「温泉のチケット?」
その日、八神和麻は恩人であり、数少ない自身の理解者である神凪重悟から差し出される二枚のチケットを受け取り、若干警戒しながら聞き返す。
「うむ。最近はやりの丸投げ温泉と言う所のチケットだ」
現在、和麻は重悟と一緒にとある料亭で会食を行っていた。これで数回目となる食事だが、今回は和麻の方から誘った。
重悟の快気祝いもかねて、この料亭で重悟を持て成した。本当なら煉も呼んでやりたかったが、生憎と都合がつかなかった。
「で、なんでこれを俺に? 綾乃にでも渡せばいいだろうに」
「そうですね。わざわざマスターがもらう理由もないですし、温泉ならウィル子達には別荘も含めて、それなりの所に行けますからね」
和麻の隣で食べていたウィル子が重悟の方を向きながら答える。ぶっちゃけ、あまり自分達には必要もないものだ。
「いや、綾乃達の分はすでに渡してある。そこのオーナーとは古い友人でな。全部で十枚ほど一番いい部屋での宿泊券を貰ったから、日ごろの事もあり和麻にもと思って持ってきたのだ」
と重悟は説明する。
「綾乃は友人と行くそうだ。あとは煉とあゆみと燎と美琴と厳馬だ」
「親父にもかよ」
げんなりとしながら、和麻は言うと重悟は苦笑するばかりだ。
「あ奴も最近は働きづめだから、少しは骨休めをしろと言ったのだ。富士山の一件以降、おかげさまでと言うわけではないが、かなりの依頼を受けられるようになった。お前には感謝している」
そう言って頭を下げる重悟に今度は和麻が苦笑する。
「いや、今回はあんたらの活躍が無かったら、かなり面倒なことになっていただろうからな。俺としては別にかまわないぜ。それにしても、結局炎雷覇はあんたがしばらく持つんだな」
和麻の問いかけに重悟はうむと頷く。
富士での戦いののち、重悟は綾乃から一時的に返還された炎雷覇を、そのまま持ち続けることになった。
これにはいくつかの理由がある。
一つ目は神凪の力のアピールだ。重悟世代の術者達は炎雷覇を持った重悟の力を嫌と言うほど知っている。だからこそ、現役に復帰した重悟が炎雷覇を持つ意味は大きかった。
神凪のかつての栄光の象徴と神凪の復活と言う二つを大々的に世間にアピールでき、その効果は甚大だった。
富士山の魔獣を重悟と厳馬の二人で倒したと言う話は、瞬く間に裏社会に広まった。
その結果、今まで以上に神凪にケンカを売るのはヤバいと、大多数の術者達に思わせることに成功した。
実際に重悟と厳馬の二人に手を出すのは和麻でもしたくなかった。何でもありの戦いならば、勝算がまったくないわけではなかったが、まともに戦えば勝率は限りなくゼロと言うよりも、まったくないと言う相手だ。
和麻でそれなのだから、大多数の術者からみれば、同じ人間ではなく超越者に見えなくもない。
神凪一族と敵対すれば、もれなく神凪重悟と神凪厳馬が敵となる。直系に手を出そうものならばどうなるか、考えたくもない。
だからこそ、神凪は一族全体の安全を確保できるとともに、綾乃や煉、ひいてはあゆみの個人の安全まで確保できる状況を生み出した。
綾乃が炎雷覇を再び継承したとしても、この効果は得られなかっただろう。
二つ目は綾乃のレベルアップのためである。
炎雷覇と言う強力な神器を早期に継承したため、綾乃は力押しや、炎雷覇に依存した戦い方に傾いてしまった。己の力量に見合わぬ武器は、結果的に自らの成長を阻害してしまっていた。
綾乃には十分に才能がある。それは和麻も認めるところだ。しかし炎雷覇と言う武器を十二歳の若さで継承してしまったがため、彼女は自分自身の地力を高める努力を怠ってしまった。
当たり前だ。自分の力を何倍にも高められる神器を持ち、さらにもともとその力自身も他者から見れば異常と言うほどの力を有していたのだ。
ならば並大抵の相手では敵にすらならず、苦戦も死闘もすることなどなかった。
たまに危ないと思うこともあったり、苦戦することもあるが、ほとんどの相手は一撃で決着がつく。さらに全力を出すことすらしないで済む。それのどこに成長の余地があろうか。
例を挙げればゲーム初心者が、最初から最強装備を手に入れてゲームを攻略するようなものだ。
技能や戦略、戦術など磨く必要はない。ただの力押しですべてが解決するのだから。
考えてみればわかる。自転車に乗って早く走れる人間が、普通に二本の足で走って早く走ろうとする努力をするだろうか。
綾乃は炎雷覇と言う自転車を手に入れ、早く走れるといい気になっていたに過ぎない。
意識の問題もあり、炎雷覇と言う神器は、綾乃自身の成長を遅らせることはあっても、早める要因にはなりえなかったのだ。
綾乃自身も努力はしていただろうが、それでも和麻から見ればそれは適当な努力にしか見えなかった。
綾乃は今回の一件で、自分の未熟さを再認識した。同じ炎雷覇を使った重悟の足元にも及ばないと理解した。
だからこそ、自らの力を磨こうと努力することをさらに強く決意した。ゆえに炎雷覇を綾乃に再び預けると言う重悟の案を自ら断ったのだ。
「綾乃も煉に触発されてな。対象だけを燃やす高位の術を身に着けのだと早やっておる」
「あいつにはしばらく無理だろ。そんなのを覚える暇があるんだったら剣技と炎の制御を覚えた方がいい。制御が完璧にできてからだろ、その技術は。煉の場合は例外つうか、順番が逆だったからな。愛の力か」
そう言って笑う和麻に重悟もそうだなと言って笑みを浮かべる。
「とにかく、お前のおかげで綾乃も煉も燎も、神凪宗家の次世代は順調に成長しておる」
「俺は何もしてねぇけどな」
「まあそう言う事にしておこう」
和麻はこう言っているが、重悟は和麻が煉や綾乃に大きく影響を与えていることを知っている。それに合わせて燎も成長している。
和麻の事を憎む神凪の人間は多いが、和麻が日本に戻ってきたからこそ、神凪にもたらされた物もあると重悟は考える。
まあ色々ありすぎて、神凪としては複雑であるのは仕方がない。
一族の大勢が死に、分家の二つは壊滅、一度は社会的にも消えかけたのだ。自業自得の所は多いのだが、和麻の神凪における功罪はある意味帳消しと言ったところだろうか。
和麻自身はそんなことどうでもよかったし、重悟としては和麻には頭が上がらないと言う気持ちだった。
もし和麻が日本に帰ってこなければ、神凪一族は滅亡していたかもしれないのだから。
それがわかるだけに重悟は苦笑いするしかない。
「で、話は戻すが、こいつは一応貰っとく。宿泊券もついてるからな。暇つぶしにはなるだろうし」
受け取ったチケットをヒラヒラと振りながら、答える和麻。
面倒事に巻き込まれる可能性も無きにしも非ずだが、今さらだなと和麻は思う。日本に帰ってきてから、否、それ以前から和麻は様々な騒動に巻き込まれている。
日本に帰ってきてからはその頻度と内容がかなり濃かったが、それでも色々と得をした部分はあるので、和麻としても考え物である。
「うむ。そうしてくれ。しばらくの間は日本におるのだろ?」
「まあな」
酒を煽りつつ、和麻は短く答える。富士の事件のあと、紅羽とともに師である霞雷汎には報告に行っている。
紅羽はしばらく向こうで療養と修行を行うと言い、一人残った。和麻は一応義理と義務は果たしたと師に許可をもらい、しばらく日本に滞在することにした。これは彼の兄弟子である李朧月のせいもあるのだが。
(師兄がいるのが何ともな)
彼は数少ない和麻の天敵である。アーウィンのように殺して終わりではないところがなお厄介だ。
戦えば自身が勝つと和麻は思っているし、事実そうだろう。
しかしながら、それは最終的に勝てるが負けたも同然の被害も被る可能性があるのだ。
和麻自身認めたくはないが、煉曰く、兄と似ていると言う朧は、相手が嫌がることが大好きな男である。和麻と同じように手段を選ばず、相手が嫌がることを徹底的にやるだろう。
まともに敵対すれば、和麻が嫌がることを間接的、直接的に面白おかしく実行するだろう。その被害はピクシー以上のものだろう。
だからこそ、出来る限り敵対しない。和麻の逆鱗に触れればその限りではないが、朧もそれを理解しているのか、ぎりぎりのところを見極めて行動しているのだから、さらに性質が悪い。
「とにかく俺もゆっくりするさ。日本に帰ってきてから、厄介ごとが多かったからな。しばらくは国内旅行でも楽しむさ」
「そうだな。お前もずいぶん色々と背負いこんでおるのだ。少しくらい羽根を伸ばせ」
「ああ」
(いや、マスターの場合、結構羽根を伸ばしていると思いますが)
重悟の言葉にウィル子は心の中で突っ込みを入れるのだった。
◆
「で、なんでこうなる?」
「にははは。やっぱりマスターは日ごろの行いが悪いですね」
「毎回一言多い」
トンとウィル子の頭にチョップをかます。
温泉のチケットを貰って一週間ほどした平日の午後、和麻はウィル子とともに丸投げ温泉にいた。
和麻ではなくウィル子に連絡を入れさせ、色々と偽装して丸投げ温泉に向かったのだが、なぜかそこに綾乃達がいたのだ。
「か、和麻!?」
和麻を見た綾乃の第一声がそれだった。
「お前はあれか? 俺のストーカーか? なんで俺の行く先々にいる?」
げんなりとしながら呟く和麻。しかも大所帯。よく見れば煉にあゆみもいるではないか。それだけではない。神凪燎に風巻美琴もいる。
「つうか、お前は学校はどうした。今日は平日で長期休暇でもないだろうが」
「仕事の関係よ。この近くで急ぎの依頼があったの。ついでにその依頼主はうちの学校の理事長。だからそのついでに来たの」
「だったらなんで神凪宗家の次世代が勢ぞろいなんだよ。お前だけで事足りなかったのかよ」
綾乃の言葉にどこか呆れながら言う和麻に、綾乃もどこか疲れたような顔をしている。
「そうしたいのは山々だったと言うか、こっちも色々あって……」
「こんにちは。もしかして噂の八神和麻さんですか?」
綾乃が何か言おうとするとその横から、綾乃と同い年くらいの少女が声をかけてきた。
「どんな噂か知らんが、お前、誰だ?」
「綾乃ちゃんの親友の篠宮由香里でーす。よろしくお願いしますね、和麻さん♪」
えらくフレンドリーに声をかけてきた。しかもいきなり下の名前だ。
「いきなりえらくフレンドリーだな」
「そうですか? 嫌でしたら、八神さんって呼びますけど」
「別に好きにすればいいが……ふむ、篠宮由香里、ね」
「言っとくけど、由香里に手を出したら、ただじゃおかないわよ」
何か考えるようなそぶりを見せる和麻に、綾乃がドスの利いた声で言う。はたから見れば、友人を庇うような感じなのだが、由香里とそしてその後ろにいたもう一人の綾乃の親友の久遠七瀬は、その声色が、どこかいつもと違う。綾乃自身、そんな感情に一切気が付いていないだろうが。
「ガキには興味がないんだがな」
「どうだか。ウィル子を連れてる時点で説得力ゼロよ」
じと目で和麻とウィル子を見る綾乃に和麻は逆にものすごい笑顔になった。
ちなみに煉は和麻の笑顔を見て震えていた。別に和麻が笑った姿が恐ろしかったのではない。あれは以前、和麻と食事に行っていた時にウィル子の事を恋人かと尋ねた時の笑顔にそっくりだったからだ。
「な、何よ…」
全身から同時に恐ろしいほどの威圧感を出す和麻に、思わず綾乃は後ずさりした。
「お前、次にその類の冗談を口にしたら……そうだな、どうしてほしい?」
見たこともない笑顔で迫る和麻に、綾乃はえ、ええと、何でもないです、ごめんなさい。と思わず謝ってしまった。
それほど和麻の笑顔は怖かったのだろう。ウィル子も顔をひきつらせている。
「よろしい。で、なんでここに次世代神凪宗家勢揃いな上に、一般人が二人もいるんだ?」
「ええとですね、和麻さん。私達はこう言う集まりなんです」
由香里は和麻の威圧を感じながらも、飄々とした態度を崩さなかった。中々に大物だなと、和麻は思った。
懐から名刺サイズの紙を受け取り、和麻はそこに書かれている文字を見る。
「なになに、聖陵学園ゴーストバスターズクラブ?」
胡散臭そうな名前に思わず顔をしかめ、綾乃達の方を見る。
綾乃はこめかみを抑え、ため息を付き、煉は苦笑し、燎は顔を背ける。
「なんだ、これ?」
「ですから学校の部活動です。学校の許可は貰っていますし」
「……あー、最近の部活動は変わってるんだな」
「由香里が勝手に作ったのよ。生徒会役員の権限とか色々使って。しかもお父様にまで根回しして」
「ほう。宗主にまでね」
面白い話を聞いたと、和麻は興味深く由香里の方を見る。
「はい、綾乃ちゃんのお父さんにも許可をもらいましたし、理事長にも事情を説明したらあっさりと許可してくれました」
満面の笑顔で語るが、親友の綾乃と七瀬はあっさりと言う部分が腑に落ちないでいた。
この篠宮由香里と言う少女、見かけどおりの少女ではない。
外見はおっとりした天然少女なのだが、実は警察を出し抜く情報網や悪魔的な情報操作能力を持っていたりもする。そのコネがどこまでのものか、綾乃もまったく知らない。
さらに彼女は好奇心の赴くまま、無茶なことに手を出すことまである、綾乃以上にやんちゃで困ったちゃんなのだ。ただしそれは綾乃とは違い、すべて計算でやっているから性質が悪い。
(和麻さんの事も調べたかったけど、綾乃ちゃんのお父さんに止められちゃったし…)
と内心思っていたりもする。
和麻の事だが、綾乃がうっかり漏らしたのが最初だが、当初はそれほど積極的に調べようとは思わなかった。
面白いネタではあるとは思ったが、恋愛感情的なものは感じなかったし、あのあと、綾乃の家に多数の不幸ごとも起こり、綾乃自身がこれまでにないほどに余裕がなく思えたからだ。
親友として、そんなときに男のネタで綾乃をからかうほど、彼女は腐ってはいなかった。
しかしここ一月ほどで、その事情は変わった。
去年の終わりに、富士山で事件が起こり、それ以来、綾乃はしばし和麻の名前を漏らしていたからだ。
さらに言えば、彼女が弟とのように可愛がる煉からも和麻の名前を聞いた。最近できた恋人からもだ。命の恩人だとか、凄い人だとか。
煉の実の兄だからと言う話を聞いた時は、これは少し調べてみようと考えた。
丁度、綾乃の父である神凪重悟と会う約束もしていた。
その理由は様々ではあるが、彼女なりに綾乃に対する気遣いや、少しでも綾乃の手助けを考えた物だった。
その時、重悟に和麻の事を聞いた。
しかし教えてくれたことは煉の兄で綾乃の再従兄で、今は出奔し、八神和麻と名を変えていると言う事だけだった。
『篠宮さん。君が綾乃の友人でいてくれること、父としてうれしく思う。だからこそ、私は君に忠告、いや、警告せねばならない。和麻の事は調べてはならん』
今まで優しい雰囲気があった重悟が一変、険しい表情を浮かべ、由香里の目をまっすぐに見据えて言った。
八神和麻に触れてはならないと。
『頼む。和麻は騒がれるのを嫌う。自らのことを調べようとする輩に対し、どのような手段を取るかわからぬ』
命の危険がある。それだけではない。もっと恐ろしいことに巻き込まれるかもしれないと。
由香里は重悟の言葉に少しだけ汗を流す。重悟が冗談を言っているのではないと言うことが理解できたからだ。
目の前の人物は一般人ではない。この国を千年もの間、影から守り続けてきた最強の炎術師の一族の長であり、その人物が命の危険があると言っているのだ。
『君だけではない。君の家族や親しい者、綾乃でさえ例外では無いかもしれない』
『ええと、八神和麻さんって、綾乃ちゃんの再従兄なんですよね?』
『そうだ。詳しくは言えぬが、和麻にも色々あったのだ。もっとも私が知るのは和麻が神凪にいた十八年と、その後のわずかな時間に過ぎないがな』
由香里は考える。いつもなら危険を顧みず、徹底的に調べるのだが重悟の雰囲気と彼女自身の勘が告げていた。
ヤバイ、と。
こんなことは初めてだった。由香里には特殊な能力は一切なく、今まで勘に頼ったことなど一度もない。
なのにどうにも重悟の話を聞いたからか、今回は今まで以上に危険なのだと感じてしまった。
『私の口からはあまり和麻の事を言えぬが、君は危険を承知で調べようとするかもしれぬ』
『そうですね、いつもならそうするんですけど…』
由香里の言葉に重悟はホッと胸を撫で下ろす。彼女の身を案じたのもそうだが、和麻の事を案じてもいたからだ。
『そうして貰いたい。和麻は風術師として情報収集面でも優秀だ。それは一般的な探偵百人以上の働きをする。それに強さも我ら神凪をも凌駕する』
重悟の言葉に由香里は目を見開いて驚いた。
『あの、そう言うのは言ってもいいんですか?』
『構わぬ。むしろ何も教えねば、それこそ一人で調べようとするであろう。むろん、これらは他言無用だが。君がどれほど優秀でも和麻とだけは敵対してはならん』
命を無駄にしてはならんと再度釘を刺されては、流石に由香里も行動を自重し、自粛した。
しかし今、目の前に噂の存在がいる。裏でこそこそ探るのが危険ならば、堂々と女子高生が興味を持った風を装い、和麻から自身の事をその口から語らせる。
正攻法ではあるが、和麻に対しての情報集ならば一番安全なやり方と言えた。
「で、今回は部活の一環だと? まさか表向きもこの理由か?」
「そんなわけないでしょ。それくらいわきまえてるわよ」
「生徒会の下請け機関みたいな感じで活動してます♪」
一般生徒に対しては、生徒会の仕事を手伝うボランティアのような部活動だとか。理事長の口添えと言うか、依頼もあり、教師陣にもそのあたりはうやむやにされていたりする。
入部希望者も多いらしいが、入部テストを設けて入部させないようにしているらしい。
ちなみに部員は二年生の綾乃となぜかキャサリン。一年の燎と美琴。由香里は生徒会との兼任だそうだ。
「まあ別に俺には関係ないから良いが、つうかもう一人いるのか?」
「ちょっと、わたくしを置いていくとはどういう事ですの!?」
と走ってきたのは、激しい剣幕を上げるキャサリン・マクドナルドだった。
「えっ、だってチケット余ってなかったし」
「きぃーっ! このわたくしも聖陵学園GBCのメンバーなのですのよ!」
「だからって自腹で来るの?」
「日本の温泉に興味もありましたから。やはり日本と言えば富士、芸者、天ぷら、切腹、温泉ですわ!」
どこか間違った知識を披露するキャサリンに綾乃はまたため息を吐く。
「って、あー! あなたは!?」
キャサリンは今度は和麻の存在に気付いたのか、指を指しながら声を張り上げている。和麻はそんなキャサリンをうざそうに眺める。
「ここで会ったが三途の川ですわ! 先日のお礼をたっぷり返して差し上げますわ!」
「わー! こら、こんなところで精霊獣を出すんじゃないわよ!」
暴走するキャサリンを抑える綾乃。中々珍しい光景だなと和麻は興味深そうに眺める。
「マスター。帰りますか?」
「はぁ…。なんでこうなるんだかなぁ」
頭をかきながらぼやく和麻。帰ると言う選択肢も頭の中に浮かぶ。
「えっ、兄様! 一緒に泊まりましょうよ!」
「そうです、お義兄さん! せっかくなんですから」
煉とあゆみのコンビに呼び止められた。どこか子犬のようなキラキラした目を向けてくる。二人ともしっぽと耳が見える気がする。
さてどうしたものかと考える。
ちらりと周りを見る。綾乃とキャサリンはぎゃあぎゃあ騒ぎ、燎と美琴が仲裁に入っている。そんな様子を楽しそうに眺める由香里とどこか呆れている七瀬。
「なんつうか、カオスだな」
と考えていると、ピクリと和麻の眉が吊り上った。
「マスター?」
「ちっ。なんでこう、どいつもこいつも俺の平穏を邪魔するんだ」
と、見る見るうちに表情が不機嫌になる和麻。何事かと思い和麻の視線の先を見て、ゲッと声を上げた。
「こんなところで何をしている」
「あんたには関係ないことだ。あんたこそ年か。温泉につかりに来るなんてな」
「ふん。重悟に無理やり進められた」
「へぇ、なら別に無理に行く必要もないな。つうわけで俺が行くんであんたは帰りな」
「貴様に指図される筋合いはない。貴様こそ邪魔だ、帰れ」
「嫌なこった、くそ親父」
そう、そこにいたのは神凪厳馬だった。和麻と激しくにらみ合いをしている。
(いやいや、何ですか、この状況!?)
ウィル子としては頭を抱えるしかない。神凪厳馬が現れた以上、和麻は絶対に帰らない。しっぽを巻いて帰ったと、厳馬に思われかねないからだ。
「行くぞ、ウィル子、煉、あゆみ。こんなところでこんな男と顔を合わせても一文の得にもならないからな」
「それはこちらのセリフだ。このような所まで来て、お前の顔を見るとはな」
「ああっ?」
完全にチンピラのような和麻の態度に煉とあゆみはおろおろ、ウィル子は頭を抱える。
カオス。この一言に尽きるだろう。
「に、兄様も、父様もこんなところでケンカしないでください!」
煉が何とか仲裁しようとするが、煉も涙目だ。煉としてはライオンの間に挟まれると言うよりも、恐竜、いや、ドラゴンの間に挟まれているようなものだ。
下手をすればそれ以上の存在の間に挟まれているのだ。涙目になるのは当然と言える。
「あの、お義兄さん、お義父さん、やめてください」
あゆみも何とか二人の間に入って止めようとする。
この二人の努力もあって、何とか二人も矛先を収めたが、お互いにふんっと鼻を鳴らしそっぽを向きながら温泉宿に向かって歩いていく。
しかし何故かお互いに肩を並べ歩いていくさまは親子なのだろかと思ってしまう。さらに片方が前に出ようとすると、もう片方が歩幅を早くする。
「はぁ……」
ウィル子は再びため息を吐く。どうしてこうなったのか。
「ウィル子さん、どうしましょう…」
煉が心配そうに声をかけて来るが、ウィル子もどうしたら良いのか教えて欲しいくらいだ。
「なる様にしかならないですね」
そう言うしかない。
「本当に、どうなるんでしょうか」
ウィル子、煉、あゆみは、はぁと大きなため息をつきながら、今回の温泉が無事に済むことを祈った。
あとがき
大変遅くなって申し訳ありません、
今回は短編の温泉回を。
まあこれは由香里とか七瀬と和麻の邂逅とかそんなさわり程度です。
次くらいで終わらせて、四巻の話に進みます。