは遠くない未来に別れが来る。仮に神になっていても、ウィル子はいつか一人になってしまう。それはそれで悲しい事だと思ってしまう。
それを和麻に言うつもりは無い。そんなことを言っても一蹴されるだけだろうし、和麻は永遠を生きる意味を見出せず、惰性になるだけだと切って捨てるだろう。
彼の行き方を束縛するつもりはウィル子には無いし、束縛されるような男でもない。だからこそ、ウィル子は和麻と共に生きる今を大切にしようと考える。
和麻は電話をしながら、どこか楽しそうな顔をしている。そんな和麻を見ながら、ウィル子も笑みを浮かべる。
そして二人の姿を横目で見ながら、酒のつまみに持ってきた食べ物をつまみながら、霞雷汎はかすかに笑みを浮かべるのだった。
場所は変わり日本。
平和な(?)やり取りが行われていた和麻達とは裏腹に、大騒ぎをする者達がいた。富士を守護する石蕗一族であった。
それもそのはずだ。彼らにとっての最重要目的である儀式における生贄たる少女が行方不明になったのだ。
この報告を聞いた巌は顔面蒼白となり、直後怒声を張り上げた。
「どういうことだ! 何が起こったと言うのだ!?」
その報告を持ってきた部下に理不尽とはわかりつつも怒鳴り散らす。首座に報告をする石蕗の分家筋の人間にとっては溜まったものではない。
「そ、それが何者かの襲撃を受けた模様。詳細は不明です。車は谷底の川に転落。乗っていた三人のうち、分家の二名は死亡が確認されました」
「そんなことはどうでもいい! アレはどうなった!?」
分家の二人が死亡したとの報告をどうでも言いと言い放つ辺り、一族の長としてはどうかと思われるが、彼にとって見れば分家の二人よりも彼らが連れてくるはずだった存在のほうが必要だったのだ。
「も、目下捜索中ですが、なにぶん河に流されており捜索は困難を極め・・・・・」
「ええいっ!」
はき捨てるように言う。もしこれでアレに何かあれば、巌の計画は水泡に帰す。
「何としても探し出せ! よいか! 儀式までひと月も無いのだ! 何としても、何に変えても見つけ出すのだ!」
もう時間が無い。代わりを用意するなど、もう出来ないのだ。アレを作るために使用した妖精郷の秘宝。アレがなければクローンを儀式に対応する年齢まで成長させる事が出来ない。
それにもしアレを見つけても死んでいた場合・・・・・・・。
「それだけは、それだけは何としても防がなければ」
儀式を正規の生贄を持って遂行する。それはつまり愛すべき娘である真由美を使うと言う事。
(何故だ。何故こんな事に・・・・・・)
しかし巌は最悪の事態をも想定する。もしアレを見つけ出せない場合、アレが死んでいた場合・・・・・・・・。
何か、何か代用品を見つけなければならない。
(もし紅羽がいれば。いや、ダメだ。仮にいても奴は地術師ではない。地術師でない者を生贄にしても効果は無い。何故奴はワシの娘であって地術師ではないのだ!)
その理由を彼が気づく事は無かった。魔獣に魅入られた。いや、取り込まれてしまったということを。仮に知っていても彼にはどうすることも出来なかっただろう。
彼らには神凪のような浄化能力は無い。神凪のような一族に浄化を頼むと言う事も、彼らは決してしないだろう。
理由は単純だ。自らの矜持のため。富士を守護し、魔獣を封じ込める一族の人間が、よりにもよって魔獣に取り込まれかけた。これは恥以外の何物でもない。
もし紅羽が魔獣に魅入られて居ると言う事を巌が知れば、これが外部に出る前に内々で処理しただろう。
「巌様!」
「どうした? 見つかったか!?」
新たに入ってきた部下の姿に巌は期待を込めて聞く。
「い、いえ。それはまだ」
「ではなんだ!?」
「はっ! 紅羽様がお戻りになられました!」
「何!?」
その言葉は、巌を驚かせるには十分であった。
紅羽は和麻と別れた後、日本に戻ってきていた。彼女は自身の目的を遂行させるために、秘密裏に行動する必要があった。
しかし石蕗の膝元である富士で秘密裏に行動する事は中々に難しい。これが師である霞雷汎や規格外の風術師である八神和麻ならば話は別だが、生憎と紅羽はその領域にはまだ到達していない。
隠行や仙術による気配遮断なども一応は鍛えていたが、それでも地術師である石蕗一族の目を欺き続けながら、作業を続けるのは面倒だ。ならば内部から行動する。
確かに先の一件で紅羽を処分しようと動くとは予想される。だが儀式までひと月先に控えた今、そんな事に労力を費やす時間は無いはずだ。
(それに今の私は地術師としての能力を有している)
異能の力は弱まり、本来持っていた地術師としての力が回復している。和麻と同じく仙術をベースにしての地術である。無論、魔獣打倒のために仙術は和麻以上に力を入れた。
それでも分家には負けないだけの力を、あの真由美をも超える力を手に入れたことは間違いない。
(今の私の能力ならば、お父様はわたしを放っておかないはず。クローンと言う道具があるから、すぐに私を生贄にはしないでしょうが、予備として使う可能性は高い。いいえ、安全策を取ってわたしを利用する可能性もある)
もっとも巌はよほどの事がない限り、紅羽を使おうとはしないはずだ。元々は地術師の一族でありながら、異能の力を持って産まれた異端児だ。汚らわしい存在として、彼女を大切な儀式に使うのを躊躇うだろう。
(でも必要と手元において置くでしょうね、保険の意味もかねて。そうなれば動きやすい)
巌は警戒するかもしれないが、そこはお涙頂戴の劇をすでに用意している。妹の真由美を利用する手ではあるが。
(まあいいわ。じゃあ半年振りにお目通りと行きましょうか)
こうして、紅羽は再び石蕗の門をくぐる事になる。
全てに決着をつけるために。自分の人生を滅茶苦茶にした魔獣に復讐するために。
そして過去を清算し、新しい人生を迎えるために。
ここは、どこ・・・・・・。
少女はゆっくりと目を開ける。身体が重い。それに体中びしょ濡れだ。かすかに鼻に何かの匂いが入ってくる。
それが塩の香りであると言うのに気がついたのは、少ししてからである。
「ここは・・・・・・・あれ。わたしは・・・・・・・」
少女は周囲を見渡す。ここがどこなのかわからない。違う。わからないのはそれだけではない。
「あ、れ、わたしは誰?」
生贄にされるはずだった少女―――あゆみは、誰もいない海辺で、小さく呟くのだった。
あとがき
遅くなりましたが、更新を。最近はリアルが忙しい上に、執筆環境も変わって中々筆が進まない・・・・・・。さらに全然三巻の内容に進めない。
まあ次回からはもう少し展開を早くしたいものですね。
煉とあゆみの邂逅も書きたいです。
ではでは、亀更新になりますが、次回もお楽しみに。