紅羽は座敷に通され、静かに父を待っていた。
巌は紅羽の帰還の報を受けた際、何とも言えない表情を浮かべた。
本来なら行方不明だった実の娘が返ってきたのなら、親として喜んで当然なのであろうが、あいにくと巌にはそんな感情は存在なかった。
この時の彼の心境としては、厄介な存在が戻ってきた。それに尽きた。
だが一族の長として顔を合わせないわけにはいかない。正直、こんなことに時間を割くことをしたくはなかった。
今は行方不明になった儀式の生贄を探し出さなければならないと言うのに。
(どこまでわしを悩ませれば気が済むのだ、奴は!)
一族の首座の娘に生まれながら、砂粒ひとつ操ることができなかった無能者。それどころか異形の力を使う忌み子であった。
なまじ力が強かった分、余計に巌は彼女を嫌った。ただ彼女は誰かに認めてもらいたい一心で力を磨いたというのに、それが余計に彼女を孤立させる原因になるというのは皮肉であった。
巌は紅羽を待たせていた部屋の扉を開く。半年ぶりとなる父娘が顔を合わせるのだった。
(ずいぶんと余裕がないわね……)
紅羽はやってきた巌の様子に内心で首をかしげる。確かに儀式まであまり時間がないとはいえ、クローンも作成し、万全に近い体制の準備をしているはずだ。
なのにこの余裕のなさ。何かあったとみるべきか。
(まあいいわ。ここは従順なふりをしましょうか)
内心を隠しながら、紅羽は正座したまま巌に対して深く頭を下げる。
「半年もの間に渡り何の連絡もせず、今さらになって戻ってきたことを深くお詫びいたします。また半年前の依頼の失態につきましても、同時に処罰を受ける所存であります」
深々と頭を下げる。形式として、こう言った事をしなければならないとは面倒だ。
さて向こうはどういった対応をしてくるか……。
「……今さらおめおめとわしの前に顔を出せたものだな、紅羽」
「そのことについては弁明のしようもありません」
不機嫌を隠そうともしない巌の言葉に、紅羽は形だけでも謝罪の言葉を述べる。あの島での被害は聞き及んでいる。数百人からなる犠牲者を出し、島も壊滅的な打撃を受けた。
それはそうだろうと紅羽は思う。
伝説の宝貝である雷公鞭とそれを操る三千年を生きた吸血鬼と、それと互角に戦う化け物のような風術師がぶつかり合ったのだ。
むしろあの程度で済んだのだから僥倖だろう。
紅羽は和麻が契約者であると言うことを知らない。ウィル子の詳細も知らない。
和麻が教えていないからだ。和麻は自らの能力を語らない。師である霞雷汎も同じだ。
彼らは自らの能力が知られると言うことが、実戦においてどれだけ不利であるかと言うことを理解している。
彼らはいくつもの奥の手を持っている。紅羽は彼らの力の一端しか知らない。
「依頼の失敗だけではなく、島にも大きな被害が出ておる」
「失敗に関しては全面的に受け入れますが、島の件に関しては関与することではありません。島の件については石蕗には何の責任問題も発生していないと聞き及んでおりますが」
「ふん。だがお前は石蕗の名に泥を塗った」
「弁明のしようもありません」
不毛な会話。そうとしか言えなかった。少なくとも紅羽はこんな会話をするためにここに戻ったのではない。
「いかような罰も受け入れます。ただ、一つだけ言わせていただければ、大祭が近い今、処分よりもそちらを優先するべきだと愚考しますが」
「大祭を言い訳に処分を見送れと言うのか?」
「いいえ。ただ処分は大祭後にと。何かとお父様もお忙しそうなので」
「………貴様、何を知っておる?」
「……何かあったのですか?」
この時、紅羽の顔に初めて困惑が浮かぶ。彼女の言葉には何の思惑も含まれていなかったのだが、巌はそれを何か深読みしたらしい。
「……まあよい。今は貴様に構っている暇はない。端的に言う。生贄が行方不明となった」
「なっ!?」
巌の言葉に紅羽は驚きを隠せなかった。巌の言う生贄とは真由美のクローンだ。大祭にとって重要なそれが行方不明になったなど、あまりにも不手際と言うしかない。
「ゆえにお前に構っている暇もない。いや、紅羽よ、お前にも捜索には加わってもらうぞ」
巌自身、地術師でもない紅羽が捜索の役に立つとは思えないが、その強さだけは知っている。
もしアレが何者かに奪われているなら、荒事の可能性もある。アレには妖精郷の秘宝も埋め込まれているのだ。
妖精郷の秘宝がらみならば紅羽の戦闘力は役に立つ。巌に次ぐ強さなのだ。使わない手はない。
「働き次第では前回の失敗の罰を軽減してやってもよい」
(あくまで罰は与えるのね。まあいいわ。生贄がいた方が、こちらとしても魔獣の力を抑えやすい。成功しても失敗しても魔獣を倒す算段は考えているから、どちらでもいいけど下手に逆らわない方が立ち回りやすいわね)
そう考え紅羽は分かりましたと答えると、再び頭を下げる。
(地術師としての力も……今は伝えない方がいいわね。一応、力は抑えているからすぐにバレるとは思わないけど、この状況だと私が生贄にされかねない)
しかしこの場合、和麻に一度連絡を入れるべきだろう。彼が力を貸してくれるとは露程も思っていないが、情報は知りたいはずだ。
それに意図せずに何らかのアクションを取ってくれる可能性はある。この半年で、彼の性格は大体つかんでいる。
この情報を渡せば、石蕗に嫌がらせくらいはしそうだ。もしかすればその過程であれを見つけてくれるかもしれない。
(少し、準備を急いだ方がいいわね)
紅羽はそう言うと、己の自室へと急ぎ、今後の事を考え出した。
「あっ? 生贄が行方不明だ?」
紅羽から連絡を受け、和麻はこの時期にアホだろと内心で思った。
『ええ。お父様も相当焦っていたわ。当然でしょうけどね。私も捜索に駆り出されそうよ』
「準備の方はどうするんだ。富士山に仕込みとかもあるだろうが」
『それは心配しないでちょうだい。きっちりとするわ。で、そっちはもう日本?』
「俺達は日本入りしてる。こっちはこっちで色々動いてるが、全部お前次第だぞ」
すでに和麻は日本入りし、拠点を確保していた。いつものホテルではなく、金に物を言わせて購入した、対人、対霊対策を施した要塞と言うべき建物だ。
『ええ。直接でないにしろ、手を貸してくれるのはありがたいわ』
「俺としても人間生贄にする邪教集団は目障りだからな」
電話の向こうで邪教集団と言った和麻に苦笑している紅羽の声が聞こえる。これでもこの国を三百年守ってきた由緒ある一族なのだが。
「知るかよ。確かに富士山を安定させてた功績はでかいだろうが、それ以外の方法を探そうともしない連中だ」
和麻の言うとおりだ。しかしオブラートに包むことをしない男だ。
「俺としては石蕗がつぶれようがどうなろうが、知ったことじゃないからな。富士山さえ噴火せずに魔獣を消滅させれるんだったら、多少くらいは手を貸してやる。主に俺の利益のために」
富士山が噴火し、未曽有の災害に襲われれば、それだけで世界経済に影響が出かねない。世界大恐慌が再び起こる可能性は限りになく高いだろう。
世界有数の資産を持つ和麻にも影響は計り知れない。ウィル子が見せた富士山が噴火した場合の予測被害額はまさに天文学的なものだ。
石蕗への悪感情、自らの利益などを考え、和麻は間接的に紅羽を支援することを決めた。そのための布石はすでに準備している。
「まあ頑張ってくれ。俺は高みの見物をさせてもらう。援護の戦力はそのうち送ってやる」
『期待しているわ。でも勘違いしないで。これは私の復讐。魔獣は私がこの手で討つわ』
「せいぜいがんばってくれ。じゃあ悪いが切るぞ。これから人と会う約束してるんでな」
ピッと和麻は電話を切ると、ポケットの中にしまいこみ、近くの椅子に腰かける。
「はぁ。次から次へと予想外の事が起きるな」
「仕方がありませんよ、マスター。人生そんなものです」
隣でパソコンをするウィル子がいつもの事とにひひと笑う。
「マスターなら簡単に探し出せるんじゃないですか?」
「俺がしないってわかってて聞いてるだろ? 今回は出っ張る気はないぞ。裏でこそこそ暗躍するのが楽しいんじゃねぇか。それに魔獣対策に援軍は用意してある」
「そうですね。この二人なら、戦力としても申し分ないでしょうしね」
「向こうもこっちには貸しがあるんだ。無下にはできないのと、日本の危機なんだから、当然動くしかない」
と、その時、和麻の携帯電話が再び鳴り響いた。ディスプレイに映された名前に和麻はニヤリと口元を歪める。
「お客さんだ、ウィル子」
「はいはい。あの人ですね。その後の経過はどうか、ウィル子としても気になっていたところです」
和麻はウィル子を伴い、建物の外へと出向く。
玄関の先、敷地内の入口には、よく見知った人物が立っていた。
「しばらくだな、和麻」
「ああ。よく来てくれたな、宗主」
「もう宗主はよせ。その地位は退いたのだからな」
「俺の中ではあんたが宗主だよ。まあ立ち話もなんだ。中に入ってくれ」
わざわざ玄関まで出向くあたり、和麻は重悟に一定の敬意を持っている。少なくとも実父である厳馬の百倍は感謝し、尊敬もしている。
それなりに整えられた客間に通された重悟に和麻は茶とお茶菓子を出す。金にものを言わせて取り寄せたものだ。
かつてならいざ知れず、現在ならば神凪の総資産よりも和麻とウィル子が保有する資産の方が上であると断言できる。
「で、調子の方は?」
「中々だ。二人には感謝しておる。まあまだまだ思うようにはいかないがな」
「あとひと月以内には何とかしてくれればそれでいい。こっちとしては今回は神凪の戦力に期待してるんだからな」
「しかし本当に富士の魔獣が復活すると言うのか?」
重悟は和麻からもたらされた情報を確かめるかのように、もう一度口にする。
「ああ。石蕗の令嬢からの情報だ。なんでも生贄にクローンを使うってことになってな。完成度に問題があるってことで、失敗の可能性があるんだとよ」
和麻は紅羽の情報をある程度事実を隠して重悟に伝えていた。その当人が魔獣を復活させ、それを倒そうとしているとは伝えていない。
そんなことを言えば、日本政府が黙ってはいないだろう。どんな手段を持ってしても紅羽を拘束し、最悪は抹殺しようとする。
和麻としてはそれでは面白くない。最終的には魔獣を打ち滅ぼしてもらい、石蕗には痛い目を見てもらわなければならないのだ。
重悟にもこの件は内密にと伝えてある。和麻に多大な借りがある重悟は当然秘密を漏らすことはしない。
もし秘密をばらそうものなら、和麻がどんな報復手段を取ってくるか予想もつかないのだ。
(ただでさえ、今は色々な意味で和麻に頭が上がらないのだからな)
つくづく恐ろしい男になったと重悟は思う。半年前、急に和麻から連絡を受け直接会うことになった。尤も日本ではなく、第三国で秘密裏にだったが。
その際に知らされた石蕗の件。さらには先日の神凪の度重なる不祥事に関しての詳細情報や、それに関する負債をすべて抑えられていた。
借金の肩代わりにはじまり、壊滅した分家の土地、資産、その他もろもろを抑えられていたのだ。さらに死去した頼通やほかの分家のさらなる不正も握られていた。
中にはでっち上げもあったが、神凪を脅す資料としては十分だった。
さらに和麻自身の力。厳馬が単独で敗北したのは記憶に新しい。重悟自身も見た神殺しを行うほどの力。
正直、全盛期の自分でも勝てるかどうかわからない。それが直接戦闘においては、四大最弱と言われた風術師にである。
敵対するだけ無駄と言うことを悟るのに時間はかからなかった。
それに和麻も無理難題を言いつけることはせず、神凪が暴走しない限りは重悟個人には援助を惜しまないと言う約束事も取り付けた。
ならばこちらの理になるように和麻の機嫌を取り、交渉の窓口になるだけの事。
さらにもし魔獣が解き放たれれば、その被害は計り知れず、結果的に自分達にもすり鉢が回ってくる。ならば今のうちに準備を行うだけの事。和麻の協力が得られれば、いかに強力な魔獣でも討伐できる可能性は高い。
そもそも頭のまわる和麻が何の意味もなくこんな情報を持っては来ない。神凪をはめるにしても、もっと別の方法があるだろう。
もっとも和麻としては魔獣と同じくらい、石蕗が目障りに思っているとは重悟も思ってはいなかったが。
「しかし三百年間封印するしかできなかった魔獣を、本当に打ち滅ぼせるのか?」
「難しいとは思うが、不可能じゃないってのが俺の考えだ」
和麻は自分が知り得る情報を重悟に話す。
魔獣の能力。三百年前に師が目にした魔獣の力を。
「なるほど。地脈とつながっている限り、魔獣は無限に適応、成長、あるいは進化すると言う事か」
「そう言う事だ。だから再生し、適応進化する前に最大力でつぶす」
それが和麻の結論だった。最大火力で一撃で仕留める。これならば再生の余地もない。
富士山自身が魔獣と言うのならば、それは手の打ちようがないが、所詮は富士から生まれた膨大なエネルギーの塊が形を作り、一個の破壊の力として顕現した存在だ。
力押しでどうにかならない相手ではない。
さらに逃げられないように富士の地脈を一時的に封鎖、あるいは乱す。
「これは石蕗の令嬢がやってくれるさ」
「だが地術師が地脈の操作など可能なのか?」
「地術師には無理でも、そいつはそれ用の宝貝を持ってる。長時間は無理でも短時間なら可能だろうよ。まっ、死ぬほど力使うだろうけど」
富士一帯の地脈操作なのだ。その膨大な敷地面積をたった一人が操作するなど、短時間でも命を賭けなければ無理だろう。
それは紅羽次第だが、意地でも彼女はやってのけるだろう。この半年、それだけのために彼女は力を磨いたのだから。
あとは儀式の生贄を利用して、魔獣の力を抑えられれば成功確率は格段に上がるのだが、和麻の中ではその線引きが今一つできないでいた。
どうせ先の長くないクローンであり、利用できるのなら利用してやればいい。どうせ赤の他人だ。自分には一切関係ない存在なのだからと言う考えはある。
しかし自らの目的のために人間を生贄にすることを容認するのは、恋人である翠鈴を生贄に捧げたアーウィンと同じでしかないと言う考えも同時に存在した。
どちらかと言うと後者の考えが強いため、和麻はクローンを生贄に捧げると言う事を紅羽には強く言えないでいた。
だからこその神凪の戦力投入でもあった。
攻撃力、破壊力と言う意味では国内において、否、世界中を見ても厳馬と重悟に比肩する存在と言うのは数える程しかいない。和麻を除けば、霞雷汎くらいしか思い浮かばない。
それこそ核兵器クラス、あるいはそれ以上の破壊力、熱量、エネルギーを操る神炎使い。それが二人。二人そろえば東京二十三区くらい軽く消滅させることが可能だろう。
さらに重悟か厳馬が一時的に炎雷覇を綾乃から借り受ければ、もう和麻でさえもどうにもできない。
虚空閃を持ち聖痕を発動させ、全力を発揮しても絶対に勝てないと和麻は断言できる。
このプランは重悟と厳馬が二人いるからこそ可能な作戦なのだ。
「まっ、石蕗の令嬢は自分の力で魔獣を仕留めたいみたいだが、そこは気にせず好きにしてくれ。目的は魔獣の消滅だからな」
「わかっておる。厳馬にもすでに話は通してある。あやつもやる気だ。お前に負け、美雪を失ったのが、よほど堪えたのだろう。かつて以上に貪欲に力を欲している。私もうかうかしてはいられん」
全盛期をすでに過ぎているだろうに、厳馬はさらに力をつけている。それを聞いた和麻は、あれも大概規格外だなと内心呟く。
炎術師と言うか、人間を半ばやめてるだろうと、自分の事は棚上げして和麻は思った。
「まっ、あんたと親父が万全なら、魔獣も何とかなるだろ。あとわかってるとは思うけど、俺は今回は手を貸さないからな」
「ああ。お前にはずいぶんと助けられたのだ。これ以上は望まん。それにこれはある意味ではいい機会だ。魔獣を神凪の力で滅することができれば、少しは神凪の株を上げることも可能だ」
重悟も宗主の地位を退いたとは言え、神凪全体の利益を考えなければならない立場は変わらない。
厳馬、綾乃、煉、燎や雅人をはじめ、宗家、分家とも信用と実績を取り戻す為、粉骨砕身で退魔を行ってはいるが、それでもあれだけの失態を取り戻すのは並大抵ではない。
しかし今回の件が成功すれば、名誉挽回、汚名返上も少しは可能かもしれない。
「頑張ってくれとしか言えないけどな。ああ、綾乃と煉はまだまだ役にだろうから関わらせるなよ。面倒なことになっても困るから」
「心配するな。そこまでの無茶はさせん。と言っても、最近は綾乃も煉も着実に強くなっておる。綾乃はマクドナルド家の娘と切磋琢磨しておるらしいし、煉は大陸から来たお前の友人の道士の少年とともに修行していると聞く。ひいき目かもしれんが、半年前よりも確実に強くなっておる」
マクドナルド家と言う言葉にはあまり何も感じなかったが、煉の件になると心配事が増す。
「それに李朧月君だったか。彼には煉が何度か助けられている。煉も彼に負けじと強くなっておる。単独で吸血鬼も倒したと報告を受けている」
「へぇ……」
内心冷や汗を流しつつ、和麻は動揺を見せないようにする。
自分がいない間に外堀を完全に埋めているのかと戦慄する。
今まで散々理由をつけて会わないでいたが、そろそろ一度本気で兄弟子に会う必要があるかもしれないと心の中で思った。
(あれから何度か電話で煉とは話をしたが、大丈夫だろうなあいつ)
実の弟の事が心配な和麻はいい機会だから、覚悟を決めて兄弟子に会うかと今回ばかりは諦めにも似た決意をした。
「わかった。じゃああとはウィル子に任す。あいつもあんたの体の状態が気になってるみたいだからな」
「すまんな、和麻。ウィル子殿にも感謝せねば。しかし一体何が起きたのか気になるところではあるがな」
「前にも言っただろ、詮索はしないでくれって。まっ、あの時あんたは寝てて全部終わった後に確認しただけだからな。何が起きたのか気になるのも仕方がないが」
「いや、余計な事を言った。私はただただ二人には感謝するしかできない。本当にすまない。ありがとう」
重悟は深々と頭を下げる。和麻はそんな重悟を見ながら、別にかまわないと淡々と答える。
和麻としても十八年間世話になった恩義を返すと同時に、色々と貸しを作っているのだ。ギブ&テイクと考えている。
実際、和麻は自分の手札を大きく見せたつもりはない。重悟が礼を述べている一件も、ウィル子が手段を見つけてきたと言ったに過ぎない。
「じゃああとは任せるぞ、ウィル子」
「はいなのですよ、マスター」
こうして和麻の裏からの暗躍も続く。
しかしこの時、和麻はまだ知らない。
すでに煉がこの一件に深くかかわり始めていたと言うことを。
「大丈夫?」
「はい。そのありがとう」
伊豆諸島の無人島。その島で神凪煉は一人の少女と出会った。この加倉島と呼ばれるこの島は神凪一族が管理している修行場でもあった。
無人島なので、周囲の被害を気にせずに修行ができると言う場所であった。
煉は現在修行のために連休を利用し、この島を訪れていた。ほかにもなぜか李朧月までついてきた。
一人では心配であるとは彼の言である。本来なら、ほかの術者を同行させたいのだが、厳馬はほかの仕事で忙しく、雅人や綾乃も同様だった。
だが煉は強くなりたく、この島への修行を強く希望した。厳馬も重悟も最初は難色を示したが、友人である李朧月も同行するのと、無茶をしないと言うことを条件に一泊二日の期間限定で許可を出した。
和麻がいれば絶対に反対していただろうし、部外者である李朧月を同行させるなど、何を考えているんだと声を張り上げただろう。
しかし李朧月はさすがは年の功と言うのか、煉とともにこの半年、いくつかの事件を解決し、神凪に恩を売り、煉と神凪の信用を得ていた。
主に吸血鬼を倒したり、夢魔を倒したりと色々と。
さらには和麻の知り合いで、彼の事もそれとなく話しさらに信用を得るようにしていた。
煉も和麻に似た雰囲気を持つ少年に友愛を感じ、仲良くなった。彼にしてみても綾乃のような同年代の力を事を知る友人がいなかったため、朧の存在はとても貴重なものだった。
朧は煉の自分に対する信用、あるいは信頼を喜ばしく思いつつ、これでまた和麻で楽しむネタが増えたと二重の意味で喜んでいた。
煉自身も磨けば磨くほど輝く宝石の原石だった。さすがに和麻のような仙術のような才は持ち合わせてはいなかったが、教えたことを素直に聞き、吸収する煉は見ていて実に楽しい物だった。
(うんうん。実に良いいね。青い果実が熟すと言うのは。これで増長すれば叩き潰すところだけど、そんな兆しもない。それはそれで詰まらないけど、これはこれで愛でる楽しみがあるという物だ)
友人としても煉は素直で良い子で、拗ねていないのもまたいい。
(兄弟そろって、僕を楽しませてくれるな~。和麻との再会も楽しみだし。最近は本当に毎日が充実している。やはり人生とはこうでないと)
と最近の朧は上機嫌だった。
それはともかく煉がその少女を発見したのは、夜も遅くだった。砂浜を走っていると、浜辺に少女が流れ着いていたのだ。
驚き、すぐに介抱し、少女をキャンプまで運んだ。
この島には宿泊施設なんて気の利いた施設はない。ゆえにキャンプである。火を起こし、濡れた少女の服を乾かす。と言っても、少女が来ていたのは一枚のワンピースのみであった。
ここに姉である綾乃でもいればよかったのだが、今いるのは煉と朧の二人であった。
少女は煉が持ってきていた毛布に身を包み、炎で暖を取った。
「それで、君は……」
「……ごめんなさい。わからない」
少女は記憶を失っていた。自分がどこの誰であるかもわからない。
「何らかの理由で海に落ちて、ショックで一時的に記憶を失ったのかもしれないね」
冷静に少女の様子を観察して、朧は煉に告げる。
「そんな。でもどんなに早くても明日の朝にしか迎えは来れないし」
ここは無人島であり、ここに来るまでは八丈島から神凪専用の自家用ヘリでしか来れないのだ。連絡をつけたが、八丈島周辺が現在大しけのため離陸できないとのことだ。
「確かに心配だね。でも見たところ、怪我は無いみたいだし、一時的なショックだと思うよ。受け答えは……」
朧はいくつかの質問を少女にする。わからないと答えるだけだが、受け答え自体ははっきりとしている。
「うん。これなら大丈夫だろう。気の流れは……」
気の流れを調べようとした朧は、おやっと内心首をかしげた。彼女の気の流れが普通とは違っていた。
体の中に大きな力を感じる。何かを埋め込まれているかのような、そんな感じだった。
「朧君?」
「ああ、煉。大丈夫。気の流れは安定している。『今』の所は問題ないよ」
若干、今と言う言葉を強調する。今はまだ安定している。しかしそれはかすかな揺らぎを含んでいた。
今はまだ小さくても、気の扱いに長ける道士である朧には時間がたつにつれ、大きくなると確信していた。
(まあ今日、明日にどうにかなるという物でもないだろうしね。それにしても、この子も精霊術師か)
朧は少女が少なくない数の精霊を無意識に従えているのを感じていた。和麻や煉ほど非常識ではないにしても、並みの術者など足元にも及ばない数だ。
(地術師か。それにしてもこれはまた面白いことになりそうだな)
表情に出さずに朧は内心、これから起こりうる事件を想像し、笑みをこぼすのだった。
「これは私の手違いかな。まさかこのような事態が起ころうとは」
ろうそくの明かりだけが映し出される、薄暗い部屋の中で、一人のローブを着た男が鏡を前に小さく呟く。
「石蕗の娘を手に入れるつもりが、ホムンクルスのまがい物とも言うべきものを見つけ、そちらにも欲を出したのがまずかったか」
クローン作製施設から富士に運ばれる車を襲撃したのはこの男――ラーンだった。
最初はただ真由美の身柄を確保しようとした。しかし情報を集めるにつれ、ホムンクルスもどきを石蕗が作っていると聞き、知的好奇心を刺激された。
研究のし甲斐がある。だからこそ欲を出し手に入れようとした。
結果は失敗。
石蕗の術者が有能だったわけではなく、自分のミスだった。車を事故に見せかけ、崖の下に落とし、娘を水を使った転移魔術で手元に飛ばそうとしたが、娘の無意識の抵抗のため、転移が乱れてしまった。
どこに飛んだのか、今何とか探している最中だ。かなり遠くに飛ばされたらしく、追跡の魔術でも少々時間がかかりそうだ。
「だが私の術ならそう遠くないうちに見つけられよう。魔術だけでなく、水術師としての力もあるのだからな」
ほくそ笑むラーン。
それぞれがそれぞれの思惑を胸に、事件は進む。
その結末がどのようなものになるのか、それは未だ、誰も知らない。
あとがき
遅くなりました。と言うよりも今さら? まだ待ってくれている方、いたのかな。
ずいぶんと長い事かかった続き。ソードアートオンラインの方も書かないといけないのに、リアルで色々ありすぎた。
リハビリがてらに、ゆっくり書いていくつもりです。
それでは、次回がいつになるかわかりませんがまた。