街中を走っていると、突如、轟音が響き渡った。「くっ! なんだ!?」 あわてて足を止め、高所に登って轟音の発生源を探る。 探すまでも無かった。見れば、河を挟んで向こう側にある工場地帯が燃えている。 夜の闇を朱に染める炎は、天を焦がす。 向こうに敵がいる。直感的に判断し、そちらに向かった。「おおおおおっ!」「くそったれええ!!」 目の前に展開されている光景に、俺は固まった。 工場地帯の片隅、開けた空間は、朱に染まっている。 ブラボーと、炎を使う同胞狩り。二人はそこで、拳を合わせていた。 殺したはずの男が生きていた事実より、その異常なる戦闘を目の当たりにして、俺の体は凍りついたように動かなくなった。「燃え上がれ! “燃えさかる魂(バーニングブラッド) ”おおおぉっ!!」 男の全身から、炎が放射される。その熱量が、離れていたところで見る俺の頬すら焼く。 このような開けた場所でなければ延焼確実だろう。 「喰らいやがれええっ!!」 男がパンチに乗せた炎は、長い尾を引き、ブラボーに襲いかかる。「破ッ!!」 その炎を、ブラボーは腕を突き出し、真っ向から受け止めた。「ちいっ」 男は舌打ちして、ポケットからカプセルのようなものをジャラリと取り出した。狙いを定めたとも思えない位無造作に、投げられた大量のカプセルは、あらゆる場所に着弾し、炎を撒き散らす。 おそらく、男の血液で出来た爆弾だ。 その物量に、2つ3つ、ブラボーにも当たったが、鉄壁の装甲を破るほどではなかった。「――レイズ、諦めなさい」 二人とは違う、第三者の声が聞こえた。「あなたでは、彼には敵わないわ」 その声に、聞き覚えはない。ただ、ブラボーの味方であろうと言うことは察することができた。「――チイっくしょう!! くそくそクソクソクソ喰らいやがれええぇ!!」 男――レイズの身体から炎が迸る。いや、すでに彼自身が炎と化したかのような、すさまじい炎。「おおっ!!」 ブラボーのパンチがレイズを襲う。拳はあっさりレイズの腹を貫いた。 ――違う。貫いたのではない。通り抜けたのだ(・・・・・・・)。 レイズから炎が発せられているのではない、彼自身が、炎と化している。 これが、あいつの本当の力。以前の戦いで頚動脈を切ったと思っていたが、体を炎と化して躱していたのか。 と、我に返る。思わず見入ってしまったが、ブラボーに加勢しなくてはならない。 とはいえ、炎と化したあれに有効な攻撃手段など、俺には無い。だいいち炎があちこちに飛び火していて、ろくに動き回れそうに無い。 何処かに貯水槽でもないものか。周囲を見渡していると、思いつく。工場地帯なら、消火のための強力な道具でもあるかも知れない。 そう考えて手近な施設の中をを探しまわり、粉末消化剤と書かれた巨大なボンベをみつけた。 四苦八苦しながら、なんとか装置からボンベを取り外し、俺は再び戦場に駆けもどる。「――はああああっ!!」「――おおおおおっ!!」 炎化による物理攻撃無効のレイズ、絶対的と言ってもいい防御力を持つブラボー、お互い有効打を与えることができない膠着状態。 こいつで、それを打破する。“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”でレイズの頭上に跳び、ボンベの栓を開ける。 かなりの反動と共に、すさまじい勢いで消化剤がぶちまけられた。「――くっそ、なんだこりゃあ!!」 消化剤にまみれ、レイズの体から炎が消えた。消化剤の目隠しがあるうちに、すばやく離れた地点に跳び、空になったボンベを捨てる。「くそっ! またてめぇか!」「破ッ!!」 レイズの目がこちらに向いた一瞬の隙、それを見逃さず、ブラボーの拳がレイズに直撃した。 今度はまともに入った。レイズは人身事故のような勢いで吹っ飛んでいく。「……ぐ、畜生」 ふらふらと、レイズが立ち上がってくる。だが、消化剤にまみれた体では、炎が上手く出せないようだ。 「残念ね、炎になれないのなら、こちらのもの」“悪夢の館(スプラッターハウス) ” 声とともに、レイズは黒い何か(・・) に飲み込まれた。 後にはなにも残らない。 思わず、それをやったであろう人物を見る。 長い黒髪を腰まで垂らした、美しい女性だった。身に纏う衣装は、黒のゴシックロリータ。「ユウ」 ゆっくりと、ブラボーの目がこちらに向けられる。「ユウちゃんって言うの?」 と、女性の方に声をかけられた。「アマネ」 彼女を呼び止めるブラボーの声色は、何処か馴れた感じがあった。 どうやらブラボーの知り合いらしい。「ありがとうね」 女性――アマネは握手を求めてくる。 それに応えようとした、瞬間。「――がっ!?」 横合いから、何者かにタックルを受け、吹き飛ばされた。 視界がズレ、受身を取る暇も無く、地面に押さえ込まれる。 見れば、俺を横抱きに抱えているのは、シュウだった。何か文句を言う前に、俺の目の前を黒い何か(・・)かが横切った。 先ほどレイズを飲み込んだものだと、やっと気付く。「な、何を!?」「あちゃー、失敗か」 何事もなかったかのように、アマネは言った。 その顔が、あまりにも平坦で、かえって恐ろしい。「油断するな、ユウ。エースを殺したのはこいつだ」 その言葉の意味を理解するより早く、アマネの背中で、白い何か(・・)がはためいた。 ぼとり、と、その中から落ちてきたのは、寸刻みにされた肉片。 エースと同じ殺されかた。その意味が、わからないはずがない。「仕方ない。ブラボー、始末しちゃって(・・・・・・・・) 」 その言葉を聞いて、それでも、反応が遅れた。 躊躇も何も無い。気がついたときには眼前に拳が迫っていた。 腕では間に合わない。とっさに肩にオーラを集め、受け止める。 それでもなお、体が吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。「ぐ」 詰まる息を、無理やり吐き出し、呼吸を整える。今、戦闘体勢を崩せば、致命傷だと、経験が告げていた。「よくもユウをっ!!」 ブラボーと、シュウの拳が咬み合う。 仲間だったはずなのに、お互いに躊躇も無い。「“正義の拳(ジャスティスフィスト) ”おぉっ!!」「流星! ブラボー脚!!」 ブラボーのキックとシュウの必殺技が宙で衝突する。 その光景に気を取られて。「あなたは、わたしがお相手しましょう」 気がつけば、黒い何か(・・) に包まれていた。 視界を覆っていたものが消えた時、目の前の光景は一変していた。 古い洋館。そんな言葉がぴったりくる、石造りの建物。広間の中央に、俺は立っていた。 カチ、カチと、やけにゆっくりとした振り子仕掛けの、大時計の音が、異様に耳に障る。「ここは……」「ようこそ。我が“悪夢の館(スプラッターハウス) ”へ」 赤絨毯の引かれた階段。階下を見下ろすように、アマネは立っていた。「お前は……なんで、こんなことするんだ! いったい何なんだ!」 俺の叫びに、アマネは艶麗に口の端を綻ばせる。「おお、かわいそう。何も知らないのね」 言いながら、彼女は階段の手すりにしなだれかかる。「せっかくだから教えてあげましょう――とでも言うと思ったかしら?」 艶のある声は、この上も無く酷薄。「わたしは優しいから、何も知らせないままに殺してあげるわ。あなたが知りたくも無い事実でしょうしね、彼が裏切っていただなんて……あら、結局教えちゃったかしら」 ころころと、鈴を転がすように笑うアマネ。だが、彼女の言葉に、俺は衝撃を受けた。「ブラボーが……裏切り者だって!?」「そう。彼が、レイズ達にあなた達がクリアして出てくる港を教えたのよ」 こちらをなぶる様に、アマネは粘質の笑みを浮かべる。「嘘だな」 だが、俺は信じない。あの男が、そんな事をするはずが無い。「俺はブラボーと言う奴を知っている。あいつは、仲間を裏切ったりしない」「その通ぉり。だ・か・ら、あなた達を裏切ったのよ彼は」「……どういうことだ」 暗い悦びの灯った瞳で、アマネはその言葉を口に出した。「ブラボーは、最初から、レイズやアモンの仲間だったのよ。何しろ、Greed Island Online の製作者仲間なんだから」 心が、奈落に叩き落とされた。 元の世界に戻るため、皆を集め、協力し合い、皆のために労を惜しまなかったブラボー。あいつが、“同胞狩り”の仲間で、最後の最後に裏切ったとは。「きゃはははは。いいわあ、その貌。信じていたものに裏切られた、絶望に満ちた貌ね」「違う。それなら、何で味方同士で殺し合いをしてたんだ。嘘に決まっている!」「……強情ねえ、でも、ホントは心のどこかで納得してるんでしょ? さっきの表情はホント、良かったもの」 うそだ。絶対にそんなはずは無い。こいつは、俺を落としいれるためにこんな事を言っているんだ。「ブラボーがレイズと殺し合ったのは、わたしのため。わたしのために仲間を裏切ってくれたのよ。あは、二重に裏切り者だなんて傑作ね」「ブラボーが、お前のために?」「そう。彼はわたしのために仲間を裏切って、仲間のためにあなた達を裏切った。誰が大事なのか、はっきりしていて気持ちいいわよねえ」「な、ぜ」 もはや、それだけしか言葉が出ない。「わたしと彼が、恋人だからよ」 そう言って、アマネは左手の薬指につけられた銀の指輪に口づけした。「愛し合っているの」「――なぜ、俺達を殺そうとする」「……ホントはね、どうでもいいの。あなた達が帰ろうが、レイズ達が帰ろうが。でも、彼まで帰る気になられると困るのよ」 その瞳に浮かぶのは、狂の色。「わたしと彼は、こっちでずっと暮らすの。だから、“向こう”に対する未練は、わたしが残らず処分してあげるのよ……だから、死んじゃって」 ――“悪夢の館(スプラッターハウス) ”。彼女は言った。 その言葉に応えるように、館が蠢いた。「!!」 頭上の空気が揺れるのを察知し、跳び退る。 轟音とともに、鼻先をかすめてシャンデリアが地面に落ち、四散した。「さあて、あなたはどこで死んじゃうのかな?」 そう言って、アマネは奥に退がっていく。 それを追いかけようとして――悪寒。無理やり足を止める。地面から、無数の槍が飛び出してきた。「まてっ!」 とっさに“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”でアマネの背後に跳んだ――刹那。俺とアマネの間を振り子仕掛けの刃が横切った。 こちらを全く見ようともせず、アマネは奥に引いていく。「心配しなくても、もう一人の男の子もこちらに送ってあげるわ。いっしょに死ねば、寂しくないでしょ?」「ま、まて! シュウをどうする――」 俺の鼻先で、扉が閉じられた。 押しても引いても、扉は開かない。 ふと、気付く。 振り子時計が時を刻む音。それに混じって、何かが風を切る音が、後ろから聞こえてくる。 振り返って見れば、機械仕掛けの人形が、刃を手に、回転しながら近づいて来ていた。 ゆっくりと、ゆっくりと。だが、確実に迫ってくる。 あの、異常に遅い振り子時計の音に合わせるように、ゆっくりと、道幅いっぱいに刃を振り回す人形。 逃げ場は、無い。 ――俺以外には。“背後の悪魔(ハイドインハイド) ” 人形が後ろを向いている時を見計らい、無音のまま一気に階段の傍まで跳ぶ。そのまま階段を飛び降り、広間に戻った。 玄関の扉は――開かない。どころか、上からギロチンの刃が落ちてきた。 かろうじて躱し、広間から通じる扉を片端から開けていく。客間では、重厚な高級調度品が、群れをなしてこちらを挟み殺そうと迫ってきた。キッチンでは包丁の群れが、俺を食材にしようと容赦なく襲ってくる。 この館の部屋一つ一つが死のトラップ。なんとか逃げおおせ、扉を閉じた俺は、やっとそれに気付いた。 考えろ。アマネの入っていったあの部屋、あれが出入り口だろう。 たぶん、あの扉を開くには、何か条件があるはずだ。 死ぬまで出られない。そんな致命的な念能力の発動条件が、あの黒い物体に触れるだけ、なんて軽いものですむはずが無い。 どうすればいい。ホラー物なんて読んだことも無い。こんな場合の定番ってなんだ。 考えているうちにも、あの殺人人形が時を刻むように、じりじりと迫ってくる。 ――あれか? だが、あれを倒すことぐらい、あの同胞狩りも考え付いたはずだ。あいつができなかったことが俺にできるものか……と、気付く。 よく見れば、かすかにだが、館の壁や床に焦げ付いたような痕跡が残っている。 レイズが足掻いた痕跡。 その痕跡が、ひとつの扉に向かって続いていた。 アマネが出ていったほうとは逆。階段を登った左に見える扉だ。 あそこに向かっていたのか、逆にあそこから逃げてきたのか。どちらにせよ、他の扉を選ぶより、状況が打破できる可能性は高い。 また追い詰められても厄介なので、人形をギリギリまで引きつけ、二階に駆け上がった。 慎重にドアノブに手をかける。 鍵はかかっていないようで、あっさりと扉が開いた。 そこは寝室だった。天蓋つきの豪奢なベッドに、高価な調度品の数々。その中で目を引いたのは、テーブルの上に広げられた、豪華な装丁の本だった。 何かヒントになればと、目を通してみる。どうやら日記のようで、悪趣味なことに、この屋敷が化け物屋敷へと変貌を遂げて行く過程と、屋敷の主人の苦悩が書き綴ってあった。 読み進んでいくと、日記に一枚の紙片が挟んであった。“この先を読むな! かぎとけいのなか――A” 走り書きでそう書いてあった。 罠、では無い。A……エース。彼が残したヒントだ。 おそらく、この本を読み進めると、致命的な罠が発動する。そう言いたかったのだろう。 エース。彼は、自分の死が間近に迫った絶望の中で、それでも仲間のために、このメモを残してくれたのか。「エース……ありがとう」 俺は紙片をポケットに入れ、部屋を出る。 鍵は時計の中。 この部屋にある時計では無いだろう。鍵を隠すには小さすぎる。たぶん、広間の大時計だ。 部屋を出て、二階に上がったところだった殺人人形を“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”で跳び越え、階段を下りて大時計にたどり着く。 振り子仕掛けの大時計を開き、振り子を止める。 その裏側に、金色の鍵が嵌っていた。 それをもぎ取る。同時に、館全体が震えた気がした。 カチ、カチと、大時計が正常に時を刻み始める。 異様な気配にとともに、鈍い光が目に入った。見れば、あの殺人人形が、異常なオーラを帯びて、階段からこちらを睨んでいる。 どうやら、鍵を取れば発動する何らかの仕掛けらしい。 トン、と、階段から飛び下りて来る人形。その動きは、今までとは比べ物にならないほど速い。 ここは、逃げの一手。人形の脇をすり抜け、階段に向かい、駆ける。人のように滑らかな動きで追ってくる人形を、階段を登ったところで蹴落とし、そのまま右手奥の部屋に鍵を差し込む。 真っ暗な部屋の中に、白い物体がういている。あの黒い物体と対になるそれは、間違いなく出口。 後ろから、あの人形がすさまじい勢いで迫って来る。 俺は覚悟を決め、思いきって白いそれに身を投げた。 ――戻ってきた瞬間、頭に衝撃を受け、吹っ飛ばされた。「あら残念、戻ってこれたのね」 アマネの声が、聞こえてくる。 俺に攻撃したのはアマネだろう。不覚だ。無事に出てこれた時、それがわかるような条件をつけておくのは、当然の備えだ。 それを予想していなかったのは、俺の完全な落ち度。「ユウ!」 脳が揺らされてふらつきながらも、その声を聞き分ける。 シュウは、どうやらまだ無事らしい。 とはいえ、見ればシュウは体に無数の傷を負っている。 ブラボーの方も、無傷ではなく、数箇所ほど防護服が破られていた。「俺は……無事だ」 何とか、立ち上がる。膝が笑っているが、どうにかバランスは取れた。「残念ね、変に戻ってこなかったりしたら、いっしょに死ねたのに。一度館から生還したら、もうどうやっても入れないのよ?」 嘲弄するようなアマネの言葉は、無視。シュウに言葉を向ける。「シュウ、いつも通り役割分担だ。ブラボーは任せる。こっちは、任せろ」「ああ……任せた」 互いに背を向け、相手に向かう。泣きたいような、こんな状況でも、顔が自然と綻ぶ。“甘い誘惑(スイートドロップ) ”“背後の悪魔(ハイドインハイド) ” もはや身の一部になったような二つの能力を併せて、使う。 グリードアイランドからこちら、ほとんど休み無しの連戦で消耗し過ぎた。まともに一戦、戦いきるオーラなど残っていない。 短期決戦で決着をつけるしかないのだ。 アマネの頭上に跳ぶ。アマネが背後を振り返るが、そこには誰もいない。 その背後に、俺は跳んだ。 相手は無警戒。その隙を縫って、ナイフで心の臓を狙う。 ――殺(と) った。そう思った瞬間。パン、と。乾いた音が聞こえた。 鈍い痛みとともに、ナイフが弾き飛ばされている事に気付く。 やったのは……ブラボー。シュウの拳を体に受けながら、こちらに銃口を向けていた。 ありえない。“周”でオーラを纏わせた俺のナイフが、ただの拳銃に弾かれるなんて。「がわいげの無い娘ね!」「――ぐっ」 アマネの蹴りを腹に受け、俺はまた吹っ飛ばされる。飴玉が、空中で唾液の尾を引いて落ちていく。「――そうか、防護服が再生されないから、どうもおかしいと思っていたけど……それがあんたの本当の念能力か」「……“最大強化(パワーブースター) ”。“性能”を強化する念能力」 手にした銃を捨てながら、ブラボーは応えた。 その声に、わずかな苦痛の色が混じっている。「なるほど、あの異常な防御は、防護服の性能を極限まで高めていたからか」 二人は互いに構えた。先の一撃は、ブラボーに多大なダメージを与えている。お互い、これを最後と見定めたのだろう。 なら、こちらも最後だ。“絶”状態からは回復したものの、すでに、“背後の悪魔(ハイドインハイド) ”を使うオーラも残っていない。 だが、あちらも“悪魔の館(スプラッターハウス) ”が使えない以上、条件は同じだ。 全力で、駆ける。 迎え撃つアマネ。 正面からの攻撃に、カウンターを被せられた。 鈍い衝撃とともに、意識が遠のく。 届かないのか。俺は、こいつに届かないのか。仲間を殺したこいつに、一矢も報いることはできないのか。 このまま、何も出来ず、俺は死ぬのか。 ――負けないで! 不意に、誰かの声が聞こえた気がした。 それが、かろうじて意識をつなぎ止める。 そうだ。死の激痛を維持してまで、俺達に忠告をくれたヒョウ。自分であることを望み、自分のまま死んで行くことを選んだD。死の恐怖と戦いながら、後に続くものを助けようとしたエース。 あいつらのためにも、俺は最後まであがくのをやめたりしない! 不思議と、力がわいてきた。スズメの涙ほどの、それでも、一撃を放つには充分な力。 体が、何かに突き動かされるように動く。 勝利を確信した表情のアマネは、その貌のまま俺の手刀で腹をぶち抜かれた。「か、は」 もう、身を支える気力も無い。 だが、この手がアマネの命に届いたことだけは、確信出来た。「さんきゅ……“ユウ”」 最後まで、俺の意識をつなぎとめてくれた意識(もの) につぶやくように言って、そのまま地に膝をついた。「そ、ん、な……」 アマネは、ゆっくりとくずおれる。「いやだ、死にたくない。せっかく、いっしょに、なれるのに……いやだ。いやだよう」 血反吐を吐きながら、涙を流すアマネ。「兄さま、お声を聞かせて。兄さま、こちらを向いてください。兄さま、どうか、わたしを、わたしだけを見ていてください。兄さま、兄さま、兄さま、兄さま、兄さま兄さま兄さまにいさまにいさまにいさまにいさまにいさま……」 すでに瞳はなにも映していない。 振り絞るような声が次第に弱くなっていき、ついには途切れた。 と、その時、アマネの指についていた指輪が、消える。あれも、何かの念能力だったのだろうか。 と、その時、激しいぶつかり合いの音が聞こえた。 見れば、シュウとブラボー双方の拳が、お互いの体にめり込んでいた。 シュウの拳はブラボーの胸に、ブラボーの拳はシュウの腹に、突き刺さった格好のまま、お互い凍りついたように動かない。 数瞬の硬直の後、シュウの体が揺らぎ、そのまま地面に崩れ落ちる。 ブラボーは、拳を放った体勢のまま、持ちこたえていた。「――」 無言で、ブラボーがこちらに近づいて来る。 俺に応戦する力は残されていなかった。 オーラは枯れ果て、体も言う事を聞かない。だがそれでも、意思だけは折らず、ブラボーを見据え続ける。 だが、ブラボーは何を思ったのか、自分の指輪を外し、こちらに向けて放ってきた。「何のつもりだ」「……すまない」 ブラボーは、それだけ言った。その言葉が、俺の怒りを煽った。「裏切り者」 一言、言うたびに、俺の心の方が傷つけられる。「恥じて死ね」 言って、力を振り絞り、指輪を投げ返す。こいつの施しなど、死んでも受けるものか。 目から、熱いものが込みあげてくる。 ブラボーは、指輪を手に持ったまま、動かない。「……オレが、もらっておく」 意外な方向から、声が聞こえた。あまりにも聞きなれた声の主は、見るまでも無い。「シュウ!」 倒れたままの姿だったが、シュウの目が、確かに開かれていた。「カミト達のために、もらっておく。ただし、一枚でいい。それで、充分だ」 シュウの言葉に、血の気が引いた。 俺は馬鹿だ。一時の感情のために、俺は皆が命を賭して手に入れたものをドブに捨てるところだった。 何があっても、あれだけは受け取らなければならなかったのだ。 それを……俺は馬鹿だ。 ブラボーは無言で指輪を指にはめた。よく見れば、彼の指には、もうひとつ、指輪がはめられている。アマネが身につけていたものと同じ指輪だった。 ブラボーは挫折の弓を実体化し、シュウのそばに置くと、アマネの遺骸を抱えて俺達に背を向けた。 その背に、シュウが声をかける。「何故、最後に手を抜いたんだ?」 ブラボーは、語らない。ただ、背を向けたまま、上を向く。「それに、銃でユウ自身を狙う事も出来たはずだ」 ブラボーは、そのまま微動だにしない。「その指輪。その女の念能力なんだろ? お前、あいつに操られてたんじゃ――」「――全て」 シュウの言葉を遮るように、ブラボーは口を開いた。「全て、わたしの招いたことだ」 それだけ言って。 それ以上言葉など発せず、ブラボーは闇の中に消えていった。「――なあ、ユウ」 そのまましばらく、地に伏したままでいると、ふいにシュウが話しかけてきた。「なんだ」「あいつら、兄妹だったんだな」「知るか」 俺は、会話を打ち切った。どんな理由があろうと、ブラボーが裏切ったのは事実で、あいつのせいで何人もの仲間が死んだことにはかわりが無い。 ブラボーを許すつもりは無いし、あいつに同情の余地など欠片も認めたくない。「……オレ、あの女の気持ち、ちょっとわかるかな」「シュウ」 かまわず、口を開くシュウを止めようとして、あきらめる。 俺だけでなく、シュウも、きっと傷ついている。思いを吐き出すことで楽になるのなら、それを、手伝ってやってもいい。「兄妹で愛し合うなんて許されない……でも、こんなことが起こって、不意に、それが許される状況になったら、何に換えても手放したくない。そう思っちゃっても、仕方ないんじゃないかな」「――思うだけならな。実際やったらただの犯罪者だ」 俺は、吐き捨てるように言った。 ブラボー以上に、あの女に同情の余地など無い。 シュウは、倒れたまま空を仰ぐ。暗い闇に何を見ているのか、俺にはわからない。「……そうだね」 その言葉からも、感情は読み取れなかった。 シュウと共に空を見上げて、ふと思った。 この空に、後どれほどの同胞が生き残っているのだろうか。 こんな不毛な喰い合いをして、皆この異邦の地でのたれ死ぬ運命なのだろうか。 帰りたいな。 あらためて、そう思った。