――目の前に現れた光景が、俺には理解できなかった。 “外”の港に着いた俺達の目の前に広がったのは、本当に冗談のような光景だった。 夜の闇の中でも見間違えようがない。 倒れて動かなくなった仲間達。 微塵に刻まれたエース。全身黒焦げになったダル。心臓を一突きにされたヒョウ。いずれも、疑いもない致命傷。「――!!」 あまりの光景に、ミコが気を失い、地面に崩れ落ちた。「そんな」 カミトも絶句。 俺も、あまりの光景に頭が真っ白になる。 何故だ、一体何が起こったって言うんだ。わけがわからない。俺達は、帰れるはずだった。それがなんでこんなことになっているんだ。 呆然と、立ち尽くす。「カミ、ト、か……遅いぞ」 と、死体の中から、か細い声が上がった。 驚いて声の主を探る。見れば、ヒョウの目が開かれていた。心臓を一突きにされたはずのヒョウ。だが、彼の念能力は“不変”。それにより、なんとか命をつなぎとめているようだった。「ヒョウ!」 カミトが駆け寄る。「いきなり……襲われてな。俺も、不意を、討たれて、このざまだ」 ヒョウの顔は青ざめ、声にも力が無い。 だが、まとわりつく“死”を拒絶するため、必死の意思を込めた瞳だけは、輝きを増している。「誰!? 誰がこんなことしたの!!?」「……わからん。いきなり、心臓を、刺されて……気がついたら、みんな、やられてた。ブラボーも、攫われた、ようだ」 ヒョウは、疲れたのか、そこで一息置いた。「吸血鬼に、気をつけろ。Dとミオは、殺されて、吸血鬼にされた」 その言葉で、敵が何者かわかった。 同胞狩り。あいつらの仕業だ。「ヒョウ! しっかりしなさい! 今病院へ……」「よせ」 自分を抱えあげようとしたカミトを、ヒョウは止めた。「心臓を、貫かれてるんだ。“我は変わらず在り(イモータルハート) ”は、それほど長続き、する能力じゃない。今の、体調なら、なおさらだ。どうやっても、あと数分で、俺は死ぬ……お前らに敵の、存在を、知らせたくて、今まで、命をつないで、きたんだ」 死に臨みながら、ヒョウの意思は揺れない。「正直、致命傷の激痛を、感じ続ける、ってのは、耐えがたいんだよ。だから、お別れだ」「ヒョウ!」「おまえらは、絶対に、元の世界へ……」 そのまま、ヒョウはカミトの腕の中でこと切れた。 カミトは、呆然と、腕の中のヒョウをながめている。「ユウ、まだ遠くまで行ってないはずだ! 探すぞ!」 シュウの言葉で、我に返る。 そう、ブラボー達との差は10分も無かった。相手はまだ近くにいるはずだ。「レット、マッシュ! ミコ達を頼む! 俺達は敵を探す!」 言って飛び出したシュウに従いかけて、足を止める。 気づいたのだ。辺りが、異様な気配に包まれている。殺気ではなく、オーラでもない。この不穏な空気を知っているのは、たぶん俺とレット氏だけ。「シュウ! 気をつけろ! 囲まれてるぞ!」 俺の言葉に、シュウが足を止めたのとほぼ同時、建物の影から吸血鬼の群れが、姿を現した。 本体の吸血鬼もどきならともかく、手下の吸血鬼のなど、ザコ同然。だが、その数が異常だった。 確認できているだけで、ざっと二、三百人。 その大群がこちらに向かい、一斉に襲いかかってきた。「“正義の拳(ジャスティスフィスト) ”ぉ!!」 先頭に立つ形になったシュウが、吸血鬼の先頭集団を微塵に吹き飛ばす。 そのすさまじい威力に、こいつがどれだけ怒っているか、痛いほど理解した。 シュウに粉々にされた吸血鬼は、塵に帰した。あの吸血鬼の念能力、“血の同胞(ブラッドパーティー) ”と言ったか。その特性は、本当に吸血鬼を再現しているらしい。 俺もこの大群を迎え討つため、シュウに肩を並べる。「ユウ! シュウ! 先に行きなさい!」 その時、カミトが強い口調で命じて来た。 鎖が、地を這う音が響く。「こんな所で手間取っている暇は無いわ! ミコ達はわたしが守るから、早く!」 カミトとミコ、仲間の遺体を守るように、鎖が這い回る。 うねるようにうごめく鎖は、その結界を侵す者を容赦なく蹂躙していく。 だが、吸血鬼達はとめどなく現れる。先ほどの一群も氷山の一角。もはや地面を埋め尽くすほどの大群が、こちらに向かってくる。 鉄鎖の結界すら侵そうかという吸血鬼の洪水。「変――身!!」「シッ!」 それに抗うように、レットが、マッシュが立ちはだかる。「お二人とも! ここはまかせて行って下さいっス!」「行けッ! ここは任せろ!」 異口同音。こちらに向けられた言葉に微塵の迷いも無い。「――わかった、行くぞ、ユウ」「ああ」 シュウの意図を察し、“甘い誘惑(スイートドロップ) ”を口に含む。 そして“円”。未だに2メートル程度のものだが、シュウを入れるには充分。 そのまま、吸血鬼達の頭上を超え、建物の上に跳ぶ。 ――高所に立つと、改めてその異常な量に戦慄を覚える。 吸血鬼の大群は、この一帯を埋め尽くすように、わらわらとうごめいている。「カミト、レット、マッシュ、ミコ……きっと、無事でいてくれよ」 口の中でつぶやくと、“甘い誘惑(スイートドロップ) ”を吐き出し、屋根伝いに走り出す。「シュウ! どうやって探す!?」「いくら“絶”で隠れていようとブラボーの気配は隠しようがない! あいつのオーラを探れ!」「わかった! 俺は西を探す! シュウは東側を!」 走りながら、オーラを探る。 グリードアイランドでの修行は、俺の感覚を数段鋭いものにしている。 だが、どうもおかしい。 辺りに人の気配が、全く無い。 時間が時間とはいえ、屋内にすら人の気配を感じないというのは、異常に過ぎる。 この街全体がおかしい。何かとんでもないことが起こっている、そんな予感。 ひょっとして、この街の住民全員が吸血鬼になったのだろうか。 ――有り得る。この吸血鬼の量を考えれば、そう考えたほうが自然ですらある。「なんて真似を」 歯噛みする。 吸血鬼。血を吸って仲間を増やす、化け物のような念能力者。あいつが、その力で、この町を死のと変えてしまったのか。「―――久しぶりだな、ユウ」 俺の独り言に応えるように、吸血鬼は姿を現した。真円を描く月の、蒼褪めた光を背負って、マントをはためかせる威容。 その姿は以前より一層禍々しく、この眼に映った。 辺りに目を配れば、俺を囲うように現れる吸血鬼ども。 後ろに1体、両脇の建物の上に1体ずつ。先ほどの吸血鬼達とは違う、おそらく念能力者の吸血鬼。オーラ量自体は大したことないが、無視していい相手ではない。 さらに、吸血鬼の横に侍るように、一人の男が立っていた。 赤く輝く瞳に、長大な犬歯。吸血鬼と化したD。「D……」 声をかけたが、反応は無かった。「呼びかけても無駄だ。そいつはもう、わたしの人形だ」 胸の奥に湧きあがった衝動を、無理やり押し殺す。 この化け物相手に、怒りに身を任せて戦うなど無謀に過ぎる。「――なぜ、仲間達を殺した? 殺さなくても奪えたはずだ」「禍根を残すつもりはないし……この世界ともおさらばだからな。殺し納めだ」 その言い草に、あっさりと。抑えていたものは決壊した。 もういい。こいつの言葉など、もはや一秒でも聞くに耐えない。 ナイフを取り出し、吸血鬼に向かう。 迎えうってくる吸血鬼。その振り下ろされた手を、ナイフで断ち割る。 ――不死身なだけあって防御には無頓着だ。防御の分を割り振っているだけあって、攻撃に関しては戦慄を禁じえないが、体を守ると言う考えすら無いように思える。「ほう? やるな、だが」 ピクリ、と、吸血鬼の腕が動く。 そのまま腕が吸血鬼の肩に飛んで行き、ぴたりと元の位置に収まった。「わたしに斬撃は効かない」 得意気な吸血鬼。 知っている。ただ、どの程度不死身なのか知りたかっただけ。 そのまま、音もなく建物の影に隠れる。 今までとは違う。 遮蔽物に事欠かないこの場所こそ、俺の性能を100%活かせる環境。 そのまま“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”で、別の建物の影に移動する。 吸血鬼は、背後の警戒をおこたらないまま、じっと構えている。「どうした? 来ないのか?」 安い挑発には乗らない。 確実に、あの吸血鬼を暗殺する。 不思議だ。怒りで沸騰しそうだというのに、頭の片隅が、常に醒めている。 怒りに身を任せたまま、アレを殺すための手段を、冷静に考えている。「ここだ」 声を出してやり、また移動。 吸血鬼は、声のする方に向かって行くが、そこには誰もいない。 その間に、屋上の1体を破壊。隣の一体が“硬”で殴りかかってくるのをすり抜け、心臓を的確に破壊する。 間近で視てわかったが、死体の中には核となる異質なオーラが存在する。おそらくそれが擬似的な生命活動を行わせているのだろう。 それなら、死体がオーラを操って攻撃してくることにも納得がいく。「どこを見ている」 声をかけて、また移動。 吸血鬼には影も捕らえさせない。「ここだよ」 今度は、吸血鬼の背後に移動。ナイフを突き出すが、割って入ったDの腕を抉っただけだった。 拙い。吸血鬼とDで死角を消されれば、“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”が使えなくなる。 Dの目の前に手をかざし、目隠しして跳ぶ。「こっちだ」 姿を、見せてやる。 そのまま路地裏に逃げたかと思うと建物の上へ。 化け物達を処理しながら、巧みに吸血鬼を誘導して行く。 だが、厄介なDが残っている。 ――だから、俺は正面から向かった。 全くの無策。ただ、正面から全力で切りかかるだけ。だが、吸血鬼は“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”を警戒してDを後ろに配置し、ありもしない奇策、奇襲に意識を裂いた。 そんな状態で、俺の全力が受けきれるわけが無い。 ナイフが吸血鬼の腕をかいくぐり、首を掻き切った。 いや、俺の念を込めた一撃は、吸血鬼の首を両断し、宙に飛ばす。 てん、てんと、転がってこちらを向いた首が、にやりと笑いかけてくる。「――何を考えている? この程度では死なない」 うそぶく吸血鬼の首をすばやく捕らえ、体から離す。 体の方は、首を求め、俺を追いかけてくる。それに従うD。 全力で、それから逃げだす。「無駄だ! 首を離したぐらい死ぬわたしではない! それに、身体能力が落ちると思わないことだ!」 こいつの言っていることは、おそらく正しい。首を切り離したぐらいで死ぬのなら、そこを守りすらしないということは無いだろう。それに、身体能力に関しては、現在進行形で立証されている。「――だろうな。だが、場所が悪かった」 話している内に、目的地にたどり着いた。着いた先は、波止場。目の前には海が広がっている。「ここは港街なんだよ」 吸血鬼は流水を渡れない。 切り離されたパーツをつけることはできても、再生はできない。 ならば、こいつを倒す答えはこれしかない。「まさか! やめろ! やめてくれ!」「いままで殺してきた奴の恐怖と無念を存分に味わって……死ね!」 そのまま思い切り、首を海に投げ入れた。 絶叫を上げながら落ちていく吸血鬼の首。 胴体は、そんな首を求めてうろうろと彷徨う。「朝日が出るまで、そうやってあがいてろ」 言い捨てて……Dに向き直る。 Dは、呆けたようにその場に立ち尽くしている。 仲間として、協力して来たD、だが、その身はすでに動く死体と化している。 こいつはもうDじゃない。Dの尊厳を守るためにも、ここで殺さなくてはならない。「待ってろ、D、今、介錯してやる」 手が、震える。 Dは、すでに死んでいる。だが、俺は、これから間違いなくDを殺すのだ。「――無理するな。手が震えているぞ」 それが、誰の言葉か、最初わからなかった。 Dの口が開き、Dの声で発せられた言葉だが、あまりにも意外で、そうと認識できなかった。「あいつの支配が解けたようだな。自由に動く」 手を握り、開く。その動きには、間違いなくDの意思が反映されていた。「D、無事なのか?」「無事じゃないな。なんせ今の俺は動く死体だ」 自嘲気味に笑うD。パシリ、と乾いた音が聞こえた。「D? どうした」 不吉な予感を覚え、Dに尋ねる。「俺の能力が“波紋”で良かった。あんたにいやな役目を押し付けずに済むからな」 Dの頬に、ヒビが入った。 太陽の力、波紋。吸血鬼にとって天敵とも言える力。それを、自らの体に使っているというのか。「D! やめろ! やめてくれ! もうすぐ帰れるんだぞ! いっしょに帰ろう、D!」 言う間にも、Dの身体が、どんどん崩れていく。「ああ。そうできたら、いいな」 Dの乾ききった口の端が、わずかに持ち上がる。「――なら」「だが断る(・・・・) 」 次の瞬間、Dは、きっぱりと言い切った。「俺には感じるんだ。今、俺に自我が戻ったのは、ただの偶然。死の間際の一時の奇跡だ。いつ失われるかわからない、不安定なもの……なら、俺は俺の意思で、俺のまま終わる事を選ぶ」 その言葉を、否定したかった。だが、俺には、それを否定する言葉が、どうしても出て来なかった。「だが断る、か……一度リアルで使ってみたかったが、そんな機会があるなんて……な」 言いながら、安らかな笑みを浮かべ、Dは崩れていった。後に残ったのは、一握の灰だけ。 それを掬い取り、ポケットに入れて、俺は無言で駆け出した。 ブラボーを探すために。 元の世界に帰るために。