異界に存在する神殿はすでに、神殿としての形を保ってはいなかった。
巨大な岩の塊。そう表現するしかない。
だがその岩には血管のように赤い筋が無数に走っている。
魔獣の残滓とラーンの心臓とこの空間に残っていた龍の残滓、そして生贄の少女たるあゆみを取り込み、それは姿を変えていく。
この場にいた煉と朧は何とか脱出を果たした。さらに触手に絡まれていた紅羽と真由美だが、ぎりぎりで紅羽は力を使い迎撃に成功した。
とっさの判断で、朧が作った脱出口に到達し、この場から逃げ出すことに成功したのだ。
さらに異界の空間が歪み、空間自体が消滅する。
ズドンと、巨大な岩の塊が現実世界に放り出された。
山と言うほども大きくはないが、それに近い大きさを持つ巨大な岩。
ドクン、ドクンと脈打つ巨大な岩。
直後、大地が鳴動した。地脈が発光し、目に見える程の活性化を果たし、岩へとエネルギーが流れ込む。
この場合、流れ込むのではなく、岩が取り込んでいると言うのが正しいのかもしれない。
並みの術者どころか一流の術者でも即座に撤退を決意するほどの力が岩よりあふれ出す。
魔獣ほどの力はなくとも、かつて和麻が戦った流也以上の力を有していた。
いや、あるいは虚空閃を持って苦戦した風牙の神やノスフェラトゥに近い力を有していたかもしれない。
膨大な力が一点に集まり、それはさらに活性化していく。
だがそれも徐々に収まっていく。発光現象は消え、地脈から流れるエネルギーも沈静化していく。
しかし変化は終わらない。岩は膨大なエネルギーを取り込み、その体を変化させていく。岩が蠢き、自らの形を変えていく。
変化を終えた姿は巨人だった。
手と足と頭。
体の構成は人間と極端には変わらないが、一つ一つのパーツが大振りであり、角張っている。手足は末端に行けばいくほど太く、拳に至っては頭より大きい。
巨体は五十メートルにも達する、まさに巨人だった。
咆哮が巨人から放たれる。口などないのに、天を貫く巨大な音が周囲へと響き渡る。
それはこの戦いの新たな始まりを告げる宣言だった。
◆
無事に脱出を果たした煉達だったが、煉はあゆみを助けることができなかったことを悔やみ、自らの拳を地面へと叩きつけた。
「くそっ!」
悪態が口から漏れる。朧に何かを言うつもりはなかった。この状況で彼に罵声を浴びせるのは八つ当たり以外の何物でもないことを煉は理解している。
その近くでは何とかぎりぎりで脱出に成功した紅羽が、抱えている真由美を近くに持たれかけさせた後、自らも疲れたように大地に腰を落とす。
「ぎりぎりだったね」
「ええ。何とかとっさに力を制御してあなたの開いた穴に入れたわ。まったく、忌み嫌っていた力のはずなのに、最後の最後に助けられたわ」
朧の言葉に紅羽は若干複雑そうに答えた。
紅羽がしたことはかつて使えていた魔獣の力たる重力制御だった。もっとも魔獣が消えたことで、力の大元を失い、ほとんど使えなくなっていくはずだったが、最後の最後で自分達を助ける役に立つとは何とも皮肉だ。
「でもあの子は助けられなかったわね」
「思うに相手はあの子に狙いを定めていたようだね。理由は分からないけど」
「妖精郷の秘宝にでも反応したのかしらね」
尤も二人にしてみても理由などどうでもいい。問題はまだ魔獣の力を宿した敵が存在していると言うことだ。
二人は同じようにこの世界に出現した敵の方に視線を向ける。完全に変化を終えた巨人の方を。咆哮を上げ、己の存在を誇示する化け物を。
「本来の魔獣よりも弱体化していることは間違いないね。それでもあれは昔話に登場するような強力な化け物だろうけど」
「ええ。まともに戦っても勝ち目はない相手ね」
朧も紅羽も真正面から戦って勝てるとは思えなかった。確かに朧も非常識な力を持っているが、神凪一族のように圧倒的な破壊力を有してはいない。
彼の力はあくまで対人など少数相手に力を発揮する。空間操作もあのような巨大な相手には効果も薄い。
「神凪宗家は、たぶん魔獣との戦いで消耗したからもう戦えないだろうからね。あと使えそうなのは和麻くらいだろうけど、来てるのかな?」
「和麻があれの相手をするとは考えにくいわね。基本、面倒事は嫌いな男だし」
「確かにね。僕の頼みなら聞いてくれるかもしれないけど、いちいちこの程度の事を頼むつもりもないからね」
朧も自己中心的な人間である。困っている人間を助けるとか、この国を守るなど間違っても考えはしないだろう。
「それでもあれを放置するのもどうかな。それに……」
巨人の咆哮を聞いた煉が、おもむろに立ちあがり、巨人を睨んでいる。
「行くのかい、煉?」
背中に声をかける朧に煉は無言で頷く。
「彼女を、あゆみちゃんを助けに行く」
「まだ会って数日も経っていない少女を、君が命を賭けて助ける必要があるのかい? それにあれは今の君であっても苦戦するどころの話ではないよ。あれは神話に名高い富士の魔獣には大きく劣るとはいえ、煉一人ではどうしようもできない相手だ」
朧の言葉にそれでもと煉は言う。
「それでも僕は彼女を、あゆみちゃんを助けたいんだ」
振り返り、まっすぐな目で朧を見る。
「出会った時間なんて関係ない。僕はもう誰も目の前で死なせたくないんだ。死んでほしくないんだ。あんな、母様の時のような思いを、もう僕はしたくないから」
グッと拳を握りしめる。
思い出すのは半年ほど前の事件。
久我透による、神凪一族殺害事件。あの時、煉の目の前で母親は殺された。
何もできないまま、ただ見ていることしかできなかった無力な自分。
もうあんな思いをしたくない。守りたい。助けたい。その一心で強くなった。
だから……
「このままあゆみちゃんを助けられなかったら、僕は絶対に自分を許せなくなる。何のために力をつけたのか。強くなろうとしたのかって……」
思い起こすのは兄との会話。そして父が暴走し、兄が止めた時の会話。
『汝、精霊の加護を受けし者よ。その力は誰がために?』
精霊術師としての戒めの言葉。あるべき姿を規定する最初の制約。
「僕のこの力を大切な人を護るために使う。今使わなくて、いつ使うんだって思うんだ」
決意は固かった。揺るぎない心。十二歳の少年の決意としては、並々ならないものだろう。
朧はそのこと言葉に、ただ微かに笑みを浮かべる。
「そうかい。でももう一度だけ聞いておくよ。仮に助けられたとしても、あの子はそう長くは生きられない。あの魔術師の言うとおり、一か月も生きられれば幸いだ。もしかすればそれ以下かもしれない」
事実を突きつけながら、朧は煉に問いかける。
だが煉はそれでもと言う。
「それでも、だよ。たとえ一か月でも、それ以下でも僕は彼女に生きていて欲しい」
「それは君のエゴでしかない。それに彼女の心は半ば壊れている。あの魔術師の言葉が彼女の心を抉った。このまま死なせてあげた方が幸せかもしれないと僕は思うけど?」
「そんなのダメだ!」
煉は力の限り叫んだ。
「そんなの絶対にボクは認めない! そんなの酷過ぎる。彼女は何も悪くないのに!」
彼女が何をしたと言うんだ。ラーンが告げた言葉は事実ではあるが、彼女の望んだことでもなければ、彼女に何の咎があると言うのだ。
死ぬために生み出され、絶望しながら死んでいく。
こんな事、認められるわけない。
「僕は彼女を、あゆみちゃんを助けたいんだ。このまま死ぬ方がいいなんて、そんなの絶対に認めない。認めるもんか!」
吐き捨てるように煉は叫んだ。
「わかったよ、煉。僕は何も言わない。君の思うとおりにしたらいいさ。ただし残念ながら僕は今回はあまり役に立てないと思う。さすがに僕でもあれが相手では微力にしかならないからね」
「ありがとう。それとごめん。君まで巻き込んで」
「いいさ。僕らは友達だろ? 友達と言うのは迷惑をかけたり、かけられたりするものさ。だから煉が気にすることはない」
朧の言葉に、煉は再びありがとうと感謝を述べる。
もしここに和麻がいたら、実に胡散臭そうな視線を朧に向けていただろう。
「待ちなさい。本当にあれと戦うつもり?」
話を聞いていた紅羽が煉に声をかけた。
「はい」
「勝てると思っているの?」
紅羽は巨人を視線を向けながら、煉に問いかける。
「勝ち負けの問題じゃありません。今僕は、あれと戦わなきゃならないんです」
「確かに本来の魔獣と比べれば格段に力は落ちているでしょうね。でもその能力は未知数。今のあなたでも、まともに戦えば死ぬかもしれないのよ? あなたの決意は立派だけど、死んでしまっては意味はない。あなたのお兄さん、和麻ならこういうはずよ。『死を美化するな。死はすべての終わりだ』ってね」
それは以前に和麻に聞いた言葉だった。中国で修行中の時、珍しく和麻から聞かされた言葉を思い出す。
「兄様をご存じなんですね」
「ええ。それでもあなたは戦うの?」
「はい。僕は以前に兄様にこういわれました。『無理でも無茶でも、何を捨ててでもやるし、やれるもんだ。やるしかないからな。人の十倍、二十倍、それこそ死ぬまでやってみて無理だったらその時諦めろ。途中で諦めるんだったらそれは本気でもなんでもない』って」
僕の場合は強くなるためについてでしたが、と煉は紅羽に言った。
「死ぬまでやって、それでも勝てなければ諦めます」
その言葉に紅羽は思いっきり笑った。
「あ、あははは! 馬鹿ね! 勝てないのなら逃げるのも選択肢でしょうに。退くのも勇気よ。あなたのそれは勇気じゃない。蛮勇、もしくはただのバカよ」
「それでもです。今、戦わなかったら僕はきっと、もう二度と戦えなくなると思います。たとえどれだけ馬鹿なことと言われても……」
笑う紅羽に煉は笑みを浮かべる。そこに悲壮感は一切なかった。ただどこまでも穏やかに、落ち着いていた。
「僕はあゆみちゃんを助けたいんです」
静かだが、どこまでも力強い言葉。どこまでもまっすぐな言葉。
これから死地に赴こうとしているなど、誰も思わないだろう。
紅羽は少しだけ嫉妬している自分がいるのに気が付いた。
真由美にしても、あのあゆみにしても、こうして大切に思ってくれている人がいる。
どうして自分にはそんな人がいないのだろうか……。
(本当に、妬けるわね)
このもやもやした感情を発散させたい。
復讐も中途半端と言うより肩透かしになってしまった。
ならばこの感情をあの化け物にぶつけて発散させてもらおう。
「いいわ。私も協力しましょう。どうせあいつには借りもあるから」
ひとしきり笑った後、紅羽は立ち上がり、パンパンと服についた埃を払う。
「地面に接していたから、少しは回復できたわ。地術師って言うのはこういう時便利よね」
しみじみと感慨深そうに呟く。もし魔獣に魅入られていなければ、自分も地術師として大成しただろうか。
「死ぬまでやって、それでも無理ならあきらめましょうか。ほんと、和麻にしては良い言葉ね。あのやる気のない怠惰な和麻にしては」
「兄様は凄い人ですよ」
「知ってるわ。色々な意味で。ほんと、非常識な奴よ」
思い出してため息が出る。煉は和麻を尊敬し、憧れているようだがあの男の本性を知っているのだろうか。
いや、確かに強さと言う意味では憧れるのも無理はないが、正直底が知れないと言うのは言うまでもない。
「真由美を起こして、さっさと行きましょう。あれが暴れださないうちに」
「はい」
煉と紅羽、そして朧は新たな戦いに向かう。
◆
巨人が一歩動くたびにズドンと大地が揺れる。
この巨人に明確な意思はない。個我は無い。自我もない。
魔獣ほど破壊衝動に特化していると言うわけではない。
これは残り香に過ぎないのだ。
ラーンと言う魔術師の残滓。
魔獣と言う存在の残滓。
龍と言う原初の力の塊の残滓。
その三つが重なり合ってできたキメラでしかない。
その中に一つだけ異色な存在が混じっていた。
昏く、どこまでも深い闇の中にそれはいた。
黒の中の一点の白。
生贄として、死ぬためだけに生み出された少女。
本来は名前もない、誰かの変わりでしかない存在。
それを知らされた時、彼女の心は壊れた。
いや、壊れてはいなかった。
自己防衛本能が働いたのだろう。心を無にすることで、一時的に心が壊れることを逃れた。
しかし自ら再び心を開くことはないだろう。
その意思もなければその意味もないのだから。
自分には何もなかった。
過去も、未来も、名前さえも……。
だからもういい。何もしたくない。何も考えたくない。
ここで死ぬまでいよう。どうせ長くは生きられないのだから。
でも……。
閉じた心の奥で、一つだけ暖かい物が浮かんできた。
これは何だろう。
ぼんやりと浮かぶ一人の少年の姿。顔もはっきりとしない。
誰かもわからない。けど自分はこの人を知っている。
「………れ、ん」
一筋の涙とともに微かに漏れる言葉は、闇の中に虚しく消えるだけだった。
◆
「さて、作戦はどうするの?」
移動を開始した巨人を眺めながら、紅羽は煉に聞く。
「ええと、端っこから燃やそうかと」
確かに炎術師の煉にはそれしかない。さらに言えば今の煉は浄化の炎を指定した対象にだけ向けられるのだ。確かにやり方としては間違っていないだろう。
「それしかないでしょうね。私の力じゃ、あれにダメージを与えられないだろうし」
地術師としてまだ未完成なうえ、魔獣の消滅に伴い、その異能も消えかけているのだ。戦力と言う意味では紅羽は数に入れられない。
「ああ、僕もさすがに広域破壊の宝貝はないね。僕の師なら持っているけど、現時点で僕の手元にないから」
朧は確かに強い。それも虚空閃を持たない和麻と同等かそれに準じるクラス。
しかしあくまで一対一、あるいは複数の相手限定である。さすがにここまで巨大な存在を破壊しつくす破壊力は無い。
雷公鞭や金蛟剪などの一部の宝貝を除き、そんな宝貝は残念ながら存在しない。
それに朧としてはそう言った宝貝は好きではなかったので、手元においてもいない。
(空間系の宝貝ならそれなりにあるけど、あの大きさとなるとね。時間をかけて削るならともかく、回復されたり適応されたら目も当てられないからね)
と言うことで、当初の予定通り、あまり手を出さないことを決め込む。
「あれを一撃で仕留めるのは、確かに無理そうね」
「僕が全力でやっても、父様や宗主みたいなことはできないでしょうし」
「あれはおかしいわよ。いくら何でも非常識すぎるどころか、異常すぎるわ」
融合した魔獣を一撃で葬った神凪宗家の二人。確かに和麻が言うだけのことはあるが、あれは無い。さすがに想像以上ではなく、予想外にもほどがある。
「あの二人はもう今回は当てにできないでしょう」
「はい。だから僕が」
「一人でできるはずないでしょう。何とかあいつの力を削ぐわ。あなたはそこを狙って、全力を叩き込みなさい」
紅羽は呼吸を落ち着かせ、ポケットからある宝貝を取り出す。
「何とかこれだけは取り返せたからよかったわ」
「それは?」
「地脈操作の宝貝よ。一時的に、地脈を操作する。あいつの足元周りの地脈を操作して、氣を取り込めないようにするわ」
それともう一つ……。
「地術師としての力が復活したのなら、こっちも使えるでしょう」
「こっち?」
「三百年前に石蕗の始祖がしたことの真似事よ。七日七晩は無理でも一時的にあいつの力を抑えることはできるはずよ。あいつが地の属性を持っているならね」
「でもそれじゃあ紅羽さんが!」
命を捨てる気でいると思った煉は止めようと声を上げる。
「死ぬ気でやらないと無理だってさっきあなたも言ってたでしょ? それに勘違いしないで。私は死ぬ気はないわ」
復讐さえ終わればどうでもいいと考えていたが、あんな残り香のために死んでやるつもりはない。
「私の事は良いから、あなたはあの化け物を完全に消滅させて、あの子を助けることだけに集中しなさい」
できるならもう少し火力が欲しい所だが、ない物ねだりしてもしょうがない。そう思っていたのだが……。
「にひひひ、面白い話でね。ウィル子も混ぜて欲しいのですよ」
と、いきなり声がした。バッと全員が声の方を見た。
「どうもどうも。お久しぶりと初めまして。ウィル子の登場なのですよ!」
ドーンと効果音が聞こえてきたが、いきなりの登場に紅羽も煉も唖然としている。
「おや、どうかしましたか?」
「……いえ、別に」
色々と突っ込みたいところだが、今はスルーすることに決め込む。
「ところで先ほどの話を詳しく聞かせてもらいたいのですが」
「ええ。ところで和麻は一緒じゃないの?」
いつも行動を共にしている和麻がいないことを疑問に思った紅羽が、ウィル子に聞き返す。
「マスターは現在別のところで待機中です」
と返すが、その理由は言わない。と言うか言えない。
和麻はこの三人が異界から脱出した時点で、その所在を風で確認していた。魔獣の残滓が残っていないかと確認する必要もあったからだ。
結果はまた厄介なものが出てきたと言う状況だが、和麻としてはさらに厄介な問題が発生した。言わずと知れた朧の存在だ。
煉と行動を共にしていると言うのは聞いていたが、まさかここにいるとは予想外。しかも紅羽と一緒に。
状況を確認したいが、出来る限り会いたくない。心の準備も必要だし、ほかにも万が一を考えて準備したい。
「と言うわけで、お前行って来い」
と和麻からありがたい言葉を受けたので、ウィル子がやってきたと言うわけだ。
「で、先ほどの話ですが、助ける云々は何なのですか?」
ウィル子の問いかけに紅羽がこれまであったことなどを話す。ラーンに捕まったことや、龍の存在。煉達のことや生贄の少女であるあゆみの事などを。
「はぁ、なるほど。生贄に使われる少女があの巨人に取り込まれて、それを煉が助けたいと」
「そう言う事。和麻に協力してと言うつもりはないわ。これは私達で何とかするから」
「それで何とかなるんだったら、マスターも何も言わないと思いますが。どうしますか、マスター?」
『まあ好きにすればいいんじゃないか』
と、今度はウィル子が取り出した携帯から和麻の声が流れた。どうやら、今までの会話は全部聞かれていたらしい。
「兄様!」
『よう、久しぶりだな、煉。つうか、そっちはそっちで面倒なことになってたんだな』
「はい。僕はあゆみちゃんを助けたいんです。だから……」
『心配すんな。邪魔はしない。しっかりやれよ』
「はい!」
『ついでだ。猫の手よりもマシだろうから、綾乃も送っとく。役に立つかしらんが』
『誰が役立たずよ! 煉、大丈夫なの!?』
「姉様もいるんですか!? えっ、でもどうして兄様と!?」
この二人が一緒にいるなど、煉も予想していなかったのか驚きの声を上げる。
『親父や宗主の戦いの見学。どーしてもついて来たいって駄々こねたからな。まあ本人もやる気満々だし、火力は多いに越したことはない』
「兄様、姉様、ありがとうございます!」
『煉。言ったからには助けろよ』
「はい!」
和麻の言葉に煉は力強く頷く。電話の向こうで、和麻が苦笑しているのが聞こえた。
『あいつの能力は未知数だが、魔獣と同じ対応で良いだろう。ちなみに宗主と親父はリタイヤだ。紅羽もそのつもりだろ?』
「ええ。心配しないで。うまくやるわ」
「ああ、僕も協力しますよ。友人である煉を助けるのは当然ですからね。それとお久しぶりです、和麻さん。以前にお電話して以来ですか。またこうして電話でのお話ですね」
朧も若干の嫌味を言いながら、協力を申し出る。最後にいつまで電話で済ませるのかと嫌味を言ってきている。
要約すれば、さっさと会いに来いと言う事だろう。
電話の向こうで和麻は冷や汗をかく。
『……そうだな。協力はわかった』
あまり会話したくないのと二人の関係を悟られたくないので、短く返事をする。
さらに電話越しだが朧はこの件が終わったら、わかっているね? と無言で言っているのが手に取るように和麻にはわかった。
そろそろ会わないわけにはいかないなと覚悟を決める。今までは老師の手伝いやら紅羽の件などでのらりくらりと逃げ回っていたが、そろそろ潮時だろう。
『全部終わったら合流する。それまで死ぬなよ、煉』
「はい! あゆみちゃんを助けて、みんなで兄様に報告に行きます!」
『いい子だ。ウィル子、そっちのフォローは任せる。こっちはこっちでうまくやる』
「わかりました、マスター。連絡は常に取り合いましょう」
『ああ。じゃあ一度切るぞ』
電話が切れると、全員がさらに気を引き締めた。
「さてさて。当初とずいぶんと予定が狂いましたが、大まかにはやることは変わりません。敵の対象が魔獣からあの巨人に、戦力が神凪重悟と神凪厳馬から煉と綾乃に変わったくらいでしょう」
ウィル子の説明に紅羽は戦力としては大幅ダウンねと心の中で呟く。
正直、あの神凪最強の二人の力を見せつけられた後では、どんな術者でも霞んで見えるだろう。
それともまさか煉と綾乃の次世代組もあれほどに強いのかと考えてしまうが、さすがにそれは無いだろう。
どれだけ楽観的に見ても、魔獣に取り込まれていた時の自分と互角か、それよりも上程度だろう。
いや、先ほどの煉の戦いを見れば、もう少し上かもしれない。
「あの巨人の能力は未知数。魔獣のような再生、適応進化能力が存在するのか、また本来の強さなども不明ですね。これは先に威力偵察をした方がいいでしょうが」
「威力偵察ってどうするんですか?」
「生贄の少女の救出が目的の一つになっているのであまり無茶はできませんので、こうやります」
ぽちっとなとウィル子が言いながら、懐から取り出したスマホの画面をタッチする。するとどこからか何か音が聞こえた。それはだんだんと大きくなり近づいてくる。
「あ、あれって!?」
彼らの頭上を何かが高速で通り過ぎる。それはミサイルだった。
「み、ミサイル!?」
「威力偵察の一発で、そこまで火力は大きくないです。制限がなければ波状攻撃を仕掛けるところなのですが」
煉の驚きにウィル子が答える。紅羽もその言葉に驚きを隠せないでいる。
ミサイルは巨人の頭部に直撃する。爆発が起こり、顔面が大きくえぐられる。
「データ収集中……。通常兵器でもそれなりにダメージは与えられますね。ええと、回復速度はあまり早くはなさそうですね。第二射で敵の能力もある程度判明するでしょう。では第二射。次は波状攻撃と本命一発!」
さらにボタンを押すと、さらに巨人に対して数発のミサイルが放たれる。自衛隊の協力ももちろん取り付けている。と言っても、こっちが勝手に動かしているのだが。
あとあと問題になるかもしれないが、ウィル子達としては知ったことではない。
第二射の目的は攻撃手段の有無と、適応進化の有無。
正面からの攻撃なので、一撃目を学習しているなら追撃を行うだろう。その次は和麻の能力で光学迷彩で姿を隠したミサイルを再び顔に叩き込む。
富士の魔獣は重力波砲などと言うSFのような攻撃を行ってきた。そのような攻撃手段があるのか、はたまたそれ以上に厄介な攻撃があるのかを確かめつつ、再生した個所はどれくらいの強度があるのかを調べる目的だった。
「ウィル子さんって一体……」
「にひひひ。ウィル子はウィル子なのですよ。まあ企業秘密と言うことで」
引き攣った顔をする煉にウィル子はいつもの笑みを浮かべながら答える。
「さあ、さっさとあれを退治するのですよ」
こうして戦いの第二幕が、否、終幕が幕を上げる。
◆
同じころ、自衛隊のヘリの中で和麻も送られてきたデータを眺めながら検証をしていた。
自らの手を汚さずに労力もあまりかからないこの方法は、和麻としても実に好みのやり方だった。
さらに風による情報収集も行えば、さらに制度が上がる。
(あのミサイルの威力から推測すれば、現時点でのあいつの強度はそこまで強くない。適応進化も第二射、第三射次第。迎撃手段の有無も同時に確認できるしな)
情報収集こそ戦いの基本。あんな化け物を相手にするのに、何の前準備も情報もなく戦うなど御免こうむる。
さらに言えばこちらの最強戦力である神凪重悟と神凪厳馬は、すでに使い物にならないのだから。
(宗主や親父がまだ戦えりゃ、面倒も少ないんだけどな。いや、それはそれで怖いけど)
あの化け物を消滅させた後で、さらに余力があるなど考えただけでも恐ろしい。今二人は力を出し切った影響で深い眠りについている。ひと眠りした後なら、それなりに回復もするだろうが、本調子には程遠い。
完全回復には最低でも二、三日はかかるだろう。それでは今回の戦いには間に合わない。
「と言うわけだ。猫の手でも少しは役に立ってみろ」
「大きなお世話よ!」
パソコンを眺める視線を外し、横を見る。和麻の言葉を受けて、怒りを露わにする綾乃がいるが、その姿に和麻はさらに嫌味な笑みを浮かべる。
「な、何よ」
「いやいや、別に。緊張でもしてるのかと思ってな」
「う、うるさいわね!」
綾乃自身、緊張していないわけではなかった。重悟と厳馬の二人の力を目の当たりにして、自分の未熟さに萎縮していた。さらに手元には炎雷覇もない。
「別にやめてもいいぞ、綾乃。ぶっちゃけ、今のお前じゃ足手まといだろうからな」
「なっ! 確かにお父様や叔父様に比べたら未熟も良い所だし、炎雷覇もないけどそれでも煉以上には強いわよ」
「いいや、弱いね」
綾乃の言葉を和麻がバッサリと切り捨てる。
「お前、あの二人に勝てないって心のどっかで思ってんだろ?」
「っ…」
和麻の言葉に綾乃は黙りこんだ。
「そりゃあれは規格外だ。あれに勝てるとか思う奴は俺でも正気を疑う。だがお前はそれ以前だ。今、お前自分の事も信じてないだろ?」
「どういう意味よ」
「そのままの意味だ。見てりゃわかる。自分に自信が持てなくなってる。そんな精神状態で扱えるほど精霊魔術は簡単じゃない」
淡々と和麻は綾乃に言う。
「精霊魔術で一番必要な物は意思だ。何事にも動じず流されない屈強な意思。迷いを持った状態での術の行使なんざ、たかが知れてるし、威力も大幅に減退する。それはお前も理解してるはずだ」
「それは……」
「その点、煉は違う。電話越しだがあいつに迷いはない。あれに取り込まれている奴を助けるって強い意志があった。対してお前はどうだ?」
反論できない。今の綾乃には煉ほどの明確な目的は無いのだから。
「その差はでかい。技術も、才能も、現時点での経験も、意思の強さで覆る可能性がある。そんなことほとんど起こらないが神凪の場合、可能性は低くない」
そう。綾乃の場合も同じだ。なぜなら、火事場の馬鹿力だろうが、彼女は半年前、炎雷覇を持っていたとは言え、未熟ながらも神炎を使ったのだから。
「それってあたしも?」
「いい意味でも悪い意味でもその可能性はある。けどな誰かに言われたからとか、義務だとか、そんな理由で戦うなら戦わない方がマシだ。そんな理由なんぞ、大した強さへの支えにもならん。お前が戦う理由はなんだ、綾乃?」
「あたしが戦う理由?」
「それが無けりゃ、お前は一生強くなれない。いや、ある程度で伸び悩む。今回戦いに行っても死ぬだけだ」
はっきりと述べられる和麻の言葉に綾乃はうつむき、思考を巡らせる。
自分が戦う理由は何だろう。
強くなりたいと思った理由は何だろう。
神凪宗家に生まれたから? 神凪宗主たる重悟の娘だから? 神凪次期宗主だから?
強くなりたいのは父に憧れたから? 神凪一族だから? 次期宗主になるため?
「悩んでるんだったらやめとけ。猫の手でも借りようとは思ったが、役に立たない足手まといはいらない。邪魔になるだけだ」
不意に和麻の横顔を見る。こちらを見た和麻と目があった。和麻の瞳が綾乃の瞳を射抜く。
気恥ずかしいと思う前に和麻の目が、お前はどうなんだと語りかけているような気がする。
ここで立ち止まるのか、先へ進むのか。
どこか俺を失望させるなと言っているような気がした。綾乃はそれをただの勘違い、思い過ごし、過剰な期待と思わなくもなかったが、なぜかこの男に失望されるのが嫌だった。
父でも叔父でもない。この男だけには……。
四年前は全く意識していなかった。路傍の石程度だった存在。
それ綾乃の中でのが神凪和麻と言う存在。
だが今はそれが逆になった。
それが怖くなった。
初めての経験だったのかもしれない。神凪宗家に生まれ、炎術師としての才能に恵まれ、誰からもチヤホヤされ、もてはやされ、期待され、その力に憧れられ……。
しかしこの男、八神和麻だけは違う。
自分をそんな目で見ない。逆に役立たずだと、弱いと言う。
確かにそうだ。この男の前では自分の力など高が知れている。言われることは何一つ反論できない。
だからこそ悔しかった。腹立たしかった。
和麻にではない。そう思われる自分自身に。
視線をずらさずに、グッと両方の拳に力を込める。
戦う理由や強くなる目的。確かに今の今まで明確な意味を見いだせなかった。
だが今は違う。ただ一つ、この男に自分認めさせたい。
「猫の手? ふざけんじゃないわよ。あんなの京都で戦った風牙衆の神よりも格下でしょ? 今度こそ、あたし一人でも倒してやるわよ」
「相変わらず威勢だけはいいな、お前」
「今度こそ、言葉だけじゃないってことを証明してやるわよ」
視線を外し正面を向きながら、息を整える。その姿に和麻は微かに笑みを浮かべる。
「まあ頑張れ。ああ、あとこいつを持って行け」
「えっ? って!?」
「丸腰じゃ心もとないだろ? それなりの剣だ。感謝して使えよ」
何処からいつの間に取り出したのやら、和麻の手には一振りのむき出しの剣が握られていた。
「これって……破邪の剣?」
破邪の剣とは魔を絶ち、魔を祓う呪法具としてはかなりの部類になる武器である。
ただし、これは世界に一品しかないと言うほどの物ではなく、悪く言えば量産された武器である。その性能は作成した製作者により大幅な差がある。
しかしこの剣は宿る力も何もかもが最高級クラスである。綾乃でさえ、その力を感じることができる。
炎雷覇を継承する前は、何度か重悟によりあてがわれたことがあるが、神凪においてもこれほどの力を持つ物は早々お目にかかれない。
手に取ると普段使いなれた炎雷覇並みに手になじんだ。自分の氣がスムーズに刀身に伝わるのを感じられた。
「そうだ。ただしそいつは一品ものだ。剣自体の素材も含めてな」
「これって刀身に何使ってるの?」
「そいつは秘密だ。けどそいつ以上の破邪の剣は存在しないのは間違いない」
なぜなら、これは手に入れた破邪の剣をウィル子が訓練がてらに弄った魔改造した破邪の剣なのだ。
刀身は言わずと知れたオリハルコン。性能も術者の氣を通しやすくするように調整されており、制作過程で霊峰にて安置し、その神秘性を増幅させている。
以前に作り出した最高傑作の偽の虚空閃には劣るものの、世界でも類を見ないほどの性能を持つ神造呪法具であった。
「ちゃんと後で返せよ。ちなみに紛失あるいは破損させた場合、損害賠償を請求するからな」
「いちいちせこいわね、あんた」
じと目で見る綾乃だが、和麻はなんのその。
「そいつも貸してやるんだ。しっかり働け。つうかちっとは活躍して来い」
「言われるまでもないわよ。見てなさい。この半年であたしも成長したって言うのを見せてやるんだから!」
息巻く綾乃に、まあそこそこには役に立つだろうと思いながら、視線をパソコンに戻る。
(さあ、そろそろこの面倒事も終わらせようか、富士の魔獣の残り香。このあと、メインディッシュもあるんでな)
これからの事を考えながら、和麻は笑みを浮かべるのだった。