目を覚ますと、森の中だった。 四肢を大地に貼り付け、天を仰ぐかたち。木漏れ日が眩しい。 いつの間にこんなところに来たのだろう。 夢遊病の気などないはずだ。 はやいとこ戻らないと。そう思い身を起こす。 おかしい。 体がやけに軽い、ことではない。それを苦もなく許容する自分に、違和感があった。 自分は何者だろうか。 考えてみれば、ふたつの名前が頭に上がる。 東(あずま)カイリ。アズマ。 東カイリの意識が強い。アズマに関しては、映画で見るように現実感のない記憶だけだ。 だが、ここはどう考えても“アズマの現実”なのだ。 やっと思い出してきた。 こんなところに飛ばされる直前、レイザーがいた。そしてさらに前。 そうだ。あのゲームだ。 Greed Island Online 名前からわかるように、HUNTER×HUNTERの作中で描かれたゲームを再現したものだ。 あのゲームをはじめた瞬間。いきなり画面が光りだして、気がつけば草原の真ん中に立っていたのだ。 そういえば、アズマというのは俺の設定したキャラの名前だ。 脳内のプロフィールをめくってみる。 プロハンター・アズマ。十七歳。男。 黒髪に黒ずくめ、ツンデレの幼馴染あり。念能力の系統は放出系。 薄い設定だった。 それはさておき。東カイリがゲームのキャラになってHUNTER×HUNTERの世界に飛ばされた。そう考えるのが正しいように思う。とても信じられないが。 となると、現状が見えてくる。 レイザーに“排除(エリミネイト)”されたなら、ここはアイジエン大陸のどこかだろう。 アズマの記憶によれば、実家があるのもアイジエン大陸。ちょうどいい。 とりあえず、実家に戻ることに決めた。 これからどうするか、落ち着いて考える必要があったし、なによりツンデレの幼馴染というものを一度生で見てみたかったのだ。 ハンターライセンス、というのは便利なものだ。 あらゆる交通機関で、金を払う必要がない。そのうえ出入国もフリーパスだった。帰路になんの困難もない。三日後には故郷の地を踏むことができた。 アイジエン大陸の西端にある某国ミヅキ市。その外れの住宅街に、俺の実家はある。 庭付き一戸建てである。立派なものだ。「ただいま」「おそいっ!」 実家の扉を開くと、少女が仁王立ちになっていた。 金髪碧眼。猫を思わせるつり目にツインテール。なぜか某女子高の制服。 ツンデレだ。「なによツンデレって?」 口に出していたらしい。とりあえず「専門用語だ」と、ごまかす。 それにしても家族はどうしたんだろう、と、よく考えたらツンデレのことしか設定してなかった気がする。 アズマの記憶を掘り返せば、どうやら両親は亡くなっているらしい。「なんでうちにいるんだ?」 尋ねると、ツンデレはなぜか顔を赤らめた。「なっ、なによ。おかしい? あんたを待ってたの――別にあんたが心配だったってわけじゃないんだからっ!」 見事なまでのツンデレ語遣いだ。「なによ。久しぶりだってのにちょっとは喋りなさいよ」「エスト」 記憶にあった、ツンデレの名を呼ぶ。 彼女に聞きたいことがあった。「なによ、アズマ。あらたまっちゃって」「おまえ、いつの間に念能力を?」 そう、彼女はオーラを身に纏っていた。常人なら、煙が立ちのぼるように見えるはずだ。 指摘するとツンデレはわたわたと手を振りまわし始めた。どうも焦っているようすだ。「こ、これは――って、アズマこそなんで念能力なんて知ってるのよ」「一応プロハンターだからな」 慌てる彼女に、そう教える。ライセンス取っといてよかった。 言葉に詰まったのか、ツンデレはしばし無言。 思い悩む風に見えた。「ねえ」 と、彼女は真剣な面持ちを向けてきた。 ためらいの色が、わずかに残っている。「なんだ?」「わたしがよその世界から来たっていったら、信じる?」「ああ」「ああって、そんなあっさり」 拍子抜けしたのか、ツンデレの猫目が丸く開かれた。 そんな彼女に、いってやる。「当然だ。俺も別の世界の住人だからな」 そう。ツンデレが念能力者だとわかった時から、その可能性は考えていたのだ。 彼女が、同胞であると。 妙な偶然、でもないだろう。たとえば、幼馴染がいる、という設定を、互いにしていたとか。しかもツンデレである。これはもう必然といっていい。「え? ってことはあなたも……」「Greed Island Online、だろう?」 決定的な言葉を、口にした。 元の世界の住人でない限り、知らない言葉だ。 ツンデレはしばし、呆然としていた。やがて、ぽかんと開かれた口が閉じ、への字に引き結ばれる。なにやらプルプルと震えだした。顔が赤い。「は」「は?」「はやくいいなさいよこのバカぁっ!」 なぜか怒り出した。「なんのために! 恥ずかしい思いして! こんなまねしてたと思ってるのよっ!」 一言ごとに地面を踏みつけている。 いや、演技なんてしなくても、充分ツンデレっぽい。 見事だった。「で、これからどうするの?」「どうするっていわれてもな」「なによ。アズマ帰りたくないの?」 目を見開くツンデレ。同胞ならみな帰ることを望むと、互いに協力できると、疑いもしていないようだ。「……そりゃ帰れるもんならな。でも、とりあえず雨風しのげる家があるんだ。落ち着いて、こちらの現状って奴を把握してからでも、動き出すのは遅くないだろ?」「そうね。雨風だけは(・・・)しのげるわね」 含みのある言葉だった。 ツンデレの視線につられてあたりを見回す。そこらじゅう散らかっていた。 散らかっているというより、荒らされているに近い。「ここ、空き巣に入られてたみたいよ? 通帳とか軒並み盗られてた」「本当か」「わたしを差し置いてふらふら旅なんてしてるからよ」 お前も飛ばされてたはずだ、という突っ込みは取っておくとして。 なんでいちいち言動がフラグ立ってるっぽいんだ。「し、仕方ないでしょ! この娘――エストがあんたのこと好きなんだから! いっとくけどわたし自身はあんたなんてなんとも思ってないんだから!」 失敗した。また口に出していたらしい。 しかし、ほんとにツンデレ分の多い娘だ。 それにしても。家の中に入り、様子をうかがう。 玄関、廊下、書斎、寝室、また玄関。 くまなく荒らされていた。 また、容赦なくやったものだ。金目の物はほとんどもって行かれている。 現金が手元にないいまの状況では、正直痛かった。 今日食べる晩飯を買う金すらない。 「し、仕方ないわね。今日はうちにご飯食べに来なさいよ」 なんだか顔を赤らめながら、ツンデレはいってくれた。 ありがたい話だ。人の情けが身に染みる。 だが、ツンデレに感謝の言葉を送ろうとしたとき、ちょうど部屋の隅で見つけてしまった。 バタフライナイフ。家のものではない。携帯には便利そうだが、こんなものを集める趣味は、俺にはない。 おそらく犯人のもの。「ちょっと? 返事くらいしなさいよ」「ツンデレ。喜んでくれ」「誰のことよ。ちゃんと名前で呼びなさいよ!」「どうやら、今晩世話にならずにすみそうだ」 ちょうど。 本当に偶然だが、俺の念能力は、いまこの状況にうってつけなのだ。「人の話を――って、ちょっと。こんなとこで念能力使うの?」「ああ」 発動する。“返し屋(センドバッカー)” 念の発動を受けて、ふわりと、ナイフが浮き上がった。 獲物を狙い定めるように、刃先をうろうろさせたかと思うと、次の瞬間、ナイフは勢いよく外に飛び出す。“返し屋(センドバッカー)”。品物を、持ち主の元へ送る念能力である。 当然ナイフは犯人の元へ飛んでいく。「ちょっと行ってくる」「ちょっと、待ちなさいよ!」 ツンデレの声が背後で聞こえた。 だが、ナイフを見失うわけには行かない。一息に外に飛び出した。 直線距離で五キロ。すでに郊外だ。 持ち主を求めるナイフは、緩やかに空を滑っていく。やがてそれが、ひとりの男にぶつかって落ちた。 あぶない。刃の部分なら大怪我していたところだ。刃を仕舞えるようになっているのだから、そうしておけばよかった。「お前か」 男は、すでに顔色を変えている。 ナイフを。それも、見覚えのあるものをぶつけられたのだから、当然だろう。「空き巣だな」 言葉と同時、空き巣は身を翻した。 速い。 あっという間に見えなくなった。すさまじい俊足だ。 たぶん、俺の脚でも追いつけない。「逃げられちゃったじゃない!」 やっと追いついてきたツンデレがかみついてきた。「なあ、ツンデレ」「だから名前で呼んでってのに……」「俺にはもうひとつ念能力があってな」 いいながら、ナイフを拾う。 もはや豆粒ほどになった空き巣に、刃をたたんで柄だけになったナイフを向ける。刃を出せば、殺してしまう。「“加速放題(レールガン)”」 発動するや否や。ナイフの姿が消えた。 反動も何もない。だが、空気を切り裂く音が、尾を引いて残っている。 物体を加速する能力。 ただし、これだけでは当たらない。砲身も照準もない大砲をぶっ放しているようなものだから、当然。 悲しいほどのノーコン。これだけはどうしようもない。 だが、ここでもうひとつの念能力がものをいう。“返し屋(センドバッカー)” ナイフは、持ち主の元へ送られる。 強烈な加速を伴って。 遠くで鈍い音が、確かに聞こえた。ここからでは米粒くらいにしか見えない空き巣は、倒れたまま動かないようだ。 当たり所が悪かったかもしれない。「なかなか便利だろう?」「ちょっと見直した……かも」「なに? よく聞こえなかった」「うるさいっ! 何でもないわよ! それより、犯人捕まえに行くわよ!」 顔を真っ赤にするツンデレ。 この娘は、ツンデレ道を極めんとしているんだろうか。 なら、やはり、ツンデレと呼び奉るのが筋だと思う。「じゃあ行くか。ツンデレ」「ちゃんと名前で呼びなさいよ! それにツンデレってなに!?」「お前にふさわしい呼称だ」「え? なにそれ……褒めてくれてんの?」「当然だ」 求道者はいつも貴い。 それがツンデレ道なれば、なおさらだ。「やっぱりバカにされてる気がするぅっ!」 ツンデレの叫びを背に聞きながら、俺は今晩の飯代を確保しに向かった。