その日は雨だった。
学園都市、計二百三十万人弱の住人から成る巨大都市であり、面積は東京の三分の一程もある。そんな学園都市の路地裏に一人の男がいた。ただその格好はこの科学信奉といっても過言ではない学園都市には相応しくないものだった。見た目は長身痩躯にして、落ち窪んだ暗い眼差し、削ぎ落としたように窶《やつ》れた頬、一目見れば幽鬼と見紛う男だった。服装は自分の膝ほどの長さがある黒の外套を身に纏い両手には黒の革手袋。この時点ですでに通報されていても可笑しくない、まるで乞食のような格好である。さらに左手に持たれている一本の刀。その道の者なら『倭刀』と見て取るだろう。倭刀とは、硬度に優れ、刺突と斬撃を共にこなす玄人向けの器械である。艶の失せた黒鞘といい、飾り気の無い柄頭といい銘刀の類ではないが、その苛酷な風月を思わせる蒼然の程は……熾烈な使い込みに堪えてきた、業物の証とも取れる。
その男は雨の中傘をさす事も無く、雨に濡れる髪や服を嘆くでもなく、雨を凌げる所を探して彷徨っている風でもなかった。周りのものに意識を向ける事も無く、ただ淡々と目的の所へ向かっていた。
男の足が急に止まる。目的の場所に着いたのだろう。
瞬間、男、卂瞬仭《シン・シュンジン》の持っていた携帯電話が鳴る。
『よう、卂。いきなりだが標的は後十分ほどで御到着だ。近くに三か所ほど隠れるにはいい場所がある。そこのいずれかを使ってくれ』
「・・・・随分人使いが荒いんじゃないか。ここ一週間は休みなしだぞ」
『連中もそれだけ必死ってことさ。何せ実用化には程遠いが、それでも未来性と実用性を見れば喉から手が出る程欲しいだろうさ。このサイボーグ技術ってのは。疑似的ながら不老不死に近づく唯一の方法だろうからな、これは。』
「亡者共が。下らない事を」
サイボーグ技術。ここ数年の間に学園都市で開発、発展をしてきた物の一つである。とは言うものの実用化にはまだ程遠く、学園都市内の技術を用いても最低二十年から五十年、下手すると一世紀かかっても出来るかどうか分からない代物だった。ただそれでも一歩一歩は遅く、少しずつでも、確実に実用化に近づいていた。
そしてここ最近、どうやって嗅ぎつけたのか、学園都市外の人間がこのサイボーグ技術を盗もうと躍起になっていた。その度に学園都市の裏に関る人間が毎回駆り出されていた。その中でも最も駆り出される回数が多い卂はこの一週間、休む事も無く外部の人間への技術漏洩を食い止めていた。
「言いたい事はそれだけか?なら切るぞ。それと新しい、これと同じ型で同じ番号の携帯電話を一台頼む。終わり次第いつもの場所まで回収しに行く」
『わかった。今すぐ用意させよう。じゃ、幸運を祈るぜ』
ピッ、という電子音と共に通話が切られる。
「思ってもいない事を」
そう無感情に呟く。先ほどの電話の相手、土御門《つちみかど》元春《もとはる》に対する呟きである。その呟きの後にはすぐに移動を開始する。先ほど言っていた隠れる場所という所だろう。そしてその隠れ場所というのを発見したのかそこに身を潜める。そのまま卂は雨に打たれながらその場から動く事無く留まり続けていた。
…
…
…
卂が隠れてから八分後、黒塗りのワゴン車が二台現れた。学園都市の技術を外部に持ち出そうとしている連中だろう。だが卂は動かない。敵が何人いて、どんな装備なのかを確かめるためである。
“ガードマンの人数は受け渡し側、受け取り側ともに四人ずつ。要人の方も拳銃位は持っているだろう。だが問題はガードマンの装備だな。サイレンサー付きのP90に懐に拳銃を一丁。それに暗視ゴーグルか。”
そこまで確認して卂は内心で勝利を確信し、ほくそ笑む。ああいう小道具に頼る手相こそ“電磁発勁”の真骨頂だからである。
敵との間合いは約十五メートル。内家拳士ならば一秒も掛からずに零に縮められる距離である。そのまま機を待つ。敵の呼吸までも聴覚で聞き分けられる程にまで氣を巡らし、集中した卂は敵の意識がこちらから逸れた一瞬の隙を見逃す事無く、飛び出した。
「!!!」
敵が卂に気付く。が、もう遅い。卂を認識した時には既に卂の間合いに居たのだから。
「呵ァ!!」
掛け声と共に卂の横隔膜の辺りから電磁パルスが放たれる。
轟雷功《ごうらいこう》。電磁発勁のひとつ。身体の周囲に電磁パレスを放射して電子デバイスを破壊する。だが使い手が身につけた電子機器も例外なく破壊する技である。
轟雷功により暗視ゴーグルを破壊され視界を奪われたガードマン達は立ち処に恐慌状態となった。決定的な隙が出来たのである。当然、プロである卂がその隙を見逃すはずも無く、攻撃を仕掛ける。
手近にいた男の頸動脈を正確に倭刀が切り裂く。断末魔と大量の血を首から噴出させながらその場で息絶える。返す刀で隣に居た男の心臓を突く。即死である。完全に卂の独壇場のまま、ガードマンは全員成す術も無く、物言わぬ屍となった。
「残るは、貴様等だけだ」
「く、来るなぁ!!」
ダンダンガン!!と要人が懐から出した拳銃を乱射する。が、当たらない。小刻みに身を逸らす事でミリ単位で銃弾を避けたのだった。一歩で距離を詰めた卂が要人の首を撥ねる。もう一人の要人の首を左手で掴む。その状態になった時、自らの理解を超えた恐怖が要人を襲う。
もはや形振り構っていられない。この人の形をした死神から生き延びる術を探さなくては!
「やめろ!やめてくれぇ!私は悪くない!!ただ、ただ少し魔が差しただけなんだ!!一億だぞ!この未完成な技術に一億円だ!そんな大金を見せられたら誰だって―!!」
「………言い残す事は、それだけか?」
「わ、分かった!一億の半分、いや六割を出す!だから、だから見逃してくぎゃあああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
突如男が叫び声を上げる。
紫電掌《しでんしょう》。特殊な練気によって掌勢に電磁パルスを孕ませ、触れると同時に放射する気功術。その電磁パルスが脳から神経に送られる微弱な電流に干渉し、過剰な電流を与え、中枢神経が焼かれ、地獄の様な激痛と共に死に至らしめる。“電磁発勁”とも呼ばれる、後の戴天流気功術の裏奥義である。卂の得意技にして、三年の時を費やして作り上げた、至高の奥義である。
数秒後、要人は声を上げなくなる。絶命したのだ。
最後に要人が絶命したのを確認し、刀を血振りを終え、鞘に納める。
程無くして二台のワンボックスカーが卂の近くに止まる。中から出てきた七人の男達が手際よく死体と血痕、髪の毛など殺人があった事を認識させない様に処理していく。
「車を清掃業者に偽造するとは、随分と性質の悪い冗談だな」
「文字通り清掃業だからな」
卂と死体処理班の男の一人は、どうやら顔見知りの様だ。
もう用は済んだ、とばかりにきびを返す卂。
「お疲れー、紫電掌の旦那」
「………俺はまだ十六だぞ。旦那はやめろ」
「ハッ!全然見えねぇっつの!どう見ても二十代後半だよ、あんた」
男は鼻で笑って一蹴する。嘲笑を気にする風も無く、卂は闇に紛れる様にしてその場を去った。